musasabi journal

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392号 2018/3/4
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美耶子の言い分 美耶子のK9研究 むささびの鳴き声 どうでも英和辞書
埼玉県飯能市近辺では梅の花が咲き始めました。これからどうなるか分かりませんが、埼玉県に関する限りことしの冬、雪は大したことなかった。けれど寒かったです。一方、英国は雪でタイヘンなようです。上の写真はおなじみ、ロンドン・バッキンガム宮殿の衛兵が雪の中でじっと立っている場面です。ご、ご苦労さまです!

目次

1)MJスライドショー:アメリカが若かったころ
2)「仲間」(one of us)と呼ばれるために
3)アメリカ人と銃
4)「明治維新」って何だったの?
5)どうでも英和辞書
6)むささびの鳴き声


1)MJスライドショー:アメリカが若かったころ

100年以上も前のアメリカにルイス・ハイン(1874~1940年)という社会学者がいた。むささびは全く知らなかったのですが、この人は学者としてよりも写真家として知られているのだそうです。最近のBBCのサイトにこの人が写した写真の中から24点がオークションにかけられたというニュースが出ていた。BBCの記事によるとハインは「20世紀最大のドキュメンタリーカメラマンの一人」であるとなっている。

1904年にアメリカに到着する移民たちの写真を撮り始めたのがきっかけで、アメリカ社会の底辺で生きる人びとのカメラ取材を続けた。彼が活躍した20世紀初めには今のように「フォトジャーナリズム」という概念そのものが存在していなかったのですが、フォトジャーナリストとしての彼を支えたのは、「写真で社会を変えることができる」という社会改革家としての発想だった。

このスライドショーで紹介する写真は今回、オークションにかけられたものなのですが、かなりの数の写真が当時のアメリカで一般的だった「児童労働」をテーマにしています。20世紀初頭はアメリカ資本主義が急速に成長し、それまで世界を支配してきた英国やヨーロッパ諸国に迫りつつあった時代です。そのアメリカの工業生産を支えたのが、ヨーロッパからの移民であり、労働力としての子供たちだった。

▼これらの写真を見ていると、最近のむささびの口癖になってしまった「当事者意識を持ったジャーナリズム」の圧倒的な力強さを感じてしまいます。このスライドショーのタイトルを「若かったころのアメリカ」としたのは、その頃のアメリカが(むささびの想像にすぎませんが)誰もが「生きることに必死」だったのではないかということです。戦争直後の日本がそうだったのでは?作家のジョン・スタインベックが生まれたのが1902年だから、ちょうどこのスライドショーに出てくる子供たちと同じような時期に育っている。『怒りの葡萄』や『二十日鼠と人間』などの作品は、正にその頃のアメリカを舞台にしている。ルイス・ハインにとって、写真を撮るということは社会運動の一環という意識だった。それを「プロパガンダ」と呼ぶことも出来るのかもしれないけれど、彼の作品を見ていると、写っている人びとの暖かさのようなものが伝わってくるのが不思議です。ここをクリックすると彼の作品を見ることができます。


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2)「仲間」(one of us)となるために

昔から日本は同質社会(homogeneous society)であると言われますよね。平たく言うと「皆が同じ考えや価値観を持っている社会」というわけで、よく言えば「安定している」けれど見方によっては「他人と異なる考えや差異を認めようとしない社会」であるとも言えますよね。アメリカのような社会はいろいろな人びとが混在しているので多元社会(heterogeneous society)と呼ばれたりする。

最近では日本でも生活者としての「外国人」が増えているというけれどアメリカや英国の比ではない。OECDの統計によると(5年前の数字ですが)、全人口に占める「外国生まれ」の比率は、アメリカが全人口の13.1%、英国(イングランド)が12.3%、フィンランドが6.6%なのに対して、日本は(2011年の数字で)1.1%だった。

全人口に占める外国生まれの割合:%
 

でも上には上(下には下?)があるものです。Pew Researchの調べでは、2017年の中国における外国生まれの人口はざっと100万(推定)だそうです。あの国の人口は13億と言われているから、外国人(外国生まれという意味)の割合は0.07%ということになる。つまり1万人に7人ということです。

で、あなたは他人を見て、自分と同じ国の人間だ(one of us)と思えるために最も重要な要素は何だと思いますか?

自分がどこの国の人間かを証明するための最も重要な要素は何か?アメリカのPew Resarchの国際的アンケートによると、英国人の場合は「母国語(英語)が使えること」を挙げる人が81%だそうです。アメリカ人が、英国人ほどには移民の英語力にはこだわらないというのは興味深い。日本人の場合は70%がそのように考えている。

その国の言葉が使えること
 

出生地を挙げる人もいるけれど、英国人の場合は「英国生まれ」であることを挙げる人は32%なのに対して、日本人の場合、「日本生まれ」にこだわる人が50%いる。出生地にこだわるのは(この調査に見る限り)日本人、ギリシャ人、ハンガリー人、反対に生まれた場所にいちばんこだわらないのはスウェーデン人(8%)だそうです。

その国で生まれたこと
 

それぞれの国に存在する昔話・伝統行事を大事にするという点では、さぞや日本人が高い数字なのかと思ったらトップ10にも入っていないのですね。ハンガリー人やギリシャ人は結構こだわる。調査対象国の中でいちばんこだわらなかったのはスウェーデン(26%)とドイツ(29%)だった。

歴史や伝統を共有できる

▼成人式に着ていく振袖がないというので大騒ぎになった「あの事件」とかコンビニにおける「恵方巻きブーム」などからして、「伝統行事」に寄せる日本人の想いはもっと強いのかと思ったのですが、結局あれは一種のコマーシャル・ブームだったのですね。バレンタインだのハロウィンまで「ブーム」になってしまうのだから、要するに皆で騒げればいいってことか。ま、いいんでない!?

▼Pew Researchの調査とは別のハナシですが、2月16日付のGuardianによると、昨年(2017年)日本で難民申請が受け入れられた人は20人いるのだそうですね。これは多いのか少ないのか?難民申請を行った人の数が19,628人だから、成功率は0.1%ということになる。一昨年の場合は申請件数が11,000で資格を得た人は28人だったから成功率は0.25%。要するに1000人が申請しても受け入れられるのは一人か二人ということです。

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3)アメリカ人と銃

2月14日に米・フロリダ州の高校で17人が死亡するという銃の乱射事件がありましたよね。世論調査機関のPew Researchが昨年(2017年6月)に"America’s Complex Relationship With Guns"(アメリカ人と銃の複雑な関係)という調査結果を発表しています。そのうちのいくつかを紹介すると次のようになる。

銃規制は強化すべきか?
 

 自宅に銃があるか?
 
 
銃との個人的関わりは?
 

ほぼ半数が、「子供のころから自宅に銃があった」と言っているのは、今更ながらショックですよね。支持政党別の数字を見ると、共和党支持者の8割近くが「現状のまま」もしくは「もっと規制緩和を」と言っている。ただこれはどの程度マジメな意見なのか・・・むささびは疑ってしまう。民主党に対する反発がNRA(米ライフル協会)支持に走らせていることはないのでしょうか?

銃規制反対を「民主党嫌い」という受け身ではなく、「国民が銃を持つのはいいことだ」と積極的な姿勢で語る意見はないものかと探していたら次の文章にお目にかかりました。
  • A good guy with a gun stops a bad guy with a gun.
    銃を持った善人が銃を持った悪人を止める。
銃の所有を「いいこと」とマジメに考えているアメリカ人のマジメな発想なのであろうと推察するのですが、Gun Violence Archive (GVA)というNPOのサイトによると、今年(2018年)の1月1日から2月24日までの約2か月間で、アメリカ全土で7958件もの射撃事件があり、2173人が死んでいる。2017年の1年間では約6万1000件(死者:約1万6000人)です。

このような数字を見せられると、沈黙してしまうけれど、反対にそのような状況に追い込まれているアメリカ人の苦悩に対する同情心も出てくる。「教師に銃を持たせてはどうか」というトランプの信じられないような発言も、本人は大マジメなのですよね。
 人口100人あたりの銃の数

で、最後に紹介したいのは、560KPQというワシントン州にあるラジオ局のサイトに出ていた、ある人物からの投稿です。この男性は、今から21年前の1996年、ワシントン州の中学校で起こった銃乱射事件の際に身を賭して犯人を取り押さえることに成功した教師の言葉です。ここをクリックすると全文を読むことができますが、一か所だけ抜き出して紹介します。
  • 私の見るところによると、このような暴力的な行為に走る人間の多くが実は苦しんでおり、いろいろな点で今の世の中の病んでいる部分の犠牲者なのである。だからと言って彼らの行動を許すわけにはいかないけれど、彼らもまた私たちの社会に内在する暴力を受け入れる姿勢の犠牲者であると言えるのだ。
    It is my observation that many of those who commit these violent acts are suffering and in many ways are also victims of traumatic circumstances in their lives. That doesn’t excuse their actions but they also become victims to the acceptance of violence in our society.
と書いたうえで、今のアメリカ社会における家庭崩壊、信仰心や弱者への思いやりの欠如などの問題を解決しない限り銃暴力も止まないと訴えている。そして教師や政治家に任せてはならないとして「ホームレスや病人・老人に親切にしよう。若者たちに手を差し伸べよう」などと訴えている。


今回の銃乱射事件のあと、事件の現場となった高校で銃規制の強化を要求する抗議集会が開かれ、規制に消極的な政治家に対して「恥を知れ!」(Shame on you!)と叫んだ様子が全米にテレビ中継されました。ここをクリックするとその様子を見ることができるのですが、これはかなりのインパクトを与えたと見えて、それまで全米ライフル協会(NRA)を支援してきた企業がこれを取り下げることを明らかにした。例えばデルタ航空の場合、それまでNRAの会員に提供してきた航空券のディスカウントを止めにした。ユナイテッド航空やレンタカーのヘルツやエイビスも似たような声明を発表している。それに対するNRAの声明がすごい。「NRAの会員(約500万人)はそのような脅しにひるむようなことはしない」としたうえで
  • NRAの使命は個人の自由のために立ち上がりこれを擁護することにある。それこそがアメリカを世界で最も偉大な国にしてきたのだ。
    our mission is to stand and defend the individual freedoms that have always made America the greatest nation in the world.
と言っています。

▼フロリダの乱射事件以後、アメリカにおける銃の暴力を止めるには、家庭崩壊や信仰心の欠如などの社会問題を解決することが先決という意見が出ているけれど、あるSNSに出ていたカナダ人から投稿は、「カナダにだって家庭崩壊はあるし、無神論者が増えているし、麻薬中毒者だっている、なのに銃乱射という問題はない。それは厳重な銃規制法があるからだ」と言っている。社会問題の解決が先という考え方は、どう見ても問題のすり替えですよね。

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4)「明治維新」って何だったの?




今年は明治維新(1868年)から150年という年なのですね。2月20日付の毎日新聞(夕刊)のサイトに安倍政府が「祝賀ムードを全国に広めようとしている」という記事が出ていました。その約1か月ほど前の1月11日付のThe Economistの「アジア」のセクションに明治維新のことが紹介されていました。
  • 近代日本の創設の瞬間がいまだに国を二分する理由
    Why modern Japan’s founding moment still divides a nation
という見出しがあって、イントロには
  • 明治維新が進めたのは「近代化」だけではない、軍国主義もある。
    The Meiji restoration initiated not just modernisation, but also militarism
と書かれています。

「尊王攘夷」クーデター?

The Economistの記事は、江戸末期の日本の指導層(武士階級)が、アメリカを始めとする欧米からの開国要求に応えるべく「尊王攘夷」の思想を掲げて断行した「クーデター」(coup)を称して明治維新(Meiji Restoration)と呼んでいるとしています。「尊王」は英語で "Revere the emperor"(天皇に敬意を払う)、「攘夷」は "expel the barbarians"(野蛮人どもを追放する)です。でもこのクーデターをやり遂げた後の日本は、「野蛮人どもを追放する」どころか、彼ら(欧米文化)を大いに取り入れた(embraced them)のだ、と。


岩倉具視をリーダーとする使節団が欧米諸国に出かけていろいろな制度を研究する一方で、日本に残った指導者たち(西郷隆盛、大隈重信、板垣退助ら)がさまざまな制度改革を行った。その過程において西洋の文化・文明が日本に浸透していったわけですが、The Economistによると、それらの改革のペースは21世紀の現在における中国の「改革」さえも上回る急激なものであり、その意味において
  • 明治維新は実際には革命であった。
    The Meiji restoration was actually a revolution.
というわけです。

貴賓席に坐れた!

で、あれから150年、現代の日本の首相であるシンゾー・アベは明治維新を断行した長州(山口県)の出身であり、彼自身も当時の長州人に心酔している。安倍首相がThe Economistのコラムニストに語ったところによると、当時の日本にとっての選択肢は、欧米諸国が主宰する宴会において、食される肉になるのか、賓客としてこれを食する立場になるのか・・・の二つに一つだったのだそうです。そして
  • 近代化を成し遂げることで日本は(欧米からの)独立を維持したアジアで唯一つの大国となった。即ち欧米諸国と同じメインテーブルに坐る国となったのである。
    By modernising, Japan became the only big country in Asia to safeguard its independence. It joined the Western high table.
日本が欧米諸国と共に着席することになった "high table" は、英国の大学などで時として著名人を呼んで晩餐会のようなイベントが開かれる際に学生たちより一段上のステージのようなところに設けられたテーブルのことです。主催者、主賓のような偉いさんが坐る場所ということ。


とりあえず観光誘致にはなるかも・・・

首相官邸のウェブサイトを見ると、明治維新150周年に関連したプロジェクトやイベントが全国的に企画されている。それを眼にすると、明治維新が草の根レベルの出来事であったかのように思われるかもしれないけれど、The Economistによると、それは鹿児島だの山口の話で、日本における「マイノリティ」の人びとにとっては明治維新はむしろ無理やり日本の一部にさせられた歴史の象徴でもある。北海道のアイヌ民族、沖縄の琉球民族にしてみればそれほど記念すべき事柄でもない。

女性はしらけている?

さらに女性は徹底的に差別されてきた。米モンタナ大学の山口智美教授(文化人類学)によると、明治維新以後の日本で、女性は選挙権はない、自ら離婚する権利も認められていなかったし、不動産を所有する権利さえなかった。現代の日本においても女性は、シンゾーとその仲間たちが持っている明治維新に対する「憧憬」(ノスタルジア)のような感覚はほぼ皆無であり、150周年を機に明治時代の日本にあった「家族を大切にする心」(family values)を復活させようとする動きにも、女性たちは無関心であるとのことであります。


長崎県端島:通称「軍艦島」

さらにもう一つの問題として、明治維新が日本の「近代化」を促進した事業であると同時に、20世紀における「侵略国家・日本」の種を撒いたのもまた明治維新であったということがある。ビスマルクのドイツ憲法を模倣したとされる明治憲法が天皇崇拝主義を基盤にした日本の軍国主義化を促進したことは否めない、とThe Economistは指摘している。

「近代国家・日本」とは?

長崎県の端島(通称・軍艦島)は、日本政府からの強い働きかけで2015年に世界文化遺産に登録されたけれど、明治から昭和にかけて海底炭鉱によって栄えた頃には、多くの中国人や朝鮮人が徴用工として働かされていたという歴史がある。世界文化遺産への登録にあたって日本政府は、軍艦島の「過去」も説明書に入れることを約束していたけれど、The Economistによると、現在使われているパンフレットやガイドブックの類にはその事実が全く出ていないし、安倍首相自身がそれらの強制労働が存在したこと自体を否定するかのような言動を行っている。


安倍首相は第二次大戦中に日本が犯した過ちついても率直に認めようとしないし、彼らは歴史問題をいまさら紐解くことを嫌がる。日本がいつ、どのような背景で軍国主義に陥ってしまったのか?それを裏付けるような出来事も文献もない。
  • 明治維新が成し遂げたもの自体に疑問を持ち始めると、日本には何も誇るべきものがないということにもなりかねない・・・というわけで近代国家としての日本とは何なのか?ということへの問いかけはいまも続いている。
    If aspects of what the Meiji restoration wrought come into question, what is there left to be proud about? The quest to find a modern identity for Japan continues.
とThe Economistの記事は結んでいます。

▼この記事は最初に明治維新は「クーデター」だったと言いながら、後ろの部分では「革命」だったとも言っている。日本を治めた権力機構が、それまで250年以上も続いた江戸の武士政権から天皇親政体制へと移された、そのことだけを取り上げるならば明治維新は権力者が入れ替わった「クーデター」ということになるけれど、そのあと欧米の制度を取り入れるために行われたラディカルな改革のペースに注目するならば「革命的」であったとは言える・・・とこの記事は言いたいのですよね。

▼ウィキペディアを見ると「明治維新」の英訳として "Meiji Restoration" と "Meiji Revolution" の二つが併記されている。前者だと「復活・復古」という意味であり、後者だと「変革・革命」ということになる。はっきりしているのは、江戸時代の階級社会の下層を占めていた「工商」階級(欧米でいうブルジョア階級や労働者階級)が主役ではなかったのだから、フランス革命とかロシア革命とは性格が違うということですよね。明治維新から約80年後、日本は「敗戦」という大変革を経験する。明治維新で確立された権力機構が欧米によって粉砕されてしまったわけですが、ここでも主人公は「日本人」(Japanese people)ではなかった。はっきりしていることは、太平洋戦争の敗者が明治維新後の日本を世界の「貴賓席」に引き上げたリーダーたちであったということなのでは?

▼明治維新からわずか24年後に日清戦争(1824~25年)、その10年後に日露戦争1904~05年)、さらにその10年後に第一次世界大戦(1914~18年)を戦って、いずれも勝った側に立っている。当時の日本について小説家・歴史家のHGウェルズは「最も進んだヨーロッパの大国のレベルにまで西洋化していた」と言っている(むささびジャーナル229号)。正に貴賓席に座った日本です。彼の眼には「西洋化=偉大な国」としか映っていなかったのよね。明治維新から34年後の1902年に日英同盟が締結される。小池百合子・東京都知事は、正にこのころの日本が大好きなのだそうであります(むささびジャーナル354号)。

▼明治維新以来、勝ってばかりいた日本です。太平洋戦争(1941~45年)で真珠湾攻撃をした際には日本中が勝ちを確信していたでしょうね。維新から73年後のことです。シンゾーはことしの年頭所感の中で明治維新について「植民地支配の波がアジアに押し寄せる、その大きな危機感と共に、スタートしました」と言っている。つまり世界の貴賓席に座りたくて仕方なかったということです。

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5) どうでも英和辞書
A-Zの総合索引はこちら 

higgledy-piggledy:ごちゃごちゃな

ケンブリッジの辞書には "higgledy-piggledy" の意味として "mixed up and in no particular order"(無秩序のごちゃまぜ状態)と書いてあって、例文として
  • My clothes are all higgledy-piggledy in my drawers.
と書いてある。「自分の衣服はタンスの中でごちゃごちゃになっている」ということで、このような言葉のことを "rhyming jingle" と呼ぶのだそうです。韻を踏みながらある状態のことを表現するやり方ですね。日本語で「ごちゃごちゃ」と言われると、あえて説明されなくても情景が浮かびますが "higgledy-piggledy" からはいまいち浮かばない。むささびがこの言葉を聞いたのは、写真好きのある英国人が、日本の新幹線の窓から自分で撮った日本の家並みの写真を見せ "It's higgledy-piggledy!" と言っていたときだった。確かにヨーロッパの街並みなどに比べると、日本のそれはゴチャゴチャという風景が多い。でも、そのhiggledy-piggledyが懐かしいのでありますよ。

いずれにしても、あちらの辞書には"higgledy-piggledy" の語源は16世紀に遡り、養豚場でブタが群れている情景を表現したもの(と思われる)と書いてある。英語にはこれと似たような韻を踏むスラングのような言葉がたくさんありますよね。
  • His living room is a hodgepodge of modern furniture and antiques. (彼のリビングルームはモダンな家具と骨董品をごたまぜにしたという感じだ)

  • She has these itsy-bitsy little hands and feet. (彼女は手も足も本当にちっちゃいんだ)

  • Let's get down to the nitty-gritty - how much will it cost?(核心のハナシをしよう。で、値段はいくらなのさ)

  • So his thinking is a usual liberal wishy-washy stuff which tries to be nice to both sides.(つまり彼の考え方は煮え切らないリベラル的発想で、両方にいい顔をしようとしている)
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6) むささびの鳴き声
▼明治維新について。あるラジオ番組を聴いていたら慶応大学の片山杜秀教授が「尊王攘夷」という言葉について解説していました。まず「尊王」ですが、もちろん「天皇を敬う」という意味はあるのですが、江戸末期にその言葉が使われたときには「天皇が世界で一番素晴らしい存在であることを、日本人のみならず世界中に認めさせようという発想」だったのだとのことです。

▼で、「攘夷」というのは?世界一素晴らしい天皇がいる日本こそが世界の中心であり、欧米諸国などは日本よりもランクが低い存在なのだから、日本は外国へ出かけて行ってランクの差について教えてあげなければならない・・・という発想である、と。ペリーの来襲に当てはめると、あちらへ出かけて行って日本に来襲なんぞするべきではないと教えてあげること・・・それが「攘夷」ということなのだそうです。要するに外敵を追い払うというような受け身の発想ではなかったし、ペリーが来る以前にすでにそのような考え方は存在していたとのことであります。

▼ことしが明治維新150周年であると聞いて、むささびが自分について情けないと思わざるを得ないのは、明治維新が1868年であることは60年も前の受験勉強で暗記したから知ってはいても、それが日本や世界にとって何を意味する出来事だったのか、現在の日本や日本人にとってどのような影響を与えているものなのか、殆ど全く考えたことがなかったということです。

▼作家の半藤一利さんは「明治維新150周年、何がめでたい」というインタビューの中で、「明治維新」という言葉が使われるようになったのは、明治14年頃からであると言っています。この年に長州(山口)政府が、肥前(佐賀)の大隈重信らを追い出し政権を奪取するという「政変」があったのですが、明治「維新」という言葉を使い始めたのは長州政府である、と。薩長勢力が徳川政府を瓦解させ権力を握ったことが歴史的にも正当性があることを主張するために使った“うまい言葉”が「維新」であったということです。夏目漱石や永井荷風のような「江戸の人たち」は「維新」ではなく「瓦解」(江戸社会が崩れたという意味)という言葉を使っていたのだそうです。なるほど・・・で、「明治維新1868年」の暗記の方法、知ってます?「イヤアロッパ(1868)くん、明治だよ」と憶えるのです。シンゾー、あんた知ってる?

▼何とかこのまま暖かくなってくれないかなぁと念願しながら、お元気で!

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むささびへの伝言