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310号 2015/1/11
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美耶子の言い分 美耶子のK9研究 むささびの鳴き声 どうでも英和辞書
2015年最初の「むささび」です。事情があって、12月31日には珍しく「紅白歌合戦」をかなりの部分聴いていました。何だかさっぱり分からないメロディーの歌ばかりで参りました。はっきり言って、この番組、いい加減にやめたら?というわけで、あけましておめでつございます。ことしもよろしくお願いします。

目次
1)パリのテロ事件:本丸はシリアに
2)東アジアに戦争はない:シンガポールの見方
3)「台湾入門」の入口
4)ドイツが「ドイツ」を恐れている?
5)2+2=5?
6)どうでも英和辞書
7)むささびの鳴き声
*****
バックナンバーから

1)パリのテロ事件:本丸はシリアに

フランスの週刊誌、「シャルリーエブド」(Charlie Hebdo)の本社が銃撃されて12人もの死者が出た事件があったのが1月7日。それ以来、英国メディアのコメント欄は「報道の自由を守れ」とか「シャルリーエブドと団結しよう」という類の記事やコメントで埋め尽くされていました。
というぐあいです。どれもやや感情的という気がしないでもない。そんな中で、The Independent紙のサイトに掲載されたパトリック・コクバーンという中東専門記者の
という記事がむささびの目を引きました。シリアの内戦とパリのテロ事件を結びつけているようなニュアンスですよね。掲載されたのがテロ事件が起こった当日であり、しかも感情的にテロを非難するという類のものではなさそうであったことがむささびが注目した理由です。

このエッセイは「パリのテロは不可避だったという感覚がある」(There is a feeling of inevitability about the attack in Paris)という書き出しになっている。すなわちこれがイスラム過激派によるものであることは間違いないし、シリアやイラクにおけるイスラム同士の宗教戦争が世界的に拡散する中で起こるべくして起こったこと、とコクバーンは書いています。

2011年以来続いているシリアの内戦はアサド大統領の政権側と反政府勢力の戦いであるのみならず、反政府勢力そのものがサウジアラビアが支援するイスラム原理主義勢力(アルカイダ、イスラム国など)とトルコが支援する西欧的民主主義勢力が対立している。一方で「政権側」とされる勢力にも、ロシアが支援、アサド大統領が率いる「アラウィー派政権」と、イランが支援するシーア派勢力というのがある。政権側の2勢力は、「シーア派」と呼ばれる勢力で、アルカイダやイスラム国のような「スンニ派」と対抗するために、便宜上共同戦線を組んでいるだけ。つまりシリア内戦は実際には4つの勢力による内戦であるということ。実にややこしい。
  • 4年目にはいるイラク=シリア内戦の火花が西欧全体に爆薬の火花を散らすことがないなどと考えるとしたら、それは許しがたいほど甘い見方であると言わざるを得ない。
    It was culpably naive to imagine that sparks from the Iraq-Syrian civil war, now in its fourth year, would not spread explosive violence to Western Europe.
数千人にものぼるイスラム教スンニ派の若者たちがシリアとイラクにおけるイスラム国(IS)の戦いに馳せ参じているのだから、彼らが自分たちの本国においてイスラムの教えに反するとみなす組織を襲撃することで自分たちの宗教心の深さ・高さを誇示する行動に出るだろうということはこれまでにも言われてきた。フランスの新聞社襲撃もその一環であることは間違いない、とコクバーンは言っている。

コクバーンによると、イスラム国やアルカイダのような超過激グループの広がりを数字で示すものとして、パリの事件の直前の週にあちらこちらで起こった自爆テロ事件の数がある。例えばイエメンの首都、サナア(Sanaa)で起こった警察車両襲撃自爆テロでは33人の警察学校生が殺されている。またイラクの首都バグダッドの北西にあるアンバー(Anbar)では23人のイラク兵とイラクの現政権寄りとされるスンニ派の部族長らが、やはり自爆テロで命を失っている。

さらにその前の日、サウジアラビアとイラクの国境地帯のパトロールを行っていたサウジの軍関係者が3人殺される事件があったし、12月30日にはイスラム・テロに反対していることで国際的にも知られているリビア政府の建物が破壊されている。
コクバーンによると、パリの新聞社襲撃が誰の仕業であれ、これらの自爆テロや破壊行為の波が西欧諸国に押し寄せないなどと考える方がおかしい。最近のイスラム過激派による聖戦運動の特徴として挙げられるのが、公に目立つ場所や人物を襲撃することで、宗教的な関わりを広く誇示しようとする傾向があること。2001年にアメリカで起こった9・11同時多発テロ、イラク、シリア、アフガニスタンなどで続発する自爆テロ、欧米のジャーナリストや国際援助機関のスタッフをカメラの前で処刑する・・・こうした行為が狙っているのは、事件を起こされた側の政府による過剰反応を呼び起こすこと。それによって自分たちの言い分を世界中に伝えることができるということです。

こうした彼らの罠に見事にはまってくれたのが、ジョージ・ブッシュであり、トニー・ブレアであるというわけです。なにせ軍隊を派遣して戦争までやってくれた。しかもその間、CIAの人間がテロ容疑者と決めつけた人びとを拷問までしてくれた。こうした方法がいかに無意味(counter-effective)であったかは、同時多発テロから14年、アルカイダのような活動グループが減るどころか大いに増えていることでも明らかではないか、とコクバーンは指摘します。
  • イスラム狂信主義の拡散を逆転させるために有効な方法はあるのだろうか?
    Can anything be done to reverse the trend towards the spread of Islamic fanaticism?
というわけですが、コクバーンによると、「シャルリーエブド」襲撃犯を逮捕しても次なる「殉教者」たちの出現を食い止めることには繋がらない。彼らにしてみれば、自分たちの信仰・信念(faith)がかかっているのですからね。ただ、現在進行中のシリアにおける内戦を終わらせるか、せめてこれ以上エスカレートしないようにすることによって、「暴力的聖戦」の拡散だけは食い止めることができるかもしれない。
  • ただし、シリア内線の縮小を図るためには、米英仏およびその同盟国がアサド政権を打倒しないことに合意し、さらにアサド政権側もシリアの全土を取り戻すような試みはしないことを受け入れることが必要になる。シリア国内においてアサド政権と非過激・反政府グループとの間で停戦を行って国内における権力の分かち合いを達成すること。そうすることによって初めて、シリア、イラク、フランスの政府が暴力的スンニ派による聖戦に対抗して団結する基盤が出来上がるのだ。
    Such a de-escalation means the US, Britain, France and their allies accepting that they are not going to overthrow Bashar al-Assad and Assad accepting that he is not going to win back all of Syria. There should be ceasefires between government and non-jihadi rebels. Power would be divided within Syria and, for the first time, governments in Damascus, Baghdad and Paris could unite against violent Sunni jihadism.
ということです。

▼コクバーンによると、パリのテロ事件はイスラム過激派間の「過激争い」の一環であり、そのための聖戦テロリストを醸成しているのが、シリアの内戦である、と。その内戦も簡単にはやまらないであろうから、とりあえず「政権側」と「過激でない方の反政権側」に停戦してもらって、全体的な内戦状態を「縮小」(de-escalate)することで、イスラム国のような「純粋イスラム過激派」の活躍の場を縮小するしかない、と。そのためにはアサド大統領の協力が必要なのですが、そこはそれ、プーチンさんにお願いして・・・でも、そのプーチンさんにお願いするのは誰?決まってるでしょ、メルケルさんですよ。東独出身、ロシア語ペラペラのメルケルがドイツ語ペラペラのプーチンと話をすれば・・・キャメロンやオバマの出番ではない?

▼この記事の最初に掲載した写真ですが、指に "pas peur" と書いてある。フランス語で「怖くなんかない」(not afraid)という意味なのだそうですね。テロリストへのメッセージです。
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2)東アジアに戦争はない:シンガポールの見方
2014年末の12月30日付のファイナンシャル・タイムズのサイトにキショール・マブバニ(Kishore Mahbubani)という人が
という見出しの短いエッセイを寄稿しています。この人はシンガポール国立大学にあるリー・クアンユー公共政策大学院の院長をつとめるオピニオンリーダーだそうで、ネットなどを見ると知らなかったのはむささびだけというほどの有名人のようであります。それはともかく、マブダニ教授によると、昨年(2014年)は専門家の間で東アジアについての悲観的な発言が相次いだ年だったが、いずれも間違っていたことが証明された。専門家による「予想」をいくつか紹介すると:

まず米ブルッキングス研究所のマーガレット・マクミラン(Margaret MacMillan)は2013年12月に次のように予見している。
  • 我々が現在目の当たりにしているのは、第一次世界大戦当時の1914年と同様に、既存の勢力に対する新興勢力の挑戦ということであり、それに伴う国際的な権力構造の変化(シフト)ということである。1914年と同じことがいまや米国と中国、日本と中国の間で起こりつつある。さらに中国に関しては二つの隣国(ベトナムとマレーシア)との間における紛争の火種もある。
    We are witnessing, as much as the world of 1914, shifts in the international power structure, with emerging powers challenging the established ones. The same is happening between the US and China now, and also between China and Japan. There is also potential for conflict between China and two of its other neighbours - Vietnam and Malaysia - as well.
次にハーバード大学のグラハム・アリソン(Graham Allison)教授が2014年1月1日付のNational Interest誌の中で、東アジアが「トゥキディデスの罠」(Thucydides Trap)に向かって突き進んでおり、
  • 急速に上昇する国がそれまでの支配国とライバル関係になると必ずトラブルが発生する。
    When a rapidly rising power rivals an established ruling power, trouble ensues.
と言っている。「トゥキディデスの罠」というのは、古代ギリシャのぺロポンネソス戦争で、新興強国のアテネがスパルタと戦った原因を指すのだそうで、中国はアテネ、日本はスパルタに例えられるのだとか。

一方、シンガポール人のマブバニ教授は自分自身の体験として、昨年1月のダボス会議に参加した際に多くのジャーナリストから日中戦争の可能性について聞かれたことを挙げています。教授はそれに対して、10対1の賭け率で「起こらない」方に賭けると述べたのだそうです。つまりもし2014年に日本と中国の間に戦争が起こったら教授は10倍の損をすることになっていた。

教授は、東シナ海であれ、南シナ海であれ、東アジアに戦争は起こらないと確信しているわけですが、その確信の根拠は自分自身がアジアのダイナミズム(Asian dynamic)というものを分かっているからであると言います。
  • 多くのアジア諸国が怒りを込めたナショナリスティックな発言をすることもあるだろうが、それは国内で人気のあるナショナリストたちを抑える必要があるからだ。彼らはいずれも実際の行動においては用心深く、現実的にことに当たるものなのだ。
    While many Asian neighbours will make angry nationalist statements (and they have to do so to manage popular nationalist sentiments), they are also careful and pragmatic in their deeds.
マブバニ教授はこれまで20年間にわたってアジアの経済的な成長ぶりを観察してきているわけですが、いまのアジアの指導者たちの間にはこの経済成長のチャンスを逃す手はないというコンセンサスが存在すると見ている。その成長にとって最大の障害となるのが戦争である、と教授は言います。
  • もしアジア人たちが真に愚か者であるとすれば、彼らはそのような戦争に参加して自分たちの巨大な経済成長の可能性を潰してしまうであろう。しかしほとんどのアジアの指導者たちは(北朝鮮を除き)戦争の危険性というものをよく認識している。
    If Asians were truly stupid, they would engage in such wars and derail their enormous development promise. Most Asian leaders, barring North Korea, understand well the dangers of war.
というわけで、これからもアジアにはそれなりに緊張感は漂うし、ライバル意識も残るには違いないが、戦争が起こるということはない。
  • 2015年が明けるにあたり、私としては欧米の専門家たちにアジアの成長の潜在的な力を、欧米の偏見を抜きにしてそのまま理解することをお勧めしたい。
    As 2015 unfolds, I would like to encourage all western pundits to understand the underlying Asian dynamic on its own terms, and not on the basis of western preconceptions.
というのがマブバニ教授のメッセージです。

▼欧米の知識人たちは、アジアの潜在的な可能性を偏見なしで「そのまま理解」する態度を持つべきであるというわけですが、そこにはシンガポールというアジアの国のインテリとしてのプライドのようなものを感じませんか?「自分たちはそれほどアホ(stupid)ではないよね」ということを、アジアの指導者に向けて問いかけているのだと(むささびは)読みました。

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3)「台湾入門」の入口

むささびジャーナル308号で中国と香港・台湾の関係についてのThe Economist誌の記事を紹介しました。自分で掲載しておきながらこんなことを言うのも情けないけれど、私、何故か台湾という「国」について全くの無知であることに気がつきました。例えば人口はどのくらいで、「台湾人」というのはどの程度いるのか?彼らは日本のことをどのように思っているのか?中国があれほどヒステリックに「台湾は中国の一部」と主張する根拠は何なのか?恥ずかしいほど何も知らない。

と思っていたら、友人でフリーライターの山形健介さんが昨年(2014年)11月に5日間ほど台湾を訪問、その印象記を送ってくれました。これが私のような無知人間にも非常に分かりやすく書かれていたのです。書いた本人が台湾および台湾の人びとに対して大いなる愛着を感じていることが伝わってくる「台湾入門」です。記事は全部で10本あります。ここに掲載するには、長すぎるし、一本一本がさして長くないので「連載」にすると間が抜けるし・・・というわけで、むささびジャーナルの別のところに10本まとめて掲載することにしました。

何故かほっとするレポートですが、語られている内容は「台湾と中国」「台湾言語はどうなるのか」「少子高齢化社会」などなど重いものばかりです。

ここをクリックしてください 
1)ダムと日本人
2)クセになる?菱の味
3)鹿港のノスタルジア
4)線香廃止のショック
5)真面目さが豊かさを生む
6)「台湾ホスピタリティ」と日本人の誤解
7)台湾流のしいたけ栽培
8)少子高齢化
9)閑散でいいのか?原住民博物館
10)「台湾語」のこれから

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4)ドイツが「ドイツ」を恐れている?

2014年12月13日のSpectator誌に掲載された、ウィリアム・クック(William Cook)という人の書いたエッセイはドイツのこれからについて語っているのですが、日本人が読んでも興味深いものだと思います。

見出しは
となっている。ドイツは、より積極的(active)な外交政策を必要としているけれど、それを邪魔しているのが「深く根を下ろした平和主義」(deep-seated pacifism)である、というのがこのエッセイのテーマです。

2014年、ドイツには二つの歴史的な記念行事があった。一つはベルリンの壁崩壊から25周年ということ、もう一つは第一世界大戦が始まって100周年ということだった。前者はいまのドイツには喜ばしい出来事であったのですが、後者はドイツ帝国の破滅に繋がったのだから嬉しいはずがないし、あの戦争はヨーロッパ諸国の間でドイツ帝国が悪者となった戦争でもあった。

が、現在のヨーロッパはというと、ドイツの経済力によって支えられる一方で、防衛面ではロシアの軍国主義に直面して不安が募るばかりという状態にある。となると、経済面のみならず防衛面においてもドイツの力に頼らざるを得ない状況が生まれている。まさにドイツは「頼りになる存在」(good guys)であるわけです。2014年の初め、元のNATO事務総長であったアナス・フォー・ラスムセン(Anders Fogh Rasmussen)が次のように発言したことがある。
  • ドイツはいまや普通の国であり、ほかの国が有している権利と義務を有している。従ってドイツはEUのみならずNATO、国際政治の舞台においても重要な役割を果たすべきなのだ。
    Germany is a normal country today, with the kinds of rights and duties other countries have. That is why Germany should play an important role in foreign and security policy, be it in the EU, Nato or in international politics.

ラスムセンはかつてデンマークの首相でもあった人で、デンマークは第二次大戦中にドイツに占領された経験を持つ国です。そんな人物による「ドイツは普通の国・・・」発言は特別の意味(extra clout)を持っている、とウィリアム・クックは書いています。

ヨーロッパ全体の防衛・外交のあり方を見ても、ドイツの存在の大きさは歴然としている。アメリカはいまや太平洋地域に力を注ごうとしており、ヨーロッパの防衛はヨーロッパ自身の責任という考え方をしている。一方で英国は緊縮財政の折から国防費を削減、フランスは北アフリカと中東における防衛に力を入れている。しかも2008年の金融危機以来、NATO加盟国における防衛費は20%も削減されている。なのにロシアはこれを50%も増やしている。となると、ドイツは経済力のみならず軍事面でも大いに期待される存在になってしまっている。

ではドイツ人自身はそのことをどう見ているのか?現在のドイツ連邦共和国(Bundesrepublik:西独)が生まれたのは1949年。それ以来ドイツは自衛目的以外の武力行使を禁止するという憲法を守ってきた。第二次大戦中のナチズムやユダヤ人の大量虐殺などの歴史もあって、ドイツ人は軍事力行使についてはどのようなものであれ、拒否反応を示す。
  • 冷戦の期間中もそれが終わってからも、ドイツは日本と同様にいわゆる「小切手外交」(chequebook diplomacy)というものを実践してきた。すなわち軍隊の派遣ではなく、財政的な支援、後方支援というやり方である。
    Throughout the Cold War, and beyond, Germany (like Japan) practised a kind of chequebook diplomacy, providing financial and logistical support instead of troops.

ドイツのオピニオンリーダーとされるHans-Ulrich Kloseという社会民主主義者が「ドイツは‘post-heroic society’になったのだ」と発言したことがある。post-heroic societyというのは、「お国のため」とか「正しい主義主張のため」という理由で戦争をすることが世論によって支持されなくなった時代のことをいうのだそうで、戦争による英雄なども生まれなくなっている時代・・・ドイツはそのような世の中になったというのが、このオピニオンリーダーの主張です。

ただドイツ人の意見がどのような変化を見せているかはともかくとして、ドイツを取り巻く環境が大いに変化してきていることも事実であろう、とウィリアム・クックは指摘します。第二大戦終了後から冷戦の終わりまで西ヨーロッパには40万のアメリカ軍が駐留し、2010年の時点でさえもドイツには2万人の英国軍が駐留していた。なのにベルリンの壁崩壊後はアメリカ軍は6万7000人に減り、在ドイツ英国軍の数は2015年末までには5000人にまで削減されることになっている。その一方で、ロシアのプーチン大統領などは、「2日もあればロシア軍はNATO諸国の首都を占領できる」などと、穏やかでない発言をしたと言われている。となると、ドイツはこのままでいいのか?という声が出てくるのも不思議ではない・・・とクックは言っている。

かつてドナルド・ラムズフェルド米国防長官が「弱さは強さよりも(敵を)挑発しやすい」(weakness is more provocative than strength)と言ったことがあるけれど、ウィリアム・クックは
  • いまのヨーロッパは危険なほどに疲弊し、弱っている。
    Europe at the moment looks dangerously tired and weak.
と言います。

ヨーロッパが直面する「脅威」はもちろんロシアだけではない。イスラム国の出現によって混乱する中東をどうするのか?ドイツは英米によるイスラム国空爆作戦に参加するつもりはないと言っているけれど、イラクでイスラム国と戦うクルド族に7000万ユーロ相当の武器の提供を約束しているし、ドイツ国内ではイスラム国への支持を表明するような行為は禁止されたりしている。


ドイツにおける最近の世論調査を見てもドイツ人の置かれた複雑な心理状態が伺えます。国際問題に対するドイツ政府の姿勢について、70%以上が「より強い姿勢で臨むべし」と言い、80%がウクライナ混乱の責任はロシアにあると言っている。ただそれではロシアとの軍事的な対立も辞さないのかというと、半数近く(49%)のドイツ人がウクライナ問題についてはドイツは「中立」(ヨーロッパ側にもロシア側にもつかない)の立場を守るべきだと言っている。

ドイツ人の心も揺れているというわけですが、ウィリアム・クックは、第二次大戦中にドイツに占領されて辛酸をなめたポーランドのラデク・シコルスキー(Radek Sikorski)外相(当時)が2011年にベルリンで行った演説の中で語った言葉を紹介しています。
  • ポーランドの外相がこのようなことを言うのは歴史始まって以来のことだと思うが、現在の私が怖れるのはドイツのパワーというよりも、むしろ何もしないドイツの方なのです。
    I will probably be the first Polish foreign minister in history to say so, but I fear German power less than I am beginning to fear German inactivity.
ちなみにシコルスキーは1963年生まれ。ということは、ナチ・ドイツに占領されたポーランドを実体験しておらず、彼が20才のころポーランドはまだ共産党政権、26才のとき(1989年)に民主共和政体への移行、41才のときにEUに加盟している。

ドイツ人にとって、ユダヤ人虐殺(ホロコースト)は、「集団的良心」(collective conscience)の源となっているけれど、ウィリアム・クックは、いまや良心というものを新しい方向で発揮するべき時が来ている(the time has come for Germans to exercise this conscience in a new way)と言っている。第二次大戦後のドイツ人の口癖は「二度とあってはならない」(Never Again!)であったわけですが、暴力・戦争・大量虐殺などこそ「二度とあってはならない」のであって、ドイツの外相が世界ユダヤ人会議の席上、現代の危機に対してドイツは同盟国とともにそれなりの責務を果たしていくと語り、“Never again!”の現代的な意味を強調した、としてウィリアム・クックは
  • それこそがドイツの新しいメッセージなのだ。ウラジミール・プーチンは聴いているのか?
    This is the new German message. Is Vladimir Putin listening?
と結んでいます。

▼かつてドイツに占領された経験を有するデンマークの元首相であったラスムセンがドイツのことを「普通の国」(normal country)と呼んでいる。この人は1953年生まれだからナチによる占領は自分の体験としては知らない世代です。彼の言う「普通の国」としてのドイツとは、例えば対ロシア政策について、他のヨーロッパ諸国と同じように強い姿勢をとるような国のことですよね。ラスムセン自身はドイツ軍のことは知らなくても、両親などの戦争体験・被占領体験を聞かされたはずですよね。それでもドイツを「普通の国」として考えようとしている。中国や韓国の対日姿勢とはずいぶん違いますよね。

▼ドイツ人も日本人も「敗戦」を経験しており、両方とも"Never Again" (あんな体験、二度とゴメンだ)という感覚は持ち合わせている(と思う)けれど、同じ意味で言っているんだろうか?あれから70年たったいま日本人は安倍晋三を、ドイツ人はアンジェラ・メルケルという人をリーダーとして選んでいる。両方とも戦後約10年の1954年生まれだけれど、前者は欧米のメディアから「歴史修正主義者」というレッテルを貼られている。つまりあの戦争について、日本は必ずしも悪くなかったと考えている日本人のひとりであると言われている。周辺国が安倍晋三に送る視線とアンジェラ・メルケルに送る眼差しもかなり違うのでは?

▼Spectator誌のエッセイの筆者であるウィリアム・クックは、ドイツ人に対して「もういい加減に平和主義や小切手外交を卒業したらどうですか?」と言っている。ロシアに対抗するための仲間としてドイツは必要だと思っている。いろいろとネットを当たってみたのですが、ウィリアム・クックがどういう人なのかが分からない。ただSpectator誌にはかなりエッセイを書いているところを見ると、考え方としては保守派とされるはず。英国の保守派は、ロシア嫌いではあるけれど、ドイツに対してもかなり猜疑心が強い。その人が「強いドイツ」に期待しているのがこのエッセイです。

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5)2+2=5?
 

英国の政治哲学者、ジョン・グレイ(John Gray)は1948年生まれだから、むささびより7才若いのですが、ものの見方が懐疑的・悲観的で、いかにも「ひねくれ者」という感じで面白い。その彼のエッセイ集にTHE SILENCE OF ANIMALSというのがあり、その中に "TWO TIMES TWO EQUALS FIVE"(2X2=5)という短い作品がある。英国の作家、ジョージ・オーウェル(George Orwell:1903~1950年)の "Nineteen Eighty-Four"(1984年)という小説を題材に人間と社会のあり方について語っています。

オーウェルがこの作品を書いたのはいまから67年前の1948年。彼は1950年1月に亡くなったのだから、"Nineteen Eighty-Four" は亡くなるほぼ1年前に書かれた、オーウェル最後の小説です。

1948年といえば、広島と長崎に原爆が投下され、第二次世界大戦が終わってから3年、今度は米ソによる冷戦の兆候が見え始めた時代です。ストーリーはこの作品が書かれてから36年後の1984年が舞台になっています。近未来小説というわけですが、"Nineteen Eighty-Four"によると、1950年代に発生した核戦争の結果、1984年の世界はオセアニア(Oceania)、ユーラシア(Eurasia)、イースタシア(Eastasia)という3つの超大国によって分割統治されている。"Nineteen Eighty-Four"の舞台は、その超大国の一つであるオセアニアなのですが、現在イースタシア国と戦争中。経済的に疲弊しているだけでなく、市民生活に対してありとあらゆる統制が加えられ、屋内であれ屋外であれ、政府が設置したテレビカメラによって、市民の行動が徹底的に監視されている。

主人公であるウィンストン・スミス(Winston Smith)は、真理省(Ministry of Truth)という政府機関に勤務しているのですが、現在の政府の全体主義的なやり方に大いに疑問を感じており、監視カメラから見えないような物陰で自分の想いを綴った日記を付けている。そのように密かに日記をつけること自体、オセアニア国においては極刑に値する思想犯罪なのですが、その日記の中でウィンストンが「自由」というものについて次のように記述したことが当局にばれてしまう。
  • Freedom is the freedom to say that two plus two make four. If that is granted, all else follows.
    自由とは2プラス2が4であると言える自由のことを言うのだ。それさえ認められれば、あとは何もしなくてもついてくるものなのだ。

真理省という国民の思想統制のために最も大切なお役所の人間が「自由」を希求するとは何事だというわけで、ウィンストン・スミスは逮捕され、尋問の達人といわれるオブライエン(O’Brien)という人物がやってきて尋問を始める。ウィンストンの両腕は鎖で縛られ、針のようなものがついた鉄の輪が手首の部分を覆っており、そこから針のようなものが出てウィンストンの腕を突き刺す仕掛けになっている。

尋問官:(指を4本立てながら)指は何本あるかね、ウィンストン?
How many fingers am I holding up, Winston?
ウィンストン:4本です。
Four.
もし、党が4本ではなくて5本だと言ったら・・・何本かね?
And if the party says that it is not four but five - then how many?
4本です。
Four.
ここでウィンストンの腕に突き立てられた針がぐっと押し込まれ、体中に痛みが走る。このような問答が繰り返され、ウィンストンが「4本」と答えるごとに痛みが激しくなってくる。ウィンストンは耐えられなくなって
5本です!5本、5本です!
Five! Five! Five!
とついに折れてしまう。すると尋問官のオブライエンが言う。
ダメだな、ウィンストン。それではダメなんだ。キミはウソをついているのだ。キミは相変わらず4本だと思っている。で、指は何本?
No, Winston, that is no use. You are lying. You still think there are four. How many fingers, please?
4本、5本、4本、アンタの好きな数字でいい。ただそれを止めてくれ、痛みを止めてくれ!
Four! Five! Four! Anything you like. Only stop it, stop the pain!
それから同じような問答が続いたあとで、尋問官はウィストンを諭すように言う。
我々は、心にもない従属では満足しないのだよ。たとえそれがとてつもなく卑屈なものであったとしても、だ。キミが我々に降伏するのは、キミの自由意思でなければならんのだよ。
We are not content with negative obedience, nor even with the most abject submission. When finally you surrender to us, it must be of your own free will..
尋問官による拷問風尋問は延々と続きウィンストンによる返答にはっきりと変化が出てくる。
分かりません。分からないのですよ。そんなこともう一度やったらボクは死んでしまう。4本、5本、6本・・・本当に正直言ってボクには分からないのですよ。
I don’t know. I don’t know. You will kill me if you do that again. Four, five, six - in all honesty I don’t know.
よ~し、良くなってきた。
Better.
と言いながら尋問官がウィンストンの腕に注射を打つと、ウィンストンの体中に温かいものが流れ、ウィンストンは尋問官に対して感謝の気持ちさえ感じるようになる。さらに尋問が続いたあとで、尋問官が左手を上げる。親指が隠され4本だけが見える。
指が5本ある。5本見えるかね?
There are five fingers there. Do you see five fingers?
はい、見えます。
Yes.
実際、ウィンストンは5本の指を見たのだ。ほんの一瞬、心の風景が変化する前のほんの一瞬、彼は5本の指を見たのだ。それは奇形というようなものではなかったのだ。
And he did see them, for a fleeting instant, before the scenery of his mind changed. He saw five fingers, and there was no deformity.

最初に紹介したジョン・グレイによると、この小説に出てくるオセアニア国というのは、1930年代のソ連のことです。当時は世界的に経済恐慌の波にさらされており、ソ連の経済も大いに影響を受けていた。オーウェル自身が当時のソ連を訪問したことはない(とむささびは思う)のですが、"Nineteen Eighty-Four"はオーウェル自身の共産主義に対する疑問の気持ちから書かれた一種のSFです。

上に紹介したウィンストンを拷問する中で尋問官が語りかける言葉の中にオーウェルの共産主義社会に対する「懐疑」が見えてきます。例えば:
  • 我々にとって、世界中のどこであっても、誤った考え方が存在するということが許せないのだ。それが隠れた思想、無力な思想であったとしてもだ。
    It is intolerable to us that an erroneous thought should exist anywhere in the world, however secret and powerless it may be.
  • 党は(人間の)はっきり分かるような行為には関心がない。我々が問題にするのは思想なのだよ。我々は単に敵を破壊するだけではないのだ。敵を変えるのだ。分かるか?
    The Party is not interested in the overt act: the thought is all we care about. We do not merely destroy our enemies, we change them. Do you understand what I mean by that?’
  • 「現実」というものは人間の心の内側に存在する(外側ではない)が、それは「個人の心」ということではない。何故なら個人の心は過ちを犯す可能性があるし、どのみち直ぐに死んでしまうものだからだ。「現実」は党の心の中にのみ存在するのだ。党の心こそは集団的かつ不死身であるからだ。党が真実とするものは、いかなるものであれ真実なのだ。
    Reality exists in the human mind, and nowhere else. Not in the individual mind, which can make mistakes, and in any case soon perishes: only in the mind of the Party, which is collective and immortal. Whatever the Party holds to be the truth, is truth.
これは"Nineteen Eighty-Four"という空想小説のほんの一部に過ぎないのですが、小説全体を貫いているのは、全体主義社会が個人を追い詰めて潰していく恐怖です。

ただジョン・グレイに言わせると、この小説にも欠陥(flaw)がある。それはオーウェルが描く冷酷無比でしかもパワフルな尋問官・オブライエンのような存在はオーウェルの幻想に過ぎないということです。実際のソ連においては、オブライエンのような人間でさえも全体主義社会の監視に怯えながら汗水たらしている存在に過ぎなかった。さらに言うと、その全体主義社会でさえも永遠のものではなかった。
  • ソビエトという地獄社会も結局は歴史のがれきに埋もれる一つのゴミに成り果ててしまったということである。
    The Soviet dystopia ended by becoming just another piece of rubbish in the debris of history.
とジョン・グレイは言っています。

▼67年も前に書かれた小説なのに、いま読んでも決して古臭さを感じさせない作品です。それは権力者によって潰されていく独りの人間の哀しさのようなものが極めて分かりやすく書かれているからだと思う。むささびが好きなオーウェルのもう一つの作品に "Animal Farm"(動物農園)があります。世の中の不正に対抗して団結して立ち上がって独裁者を打倒し、自由で公正な社会を作ったつもりであったのに、自分たちの仲間の中から独裁者のような存在が現れ、「こんなはずじゃなかった」と途方に暮れる動物たちの話です。

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6)どうでも英和辞書
 A-Zの総合索引はこちら 


new year's resolution:新年の誓い


米ペンシルベニア州にあるスクラントン大学の臨床心理研究によると、いちばん一般的な新年の誓いのトップ10は次のとおりです。
  • 1)体重を減らす(Lose Weight)
    2)整理整頓(Getting Organized)
    3)無駄遣いを減らし貯金を増やそう(Spend Less, Save More)
    4)人生、目一杯楽しもう(Enjoy Life to the Fullest)
    5)健康増進(Staying Fit and Healthy)
    6)楽しいことを学ぶ(Learn Something Exciting)
    7)禁煙(Quit Smoking)
    8)他人の夢達成の手伝いをしよう(Help Others in Their Dreams)
    9)恋をしよう(Fall in Love)
    10)家族といる時間を増やそう(Spend More Time with Family)
この研究所によると、新年の誓いを達成する人の割合は8%と極めて低いのでありますが、新年の誓いを立ててそれを周囲に言いふらす人の方が、黙って立てる人よりも成功率は10倍も高いのだそうです。ま、それはあるでしょうね。言いふらすことで自分に縛りをかけているようなものなのだから。それにしてもここに挙げられた10項目のうち「積極的」(proactive)なのは4)と6)と9)だけ。あとは殆ど自分を戒めるような感じのものなのですね。何だか哀しいけれど、「誓い」というのがそもそも自分を向上させようというものだから、どうしても現在の自分に否定的になってしまうのでしょうね。むささびは新年であれ何であれ「誓い」なるものをやったことがありません。

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7)むささびの鳴き声
▼最初の記事(パリのテロ事件)に関連するけれど、筆者のコクバーンと同じThe Independentで、中東関係の記者をしているロバート・フィスクが、大著"The Great War for Civilization"の中で、2001年の9・11テロ直後のアメリカのメディアについて語った部分があったのを記憶しています。彼によるとアメリカの新聞やテレビは、あのテロに関連して「誰が、何を、いつ、どこで、どのようにして起こしたか」(who, when, what, where, how)については洪水のように報道した。が、「なぜ」(why)については殆ど報道することがなかったというのです。テロリストたちが「なぜ」あのようなことをやってしまったのかを問題にすることはテロリストに味方するのと同じという風潮があったのだそうです。

▼パリのテロ事件についてフィスク記者は、容疑者の二人がアルジェリア人であることに「なぜ」を求めているようです。フランスの植民地であったアルジェリアの独立戦争が行われたのが1954年から約8年だから、60年も前の話であり、今回の容疑者が生まれるはるか前のことです。が、フィスクによると、
▼テロ事件の「なぜ」を問いかけ、語り合ったとしても何がどうなるものではない、とにかくテロリストをやっつけることが肝心・・・という言い分は尤もらしいだけで、実は何の役にも立たない。イスラム過激派などを話題にすると日本人にはピンと来ないかもしれないから、オウム真理教のテロを考えてみては?彼らを逮捕し、力によって組織を根絶やしにしようとしても、それだけでは本当に根絶やしにはできない・・・それが現実ですよね。あれほど大騒ぎしたのにまだ存在しているのですから。となると、彼らの狂気(としか思えない)の行動の「なぜ」を問いかけるしかない。少なくともブッシュ・ブレアの「正義の味方」コンビによる人間破壊行為よりはまし。2013年に英国下院がシリア爆撃に反対する決議を行ったときに、ブレアさんは「断固、やるべきだった」と批判する発言をしている。もしあのとき、シリア爆撃を実行していたら・・・?サダム・フセインがいなくなったイラクがイスラム国の活動の場となっているのはブレアさんの「正義感」のおかげですからね。

▼5番目に紹介したジョージ・オーウェルの小説ですが、このようなことは必ずしも「全体主義国家」だけのことではなく、現代の日本にも当てはまると(むささびは)思っています。だから紹介する気になった。日本にはこの小説に出てくるような尋問官はいないし、拷問があるわけではない。が、多数が少数を潰すという現象があって、潰される方の気分は、ウィンストンと同じような部分がある。「2+2=5」が多数意見として「正常」(sane)とされる世の中ということですね。2+2=4などと言っていると「異常」(insane)扱いされてしまう。「国賊扱い」なんてケースもある。そのような状態になったとき、人間は「ま、いいか」というので「2+2=5」と答えることで、仲間はずれの悲哀から逃れることができる。正しさよりも仲間外れにならないことの方を選ぶということがある。「2020年の東京五輪は返上したほうがいい」という(むささびのような)意見は「2+2=4」なのか「2+2=5」の方なのか?「尖閣や竹島が日本固有の領土なんてほんまかいな?」と言うのはsaneですかinsaneですか?

▼(話題変わって)いろいろなメディアで伝えられているけれど、福島の原発事故に関する政府の事故調査・検証委員会が関係者から当時の状況を聞いた「聴取結果書(調書)」というのがあって、9月、11月につづいて12月25日に127人分の調書が公開され、全部で202人の調書が公開されたことになります。首相官邸のホームページに、「政府事故調査委員会ヒアリング記録」というのが掲載されています。


▼むささびはそのうち菅直人・前首相の調書を一部だけですが読んでみました。憶えていますか?あのときに電源喪失状態で原子炉を冷却することができないので、放射能を外へ出す、「ベント」という作業が必要だということになりましたよね。菅さんの証言によると、ベントが必要だと言ってきたのは東電だった。なのにそれがなかなか進まない(ベントが行われない)ので、なぜ進まないのか?と東電に聞いても「分からない」というだけだった。その部分だけ菅さんの証言をそのまま再現してみます。
  • (東電がベントを)やりたいと言っていて、(こちらが)やってくださいと言ったら、やれない、やらない、理由は分からない。そういう状況なんです。(注:カッコはむささびが入れたもの)
▼この証言を読んでいると、それまで原子力の世界を支配していた、お役所と企業に集まった日本の「知」というものが信じられないほどに脆弱なものであったことが分かります。要するにみんながオタオタして、アタマの中が真っ白になっていて、まともな説明ができない。ひたすらボールを他人に投げて自分は関わらないようにすることに熱心なだけだったという感じです。あまりにもひどい。その結果、首相である菅さんがメディアによる攻撃の格好の標的になり、「菅降ろし」が始まって、日本にジョージ・オーウェルの世界が実現した、と。調書をお読みになることをお勧めします。

▼私、毎朝、起きるとすぐにお風呂にはいるのでありますが、12月1日以来続けていることがあります。風呂上がりに冷水シャワーを浴びること。はっきり言って勇気が要るけれど、やってみると気持ちがいいものですね。冷たい水を浴びてから出ると体が温かいのです。あんたもやってみなはれ。心臓麻痺にかかる?ま、それはしゃあないわな。人間、運てえものがあるんだから。2015年もよろしくお願いします!
 
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むささびへの伝言
バックナンバーから
2003
ラーメン+ライスの主張
「選挙に勝てる党」のジレンマ
オークの細道
ええことしたいんですわ

人生は宝くじみたいなもの

2004
イラクの人質事件と「自己責任」

英語教育、アサクサゴー世代の言い分
国際社会の定義が気になる
フィリップ・メイリンズのこと
クリントンを殴ったのは誰か?

新聞の存在価値
幸せの値段
新聞のタブロイド化

2005
やらなかったことの責任

中国の反日デモとThe Economistの社説
英国人の外国感覚
拍手を贈りたい宮崎学さんのエッセイ

2006
The Economistのホリエモン騒動観
捕鯨は放っておいてもなくなる?
『昭和天皇が不快感』報道の英国特派員の見方

2007
中学生が納得する授業
長崎原爆と久間発言
井戸端会議の全国中継
小田実さんと英国

2008
よせばいいのに・・・「成人の日」の社説
犯罪者の肩書き

British EnglishとAmerican English

新聞特例法の異常さ
「悪質」の順序
小田実さんと受験英語
2009
「日本型経営」のまやかし
「異端」の意味

2010
英国人も政治にしらけている?
英国人と家
BBCが伝える日本サッカー
地方大学出で高級官僚は無理?

東京裁判の「向こう側」にあったもの


2011
悲観主義時代の「怖がらせ合戦」
「日本の良さ」を押し付けないで
原発事故は「第二の敗戦」

精神鑑定は日本人で・・・

Small is Beautifulを再読する
内閣不信任案:菅さんがやるべきだったこと
東日本大震災:Times特派員のレポート

世界ランクは5位、自己評価は最下位の日本
Kazuo Ishiguroの「長崎」


2012

民間事故調の報告書:安全神話のルーツ

パール・バックが伝えた「津波と日本人」
被災者よりも「菅おろし」を大事にした?メディア
ブラック・スワン:謙虚さの勧め

2013

天皇に手紙? 結構じゃありませんか

いまさら「勝利至上主義」批判なんて・・・
  
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