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むささびの鳴き声
016 フィリップ・メイリンズのこと

この夏(2004年)、久しぶりに英国へ行ってきた。遊びに行ったのであるが、目的らしきものが一つだけあるにはあった。フィリップ・メイリンズという人に会うことである。フィリップは今年で85才になる。ロンドンから北西へ電車で1時間ほど行ったところにあるソリハルという町に独りで暮している。生まれてこのかた結婚というものをしたことがないので、奥さんも子供もいない。彼とはあるきっかけで知り合ったのであるが、手紙のやり取りを数回しただけで、実際に会ったことはなかった。

殆どトラブルらしきものがない現在の日英関係において一つだけ小さな魚のトゲのようにささっているのが、第二次世界大戦における英連邦諸国の戦争捕虜に対する日本軍の仕打ちの問題である。日本軍によって捕虜となった人がかなり酷い仕打ちを受け、中にはそれがもとで死んでしまった人も多いというのである。虐待を受けた本人たちの多くがすでにこの世にいないけれど、この問題は遺族の間でもいまだに尾を引いており、例えば天皇陛下の訪英のような時になると「抗議デモ」というようなかたちで顔を出す。

フィリップ・メイリンズは捕虜にこそならなかったけれど、陸軍の部隊長としてビルマの戦場で日本軍と銃撃戦を経験、20数名の日本軍兵士を殺す命令を部下に下したこともある。その戦いで自分もまた3−4メートルという至近距離から日本兵に銃撃されたのだが、身に付けていた金具に銃弾が当って命拾いをしたという経験を有している。真っ暗闇の中の壮絶な撃ち合いだったそうである。

フィリップは独り暮らしではあるが結構忙しい。自分が作ったNPOである国際和解協会の会長をしているのだ。この協会はかつて戦場で戦った敵同士の和解を進めることを目的としている。 英国の元捕虜やその遺族が日本政府を相手どって補償を求める訴訟を起こしたことがあるけれど、この問題については1951年のサンフランシスコ講和条約で「捕虜個々人が補償を求める権利はない」ということで決着していることになっている。

フィリップはこれらの遺族を代表してブレア首相と会見したことがある。そこで彼が持ち出したのは、元捕虜たちへの補償を英国政府に払わせるというアイデアであった。本来なら日本政府が払うべきであるのだが、「それをさせないのは英国政府の責任だ」というのが彼の理屈であった。彼の努力もあって2000年11月に英国政府が捕虜ならびに遺族たちに特別支給金を払うということを発表するにいたった。

フィリップは私よりも20ほど年上である。彼を私に紹介してくれた、日本のある大学の教授は日英和解の活動に取り組んでいるが、この人は私よりも20ほど年下である。第二次世界大戦については、フィリップが兵士としてこれを戦った経験を持ち、大学教授は戦争が終わって15年もしてから生まれたのだから第二次世界大戦は歴史の中の出来事かもしれない。ちょっと古い表現ではあるけれど、フィリップは戦前・戦中派、私は戦後派、教授は戦無派である。で、日英和解についていうと、戦中・戦無派がこれを進める活動に取り組み、戦後派人間である私が真ん中でウロウロしているという構図になる。

「アンタに是非見せたいものがある」と言ってフィリップが連れて行ってくれたのがスタッフォードシャーというところにある国立森林公園。75ヘクタールの土地に約40万本の樹木の苗木が植えられている。森林公園といっても戦没者追悼というテーマを持っており、その中には戦争中にビルマで日本軍に捉えられた英連邦の捕虜たちが過酷な労働を強いられたタイ・ビルマ間に敷かれた泰緬鉄道の枕木や線路を並べた部分もあった。

フィリップが私に見せたいと言ったのは、「泰緬鉄道」から少し離れた所にある「日本セクション」なのだ。フィリップの責任で作られたもので駐英日本大使も含めて、日本人によって植えられた桜や銀杏が沢山植えられている。それに混じって背丈1メートルほどのか細いイングリッシュオークの木があった。このオークは2002年に日英和解をテーマに山梨県甲府市にある大学のキャンパスに植えられたオークの「姉妹樹」としてフィリップが植えたもので、甲府の植樹式にはフィリップも立ち会っている。

植樹式と同時行われたセミナーで、フィリップは甲府の大学生を相手に「何十年も前の日本軍の行為ついて彼らが責任を感じる必要はないが、過去においてそのようなことがあったという事実は認識し、これを伝えるべきだ」という趣旨の講演を行った。

2004年8月15日の終戦記念日、私はコベントリーという町にある大聖堂で行われた「日英和解礼拝」なるものに出席した。フィリップに呼ばれたのである。この大聖堂は先の戦争中、ドイツ軍によって爆撃を受けたところで、今でも破壊された大聖堂の一部が壁だけになって残されている。広島の原爆ドームのようだ。コベントリーは広島市と姉妹都市関係にある。

「和解礼拝」の一部として、フィリップの音頭で日英の参列者(それぞれ20人くらい)が向き合って握手をするという「儀式」があった。それぞれにこやかに握手をする中で、一人だけこの儀式への参加を拒んだ英国の老人がいた。元捕虜だった人だそうで、「日本人と握手したということが仲間に知られるとまずいのさ」とフィリップが解説してくれた。

だとしたらあの人は何故、和解礼拝に参加したのだろう?握手しようとして会場に来たけれど、何故かその気になれなかったということなのか、それとも握手を拒否する姿勢を参加者に見せたかったのか?そのあたりは聞きそびれてしまった。

ところでフィリップによると甲府で泊まったユースホステルは「非常に良かった」そうである。ユースホステルがドイツで生まれたのが1909年。フィリップはその10年後の1919年に生まれた。彼は英国ユースホステル(会員数32万)の384番目の会員なので、これが自慢の種のようであった。ユースホステルとは懐かしいことを言う。

フィリップのオークが立っているスタッフォードシャーの森林公園にあるのはどれも背の低い苗木ばかりなので、今のところは公園全部を見渡すことができる。とてつもない広さであるが、その広さを実感できるのも今のうちである。あと30年もすると植わっている40万本がそれぞれ立派な樹木になり、本当の森になるので広さは分からなくなる。でもフィリップも私も、その森を見ることはない。

英連邦の捕虜の問題に限らず、南京大虐殺とか韓国慰安婦の問題などを語ることを「自虐的」という人がいる。しかしそのような「過去」を指摘されながら、これに目をつぶり、耳を塞ぎながら生きていくというのも、相当に居心地が悪い。そちらの方がよほど「自虐的」ではある。