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037 長崎原爆と久間発言:「しょうがない」と「やむを得ない」は違うの?

最近、久間防衛大臣が、長崎に原爆が落とされたのは「しょうがない」と発言したというので、非難轟々、結局「参議院選挙に差し障りがある」という理由で辞めてしまった。今回の久間発言にまつわるすったもんだについて、7月5日付けのThe Economistは次のようにコメントしています。

久間氏は、日本の政治の聖域に踏み込んでしまったということだ。それは右翼も左翼も団結させてしまう殆ど唯一と言っていい聖域である。即ち、歴史の見直し論者であれ、反戦平和論者であれ、原爆の悲惨さによって、日本は永久に被害者として位置づけられるということである。Mr Kyuma trod on hallowed ground that, uniquely, unites the politics of Japan's right and left: for historical revisionists and anti-war pacifists alike, the horror of the atom bombs marks Japan for ever as victim.

久間さんが「しょうがない」発言をしてしまったとされる、ある大学での講演のテキストの全文を読んだ人おりますか?読み落としたのかもしれませんが、少なくとも私が購読している新聞には「要旨」しか掲載されていませんでした。私が勝手に要旨の要旨をピックアップすると・・・。

「幸いに(戦争が)8月15日に終わったから、北海道は占領されずに済んだが、間違えば北海道までソ連に取られてしまう。その当時の日本は取られても何もする方法もないわけですから、私はその点は、原爆が落とされて長崎は本当に無数の人が悲惨な目にあったが、あれで戦争が終わったんだ、という頭の整理で今、しょうがないな、という風に思っている」

この中の「しょうがないな」に非難が集中しているわけですが、私はむしろ「頭の整理」という言葉に関心がありましたね。「長崎への原爆投下は、本当に悲しくてひどいことだった。自分としては、これで戦争が終わったのだということで、自分に言い聞かせているんだ」という風に解釈しているわけであります。「長崎の人が死んだのもしゃあない」と思っての発言とはとても思えない。

「米国を恨むつもりはないが、勝ち戦ということが分かっていながら、原爆まで使う必要があったのか、という思いは今でもしている。国際情勢とか戦後の占領状態などからいくと、そういうことも選択肢としてはありうるのかな。そういうことも我々は十分、頭に入れながら考えなくてはいけないと思った」

イマイチ分からない部分ですが「アメリカが長崎に原爆を落としたのは、ソ連を牽制するという目的があったのであり、国際政治というのは自分の利益になると思えば、少々の人間的犠牲など問題にされないくらいに冷たいものなんだということを頭においておく必要があるんだ」ということかもな、と私は解釈しましたが・・・。

ところで、この問題に関連して、昭和天皇が広島の原爆について、久間さんと似たような発言をしていたことが報道されています。この発言は、1975年10月31日に日本記者クラブ主催の記者会見の中で行われたもので、会見の全文は日本記者クラブのウェブサイトに掲載されています。問題の個所だけピックアップすると次のようになっています。

秋信利彦(中国放送):天皇陛下におうかがいいたします。陛下は昭和22年12月7日原子爆弾で焼け野原になった広島市に行幸され、「広島市の受けた災禍に対しては同情にたえない。われわれはこの犠牲をムダにすることなく、平和日本を建設して世界平和に貢献しなければならない」と述べられ、以後昭和26年、46年とつごう三度広島にお越しになり、広島市民に親しくお見舞の言葉をかけておられるわけですが、戦争終結に当って、原子爆弾投下の事実を、陛下はどうお受け止めになりましたのでしょうか、おうかがいいたしたいと思います。

天皇陛下:原子爆弾が投下されたことに対しては遺憾には思ってますが、こういう戦争中であることですから、どうも、広島市民に対しては気の毒であるが、やむを得ないことと私は思ってます。(1975年11月1日付け毎日新聞朝刊から)

久間さんは「しょうがない」、天皇陛下は「やむを得ない」と言っている。同じことなんじゃありませんか?で、天皇の「やむを得ない」発言については、メディアはどのように反応したのでしょうか?

いずれにしても、久間発言に関連する騒ぎについては「メディアのリンチ」というのが私の正直な感想であります。尤もこのようなことを、選挙の前に、しかも新聞記者のいるところで発言してしまったというドジは責められてもしゃあないんでしょう。しかし私個人にとって、この人の政治的ドジには関心がない。ただ「正しいか、正しくないか」についてはディスカッションのテーマとして大いに関心がある。つまり一人の人間として、原爆投下をどのように考えるべきなのかというディスカッションには興味があるってことです。

それなのに、久間さんの言い分も十分に分からないままに辞職(というよりクビに)してしまった。この国には言論の自由がない。新聞という新聞、放送という放送が、長崎や広島の人たちの「けしからん」コメントで埋め尽くされていた。あの状況は本当に気持ち悪い。伝え聞く中国や韓国、北朝鮮と大して変わらない。ところで北朝鮮は久間発言について「腑抜け者のたわごと」と論評しているんだそうですね。 何故、アメリカの倫理にもとる行為に抗議しないのか、ってことのようです。私が単なる惰性で購読している新聞の論調と似ていなくもない。
長々と書きついでにもう一つ文句を言っておくと、我が家が購読している新聞の編集委員という人が、久間発言について「政治家が生半可な理解で歴史を語ることの危うさを示している」と書いておりました。ずいぶん偉そうなことを言うものだ、と思いましたね。いい加減にこの新聞の購読を止めよう、とマジメに考えております。少なくとも不愉快な思いをしなくてすむ。 (2007.7.8)