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日英グリーン同盟
熊本県熊本市

ハンセン病と格闘した「明治の英国女性」を語る・・・
熊本市黒髪5番地というところに「リデル・ライト記念老人ホーム」という施設があり、2002年4月3日にこのホームの敷地内にイングリッシュオークが植えられました。翌日の熊本日日新聞は「(4月3日は)ハンセン病患者救済に尽力した英国人ハンナ・リデル女史が初めて熊本の患者と出会い、福祉活動を開始した記念の日」と伝えています。4月3日の日英グリーン同盟の植樹式には熊本県副知事、熊本市長、英国総領事らが出席したと報じられています。

今から100年以上も前の1891年、英国から一人の女性宣教師が日本にやって来ました。ハンナ・リデルという英国国教会の宣教師で、年齢は35、日本にキリスト教を広めようという使命感に燃えてやって来た。「ものの本」によると彼女がイングランドのサザンプトン港を出たのが1890年11月1日、神戸に到着したのが翌年1月16日となっています。日本に到着後、彼女は宣教師として熊本に派遣されるのですが、そこで遭遇したハンセン病の患者の悲惨な状態に衝撃を受け、彼らを救うことが「神から授かった使命」であるとして、1932年2月3日に77歳で亡くなるまで、ハンセン病患者の救済をライフワークにした。その彼女の「ライフワーク」の記念碑的存在が1895年、熊本市黒髪に設立した回春病院で、現在のリデル・ライト記念老人ホームの元になったところです。

以上は日本経済新聞社刊「ハンナ・リデル」(1995年)から受け売りしたものなのですが、この本を書いたのはジュリア・ボイド。1995年から4年間、駐日英国大使夫人として東京に滞在した人です。ハンナ・リデルほどではないにしても、ジュリアという人もちょっと変わった大使夫人で、私が知っている限り東京にいる間に本を一冊書いてしまった大使夫人なんてこの人しかいません。そのジュリア・ボイドと最近、東京で会う機会があったので、いろいろ聞いてみました。

ハンナ・リデルなる人物はどこかサッチャー首相を思わせますね?

ジュリア::強烈な個性で「やるべきだ」と思ったことをやり遂げてしまう・・・という意味ではマーガレット・サッチャーと非常に似ている。もう一人似ていると思うのが、フローレンス・ナイチンゲールね。彼女もまた強い個性の持ち主だった。ただハンナ・リデルがサッチャーともナイチンゲールとも違っていたのは、生きた時代がビクトリア時代の英国で、しかもどちらかというと下層階級の出身であったということ。ナイチンゲールもビクトリア時代の女性だったけど、上流階級の出で、お金持ちの人々とのコネクションは沢山あった。サッチャーもリデルも労働者階級の出ではあったけれど、リデルの生きた時代の英国はサッチャーの頃と違って極めて強固な階級社会で、圧倒的に男社会だった。下層階級でしかも女が上に昇るというのは大変な時代であったわけです。ハンナは自分が下層階級の出であることを隠していたようなところもあった。

ハンナ・リデルという人は一緒にいて楽しい人物だったと思いますか?

ジュリア:多分思わないでしょうね。ハンナという人はおよそ他人の意見に耳を傾けるということをしなかった人らしい。ハンセン病のことにしても、彼女には科学者としての素養なんて全くなかったのに、そうした人々の意見を聞こうとはしなかった。もう一つ、私が一緒にいて楽しいと思えたかどうか疑問なのは、彼女の強烈な宗教心。私は全然宗教的でない。尤もこれは彼女の個性というよりも彼女の生きたビクトリア時代の英国が非常に宗教色の強い時代であったということでもある。

サッチャーさんも熱心なキリスト教徒だった・・・。

ジュリア:そう。ただ私が一緒にいて楽しいと思ったかどうかはともかくとして、ハンナのやったことの偉大さは認める。自分には絶対出来っこないことを意思の力と個性でやり遂げてしまった。ハンナは英国国教会の協会を事実上クビになってもハンセン病患者の救済活動を続けた。サッチャーにしても、いろいろと問題はあったにせよ、彼女のお陰で英国が立ち直ったというのは事実です。それを認めないわけにはいかない。

ハンナ・リデルについてジュリアが言ったことの中で私が興味を持ってしまったのは、ハンナは、自分が下層階級の出であることを「隠していた」(suppress)ということです。彼女と一緒に日本にやってきた女性の宣教師たちはいずれもお金持ち階級のお嬢様であったようです。ハンナは貧しい暮らしを支えようと、今で言う「塾」、それも上流階級の子息が名門校に入る準備をするための学校のようなものを開いたこともあるらしい。悪く言うと「やり手」。しかしジュリアの言うとおり、その実行力には恐れ入ったとしか言えませんね。

ちなみに現在Yahooで「ハンナ・リデル」と入れると130件以上ものサイトが出てきます。ハンナが生きていたら「たった130件か!」と不機嫌な顔をするのか、「130もあるのですか?」と感激するのか・・・。 いずれにしても自分が作った施設の敷地にイングリッシュオークが植えられようとはハンナ・リデルも思ってもいなかったでしょうね。

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