musasabi journal

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482号 2021/8/15
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BREXIT 美耶子の言い分 美耶子のK9研究 むささびの鳴き声 どうでも英和辞書

暑くて暑くて死にそうな思いで一日を終えてベッドに横になったむささびの耳に、虫の音が聞こえてきました。もう秋ってこと?上の写真はスコットランドのオークニー島にあるリング・オブ・ブロッガー(the Ring of Brodgar)と呼ばれる新石器時代の遺跡群で、世界遺産なのだそうです。空がドラマチックですね!

目次

1)あるデンマーク人の怒り
2)疎外感の国際比較
3)菅さんが疎外感を促進する?
4)「美しい国」には騙されない
5)どうでも英和辞書
6)むささびの鳴き声


1)あるデンマーク人の怒り

かなり古い記事ですが、2016年12月7日付の英国の文芸誌・Grantaのサイトに出ていた「デンマークが親切心を犯罪とするとき」(When Denmark Criminalised Kindness)というエッセイは、リズベス・ゾニック・アンデルセン(Lisbeth Zornig Andersen)というデンマーク人の女性が書いたものでイントロは
  • We now know that it is a criminal offence to help refugees in distress. 今や(デンマークでは)困っている難民を救うことが犯罪になることがはっきりした。
となっている




これを読むと、普段はなかなか読むことがないデンマークという国のある側面が分かって非常に面白い。筆者は現在は貧困救済のためのNPO活動をやっているのですが、エッセイの書き出し部分で自分の生い立ちを次のように描写している。
  • 私は普通の中流階級の家庭で育った人間ではない。のんびりしたサンデーランチ、一家が笑いと穏やかな会話に包まれているような家庭の育ちではない。私が育ったのはデンマークでも田舎の小さな村のそのまた外れにある小屋のような家だった。お湯など出ないし、トイレは裏庭にあった。日曜日のご馳走といえばホットドッグ。母親と継父は両方とも飲んだくれでろくに仕事もせず、いつも失業手当で暮らしていた。つまり世の中で普遍的とされる価値観や道徳観が自然に身に付くような家庭環境ではなかったということだ。
兄たちが助けに

そのような環境ではあったけれど、彼女はそれでも人間はお互いに助け合うものだということだけは教わったのですが、それを教えてくれたのは3人の兄たちだった。その兄たちも決して品行方正であったわけではない。3人とも家を出て犯罪に走り、二人は若くして死に、もう一人はエイズにかかって施設に入ったりで、人生としては全く恵まれなかった。なのに筆者のリズベスだけは何故か学校の成績も良くて最終的には大学(コペンハーゲン大学)まで進んで経済学を学び、デンマーク最大の銀行(Danske Bank)に就職することもできた。


シリア難民との出会い


それから事情があって銀行を辞めて、児童福祉の仕事に携わるようになり、それがさらに発展して、トラブルを抱える家庭を援助する組織を自分で作って活動するようになった。困っている家庭を援助するためのアドバイスをするというのが仕事だった。そうして迎えたのが2015年9月7日だった。その日彼女はデンマーク南部のあるコミュニティを訪ねて行くために車を運転していた。すると道を歩いている人たちが目に付いた。それは一群のシリア難民だった。彼らのことは報道で知っていたので、筆者は車を止めて事情を聞いてみたところ、彼らはドイツ、デンマーク経由でスウェーデンを目指して歩いているところだった。スウェーデンは難民受け入れに積極的な姿勢をとっていた。

そこからスウェーデンまではざっと160キロはある。暑い日で、歩いて行くには距離がありすぎる。というわけでリズベスが途中まで車で送っていくことになった。Rødbyhavnというデンマークの町を通り過ぎたときには難民で溢れかえっている風景を眼にした。老若男女、皆が疲れ切ったような表情をしていた。リズベスが生まれて初めて見る風景だった。自宅にいる夫に電話すると、その6人を自宅へ連れて来て休んでもらえという。


難民支援は人身売買?

自宅へ着くと夫がコーヒーと軽食を用意して待っていた。一晩泊まっていったらどうかと提案したけれど、彼らは一刻も早くスウェーデン入りしたいとのことだった。スウェーデンでは、彼ら以前に到着した父親が待っているとのことだった。そこで今度は夫が車で付近の鉄道駅まで送っていき、スウェーデン行きの切符を買って見送った…とここまでは、このエッセイの前半であり、序の口です。

実は、リズベスが道を歩いていた難民たちを自分の車に乗せて自宅まで行くところをテレビ局が撮影しており、それが放映されたことで事態が妙な方向に進み始めた。その放映以来、筆者が難民に協力的な人物として知られるようになり、難民に敵意を持つ右翼系のデンマーク人たちとの討論会に呼ばれたりするようになった。そしてついには警察に呼ばれるようになる。容疑は「人身売買:people smuggling」だったけれど、リズベスらが難民を助けているということを快く思わない人びとが警察に告げ口をしたということです。警察によると、リズベスらの行為は「正式な旅行書類を携帯していない人物に乗り物を与え、匿った罪」ということだった。見知らぬ人を車に乗せ、自宅へ呼んでコーヒーをご馳走すると「人身売買」ということになるのか!?


デンマークの「価値観」を守ろう

そして裁判ということになったのですが、検察はリズベスらに対して4万5000クローナ(4000ポンド=約52万円)の罰金もしくは14日間の拘留を要求した。筆者らは人権尊重を主張したけれど、結局検察側の主張が通ってしまった。リズベスらは裁判所前に集まったメディアを前に「困った人を助けることのどこが人身売買なのか」と怒りのメッセージを伝えた。これがデンマークのみならず海外のメディアにも伝わったと見えて、いろいろな海外メディアが「デンマークの裁判所は普通の人間が良いことをすると罰するらしい」という報道をするようになった。

リズベスらは裁判所の判決を不服として高等裁判所に上告したけれど、判決は同じだった。リズベスにとって非常に意外だったのは、彼女らが反対運動を続けている間、政治家が一人も筆者らの動きに参加しようとしなかったことだった。難民を自分の車に乗せても違法にはならないという法律でも作ればいいのに…とリズベスらは考えていたのですが。そして彼女らの動きに反対する反イスラム教のデンマーク人の集団は活発に活動していた。


リズベスはGrantaに寄稿した彼女のエッセイを次のような言葉で結んでいる。
  • デンマークの国教会はプロテスタントのキリスト教会であり、我々は自分たちのことを「キリスト教徒」と呼んでいる。我々は自分の子どもたちに聖書(ルカによる福音書)に出てくる、困っている人びとに決して背を向けることがなかった「善きサマリア人(good Samaritan)」の話を聞かせる。外国からデンマークへやって来た移民たちにもデンマークの価値観を身につけることを要求する。なのに、デンマークでは他者対するに思いやりを発揮する人間を罰しようというのである。そんなことを移民たちにどのように説明できるのか? 
  • 私も夫も自分たちがとった行動と異なる行動などとれるはずがない。それをするということは、自分たちがこれまで大切にしてきたもの、自分たちが信じてきたもの、子供たちに教えてきたことのすべてを裏切ることになるからだ。 
▼国連の難民保護組織(UNHCR)によると、現在世界中にいる難民の数はざっと8240万人だそうです。またスウェーデンに暮らしているシリア人の難民の数は約20万、デンマークとノルウェーは約3万5000となっている。フィンランドはぐっと少なくて7000人強だそうです。

▼上に紹介したリズベスによる「怒りのメッセージ」は今から5年ほど前に書かれたものです。最近の動きとして2021年5月19日付のBBCのサイトに "Denmark asylum: The Syrian refugees no longer welcome to stay"(デンマークの難民政策:シリア難民の滞在を歓迎せず)という記事が出ています。現在デンマークで暮らしている約200人のシリア難民の滞在資格を「再検討する」(revoke)ことを政府の方針として決めたとなっている。デンマーク政府の見解として「シリア国内の場所によっては、難民が帰還しても安全に暮らせる場所がある」(parts of Syria are now safe enough for refugees to return)と言っており、「十分な金銭を与えたうえで帰国してもらう」という趣旨のことを言っている。これに対して難民保護グループなどは大いに反発しているとのことであります。

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2)疎外感の国際比較

今から60年ほど前、即ちむささびが大学生になりたてだったころ、『近代人の疎外』(岩波新書)という本が、いわゆる「左翼」の学生の間で話題になっていました。フリッツ・パッペンハイムというドイツの社会学者が書いたもので、現代資本主義社会に生きる人間は誰もが「疎外感:feelings of alienation」(自分が自分でないような感覚)を持ちながら生きている、それを克服するためには、人間同士が真の意味で係わりあえるような社会体制(社会主義)を作る必要がある、ざっとそのようなことを言っていたと思います。


先輩から読めと言われて読んだだけのむささびが、あの本のメッセージをどこまで理解できたか、全く自信はない。が、ごく最近、英国の世論調査機関であるIpsosが発表した "BROKEN-SYSTEM SENTIMENT IN 2021" という報告書を読みながら思わず「近代人の疎外だ!」と心の中で叫んでしまいました。報告書は世界25か国における人びとの生活感を調査したもので、イントロの部分に次のように書いてある。。
  • 2021年に調査した25か国の殆どの国で、国民の多数が、自分の国の現状を考えると疎外感を持たざるを得ないと言っている。 Across most of 25 countries surveyed by Ipsos in 2021, majorities of citizens express feelings of alienation when thinking about their country
この調査は25か国・1万9000人を対象にアンケート調査したもので、全体の数字としては下記のようになっています。

社会が壊れていると感じる人の割合 自国が落ち目だと感じる人の割合
調査対象になった25か国すべてに言えるのは、国民の過半数に近い人びとが「社会が壊れている:society is broken」と感じ、「自分の国は落ち目にある:country is in decline」と見ているということであり、さらに共通するのは「ポピュリズムを基盤にした反エリート感情」(populist and anti-elite sentiment)と移民や外国人を締め出そうとする「排外主義」(nativist views)の高まりです。アメリカにおけるトランプ人気、英国におけるBREXIT推進論の高まりなどは正にその典型と言えるけれど、日本において「反日的」という言葉がやたらと頻繁に使われるようになったことなども、そのような傾向の一つなのではありません?

自分をエリートと同じと考えるか?

調査対象となった25か国におけるポピュリズムの高まりと反エリート意識の深まりに関連する平均値をいくつか挙げると:
  • 81%:政治家はいつも自らの利益保護しか考えていない
  • 72%:エリートたちは勤労者のことは気にかけない
  • 70%:自国の社会は普通人とエリートの間で分断している
ということになる。調査対象となった人びとの中で、国の政策を決める立場にあるエリートと自分自身を同じ世界の人間として考える人びとは15%しかおらず、残りはエリートたちを自分とは別の世界の人間と見ている。この傾向は特にアメリカ人と日本人の間で強いのだそうです。自分をエリートと見なす人間が多いのは、南米の人たちのようなのですが、アジアでは韓国がかなり多く、日本とは好対照です。




絵をクリックするとYoutubeで見ることができます
▼上の写真は60年も前にむささびが読まされた岩波新書の『近代人の疎外』の第一ページに掲載されているもので、スペインの画家、フランシスコ・ゴヤ(1746~1828)の『歯を求めて』という銅版画です。1799年に完成したもので、絞首刑になった男の歯には魔法の力があるという迷信にとりつかれた女性が、天井からぶら下がっている死体に忍び寄って、死体から歯を抜き取ろうとしているところを描いているものなのだそうです。

▼『近代人の疎外』の筆者は「こちこちになった死体に手を差し伸べている、この女性の気持ちは、恐怖にとりつかれながらも貴重な歯を手に入れようとする決意に引き裂かれている」と書いたうえで「これは遠い過去となった時代の病的な状態を示すものなのか?」と疑問を呈しています。この女性を支配している気持ちの引き裂かれ状態こそが、現代人が陥っている「疎外」状況を示しているのではないか?というわけです。

▼ただ『近代人の疎外』が書かれた60年前の世界では、資本主義社会がもたらす人間が人間でないような疎外状況を語りながら、それが克服された社会としての社会主義が大いに説得力を発揮していた。まさかこの本が書かれた30年後に社会主義のソ連が崩壊しようなんてことは考えてもいなかった。その一方で冷戦を勝利したはずの資本主義社会を生きている人びとの大多数が「社会が壊れている」という感覚に陥っており、トランプやBREXITが疎外感に悩む人びとにある種の「救い」を提供しているようにも見える・・・。そんな時代に生きているわけですね、我々は。

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3)菅さんが疎外感を促進する?


本日(8月15日)は終戦記念日です。2003年2月23日に第一号を発行してから18年間(480回以上)隔週つづいてきた「むささびジャーナル」ですが、発行日と終戦記念日が重なったのは、2010年の195号だけです。ただその号では「終戦」よりも、広島・長崎への原爆投下と平和記念式典に関する記事が掲載されています。


2010年から駐日アメリカ大使らの外国政府代表が出席するようになったのですが、むささびジャーナル195号はこれに関連して、毎日新聞の西川恵記者(当時)が「記者の目」というコラムに載せたエッセイを紹介しています。広島や長崎はそれまでにもそれぞれの被爆体験を発信してはいたけれど、西川さんによると「国際政治に対する影響力はほとんどなかった」のが現実だった。それが大使らの参加によって「核軍縮で国際政治を動かす象徴的な拠点としての意味合いをもつことになる」としています。

西川さんはまた、訪日する外国首脳が東京の靖国神社ではなく、広島や長崎を訪れて慰霊することに触れて、二つの被爆都市が「日本の全戦没者の象徴」ともなりつつあるという事実に注目しており、次のように結んでいます。
  • 反核の国際政治潮流の中で「広島・長崎」もますます大きな位置を占めるだろう。日本の外交資産であり、その象徴性を最大限に生かす外交上の工夫を期待したい。


西川記者のこの記事が出てから11年目の今年、その広島における平和記念式典で、菅首相が演説原稿を読み飛ばし、その後の記者会見で謝罪するという「事件」がありました。西川さんのいわゆる「日本の外交資産」で、あろうことか読み飛ばしをやってしまった。菅さんはあのスピーチ原稿のどこをどのように読み飛ばしたのか?長くて申し訳ないけれど、読み飛ばし個所を下線・太字で引用すると次のようになる。

広島及び長崎への原爆投下から75年を迎えた昨年、私の総理就任から間もなく開催された国連総会の場で、「ヒロシマ、ナガサキが繰り返されてはならない。この決意を胸に、日本は非核三原則を堅持しつつ、核兵器のない世界の実現に向けて力を尽くします。」と世界に発信しました。我が国は、核兵器の非人道性をどの国よりもよく理解する唯一の戦争被爆国であり、「核兵器のない世界」の実現に向けた努力を着実に積み重ねていくことが重要です。
 近年の国際的な安全保障環境は厳しく
核軍縮の進め方をめぐっては、各国の立場に隔たりがあります。このような状況の下で核軍縮を進めていくためには、様々な立場の国々の間を橋渡ししながら、現実的な取組を粘り強く進めていく必要があります。


読み飛ばしの原因については、テキストを用意した事務方のドジであるというような説明がなされているけれど、むささびがお勧めするのは、首相官邸のサイトに出ている「広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式あいさつ」を動画でご覧になる、いや「お聴き」になることです。「本日、被爆76周年の・・・」というスピーチの出だし部分からしてしどろもどろであることは誰にでも分かります。

▼読み飛ばし後、菅さんは記者会見を開いて謝罪したとのことですが、「謝罪する」を英語で言うと "apologise" ですが「謝って済むものではない」は "you cannot apologise" であるということは前にも言いましたよね。この読み飛ばしが「謝って済むものではない」問題に当てはまるのか?西川恵さんはどのように考えるのだろうか?

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4)「美しい国」には騙されない


むささびジャーナル93号(2006年9月17日)に<『美しい国へ』を読む前に・・・>という記事を載せています。終戦記念日に関係していなくもないので、この記事をここで再び掲載させてください。安倍晋三氏が書いた『美しい国へ』という本について書いている。むささび自身は『美しい国へ』を読んでいないけれど、そんな本もありましたよね。本の中で安倍さんは、戦争中の特攻隊について触れて次のように書いているそうであります。
  • 「自分のいのちは大切なものである。しかし、ときにはそれをなげうっても守るべき価値が存在するのだ、ということを考えたことがあるだろうか」
 
このことは朝日新聞の2006年9月5日号で同紙編集委員(当時)の根本清樹さんが書いた「安倍公約vs小沢主義」というエッセイに出ている。根本さんは「安倍氏の要求は格段に重く、大きく、そして気高い」と書いています。何故安倍さんの言っていることは「気高い」のか?根本さんによると、「損得を超えた価値のために役に立つ」ことの大切さを訴えているのだそうですが、根本さん自身の意見として次のように書かれています。
  • 「政治の現実から損得ずくをなくすことなどできるだろうか。年金の問題にせよ、税制にせよ、この世では無数の利害がぶつかり合っている。<中略>普通の人びとの暮らしには死活的な問題がたくさんある。私たちはそれほど気高くないし、なる必要もない」
むささびは根本さんのエッセイを読んで、安倍さんの「特攻隊賛美論」はもちろんのこと、根本清樹という人の姿勢にも疑問を感じてしまった。安倍さんの本を読んでいないので、なんともいえないけれど、根本さんのエッセイで引用された部分だけからしても、安倍さんが言っているのは「人間、たまには損得を超えて(つまり無私の精神で)行動することもある」ということだけなのに、根本さんは、恰も安倍さんが「政治は損得を超越しなければならない」と主張しているかのように言っている。


根本さんのエッセイは「私たちはそれほど気高くないし、なる必要もない」という文で終わっている。つまり「人間、損得を超えて命を投げ出すほどには気高くなる必要もない」と言いたいのですよね。確か韓国の青年が、東京の電車の駅でプラットフォームから転落した人を自ら飛び込んで救って、自分は死んでしまった、という事件がありましたよね。あの行為は(根本さんに言わせると)「気高い」ものなのでしょうか?

むささびの想像にすぎないので、間違っていたら根本さんにはゴメンネというしかないけれど、彼が「気高くなる必要もない」と言うのは、(特攻隊のように)お上に言われて、「お国(自分が信じてもいないもの)のために」命を投げ出す必要などないってことなんじゃありませんか?だったらそう言えばいいのに・・・。私に分からないのは、何故、この根本さんが「安倍氏の要求は格段に気高い」などと書くのかってことなのでありますよ。安倍さんの要求のどこが「気高い」んです?アホらしいだけなのではありませんか?


もう一度言っておきますが、人間、損得を大切に考えるのは当り前ですが、場合によっては、いわゆる「損得」を超えて行動をとるときだってあるんです。ただそれは、国(というよりも、そのときの為政者が決めたこと)のために(自分が納得もしていないのに)命を捧げるというようなことではないってことなんです。そのようなことは気高くもなんともない。ただ悲惨なだけです。根本さんのいわゆる「普通の人びと」がいつもいつも損得だけを考えて暮らしているわけではないってことなんですよ。根本さんは、自分を「普通の人びと」の代表みたいに「私たち」などという言葉を使うけれど、どうせ言うなら「私」とだけ言って欲しい。違う考えの人だっているんだからさ。

プラットフォームから転落した人を見て、線路に飛び降りて助けようとして、自分が死んでしまった韓国の人は、死ぬことを覚悟して飛び込んだわけではない。ただプラットフォームから落ちた人を見て「タイヘンだ、助けなきゃ!」と思っただけだったのでは?特攻隊はどうか?彼らは自分たちが死ぬことが分かっていた。でも出かけて行った。安部さんという人は「それ(自分の命)をなげうっても守るべき価値が存在する」などと言っております。つまり天皇陛下や日本国は自分の命を捨ててでも守るべきもの、それこそが「美しい国」の人間のあるべき姿だ、と言いたいわけです。そんなことを考えている人間が「首相」などという座に坐ること自体、むさささびは到底許せないわけです。

▼根本清樹さんは、現在では「朝日新聞社役員待遇論説主幹」であると同時に「日本記者クラブ理事長」でもあるようです。

▼自分たちが死ぬことが分かっていたにもかかわらず、特攻隊が飛んで行ったのは、そうしないと世間様から裏切り者扱いされるのが怖かったからであり、そのようなことを怖がっている自分自身を忘れてしまいたかったからです。そしてその「世間様」を支配していたのが『美しい国へ』とかいう妄想である、とむささびは考えているわけ。特攻隊員と呼ばれる人びとのアタマには、自分の行為によって命を落としてしまう人間(アメリカ兵のこと)がいるなんてことは全く浮かんでいなかったでしょうね。それこそが究極の「疎外」状態だったということです。
 
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5)どうでも英和辞書
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chomping down:噛みつく

オリンピックのソフトボールで優勝した日本チームの後藤希友選手が地元の名古屋市役所を表敬訪問した際に河村たかし・名古屋市長が、首にかけてもらった金メダルを「噛む」というパフォーマンスをやって顰蹙を買っている件ですが、8月5日付のロイター電が次のように伝えています。
  • The mayor of Japanese city Nagoya earned himself Internet infamy and a rare rebuke from Toyota Motor Corp on Thursday for chomping down on an Olympic gold medal at an event meant to celebrate its winner, softball pitcher Miu Goto. 
前半は「日本の名古屋市長がインターネットの世界で顰蹙を買い、トヨタ自動車から非難(きわめて稀なこと)されている」ということで、後半でその理由が説明されている。「そもそもこのイベント(記者会見のこと)は五輪のソフトボール・チームのエースである後藤希友さんを祝福するために開かれたものだった。なのに市長ときたら五輪の金メダルをがりがりかじってしまった・・・」というわけです。

この記事では「噛む」という言葉に "chomp" という言葉が使われています。ケンブリッジの辞書は、この言葉を "to chew food noisily"(うるさく音を立てて食べ物を噛む) という表現で説明しています。いわゆる「噛む」(犬が人間を噛む・リンゴにかぶりつく etc)は "bite" に決まっていると思っていたけれど、「ガムを噛む」とくると "chewing gum" ですなぁ。「味わうようにして噛む」というのだから、それほど悪いいみではないかも?

この市長の行為について、トヨタ自動車が非難の声明を発表しているのですが、その書き出しは
  • It is unfortunate that he was unable to feel admiration and respect for the athlete. 彼(市長)が選手(後藤さんのこと)に対して称賛と敬意の念を持つことが出来なかったのは不幸なことだ。
となっているのですが、"unfortunate" というのがきついと思うのよね。

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6)むささびの鳴き声
▼今年の1月に亡くなった歴史家・ジャーナリスト・作家の半藤一利の著書に『昭和史・戦後篇』というのがあります。読んで字のごとく、日本の戦後史を語る本なのですが、その最後のページで「これからの日本のあるべき姿」を語っています(むささびジャーナル200号)。重要なポイントが5つあるのですが、そのうちの一つは次のように言っている。
  • (日本は)小さな箱から出る勇気を持てるか?自分たちの組織だけを守るとか、組織の論理や慣習に従うとか、小さなところで威張っているのではなく、そこから出て行く勇気があるか?
▼『昭和史・戦後篇』が出たのが今から15年前(2006年)のことなのですが、「小さな箱から出る勇気」という言葉は悲しいくらい今 の日本に当てはまると思いません?特にコロナ禍にも拘わらずオリンピックを強行した日本に、です。日本の首相は何とかの一つ覚えのように「安心・安全」を繰り返していたけれど、彼がそのメッセージを発したのは日本人に対してのみです。この状態でオリンピックという行事を強行することが、世界の人びとにとって何を意味するのか?なんてことは全く眼中になかった。

▼ちょっと古いけれど、8月2日付の msn news にサンケイスポーツ(サンスポ)発の記事として「橋下徹氏『オリパラやりながら国民の行動制限というメッセージなど届くわけない』」というのが出ていました。緊急事態宣言が延長されたにもかかわらず、人出に減少傾向が見られないことについて、元大阪府知事の橋下徹氏が自身のツイッターで、「一方でオリンピックをやっておきながら、もう一方で行動制限など期待できるわけがない」という趣旨のメッセージを発したとのことだった。

▼「感染者が増えて病院のキャパを超えることは明らかなので在宅医療で対応するしかない」というのが橋本さんのメッセージなのですが、「オリパラをやると国民の行動制限が効かなくなるということを想定していなかったのか。もし想定していなかったのなら、日本の政治行政の想像力はあまりにも貧弱」というのが橋本さんが本当に言いたかったことらしい。

▼コロナ禍の状況下で五輪などやったら感染状況がますます悪化することくらい分からなかったのか?と橋本さんは怒っているわけですが、五輪強行の背景にあるのは、本当に「日本の政治行政の想像力の貧弱さ」なのでありましょうか?日本の政治行政の担当者たちは、ある程度の「感染状況の悪化」は充分に承知していたけれど、彼らのアタマによると、五輪強行によって得られる「日本はすごい!」という評判がもたらす「得」を考えれば、コロナによる少々の「損」はしゃあないということだったのでは?

▼橋本さんの「怒り」はともかく、最近ツイッターだのフェイスブックだのを通してなされた発言について、別の怒りのコメントなるものが寄せられ、さらにそれに対する怒りの反論が…という喧々諤々の炎上騒ぎがやたらと多いと思いません?結局喜んでいるのは、その炎上騒ぎそのものをネタにして商売ができる新聞・雑誌・テレビのような普通のメディアの関係者だけ。うるさいだけで何もなし。

▼水害に見舞われている地方の方々の悲嘆を想うと言葉がありません。

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