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364号 2017/2/5
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美耶子の言い分 美耶子のK9研究 むささびの鳴き声 どうでも英和辞書
「恵方巻き」というのを初めて食べました。と言っても、むささびの両親は関西の人間であったので、子供のころから「お寿司」といえばあの太巻きのことであったのでありますが・・・つまり2月3日に「恵方巻き」として売られているものを食べたのは初めてだったという意味です。ネット情報によると、2016年2月3日のセブンイレブンにおける恵方巻きの販売本数は「660万本以上」だったのだそうであります。ということは・・・コンビニ、スーパー、デパ地下、ネット販売などを合計すると・・・7000万本以上にはなる?まさか1億本ってことは?普段、超の字がつくような小食人間のミセス・むささびもあれを丸かじりしたのでありますが、結果のコメントはというと「来年はじぇったい買わない!」でありました。

目次
1)MJスライドショー:動物園へ行こう!
2)メイさん、迷走!?
3)トランプとヨーロッパ
4)「我々は正気なのか?」を問う
5)「まともな社会」と「理性」
6)どうでも英和辞書
7)むささびの鳴き声


1)MJスライドショー:動物園へ行こう!


しばらくお休みだったスライドショーの復活です。ネット上に掲載されている動物の写真を数点集めました。題して「動物園へ行こう!」(Let's go to the zoo!)。2分弱です。Youtubeで見る時は画面を大きくした方がいいですよ(念のため)。
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2)メイさん、迷走!?

このむささびが出るころ、何がどうなっているのか分かりませんが、この記事を準備している2月1日現在、メイ首相を取り巻く状況がシッチャカメッチャカという感じになっている。ある程度は日本のメディアでも伝えられているようですが、一応何がシッチャカメッチャカなのかをお知らせしておきます。


メイさんがアメリカを訪問したのは1月26・27日の2日間、28日にはトルコでエルドアン大統領らと会談したのちロンドンへ帰ってきたわけですね。トランプとの会談では英米の「特別な関係」というのを再確認し合ったり、アメリカがこれからもNATOにコミットしていく約束を取り付けたりして、メイさんにしてみれば悪い会談ではなかった。さらにトルコ首脳との会談でも英国製の戦闘機導入の約束を取り付けた。つまりメイさんにしてみれば、それなりに成果のある旅行であったのでありますよ。


それがおかしくなってしまったのは、一にも二にも、あのトランプ野郎が、中東やアフリカの一部の国からの入国を一時停止するという、くだらない大統領令を、メイさんがワシントンからトルコのアンカラへ向かっている最中に発表してからのことであるわけさ。トルコでの会談後に記者会見に臨んだメイさんを待っていたのが、その「大統領令」についてどう思うかという英国人記者からの質問だった。それに対するメイさんの答えは
  • 米国には米国の難民政策があり、英国には英国のそれがある。
    The United States is responsible for the United States’ policy on refugees, the United Kingdom is responsible for the United Kingdom’s policy on refugees.
というものだった。つまりトランプの大統領令を批判するようなことはせず、「アメリカにはアメリカのやり方があるんじゃないですか?」という答えだった。メイさんにしてみれば、「それ以外に何を言えってのさ?!」というところですよね。

ところがメイさんのこのコメントが英国に伝わるや、「トランプの大統領令をはっきり批判すべきだった」とする不満の声が保守党内部からも上がる。イラク生まれの保守党議員からも「米英特別関係などどうでもいい。いくらトランプでも超えてはいけない一線というものがある」という声が上がるなどして、メイ首相がトランプをきっちり批判しなかったことへの批判が相次いだ。そして数時間後、ロンドンの首相官邸の報道官が新たな声明を発表した。それによると
  • Immigration policy in the United States is a matter for the government of the United States.
    米国の移民政策はアメリカ政府の問題だ。
というわけで、アンカラにおけるメイ発言と何も変わらない。が、このあとに "But..." ときて次のような言葉が続いたわけです。
  • But we do not agree with this kind of approach and it is not one we will be taking.
    しかしながらこのようなアプローチには我々は賛成しないし、我々ならそのような方法はとらないであろう。

国内の不満を抑えるために慌てて付け加えたというのが見え見えという感じですよね。これに対して(例えば)スコットランド第一大臣(首相に相当)のニコラ・スタージョンなどはツイッターで「最初からそう言えばいいではないか。何時間も経ってから、圧力に屈して発言するなんて情けない」と述べたりしている。さらに外務大臣のボリス・ジョンソンまでもが、トランプのやり方は「分断を促進する誤ったやり方だ」(divisive and wrong)とコメントしたりしている。英国の場合、二重国籍が許されており、そのような人はたくさん存在する。例えばオリンピック・アスリートのサー・モー・ファラーはソマリア出身の英国人で現在はアメリカで暮らしているけれどトランプの移民制限政策の対象になる可能性は大いにあるとBBCなどは伝えている。

ちなみにトランプの盟友ともいえる英国独立党(UKIP)のファラージュ党首は、今回の移民制限策について次のようにコメントしています。
  • トランプ氏は、自分の力が及ぶ範囲においてアメリカをISISのテロリストから守るために何でもすると言って選ばれているのだ。この程度の政策を行う資格は十分にある。そのために選ばれているのだ。
    He was elected to say he would do everything within his power to protect America from infiltration by Isis terrorists... He's entitled to do this. He was voted on this ticket.

実はメイさんにとってトランプをめぐる頭痛のタネはもう一つある。BBCなどの報道によると、彼女は今回の訪米中、トランプを国賓として英国に招待することを伝えてしまい、これが今年中に行われることで準備が進められている。メイさんにしてみれば、まさかトランプの移民制限政策が英国内でこれほどの騒ぎになるなんて思わないもんね。そして誰がやり始めたのか、「トランプの国賓訪問に反対する」オンライン署名が始まってしまった。この署名が10万集まると、その案件が国会で審議されることを「考慮」することになっているのですが、1月末現在ですでに100万を突破している。署名の締め切りの5月29日までには何件集まるか見当もつかない。もちろんこの場合、国会における審議を「考慮する」というだけで、実際に審議するかどうかは分からない。

トランプの国賓訪問に反対するオンライン署名サイト。国会が主宰しているだけにまんざらバカにはできない。この写真が撮られた時点で100万人を超えている。

まさかこの署名が理由でトランプの英国訪問そのものが中止ということはない(と思う)けれど、(むささびの感覚では)もう一つ気になる動きがあった。それは1月31日付のThe Timesに、かつて外務省のお役人のトップを務めたLord Rickettsという人が手紙を書き、「トランプの国賓招待は時期尚早(premature)だから普通の訪問に切り替えるべきだ」と主張したことです。この人は6年前に引退しているのですが、むささびが注目するのは、この人物の手紙がThe Timesという保守派を代表する新聞に掲載されたということです。政財界の保守派への影響が計り知れないと思うわけです。

「トランプ国賓訪問は女王を傷つける」という見出しで、メイ首相のドジを伝えるThe Times。

ちなみにこの人の手紙によると、アメリカ大統領が「国賓」として英国を訪問する場合、就任してから1年以内というのは前例がないのだそうですね。最近の主なる米大統領の訪英例を挙げると次のようになる。

ロナルド・レーガン 就任17か月後 普通
ジョージ(パパ)ブッシュ 就任4か月後 普通
ビル・クリントン 就任17か月後 普通
ジョージ・W・ブッシュ 就任6か月後 普通
就任32か月後 国賓
バラク・オバマ 就任2か月後 普通
就任28か月後 国賓

つまりアメリカの大統領が国賓になるケース自体が珍しいということですよね。それにしても、どうしてトランプの訪英がこんなことになってしまったのか?1月31日付のThe Timesによると、国賓招待に関する実行委員会のようなものが外務省内にあって、この委員会がバッキンガム宮殿にはかってトランプの国賓訪問を決めたもので、メイ首相は単にそれを大統領に伝えただけ・・・と首相官邸が言い張っているらしい。メイさんの責任ではないということです。The Timesによると、この委員会には外務省関係者に加えて、王室や首相官邸の関係者も出席しており、首相官邸が外務省に責任をなすりつけているとのことであります。いずれにしても、The Times紙上でこのようなことを書かれるとメイさんにとっては大きな痛手となることは間違いない。

▼上のグラフはトランプの大統領就任直前に英国の世論調査会社が行った国際的な調査の結果です。トランプは良い(good)大統領になるか、悪い(bad)大統領になるかという選択だった。注目すべきは英国人の評価です。圧倒的に "bad" が多い。果たしてトランプを国賓待遇することが、首相としてのメイさんの支持率にどの程度影響するのか?

▼ティリーザ・メイという人でよく分からないのは、自分自身が何を望み、何を目指しているのかがはっきりしないということ。典型的なのがBREXITで、彼女が英国のEU離脱を促進するのは一にも二にも「国民の意思だから」(it's a people's will)であって、彼女自身が離脱の善し悪しをどのように思っているのかは分からない。あえて分かるといえば、国民投票に向けてのキャンペーン期間中は(少なくとも)離脱派と行動を共にすることはなかったということ。トランプの国賓待遇も彼女自身がトランプに伝えたことになっているけれど、どの程度熟慮したうえでの招待だったのか?EU離脱後の「心強い仲間」としてのアメリカを大切にしたかったのだろうが国賓待遇までする必要があったのか・・・。別の見方をすると、女王を持ち出さなければならないほどEU離脱後の英国に自信がなかったということかも?

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3)トランプ現象とヨーロッパ
 

1月20日付のドイツの週刊誌、シュピーゲルのサイトにアン・アップルバウム(Anne Applebaum)という作家・歴史家(女性)とのインタビューが掲載されている。1964年アメリカ生まれ(53才)なのですが、ポーランドに帰化、現在はワルシャワに暮らしている。主に東欧・ロシアなどに関連する記事を英米の新聞や雑誌に寄稿、2004年にはソ連時代の強制労働収容所に関する "Gulag" という本でピュリッツァー賞も獲得しています。シュピーゲル誌とのインタビュー(記事のタイトルは 'Protest Is Insufficient') では、トランプ政権の誕生がヨーロッパに与える影響について語っています。むささびの独断で、興味深いと思われる部分を抜書きしてみます。


トランプはこれまでの主流メディアを信頼せず、ツイッターを利用して新たな公共空間を作り出している。アップルバウムは、このやり方は民主主義を脅かすと考えるか?
  • ツイッター政治の本質
  • Applebaum:今の世の中、人間はそれぞれバラバラに異なった現実、別々の現実の中で生きており、ニュースもFacebookを通じて知る。みんながそれぞれに異なった「事実」を信ずるようになっている。トランプはそのような環境下でうまくやっていく術を身に着けた人物であるということだ。彼は決して「すべてのアメリカ国民」(all the American people)に語りかけることがない。「団結」(unity)を想起させるような言葉も使わないし、相手に媚びることもしないし、説得を試みることもない。ただ自分を支持する人びとに礼を言い、それ以外の人間は負け犬呼ばわりするだけなのだ。
トランプは「すべてのアメリカ国民」を相手にはしていない・・・ここがトランプ政治・ツイッター政治のポイントなのかもしれないですね。自分の言うことに耳を傾ける人だけを相手にする、と。トランプが障害者の記者をからかうようなしぐさをして顰蹙をかったことがありますよね。証拠のビデオがあるにもかかわらず、トランプは「自分はそんなことはしていない」と言い張り、それを押し通してしまった。支持者の多くが「そんなビデオ見たくもない」という態度だった。要するにトランプ信者がとてつもない数にのぼっており、無理が通れば道理が引っ込むという状況が生み出されたということですね。アップルバウムがこれまで生きてきたような主流メディアの世界とは大いに異質であり、ジャーナリストたちもどうすればいいのかよく分からないということなのでしょうね。

そのトランプ信者の中核を占めていたのが「忘れられた人びと」(forgotten people)だった。
  • トランプを支持した「労働者階級」とは?
  • トランプが特に労働者階級の支持を得ることに成功したことは事実だが、最貧困層のアメリカ人が支持したのはクリントンだった。そしてトランプ支持者の中には、かなりの富裕層もいたのだ。つまりトランプ現象を「経済」で説明することはできないということだ。2008年の金融危機以後のアメリカ経済は相当な復調を見せてきたし、失業率も低く、経済状況は決して悪くはない。私の見るところによると、彼がいわゆる労働者階級に受けたについては文化的な背景がある。トランプが彼らに語った言葉は、「皆さんの両親が働いていたような職場や仕事を取り戻してみせますよ」(I'll bring back the kinds of jobs your fathers had)というものだった。そのように言うことで、トランプが意味したのは「第二次大戦直後のアメリカ、白人が主流の分かりやすい世界、アメリカにとって経済競争の相手などが存在していなかった時代のアメリカを取り戻す」ということだった。
最貧困層はトランプを支持していたわけではなかったという部分、経済現象でトランプ現象を説明することはできないという部分が興味深い。さらにトランプが訴えた「偉大なアメリカの復活」(Make America great again)という言葉における「偉大なアメリカ」とは、戦争直後の「アメリカ独り勝ち時代」のことだという指摘も鋭い。


むささびがさらに興味深いと思ったのは、アップルバウムが、ヨーロッパにおける右翼の台頭(BREXITも含む)とアメリカにおけるトランプ現象には共通点があると指摘している点です。
  • ノスタルジック・トランプ?
  • アメリカでトランプがなぜ受けたのか?それはノスタルジアなのだ。「偉大なるアメリカの復活だ」(Make America great again)とトランプが叫ぶとき彼なりの「真のアメリカ」(a "real" America)を頭に描いている。それはグローバル化、移民流入、女性解放運動、市民権運動、それに様々な技術革新などが起こる以前のアメリカ、1950年代のアメリカに戻ろうというわけだ。同じことがヨーロッパで受けている右翼たちにも言えるのだ。但し彼らの言う「1950年代」は自分のアタマで想像する時代(an imaginary 1950s)にすぎない。トランプもフランスのル・ペンもBREXIT支持者たちも、結局同じようなことを言っているのだ。

確かにトランプもBREXITも年寄に受けている部分はある。むささびと同年代の日本人なら『パパは何でも知っている』、『ローハイド』、『名犬ラッシー』のようなテレビドラマを喜んで見ていた時代を思い出しますよね。登場人物は圧倒的に「白人」、舞台は「郊外」または「田舎」だった。

アップルバウムの指摘についてシュピーゲルの記者が「でもどうやってそのノスタルジアと戦おうというのですか?」(How can you argue against this nostalgia?)と質問します。それに対するアップルバウムの答えは次のようなものだった。
  • 反ノスタルジア戦線?
    Applebaum: (世の中の現状について)「何も問題はありません」(everything is fine)というような決まり文句を繰り返しても何もならない。(ノスタルジアとの戦いは)若い世代を対象に、いまの時代の良い点を強調しながら未来についても想像力に富んだアピールを繰り返して訴えることによって行われる。いまのヨーロッパにはそのようなことを始めている政治家がいる。フランスのエマニュエル・マクロン(Emmanuel Macron)、スペイン市民党(Ciudadanos)、ポーランドのリベラル政党(Nowoczesna)などだ。いずれも従来の右翼・左翼とは異なるリベラリズムに新しい息吹を与えるものだ。
ヨーロッパがこれまでに作り上げてきたものを若い世代に受け継ぐための努力を呼びかけるものですが、メディア報道を見ていると、ヨーロッパにおける右翼勢力の台頭ばかりが取り上げられて、悲観的な見方ばかりが伝えられるけれど、アップルバウムの視点は、単なる第三者のそれではなく、自身がポーランドという社会(右翼が台頭している)に身を置いている人間としての立場を忘れていない点がユニークであると(むささびは)思っているわけです。


トランプ現象、BREXIT、ヨーロッパ右翼の台頭など、これまで民主主義国家とされてきた国において政治に対する「怒り」の爆発現象が見られる。その一方でロシアや中国、トルコのような独裁的な国家が幅を利かせている部分もある。これらを見ていくと民主主義という政治モデルそのものが失敗しているようにも思えてくる。民主主義は結局うまくいかないものなのか?(Is democracy a failing model?)という疑問について、アップルバウムは、人びとの政治参加が大切ではあるけれど、街頭デモだけでは不十分である(Protest is insufficient)と言います。
  • 街頭デモだけでは変わらない
    Applebaum: 街頭に出て何かの抗議デモを行う時間とその気のある人びとが、地方の町の選挙で候補者を応援したり、自分自身で議員に立候補したりすれば得られるものは街頭デモなどよりはるかに大きなものがあると思う。トランプ現象やBREXITのような危機的な現象によって、人びとが政治にかかわることが増えるとすれば、民主主義を活性化させるチャンスは(わずかとはいえ)残っていると思う。さもないと、民主主義そのものが失敗に終わることになるだろう。
▼アン・アップルバウムの意見で(むささびが)面白いと感じたのは、右翼勢力が台頭しているとされるヨーロッパにおいて、これに対抗するために「いまの体制の良さを若者たちに訴える」という部分なのですが、そのために市民が街頭デモをするのもいいけれど、現在議会で活動している議員を支援したり、自分自身が地方議会の選挙に立候補することを薦めている。その方が現実の力になるということです。街頭デモやツイッター運動とは違う現実的かつ直接的な活動です。

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4)「我々は正気なのか?」を問う


我々は「まとも」か? 楽観の時代に 「パンのみにて・・・」? 大多数でも狂気は狂気
社会が要求する性格 人間も商品 希望はあるのか?


エーリッヒ・フロム(Erich Fromm)という社会心理学者のことをご存じの方は多いと思います。むささびでも267号315号の2回触れています。1900年に生まれて1980年に亡くなっている。この人の書いた "The Sane Society" という本が気になって自分の本棚を探したら、表紙がとれてボロボロになったペーパーバックが見つかった。出版されたのは今から62年前の1955年、むささびが購入したのはざっと半世紀ほど前のことです。"sane" は主として精神的な意味での「正気」とか「まとも」とかいう意味ですよね。つまり "The Sane Society" は『正気な社会』、『まともな社会』ということになる。

我々は「まとも」か?

『正気な社会』という本が気になった理由は、(言うまでもなく)今の社会が「正気でない」(insane)と自分が感じているからです。では、今の世の中の何が正気でないというのか?そもそも「正気な社会」とはどのような社会のことなのか?トランプ現象とかBREXITとかシリア内戦とか・・・出来事や現象については「正気でない」と言えるのに、それらの何が「正気でない」と言うのか?と問われると考え込んでしまう。ひょっとすると"The Sane Society"という本が何らかのヒントを与えているかもしれないと思ったわけ。 The Sane Societyの日本語訳は『正気の社会』というタイトルで社会思想社から出ています。


この本は第1章の見出しである "Are we sane?"(我々は正気だろうか?)という問いかけから始まり、書き出しは次のようになっている。
  • 20世紀のいま、西側の世界に住んでいる人間が完全に正常であるという考え方は、きわめて広く行き渡っている。
    Nothing is more common than the idea that we, the people living in the Western world of the twentieth century, are eminently sane.
楽観の時代に

再確認しておくと、この本が出版されたのは1955年(昭和30年)、第二次大戦が終わってから10年目のことです。アメリカもヨーロッパも明るい楽観論が支配していた。日本では「電気洗濯機、電気冷蔵庫、テレビ」が「三種の神器」と呼ばれた、あの時代です。もちろん、いつの世にも精神的な病というものはあるし、暴力や自殺は存在する。が、いまの時代(1950年代)が一般的に言って「まともな時代」であることに疑いを挟む者はいないだろうというわけですね。なのにフロムは
  • 我々が自己欺瞞に陥っているわけではないと確信をもって言えるだろうか?
    Can we be so sure that we are not deceiving ourselves?
とこだわっている。フロムはドイツ生まれのユダヤ人ですが、ナチスが政権を掌握したときに34才でアメリカに移住しています。"The Sane Society"を書いた当時はアメリカで暮らしていました。


戦後の楽観論が支配するアメリカにおいて、「本当は正常ではないのでは?」という疑問の声を挙げていたわけです。彼の懐疑論の根拠としてフロムは、欧米社会における「破壊的行為」(destructive acts)の数を示している。「破壊的行為」というのは、人間の命を破壊する行為のことで、自殺(suicides)と殺人(homicides)を併せた数のことです。欧米における成人人口10万人あたりの数を見ると、トップ5にデンマーク、スイス、フィンランド、アメリカ、スウェーデンが来ている。さらにアルコール中毒者の数を見ると、アメリカ、フランス、スウェーデン、スイス、デンマークがトップ5に来ている。

成人10万人あたりの自殺・殺人件数
(1948年)
成人10万人あたりのアルコール依存症
デンマーク 35.76 アメリカ 3,952
スイス 35.14 フランス 2,850
フィンランド 29.80 スウェーデン 2,580
アメリカ 24.02 スイス 2,385
スウェーデン 20.75 デンマーク 1,950
ポルトガル 17.03 ノルウェー 1,560
フランス 16.36 フィンランド 1,430
イタリア 15.05 オーストラリア 1,340
オーストラリア 14.60 英国 1,100
英国 14.06 イタリア 500

「パンのみにて生きるにあらず」?

自殺者の数が多いというだけで、その国の人びと全体の精神衛生が劣っているなどとは言えないのは当然であるけれど、自殺者の数もアルコール依存症の数も多いという場合は、フロムによると「精神的なアンバランス症状の兆し」(symptoms of mental unbalance)であると考えるべきなのだそうです。トップ5のうちアメリカ、スウェーデン、スイス、デンマークの4か国が両方のリストに入っている。いずれもその当時でさえ、他の国々に比べれば「物質的に豊か」、「富の配分も平等」、「安定した民主主義」という言葉で表されるような「恵まれた国々」であったことは間違いない。なのにこのような数字が出るということは、人間、物質的に豊かであれば幸福というものではない、「人間、パンのみにて生きるにあらず」(man lives not by bread alone)という教えが正しかったということが証明されているということなのか?として、フロムは次のように問いかけます。
  • これらの数字は、現代文明というものが人間が必要とするところ(ニーズ)を満たしていないということを示しているのではないか?だとすると、そもそも人間の「ニーズ」とは何なのか?
    Could it be that these figures show that modern civilization fails to satisfy profound needs in man? If so, what are these needs?
"The Sane Society"は、この「人間が必要としているもの」が何であり、それはどのようにして手に入れることが出来る(とフロムが考えている)のかということを延々語っている。むささびもその部分をきっちりまとめて紹介しなければいけないのですが、口惜しいけどむささびにはそのような能力はない。そこで本に書かれている文章をいくつか羅列して紹介させてもらいます。


大多数でも狂気は狂気
  • 何百万、何千万の人びとが同じ道徳的弱点を共有していることが事実であるとしても、だからと言ってその「弱点」が道徳的な「強さ」になるわけではない。
    The fact that millions of people share the same vices does not make these vices virtues.
日本語でいうと「赤信号みんなで渡れば怖くない」というギャグに似ている。100人中99人が「弱い者は苛められて当たり前」と考えているとしても、その考えがまともでないことに変わりはない、「狂気は狂気」ということ。ただ人間には世の中の趨勢に従って、ロボットのように生きることで安心感を得られる、画一性願望のようなものがある。

社会が要求する性格とは

エーリッヒ・フロムは「社会心理学者」であると言われます。フロムという人は、不安・怒り・幸福感・孤独感・絶望etcのような人間の心の問題は、その人間を取り巻く社会環境のことも検討しない限り語ることはできないという姿勢を貫いている。フロムは「どんな社会も、その社会が必要とする性格を生み出すものだ」(every society produces the character it needs)と主張しているのですが、"The Sane Society" でフロムが検討の対象にしているのは、欧米の資本主義社会に生きる自分たちのことです。
  • この社会はどのような人間を必要としているのか?20世紀の資本主義に適した「社会的な性格」とはどのようなものなのだろう?
    What kind of men, then, does our society need? What is the "social character" suited to twentieth century Capitalism?
この問いに対するフロムの答えとして、「自分は自由で独立心旺盛、権威や原理・原則に隷従することがない」と考える一方で、現実には「命令されることは嫌でなく、期待されていることをこなし、社会的な機械に摩擦なくフィットする人間」であることを厭わない人間であることが挙げられている。独立とか自由を尊びながらも「画一性願望」も極めて強い・・・現代の資本主義が求めている矛盾した人間像です。最初にフロムが行った「我々はまともか?」(Are we sane?)という問いかけの意味するところです。


人間も商品

フロムによると、20世紀の資本主義社会においては、すべてが商品(commodity)扱いされる。そこでは「モノ」だけではなく自分自身も含めた「人間」も商品のように扱われる。「売れる人間」「売れない人間」というわけです。その人が持っている肉体的な強さのみならず技能・知識・意見・感覚などなど、あらゆるものが「売れる・売れない」という商品のような扱いを受けてしまう。フロムによると、そのような社会が要求する人間は「ケア」する(思いやる)という能力に劣っているのだそうです。
  • しかしそれは彼ら自身が利己主義者だからではない。人間同士の関係、自分自身との関係が極めて希薄な社会だからなのだ。
    not because they are selfish, but because their relationship to each other and to themselves is so thin.
希望はあるのか?

"The Sane Society" が書かれたころの世界は、米ソ対立の冷戦時代であったわけですが、フロムによると、現代(1950年代)の人間にとって選択肢は共産主義か資本主義かではない。孤独を怖れて世の中の大きな流れに逆らわず、ひたすらロボットのように生きるのか、それとも自分も含めた人間の「理性」(reason)、「善意」(good will)、「正気さ」(sanity)に信頼を置いた生き方をするのか・・・それが選択肢なのだというわけです。そして後者の生き方が主流を占めるような社会のことを "Humanistic Communitarian Socialism"(人間的共同体的社会主義)と呼んでいる。しかし現実を見ていると、人間はロボット化の道、すなわち「異常さ」(insanity)と「破壊」(destruction)に向かっているとしか思えない・・・とフロムは言っている。


ただ「私たちが語り合い、ともに計画するという方法をとる限りにおいて希望はある」(as long as we can consult together and plan together, we can hope)としてフロムは旧約聖書の
  • 私は、いのちと死、祝福とのろいを、あなたの前に置く。あなたはいのちを選びなさい。
    I put before you life and death, blessing and curse - and you choose life.
という言葉を挙げて「我々が直面しているのも、同じ選択肢なのだ」(This is our choice too)と締めくくっている。

▼いわゆる個人的なお悩み相談に対する回答を期待すると、フロムの本にはついていけないものを感じるかもしれない。またフロムの「人間が持っている理性・善意・正気を信頼しよう」という言葉だけを読むと、「きれいごとだけを語っている聖職者」のように響いてしまうかもしれないですよね。ただ彼の本はどれも、いわゆる「客観的」に人間を語るというよりも、「人間がどうあるべきか」という部分にまで踏み込んでいる。つまりあえて学問の名前を付けるならば「哲学」と言った方が適切かもしれない。

▼フロムが考えている「まともな社会」を彼は"Humanistic Communitarian Socialism"(人間的共同体的社会主義)と表現しています。何だか分からない表現だけど、むささびの理解によると「穏健社会主義」ということになる。暴力的・独裁的共産主義という体制ではないけれど、明らかに資本主義とは異なる体制のことです。ただこの本が書かれたころの世界においては「穏健社会主義」を体制としているような国はなかった。あえて言えば英国労働党がそのような路線であったけれど、英国は国としては明らかに資本主義体制の国だった。つまりフロムのいう「人間的共同体的社会主義」などという社会体制はそもそも人間が作るものとして可能なのか?単なる夢物語ではないのかという疑問は今でも付きまとう。

▼ただむささびジャーナル357号で紹介した "Second-hand Time" という本の中で、強権的共産主義社会を体験したアレクシェービッチが、ソ連崩壊後20年以上経ったいま「社会民主主義社会が望ましい」と述懐していることにも注目するべきだと思うわけです。確かにあのソ連は崩壊してしまったけれど、「人間の平等」とか「国家管理」というような考え方が全くダメであったとは思えないと言っている。むささびもまた、トランプの「アメリカ・ファースト」とかBREXITの「国境を守れ!」という主張に、人間の未来が託せるとは思えない。となると漢字だらけの表現ではあるけれど穏健な社会制度としての「人間的共同体的社会主義」を、アホらしいと切り捨てるのは間違っているのではないか?と思うわけであります。
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5)「まともな社会」と「理性」
 

Reasonとは?

エーリッヒ・フロムは "The Sane Society" という本の中で、「まともな社会」の要件の一つとして、その社会で暮らす人びとが人間の"reason"に信頼を置いた生き方をしていることだと言っています。"reason"という言葉には「理由」という意味以外に「まともな」とか「健全な」という意味を伴った「思考態度」という意味がありますよね。別の日本語で言うと「理性」です。フロムは"reason"という言葉を次のように説明しています。
  • 物事を客観的に考える機能が"reason"(理性)である。感情面でこれを支えるのが「謙遜」(humility)の姿勢である。理性を使って客観的であろうとするためには「謙遜」の姿勢を身に着けている必要があるし、子供じみた「全知全能」の夢から卒業していなければならない。
    The faculty to think objectively is reason; the emotional attitude behind reason is that of humility. To be objective, to use one's reason, is possible only if one has achieved an attitude of humility, if one has emerged from the dreams of omniscience and omnipotence which one has as a child.


「良識」と「知能」の差

自分が全知全能であるという思い込みがある限り「理性」(reason)的にはなれないということですよね。フロムはさらに"reason"と一見似ていなくもない人間の能力である"intelligence"について「思考の助けを借りて世界を操る能力のこと」(man’s ability to manipulate the world with the help of thought)と説明している。"intelligence"を日本語に直すと「知能」ということになる。むささび流に言うと、"man of reason"は「良識的な人間」であり、"man of intelligence" は「知能指数が高い人」ということになる。そしてフロムが定義する「まともな社会」(sane society)とは、人間の「理性」に信頼を置いた生き方をする人が多い社会ということになる。


バナナを高いところに吊るして、チンパンジーに棒を2本渡すと、1本だけでは届かない場合は2本を継ぎ足してバナナを取ろうとするのだそうですね。フロムによると、これは「知能」であり、生物的な意味での生存(biological survival)を可能にするために備わった能力です。「理性」は表面には見えないものを理解したり、自分たちを取り巻く現実の本質的な部分を認識する能力のことであり、将来を予見したりするためには「理性」が必要である、と。人間の生存には「知能」が必要であるけれど、フロムによると、「正常な社会」には「理性」が欠かせない。またチンパンジーは他の動物に比べると "intelligent animal" ということになるけれど、"animal of reason" とはならないというわけであります。


「知能」全盛の時代に

なぜこんなことを語りたくなったのかというと、1955年に出版された"The Sane Society" という本に書いてあることが、あまりにも見事に60年後の現代にも当てはまると思われるからです。人間が持っている「思考する」という能力のうち、「知能」ばかりがあまりにも大きな顔をし過ぎているのではないかということです。「人間を操る能力に優れてる」という意味での「アタマのいい人」が重宝されすぎており、「人間を理解する能力がある」という意味での「アタマのいい人」が小さくなっているのではないかと思うわけです。

トランプが中東やアフリカの国からの移民・難民らの入国禁止の大統領令を発した理由として、次のように書かれている。
  • Perhaps in no instance was that more apparent than the terrorist attacks of September 11, 2001, when State Department policy prevented consular officers from properly scrutinizing the visa applications of several of the 19 foreign nationals who went on to murder nearly 3,000 Americans.
要するに2001年の9・11テロが起こったのは、国務省による外国からのビザ申請のチェックが甘かったことが理由だと言っている。つまりこの大統領令は「9・11テロのようなことが二度と起こらないようにして、アメリカをテロリズムから守る」ことを目的としているいうわけで、支持者の間ではそれなりに受けている。


「なぜ?」を問うこと

その9・11について、The Indepedent紙のロバート・フィスクという記者がThe Great War for Civilizationという本の中で、テロの直後、アメリカのメディアが「誰が、何を、いつ、どこで、どのようにして起こしたか」(who, when, what, where, how)については洪水のように報道したけれど、「なぜ」(why)については殆ど報道することがなかったと批判しています。テロリストがあのような狂気に走った理由・動機です。フィスクによると、あの当時のアメリカでは、whyを問題にすることはテロリストに味方するのと同じという風潮があったのだそうです。彼自身は9・11テロのwhyはパレスチナ問題にあると言っている。

▼エリッヒ・フロムは「まともな社会」の条件として「理性」を信頼することを挙げているけれど、トランプと9・11の関連で言うと、むささびとしては、「なぜ?」を問い続ける姿勢もまた「まともな社会」を維持するための必要条件であると考えているわけです。

▼フロムは60年も前に書かれた本の中で「理性」と「知能」の違いについて書いているけれど、現在の「知能万能社会」こそは、人間を「経済」という視点からのみ理解しようとするサッチャリズムやレーガノミクスが生み出したものであり、英米社会の病の根源なのではないかと(むささびは)思うわけです。そのような社会が生み育てた人間がたどりついたのがTrumpismであり、BREXITであると(むささびは)確信しているわけ。速さ・便利さ・簡単さが売り物のコンピュータやインターネットはどう考えても「知能」(intelligence)の世界です。それを全面的に否定することはできないし、する必要もないけれど、「まともな社会」を考えようとすると、「理性」"reason" が必要になることも間違いない。

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6) どうでも英和辞書
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eye for eye:目には目を

保守派のオピニオン誌、The Spectatorのサイトを読んでいたら「トランプの世界で正常でいるために」(How to stay sane in Trumpworld)というエッセイが出ていました。選挙期間中にある保守系のラジオ局にインタビューを受け、記者が「あなたの好きな聖書の言葉は何か?」という質問をしたところ、トランプが挙げたのは「目には目を」(An eye for an eye)という言葉であったのだそうです。The Spectatorのエッセイは、この答がトランプの人となりをよく表しているとして

  • (「目には目を」という言葉は)彼の自己愛、神経過敏症、熱しやすい攻撃性を表している。
    It captures his narcissism, his thin skin, his exponentially cranked-up aggression.
と言っている。

「目には目を」というのは、「やられたらやり返せ」という報復宣言のような言葉だと思っていたのですが、必ずしもそうではないらしい。この言葉は旧約聖書の「出エジプト記」に出てくるのですが、誰かが身ごもった女を撃って流産させた場合は、その女性に対しそれ以外のキズを負わせていなくても、女の夫が要求する罰金を払わなければならない。ただし・・・
  • しかし、ほかの害がある時は、命には命、目には目、歯には歯、手には手、足には足、焼き傷には焼き傷、傷には傷、打ち傷には打ち傷をもって償わなければならない。
    But if there is serious injury, you are to take life for life, eye for eye, tooth for tooth, hand for hand, foot for foot, burn for burn, wound for wound, bruise for bruise.
と書いてある。

要するに身ごもった女性を流産させたのみならず、ひどいキズまで与えてしまった場合、「目には目、歯には歯・・・」という具合に同じようなキズをもって償いをしなければならないというわけですが、そのニュアンスは「必要以上の復讐行為はダメ」という具合に過剰な報復行為に対する歯止めの宣言であるというのが、聖書学者の間の定説なのだそうであります。

ただ "eye for eye" を自分の好きな言葉として挙げたトランプはさらに続けて、如何にアメリカやアメリカ人がこれまで世界で損をしてきており、世界中の笑いものになっているかということを力説するコメントを述べている。「いつまでも黙っているわけにはいかねえぜ」というわけですよね。つまりこの言葉を正しく理解しておらず、被害者である自分の復讐宣言として使っている(としか思えない)。

と、以上は旧約聖書の話ですが、"eye for eye"の対照となるような言葉が新約聖書の「マタイによる福音書」に出てくる
  • 誰かがあなたの一方の頬を打つなら、もう一方の頬をも向けなさい
    If someone slaps you on one cheek, turn to them the other also.
という言葉です。こちらは"eye for eye"と反対に被害者に対する「仕返しはするな」というメッセージです。トランプには無理。ちなみに非暴力主義者のあのマハトマ・ガンディーは、「目には目をでは、世界中が盲目になるだけだ」(An eye for eye only ends up making the whole world blind)と言っているし、アメリカのキング牧師やダライ・ラマも似たようなことを言っている。これらはいずれも"eye for eye"という言葉を、際限なき復讐を許すものと解釈したうえでこれに反対しているのですよね。

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7) むささびの鳴き声
▼Business Journalというサイト(1月31日)に「電通、過労自殺事件に"とても迷惑"、"仕事やりづらい"と語る社員も」という見出しの記事が出ています。2015年末に新入社員の女性が過労で自殺した電通の現在の社員(入社3年目の女性)が次のように語ったのだそうです。
  • できない女(自殺した女性社員のこと)が自殺したので、とても迷惑している。辞めるなどと言い出す社長など上層部の弱腰ぶりには本当にあきれた。クライアントに対して強く出られなくなったため、仕事がやりづらくて仕方がない。
▼あの女性の自殺事件のあと電通は、社長が辞任したり、社員に仕事に没頭することを呼びかけた社訓のようなものを社員手帳に掲載することを止めたりして、社風を改めることに取り組んでいると伝えられてきたけれど、実際には電通の社員は非人間的長時間労働などは、仕事なんだから当たり前という考えがいまだに強く残っている。世間的には悪評サクサクの「鬼十則」という社訓は全く滅びていないのだそうであります。

▼むささびがこの記事の中で一番興味深いと思ったのは、電通という人気企業に就職するのは、いずれも「受験戦争の“勝ち組”の学生たち」であるけれど、その彼らを競争に駆り立てるのは「勝つことよりも落ちこぼれになることへの恐怖」であると言っていることです。そう言っているのは、この記事を書いた記者であって、電通の社員ではない。ただ電通の社員を取材した記者が見たのは「落ちこぼれになることへの恐怖」から、過労死もいとわず働く人間の姿だったということです。

▼エーリッヒ・フロムの『正常な社会』という本を紹介する中で、むささびがいちばん紹介したかったのは「大多数でも狂気は狂気」という見出しの部分だった。フロムによると、人間には世の中の趨勢に従ってロボットのように生きることへの願望のようなものがある。「自由であること」を避けたがる性癖のようなものです。BREXITやトランプに取りつかれている英米人がそれに当たるけれど、日本には「落ちこぼれになることへの恐怖」に駆り立てられて働きに働く人たちがいる。過労自殺などするのは、そのような落ちこぼれ組であり、そんな人間がいるから「仕事がやりづらくて仕方がない」と嘆く「勝ち組社員」がいる。その勝ち組がメディアを通じて発信するのが「個性尊重」という決まり文句・・・哀しいハナシですよね。

▼ハナシは違うけれど、安倍さんが国会答弁の中で「云々(うんぬん)」という漢字を「でんでん」と読み間違えたのだそうですね。知らなかった人(むささびもその一人)のために念のために説明しておくと、参議院の施政方針演説で、民進党について「言論の府である国会の中でプラカードを掲げても何も生まれない」と批判したらしい。それについて、蓮舫さんが1月24日の参院代表質問で「我々がずっと批判に明け暮れているとの言い方は訂正してください」と文句を言った。それに対してシンゾーが「民進党だなんて言っていない」のだから「訂正云々(でんでん)というご指摘はまったく当たりません」と答えたらしいのでありますよ。記事をお読みになりたい方はここをクリックすると朝日新聞の記事があるし、「でんでん」を動画で見たい向きはここをクリックすると見て聴くことができます。

▼漢字の読み間違いについては、麻生さんの「頻繁(はんざつ)」、「未曾有(みぞゆう)」、「踏襲(ふしゅう)」などの例がありますよね(ここをクリック)。シンゾーもタローも、電通の社員のような「受験競争の勝ち組」ではない。だから「でんでん」だの「みぞゆう」だのはごく当たり前なのよね。のんびりしていて微笑ましい。そういえばトランプ・安倍会談には、麻生さんも同席するとかいう報道がありましたよね。トランプの移民制限命令について安倍さんが沈黙を守っているのは、世界中にトランプ批判が渦巻いているのだから、この際は「トランプ氏に寄り添う姿勢を印象づけた方が得策」と考えているからだとか・・・。妙なところで小賢しいんだよね、この「でんでん虫」は・・・。そんなことより、あんたが(例によって)日本の金融機関からの対米投資話をあたかも自分の手柄であるかのようにトランプ野郎に売り込んだりするから、ノースダコタの原住民がくだらない石油パイプラインを敷かれようとして困っとる。分かってるのかよ、このデンデン野郎!

▼だらだら失礼しました!
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むささびへの伝言