musasabi journal

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483号 2021/8/29
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BREXIT 美耶子の言い分 美耶子のK9研究 むささびの鳴き声 どうでも英和辞書

8月よ、お前もか…という感じで終わりですねぇ!今月は特に早かった。プロ野球も高校野球も妙な予定変更ばかりで、落ち着かないこと夥しいですね。上の写真は九州・佐賀県の夕暮れです。この美しさにはかないませんね、何物も。

目次

1)スライドショー:(再び)雲をめでる
2)アフガン攻撃の無意味
3)ブレアの「国際共同体」論?
4)むささびの「国際社会」論
5)どうでも英和辞書
6)むささびの鳴き声


1)MJスライドショー:(再び)雲をめでる

むささびのスライドショーを始めたのは2016年6月26日に発行した348号でした。それ以来これまでに64回もお付き合いを頂いております。第一回は「雲」がテーマでしたが、65回目の今回も「雲」でいきたいと…。オーストラリア人が始めたサイトにCloud Appreciation Societyというのがあります。「雲をめでる会」ですね。考えてみると雲ほど国境を越えた好き者が集まって自分が撮った作品を自慢し合うのに適した被写体も珍しいのではありません?今回はその「めでる会」のサイトからお借りした作品を中心に紹介します。会のサイトを見ると、会員が撮影したいろいろな作品が販売されているようです。ひょっとすると居間の壁に飾ったりするのにいいかもしれませんね。

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2)アフガン攻撃の無意味

8月16日付のGuardianが同紙のコラムニストであるサイモン・ジェンキンズのエッセイを載せています。テーマは首都カブールが陥落したアフガニスタン。2001年のアメリカにおける9.11同時多発テロから一か月後に英米軍によるアフガニスタン攻撃が始まり、ちょうと20年後の今年8月に米軍が撤退、タリバン政権が復活するというドラマチックな展開を見せているわけですが、ジェンキンズに言わせると
というわけです。


ジェンキンズによると、そもそも20年前のアメリカにはアフガニスタンを攻撃する必要も理由もなかった。リビアやイランと違ってアフガニスタンはいわゆる「テロ国家」ではなかったし、アメリカと戦争状態にさえなかった。それどころか1996年のロシアによるアフガニスタン侵略に当たってアメリカはアフガニスタンに軍事援助さえ与えた。タリバンは9.11テロ事件の首謀者である、あのオサマ・ビン・ラディンを匿いはしたけれど、それもタリバンのリーダーであるムラ・オマールがビン・ラディンの友人であったという理由にすぎない。9.11直後、アフガニスタン南部のカンダハールという町で部族会議が開かれた際に、若いリーダーたちはビン・ラディンが「降参」することを主張さえしていた。隣国・パキスタンも同じだった。実は当のアメリカだって、ラムズフェルド国防長官はブッシュ大統領に対して「(アフガニスタンを)叩いたら直ぐに出て行こう」(punish and get out)と進言していた。「長居は無用」ということです。


なのに、アタマに血がのぼっていたジョージ・ブッシュと英国首相のトニー・ブレアも聴く耳を持たなかった。ブレアは理由の説明もなしに「国際社会の原則」(doctrine of international community)なるものを振りかざし、英国軍を先頭にしたカブール爆撃に乗り出した。そして「撤退」どころか、彼らはNATO軍を指揮しながらアフガニスタンの国家再建に手を付け始めた。トニー・ブレアの英国政権は、国際開発担当大臣をアフガニスタンに派遣して、ケシの生産を奨励したおかげで、ケシの生産県が6県から一挙に28県にまで広がった。ケシの増産は当然のようにアヘンの増産に繋がり、それがタリバンの復権にも繋がったとされている。

ジェンキンズ自身は今から15年前の2006年にカブールを訪問したのですが、その頃に英国の軍関係者から出てくるのは「大言壮語(bombast)」ばかりだった。3400人からなる英国軍がヘルマンド州(Helmand)に立てこもるタリバンを抑圧する作戦を行っていたけれど、防衛大臣のジョン・リード(当時)は「ここにいるのはタリバンの残党にすぎず、英国軍は一発の砲撃も必要なかった」と豪語したのだそうです。「楽勝ですよ」ということですね。しかし実際には7年後の2013年、英軍は惨敗の末撤退、後始末を米軍が引き受けることになった。で、結局その米軍も地元のパシュトゥーン人の抵抗に屈辱的な敗退を喫することになる。


ジェンキンズによると、あの時点で英米軍の撤退は「時間の問題」(matter of time)とされていた。なのにあれ以後も何兆ドルにものぼるアメリカ人のおカネが無駄にされ、英国は英国で、370億ポンド(4兆8000億円)にものぼる税金を無駄にしてきたのだ…と言っている。

そしてジェンキンズはGuardianへの寄稿を次のように締めくくっています。少し長いけれど、そのまま紹介します。
  • 大英帝国の時代は終わったのだ…こんなことを何度英国人たちの耳に叫ばなければならないのだろう。あの英国は死んだのであり、終わりを告げたのであり、時代遅れとなったのであり、二度と繰り返されることはないということなのだ。なのにボリス・ジョンソンときたら、今でも相も変わらず航空母艦を南シナ海に派遣したりしている。「世界を住みやすい場所にするために」というスローガンを掲げて他国を支配する必要も権利も英国にはないのである。そんなことのために兵隊が死ぬこともないのだ。アフガニスタンではこれまでに454人の英国兵と民間人が命を落としている。これから英国ができる最善の策はアフガニスタンにおける新しい政府と良い関係を築き上げるということに尽きる。その過程においてはアフガニスタンの隣国であるパキスタンとイランとも協力しなければならないだろう。現在の世界には英国を脅かそうとする国はない。テロリズムは国家の支援(スポンサーシップ)は必要としないし、国家によって征服されるものでもない。
 
▼世論調査機関のIPSOSが8月16~17日、英国人を対象にアンケート調査を行ったところ、アフガニスタンからの撤退については賛成と反対がほぼ同数だった。わずかとはいえ撤退に否定的な意見が肯定的な意見を上回ったということが、むささびには意外な気がしました。撤退に関する年齢別の意見をみると、18~34才が「肯定:40% vs 否定:35%」で、55~75才は「肯定:38% vs 否定:43%」というわけで、年齢別の差は余りないということが分かります。若年層の年齢からして、9.11テロが起こったときには生まれてもいなかったか、ごく幼い子供だった人たちが圧倒的に多いはずなのですよね。

▼では、20年前の英国による(アメリカと協力しての)アフガニスタンへの軍事介入は、アフガニスタンへの安全と安定をもたらすことができたのか?という問いに対しては、「大いに効果的:7%+やや効果的:27%=34%」だったのに対して「あまり効果的ではなかった:26%+全く効果なし:26%=56%」と否定的な意見が大幅に上回っています。これには年齢別の調査が行われていない。

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3)ブレアの国際「共同体」論?


2001年の9.11同時多発テロから約1か月後の10月7日、米軍を中心とする同盟軍がアフガニスタンの攻撃を開始したのが、現在のアフガニスタン紛争の始まりでしたよね。アフガニスタンのタリバン政権が9.11テロの首謀者とされたオサマ・ビン・ラディンを匿っており、アメリカ(ジョージ・ブッシュ政権)の要求にも拘わらずその引き渡しを拒否したことが理由とされた。「同盟軍」の中心は米軍ではあったけれど、それに次ぐ規模で応援したのがトニー・ブレア政権(労働党)の英国だった。

あれから20年、最近のアフガニスタンおけるタリバン政権の誕生と混乱のきっかけとなったとされるのが、アメリカのバイデン政権による米軍の撤退だったわけですが、最近、2001年当時に軍隊を派遣した英国のトニー・ブレア元首相が自分のサイトで、
  • Why We Must Not Abandon the People of Afghanistan – For Their Sakes and Ours 我々はアフガニスタンの人びとを見捨ててはいけない。それは彼らのためであり、我々のためでもあるのだ
という見出しのエッセイを掲載してバイデン政権のやり方を批判、それが英国メディアの間で大きな話題になっています。エッセイが2700語とかなりの長さで、これを「要約」するのはむささびの能力の域を超えています。ポイントと思われる部分だけを抜き出して紹介します。



「戦略的意思」とは?

アフガニスタンおよびその国民を見捨てることは、悲劇的であり、危険であり、不必要であり、彼らの利益にならないし、我々の利益にも繋がらない。アフガニスタンという国を、20年前に9.11テロの大惨劇を引き起こしたテロリストたちと同じ人間たちに引き渡すということになるのだ。しかも我々にとってはこの上なく屈辱的な姿を世界に見せつけながら、だ。こうなると我々の味方も敵も同じ疑問を持たざるを得ない。即ち「西側は戦略的な意思というものを失ってしまったのか?: Has the West lost its strategic will?」という疑問である。
  • この文章の最後の部分に言う「戦略的な意思」(strategic will)というのが、いまいちピンとこないけれど、おそらく「物事を自分たちの価値観に基づいて望ましい方向に進めようという意思・方策」とでも解釈するべきなのではないか?と思っています。
 

今や世界の人びとにとって「西側」(いわゆる欧米民主主義国のこと)の立ち位置が分からなくなっている。何故ならこのような形でアフガニスタンから撤退するという決定の根拠が広い視野に立った「戦略」というよりも単なる政治的な思惑によって為されたに過ぎないことが余りにも明らかだからである。

人間性と責任感

これまで我々を助けてくれたアフガニスタンの人びと、我々と共に戦ってくれた人びとに対して、我々は安全な場所を用意する責任があるはずだ。自分たちだけの都合で思いついた「締め切り」の繰り返しなどがあってはならない。我々は彼ら全員が安全に退避(evacuate)するまで「締め切り」などは口にするべきではない。それが道義上の義務(moral obligation)というものだ。そしてそのような義務の遂行は「不承不承」ではなく、深い人間性と責任感(a deep sense of humanity and responsibility) を基にして実施されなければならない。
  • バイデン政権が余りにも自分たちだけの都合で物事を進めすぎる、と怒っているわけですが、20年前にブレアが支持・支援したのは共和党のジョージ・ブッシュ政権だった。ただそれと今回の撤退とは全く別の話なのではありません?ブッシュもバイデンも「アメリカの都合」だけで動いていることにおいて大差はないのではないか?ということです。

格下げされて…

英国はヨーロッパを飛び出し、アフガニスタン再建計画についても最も大切な同盟国(アメリカ)から相談さえ受けないような立場になってしまっている。それについては我々の側に大いに反省しなければならないことがあるが、英国は今やグローバルパワーの中の「第二班」に格下げされつつあるのである。立場はどうあれ、我々は物事を決める時は然るべき意図をもってするべきだろう。
  • ブレアは英国のEU離脱には大反対だったわけですが、ボリス・ジョンソン首相などは、EUから離れることで英国は自分のアタマで「グローバル・ブリテン」の姿勢をとることができると考えている。バイデン政権が「撤退」を決定するについて英国は一切の相談を受けることもなかったというのが本当だとすると、如何に英国が国際舞台において影響力を失っているかが分かる…とブレアは言っている。
 

我々はアフガニスタンが「破綻したテロ国家」(failed terror state)から「機能する民主主義国家」(functioning democracy)へと変貌していくことに深く関わってきたはずだ。それは見当違いの野望(misplaced ambition)であったかもしれないが、決して卑下すべきものではない。我々は誤りを犯したことがあるかもしれないが、残念ながら過ちを正すためにさらに過ちを重ねるようなこともしてきた。そして今、民主主義を実現しようとすること自体が「骨折り損」(fool's errand)と見なされるようになっている。

「価値観」の堅持を

9.11テロから20年経った今、西側の人間は謙虚な気持ちで過去の教訓を学ぶ必要があり、その謙虚さは、自分たちと異なる意見や思想に対しても示されなければならない。しかし私たちは、自分たちが守ってきた価値観が誇りをもって守る価値のあるものであるということも再確認する必要がある。そのために必要なのは、我々の政治がそのような価値観によって導かれるということであり、価値観や利害が政治的な思惑によって導かれるようなことがあってはならないということだ。

▼ブレアのエッセイを読んでいると、政治家というより宗教者が書いたのではないかと思ってしまいます。「謙虚な気持ち」「道義上の義務」「人間性と責任感」などなど。この人のアタマの中では人間についての「である」と「であるべき」という感覚が入り乱れてしまっており、「であるべき」論が余りにも優勢を占めすぎている。

▼ブレアは首相になってから2年後の1999年にアメリカを訪問した際に、シカゴで「国際社会の原則(Doctrine of International Community)」というタイトルの演説を行っており、2001年にジョージ・ブッシュ政権を支持してアフガニスタン爆撃に英軍を参加させた際の思想的な根拠としたことがあった。様々な利害や文化的な相違が入り乱れる「国際社会」においては「内政不干渉」が建前ですよね。それに対してブレアが主張したのは、国際社会とは言え、物事の決定基準は「価値観」であるべしということだった。

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4)むささびの「国際社会」論(再掲載)


トニー・ブレアの国際共同体論議を読んで、むささび自身がほぼ20年も前に書いた『国際社会の定義が気になる』という文章も紹介したくなりました。2004年3月に書いたものです。よろしければお付き合いを。



国際社会の定義が気になる

"No such thing as..." 「社会」の定義
内政不干渉は通じない 理念の政治家?

つい言葉にこだわってしまうけれど「国際社会」というのが気になる。「国際社会が一致団結して・・・」とか「そのような暴挙は国際社会が許さない」とか言ったりする。この言葉は英語の "international community" の日本語訳で、先日小泉首相(当時)が国連で演説した時にもこの言葉を使っていた。普通 "community" という英語は「共同体」と訳すはずなのに何故か「国際共同体」といわない。EUがまだEC(European Community)であった頃に、日本ではこれを「欧州共同体」と言っていたのに、である。

むささびの記憶によると、「社会」という日本語は "society" という英語に対する和訳だった。「国際社会」という日本語を "international society" と英訳したら入学・入社試験ではバツを貰うのだろうか?逆に"international community" を「国際共同体」とやったら落とされてしまうのだろうか?

"No such thing as..."

その昔、英国にマーガレット・サッチャーという首相がいた。彼女は在任中にいろいろと話題になる言葉を残している。その一つに「There is no such thing as society(この世に社会なんてない)」というのがあった。老人介護の問題をめぐって女性雑誌とのインタビューの中で言った言葉で、国民のことを考えない独裁者の言いそうなことだ、というわけで新聞にさんざ叩かれた。


彼女は自伝の中で「マスコミはいつも私の発言を歪曲して伝える」と文句を言っており、この発言についても「この言葉のあとに『この世にあるのは家庭であり、個々の人々である』と言ったのに、この部分は無視された」と怒っている。 老人介護について彼女は "Community Care" という政策を進めていた。お年寄りの面倒を見るのは政府ではなくコミュニティの責任だというわけで、この場合のコミュニティとは家族とかお隣さんのような具体的な人々のことを指していた。

彼女は「社会(society)」という言葉を「インテリの作りだした抽象的な概念」として嫌っていた。極めて熱心なキリスト教徒の父親のもとで育った彼女にとってコミュニティは、教会を中心にした隣近所のようなものであったのかもしれない。いずれにしても「この世に社会なんてない」というのは「自分たちのことは自分たちで面倒を見なさい。社会(政府)などに頼ってはいけない」という意味であったらしい。

内政不干渉は通じない

現在の英国首相であるトニー・ブレアという人は、サッチャーさん以上に「コミュニティ」という言葉を口にする。彼の場合は「お隣さん」どころか世界全体を「コミュニティ」と考えている。1999年にシカゴで演説したときに「国際共同体主義(doctrine of international community)」なるものを持ち出した。それによると「ある国の内部で大量虐殺などのような人権蹂躙が行われている場合、そこへ軍隊を送り込んででもこれを止めさせるのが国際共同体の責任だ。何故なら人権蹂躙の結果として(例えば)難民が流出して近隣諸国にも影響を与えるからだ」という。 現在の世界では国と国との相互依存の度合いがきわめて深いので、昔ながらの「内政不干渉」を決め込むことができなくなっているというのである。

この理屈によると、英国や米国がイラクを攻撃したのも「サダムのような残忍な独裁者を倒してイラク国民を解放し、国際社会への脅威も取り除いた"正しい戦争」(just war)"」ということになる。もちろん小泉首相もイラクに自衛隊を派遣することで、「正しい戦争」のために破壊されたあの国の復興を支援しようというのだから「国際社会の一員」としての役割を果たしているというわけである。

「社会」の定義

私自身の定義によると「社会」(society)はさまざまな考え方や価値観を持った沢山の人が集った押し合いへしあい状態のことをいい、「共同体」(community)は同じような価値観とか理想などを共有する人々や国が集った状態のことを言う。ブレア首相のいわゆる "international community" の中に北朝鮮は入っているのだろうか?パレスチナは?スーダンは?ミャンマーは?キューバは?いずれも現状のままでは入れてもらえないだろう。おそらく第二次世界大戦前の日本もダメだろう。イラクに兵隊を派遣しなかったフランスは?ドイツは?中国は?ロシアは?途中で引き揚げてしまったスペインは?人質解放と引き換えに軍隊を本国に呼び戻してしまったフィリピンは?


このように見ていくとこの世界には "international society" はあるにしても、"international community" は「あったらいいのに」というものではあっても、実際には存在しないということになる。今の世の中であえて「それらしきもの」を挙げるとすればニューヨークの国連しかない。その組織の事務総長という人が「米英軍のイラク攻撃は国連憲章違反だ」と言い切ったりしているのである。

米軍がバグダッドに攻め込んでフセイン大統領の像を引きずり倒した時、米軍兵士が星条旗を掲げようとしたシーンを鮮明に覚えている。あのアメリカ兵やブッシュ大統領にとって、イラク戦争は9・11テロに対する「復讐」であって「国際社会」などというもののための戦いではなかったはずだ。

理念の政治家?

しかしブレア首相にとってイラク戦争は、「国際共同体主義」という思想に従って、サダム・フセインという独裁者から「国際社会」を守るための正義の戦いであったわけだ。彼の場合、ブッシュ大統領のように自国の大都市がアルカイダのテロに見舞われたわけではないから(アメリカのように)熱狂的な復讐心に燃えた国民が背後にいたわけではない。あるのはブレアなりの「国際共同体主義」という理想である。


このような政治家を「理念がある」と言って称賛し、返す刀で「日本の政治家には理念がない」と嘆いたりする人がいる。しかし「国際共同体」という存在もしないものを守ると称して、他国に爆弾を落とすことを「理念」と呼ぶのなら、そんなもの要らないし、international communityなどという言葉を安易に使ってもらいたくもない。

というわけで、私が試験官なら「国際社会」をinternational societyと英訳した人には○を、international communityという答には?(×ではない)を与えるだろう。international communityの日本語訳は「国際共同体」の方がふさわしい。「不自然」なのがいい。
(2004年3月21日)

英国軍は世界でどのような役割を果たすべきか
▼世論調査機関のIPSOSが2021年8月に英国人を対象に行ったアンケート調査の質問の一つに「英国軍は世界でどのような役割を果たすべきか?」(What role should the British military play in the world?)というのがあって、上のグラフのような結果となった。

▼グラフの中の「回答1」にご注目を。「外国でその国の人びとが抑圧されていると考えられる場合、軍隊を派遣してでもそれをやめさせるべし」と考える人間が(英国には)10人に3人以上(34%)は存在するということです。この数字を高すぎると見るべきなのか?まともだと見るべきなのか?もさることながら、むささびにとっての関心は「日本人ならどのような回答になるのか?」ということだった。むささびの想像によると、この数字はもっと低くなるのでは?

▼つまり他国の問題に軍事介入することへの拒否反応が、日本人の方が高いのではないかということです。世界を「コミュニティ」と考えるならば、回答1のような答えも比較的容易に出てくるかもしれないし、日本人より英国人の方がその傾向は強いのではないかということです。世界を「コミュニティ」と考えるということは「人間、どこの国でも基本的には同じ感覚で生きている」という考え方です。「世界は一家、人類は皆兄弟」ですな。世界をいろいろに異なる人間の集合体(つまり「社会」)と考えると他国の人びとの幸福のために自国軍を派遣などという発想は出てこないのではないか?と思ったりするわけです。日本人はこちらの傾向が強いのでは?ということ。
 
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5)どうでも英和辞書
A-Zの総合索引はこちら


FOMO: 置いてきぼり恐怖症

雑誌「GQ」のサイトによるとFOMO(Fear Of Missing Outの略)は「取り残される不安・恐怖のこと」のことで、元々は2011年にNew York Timesが、この現象を取り上げ「FOMO」と名付けたことで広まった、とのことであります。
  • みんなが集まるパーティやイベント、話題のお店など、大きな行事に自分が参加しないことに対して恐怖心を抱いたことはないだろうか。みんなが行くのに自分だけ行かない、そこで何か大きな出来事があったらどうしよう、話題に乗り遅れたらどうしよう…。そう考えると不安で、いてもたってもいられなくなる。
これが昂じて「現実社会のイベントだけでなく、情報からも取り残されたくないという恐怖を感じるようになり、SNSをこまめにチェックしないと不安に襲われるという」という心理現象です。あなたにはあります?

ケンブリッジの辞書によると "miss out" は
  • to fail to use an opportunity to enjoy or get an advantage from something
と説明されている。要するに「不覚にもチャンスを逸する」ということのようです。

GQによると、FOMOと対になっている流行語として "MOMO ─ the Mystery of Missing Out" というのがあるらしい。これは、他人がSNSに投稿しないことに対して不安を抱く症状のこと(!) 友人が数日SNSへの投稿をやめたことについて、「投稿できないようなすごい楽しいことが起きているのか?」「何か秘密があるのか?」「他のサービスやアプリに移行してしまったのか?」「知らないのは自分だけか?」という妄想に陥り、挙句の果てに「ひょっとすると自分は嫌われてしまったのだろうか?」とまで思い込んだりする。あなたはFOMO?それともMOMO?あるいは両方?要するに現代は他人を気にするヒマ人が多いってことなのでは?

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6)むささびの鳴き声

スリランカ女性
▼このむささびを8月29日(つまり今日です)午前中にお読みの皆さまへ急ぎのお願いがあります。ここをクリックしてTBSテレビが8月21日に放送した『報道特集:スリランカ女性 見逃された異常数値』という番組の再放送ご覧いただきたいのです。ただ本日午後2時を過ぎると見ることができなくなるそうです。

▼名古屋の出入国在留管理局に収容されていた33才になるスリランカ人の女性が体調不良を訴えて亡くなったことはよく知られていますよね。生前の彼女が医療機関での診察を求めたにも拘わらず現場の職員が無視するなどして、適切な治療を行わなかったことが問題になっているわけですが、この『報道特集』はこの事件の問題点をまとめて報道している。見ていて非常に納得のいく内容だった。もちろん出入国在留管理局のやったことに納得がいくというわけではありません。反対です。これを見て日本の出入国在留管理というシステムに怒りと情けなさを感じない人がいたらぜひ教えてください。

オードリー・ヘップバーン
▼むささびは8月19日が「世界人道デー」(World Humanitarian Day)という国連の記念日であることを今の今まで知りませんでした。日本語の説明は次のように書かれている。
  • 「世界人道デー」は、2003年の8月19日にイラク・バグダットの国連事務所本部が爆破され、22名の人道支援関係者が犠牲になった事件をきっかけとして、世界中で人道支援に関わる人々に思いを寄せるため2009年に国連総会で制定されました。
▼この記念日に関連したサイトを読んでいたら、映画女優のオードリー・ヘップバーン(1929年~1993年)がユニセフのような国連機関の活動に熱心に関わっていたことがわかりました。その彼女がエチオピアと思われる場所で撮影した写真には次のような文章がプリントされていました。
  • As you grow older, you will discover that you have two hands, one for helping yourself, the other for helping others. 大きくなると分かるけれど、人間には手が2本ついているのよ。一本は自分を助けるため、もう一本は他の人を助けるため。


メンタリスト
▼ヘップバーンとは無関係ですが、2021年の日本には「メンタリストのDaiGo氏」(上の写真)という人がおり、最近自身のYouTubeの動画で次のような発言をして「話題」になっているのだそうですね。
  • 僕は生活保護の人たちにお金を払うために税金を納めているんじゃないからね。生活保護の人が生きていても僕は別に得しないけど、猫が生きてれば僕は得なんで。猫が道端で伸びてたら可愛いなぁと思うけど、ホームレスのおっさんが伸びてると『なんでこいつ我が物顔でダンボールひいて寝てるんだろな』と思うもんね。
▼「メンタリスト」というのが何をする人なのか、むささびには分からないけれど、あるサイトをコピペすると「唯心論者・読心術者・メンタル・マジックを行う人」と出ていました。ますます分からない!

▼だったらほっとけばいいのですが、むささびがいつも言動を注目している奥田知志さんという牧師(北九州市・東八幡教会)が自分自身のサイトでこの「メンタリスト」とのかかわりについて『DaiGo氏の差別発言に関する見解と経緯、そして対応について』というタイトルのエッセイを書いているので、お知らせしておこうと。

▼奥田牧師は自身が、過去約30年、路上生活者や困窮状況に置かれた人々を助ける活動(NPO法人抱樸)に取り組んできており、そのような立場からしても、この「メンタリスト」の発言は許せないというわけで、お書きになったわけです。奥田さんのエッセイは、はっきり言ってかなりの長さです。むささびも全部を読んではいません。「メンタリスト」の言っていることはどうでもいいとして、奥田牧師の言葉は読む価値があると想像しています。

▼インターネットの発達で実に様々なメディアが生まれ、それに伴って言論・表現の自由が信じられないほど広く行き渡っています。インターネットがないと、むささびジャーナルなんて、存在さえしていないのですよね。それにしてもネット以前の時代を生きたオードリー・ヘップバーンが残した言葉とネット時代の申し子のような「メンタリスト」が残した言葉の差には愕然としてしまった。お元気で!

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