musasabi journal

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342号 2016/4/3
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美耶子の言い分 美耶子のK9研究 むささびの鳴き声 どうでも英和辞書
桜が満開の季節ですね。前号のむささびが出た2日後にブラッセルでテロ事件が・・・。そしてとてつもない量の情報や意見が英国メディアを飛び交っています。それを無視するのも癪だし、かと言って意味のある「まとめ」をできるような知識も能力もなし・・・とにかく自分の目についたものだけでも紹介してみようと思いました。

目次

1)片足を「イスラム」にとられて・・・
2)イスラム過激思想がテロの原因ではない
3)ISIS戦闘員が語ったこと
4)ベルギー・テロ:コラムニストが「まず思った」こと
5)「団結?冗談じゃないわよ!」
6)ベルギー人編集長の悲痛
7)どうでも英和辞書
8)むささびの鳴き声


1)片足を「イスラム」にとられて・・・

上の写真、青年がイヌと一緒に写っているものですが、青年の右足が義足です。名前はクリス・ハーバート、英国のポーツマスで暮らしているのですが、9年前に英国兵としてイラクのバスラでパトロール任務にあたっていたところ、道端に仕掛けられた爆弾が破裂、片足を吹き飛ばされてしまった。19才だった。

負傷兵として帰国した彼をいらつかせたのが、失われた右足について友人などから寄せられる「同情」の言葉だった。「イラクのイスラム教徒にやられたんだね。ひどい奴らだよな、な?」という類のもので、それがますますひどくなったのが昨年11月にパリで起きたテロ事件のあとだった。そして彼の怒りが頂点に達したのが、昨年12月8日、アメリカ大統領選の共和党の候補者争いをしているドナルド・トランプ氏が「イスラム教徒のアメリカへの入国を禁止すべきだ」という発言を行ったことが報道されたときだった。彼は自分自身の怒りをFacebookにざっと次のようなメッセージを投稿することで表現したのですが、これが大いに話題になってしまった。

確かに俺はイスラム教徒が投げた爆弾に吹き飛ばされて足がなくなったけれど・・・
Yes. A Muslim man blew me up, and I lost my leg.
同じ日に、英国軍の軍服を着たイスラム教の男も自分の腕を失っているし・・・

俺を戦場からヘリコプターで連れ出したのはイスラムの医務兵だったし・・・
俺の命を救う手術をしたのはイスラム教徒の医者だったし・・・
俺が帰国したときに世話になったチームの看護婦はイスラム教徒だったし・・・
家へ帰ってきてから初めて親父と一杯飲みに出かけたときに、俺たちをタダで乗せてくれたタクシーの運ちゃんはイスラム教徒だったんだぜ。
A Muslim taxi driver gave me a free ride the first time I went for a beer with my Dad after I came home.

と並べ立てたあとで、「それにひきかえ」(Contrary to that)というわけで、自分の片足についてひどい言葉を浴びせるのは大体において「白人の英国野郎」(white Brits)だし、中にはクリスがエレベーターを待っていたら、彼の車いすをどかして自分だけ先に乗ったのも「白人野郎」だった・・・と書いてから、白人だって自分のことを助けてくれた人はたくさんいるのだから「白人の英国野郎だからって憎みはしない」(I dont hate white brits either!)と念を押してから

少々の人間が悪いことしたからその人種の男も女も憎みたいというんなら、勝手にしろや。だけどよ、あんたの考えを俺に押し付けるのだけは止めてくれよな。どうせ俺なんかすぐに死んじまうんだから、アンタの考えを押し付けるのにはいい相手だと思ったってことだよな?
If you want to hate an entire race of men and women for the actions of a few d***heads feel free, but don't push your views on me, thinking I am an easy target because one d******** decided it was my day to die.
家族を大事にして、仕事に戻りな。マジメにやれ、マジメに。
Get a grip of your lives, hug your family and get back to work.

と締めくくった。その後、このメッセージを載せたFacebookはなぜか見ることが出来なくなっていますが、これを動画風にアレンジしたITV(民間放送テレビ)のFacebookは2400万人が見たとされています。

▼ITVのサイトでこの記事を読みながら、むささびはしみじみ時代の変化を感じてしまいました。ITVのみならず英国の主要メディアはみんな伝えていたのですが、そもそもの発端はFacebookというメディアの世界で話題になったということですよね。それを新聞やテレビが追いかけたということ。それがさらに話題を呼んで・・・ということだったのだろうと想像するのですが、昔はあり得なかった現象ですよね。彼のFacebookがなぜ見ることができなくなったのか分からないけれど、彼の投稿には "f***" のような「禁止用語」(swearing words)がふんだんに入っていることは事実です。でもまさかそれが理由ではないと思うけれど・・・。

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2)イスラム過激思想がテロの原因ではない

The Nationという雑誌のサイトでISISテロに関連する面白い記事が二つ出ていたので超簡単に紹介します。一つは3月30日付で出ていたもので、最近のブラッセルにおけるテロ事件に絡めて
というもので、ヨーロッパで暮らすイスラム教徒の若者がISISに走る背景を語るものです。もう一つは、昨年(2015年)10月21日付のサイトに掲載されたもので、イラクでISISの戦闘員となった若者の話です。

まずはヨーロッパで暮らすイスラム教の若者がISISのテロ活動に走る背景についての記事ですが、かつてパキスタンの駐英大使を務めたこともあるアクバ・アーメッド(Akbar Ahmed)という大学教授の次の言葉から始まっています。
  • パリ郊外で暮らす移民の第三世代は水道さえない生活をしており、多くが読み書きができず、職もなく、フランス社会の生産的な一員としてまともな生活を送る希望などゼロである・・・ということを、ごく普通のフランス人に言ってみなさい。絶対に信じてもらえないから。
    If you tell a typical Frenchman that third-generation immigrants in the banlieues don’t have running water - if you tell him that many are illiterate and have no hope of finding a job or being a productive member of French society - he simply won’t believe you
そのフランス人が言うことは「彼らはフランス国民でありみんなと同じ機会に恵まれているはずだ・・・」に決まっているというわけです。アーメッド教授は現在、ワシントンDCにある大学で教えているのですが、ヨーロッパのイスラム教徒とアメリカのそれの決定的な違いは、前者が社会から除け者にされているのに対して後者は経済的にも恵まれ、政治活動も盛んであることだそうです。

アーメッド教授によると、ヨーロッパのイスラム教徒の若者がテロに走るのは、結局のところ社会的に受け入れられていないということに原因がある。にもかかわらずヨーロッパの取り締まり当局は、そのような活動がイスラム教の過激思想のせいにしようとして、コーランにその源を見つけようとしたりする。全くの見当違いだということです。

また『グローバル化するイスラム』(Globalized Islam)という著書で知られるオリビエ・ロイ(Olivier Roy)教授によると、現在ヨーロッパが直面しているテロ問題の本質は宗教にも政治にも無関係な「若者の反乱」(youth revolt)である、と。問題は「イスラム教徒の過激化」(radicalization of Islam)ではなくて、「過激思想のイスラム化」(Islamization of radicalism)なのだそうです。つまり社会に閉め出された若者が欲求不満のはけ口として「イスラム」を語っているということです。


とは言え、彼らのテロ活動がISISとの繋がりにおいて行われていることは事実で、その意味では汎ヨーロッパの警備活動や情報収集の協力体制の確立が求められていることは間違いないのですが、そのあたりが各国間の思惑が入り乱れていてなかなかうまくいかない。そして仮にそのような体制が出来たとしても、どの程度稼働するものなのか?フランスの専門家によると、現在のヨーロッパにおいて「自家製テロリスト」(home-grown extremists)と目されている人物は約6500人いるのだそうで、各国間の協力体制が確立したとしても彼らを常時監視することは至難の業である、と。

元駐英パキスタン大使のアクバ・アーメッド教授によると、ISISはいずれは敗走することになる可能性が高いけれど、ISISがいなくなってもヨーロッパには移民たちの「壊れたコミュニティ」(broken communities)は残る。
  • 市民の中に少数とはいえ暴力行為に走ろうとする者がいる、その原因はどこにあるのかということにヨーロッパはエリートたちが真正面から向き合わない限り、テロはこれからも続くことになるだろう。
    Europe will continue to suffer serious terror attacks until its elites face up to what’s causing a small but deadly fraction of its citizens to lash out with violence.
というわけで、ヨーロッパにおけるイスラム社会の教育向上・職場創出・コミュニティへの投資などの長期的な問題に取り組むことがない限り「「事態はますます悪くなるだろう」(the situation is only going to get worse)と言っています。

Global Terrorim Databaseというサイトに、一昨年(2014年)1年間でテロ事件が多く発生した国のリスト(トップ10か国)が出ているのですが、テロ事件の発生件数でも、死者数でもイラクが群を抜いている。おそらくISISの存在が大きな理由なのかと(むささびは)想像するのですが、この中にシリアが入っていないのが不思議です。シリアにおける死者はテロというより「内戦」の犠牲者と考えられているということでしょうか?それにしてもこの年の世界中のテロ犠牲者の総数が約3万3000人なのだから、イラクはその3分の1ということになる。もう一つ、2000年から2014年までの15年間におけるテロの犠牲者は約14万人だそうですが、広島に投下された原爆による犠牲者は「昭和20年(1945年)12月末までに、約14万人」(広島市のサイト)となっている。
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3)ISIS戦闘員が語ったこと


この写真は記事とは直接関係ありません

オックスフォード大学のハリス・マンチェスター・カレッジに世界の地域紛争の解決策を研究するCentre for the Resolution of Intractable Conflict(略してCRIC)という機関があります。その研究員であるリディア・ウィルソン(Lydia Wilson)が昨年10月21日付のThe Nationという雑誌のサイトに
という見出しの報告を載せています。「ISISの戦闘員たちと面談して分かったこと」ということですが、彼女はイラクのキルクーク(Kirkuk)という町の警察署に収監されたISISの「テロリスト」と話をする機会を得たわけですが、その結果分かったのは
  • 彼ら(戦闘員たち)がISISの活動に参加することになった理由は、イスラム過激思想とはほとんど関係がない。
    They’re drawn to the movement for reasons that have little to do with belief in extremist Islam.
ということであったのだそうです。念のために解説させてもらうと、イラクは2003年の英米による「イラク戦争」によってサダム・フセインという独裁者がいなくなったのですが、その後はアメリカによる占領政策の失敗もあって内戦のような状態が続いており、それに乗じる形でISISがイラク国内のある部分を支配下においてしまった。このインタビューが行われたキルクークはイラク北部にあり、ISISの支配地域からかなり近いところにあります。

彼女が面談した戦闘員の一人についてウィルソンの記事をかいつまんで紹介すると、年齢は26才の男性で、生まれ育った家族には母親が二人と17人の兄妹がおり、戦闘員は長男だった。6年間は学校に通っており、読み書きはできる。既婚で子供が二人いる。男の子の名前はRasuul(預言者の意味)、女の子はRusil(預言者の複数形)という。17人兄妹+母親二人+自分自身の妻子という超大家族を支えるべく、父親ととともに労働者(labourer)として働いていたとのことですが、何の仕事なのかは書いていない。ただキルクークという町が石油産業を中心とする工業都市であったことを考えると建設労働者のようなヘビーな仕事だったのかもしれない。


その仕事をしていたときに、幼馴染の友人からISISに入るように誘われたのだそうです。ISISに入ると金がもらえたし家族には金が必要だった・・・。この若い戦闘員の語りの中でウィルソン研究員が強く印象付けられたことが2つある。一つは英米による「イラク戦争」についての考え方です。戦闘員自身はサダム・フセインが全く嫌いだったし、彼が支配するイラクではみんなが飢えていた。が、少なくとも戦争はなかった。そこへ来たのがアメリカだった。彼らがサダムを追放したのは悪くないが、サダムと一緒に社会的な安定まで持ち去ってしまった。アメリカがやってきた途端に内戦が始まったのだというわけです。

ウィルソン研究員がさらに強い印象を持ったのは、この戦闘員がスンニ派のイスラム教徒であり、サダムのあとにアメリカの後押しで誕生したシーア派のマリク(首相)政権下でスンニ派の若者として育ったことの苦しさについて語ったことだった。外出もできず、女友達も作れなかったとのことで、ウィルソンによると、ISISの戦闘員に共通している怒りは「青春時代」(adolescence)というものが持てなかったことなのだそうです。彼らのアメリカとフセイン後のイラク政府に対する怒りは大きい。それらの若者たちに自尊心や「生きる意味」をもたらしたのが、かつてのアルカイダであり、いまではISISであるというわけです。それは自分の部族、家族、そして自分自身の尊厳を守ろうとするプライドのようなものであり、いわゆる「過激化」(radicalisation)とは異なるものである、とウィルソンは言います。

▼記事の2)はヨーロッパにおける移民としてのイスラム教の若者について、記事の3)はイスラム教の本場ともいえる中東におけるスンニ派の若者について語っている。いずれの場合も自分が所属している社会の主流とは異なる世界で生きていることから来る疎外感がISISに走らせているということなのですが、これらの記事を読んでいて、結局のところテロの温床となっているのは(かなりの部分)「貧しさ」なのではないかと(むささびは)思うわけです。物質的な貧しさから多少なりとも解放されることで、社会のつまはじきにされているという疎外感も少しは減るのではないかということなのですが・・・。社会的疎外感がテロを生むという意味では、オウムがいる日本だって全く無縁ではないですよね。

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4)ベルギー・テロ:コラムニストが「まず思った」こと

Guardianには"First thoughts"という名前のコラムがあります。重大な出来事が起こったときに「最初に思ったこと」をコラムニストが書くものです。3月22日付のこのコラムが取り上げたのは、この日に起こったブラッセルにおける連続テロ事件に関するもので、筆者はサイモン・ジェンキンズ(Simon Jenkins)。見出しは
となっており彼のメッセージはイントロの文章に示されていると思います。
  • メディアによる大々的な報道と復讐への呼びかけは単に暴力の連鎖を呼ぶだけだ
    Blanket media coverage and calls for revenge just fuel the cycle of violence
ジェンキンズによると、テロリズムの目的は破壊や殺人にあるのではない。あくまでも恐怖を呼び起こすような事件を起こすことによって政治的な目標を達成することが目的であるということです。ジェンキンズの主張を一人称でまとめると次のようになる。



この世にテロに対して完全に防備できるという社会は存在しない。テロはランダムに起こすものだからコミュニティを完全に守ることなどできはしない。如何なる警察力や監視網を駆使し、陸軍や海軍を動員したとしてもテロから完全に保護することはできない。これはと思われる組織に対するスパイ活動などを通じてある程度は防ぐことはできるかもしれないが、テロリストたちは結局これらもすり抜けるようになっている。

政治テロはローマ時代の昔から行われている。民衆を恐怖に陥れることがテロの武器なのである。だからこれと「テロとの戦い」(fighting terrorism)というのは「銃との戦い」(fighting guns)と言うのと同じくらい意味のないことである。大いに意味があり賢明だと思うのは、テロの温床となるような「怒り」(rage)の感情そのものを社会から除去し、この種の事件を起こす芽を摘んでしまうということ。それを実現するためには二つのことが必要になる。一つはイスラムの世界との間における賢明な外交政策(wiser foreign policy)であるけれど、ここ数十年、欧米による外交政策が賢明であったとはとても思えない。

しかし外交政策などよりさらに難しいのは、テロ事件の報道にあたって忍耐と自制を堅持するということである。どのような暴力沙汰であれ、メディアは「報道」(report)しなければならないが、その報道そのものが「凶暴」(berserk)である必要はない。しかしISについての報道は明らかにそうだった。「テロリストは欧米社会を閉鎖しようとしている」「テロリストはリベラル民主主義が単なるインチキであると決めつけている」「テロリストは欧米で暮らすイスラム教徒さえも迫害しようとしている」・・・といったような激越なる報道を繰り広げる。

そのような報道が蔓延することで最も得をするのは警備・軍事産業である。これらの業界は自分たちの能力(potency)に自信満々で、自分たちが市民を守ることなどできないということは認めようとしない。であるから、このような事件が起こると、彼らはすぐに金と権力を要求する。それだけは与えてはならないのだ。

つまりイスラム過激派によるテロ事件が起こるたびに警備・軍事産業が声を大きくして自分らの出番だという風に騒ぐけれど、彼らの口車に乗ってはならない、と言っている。我々に必要なのは「忍耐と自制」による対応である、と。ジェンキンズのこのエッセイには掲載後24時間でほぼ5000件にのぼる読者からのコメントが寄せられています。むささびの見るところでは、6割以上がサイモン・ジェンキンズの考え方に批判的です。例えば:
  • あのテロ事件へのガーディアンの最初の反応がこのくだらん記事かよ。情けない。
    It's disgusting that the guardian's first response to the attack is this disgusting piece of shit.
  • 何だって?サイモンよ、殺された人の体がまだ温かいってのに、このくだらん記事を書いてるのか。
    Pardon? The bodies are still warm, Simon, while you were writing this little puff piece.
  • 報道の自制を求めるだって?つまりこれほどひどい大量殺人事件について我々が知らされるべきかどうかは、サイモンが決めるってこと?
    'Restraint in publicising'? So Simon decides if we should be told of massive murder rampages like this?
と言った感じです。

▼これまでむささびはGuardianの"First thoughts"という企画にさしたる注意を払わなかったのですが、考えてみると面白いアイデアだと思いませんか?サイモン・ジェンキンズのこの記事がサイトに掲載されたのは、2016年3月22日午前10時11分(GMT:グリニッジ標準時)、空港で爆発が起こったのはGMTで朝の7時ごろとされているから、テロ発生から約3時間後ということになる。どのようなものであれ「事件」を評論するためにはそれなりの情報が必要ですよね。それがすぐに手に入るとは限らないから、どうしても一般論を語らざるを得ないことだってある。でもそれは筆者が常日頃から考えていることの反映でもある。それを文字化して議論の助けにしようとするGuardianの姿勢は見上げたものであります。

▼むささびはもちろん「テロに決定的な決め手はない。せめて反感をあおるようなセンセイショナルな報道を慎もう」というジェンキンズの主張は全くの正論であるし、正論はきっちり評価されるべきだと思います。

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5)「団結?冗談じゃないわよ!」
 

ブラッセルのテロ事件についてGuardianのコラムニスト、サイモン・ジェンキンズが「忍耐と自制」を求めたのと対照的だったのが、Daily Mailのサイト(3月23日付)に寄稿した同紙の女性コラムニスト、ケイティー・ホプキンスで、"To hell with #solidarity"(団結なんて知ったことか!)と叫んでいます。テレビやラジオの世界でも歯に衣着せぬ発言で人気を博している、いわば「タレント評論家」という感じの人で、「団結」(solidarity)という言葉の前に#のマークがついているということは、テロ発生後にTwitterやFacebookのようなソシアル・メディアを埋め尽くした「団結」を呼びかける「善意のメッセージ」に対して怒っているわけです。

Daily Mailへの寄稿記事はかなり長いのですが、要点だけを一人称で紹介します。


いつもの通りじゃないのさ EUを出よう!
テロリストの勝ちなのよ まともなのはトランプだけ!
つまりそういうこと?それだけってこと?(So that's it then, is it?)パリのエッフェル塔、ベルリンのブランデンブルグ門、ローマのトレビの泉などをベルギー国旗の色でライトアップして、オバマ、キャメロン、オランドのような「いつもの奴ら」(usual suspects)がいつものような団結のコメントを発表してさ・・・。

いつもの通りじゃないのさ
全くいつものとおりで、驚きでさえなくなった。テロが日常茶飯事(something of the everyday)になってしまったということ。というより、私たちがテロを当たり前のものにしてしまったのよ(We have normalised horror)。テロのあとの反応も同じよね。誰かがベルギーとの団結を呼びかけるグラフィックデザインを作って、ソシアルメディアに投稿する、それをみんながシェアして、現場にろうそくを立てて、涙を流して・・・いつものとおりじゃないの。

あの夜、ロンドンで花火大会があったの。ラジオ番組をやっていたらリスナーが聞いてきた。「あんたは子供を連れてその花火大会を見に行く気があるか?」ってね。こんなときこそ当たり前に振る舞うべきだ・・・そのストイシズムは称賛に値するわよね。自分だって「闘士」(fighter)のつもりなんだから、そのようなストイシズムには惹かれるわよ。でも、結局その夜の花火大会に子供連れて行くことはしなかったわ。「テロとの戦いに立ち上がる」(standing up to terror)のと「子供の安全を守る」(keeping my children safe)のと、どちらをどちらを選ぶのかと言われれば最初から勝負はついているわよね。

テロリストの勝ちなのよ
「テロリストたちに負けないように、当たり前に振る舞おう」(we must carry on as normal or the terrorists win)なんて言う人がいるけれど、それはナンセンスってものよ。なぜならもうすでにテロリストたちが勝ってしまっているんだから。パリでもブラッセルでも、あるいはロンドン(2005年7月7日)でも、ニューヨーク(2001年9月11日)でも・・・いつもテロリストたちが勝ってきたのだし、これからだって勝ち続けるのよ。


34人もの人が死んで、200人以上が怪我をしているというのに、小便小僧がISISに向かって小便をかけている写真をソシアルメディアに投稿して、皆で「団結」する・・・全く無意味なジェスチャーでしかない。テロの日常化こそがISISの狙いなのよ。ブラッセルのテロが起こった直後にBBCが何をやったか憶えています?現場付近にいた人たちから撮影した写真を送って欲しいと頼んでいたのよ。なぜ?視聴者がテロ犠牲者の苦しみを生で見ることができるからよ。分かる?そうやってテロが日常のものになっていくのよ。

BBCのシーンを見ながら自問自答したわ。「このような国々との連合に属することで、どうやって我々の安全が保てるのか」ってこと。EUの一員であることで何のいいことがあるのか?(How we were better off in the European Union)ってこと。

EUを出よう!
ベルギーはテロの温床みたいなもので、イスラム教徒に土地を提供して過激分子の育成の手伝いをしているようなものなのよ。シリアから「聖戦戦士」(jihadis)が帰国するのを歓迎して、彼らがヨーロッパ内で戦って、ヨーロッパを彼らの植民地にすることを手伝っているようなものなのよ。ブラッセルは人口の26%がイスラム教徒、ベルギー人たちはブラッセルが「ヨーロッパの首都」のようなことを言っているけれど、実はヨーロッパ最大のイスラム都市なのよ。

いいですか?6月23日に私たちは、そんなEUから出ていくことを大きな声で宣言するチャンスを持つのよ。おそらくこれが最後のチャンスだわ。「出ていく、それでお終い」(To get out, once and for all)ってこと。


まともなのはトランプだけ!
テロを日常化したり、英国もテロの対象になることは避けられない(inevitable)などと言っているのではなく、こんなことを二度と起こさないようにする強力な指導者が必要なのよ。このテロが起こったあとで、しっかりした発言をした指導者はたった一人、ドナルド・トランプだけだった。主流派の政治家たちが忌み嫌っている、あのトランプよ。

我々は聖戦戦士たちがヨーロッパに戻ってくることを防がなければならない。イスラム教の聖職者が若者の心に憎しみの宗教を吹き込み、ヨーロッパを植民地にすることを防がなければならない。昔は移民たちはヨーロッパ社会に溶け込もうとした(integrate)ものなのに・・・。

というわけです。ケイティー・ホプキンスのこの記事には読者からのコメントが約2300件寄せられているのですが、ちょっと見たところでは圧倒的に「よくぞ言ってくれた」というものが多い。
  • よく言ってくれた。いまのどうしようもない状況についての最も賢明な発言だ。
    Well said - probably the most sensible article on this horrendous situation
  • ケイティーが首相に立候補するのなら絶対に支持する。彼女こそどの政治家よりも黒白をはっきりさせて語ってくれる。真の愛国者だ。もちろんEU離脱には大賛成だ!
    If Katie ran for PM I would certainly vote for her. She makes more black and white sense of things than any Politician. A true Patriot. Voting OUT by the way!
  • この女をますます好きになるね。このくだらん状態からいい加減に抜け出そう!
    I'm liking this woman more and more each day, OUT! OUT! OUT! of this scam
というぐあいであります。
▼英国がベルギーのようになりたくなければ、EUを離脱するっきゃない・・・というのはメチャクチャな論理です。EUという制度の最も重要な部分の一つとして、域内の移動の自由を認めるシェンゲン条約というのがあるのですが、この筆者に言わせると、そんなものを作っているからEUはイスラム・テロの標的になる。そんな制度を持っているEUとは縁を切った方がいいというわけです。でも、もともと英国はこの条約には入っていない。その意味では今でも十分に「閉鎖的」なのです、英国は。つまりこの筆者はEU離脱キャンペーンのためにこのテロ事件を利用しているだけということになる。

▼と、それはともかくとして、英国メディアの間ではこの事件をEU離脱の問題と絡めて語る議論が思ったより少ないことに奇妙な感じを持ちます。むささびなどは、これをきっかけにヨーロッパ全体でテロ情報の交換とか警備体制の構築を考える必要があり、英国はその先頭に立つべきだという議論が起こるのかと思っていたのでありますよ。

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6)ベルギー人編集長の悲痛

ブラッセルにおけるテロ事件(3月23日)の翌日付のBBCのサイトが「視点」(Viewpoint)と題して "Don't drink bombers' deadly cocktail"(テロリストが作る死のカクテルを飲むな)という見出しのエッセイを載せています。書いたのはギー・ゴリス(Gie Goris)というベルギー人のジャーナリストなのですが、彼はまた "MO*" というベルギーの雑誌の編集長でもあります。

ゴリス氏は書き出しでウズベキスタンの諺(ことわざ)を引用しています。
  • 橋を作るのは一人でも、何千人もの人間がこれを渡る
    One man builds a bridge, a thousand men cross it
彼としては、この諺を「ベルギーの国とブラッセルのイスラム教コミュニティの間の双方向の付き合い」(two-way engagement between Muslim communities in Brussels and the Belgian state)を促進すべきだと言いたくて引用したとのことなのですが・・・。


ゴリス氏によると、今回の事件を起こしたテロリストたちの狙いは、まさにベルギーという国とブラッセルで暮らすイスラム教徒たちの間の「橋」を破壊することにあった。けたたましいパトカーのサイレンを聴きながらゴリス氏は、言うべき言葉を失っていたのですが、その間にもツイッターだのフェイスブックのようなメディアにはテロリストやイスラム教徒を攻撃する書き込みが洪水のように投稿されていた。

ゴリス氏によると、テロリストたちの狙いはベルギーに対して戦争を仕掛けることではない。あくまでも市民の間に恐怖と不信感を蔓延させることにある。例えば
  • 地下鉄になど乗らない方がいいかな?
    Will I take the metro to get to the station?
  • あそこに置いてあるあの大きなスーツケース、あれは何だ?
    What's that large suitcase doing there?
  • あの男、怪しくないか?
    Does that man look suspicious?
のような不信感です。社会の分断を促進するために必要なものは何か?それは市民の間の不信感であり、憎しみです。それを作る原材料になるのが「怒り」(rage)と「恐怖」(fear)と「猜疑心」(suspicion)で、テロリストたちはこれらを混ぜ合わせた「死のカクテル」を作ることに長けている。問題は、我々がそれを飲んでしまうのかどうかということだ(Are the rest of us compelled to drink it?)と筆者は言います。


今やベルギー中に「テロリストたちを打ちのめせ」という強硬論が溢れかえっているけれど、実は誰にも何が何だか分からないというのが現状なのだそうです。つまりこのように非人間的(inhuman)でひどい暴力がなぜ存在するのか、全く理解できないということ。その種の戸惑いは皆に共通している。最悪の場合は、その戸惑いを利用する政治的なご都合主義(opportunism)の蔓延を許すことになる。そこで最初の部分でゴリス氏が引用した「橋」にまつわるウズベキスタンの諺の話になる。
  • 我々に必要なのは「橋」であり「一つになる」ということである。政治的な暴力を拒否する者同士が手をつなぎあわなければならない。みんながみんなを必要としているのだ。
    What we need are bridges and oneness. We should embrace everybody who rejects political violence. We need everyone.
ゴリス氏によると、いまベルギーが必要としているのは、テロリストたちが打ち込んだ楔(くさび)が、怒りの市民によって社会にさらに深く入り込んでしまうことを防止することにある。そのためにベルギー政府にはやらなければならないことが山積しているわけですが、ゴリス氏は、2012年にノルウェーで若者が銃を乱射して大量殺人を行った際に当時のノルウェーのストルトンベルグ首相が国民に呼びかけたメッセージを紹介しています。
  • 我々はいまだに(乱射事件からの)ショックに打ちひしがれている。しかし自分たちが大切にしている価値観を忘れることだけはしてはならない。殺人者に対して我々は、より大きな民主主義、公開性、人間性によって立ち向かわなければならない。我々は憎しみに対して愛で応えるということだ。
    We are still shocked by what has happened, but we will never give up our values. Our response is more democracy, more openness, and more humanity. We will answer hatred with love.

ゴリス氏はベルギー国民の団結(unity)を訴えているのですが、自分たちが理想としている社会はさまざまに異なる意見や思想の持ち主が共存する社会であり、団結して守るものの中には「意見の違い」(disagreement)という現象も入っている。アメリカ政府の紋章には "E PLURIBUS UNUM" というラテン語が刷り込まれており、訳すと「多くが一つになる」(one from many)で、「多様性が生む団結」(unity from diversity)ということにつながるとゴリス氏は読者に呼びかけています。

▼ブラッセルのテロ後に「テロリストの温床」として話題になっていたのが、ブラッセル西南郊外のモレンビークという町ですが、The Economistのブログ記事(3月25日付)がブラッセルの東北郊外にあるビルブドールド(Vilvoorde)という町におけるイスラム教の若者の過激化防止対策のことを紹介しています。それほど特別なことをやっているわけではないのですが、町当局が派遣するソーシャルワーカーが常にこれらの若者とコミュニケーションを図ることで過激化することを防止しようと試みている。まだ始まったばかりなのですが、「イスラム過激主義候補者たちを親切攻めにする」(showering could-be jihadists with kindness)というやり方がうまくいくのかどうかが注目されています。まさにゴリス編集長の言う「憎しみに対して愛で応える」ことを実践しているわけです。
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7) どうでも英和辞書
  A-Zの総合索引はこちら 
escalator:エスカレーター

ロンドンの地下鉄にホルボーン(Holborn)という駅があります。ピカデリー線とセントラル線がここを通過します。ウィキペディアによると、ロンドン地下鉄には270駅あるのですが、ホルボーンは利用客数(年間約3600万人)でいうと17番目に大きな駅であります。来る4月18日、この駅でロンドン交通局によるある実験が行われます。エスカレーターに乗る人の「歩き」を禁止するというものです。

普通、鉄道駅にあるエスカレーターは左右どちらかが「立って行く人」でもう一方は歩いて行く人のために空いていますよね。東京の場合は左が「立ち」、右が「歩き」であり、大阪の場合は反対なのだそうですね。ロンドンの場合は大阪と同じです。ホルボーンにおける実験は、ラッシュアワーのある時間帯だけ両側に立って使ってもらおうというものです。つまり「歩き禁止」ということ。ちょっと考えると、急ぐ人も急がない人も、エスカレーターのステップに立っていなければならないのは、急ぐ人にとっては迷惑だとなりますよね。ところがこれが違うんです!(とロンドン交通局は言っている)。

ホルボーン駅のエスカレーターは長さ23.4mで、ロンドンを走る地下鉄の駅にあるものとしてはエンジェルという駅にある27mのものに次いで2番目に長い。このように長いエスカレーターの場合、客は左側を歩くのはきついので、右側で立ったまま上まで行くケースが多い。そうなると、左側のスペースは空のままエスカレーターが運転されることになる。一方で右側に乗る客は行列を作ってエスカレータに乗るのを待たざるを得ないということになる。その無駄を解消しようというのがこの実験です。昨年11月に一度だけやったことがあるのですが、普段通りに「歩き」と「立ち」の両方OKの場合、1分間の利用者が81人だったのに対して、「両方とも立ち」の場合は113人であったとのことであります。そこでこの際、ラッシュアワーの長いエスカレーターに限って歩行禁止の実験をやってみようというわけです。

左右両方とも立ちというアイデアにはもちろん反対意見もある。保守派の評論家、トビー・ヤングなどは、「乗客から強制的に選択肢を取り上げるのは怪しからん」と言っている。どんなにエスカレーターが長くても歩いたり、走ったりしてのぼりたい人やそうしなければならない事情の客もいる。それを「全員立てとは何事か!」と言っている。そうかもしれないな。ホルボーンのエスカレーターは23.4mですが、東京の千代田線・新御茶ノ水駅のエスカレーターはなんと43mなんだそうですね。むささびは行ったことがないのですが、43mともなると歩いたり、走ったりする人はいないかもしれないね。
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8) むささびの鳴き声
▼3月30日付の朝日新聞のサイトに出ていた『テレビ報道、強まる同調圧力 金平キャスターが語るいま』というインタビュー記事、読みました?むささびは読みました。高市なんとか言う大臣が、「偏向する番組を流すようなテレビ局には電波を使わせない!」という趣旨の発言をしたり、ニュース番組のキャスターが降板したりというので、「テレビ局の報道現場でいま、何が起きているのか」というわけで、TBSの『報道特集』のキャスターである金平茂紀さんにいろいろと語ってもらった・・・というインタビューです。とても刺激に富んだ内容でありました。もしまだお読みでない方はここをクリックすると読めると思いますが、万一ダメな場合はむささびまでお知らせください。

▼むささびが最も語り合うに足ると思ったのは、金平さんが「同調圧力」というものについて語った部分です。「同調圧力」とは(ネットによると)「少数意見を有する者に対して暗黙のうちに多数意見に合わせることを強制すること」なのだそうですね。英語では"peer pressure"と言うらしい。金平さんの発言部分を(ちょっと長いけど)コピペします。
  • 「記者一人ひとりが『内面の自由』を持っているのに、記事を書く前から社論に逆らってはいけないという意識が働いている。それが広く企業ジャーナリズムの中に蔓延(まんえん)している。権力を監視する番犬『ウォッチドッグ』であることがジャーナリズムの最大の役割です。しかし現実には記者のほうから政治家や役人にクンクンすり寄り、おいしい餌、俗に言う特ダネをあさっている。こんな愛玩犬が記者の多数を占めれば、それはジャーナリズムではない。かまない犬、ほえない犬に、なぜだといっても『僕らはほえないようにしつけられてきた。かみつくと損になるでしょ。そう教えられてきた』。そんな反応が現場の記者から返ってくるわけです」
▼具体的かつあからさまに誰かから強制されたわけではないのに、記者たちの間で「社論に逆らってはいけないという意識」が働くのですが、それについて当の記者たちは「そう教えられてきた」と説明するというわけですよね。ここでいう「社論」ですが、その新聞社や放送局が「会社」として持っている「意見」とでも解釈しておきます(例えば「ウチは原発反対・賛成だ」とか)が、もっと幅広く「世間的な常識」という風にも解釈していいのかもしれない。

▼むささびが最も興味を持つのは、「そう教えられてきた」と説明する時の記者の内面です。「かみつくと損になる」から「社論に逆らってはいけない」と教えられてきた(と思っている)のですよね。そのようなことを誰に教えられたと言うのですかね。「誰にって言われても困っちゃう」ということ?むささびの想像によると、誰もそんなこと教えていないのに、本人が勝手に思い込んでいるということなのですが、記者本人から聞いてみたいよね。そのような現象は悲しいかな(むささびも含めた)人間の世界にはつきものだけれど、それを自覚しているかどうかは大切な分かれ目ですよね。

▼金平さんの発言の中でもう一つ、ジャーナリズムの役割は「権力を監視」することにあるという部分。ここでいう「権力」は「政治家や役人」を意味しているようです。コロンビア大学のジェラルド・カーティス教授が、日本のメディアと権力の癒着について語ったことがあり、その際に彼の知っているNHKの政治記者が、自分が密着している政治家のことを「ウチのオヤジ」と呼んでいたことを批判的に語っていました。それを聞いたある記者が「いい記事を書くためには政治家と密着することも必要だ。必ずしも癒着とはいえない」という趣旨の反論をした。それに対してカーティス教授は「密着が悪いとは言わないが、"ウチのオヤジ"呼ばわりするような近づきすぎはよくない」と言っていた。そのやりとりを聞きながら、むささびは「近づきすぎが良くない」と言っているだけなのに、「近づいちゃいけないってんですか?」という極論をすることで自分のやっていることを弁護する記者について本当に卑怯だと思いましたね。

▼金平さんのいわゆる「権力の監視」について、当たり前すぎることを二つだけ。メディアの外で生活されている皆さまはご存じないかもしれないけれど、日本のお役所にはほぼ例外なく「記者クラブ」というものが存在します。警視庁、外務省、財務省・・・どこにでもある。カーティス教授はこの制度のことを「情報カルテル」と呼んで批判しています。このことについては書き始めると長くなるので止めておきますが、カーティス教授の言っていることは全く正しい。

▼むささびがむしろ言っておきたいのは、メディアは「権力監視」どころか自分たちが「権力」になってしまうことが非常にしばしばあるということです。警察に疑われた人間を「容疑者」呼ばわりするなどはその典型ですよね。そしてよってたかって袋叩きにしてその人の人生を破壊しまくる。冤罪だと判明しても、悪いのは「権力」である警察・検察であって自分たちではないというのでダンマリを決め込む。時間の経過でそのような過ちも忘れられる・・・。これなどはメディアによる「同調圧力」という名の権力行使である、と。「疑わしきは罰せず」(innocent until proven guilty)なんて全く通用しないことになっている。

▼例によって長々ダラダラ、自分だけしゃべくりまくって、失礼しました(でもむささびによると、メディアも含めた日本人の最も付き合いにくい部分は「無口・ダンマリ」という態度にあります)。我が家の近くの桜がほぼ満開です。明るいですね、桜の花は!
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むささびへの伝言