musasabi journal

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343号 2016/4/17
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美耶子の言い分 美耶子のK9研究 むささびの鳴き声 どうでも英和辞書
九州が地震でタイヘンなことになっているのに、「道楽ジャーナル」もないもんだと思う一方で、それが理由でむささびが道楽を一時的に止めたとしても何がどうなるわけでもないし、この際、過酷な自然に対する意地という意味でもお送りすることにしました。このむささびを九州でお受け取り頂いている皆さまには心からお見舞い申し上げます。

目次
1)熊本と英国:ハンナとキャサリン
2)ピケティ:EUは年間100万の移民を受け入れるべし
3)パナマからBrexitへ
4)パナマ文書:主要メディア以外にも公開せよ
5)トランプ=金正恩コンビとアジアの核武装
6)どうでも英和辞書
7)むささびの鳴き声

1)熊本と英国:ハンナとキャサリン

熊本の地震についてのニュースに接しながら、むささびはある英国人女性のことを想いだしていました。名前はハンナ・リデル(Hannah Riddell)、1855年10月17日にロンドンに生まれ、1932年2月3日に77才で亡くなっている。亡くなったのは熊本だった。いまから160年以上も前に英国で生まれたハンナがなぜ熊本で生涯を終えることになったのかについては『ハンナ・リデル』(ジュリア・ボイド著・日本経済新聞社)という本に詳しく書いてあるのですが、その本の書き出しは次のようになっている。
  • 1890年11月14日、蒸気船デンビーシャー号はサザンプトンを出航し、日本へ向かった。この船には、ヴィクトリア時代のイギリスの平穏な中流階級の生活を後にして、世界の果ての未知の国へ、骨を埋める覚悟で旅立とうとする5人のうら若い女性が乗っていた・・・。
この5人の女性はいずれも英国国教会が派遣した宣教師で、全員が日本にキリスト教を広めようという使命感に燃えていた。ハンナは35才だった。サザンプトンを出てから2か月後の1891年1月16日に神戸に到着するのですが、その時点ではまだ日本のどこに派遣されるのかは分かっていなかった。ただ、この本の著者によると、ハンナは九州にだけは赴任したくないと周囲に漏らしていたのだそうです。理由は英国を出る1年前の1889年に熊本を襲った地震のことを新聞で読んでいたから。


でも結局、ハンナは熊本に派遣されるのですが、派遣先の熊本で遭遇したハンセン病の患者の悲惨な状態に衝撃を受け、彼らを救うことが「神から授かった使命」であるとして、77才で亡くなるまで、ハンセン病患者の救済をライフワークにした。その彼女の「ライフワーク」の記念碑的存在が1895年、熊本市黒髪に設立した回春病院で、現在の高齢者福祉施設、リデルライトホームの元になったところです。所在地は「熊本市中央区黒髪5丁目23-1」となっているのですが、ラジオで聴いていると「中央区」は今回の地震ではかなりの被害を受けたのではないかと心配であります。

実はハンナ・リデル以外にもう一人、熊本に関係する英国人女性のことが気になります。キャサリン・メアリー・ドゥルー・ベーカー(Kathleen Mary Drew Baker)という名前の海藻学者(1901~1957年)で、彼女が関係しているのは熊本県宇土市で行われている海苔の養殖です。彼女がマンチェスター大学で海洋生物学を研究していた際に、ウェールズ地方の海岸に産生していたPorphyraという海藻の生長過程初めて解明することに成功したのですが、この海藻が実は日本の海苔ときわめて近いものだった。


彼女は自分の研究成果を日本の研究者に伝え、それが熊本県水産試験場の専門家に伝わり、さらに研究が重ねられた結果、1953年に海苔の人工採苗に初めて成功し、それによって海苔は毎年安定して十分な量を収穫できるようになり、日本の海苔養殖に画期的な影響を与えたのだそうです。そして1963年に彼女の偉業を讃える記念碑が有明海を見下ろす宇土市の住吉公園に建立され、毎年4月14日に彼女の偉業をたたえるお祭り(ドゥルー祭)が開かれている。その記念碑は彼女のことを“Mother of the Sea”(海の母)と刻んでいるとのことであります。

▼ハンナとキャサリンの功績については、2002年に英国大使館が主宰して全国的に行われた「日英グリーン同盟」という植樹企画にも参加しており、それぞれの関連場所に英国から運ばれてきたイングリッシュオークの木が植えらえています。それらがいまどうなっているのかは(むささびには)分からない。

▼キャサリン・メアリー・ドゥルー・ベーカーと宇土市の関係ですごいと思うのは、彼女がただの一度も日本には来たことがないということ。にもかかわらず年に一度の記念祭まで開かれているということです。ここをクリックすると彼女について詳しく出ています。またハンナ・リデルについては、むささびがこの本の著者であるジュリア・ボイドと話をしたときのことがここに載っています。

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2)ピケティ:EUは年間100万の移民を受け入れるべし
4月7日付のBBCのサイトにト-マ・ピケティ(Thomas Piketty)とのインタビュー記事が出ています。3年ほど前に『21世紀の資本』というベストセラーで話題になったあの人です。現在はパリ経済大学(Paris School of Economics)の「会長」(chairman)であると同時にロンドンのLSE(London School of Economics)の客員教授でもあるのですが、BBCによると最近情熱を注いでいるのが移民・難民の問題なのだそうです。

ヨーロッパの難民問題について、むささび自身のためも含めて確認しておくと、欧州委員会のサイトによると、今年の初めから2月末までの2か月間で約110万の移民・難民がEU加盟国に到着しているけれど、今年の3月にEUとトルコの間でギリシャ(EU加盟国)に密航した難民をすべてトルコに送り返すことで合意したのですよね。その代りヨーロッパ側は、送り返した難民と同じ数の難民をトルコから受け入れること、さらにEUはトルコに対して難民対策のための費用として最大66億ドル(約7000億円)を供与することでも合意している。

「1増1減」(one in, one out)というEUとトルコの合意については、人間を荷物扱いする気かという批判は当然あるわけですが、ピケティ氏によると「EUは出ていく人と入ってくる人の差引で100万人の人口増を受け入れることができる」(one million per year in terms of inflow net of outflow)。最近のヨーロッパは、あまりにも急激な緊縮政策(austerity policies)とそれに伴う特に南欧の加盟国における経済不況の影響で移民の大量受け入れが難しくなっているけれど、

  • 実際、2000~2010年、そのようなこと(移民の増加)が起こっていたのです。それでも失業が減ったという意味ではうまく行っていた。
    This is exactly what we had between 2000 and 2010 and this was working in the sense that unemployment was being reduced.
とピケティ氏は言います。EUの人口は約5億1000万ですが、ピケティによると、1995年以来の世界の人口増加率が1.2%だったのに対して、EUの人口増加率はわずか0.2%だった。つまり人口がほとんど増えていない。例えば2013年の1年間でEUへ340万人の移民が入ってきたけれど、EUを去った人が280万人にいるのだから差引きの人口増は約60万人ということになる。


ピケティ氏によると、最近のヨーロッパとアメリカの経済成長の曲線を見ると2011年~2013年までの間にヨーロッパでは新たな経済不況が生み出されたことは明らかだった。その原因には二つあった。一つは外部からの人の流入(移民)が減ったこと、もう一つは性急に「公共赤字」を減らそうとしたことであり、あまりにも厳しい財政緊縮政策がとられたことであるというわけです。
  • ユーロ圏における予算決定を機械的・自動的にではなく民主的な議論を通して行っていたら、行き過ぎた緊縮策は避けられ、同時に失業の増加も「排外主義」も避けられた。まさにヨーロッパは外部の世界に向かって開かれる必要があったのだ。そのことは特に難民問題に関連して言える。
    If we had taken our budgetary decision in a eurozone parliament in a democratic manner rather than through these automatic rules about budget deficit [we could have avoided] excessive austerity and the rise in unemployment and xenophobia right at the time when there was a true need for Europe to be more open with respect to the rest of the world, in particular regarding the refugee crisis.

▼要するに、政府があまりにも財布のひもを締めすぎたことで景気そのものが悪くなり、本来なら受け入れていたはずの移民まで排斥するようになったということですよね。確かに歴史的に見るならば、現代ヨーロッパの繁栄は、中東・アジア・アフリカなどへの帝国主義的進出と、その結果として出来上がった植民地からの移民という安価な労働力の受け入れという要素で成立してきたのですよね。それをちょっと経済がおかしくなったという理由で移民排斥というのでは、ことが収まるわけがないということなのでは?
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3)パナマからBrexitへ


「パナマ文書」なる問題について、欧米主要国のリーダーとしては唯一、英国のキャメロン首相が往生していますよね。数年前に亡くなった父親がパナマで運営していたオフショア信託会社の株を首相と奥さんが保有していたことが報道されて、最初は「個人の問題」としてメディアからの取材をシャットアウトしていたのに、結局それを認めて自分の態度について謝ったりして余計に顰蹙を買っている。

キャメロン首相は4月7日、民間放送(ITV)のロバート・ペストン記者とのインタビューで株の保有を認めたわけですが、ここをクリックするとペストン記者との一問一答を文字で読むことができます。正直言うと、「租税回避」だの「信託会社」だのというのはむささびとは余りにも無縁の世界なので、「パナマ文書」の問題についてもよく分からない。この際、ITVとのインタビューの中から、いかにも金持ちのお坊ちゃんであるキャメロンらしいと(むささびが)思う部分だけ抜き出してみます。

まずペストン記者が、キャメロンの父親が運営していた信託会社のことが明るみに出たことでキャメロン自身が恥ずかしい思い(embarrassing)をしたことがあるかと尋ねると:
  • 私の父(my father)と彼のビジネスについて悪いことばかり言われたのだから、ここ数日間は大変だった。自分はお父さん(my dad)を愛し、尊敬している。いなくてさびしいとも思っている。
    It has been a difficult few days, reading criticisms of my father and his business practices - my dad a man I love and admire and miss every day.
  • 自分には何も隠すことがない。「お父さん」のことは誇りに思うし、彼が作った会社やそのた諸々についても同じだ。父親の名前が泥だらけになっていくのを見るに忍びない。
    I don't have anything to hide. I am proud of my dad and what he did, the business he established and all the rest of it. I can't bear to see his name being dragged through the mud.
▼どうでもいいことかもしれないけれど、なぜ最初は "my father" と言ったのに、二度目は "my dad" だったんですかね?父親のことを悪く言われるのは辛い、と。それは当然ですよね。

キャメロンのお父さんは、死亡したときに「租税回避地」(tax haven)であるジャージー島に自分の土地を持っていたのですが、ペストン記者が「その土地で利益を得たことはあるか」(Did you benefit from that?)と聞いたことへの答えは:
  • 父は私にいくらかのお金を残した。非常に寛大だったのだ。大金だったのだから。30万ポンドだ。その金の出所については詳しいことは知らない。お父さんはもういないのだからそれを尋ねることもできない。
    He left me some money, very generously, quite a lot of money. It was £300,000. I obviously can't point to every source of every bit of the money, and dad isn't around to ask the questions now.
▼最初は「いくらかのお金」(some money)と言って、次に「大金だった」(quite a lot of money)と・・・。で、30万ポンドというのは(ロイター通信によると)イングランドにおける住宅一軒の平均価格だそうです。

自分が金持ちの家庭に育ったことについては?
  • 私は自分が非常に運が良かったという事実を隠そうとしたことはない。両親は富豪で立派に育ててくれた。さらにとてつもなくいい学校にも通わせてくれた。私はいまだかつて自分以外の人間であろうとしたことはない。要するに私が幸運であるということだ。首相として結構なサラリーをもらっているし、妻も人生の成功者であると言えるしお金も稼いでいる。立派な家を2軒も持っている。というようなことを隠すつもりは全くない。
    But in all of this I've never hidden the fact that I am a very lucky person. I had wealthy parents who gave me a great upbringing. Who paid for me to go to an amazing school. I have never tried to be anything I am not. And I am lucky, in that I earn a good salary as prime minister, my wife is successful and earns money and we own two very nice houses. So I am not pretending anything.
▼確かにリッチな家庭に育ち、現在もリッチな生活を送れていることでキャメロンを責めるのは酷というものですよね。ただそれでも父親から住宅が買えるようなお金を貰い、家を2軒も持っているという話を聞くと「庶民」としてはいい気持ちがしないわけよね。というわけで、デモ隊が首相官邸に押しかけたりすることになる・・・。首相という立場にある人が、そのことを給料という角度から語るというのも珍しい。


というわけで、キャメロンに対する風当たりは極めて厳しいわけですが、気になるのは、この件が6月23日に予定されている英国のEU加盟継続に関する国民投票に何らかの影響を与えるのではないかということです。このあたりのことについては、The Economistのブログ(4月7日付)が "From Panama to Brexit"(パナマから離脱へ)というタイトルのエッセイを掲載している。パナマ文書はEU離脱とは全く無関係なのに、反EU派がリッチなキャメロンは「庶民の気持ちなど分かりっこない金持ちのボンボン」というレッテルを貼ろうとすることは間違いない。そうなると国民投票の当日、本当はEU残留に投票しようと思っていた有権者が投票に行くのを止めにするということも考えられ、Brexitグループの思うつぼということになりかねない・・・というわけで(EU残留派である)The Economistとしては、この際、どちらかというとEU残留派が多い労働党に頑張ってもらうしかないと言っているのですが「(労働党)がそのように動くかどうかは分からない」と警戒しています。労働党の関係者の中には「パナマ文書」で告発されたような政治家に対する風当たりは相当に強いからです。

▼英国メディアの報道を見ると、首相官邸へキャメロン退陣を求めるデモ隊が押しかけたりして、パナマ文書のおかげでキャメロン首相が窮地に追い込まれているかのように思えてしまうけれど、、YouGovという機関の世論調査によると、この件でキャメロンを責めたてる意見はそれほどでもない。保守党支持者の間では「キャメロンは悪くない」の意見が圧倒的です。労働党支持者の間でさえも「悪くない」というのがほぼ3割もいる。この問題に関する限り、英国人は冷めているのかも?

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4)パナマ文書:主要メディア以外にも公開せよ

ある英国人が運営しているブログにCraig Murrayという名前のものがあります。クレイグ・マレーという本人の名前をとっただけなのですが、ほぼ全面的に自分の意見を表明することを目的としている。クレイグ・マレーは1958年生まれで、2004年まで英国の外交官だった。ブログに出ている現在の肩書には"author, broadcaster and human rights activist" とあるところを見ると、本を書きながらメディア上では評論家のような仕事をし、人権保護のための活動もしているということなのでしょう。むささびが知っている英国の外交官にこの人のことを聞いたら「ちょっと変わったヤツだった」(strange fellow)と言っておりました。むささびの見解によると、クレイグは多少ラディカルではあるかもしれないけれど言っていることはそれほどアホなこととも思えない。

そのクレイグが最近取り上げているのが「パナマ文書」(Panama Papers)です。世界の超有名人の親族らがパナマで税金逃れをやっていたことについての極秘文書が「国際調査報道ジャーナリスト連合」(ICIJ:International Consortium of Investigative Journalists)というメディア機関によって暴かれたという、あの問題です。ただクレイグのブログが「告発」しているのは、税金逃れをやっている怪しからん有名人の関係者たちというよりも、この件について報道しているメディアの態度についてです。「税金逃れ」という行為が怪しからんの当然だとしながらも、この文書の内容について一部の大手の報道機関だけが独占的にアクセスを許されているのが怪しからんということです。


ICIJのサイトを見ると、"Reporting Partners"というコーナーがあって、英国ではBBCとGuardian、日本では共同通信と朝日新聞の名前が挙がっているのですが、"Reporting Partners"が具体的に何を意味するのかは書いていない。ただクレイグ・マレーによると、これらはパナマ文書のデータベースにアクセスすることが許されているメディアであるとなっている。ICIJに関係しているメディアによる報道を通じてのみ普通の人びとがこの情報にアクセスできるという仕組みそのものがおかしいと言っている。

  • 然るべき情報をフィルターにかけて、我々(読者や視聴者)が見ることを許される情報を自分たちで決めてしまうような「主要メディア」(established media)を信用できるのか?私の答えはノー、彼らは信用しないということなのだ。私自身、多くの主要メディアのジャーナリストを知っているが、圧倒的多数が自分に給料を払ってくれる会社(雇用主)を喜ばせることと、自分たちが出世することだけに興味があるのだ。真実の報道などに関心を持つ記者は極めて少ないし、それさえも減ってきているのだ。
    Do we trust the established media to filter the information and decide what we are permitted to see? My answer is no, I do not trust them. I know many mainstream journalists and the vast majority of them are interested in pleasing their paymasters and advancing their careers. Very few and vanishingly less are disinterested promoters of truth.
クレイグによると、ICIJというジャーナリスト組織が "Center for Public Integrity" というアメリカの団体の活動の一部であり、この団体を資金面で支えている数多くの団体や個人の中にフォード財団、カーネギー財団、ロックフェラー基金、ケロッグ財団のような有力企業がバックになった財団があるところから「欧米企業の汚れた部分は公開されないままに終わるだろう」(dirty secrets of western corporations will remain unpublished)と言っている。彼によると、ICIJによる攻撃の対象になるのはロシア、シリア、イランであり、単にバランスをとるためにアイスランドのような小さな西側の国の指導層が攻められるだけであるとのことであります。

▼むささびはクレイグ・マレーほど「国際調査報道ジャーナリスト連合」という組織について否定的になるような知識も資料もないのですが、彼らのサイトを見ると不思議に思うような部分があることはある。例えば彼らのいわゆる "Reporting Partners" というのは何なのですかね。日本では朝日新聞と共同通信ということになっているけれど、どのような経緯でこの2社はICIJの「パートナー」となったのか?英国のBBCは入っているのに、なぜ日本のNHKは入っていないのか?

▼彼らのサイトの一部として"Power Players" というコーナーがあって、「パナマ文書」に関連すると思われる世界の重要人物の名前が挙がっているのですが、ずばり本人が名指しされているケースとしてはアルゼンチンの大統領、サウジアラビアの国王ら12人が顔のイラスト入りで紹介されている。また国の指導者の「親戚・関係者」(Relatives/associates)のリストには、プーチンや習近平ら17人のリーダーに関係する人たちがリストアップされている。大体が「息子」「娘」「兄弟」のような親戚なのですが、プーチンの場合だけが「幼友だち」(childhood friends)と「親友」(close friend)と、家族ではなくて友だちの名前が挙がっています。いわゆる欧米先進国としては唯一人、キャメロン首相の父親の名前が挙げられています。

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5)トランプ=金正恩コンビとアジアの核武装
 

4月9日付のThe Economistのサイトの「アジア」のセクションに
  • おしゃべり人間たちと爆弾について
    Of blowhards and bombs
という変わったタイトルのエッセイが掲載されています。「おしゃべり人間たち」(blowhards)はアメリカ共和党の大統領候補を競っているドナルド・トランプ氏と北朝鮮の金正恩・労働党第一書記のことで、「爆弾」(bombs)は核爆弾のことです。イントロは
  • ドナルド・トランプも金正恩も核拡散の可能性が広がることを望んでいるようだ。
    Donald Trump and Kim Jong Un seem to want to make nuclear proliferation more likely
となっている。トランプは「日本や韓国も核武装すべきだ」と発言して話題になっているし、金正恩の方は常に核実験をちらつかせて注目を浴びている。このエッセイのテーマは北東アジアにおける核拡散(nuclear proliferation)なのですが、最近出版されて話題を呼んでいる "Asia’s Latent Nuclear Powers"(アジアの潜在的核保有国)という本に沿って日本・韓国・台湾という「潜在的核保有国」のこれからについて語っています。


韓国の場合

この本は国際戦略研究所(International Institute for Strategic Studies:IISS)のマーク・フィツパトリック(Mark Fitzpatrick)という人が書いたものなのですが、著者によると日韓台の3国のうち新たな核保有国となる可能性が最も高い(most likely)のは韓国なのだそうです。

世論調査などでは国民の3分の2が核武装を支持しており、有力政治家の中にもこれに積極的な発言をする人物もいる。例えばセヌリ党所属の国会議員であると同時に大韓サッカー協会名誉会長、FIFA名誉副会長などもつとめる鄭夢準氏(64才)などは、北朝鮮を核武装についての交渉に引っ張りだるには韓国自身が核武装するっきゃないのであり、核不拡散条約(NPT)からの脱退を検討するべきだとも言っているのだそうです。韓国内の核武装支持派の中には敵対しながらも核保有国であるインドとパキスタンの例を挙げ、両国とも核戦争はしたことがないし、国際的な厄介者扱いされていることもない。「だったら我が国だって」というわけです。

ただフィツパトリックによると、核武装の道を歩むことは韓国自身にとって危険が大きすぎる。アメリカが大反対して韓国との同盟関係の破棄さえ言い出しかねない。さらに核武装に走って国際的な経済制裁などやられると韓国にとっては致命的なことになる。というわけで核武装に伴うプラス・マイナスを考えると余りにもマイナスが大きすぎるというわけです。


核技術の先進国?日本

では日本はどうか?フィツパトリックによると、NPT加盟の191か国の中で185の非核武装国の中でも日本は唯一、完全な核燃料サイクルの技術を保有しており、技術的には最も核武装に近い国であると言える。しかも最近では内閣自身が核武装が憲法違反ではない(would not violate Japan’s constitution)などと言っているということもあって、韓国や中国には日本が非核原則を放棄するのは時間の問題だと考えている向きも多い。
  • しかし日本は非核原則を放棄することはないだろう。韓国と同様、日本も核武装によって失うものがあまりにも大きいのだ。しかも韓国と違って日本の有権者はその種の動きには強力に反対するからだ。
    It won’t. Like South Korea, Japan has too much to lose. And unlike South Korea, its voters would also strongly disapprove.
台湾:核武装は自殺行為

台湾は?中国という大核保有国が最近になって軍備拡張の一途を辿っているというわけで、台湾自身の通常兵器による防衛能力が問われている。しかも日本や韓国と異なり、アメリカが台湾防衛のために駆けつけてくれるという保障はどこにもない。が、かと言って核武装に走るのかというと、それは自殺行為(suicidal)に等しいことは、中国からの独立を掲げる民進党政権も十分に分かっている。

韓国、日本、台湾という「潜在的核保有国」に共通しているのは、過去において一度は核の道を歩もうとしたことがあり、そのうえでそれを断念したという歴史を持っているということ。日本の場合、安倍首相の祖父である岸信介首相は、日本には核爆弾が必要だと信じていた。韓国では、現大統領の父親であった朴正煕大統領の時代に極秘の核開発計画を練っていた。同じことが蒋経国総統時代の台湾についても言える。

アメリカへの信頼感がカギ

The Economistによると、日本・韓国・台湾が一度は核武装の道を考えたについてはその時代におけるアメリカの態度が背景にある。1969年、ニクソン大統領はアジアにおける同盟国の防衛については同盟国自身の責任とするという趣旨の発言をしているし、1976年の大統領選挙で民主党の候補者であったジミー・カーターは韓国からの米軍撤退を約束した。さらに1979年、アメリカが北京政府との外交関係確立に踏み切ったことは台湾のみならず他のアジアの同盟国を不安に陥れた。

それでもこの三国が核武装の道を歩むことがなかったのは、結局、アメリカとの防衛関係を信頼できると考えるようになったからであるわけですが、「日韓は自ら核武装を」と主張するトランプのような候補者がアメリカでかなりの人気を博しているという現実は、これまで中国が主張してきたことを裏付ける役割を果たしている。すなわち中国は地理的にアジアの国(it is in Asia by geography)であるけれど、アメリカは必要に応じてアジアを去ることもある国だということです。そうなるとアジアの同盟国は自ら核武装の道を歩まざるを得なくなる。というわけで
  • 金正恩はこれまでアジアを危険な場所にしてきたけれど、彼の仲間であるプレイボーイ(金持ちの父親を持っている)のトランプ氏も同じようなことをやろうとしているのだ。
    Like Mr Kim, his fellow playboy-with-a-rich-dad, Mr Trump makes Asia more dangerous.
とThe Economistのエッセイは結んでいます。

▼トランプ本人の思想はともかく、彼を支持するアメリカ人のアタマはどうなっているんですかね。アメリカが日本や韓国と同盟関係にあるのは、アメリカが善意でこれらの国を守ってあげましょうというハナシではないことくらいは常識的に分かりそうなものですよね。いまの日本にはトランプに言われるまでもなく、核武装を望んでいる人たちが当たり前のように大きな顔をしている。いろいろと背景はあると思うけれど、むささびによると5年前の大地震・津波・原発事故が日本人の方向感覚をさらに狂わせてしまった。

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6) どうでも英和辞書
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human suffering:「非人間的な苦難」(!?)


"human"は「人間的な」とか「人間としての」とかいう意味ですよね。"suffering" は「苦しみ」「苦痛」「苦難」という意味です。だったら "human suffering" は「人間としての苦しみ」ということになりますよね。日本の外務省によるとそれは違うらしい。4月13日付の朝日新聞のサイトによると、最近広島で開かれたG7外相会議の結果として採択された「広島宣言」(Hiroshima Declaration)の書き出しの部分に次のようなくだりがある。
  • The people of Hiroshima and Nagasaki experienced immense devastation and human suffering as a consequence of the atomic bombings and have rebuilt their cities so impressively.
これを外務省が日本語に直すと次のようになる。
  • 広島及び長崎の人々は,原子爆弾投下による極めて甚大な壊滅と非人間的な苦難という結末を経験し,そして自らの街をこれほどまでに目覚ましく復興させた。
"human suffering" という英語が「非人間的な苦難」という日本語になっている。核兵器廃絶国際キャンペーンの国際運営委員である川崎哲さんによると「非人間的な苦難」という日本語は「深刻な誤訳」だそうであります。例えば「人間の苦しみ」とでもやる方がまともである、と。そのとおりですよね。朝日新聞は外務省幹部の説明として「より広く核の悲惨さを訴える意味で、『非人間的な苦難』と訳した」という言葉を伝えています。

つまりこれは誤訳ではなく、意図的にちょっと凝った訳(いわゆる意訳)であったというわけです。アメリカによる原爆投下そのものが「非人間的な」行為なのだけど、それを言うと公式な宣言文などでは採用されっこないから、原爆投下という行為ではなく、それがもたらした苦難が「非人間的」だったと・・・。また原爆投下という行為の非人間性を言い始めると、その原因を作った真珠湾攻撃は「人間的」と言えるのか?あの当時の日本軍のアジアにおける振る舞いはどうなんだ?という話になる。かと言って、広島や長崎が被った悲惨を「人間としての」では余りにもありきたりだ・・・ってんで「非人間的な苦難」となったということなのかな?でも「非人間的な苦難」という日本語、あなたに分かります?むささびには分かりません。というわけで、むささびのまごつきは英文のmusasabi journalに掲載しておきました。むささびの結論は「苦難を与える」という行為が「非人間的」ということはあるけれど、「苦難を受ける」ことが「非人間的」ということはあり得ないということです。熊本の地震で現地の人びとが味わっている苦難を「非人間的」なんて言いますか?

それはともかく外務省による「深刻な誤訳」を批判する川崎哲さんが自身のブログで書かれている『なぜこの問題が重要か』は一読に値します。彼によると日本のテレビや新聞は、この「非人間的な苦難」をそのまま垂れ流し、新聞の中には一面トップの見出しとして使ったところもあるのだそうですね。でも、まともにテレビも見ず、新聞も読まないむささびのような人間にも川崎哲さんのような意見に触れる機会が用意されている。インターネットというのは有難いじゃありませんか・・・。
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7) むささびの鳴き声
▼日本記者クラブというところは、さまざまな人びと(ゲスト)がジャーナリストを相手に話をする場所として知られています。政治家・経済人・外国要人・文化人etc...呼ばれた人びとは自分の言葉が新聞・放送・インターネットなどのメディアを通して世の中に発信されることを承知かつ期待したうえでクラブの招きに応じるし、ここへ来るジャーナリストたちはクラブのゲストの言葉を自分なりのアタマと言葉を使って世の中に伝えようと思って記者会見に出席するわけです・・・よね?例えば今年3月の「ゲスト」には村井嘉浩・宮城県知事田中俊一・原子力規制委員会委員長黒柳徹子・ユニセフ親善大使フィリッポ・グランディ・国連難民高等弁務官のような人たちが含まれています。

▼その日本記者クラブが月一回発行している会報の2016年4月号の第一面に専務理事という立場にある中井良則さんが「若い現役記者の鋭い質問を願う」という短いエッセイを載せています。それによると、このクラブにおける記者会見に出席する現役の若い記者たちの多くが、ゲストの話に耳を傾け、メモをとることまではするけれど、質問をするケースが案外少ないのだそうで、これには会見をセットする側の責任者である中井さんとしては「がっかりする」とのことであります。

▼なぜ質問が出ないのか?一つの理由として、記者たちがゲストの発言をパソコンに打ち込むことに懸命なあまり発言の中身にまでアタマが回らないということがあるのかもしれない(と中井さんは想像しています)。そういえば、むささびもかつて記者会見を組織することを仕事にしていたのですが、あのころは会見の会場にパソコンを持ち込んで、文字をタイプしながらゲストの話を聴く記者なんて皆無だった。でも今では(例えば)官房長官の会見の様子などをテレビで見るとみんなそれをやっているんですね。あれをやりながら同時にゲストの発言を「理解」するなんて、むささびなどには逆立ちしたってできっこない芸当です。

▼中井さんによると、若い記者が質問をしないもう一つの理由として、ゲストの発言内容を「一刻も早くデスクに送れと指示されている」のかもしれないということがある。「お前のニュース価値判断だの質問だのはどうでもいい、とにかくゲストが何をしゃべったのかだけを本社に伝えろ」と命令されているということです。そのためには本社のデスクに直結しているパソコンを会見の会場で正確に使えるということが必須ということになる。そうなると記者会見の会場にいるのは「記者」というより「タイピスト」ということになりますよね。そして中井さんは、
  • 紙離れはインターネットのせいだと嘆くより、質問しない記者だらけの会見こそはるかに深刻な危機だ。オンレコの場でゲストに本音を語らせる鋭い質問こそ、若い記者に連発してほしい。

    と訴えている。
▼これを読みながら、むささびが思い出したのは、5年ほど前に英国で、オーストラリア人の大学教授と話をしたときのことだった。この人は日本の大学でも教えたことがあるのですが、「日本の学生は全く質問をしないのですよ」と不思議そうに(でも明らかに批判的に)言っていた。学生が授業で質問をしないというのと、記者が会見でそれをやらないというのでは事情が違うのかもしれないけれど、一人の人間が言葉で語りかけたのに対して無言で返すという点では(少なくとも表面的には)同じですよね。

▼かなり乱暴にむささびの独断と偏見を言わせてもらうと、大学生が授業で質問をしないのは、彼らにとっての関心事が授業内容そのものではなく、その教授が出題する期末試験で立派な成績をとるということにあり、さらにはその成績をひっさげて立派な会社に入る(記者の場合でいうと名の知れた新聞社・放送局・雑誌社に職を得る)ということにあるからである、と。つまり中井さんが嘆く記者会見で質問をしない(あるいは決まりきった質問しかしない)記者という存在は、実際には記者になる前、大学生の時代から育成されているのではないかということです。もちろん彼らが大学に入る前には高校・中学そして小学校で「質問しない」生活を10数年間も過ごしてきている。

▼つまり「質問しない記者」という存在はインターネットやパソコン時代に誕生したものではなくて、昔からいたのだということです。彼らにタイピストであることを要求する「デスク」がいるし、その前に学生というものは自分の講義をひたすら受け身で聴く存在であり、質問なんてとんでもないと思っている大学教授がいる。さらに大学教授の前には、自分の特技は一流大学に入るための受験技術の伝授にたけていることだと信じている高校教師がいて・・・と言い始めるときりがない。もちろん質問しない若手記者に「自分のことなど忘れろ」と告げる「デスク」の後ろには、同じようなことを言う「部長」がおり、さらにその背後には「局長」がいて・・・というサイクルになって何が何だか分からなくなる。

▼中井さんの嘆きの根幹は「質問しない記者だらけの会見こそはるかに深刻な危機だ」という部分にある。ネットだろうが紙だろうが音だろうが、「報道」は「報道」ですよね。紙の新聞がなくなってネット新聞になったとしても、読者の立場からすると実はそれほど決定的に異なるわけではない。決定的なのは報道の中身であるわけで、掲載される記事がタイピスト感覚の記者によって作られるのだとしたら、そんなものにお金を払う読者がいなくなったとしても大して不思議ではないですよね。その意味でメディア業界が「深刻な危機」にあるというのは中井さんの言うとおりだと思います。

▼しかしそれは今に始まったことではないというのも事実なのではないのかということ。ただインターネット時代の特徴は、そのようなメディアに飽きてしまった読者や視聴者が、ネットを使って自分たち自身のメディア活動のようなものを始めてしまっているということであり、日本記者クラブに集うジャーナリストが作るメディアとは別の世界を作ってしまっているということなのでは?中井さんのいわゆる「深刻な危機」の本質はそこにあるのでは?そのことを「質問しない記者」だけのせいにするのはアンフェアではあるけれど、そのような状態を改善できるのは記者本人たちしかないというのも事実ですよね。

▼というわけで、熊本の地震が一刻も早くおさまってくれることを願いながら・・・失礼します。
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むささびへの伝言