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089 Kazuo Ishiguroの「長崎」

2月6日付の日曜紙、The Observerのサイトに日系英国人作家のKazuo Ishiguro(長崎生まれ)とのインタビューが掲載されていて、自分が日系人であることについて語っている部分がありました。面白いと思うので紹介すると・・・。

Even though I spent the first five years of my life in Nagasaki, going to Japan can be really difficult. Even if they know I've been brought up in the west they still expect me to understand all the subtleties of their culture and if I get it wrong it matters much more than if a British person gets it wrong. I find it intimidating.
私は5才になるまで長崎で過ごしたわけだけど、日本へ行くのが実に面倒だと思うことがありますね。日本の人々は私が西洋育ちであることを分かってはいるのですが、それでも私が日本文化の細かいところまですべて理解しているはずだと思っているわけです。だから私が間違ったりすると、英国人が間違えた場合よりもはるかに大きな問題になってしまう。これが怖ろしいわけですよ。

外国育ちの日系人であれば、おそらく誰でも抱える悩みですね。

で、彼が長崎生まれであることで原爆について何か言っているかもしれないと思ってネットを探したら、いまから20年以上前の1987年に出版されたConversations with Kazuo Ishiguroという本(ミシシッピ大学出版局)に行き着きました。Ishiguroとの対話集なのですが、その中に長崎の原爆について語っている部分があった。1954年生まれだから、この対話は彼が30才くらいのときのものということになるのですが、アタマの中のほぼ100%が英国人であるけれど、ほんのわずかとはいえ日本人的な部分もあるはずのIshiguroの原爆観が見えるようで非常に面白いと思うので、紹介させてもらいます。

彼はまず、自分が8~9才になって百科事典で知るまで、原爆投下そのものが大したことではないと思っていた( I didn't actually think it was a big deal)として、原爆が投下された場所が地球上でたった2か所であることさえ知らなかったと言います。そして次のように語ります。

It was a peculiar sense of pride that I discovered that I come from Nagasaki, one of only two places in history to have suffered this.
自分がその長崎出身であることに奇妙な誇りの感覚を覚えたのですよ。歴史上でも原爆の被害にさらされるという体験をした、たった2か所のうちの一つで生まれたということですね。


なぜそのような誇りのような感覚を覚えたのかについては語っていないけれど、両親も長崎の人々も原爆投下をそれほどとてつもないこと(momentous)として語っていなかったと言っている。彼の記憶によると、みんな原爆投下をあたかも自然災害(natural disaster)であるかのように語っていた。何かにつけて「原爆前」とか「原爆後」とか言ったして、まるでカレンダーのマークであるかのように語っていたのだそうです。

彼はさらに自分の祖父(母親の父)が原爆の放射能が理由で死んだとされることについて「私の母はそのこと(父親の放射能による死)について苦々しげに語ったことが一度もなくて、私にはそれが不思議でならなかった」(my mother has never spoken about it in any kind of bitter way and I've often puzzled over this)と言いながら、原爆に対する日本人の感覚についての自分の印象を次のように語っています。

The Japanese on the whole don't seem to be very bitter about the atomic bomb. They're very passionate about pacifism and the nuclear issue but I don't get the impression they regard the atomic bombings as atrocities. That's curious.
日本人全体として原爆に対してそれほど苦々しく思っていることがないように見えるのですよ。日本人は平和主義とか核兵器の問題については実に熱心なのですが、私の印象によると、原爆投下を非道な残虐行為という風には見なしてはいないようだった。不思議なことです。

原爆に関するIshiguroのインタビュー(ここをクリックすると読める)の中で、私自身が最も面白い指摘だと思ったのは、彼の印象として、原爆を落とされた「日本人がそれをatrocitiesとは見なしていないようだ」と語っている部分です。atrocityは意図的に犯す大量殺りくのことで、英米のメディアが挙げる例としては、ドイツによるユダヤ人殺害、日本人による南京虐殺、サダム・フセインによるクルド人迫害などがある。ベトナムやアフガニスタンへの爆撃によって多くの市民が死んだことについては、なぜかatrocitiesという言葉は使わない(と私は思っています)。

Ishiguroは、日本人が憲法第9条の平和主義とか核兵器廃絶などを語ることには熱心であるのに、自分たちが犠牲になった原爆投下については「自然災害であるかのように語る」ことに首をかしげている。日本人が、原爆投下を地震や台風のような「自然災害」と同じように思っているということはないと思うけれど、Ishiguroの眼にはそのように写っている。

さらに日本人は広島や長崎のことを悲しみをもって語ることはあるけれど、苦々しさ(bitterness)は感じていないようだ、とIshiguroは見ている。bitternessは「怒り」という日本語をあてはめてもいいような言葉です。日本人がbitterness感を持たず、原爆投下をatrocityとも見なしていないように見えることを、Ishiguroは「不思議だ」(curious)と言っている。日本生まれで英国育ちのIshiguroはそのような印象を持っていたということですね。Ishiguro自身は原爆投下がatrocityだと思っており、投下された日本人はなぜ怒らないのだろう?と不思議に思ったということなのかもしれない。

いまから4年ほど前に防衛大臣だった久間章生さんが、日本に原爆が落とされたのは「しょうがない」と発言したというので、非難轟々、結局辞任したということがありましたよね。あのときのメディアの報道ぶりはリンチ以外の何物でもなかったと思うのですが、久間発言の約30年前(1975年)に同じ趣旨のことを天皇陛下が言ったときにはメディアは何も批判しなかった。このあたりのことはむささびジャーナルの114号も語っています。久間さんをさんざ叩きのめしたメディアですが、原爆投下という行為そのものについて「アメリカは謝れ!」ということを主張したメディアはあったのでしょうか?[2011/2/13]

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