musasabi journal

236号 2012/3/11
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美耶子の言い分 むささびの鳴き声 どうでも英和辞書
大震災からちょうど一年ですが、昨年の2月末にお送りしたむささびジャーナルのイントロには「梅が満開」と書いてありました。今年はようやくほんの少しだけ寒そうに咲いております。上の写真、私と同年代(昭和16年生まれ)の方ならたぶんご存じですよね。土門拳という写真家の作品で「筑豊のこどもたち」という写真集に収録されているものです。題名は『弁当を持ってこない子』。詳しくは「むささびの鳴き声」に書いてあります
目次
1)世界銀行:「極貧が減っている」
2)「日はまた昇る」?Sun on Sundayの船出
3)お役所仕事と縄張り意識が悲劇を生む
4)民間事故調の報告書:安全神話のルーツ
5)カーネギー財団:「福島」は避けられた
6)新連載:美耶子のK9研究「Canis lupus familiarisを知るために」
7)どうでも英和辞書
8)むささびの鳴き声


1)世界銀行「極貧が減っている」

世界銀行の調査によると、2005年~2008年の4年間で世界のあらゆる地域における貧困が減少傾向にあったのだそうですね。ここでいう「貧困」とは一日1.25ドルで生活することを言うのですが、世界中のどの地域でも貧困が減るというのは歴史始まって以来のことなのだそうです。ドルのレートは2005年時点のもので計算されているのだから、1.25ドルは多分120~150円というところですね。

世銀によるとこの傾向の大きな要因の一つとして中国における貧困の減少があって、1980年代に比べると6億6000万の人々が貧困状態から抜け出している。ただ一番の要因はアフリカにおける貧困の減少なのだそうです。世銀によると1981年~2005年の25年間においてアフリカでは3年おきに貧困層が増えるという状況にあった。それが2008年には3年前に比べて貧困者数が1200万人減少して全人口の47%となったのですが、貧困者数が全体の5割以下になったのはアフリカ史上初めて。

さらにいうと2010年の貧困者数(推定)は20年前の1990年に比べると半分にまで減っている。つまり2008年から2010年までの3年間減り続けていることになる。このころは世界的な経済危機が始まっていた時代であると同時に食料価格が上昇していた時期でもある。にもかかわらず貧困の状況は数字的には改善されていたということになります。

国連のミレニアム開発計画(Millennium Development Goal)は、一日1.25ドルという貧困を1990年比で半分にすることを2015年までに達成することを目標としていた。ということは国連計画よりも早くその目標を達成しそうであるということになる。素晴らしいことには違いないけれど、それが達成できたとしても2015年の世界には一日1.25ドルで暮らす人が10億人もいるという深刻な状況に変わりはない、と世銀は言っています。

▼中国では、開放経済が始まった1980年代初期からの20年間で6億6000万の人々が一日1.25ドルの貧困状態から抜け出したという数字になる。中国の人口は13億と言われているのだから、20年間でほぼ半分の国民がどうにもならない貧困から脱出したことになる。最近、大都会の片隅で3人家族が餓死するなど、日本でも貧困が話題になるけれど、中国のこの数字はすごいと思いませんか?
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2)「日はまた昇る」?Sun on Sundayの船出

メディア王のルパート・マードック傘下の日曜大衆紙、News of the World(NoW)が電話盗聴事件に絡んで廃刊に追い込まれたのは昨年(2011年)7月のこと。あれから半年、NoWの後継紙としてSun on Sundayが創刊されたことは日本のメディアでは伝えられましたっけ?

廃刊前のNoWは、約370万の読者を持っており、最大の日曜大衆紙だった。それがなくなって、読者はどうしたのかというと、多くがPeopleとSunday Mirrorに流れたと推定されている。ただほぼ半数が新聞の購読そのものを止めてしまったのではないかとThe Economistは言っています。しかしPeopleとSunday MirrorはマードックのNews InternationalにとってはライバルであるTrinity Mirrorが発行しているのだからマードックとしても何とかこれを取り返したいところであるわけです。NoW健全なりしころは広告収入も4000万ポンド(40数億円)稼いでいたのだからこれも取り返したい。

というわけでSun on Sundayの一部あたりの値段も当面はライバル紙より安い50p(約60円)に設定されている。これまで英国の日曜紙は発行元は同じでも月曜~土曜版とは別の新聞というやり方をしてきたのですが、Sun on Sundayは週日版のSunの一部として発行されるので、The Economistによると、「英国初の真の週七日新聞(The first true seven-day national newspaper in Britain)」ということになる。マードックはそれが広告主へのセールスポイントにもなり得るとしているわけです。

尤もNoWによる電話盗聴が発覚して以来、大衆紙記者による問題行動がいろいろと警察沙汰になっており、それがSunの編集部にも飛火してきている。それに関連して会社が警察にSunの記者のメールの中身を提供したことで「取材源に関する情報が警察に漏れたのでは」というので、記者たちがかんかんに怒っている、とThe Economistは伝えています。マードックとしては、警察に協力することでクリーンな形で新しい日曜紙を売り出したいという意向であったのですが、それが社内の内輪もめにまで発展しかねない状況なのだそうであります。

ルパート・マードックがNews of the Worldを買収して英国の新聞界に乗り出したのは1960年代ですが、存在感を見せつけたのは1980年代、サッチャー政権のころに名門The Timesを買収した際に新聞づくりのための新技術の導入をめぐって新聞労組と対決したときです。今回の週七日新聞がどの程度の成功を収めるのか、昔はなかったネットメディアや無料新聞との競争があるだけに(NHK流に言うと)「予断を許さない」というところであります。

▼新しいSun on Sundayの値段が一部50pでライバル紙よりも安いとのことですが、ライバルの日曜紙の値段はSunday Mirrorが85p、Peopleは80p、Daily Star Sundayが75pという具合で、50pというのは確かに安い。廃刊前のNews of the Worldだって85pだったのですからね。大衆紙と高級紙の中間を行くとされるMail on Sundayは1.40ポンド、Sunday Expressは1.20ポンドとなっています。高級紙になるとぐっと高くなってSunday Timesが2ポンド、Observerは1.70ポンドです。

▼知らなかったのですが、英国では新聞の値段は固定価格(fixed price)ではなく、recommended retail price(推奨小売価格)なのですね。日本でいうと家電製品などにおける「メーカー希望価格」です。つまりメーカーではなく小売店が価格を決めるシステムであるということです。英国の場合、新聞は駅で買うか、news agentと呼ばれる町中の新聞販売店で買うのが普通で、日本のように自宅に届けられるというのは極めて例外的です。ただ、新聞販売店の業界団体が行った世論調査によると、新聞を買う人の76%が、価格が「希望価格」であることは知らないのだそうで、新聞もほかの商品と同じように安売りプロモーションをやればいいと思っている読者が25%だったのだとか。

▼日本の場合、新聞による価格の違いはあるけれど、それぞれの価格を小売店が決めるというわけでもないですよね。新聞社の言う値段がそのまま新聞の購読料金です。こういうのを「再販制度」というのだそうで、日本では書籍、新聞、雑誌、音楽CDが再販制度の対象商品となっています。
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3)お役所仕事と縄張り意識が悲劇を生む

上の写真は2月26日付のMail on Sunday紙(Daily Mailの日曜版)に掲載されたものです。場所はハンプシャーのWalpoleという町の公園の池、写っているのはMail on Sundayの記者です。この写真に見る限り池の水深は記者の太ももあたりですね。この池で最近ある男性が溺死するという事故が起こったのですが、Mail on Sundayはこの溺死に関連する信じられないようなハナシについて報じているものです。

溺死したのは41才になる男性で、池の白鳥にエサをやっていたところ突如てんかんの発作に襲われて池に落ちてしまった。これを目撃した女性が消防隊に通報、救急隊が駆け付けたのですが、彼らは池に飛び込んで男性を助けようとはしなかった。自分たちは「レベル・ワン」の訓練しか受けておらず、規則上くるぶしまでの深さ以上の水に入ることはできないというわけで、「レベル・ツー」の訓練(胸までの深さで活動できる)を受けている救急隊員を呼び寄せた。レベル・ツーが到着するのを待っているうちに男性は死亡した。目撃女性が消防隊に電話を入れてから37分、水の中に放り出されたままであったというわけです。

実は最初に到着したレベル・ワンの救助員はそこにいた警察官に対しても池には入らない方がいいと言って、自分が持っていた救命ジャケットを貸そうともしなかった。あろうことか警察本部までもが警官に対して池には入らないように命令していたのですが、その理由がすごい。溺れている男性が水の中にいた時間(ほぼ30分)からすると、それは救命行動(rescue)ではなく死体の引き揚げ作業(body retrieval mission)にあたるので規則上警察は関与できないということだった。

しかも死亡した男性の遺体を引き上げるために駆け付けた救急隊員は25人、医療用テント1枚、消防車数台、そしてヘリコプターまで飛んできてしまった。Mail on Sundayはこの光景を「何もやらないあとのやり過ぎ」(an over-reaction after an under-reaction)だと怒っています。

この記事と事件について、The Economistのブログが論評しており「ひょっとすると英国人の国民性にも関係があるかも?(I found myself wondering if the British character may not also play a role)」と言っている。実は救急隊員はリスクをとっても裁判沙汰にはならないという決まりがあるし、レベル・ワンとかレベル・ツーというのは、洪水のときの救急活動に関係するものであったのだそうです。The Economistが英国人の国民性云々というのは、事が人間の健康と安全(health and safety)に関係すると関連規則をガチガチに考える傾向にあって、常識が働かないということです。「規則そのものが問題なのではなく、規則の解釈に問題がある(the rules themselves are sometimes less the problem than their interpretation)というわけです。

▼英国人が使うフレーズに"It's more than my job's worth"というのがあるそうです。誰かに頼みごとをされたけれど、それをやると後々トラブルに巻き込まれるかもしれないので断るときに使われるものらしい。直訳すると「それは私の仕事の価値を超えている」となり、意味としては「私には身分不相応だ」となるけれど、実際の意味は「勘弁してくれ。あんたのいうことを聞いたらオレが首になっちまう」ということなのだそうです。特に「健康と安全」がかかっている場合はこのフレーズが使われる。余計なことをして、それが裏目に出て訴訟を起こされることへの恐怖心もある。
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)民間事故調の報告書:安全神話のルーツ

福島の原発事故について民間の事故調査委員会(民間事故調=福島原発事故独立検証委員会)が報告書を発表しました。約30名の中堅研究者・弁護士・ジャーナリストから成るワーキング・グループが関係者を取材したり、ヒアリングを行ったりして得た情報をまとめて報告するもので、ヒアリングを受けた「関係者」には管直人前首相も含まれています。なぜか東京電力は自分たちの作った報告書を提供はしたけれど直接の取材やヒアリングには応じなかったそうです。

民間事故調は、この報告書を発表するにあたって日本記者クラブで記者会見を開いています。2月28日のことです。この記者会見のことを報じるNHKニュースのサイトは「菅前首相の事故対応“不合格”」という見出しを付けたうえで、当時の菅首相の事故対応について、この委員会の北澤宏一委員長(科学技術振興機構・前理事長)のコメントを次のように伝えています。

原発から撤退したいと申し出てきた東京電力に対し、みずから本店に乗り込み、げきを飛ばして、結果的に50人の作業員が原発に残ることになったことについては、最悪のシナリオを避けられたこともあり、功績は大きかったと思うところもある。しかし、菅前総理大臣が電池の大きさひとつにまで関与するなど、官邸によって行われた現場への過剰な介入のほとんどについては、評価することができない。さらに菅前総理大臣は、情報の出し方に失敗し、国民の間に不信感が広がることになり、全体的には対応は不合格だったと言わざるをえない(NHKのニュースサイト)

この記者会見は日本記者クラブのサイト上で動画で見ることができます。ちょっと長い(出席記者とのやりとりも入れて約1時間半)のですが、いろいろな意味で非常に面白い会見だと思います。ここをクリックすると見ることができます。

で、この報告書はこの委員会の北澤委員長による「メッセージ」で始まっています。「メッセージ」というと、通り一遍の「ごあいさつ」のように響きますが、その中身は原子力発電に携わってきた人々、政府機関、企業に対するかなり厳しい批判となっています。

北澤委員長はその中で、日本の原発の安全性維持の仕組みが形骸化しており、張子の虎になっている、それを象徴するのが「安全性神話」であると言っています。「神話」だから本当でも真実でもない。作り話です。委員長によると、原発の安全性神話は元来は原発を作る場所に住む人たちを説得するためのものであったのに、「いつの間にか原子力推進側の人々自身が安全性神話に縛られる状態」になっていた。ここでいう推進側とは原子炉メーカーであり、電力会社であり、原子力委員会であり、関連の政府官庁です。そして「縛られる」というのは、言ったことと矛盾するようなことができない状態に自分を追い込むことです。例えばこの人たちの間では「安全性をより高める」という言葉は禁句となっていたのだそうです。「絶対安全」なものの「安全性を高める」というのは論理的にあり得ないという理屈です。「この世に"絶対"はない」というのが普通の社会通念であるはずなのに、いわゆる「原子力ムラ」には「絶対」があった。

このような自縛は内閣総理大臣直属の原子力安全委員会にもあったのだそうで、委員会が関係省庁や関連企業に与える原発の安全性に関する「指針」(ガイドライン)として次のような文章があったのだそうです。

長期間にわたる全交流動力電源喪失は、送電線の復旧又は非常用交流電源設備の修復が期待できるので考慮する必要はない。

原発の安全性をウォッチするのが役目の原子力安全委員会が「・・・が期待できるので」というような不確実性に基づく指針を作っていた。しかも長期間におよぶ電源喪失は心配しなくてもオーケーと言っているのですよね。私の読み方がおかしいのでしょうか?北澤氏は、安全委員会の側に「電力事業者の負担をなるべく減らそう」というご機嫌とりの意識があったのではないかと言っています。長期にわたる電源喪失を想定した体制を整えろなどと言われると、電力会社にしてみれば、費用もかかるし面倒で仕方ない。原子力安全委員会のような機関が「必要ない」というのだから、こんなに有難い話はありません。原子力推進の立場にあったある高官は、原子力安全委員会における東電の発言権がきわめて大きかったことを挙げており「いったんこのような指針が決められると『間違っていた』として訂正することはほぼ不可能でした」と証言しているのだそうです。

さらに北澤委員長によると、原子力安全関係の元高官や東電の元経営陣は異口同音に

安全対策が不十分であることの問題意識は存在した。しかし自分一人が流れに棹をさしても変わらなかったであろう。

と述べていたのだそうです。つまりみんなが安全・安全と言っているのだから、「本当に安全ですか?」などとはとても言えなかったということですね。これらの元高官・元経営者は「言えなかった」とは言っていない。「言っても事態は変わらなかっただろう」と言っている。自分に勇気がなかったとは認めたくないってことなのかもしれないですね。いずれにしても「みんながそう言っているんだから」という「空気を読む」ことをしてしまった。北澤委員長はこのような姿勢について

もしも「空気を読む」ことが日本社会では不可避であるとすれば、そのような社会は原子力のようなリスクの高い大型で複雑な技術を安全に運営する資格はありません。

と言っている。この報告書によると、現場のエンジニアや作業員は別にして、東電の経営陣も含めて原子力発電事業の推進役になっている人たちはみんな「空気を読みながら」仕事をしていたようなのです。

民間事故調の北澤委員長の「メッセージ」によると、菅さんら政府首脳は最悪の場合、首都圏の3000万もの人が避難しなければならない可能性もあるということを聞かされており、「このままでは国がもたないかもしれない」という大きな危機感を持っていた。首相自身がヘリコプターで原発へ飛んで行ったり、自衛隊による空中からの散水指令、それに「福島」のあとの中部電力の浜岡原発の運転停止要請等々、「唐突に見えた」菅さんの行動は「そのような危機感の上に初めて理解されることです」と北澤委員長は言っています。

あのころ菅さんの事故対応を批判するメディアが必ず取り上げたのが、首相官邸から福島の原発現場へヘリコプターで飛んで行ったことだった。司令官が本部を離れるとは何事か!という批判です。菅さんは震災翌日(3月12日)の朝6時14分に官邸を出発、同8時04分には現地(福島原発)を出発しているのですが、報告書は出発前の菅さんと枝野官房長官の会話を次のように伝えています。

枝野長官は「絶対に後から政治的な批判をされる」と原発訪問に反対したが、「政治的に後から批判されるかどうかと、この局面でちゃんと原発を何とかコントロールできるのとどっちが大事なんだ」と菅首相は問い返した。枝野長官はそれに対して「わかっているならどうぞ」と答えた。枝野長官は誰かが現地に行く必要があるとは考えていた。

▼日本記者クラブにおける会見を報道するNHKのニュースのサイトは、北澤委員長のコメントの中の「全体的には対応は不合格だった」という部分を取り上げて、「菅前首相の事故対応“不合格”」という見出しを使っています。しかしあのとき菅さんが相手にしていたのは、北澤委員長のいわゆる「空気を読み合う」ことで生きてきた「原子力ムラ」なる集団です。あのとき菅さんが「過剰介入」などせずに東電、保安院、安全委員会に任せていたら事態はどうなっていたのか?菅さんの「過剰介入」を批判する人たちが、この疑問にどのように答えるのかぜひ知ってみたい。

▼菅さんの対応が「不合格」というのであれば、「合格」というのはどのような対応のことを言うのか?そのような対応は、あのときに菅さんが置かれた状況で、だれか別の人が首相であったら可能であったはずだ、と北澤さんは言っているのでしょうか?私は北澤さんの「不合格」コメントは単なる結果論であり、それを見出しとして使うNHKの感覚はおかしい(アンフェアである)と思っています。悪者を探し出してやっつけることで溜飲が下がるという視聴者の嗜好に応じた報道です。

▼自民党の溝手顕正という人(参院幹事長)は、そのような「溜飲を下げたい視聴者」の一人であると見えて、菅さんの原発事故対応に関連して「後進国だったら裁判にかけ、死刑という話になりかねない大変な話」であるとコメントしたのだそうです。おそらくこの人は民間事故調の報告書を読まずに発言したのでしょう。北澤委員長が批判する原子力コミュニティにおける「空気を読む」という体質が育まれたのは自民党が政権にあった時代です。「死刑という話になりかねない」のは自分の方なのでは?

▼記者会見の中で民間事故調委員の一人が、ウィンストン・チャーチルがヒトラーとの戦いに際して立ちあげたWar Roomという戦時システムのことを「危機管理」のお手本として語っているのですが、ヒトラーの動きは何か月も前から予測、熟慮して世論形成を行う時間があった。戦争は全く突然襲ってくる地震や津波のようなものではない。戦争大好き人間のチャーチルを語りながら、返す刀で「福島」に対する官邸の「危機管理」を評論するのは茶飲み話としては面白いかもしれないけれど、あまり役に立つ話とも思えない。

▼この報告書は400ページにもわたるので、とても一回で要約などできません。これから何回かに分けて紹介します。いまのところ「非売品」だそうですが、いずれは本屋さんでも入手が可能になると思います。報告書の性格からしてもそうして欲しいですね。政府でも国会でもない、民間の組織がこのような報告書を作り、それが市民権を得るということはとても大切なことだと思います。

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5)カーネギー財団:「福島」は避けられた
 

民間事故調の報告書とは別の話ですが、アメリカのカーネギー財団(Carnegie Endowment)のサイトを見ていたらJames M. ActonとMark Hibbsという核政策の専門家の書いたWhy Fukushima Was Preventable(福島が避けられた理由)という論文が掲載されていました。非常に長くて技術的な論文であり、とてもむささびの手には負えないものなのでありますが、ここをクリックすると読むことができます。

福島における原発事故をきっかけにして、原子力に対する反発が世界的に広がっているが、福島の事故は国際的にみても例外的に遅れた日本の原子力の安全体制によって起こされたものなのであり、日本以外なら防げた事故なのだ、と言っている。イントロの部分だけ紹介すると、

The Fukushima accident was, however, preventable. Had the plant’s owner, Tokyo Electric Power Company (TEPCO), and Japan’s regulator, the Nuclear and Industrial Safety Agency (NISA), followed international best practices and standards, it is conceivable that they would have predicted the possibility of the plant being struck by a massive tsunami. The plant would have withstood the tsunami had its design previously been upgraded in accordance with state-of-the-art safety approaches.
福島の原発事故は防ぐことができたものなのである。あのような深刻な事故になってしまったのは、東京電力と原子力安全・保安院が国際的に認められたきちんとした対処法と基準に従ってさえいれば、原発が巨大津波に襲われる可能性は予想できたであり、しっかりした安全性追求という考え方に沿って原発の設計がアップグレードされていたならば、あの津波にも耐えることができたはずである。

東電と保安院の津波による危険性の評価方法が国際基準から見ると大きく遅れていたのだそうで、特にコンピュータによる津波のモデリングが不十分であったことを挙げています。2008年に実施されたシミュレーションでは津波の危険性が示唆されていたのにそれが不当に低く見積もられていただけでなく、そのシミュレーションに対するフォローアップもなされず、大震災の4日前になってようやく保安院に報告された。さらに保安院もそのシミュレーションを検討して、しかるべきコンピュータ・モデリングのツール開発を行うことを怠ったとしています。

これはすでに言われていることですが、保安院が原発推進が仕事である政府機関(経産省)や原子力業界から独立していないこと、日本の原子力業界は地震に対する安全対策に力を入れるあまりそれ以外のリスクについては注意を怠ってきたことを指摘して

Bureaucratic and professional stovepiping made nuclear officials unwilling to take advice from experts outside of the field. Those nuclear professionals also may have failed to effectively utilize local knowledge. And, perhaps most importantly, many believed that a severe accident was simply impossible.
原子力に携わる官僚たちがお役所的・専門家的な縄張り主義にこだわりすぎて、自分たちの分野の外の世界のエキスパートからの助言に耳を貸さなくなっていた。さらにそれらの原子力の専門家たちは(原発が立地している)地元が持っている知識を効果的に生かすことにも失敗したのかもしれない。おそらく最も重大なのは多くの人々が深刻な事故など起こりっこないと信じていたということである。

と言っています。

▼ひょっとするとこの論文に書かれていることは、3・11以後すでにいろいろと言われていることなのかもしれないのですが、このイントロや民間事故調の報告書などを読んでいて心底悲しくなるのは、日本の「知」の世界に属する人々の信じがたいような閉鎖性です。民間事故調の北澤委員長が言うように、安全性神話に自縄自縛されてしまうような頭脳しかないのに地震と津波の巣窟のような日本に50基以上もの原発を抱えること自体が人類にとって危険なことなのではないかと考えてしまいますね。そのことがカーネギー財団のような国際機関によってしっかりPRされたようなものです。

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6)新連載:美耶子のK9研究「Canis lupus familiarisを知るために」
 私、2009年から2010年まで、英国OxfordshireのいわゆるCotswold地方にある小さなカレッジで、Animal Management(動物管理学)というコースの学生として、「動物」に関するいろいろな講義を受けて来ました。アカデミックな授業が80%、プラクティカルな実技が20%という、ちょうど良いバランスのコースです。この経験を通して自分が動物に関する分野の中で、特に何に興味を持っているのかがようやくハッキリと見えて来たような気がします。日本に帰ってからも何らかの方法で勉強を続けたいと私が思ったのは、Wildlife Rehabilitationという野生動物の生態と保護、及び傷ついた野生動物の救助法と社会(野生への)復帰について考える分野、それからこのコースの選択科目にはなかったCanine Studiesという、ワンちゃんに関わるほぼすべてについて学ぶ分野でした。

帰国して間もない2010年の10月に2頭の生後2カ月の子犬が我が家のメンバーになりました。Border CollieのJoice(ジョイス)とGerman Shorthaired Pointer(通称GSP)のFreude(フロイデ)で、3週間違いで生まれて来た二人とも女の子です。ジョイスは牧羊犬、フロイデは猟犬ですが、我が家では家庭犬として暮らしています。現在約1歳半になり、彼女達の生活のリズムが決まって来たお陰で、私の生活のリズムも決まり自分の持ち時間の予測がつくようになったので、この2月15日(この日は2年前に20歳2か月で亡くなった我が家の最後の柴イヌのSamuelくんの命日)に、Oxford CollegeのDistance Learning(日本で言うところの通信教育のようなもの)の一年間コースでCanine Studiesを取ることを決め、早速申し込みを済ませました。ちなみにCanineはDogを学術的に表現した言葉で、日本語に直すと「イヌ類」というような意味です。

前置きが長くなってしまいましたが、そういうわけで目下英語で書かれた分厚いCourse materials(教科書)を読み始めたところです。この教材を読み進めて行く中で私のOxfordでの実体験も思い出しながら、個人的に面白いと感じた情報やテーマを、現在一緒にいる2頭のワンちゃん達の観察やらエピソードも含めて、自分の学習記録のようなものを書いてみようと思いこのコラムをむささびジャーナルの中に作ってもらうことにしました。Canineの発音はK9(ケーナイン)というわけで、このコラムのタイトルも「K9研究」としました。

教科書というのはどこでも大体同じですが、このCourse materialsも最初に「入門」というセクションがあります。題してIntroduction to Canine Studies(イヌ類研究入門)。そして最初に出てきたのがTaxonomy(分類学)という言葉でありました。この世に存在する生物を特徴別に分類して体系的にまとめる学問のことを言うらしい。それによって生物の多様性を理解しようというものですが、ラテン語やギリシャ語の専門用語が次々と出てきて、発音もスペルも馴染みのあるものではないために、記憶に留めることさえ難しい。この学問によると、ワンちゃんを知るためには

 Animalia / Chordata / Mammalia / Carnivora / Canidae / Canis / Canis lupus / Canis lupus familiaris

を知らなければならないらしいのです。日本語では左から右へ「動物」「脊索動物」「哺乳類」「食肉類」「イヌ科」「イヌ属」「イヌ種」 「イヌ亜種」となる。5番目のCanidaeでようやく「イヌ」という言葉が出てくるのですが、この段階では我々のいわゆるイヌ(dog)以外にコヨーテ、キツネ、ジャッカル、タヌキ、オオカミなども含まれています。次のCanis(イヌ属)になるとキツネとタヌキが脱落するけれど、コヨーテ、ジャッカル、オオカミが残っている。その次のCanis lupusでようやくdogだけになる・・・と思ったら甘い。実はこの段階でもまだ「灰色オオカミ」(grey wolf)というのが残る。そして最後のCanis lupus familiarisでようやくdogになる。ウチで一緒に暮らしているジョイスとフロイデは学問的にいうと"Canis lupus familiaris"という名前であるらしいのです。わかります!?

最初のAnimaliaの部分は分類上はKingdom(日本語では「界」)と言われ、Animaliaを含めてProtista(藻類)、Monera(菌)、Fungi(カビ類)、 Plantae(植物)の5つに分類されるが、イヌはAnimaliaのコースに入るのだから、あなたが学ぶのは主としてAnimaliaである・・・とラテン語、ギリシャ語の専門用語ばかり出てくるのですでに頭が痛くなってきている私に対してCoursebookが言うから、やれ嬉しやと思ったら、However(しかしながら)と言って

However the other kingdoms are relevant, because when you study canine dieases you will look at bacteria and fungi.
しかしながら(Animalia以外の)「界」も関係があるのだ。なぜならイヌ類の病気を研究していくとバクテリアやカビのことを知らなければならないのだから。

と宣言しています。Animalia以外の「界」のことも勉強するってこと?え~っ!うそでしょ!?
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7)どうでも英和辞書
A-Zの総合索引はこちら


locking the stable door:厩に鍵をかける
馬が逃げないようにするために厩の戸の錠をおろすことですが、この文章はafter the horse has bolted(馬が逃げてしまった後で)という文章を続けないと意味がない。
Locking the stable door after the horse has bolted
馬が逃げてしまった後で厩に鍵をかけること。
空っぽの厩に鍵をかける・・・つまり「泥縄」のことですね。泥縄とは、ネット辞書によると「泥棒を捕まえてから、慌てて(泥棒を)縛るための縄を作ることで、事が起きてから慌てて準備することを意味する」となっています。

福島の原発事故についての当時の管首相らの対応について民間事故調が「稚拙で泥縄的な危機管理で、災害の拡大防止に役立ったとは言えない」と批判しています。つまり「馬が逃げてしまった後で厩に鍵をかける」ようなことをやっていたと(この委員会は)考えているようであります。
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)むささびの鳴き声
▼最初に使わせてもらった土門拳の写真ですが、掲載された『筑豊のこどもたち』には土門拳自身による、次のような写真説明が載っています。

「弁当を持ってこないこどもの顔は、写さないでほしい」と校長先生は気を配っている。問題児たちは雨が降ると学校を休む。特に給食の必要が感じられる栄養失調気味のこどもが弁当を持ってこないのだ。弁当を持ってこない子は絵本を見ている。弁当を持っているこどもたちが何かのひょうしでどっと笑っても、弁当を持ってこない子は絶対にそちらをむかない。その子たちには、何も関係がないように振りむかないのだった。

▼土門拳が炭坑閉山の続く筑豊で、失業にあえぐ人々とそのこどもたちを写真取材したのが1959年12月、最初の写真集が出版されたのは1960年、戦後15年のことです。写真の子供たちは小学生のように見える。およそ10才。ということは弁当を「持ってきた子」も「持ってこなかった子」も今年あたり定年退職という年代ですよね。私よりも一世代若い。この写真に写っているのは、日本のエネルギーが石炭から石油に代わろうとしていたことによる貧困です。この少し前に日本は英国から原子炉を輸入することを決めており、岸信介首相が訪英した際にそれを発表してハロルド・マクミランの英国政府が大喜びした。

▼それから半世紀、この写真に写っている「弁当を持ってこない子」たちは、いまごろ福島の原発事故について何を想っているのだろうかと考えるのですが、日本社会(特に知的な部分)に受け継がれている「空気を読む」という伝統・習慣・体質がなくならない限り「原子力のようなリスクの高い大型で複雑な技術を安全に運営する資格はありません」という民間事故調の北澤委員長の言葉には頷かざるを得ない。そしてそのような体質が変わったときには再び原発を使うのもいいかもしれないけれど、それは10年や20年先のことではないし、変わるかどうかさえ分からない。ということは、日本という社会には原発は無理ということが「福島」のおかげで分かったということでもある。

▼「空気を読む社会」というのは別の言い方をすると「タブーがある社会」です。福島原発の事故以来、原発推進を唱えることがタブーのようになっている(ように私は感じます)。その意味でこの国は、相変わらず「空気を読む」ことをしている。私自身は原発はやめた方がいいと思っているけれど、石原都知事のように原発推進こそが文明社会だという意見もあって、それをアタマからタブー扱いするのは本当によくないと思います。それが原発反対の知的な基盤を弱めてしまうからです。

▼(話は違いますが)自民党の河野太郎議員が被災地からのがれきの受け入れに賛成しようと呼びかけています。詳しくは河野さんのホームページに出ています。河野議員のメッセージは、昨年(2011年)12月末に神奈川県の黒岩知事が岩手県宮古市からのがれきの受け入れを表明したことに賛同するという趣旨で書かれています。黒岩知事の方針については、がれきに含まれる(かもしれない)放射能を理由に神奈川県内では受け入れに反対する自治体もあるのだそうです。この件について河野議員は、宮古市は福島原発から260キロ離れており、神奈川県の横浜、相模原、川崎などよりも原発からは遠いということを受け入れ可能な理由のひとつとして挙げています。

▼埼玉県でも知事ががれき受け入れを表明しており、日高市というところにある太平洋セメントの埼玉工場が受け入れ施設の候補の一つになっています。この工場は私が暮らす飯能市から車で15~20分ほどのところにあります。NIMBYという英語がありますよね。Not In My Back Yardの省略です。ゴミ処理のような公共プロジェクトに関連して住民が発揮する「ウチの庭だけは汚さないで」という地域エゴイズムのことです。知事によるがれき受け入れについては、飯能市では(私の知る範囲では)NIMBY-ism汚染はないようです。

▼今回から妻の美耶子の「K9研究」がはじまりました。むささびの巣でイヌの研究というのはいい度胸であります。ごひいきに!
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