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むささびの鳴き声
040 小田実さんと英国

先日亡くなった作家の小田実さんが、いまから36年前の1971年に『婦人公論』という雑誌に、英国について次のように書いています。ちょっと長いのですが引用すると・・・。

イギリスでは(また「西洋では」のたぐいの話か、と思わないでいただきたい)、外国人の旅行者であろうと、バタリと病気で倒れると、そのままタダで入院できる。そして、病院の食事はなかなかのご馳走だ。昔、ヨーロッパを文なしの旅行をしていたとき、ユースホステルなどで、よくその話が出た。病気になったら、何がなんでもイギリスへ、というのである。  

イギリスはしょうがない斜陽の国であると言われる。あるいは、日和見主義、修正主義もいいとこの労働党をもつ国だとも言える。しかし、問題は、国全体がどうのこうのと言うより、ひとりの人間にとって、その国が住みよい国であるかどうか、ということではないか。

小田さんはさらに続けて「アメリカは金持ち国であるかどうかは知らないが、決して住みよい国ではない」とも言っています。

で、小田さんがこのエッセイを書いた頃の英国について、当の英国人たちは何を考えていたのだろう?その頃に読んだJames Kirkapという人のBritishness of the Britishという本の中で著者がWe won the war but lost the peaceと言っていたのを、私は憶えています。戦争には勝ったけれど、平和で負けた、つまり、その頃目覚しく復興していた日本やドイツと英国を比べての「ため息」というわけです。

この頃の英国はハロルド・ウィルソン首相率いる労働党政権(1964〜1970年)だったのですが、米イリノイ大学のEarl Reitan教授のThe Thatcher Revolutionという本によると、ウィルソン政権は「労働党」と言ってもいわゆる社会主義政党ではなかったようです。

ウィルソン政権はある意味でいまの新労働党(New Labour)の先駆けであったといえる。すなわち、ウィルソン政権は社会主義というものを、資本主義経済体制の中における幅広い公共サービスのことだと定義づけていたのである。(The Wilson ministry was a forerunner of New Labour in that it tended to define socialism as a broad range of public services within a capitalist economy)

小田実さんが英国の労働党について「日和見主義、修正主義」と呼んだのも当然です。当時の日本における進歩的な人たち(小田さんがその一人であるという意味ではありませんが)にとって「社会主義」といえば、しいたげられた労働者階級が団結して立ち上がり、自分たちを搾取する資本主義政府を打倒した後に作り上げる「崇高」な目標であったのですから、英国労働党など社会主義の風上にもおけない、思想性に欠ける集団と映ったのでしょうね。

Reitan教授はまた、その頃の英国の産業界は、経営者がやる気なし、労働者はストばかり、製品のデザインはお粗末というわけで

かつて世界の工場といわれた国なのに、いまや他の国から「英国病」を患う国として、哀れみの眼を以って見られるようになっていた(Other countries pitied the former workshop of the world, now debilitated by the "British disease")

という状態であった。つまり日本における英国は、左の労働者からは「日和見主義、修正主義」とバカにされ、右の経営者からは「英国はもうあかんな」と言われてしまっていた。考えみると、日本は1964年に東京オリンピックを、1970年に大阪万博をやって、まさに「日の出の勢い」であったのですよね。いまの中国と同じ。

そして1970年の総選挙でウィルソン労働党がエドワード・ヒースの保守党に敗れ、保守党政権が誕生したのですが、そのときにヒース内閣の文部科学大臣に就任したのが、45才のマーガレット・サッチャーだった。彼女はそれから9年後に首相となるわけです。

▼私自身の話になりますが、小田さんがこの文章を書いた3年後の1974年に、東京にある英国大使館というところで勤務を始めました。それ以前、私にとって英国という国は全く意識の外にありました。欧米には憧れていた(だから小田さんの『なんでも見てやろう』は感激して読んだ)のですが、その対象はもっぱらジャズカントリーのアメリカであり、サルトルのフランスであり、マルクス、エンゲルスのドイツだった。英国については好きも嫌いもなく、関心そのものがなかった。

▼で、最初にあげた小田実さんの文章ですが、最後の部分(しかし、問題は、国全体がどうのこうのと言うより、ひとりの人間にとって、その国が住みよい国であるかどうか、ということではないか)が、小田さんの小田さんたるところだろうと、私などは考えるわけです。「全体」よりも「個人」、「抽象」よりも「具体」という感覚です。人間いつかは死ぬのだから、仕方ないけれど、本当に残念ですね、この人がこの世からいなくなってしまったのは。(2007.8.8)