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357号 2016/10/30
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美耶子の言い分 美耶子のK9研究 むささびの鳴き声 どうでも英和辞書
1991年12月25日、それまで70年続いた「ソ連」という国が消滅しました。そして25年後の2016年 "Secondhand Time: The Last of the Soviets" という本が出ました。あの時代を生きた「ソ連人」たちの「ソ連後」を伝えるもので、2013年に出たロシア語版の英訳です。今回のむささびジャーナルはこの本の紹介だけです。それほど貴重な本であると思うからです。何故そう思うのかについては、記事のどこかで触れるつもりです。また上の写真の中の「セコハン時代」という日本語の意味については「どうでも英和辞書」で説明してあります。

目次
1)むささびのイントロ:何故「この本」なのか?
2)崩壊から10年、それぞれの言葉(1991 - 2001)
3)「ソ連的人間」とは何であったのか?
4)崩壊から20年、それぞれの想い(2002 - 2012)
5)ペレストロイカとは何であったのか?
6)著者インタビュー:内なる「ソ連人間」との決別
7)どうでも英和辞書
8)むささびの鳴き声

1)むささびのイントロ 何故「この本」なのか?

昨年(2015年)のノーベル文学賞に選ばれたベラルーシのノン・フィクション作家、スベトラーナ・アレクシェービッチ(Svetlana Alexievich)のことをご記憶ですか?むささびジャーナル330号でチェルノブイリの原発事故についての彼女の作品を、332号でソ連のアフガニスタン侵攻をテーマにした作品(Zinky Boys)を紹介しました。1948年生まれだから今年で68才になる。その彼女の新しい作品の英訳版が出ました。タイトルは "Second-hand Time"。そのまま訳すと「セコハン時代」とか「中古の時代」ということになる(と思う)のですが、その意味するところは痛烈です(どうでも英和辞書)。またこの本には "The Last of the Soviets "という副題がついている。「最後のソ連人たち」とでも訳すのでしょうね。

ソ連成立から解体までの70年
1917年:ロシア革命
1922年:ソビエト社会主義連邦成立
1953年:スターリン死去
1985年:ゴルバチョフが書記長に就任
1986年:チェルノブイリ原発事故
1989年:ベルリンの壁崩壊
1989年:冷戦終結
1991年:ソ連解体

2000年:プーチンがロシア連邦第2代大統領に

この本のテーマは、25年前(1991年)に消滅したソビエト社会主義連邦(ソ連)という国で生き、突如それが崩壊してしまった人びとの想いです。チェルノブイリについての作品もZinky Boysも、彼女がインタビューした人物の語りをそのまま、一人称で書き写しているというスタイルだったのですが、その点は最新作も同じです。

ロシア革命(十月革命)が起こったのは1917年、5年後(1922年)にソビエト社会主義連邦が成立、1991年のソ連解体まで70年間、ロシアおよびその周辺国の人びとは社会主義という体制の下で生活してきた。それが崩壊したとき人びとは何を想ったのか?そして今の自分たちについては・・・?長い間信じ続けてきた社会制度とそれを支える価値観(ことの善し悪し感覚)が崩れ去ったとき、人間はどんな気持ちになるものなのか?

"Second-hand Time"には、1991年から2012年までのざっと20年間、アレクシェービッチがロシア人やその周辺国の人びとの口から聞き出した「ソ連」および「ソ連後」への想いがぎっしり詰まっているのですが、これを読んでもおそらくソ連崩壊についての「客観的全体像」のようなものは見えてこない。人びとの声が「生中継」で聞こえてくるだけです。だからいわゆる「専門家」やロシアについての「知識」を得たいと思っている人にとってこの本がどの程度価値のあるものなのか、むささびには見当がつかない。むささび自身がソ連やロシアについて、それほどの知識や関心があるわけではない。でもこの本で語られる感情や感覚に共感したり、反感を覚えたりすることは大いにある。むささびにとってはそれで充分であるわけです。


写真・イラストの類は全くゼロ、ペーパーバックとはいえ、ほぼ700ページにも及ぶ「語り」や「叫び」の生中継であり、ここでむささびが紹介するのはその100分の1にも及ばない。最も望ましいのはロシア語のオリジナル版を読むことでしょうが、むささびにはその能力がないので英訳版で我慢するしかない。その気のある方は是非本そのものをお読みいただきたいし、もしまだ出ていないとすれば、いずれは和訳が出版されることを期待しています。

▼日本人の場合、1868年の明治維新から1945年の敗戦までの77年間、大日本帝国という体制を信じて生きていたのが、突如としてその体制そのものが崩壊した。むささびは4才だったから何も直接には分からない。しかし成長していく中で、両親世代の戸惑いは充分に見聞することができた。そして、「大日本帝国」が崩壊してから約70年が経過した現在、実際にはこれがぜんぜん崩壊してはいなかったことが明らかになりつつある。沖縄の人を「土人」、中国人を「支那人」と呼ぶことに快感を覚える日本人が存在すること・・・それが哀しい現実であり、その意味において、「かつてのソ連人」の戸惑いは他人事ではない。それだけも "Second-hand Time" は読む価値のある本だと確信したわけです。

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2)崩壊から10年、それぞれの言葉(1991 - 2001)
"Second-hand Time"は2部に分かれています。第1部は1991年~2001年、第2部は2002年~2012年となっており、それぞれの10年間でアレクシェービッチが集めた「声」が収録されている。どれも「ソ連時代」という「過去」についての想いを「現在」の人間が語るものです。

社会主義は間違っていない!
何かを信じている
長生きなどするもんじゃない


社会主義は間違っていない

47才 地区共産党三等書記官
私は憶えておきたいのよ。自分がどんな時代を生きてきたのかってことを理解しておきたいの。自分の生活だけじゃない、皆のソ連時代の生活のこと。私はね、自分の国の人間なんて大した人たちじゃないと思っているの。共産主義者たちや共産党の指導者たちについてもね。特に最近(ソ連消滅後)の共産主義者はひどい。みんなちっぽけなブルジョアになってしまった。「甘い生活」「グッド・ライフ」を求めて、消費して消費して消費して・・・何でも手当たり次第自分のものにしたがる。

金持ち共産主義者
昔の共産主義者は、ああじゃなかったのよ。今じゃ、百万長者の共産主義者がいるのよ。ロンドンにアパートを持って、キプロス島に御殿を構えてさ。あれでも共産主義者なの?あの人たちは、何を信じているの?そんなこと、あの人たちに尋ねてみなさいよ、何を言われると思う?「ソ連時代のおとぎ話なんがするんじゃない!」とくるのよ。彼らは偉大な国を破壊して安値で売り渡したのよ!で、ヨーロッパをぶらぶら旅しながらマルクスの悪口を言って歩いてる。今はスターリン時代と同じくらいひどい時代よ。私はね、自分の言っていることは全部正しいと思ってるの。だから私の言うことはみんな書き取っておいてね。でもあんたも信用できないわね。
 
社会主義は「狂った理想主義」か?
もちろん共産主義者にだって、真面目でちゃんとした(decent)人はいたわよ。例えば私の父。彼は共産党員ではなかったけれど、共産主義者だった。党に入りたかったのに断られてしまったの。傷ついたわよ、もちろん。でも党と国を信じてた。毎朝、プラウダを隅から隅まで読んでいたわ。ソ連には共産党員ではない共産主義者がたくさんいたのよ。党に入った人だって世の中で出世するために入ったわけじゃない。みんな良心から入党したのよ。でも私が知っている、ちゃんとした共産主義者は誰も大きな町には住んでいなかった。

親友が一人いてしょっちゅう議論をするの。彼女によると社会主義が要求するのは「完ぺきな人間」(perfect people)。そんな人間いるわけがない。だから社会主義なんて「狂った理想主義」(crazy ideal)以外の何物でもない・・・と彼女は言うのよ。でも私は違う。私は人間は社会主義(つまり正義:justice)に向かって歩んでいると思っている。ドイツをご覧なさいよ、フランスやスウェーデンも。正義に向かって進む、それしかないのよ。ロシアの資本主義のモットーって何?金儲けしてベンツを乗り回していないようなヤツはくだらない人間だってこと?
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何かを信じている・・・

57才 女性医師 

子供のころ一年で一番楽しかった祝日は11月7日の革命記念日だったわ。1917年の10月革命の記念日。あの頃と今とでは暦が違うから11月7日が革命記念日なのよ。いつも父親に肩車されてモスクワの「赤の広場」の軍事パレードを見物したのよ。レーニン、スターリン、マルクスの大きな肖像画が飾られていた。広場が赤旗で埋まっていた。赤・赤・赤・・・赤は私の好きな色だった。革命の色であり、血の色でもあった。

世界で一番美しい国?
それが今ではさんざんよね。10月革命は「軍事クーデター」だと言うし、レーニンがドイツのスパイだったなんて言う人もいる。あの「革命」は脱走犯人と酔っ払いが引き起こしたという人もいる。私は耳を覆いたくなるのよね。私はね、生まれてこの方、自分たちが世界で一番幸せな人間だと信じてきたのよ。世界でいちばん美しい国、赤の広場のスパスカヤ塔の時計台は世界中の時間を決めている、こんな国は他にはない・・・父親にいつもこう言われていた。母も祖母もそう言っていた。


革命記念日の前の夜から家の飾りつけに忙しかったし、当日は朝早くから母と祖母が、ディナーのための特別料理を作るのに没頭していたわ。祖母はピロシキ、母は彼女得意のサラダと肉料理よ。私?私はいつも赤の広場の軍事パレードを見ながら父と一緒だった。間もなくして大きな音を立ててミサイルだの大砲だの戦車だのが私たちの目の前を行進して行った。父親は肩車の私を空高く突き上げて言ったのよ、「いいかこの瞬間を憶えておくんだぞ!」ってね。

モスクワの夜
モスクワは夜も素敵だった!初めて恋をしたのは18才のときだった。18よ!その時、彼と二人で行ったのが夜のモスクワだったのよ。そう赤の広場よ。クレムリンの壁が黒々としていたし、アレキサンダー庭園には雪が積もっていた。あのとき私は赤の広場で何もかも受け入れたのよ。そして将来は絶対幸せになるんだって思った。つい最近、夫と一緒にモスクワへ行った。でも赤の広場には行かなかった。モスクワまで行って赤の広場に敬意を払わなかったのよ!(ここで彼女は涙をぬぐう)。


社会主義は机上の空論か

あのころはラジオが一番の仲間だったわ。道を歩いていてもラジオが聞こえてくるし、家にいて窓を開けるとラジオの音楽が流れてくるのよ。勇み立つような音楽で、それを耳にするとアパート中を行進したくなった。私は祖国や党のために死ぬことを願っていたわ。私が共産党に入ったときの入党申込用紙に「必要であれば命を祖国のために捧げる覚悟もできております」って書いたのよ。

そんな私のこと、あなたはどう思う?私のことを未熟児のバカだと言う人もいる。あるいは私の言うことを「感情的社会主義」とか「机上の空論」だと言うわ。彼らには私がそう見えるってことよね。

あなた、私のこと慰めてくれる?昔はね、執筆家(writers)というのは私らにとっては教師であり、精神的なリーダーだった。でも今は違うようね。最近ではたくさんの人が教会へ行くわよね。でも信仰者(believers)というのは少ないのよ。みんな苦しんでいる(sufferers)のよ。最近の世の中でみんながトラウマ症状に陥っている。私もそう。私は聖書に忠実とかいう意味では信仰者(believer)ではない。でも私は何かを「信じている」のよ。心から信じているのよ。
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 長生きなどするもんじゃない
87才 共産党員

本当はあの世へ行ってしまいたかったのに、医者が連れ戻しやがったのさ。私は無神論者なのだが、こうも年をとると無神論もあまりあてにならない。そろそろどこかよく分からないところへ行くべき時であるとなると、物事を見る眼も違ってくるものなのだ。いつも見ている土も砂も違って見える。普通の砂を見ているのに感情的になってしまうんだ。長い間年寄りをやりすぎたってことだな。

理想を信じていたのだ!
私らの世代の人間には「偉大なる計画」(great plans)というものがあったのさ。世界革命だな。「ブルジョアたちをやっつけろ!世界中に革命の火の手を広げるのだ!」というわけさ。新しい社会、誰もがみんな幸せである社会を作りたいと思っていたし、作れるとも信じていた。大真面目に信じていた。ちょっと長生きしすぎたということかな。自分たちが夢見ていた「未来」がどのようなものであるかが見えてしまったというわけだ。多くの血が流されたものな。


私が何に驚き、何によって打ちのめされたかって?自分たちの理想が足元から崩れ去ってしまったということだ。共産主義が呪われたものになってしまった!で、私はというと「よぼよぼのアホ野郎」(doddering old fool)というわけさ。私らのことを血に飢えた連続殺人鬼だなんていうヤツもいる。ここまで長生きはするもんじゃないな(it's no good living this long)。自分の時代とともに死ぬべきだな。私の場合、自分の時代が終わっているのに、命がまだ終わっていないということ。私の友人たちは皆、何かを信じながら(with faith)死んでいった。心の中に革命の意思を抱きながら死んでいったのだ。羨ましいと思うよ、私は。あんたには分からないだろうな。

仕事・仕事・仕事・・・
私は歴史家ではないし、人間の研究をしたわけでもない。若いころから「自分の生活」なんてなかった。私の場合は共産党の命令に沿って仕事・仕事・仕事・・・それしかなかった。睡眠時間なんて3時間しかなかった。あの頃のソ連は先進国に比べると50年から100年ほど遅れていると言われていた。スターリンの『偉大なる前進』計画では、それを15年で追いつこうということになっていた。みんながそれを信じたのだ。最近では誰も何も信じないようだが、あの頃は皆が「絶対に出来る!」と信じたのさ。「資本主義に追いつこう!」というわけで、私も肉の包装工場だの建設現場だのに住み込んで、働きに働いた。おかげで勲章を二つもらったけれど、心臓麻痺も3回やった。とにかくすごい時代だったのだ。あれこそが我々の時代だった。「自分のため」だけに生きている人間はいなかったのだ。


スターリンの奴隷じゃない!!
最近もある若い女性が私の話を聞きに来たので、自分の時代について話をした。そうしたら彼女は「その時代については本で読んだことがある。ひどい時代だったのですね」などと言った挙句、「あなたたちは皆、スターリンの奴隷だったんですね」と私に説教するわけだ。違う!私は奴隷なんかじゃなかったんだ!いまどきの人間は間違っているんだよ。私はあの時代を生きたのだ。誰もが自分勝手な生き方などしていなかった、あの時代を生きたのだよ!

我々はもう二度とあんなに大きくて強い国に住むことはないだろうな。ソ連が崩壊したときには私は文字通り泣いたよ。誰もが我々の悪口を言い始めたね。消費者の勝利というわけだ。あいつらなんかシラミだよ、虫けらだ!私の「故郷」は10月革命であり、レーニンであり、社会主義なのだ。私にとって共産党以上に貴重なものはこの世にない。70年間も共産党員だったのだ。党員証は自分にとっては聖書みたいなものなのだ。
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3)「ソ連的人間」とは何であったのか?
この本の序文(と言っても10ページ以上におよぶ)は『共犯者からの言葉』(Remarks from an accomplice)となっている。「共犯者」とは著者自身のことなのですが、何の罪についての共犯者なのか?序文は次のような文章で始まっています。
  • 私たちはソ連時代に対して敬意の念をもって別れようとしている。自分たちの古びた生活との繋がりを断ち切るということだが、私は出来る限り正直にあの社会主義のドラマに参加したすべての人たちの言うことに耳を傾けようと思っている・・・
    We’re paying our respects to the Soviet era. Cutting ties with our old life. I’m trying to honestly hear out all the participants of the socialist drama…
社会主義建設を目指したソ連という国の人間であったことが「共犯者」ということになるのですが、あの時代の生活と縁を切りながらも、あの時代を生きた人びとの想いに正直に耳を傾けることこそが、「ソ連時代」に対して敬意を払うことに繋がる、と筆者は考えている。この序文自体が(むささびには)極めて刺激的な読み物であるわけですが、余りにも長すぎるので、むささびの独断によって序文の書き出しの部分だけ紹介します。
  • 共産主義には異常(insane)としか思えない計画があった。それは「古い種類の人間」(old breed of man)を作り替えるという計画だ。古い種類の人間とは、(神が作りたもうた)あのはるか昔のアダムのことであり、作り替えは実にうまくいったのだ。それはおそらく共産主義の唯一の業績と言えるかもしれない。
  • 70年以上にわたって、マルクス・レーニン主義の実験が新しい人間を生み出したのだ。「ソ連型人類(Homo Sovietcus:ホモ・ソビエトカス)」という種類の人間である。この「新しい人間」のことを悲劇的な存在(tragic figure)として憐みの気持ちで見る向きもあるし、反対に「ソ連野郎」(sovok)と蔑む人もいる。
  • ただ私自身はその人間を知っているように感じるのだ。お互いに親しい間柄で、長い間一緒に暮らしたような・・・。いや実は私自身がこの「ホモ・ソビエトカス」なのだ。私だけではない、親戚も親友も、いや自分の両親も、誰もが「ホモ・ソビエトカス」であったのだ。
筆者はベラルーシという国(かつては白ロシアと呼ばれていた)の出身であり、ベラルーシは基本的にはキリスト教文明の国なのであろうと思う。その彼女によると、旧約聖書に出てくるアダムやイブのような存在(人間)は「古い種類」(old breed)のものであり、それは社会主義によって「ソ連型人類」に作り替えられたというわけです。ではその「ホモ・ソビエトカス」というのはどんな人間なのか?アダムやイブとどう違うのか?そのあたりになると、分かりやすい説明が為されていない。ただ「ホモ・ソビエトカス」という言葉自体はアレクシェービッチ以前にもロシアの作家などによって「ソ連的常識に凝り固まった人間」という否定的な意味で使われている。要するに「ソ連は偉大だ!」とアタマから信じ込んで止まない思考法を有している人たちのことを言うのでしょう。

宗教のことは(むささびには)大して分からないのだから深入りは避けるけれど、マルクス・レーニン主義を国是とするソ連においては、Godであれアラーであれ、「神」という存在を前提とする宗教は「禁止」とまではいかないにしても、さしたる敬意は払われていなかったのではないか・・・。が、カール・マルクスらが育った文化的な背景からすれば、社会主義という思想そのものがキリスト教的な博愛主義(神の下にすべてが平等)抜きには考えられない。マルクス、レーニン、スターリンらが目指した社会主義社会の建設もルーツを辿るとキリスト教に行き着かざるを得ない(とむささびは思っている)。

しかも現実のソ連の中にはイスラム教徒がかなりの数存在していた。ウィキペディア情報によると、いわゆる「ソ連」(ソビエト社会主義共和国連邦)にはロシア、ベラルーシ、ウクライナ、カザフスタンなど15か国が加盟していたのですが、1990年の時点で人口は約3億、そのほぼ4分の1にあたる約7000万人がイスラム教徒(もしくはイスラムを文化的背景に持つ人)となっている。これは知りませんでした。

▼確認しておくと、マルクス・レーニン主義社会が宗教を退けたのは、革命前のロシアにおいて労働者階級の敵として君臨していた権力の中にキリスト教会が存在していた、ということもあるけれど、(むささびの見方によると)マルクス主義というものが「人間の問題は人間のアタマが解決する」という発想を基本としているからです。つまり筆者の言う「ソ連型人間(ホモ・ソビエトカス)」は、人間の問題や社会問題を考えるに際して神だのアラーだのという「得体の知れないもの」ではなく、人間のアタマ(知)に絶対的な信頼を置くように改造された人たちであるということになる(とむささびは考えている)。違います?

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4)崩壊から20年、それぞれの想い(2002 - 2012)
我々は勇敢で正直で甘かった!
あたしはハンター、獲物じゃない
人生、いいことなかった・・・
タジキスタン人の悲しみ
崩壊後20年目のソ連人間


我々は勇敢で正直で甘かった!

エリツィン支持者の幻滅
ソ連崩壊から2年後の1993年10月、ロシアの新憲法制定をめぐって、エリツィン大統領とハズブラートフ最高会議議長・ルツコイ副大統領を中心とする議会派勢力との間いで政治抗争が起きた。ロシア最高会議ビルに立てこもった反エリツィン派を排除するべくエリツィン大統領が軍を派遣、死者187人、負傷者437人を出す騒乱となった。新憲法は同年12月12日に国民投票で可決され、事件はエリツィンら大統領派の勝利のうちに終結した(ウィキペディアより)。つまり旧ソ連の守旧派がエリツィンに負けたわけです。
自由を勝ち取ったのに
90年代は屁みたいなものだったな。あんなチャンスはもう二度とないだろうな。エリツィンが、ロシア史上初めて国民の選挙で大統領に選ばれた、あの1991年。何もかも順調だった。自分たちは勝ったのだ!自由になったのだ!力は自分たちのものになったのだ!あのときホワイト・ハウス(ロシア連邦政府庁舎)の前にいた人びとの喜びに満ちた顔は絶対忘れないだろうな。しかし、今は違う。自分たちは甘かったということだ。情けないよ。我々は勇敢で正直で・・・甘かった!自由になりさえすれば、サラミなんか向こうからやって来ると思っていたのだよ。悪いの自分たちだ。エリツィンにも責任はあるよ、もちろん。

すべては「あの10月」に始まったのだ。1993年のあの10月、「暗黒の10月」、「血まみれの10月」だ。あの10月を境にロシアは二つに引き裂かれることになった。一つのロシアが前進しようとする一方で、あの恐怖の社会主義へ逆戻りしようとするロシアがあったということだ。「赤い議会」が大統領に従うことを拒否していたのだ。「ソ連」が降伏を拒んでいたということだ。

 

「あんたはブルジョアだ」

私も家内も大統領支持だったので、エリツィン・バッジを胸に着けていたのだが、我が家の掃除にやってきたおばさんがそのバッジに気が付いて言ったのだ。「あんたらの時代も、もうすぐお終い、いい気味だ、ブルジョアめ!」。そして私の顔も見ないで帰ってしまった。人間があんな風になるなんて、思ってもみなかった。なぜ私を憎むのだ?世の中は、素晴らしかったあの1991年と何も変わっていないではないか。

が、現実はテレビ画面にあった。ホワイトハウスが焼かれ、戦車が砲火を発射し、焼夷弾が夜空を照らしていた。エリツィンに反対するマカショフ元帥が黒いベレー帽をかぶって叫んでいた。「お前のお抱え市長もお抱え大臣も、もういない。怪物たちはいないんだ!」町中に憎しみでいっぱいだった。
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あたしはハンター、獲物じゃない
35才 広告会社勤務(女性)
私の友だちは自殺したわ。とても強い女性で、友だちはわんさといたし、皆が彼女を褒めていた。だから自殺したと聞いてみんなショックだった。自殺?何それ?弱虫だったってこと?それとも勇気ある行動だった?本当は助けを求めていた?自己犠牲?分からない・・・。私があんたに言いたいのは、なぜ私が自殺なんかしないかということなの。

大事なのは「自分」
愛があるから?もちろん違うわ。愛なんてこと私に向かって言ったのはあんたで10年ぶりだわ。愛とか幸せとか、悪いとは言わないけど、もう21世紀なのよ。誰でもいくらかのお金は作れるようになったのよ。こんなこと初めてよね。私は結婚して子供作ってというのは急ぐことはないと思ってた。自分のキャリアが大事だと思ったから。大事なのは自分、自分の時間、自分の生活よ。男が愛を求めているなんて誰が言ったの?男にとって女は遊びなのよ。彼らはハンター、女は獲物。何百年もそうやってきたのよ。女だって、男が白馬に乗って自分を迎えに来てほしいなんて思っていない。女が望むのは男が金を持って来ること。世界はお金で支配されているのよ。


この写真は本人とは無関係です

謙遜は弱さのカムフラージュ
10年前にロストフ(ロシアの都会)からモスクワで出てきた頃は燃えてた(wild, fired up)わ。自分に言い聞かせていたのは、私は幸せになるために生まれてきたんだってこと。それと、苦しむのは弱い人間で、「謙遜」(modesty)なんて弱さのカムフラージュみたいなものだってこともね。

両親は二人とも教師だった。父は化学、母はロシア語と文学の先生だった。二人は大学で知り合ったらしい。父は背広がたった一着しかない貧乏学生だったのに思想的にはリッチだった。その頃の女学生にはそれで充分だったってことよ。毎晩のように二人でパステルナークの詩を空んじて楽しんでいたんだって。『あなたの愛があれば、どこも天国だ・・・』とかいってね。私がからかって『初霜がおりるまでは、ね』(Until the first frosts)と言って笑うと、母は気を悪くして「あんたには想像力がない」と言っていた。


若いころは自分の運命をもて遊びたいなんて思ったことはあるけど、もういいわ。それは充分やった。娘も大きくなるし、彼女の将来のことも考えなきゃいけない。つまりお金を儲けるってこと。それを自分でやりたいの。他人にやってもらうのではなくてね。だから新聞社を辞めて広告会社に移ったってわけ。今の方が給料がいいの。いま誰もが望んでいるのは "beautiful life" なのよ。テレビを見てご覧なさいよ。政治デモに参加する人が何万人もいるのは本当かもしれないけど、何百万人もの人がイタリア製の家具を買ったり、自分の家やアパートを改修したりしているのよ。それから旅行も。こんなことロシアではなかったことよね。

広告が生き方を教える時代?
いま広告しているのは商品だけじゃない。自分たちの生活に何が必要かってことも広告している。というより、あたしたち(広告会社)が新しい「必要」を生み出しているってこと。ビューティフルに人生を送るには何が必要か・・・それを広告を使ってみんなに教えているのよ。あたしの生活はモノがいっぱい。結婚なんかする気ないわ。あたしの友だちは金持ちばかりなのよ。一人は石油で儲けたし、別の人は肥料で金を作ったわ。ときどき会って話をするのよ、高級レストランでね。19世紀のロシア貴族みたいに召使にかしずかれて、素晴らしい家具に囲まれて・・・悪い気分じゃないわ。


あえて独りでいる・・・
友だちの一人(男)も独身で、結婚なんかしたくないって言ってる。「寝るのは誰かと一緒、暮らすのは独りがいい」(Sleep next to someone, but live alone)とか言っている。彼は携帯電話を3つも持ってる。30分ごとに電話がかかってくる。一日13~15時間は働いている。週末もなければ休暇もなし。「それで幸福なのか」って?What happiness? どんな幸せの話?世界がぜんぜん違うのよ。最近じゃね、成功しているのは、独身に決まっているのよ。彼らは弱者じゃないし、負け犬でもない。何もかも持っているのよ、彼らは。お金もキャリアも。つまり幸せだってこと。

あえて「独り」なのよ(Being alone is a choice)。あたしは前へ進みたいの。ハンターであって、おとなしい獲物じゃないの。寂しさも一種の幸せなのよ(Loneliness is a kind of happiness)・・・こんなこと言うと、まるで「告白」みたいに聞こえるわよね。<しばらく間をおいて・・・>本当のことを言うと、こんな話をしたかったのは、あなたに対してではないのよね。自分にしたかったの。Really, it’s not you I wanted to tell all this to, it’s myself...
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人生、いいことなかった・・・
29才、ウェイトレス
人生、面白くもなんともないわよ。Life is a bitch! 本当よ。生きてるってことはピクニックじゃない。これまで、いいことなんて何もなかったものね。何も、よ。3回自殺しようとして失敗した。最初は毒を飲んだけど死ななかった。二度目は首つり。いちばん最近は手首を剃刀で切ったの。ほら、ここよ。でも助けられちゃったの。それから一週間、眠りに眠った。あたしはね、死ぬことなんか怖くないの。精神科の医者が来て言ったわ、とにかく喋りつづけろって。でもあんたに何を話せばいいの?あんた、ここへ来るべきじゃなかったのよ。ここに居たって何もいいことなんかないわよ。

インタビューの場所は彼女が入院している病院。彼女は著者に背を向けて壁の方を見てしまう。で、著者はその場を立ち去ろうとする・・・。

待って。分かったわ。でも、あたしの言うことはみんな本当のことだからね。小さい頃、朝、起きることができないことがあった。医者へ連れて行かれたけど何も分からなかった。で、占い師の女のところへ連れて行かれた。女が母に言ったわ、「あなたの娘さんが使っている枕を切り開いてごらん。ネクタイと鳥の骨が見つかるはずよ。そうしたらネクタイを道端の十字架にひっかけて、鳥の骨は黒いイヌにあげなさい、そうすれば娘さんは歩くことができるようになる」ってね。「娘さんは誰かに呪いをかけられたのです」だって。呪いだか何だか知らないけど、昔からいいことなんか何もなかった(I have never seen anything good or beautiful in this life)。あくせくするのが嫌になったの。だから手首を切ったというわけ。


小さい頃、ウチの冷蔵庫にはウォッカしかなかった。うちの村では、12の子供がウォッカを飲んでいたわ。いいウォッカは高いので、ヘンなもの使ってウォッカを作って飲んで、死んでしまった子もいるわ。

都会へ出るのは怖かった。人も車も何もかも。でも村の皆がそうするから、あたしも町へ出てきた。姉がいたので頼ってきたの。姉が言ったわ、「学校へ行ってウェイトレスになりなさい。あんは綺麗だから男が飛びつくわ。軍人とか空軍のパイロットとか」って。結局あたしが最初に結婚したのは片足が不自由な男だった。友達に「なぜあの男なの?あんたなら他にだってたくさんいるのに」と言われた。

あたしは、彼に同情したのよね。それが本当の愛だと思ったのよ。子供が3人できたわ。でも彼は酒に溺れ始めた。あたしにまで暴力を振るうようになった。ベッドに寝ようとするとナイフを構えて追い出すんだから。それで夫が部屋へ入ってくると、あたしと子供たちが部屋から出るという習慣になった。条件反射みたいに・・・。思い出すといまでも涙が出る。本当に何もいいことなかったわね。


ある日、鉄道の駅にいたジプシーの占い女に見てもらったら「あなたは間もなくお父さんを埋葬する」と言われたの。それから何日かあとに母から電報が来たのよ。「葬式がある、帰って来い」だって。父が亡くなったということ。葬式に行ったら近所の人にそっと言われたのよ、「あなたのお父さんはお母さんに鉄棒で殴られて殺されたのよ」って。で、母のいない隙に父の遺体を調べたら確かにアタマの部分に大きな傷跡が残っていたの。だから母に「この傷は何?」って聞いたら、父は薪割りをしていて誤って斧の先がアタマに当たって死んだのだと。

▼このあと彼女は、自分の母親がひどいのんだくれ女であったこと、さらには夫を二人(この女性の実父と継父)も殺した冷血女であったことを延々と語り始める。その母親は59才になったとき乳がんで死亡する。この女性も女性の姉も、母親のことを最後まで飲んだくれ女だったと考える。この女性は最初の夫と離婚後は二度と誰とも結婚などするまいと思っていたけれど、結局、アフガニスタンからの帰還兵を二度目の夫とすることになる。

昨日、ここへ夫が来て、「あの小さな絨毯(ラグ)は売ったからな。子供らが腹をすかしているんだ」と言うの。きっとまた飲んでしまったのよね。あのラグは、あたしが一生懸命お金を貯めて買った大好きなものだったのに・・・。毎晩、ずーっと起きているの。眠れないのよ。目を覚ましてじっとしていると暗い洞穴に吸い込まれていくような気分になる。ふわ~っと飛び上がったりして・・・。朝起きたら自分がどんなことになっているのか分からない。

▼インタビューを終わってアレクシェービッチが帰ろうとすると、このウェイトレスが出口まで送って来て著者を抱きしめて言ったのは "Remember me"(あたしのこと憶えていてね)という言葉だったのだそうです。

▼それから1年後、この女性は再び自殺を図り、今度は成功してしまう。遺された女性の夫は間もなく別の女性と結婚する。筆者がその女性と電話で話をすると「あの男を愛していたわけじゃないの。可哀そうだと思った(I pitied him)のよ」とのことだった。「でも、困るのはあの人がまた飲み始めたってことなの。酒は絶対に飲まないって約束したはずなのに」とのこと。そして筆者から読者への問いかけは「そのあと、彼女の言ったことはお分かりですか?」(Can you guess what she said next?)というものだった。要するに飲んだくれて暴力をふるう夫に対する不満ということなのでしょう(むささびの推測)。

▼このインタビューが出てくるのは、本の終わりの方です。年代が書いていないけれど、2012年にかなり近い時期であることは間違いない。その当時で29才だから、ソ連崩壊(1991年)のころには10才前後だったことになる。彼女の話がすべて本当だとすると、悲惨な出来事はどれもソ連崩壊の前後から最近にかけて起こったことになる。
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タジキスタン人の悲しみ
タジキスタン基金所長
モスクワにあるタジキスタン人のための組織である「タジキスタン基金」の所長が語る、あるタジキスタン移民労働者(27才)の話。タジキスタンは1929年にソ連の一部となり、1991年に共和国として独立。アフガニスタン、中国、キルギス、ウズベキスタン等と国境を接する。宗教国家ではないが、イスラム教徒(スンニ派)が圧倒的多数を占めている。昔も今もロシアへの出稼ぎ移民が多く、国家経済も彼らの仕送りに依存している部分もある(ウィキペディアより)。
 
肉体は魂を入れるための容器なのです。魂にとっての家庭(ホーム)です。イスラムの習慣によると、死体は魂が亡くなった後すぐに埋めなければならない。出来ればアラーが魂をお取りになったのと同じ日に埋葬するべきなのです。死者の家の壁には白い布が懸けられる。40日間懸けたままにしておく。すると夜に魂が帰ってきて布の上で休みながら親しい者の声を聴いて楽しい想いをする。そして・・・また帰っていくのです。

給料を払ってもらえずに・・・
ラブシャンのことはよく憶えています。タジキスタンから出て来て建設現場で6か月も働いたのに給料を払ってもらえなかった。よくある話だった。故郷に子供が4人いた。父親が病気になったというので、彼はモスクワ建設局へ出かけて行って給料を払ってくれるように頼んだけれど断られてしまった。それで切れてしまった。自宅のベランダでナイフで自分の首を切って死んでしまったのですよ。


あたしは死体置き場で彼と面会したときのことを忘れられない。見事なほどのハンサムだった。葬式のためにタジキスタン人たちから募金を集めることにした。みんな一文無しのはずだったのに、あっという間に金が集まってしまった。タジキスタン人は同国人を故郷で埋葬するためなら最後の100ルーブルだって差し出す。ただ帰郷したいというのではダメだし、子供が病気になったと言っても金は出さない。でも死んだとなると話がまるで違うのだ。ラブシャンが死んだときも、しわくちゃのルーブル紙幣をナイロン袋に入れてあたしのところへ持ってきた。


別の話だけど、タジキスタン移民が住んでいるアパートを警官が急襲したことがある。妊娠中の女と彼女の夫が暮らしていた。警官が、女の目の前で男の方を殴り始めた。二人がまともな居住許可書を持っていなかったというのが理由だった。警官が男を殴りつけている間に女が出血してお腹の子供と一緒に死んでしまった。

タジキスタン人の悲しい話はまだまだある。彼らはあたしの兄妹みたいなもの。あんたらには彼らは全部同じように見えるのですよね。髪が黒くて、汚くて、しかも敵意に満ちていて・・・。彼らは、神様があんたらの家の前に置き忘れていった「見知らぬ者の悲しみ」(stranger's grief)みたいなもの(厄介者)なのですよね。でも彼らはモスクワへ出て来て「見知らぬ人びと」と暮らすなんて思っていなかった。彼らの親たちはUSSR(ソ連)で暮らしたのだし、モスクワは皆の首都(everyone’s capital)だったのよ。彼らはみんなそう思っていたのよ。

▼崩壊する時点のソ連という国は、ロシア、ウクライナ、ジョージアなど15の共和国から成っていたけれど、そのうちカザフスタン、キルギスタン、タジキスタンなど少なくとも6~7か国はイスラム教徒が多数を占める国だったのですよね。1990年の時点におけるソ連の人口は約3億、そのほぼ4分の1にあたる約7000万人がイスラム教徒(もしくはイスラムを文化的背景に持つ人)だった。このことには気が付かなかったけれど、ソ連の崩壊が世界のイスラム教に与えた影響はさぞや大きなものがあったでしょうね。
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崩壊後20年目のソ連人間
2011年反政府集会にて
2008年
メドベージェフがロシア大統領、プーチンは首相に
2010年
ベラルーシのルカシェンコ大統領が大統領に再選、反対派を弾圧
2011年
12月、プーチン首相が翌年の大統領選への出馬を表明、反対運動起こる
2012年
2月、プーチンが大統領選に勝利(得票率63%)
2011年12月4日にロシア連邦で行われた下院選挙に不正があったとされる疑惑が発端となって反政府デモが発生する。このデモはソ連崩壊後、最大級の反政府デモとなった(ウィキペディア)。
<以下で使われている写真と本文は無関係です>
俺たちをバカにするな!
私が抗議デモに行くのは、私たち(ロシア人)のことをアホ扱いするのはいい加減にしろと言いたいからだ。自由な選挙を返せ!最初のデモではポロツナヤ広場に何と10万人が集まったのだ。まさかそんなに集まるなんて、誰も想像していなかった。ただ、それから何回かデモを続けて行くうちにデマが飛び交いデモ隊も法律違反をするようになった。いい加減にしてくれ!皆がテレビを見て、新聞を読んで、政治の話をするようになって、政権批判をすることが流行のようになった。誰もがおしゃべりになったというだけのことかもしれない。
本当はボランティア活動の方がいい
以前は政治に関わることなどなかった。仕事があって、家庭があって、それで充分と思っていた。私の場合は、もっと「小さな行い」(small deeds)の方に惹かれていた。例えばホスピスでのボランティア活動とか。モスクワ郊外で山火事があったときは、被害者のところへ食べ物や衣類を持って行くボランティアをやった。それまでになかった経験だった。母親がいつもテレビを見て、政府のウソつきたちのことを怒っていた。そこで二人でデモに参加したんだ。母は75才だよ!彼女は女優をやっていたけれど、デモへ行くときは二人とも花束を持参することにした。花束を持っている人間を撃つヤツはいないからね。
革命は怖い!
私は革命を恐れている。いつかロシア武装蜂起が起こると思う。くだらなくて、情け無用の武装蜂起だよ。そうなると家でじっとしているわけにはいかないだろうな。「新しいソ連」(new USSR)など要らない。「生まれ変わったUSSR」も要らない。
ソ連人間のまま死にたくない
私はソ連人間なのだ。何でも怖がる。10年前なら、絶対にデモのために広場へ行くなんてことなかっただろうな。今ではどんなデモにでも出かける。反プーチンのWhite Ringにも参加している。自由な人間になることを学んでいるのだ。とにかく今の自分のままじゃ死にたくない。ソ連的なものを自分から捨てたいのさ。
ゲバラではないけれど
自分はシェ・ゲバラのような革命家じゃない。ただの臆病者だよ。それでも集会という集会には必ず出かけるのだ。自分で恥ずかしいと思うような国には住みたくないものな。
もう遊びではない
私は左翼。非暴力では何もできないよ。血に飢えているのだ!流血なしには大きなことは絶対にできない!なぜ道路に出ているのかって?クレムリンに突入するためさ。これはもう遊びではない。クレムリンはもっと前に占領するべきだったのだ。周囲で何か叫んでいるだけでは何も起こらない。命令さえしてくれれば熊手を持って戦うよ!
反・反プーチン
私は反プーチン・デモには反対。モスクワやサンクトペテルブルグでは反対派が多いかもしれないが、他の町ではみんなプーチンを支持しているよ。我々の生活は、本当に皆が言うほど貧乏かね?昔に比べればずっとマシなのでは?いま自分たちが持っているものを失うのは怖いよね。苦しかった90年代のことは誰もが憶えている。破壊して、血を流して・・・誰もそんなこと望んではいないよ。
「小さな皇帝」は好きじゃない
私はプーチン政府はあまり好きではない。あの小さな皇帝にはうんざりなのだ。リーダーも交代制にするべきだ。変革が必要なことは間違いない。でもそれは革命ではない。デモ隊が道路の敷石をはがして警官に投げつけるのはよくないよ。
国務省の陰謀だ
この反政府デモはアメリカ国務省の陰謀だ。何年も前のペレストロイカと同じだよ。あの結果この国はどうなったのか?迷路に入り込んだだけだったじゃないか。私はこんなデモには行く気はない。むしろプーチン支持集会に参加したいね。
ロシアに民主主義は来ない
「プーチンよ、出て行け!」なんて叫んでるけど、プーチンが本当に出て行ったらどうなると思う?また別の独裁者が出て来てプーチンの座につくだけだよ。何も変わらないってこと。泥棒は増えるし、年寄は捨てられるし、交通警官は鉄面皮だし、役人の汚職は当たり前だし・・・いくら政府を変えたって、自分らが変わらなければ何も変わらないんだ。ロシアに民主主義ができるなんて信じられない。ここは封建的な東洋の国なのさ。知識人より聖職者の方が力が上の世界なのさ。
政府に興味なし
私は、政府のことには関心を持たないことにしたのだよ。自分の関心事のリストから政府は除いたということだ。私にとっての優先事項は家族・友人・仕事。私の言っていること、分かった?Have I explained myself?


▼これらのコメントは2011年12月4日の反政府(メドベージェフ大統領+プーチン首相)デモの会場付近で、アレクシェービッチが参加者たちから拾ったものです。年齢・性別・職業は何も書いていないし、全員が全員、反プーチンというわけではない。むささびにとって興味深いのは、これがソ連崩壊(1991年)からちょうど20年目のロシア人たちの時代感覚かもしれないということです。

▼日本がそれまでの体制を粉みじんに砕かれたのが1945年です。その20年後というと、東京オリンピックの翌年ということになる。その頃の日本人の気分と2011年当時のロシア人のそれを比較する意味でもこれらのコメントは興味深いと(むささびは)思うのであります。
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5)ペレストロイカとは何であったのか?
ロシア革命(1917年)→ソビエト連邦成立・スターリン独裁体制(1922年)→スターリン死去(1953年)と進んできた「ソ連」において、スターリンの死後32年経った1985年に登場したのがゴルバチョフ政権。ペレストロイカの名のもとにさまざまな自由化が進められる。ゴルバチョフ本人にはその気はなかったけれど、彼が火をつけた改革の波が最終的には6年後のソ連の崩壊に繋がった。ペレストロイカという改革に対する人びとの反応はさまざまだったようです。以下、紹介するのは3人の普通のロシア人の言葉ですが、年齢も職業も書かれていない。ただアレクシェービッチが彼らの言葉を記録したのは1991年のソ連崩壊から10年以内のことであることは間違いない。
ペレストロイカはインテリが創ったもの
「自由」の味は忘れない
ゴルバチョフはアメリカの手先だった!

ペレストロイカはインテリが創ったもの
あの頃は、とにかく大群衆が「自由だ!自由だ!」と叫んで町中を練り歩いていたよ。スターリンがどんな人間だったか、強制収容所(Gulag)生活の実態は如何にひどかったかなどということを知るようになって、みんな飢えた人間のようにデモに参加していた。これからおれたちも民主主義者だ!というわけさ。とんでもないハナシさ。スピーカーが、「急げ・急げ・読むんだ・聞くんだ!!」とがなり立てるんだ。でも、みんながみんなそんな気になっていた訳じゃない。「反ソ連」なんて人はほとんどいなかったよ。みんなが望んだのは「いい生活」(to live well)をするってことだけ。例えばブルージーンズをはいて、ビデオレコーダーを持って、クルマを運転して、いいもの食べて・・・そういうものを望んだだけだった。

ペレストロイカ以前、僕の両親も、彼らの両親も、みんな支え合いながら生きていた。そういうものがペレストロイカですべてぺちゃんこに潰されてしまったわけだ。ペレストロイカは人民によって創られたものではない。あれはゴルバチョフと一握りのインテリとエリートたちが創ったものだったのだ。

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「自由」の味は忘れない
あれは素晴らしかったけれどナイーブでもあった時代だった。みんなゴルバチョフを全面的に信用していた。あんなこと、それまでになかったものな。外国にいたロシア人がみんな「祖国」に帰ってきた。国中に喜びが溢れていた。でも間もなくして事情が変わった。みんなが「自由」を叫んでいる一方で食べ物が店から消えて行った。砂糖も塩も。怖ろしい気がした。間もなく配給カードが配られるようになった。まるで戦争の時代のようだった。

うちでは祖母が町中走り回っていろいろなモノをかき集めてきた。そして我が家の寝室は砂糖や穀物が入った袋でいっぱいになり、ベランダには洗濯用の粉石けんが山積みされた。父が涙を流して泣いていた。「これでソ連も終わりだ」(This is the end of USSR)というわけです。父は兵器工場で働いていたけれど、そこで急にミサイルに代わって洗濯機や掃除機が生産されるようになった。ソ連も終わり・・・父にはそれが分かっていたのでしょうね。間もなく彼は工場をクビになった。

町には「ゴルバチョフは役立たず!」と叫ぶデモ隊が現れた。みんながモノを買いあさり、それを売って生活するようになった。私も電球だのオモチャだのをバッグに詰め込んでポーランドまで売りに行った。嫌だったなぁ。ブラックマーケットが横行し、金貸しが大きな顔をするようになった。社会主義がダメになって資本主義社会が出来上がっていた。カール・マルクスの予言とはまるで反対ではないですか!

ただ・・・(長い沈黙があって)・・・私はあの時代を生き抜けてよかったと思っていますよ。共産主義が倒れて永久に消えてしまった(It's gone forever)のですから。あのときの自分たちが呼吸した「自由の空気」の味は絶対に忘れないでしょうね。
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ゴルバチョフはアメリカの手先だった!
ゴルバチョフはアメリカの秘密警察の人間だった。そして共産主義を潰したのだ。私はゴルバチョフは大嫌いだ。なぜなら彼は私から母国を奪った人間だからだ。ソ連は私の母国であり、私は愛していたのだ。石油、天然ガス、材木等々、ロシアは天然資源の倉庫みたいなものなのだ。欧米は共産主義であろうがなかろうが、強いロシアは嫌なのだ。だからロシアが強くなることを阻止しなければならないと考えて、ゴルバチョフに結構なカネ(a tidy sum)を払ったというわけだ。私ならゴルバチョフなんてすぐに処刑する。自分の手で撃ち殺すよ。

ペレストロイカのおかげでハッピーになったって?そうだろうよ、サラミもバナナもあるからな。私たちはクソの中を転げ回りなら外国の食べ物を食っている。我々が住んでいるのは「母国」(Motherland)などではない。スーパーマーケットだよ。巨大なスーパーに暮らしているんだ。これが「自由」だと言うのなら、そんなもの要らない。To hell with it!

いいか、ロシアは奴隷の国(a nation of slaves)になり下がってしまったのだよ。共産主義だったころ誰が国を支配していたのか?レーニンの言葉を借りるならば、「労働者」が支配していたのだ。それが今はどうだ、議会にいる奴らはドルで大儲けした百万長者だちだ。彼らはペレストロイカで我々を騙しただけなのだ。議会ではなく刑務所に送るべきなのだ!
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6)著者インタビュー:内なる「ソ連人間」に決別する
ロシア連邦政府の発行するシースカヤ・ガゼータ(ロシア新聞)という新聞社が主宰するロシア関係の英文専門サイトにRUSSIA BEYOND THE HEADLINESというのがあります。日本語版は「ロシアNOW」として作られているようです。この英文サイトの2013年10月14日版にSecond-hand Timeの著者とのインタビューが掲載され、この本を出版した意図などについて語られています。2013年10月というと、この本のロシア語版が出版されたばかりの時期にあたります。インタビュー記事の見出しは
  • Saying a long farewell to the inner Red Man
    内なる赤い人間に長いお別れをする
となっている。「内なる赤い人間」(inner Red Man)とは、ソ連崩壊後も自分の中に存在するソ連的な考え方とか生活スタイルのこと。そういう意味で、Second-hand Timeという本は、自分の内なるソ連的なものに永遠に別れを告げようとする「ソ連人」たちのいまを伝えようとしている作品であるということになる。

スベトラーナ・アレクシェービッチは1948年生まれ、ということは5才のときにスターリンが死んでおり、ソ連・ワルシャワ条約軍がチェコスロバキアに侵攻して「プラハの春」を潰したときには20才になっていた。43年間はソ連で過ごしたわけで、「ソ連人間との決別」は自分自身の話でもあるということです。
 
"Second-Hand Time"の中であなたは人間の「心の中の社会主義」というテーマを追究しているように思えます。

決別は容易ではない

私が追究したのは、例えば儀式とか服装などに象徴される「表に現れた社会主義」「オフィシャル社会主義」ではなく、いわば「内なる社会主義」("home" socialism)だ。「オフィシャル社会主義」の方はソ連の崩壊をもって消えてしまったけれど、「内なる社会主義」の方は人間の深い部分で今も生きている。25年も前に「オフィシャル社会主義」が崩壊したときに、私たちは、あのような非人間的な経験(社会主義のこと)から決別するのは簡単だと思っていた。でも、それは甘かった。決別どころか、私たちの内なる「社会主義者」(赤い人間:red man)は全然死んでいない(still alive in us)ということだ。

その「内なる赤い人間」たちは、あなたの本によるときわめて複雑な存在のようです。

社会民主主義が望ましい

私は「内なる赤い人間」たちを弁護するつもりはないが、これまでの彼らに対する世間の仕打ちはかなり厳しいものであったことは事実だと思う。ソ連的なものが何もかもがぶち壊されたけれど、その際に社会の未来像についての真剣な議論が何もなされることがなかったのだ。ソ連時代を擁護する気はないが(社会主義建設であれ、それからの脱出であれ)私たちが血を流して戦ったものの価値については何も評価されていないのは残念というほかない。私自身は社会民主主義社会(social-democratic society)がいいと思っている。7年間スウェーデンで暮らしてみて、国家管理とか人間の平等という考え方にはいい点も多くあるということが分かったつもりでいる。ソ連崩壊後の私たちの社会は、あのような線に沿って改革されても良かったのではないか、ということだ。

「共産主義的人間」(red man)が急に極端な快楽主義者に変わってしまった。なぜだと思いますか?

「理想」は語るけど・・・

私たち(ソ連社会の経験者たち)には文化的に完全に発達し切れていない(not fully developed)部分があると思う。私たちにはいつもがつがつと権力を掌握して何事かを成し遂げようとするエネルギーのようなものはあるかもしれないが、自分たち自身の生命とか魂をどう満たすのかということについては、誰も語ろうとしないということだ。国を敵から守るために命を捧げるというような「高邁なる価値観」(higher values)は語るけれど、日常生活については何も語らない。

この本にはさまざまな人間の声の大合唱が記録されている。そのような大合唱を聴きながら、あなたは、自分たちがいま「中古の時代」(second-hand time)を生きているのだという発想をどのようにして見つけたのか?

自由には努力がいる・・・

我々にはこの(ソ連崩壊後の)新しい生活を送るだけの能力も欲求も思想も経験も・・・何もないのではないかということ。ペレストロイカの間、私たちはただ自由とか改革などについて話をしていればいいと思っていた。話だけしていれば自由が向こうからやって来ると・・・。でも実際には自由は非常に大きな努力を要求するものである(freedom is a hell of a lot of effort)ことが分かったということだ。

私たちは何故か「高い理想のために血を流しさえすれば、新しくて本物の人生がやって来る」と考えがちなのだ。ロシア文学にはそのような発想がある。しかし実際には「新しい生活」だってだらだらして退屈なものであり、古臭くて偏見だらけの時代(a time of the old, old prejudices)でもあるということだ。

ヨーロッパには実にいろいろなグループがあって、いつも自分たちのコミュニティを良くする方法とか、子供の育て方などについて話し合っている。彼らはまた飢餓で苦しむアフリカの人びとを救う方法などについても語り合っている。そのようにして時間を過ごすことで、魂の中にある種の特質(quality)のようなものが生まれてくる。しかし私たちにはそれがない。どういうわけか、何をやっても「憎しみ」に結びついてしまう。いつも「アイツは敵なのか味方なのか」という話になってしまう。

自分たちが相変わらずそのような行動・思考様式にとらわれているとすると、内面的にこれまで違う人間(different "inner man")など生まれるものなのでしょうか?

インテリやエリートは沈黙を破れ
ロシアは大きな国であり、何もかも管理して自由の体験そのものまで圧殺することは不可能だ。いまでも社会的な勇気(civic courage)を持つ新しい人びとが出て来ている。彼らの考え方はすべてにおいてこれまでのそれとは違う。とはいえ、新しい世代の人びとが「自由」という難しい体験を自分のものにするためにはインテリ層との対話が欠かせない。リュドミラ・ウリツカヤやボリス・アクーニン(日本文学研究者)のような作家、オルガ・セダコーワのような詩人もいる。ほかにも面白い人はたくさんいると思う。

私の本に出てくる人たちの中には、自分の友人が発禁処分を受けたような本を自費出版したことで刑務所に送られたことがあるという人が多い。彼らの多くが「いま一番大切なのは自由の扉を開くことだ」と考えたのだ。なのにその扉が開いたと思ったら、人びとは自由とは反対の方向へ走り始めてしまったということだ。

誰もが着飾って、高価な靴を履いて、アンタルヤのような観光地へ行きたがったのだ。彼らの中から、現在のバケモノ(成金人間たち)が現れたのだ。(ソ連という)巨大な怪物を相手に戦って勝利したけれど、その怪物には数百万もの子供の怪物がいたなんて・・・誰も分からなかったということだ。ある意味で昔より状況は悪い。私たちはそのような怪物たちに対処するだけの文化的なスキルを持ち合わせていないのだから。しかしソ連の崩壊から20年が経過したのだ。インテリやエリートたちは沈黙を破らなければならない。いまこそ声を発するときなのだ。
▼要するに、ソ連崩壊後のロシアでは社会主義的なるものを何から何まで無批判に否定しすぎて、否定した後にどのような社会を作るのかということを考えることをしなかった。おかげ弱肉強食社会のようなものが出来上がってしまった、と著者は考えているということですね。それこそ欧米社会が経験してきた資本主義のセコハンなのであり、そのようなもののためにソ連を潰したのではない。それから抜け出すために「インテリやエリートたちは沈黙を破らなければならない」と言っている。

▼自身も「ソ連人間」であると考えている著者は、スウェーデンで暮らしてみた経験として「社会民主主義社会が望ましい」としている。彼女に関する限り「ソ連の否定=社会民主主義の否定」ではない。社会福祉、国家による経済活動の管理、社会的平等を重視するというスウェーデンについて「そのやり方の方が自分たちにとっては自然だったのではないのか?」と言っている。

▼ソ連が崩壊したときサッチャーやレーガンは、あたかも彼らが推進する自由競争社会こそが人類の最終到達点であるかのように言って、社会福祉とか平等などという発想は社会主義の遺物として否定した。が、あれから25年、BREXITといいトランプといい、英国とアメリカが自分たちのシステムの機能不全状態にたじろいでいる(ように見える)。
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7) どうでも英和辞書
  A-Zの総合索引はこちら 

second-hand:「中古・セコハン」、「また聞き」、「受け売り」


最近あまり使われなくなったカタカナ言語に「セコハン」というのがあります。"second-hand" のカタカナですよね。中古品という意味です。"second-hand"を英和辞書で調べたら「中古車」(second-hand cars)、「また聞き情報」(second-hand information)、「受け売りの知識」(second-hand knowledge)などの例が出ていた。要するに「すでに誰かの手を経ている」という意味でよね。自分が直接手に入れた情報とか経験だと "first-hand information/experience"などとなる。

というわけで、アレクシェービッチの "Second-hand Time" を訳すと「中古の時代」となる。でもどういう意味なのかと思っていたら、10月20日付の書評誌(London Review of Books: LRB)がこの本を紹介するエッセイを載せており、その意味が分かりました。すでに他者が経験した時代をいま経験しているという意味で「中古の時代」であるわけです。

かつてのソ連を支配したマルクス主義の理論によると、歴史は「資本主義⇒社会主義」の順で流れるのであってその逆はない。資本主義社会の矛盾(貧富の差・金中心の思想など)が一定の段階に達すると、労働者階級を中心とする革命が起こり、世の中は社会主義社会へと移行する、と。なのにアレクシェービッチも含めて、「ソ連人」たちが経験したのは、「社会主義⇒資本主義」という流れだった。たぶん中国も同じです。

彼らがいま体験している資本主義は、すでに欧米の人たちが体験してしまっている体制である。つまりソ連人には新しい(first-hand)かもしれないけれど、実際には「セコハンの時代」である・・・と。"Second-hand Time"という本のタイトルはロシア語版のタイトルの直訳なのだそうです。

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8) むささびの鳴き声
▼"Second-hand Time" という本は、著者による「序文」から「あとがき」まで694ページある。最初から最後まで、人間の話し言葉の連続であるわけですが、いわゆる「筋書き」(起承転結)がない。読む順序というものがない本なのです。どこからでも読める。例えばモスクワの広告代理店勤務の女性は「あたしはハンター、獲物じゃない」という見出しのトークの中で「世の中、自由にお金儲けができるようになってよかった!」と言っているし、「タジキスタン人の悲しみ」ではタジキスタン人の若い移民労働者の悲しい物語が告げられる。二つの話には、舞台がロシアであるということ以外何の関連性もない。

▼膨大な数の会話の生中継なのですが、それぞれの長さもまちまちで、独りでほぼ20ページも語っている部分もあれば、数行でお終いというのも結構ある。語り手の氏名・職業・年齢が書かれているものもあれば、何も書いていないのもある。これでは要約のしようがないので、むささびの独断で「面白い」と思った部分だけ抜き出して紹介することにしたのがこれです。

▼個人の語りの生中継という点では、以前に紹介した作品と同じなのですが、決定的な違いもある。前の作品は「チェルノブイリ原発事故」と「アフガニスタン戦争」と、テーマである出来事がはっきりしていました。"Second-hand Time"の場合にも「ソ連崩壊」という「出来事」はあるけれど、戦争や原発事故ほどには目に見えて捉えようがない。あえて「テーマ」と言えば、「時代」ということになる。ソ連が崩壊してから20年という「時の流れ」が人間の会話を通して描かれているのです。

▼たくさんの会話の生中継と言ったけれど、全体を通して筆者のメッセージらしきものも少しは感じられる。ソ連時代への拒否反応が前提になってはいるけれど、ゴルバチョフらが進めた社会改革(ペレストロイカ)の成果に対する失望感も強く出ている。崩壊後20年が経過した時点における反政府デモ参加者の「ロシアに民主主義ができるなんて信じられない」という言葉がそれを表していると思うのですが、筆者のアレクシェービッチは
  • 私たちにはいつもがつがつと権力を掌握して何事かを成し遂げようとする文化エネルギーのようなものはあるかもしれないが、自分たちの生命とか魂をどう満たすのかということについては、誰も語ろうとしない。

    と言っている。
▼むささびの解釈によると、ロシア人は「全体」を語るのは好きなのに、「個」の在り方については語るのも考えるのも面倒くさいと考えてしまう・・・と言っているのではないか?共産主義という極端に自由の少ない体制から抜け出したと思ったら、今度は極端な億万長者が跋扈してしまう。アレクシェービッチ自身は、それが穏健に進められる限り、国家が経済運営に干渉する社会民主主義体制にはそれほどの拒否反応を持っていない。スウェーデンでの暮らしが快適であったというのは、そういうことですよね。

▼「むささび」を受け取ってもらっている人の大半がむささびと似たような年代の方々です。「社会主義」というものがこの世から消えてしまうなんて、思ってもみなかった時代に学生時代を過ごしたということです。その頃むささびが読んだ本の中には、岩波文庫の『共産党宣言』(マルクス+エンゲルス著)や『空想から科学へ』(エンゲルス著)などが含まれている。それらの本のメッセージは、資本主義社会はそれ自体が抱える矛盾(貧富の格差や富の独占など)に耐えられなくなり「必然的」に社会主義へ移行する、ということだった(と記憶しています)。なのにソ連では社会主義がその矛盾に耐えられず資本主義へ移行してしまった。

▼(話は違いますが)電通社員の過労死自殺が話題になっています。10月28日・朝日新聞のサイトによると、電通には「鬼十則」というのがあって、社員は(例えば)「取り組んだら放すな、殺されても放すな、目的完遂までは・・・」などと教えられている。要するに「仕事あっての自分」という哀しい集団心理のおかげでたまには犠牲者も出るのはしゃあない・・・という世界です。この会社が2020年東京五輪の誘致に大きな役割を果たしている。「殺されても放すな」をモットーに取り組んでいるのですよね。そのようなプロジェクトが健全であるはずがない。非常に言いにくいけれど、こんな企業のために「過労死」なんて、あまりにも悲しい。

▼でも・・・社会主義崩壊で誕生した、ロシアの超金持ちは「13~15時間労働が当たり前、週末もなければ休暇もなし」なのだそうで、「それで幸せなのですか?」とアレクシェービッチが聞いたら "Happiness? What happiness?"(幸せ?何のこと?)という答えが返ってきた。電通の幹部も同じことを言うのですよね。そして電通を通じて入ってくる広告やコマーシャル抜きには、新聞社も放送局も成り立たない。"Second-hand Time"に登場する、モスクワの広告会社勤務の女性は「ビューティフルに人生を送るには何が必要か・・・それを広告を使ってみんなに教えているのよ」と豪語しています。

▼昨年の今ごろは庭の柿の木に実がいっぱいなっていて、わんさと干し柿を作って食べまくったのに、今年はほとんどゼロ。来年に期待するっきゃない。日ハムが優勝しましたね。大谷という選手、驚きですね。打撃のいい投手というのは過去にもいました。南海⇒巨人の別所、国鉄⇒巨人の金田(正一)、阪神の小山、西鉄の稲尾ら。でも大谷はけた違い。

▼つい長々、だらだら、失礼しました。
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むささびへの伝言