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315号 2015/3/22
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美耶子の言い分 美耶子のK9研究 むささびの鳴き声 どうでも英和辞書
昨日(3月21日)のテレビによると、鹿児島市で桜が咲いたのだそうです。埼玉県の我が家の近辺では梅の花が咲き乱れているという風情です。梅というのは、どちらかというと「ひっそり」が似合うのでありますが、ことしはいつもよりも明らかに派手に咲いてしまっています。もうすぐウグイスが鳴くでしょう。そうなると本当に春本番です。上の写真はある日のアフガニスタンだそうです。前に坐っている子は眠っていますねぇ!

目次
1)BBCの国際世論調査:それぞれの外国観
2)E・フロムが感じた芭蕉とテニソンの違い
3)チップの社会学
4)ビザの値段
5)国の屈辱感は放っておけない
6)どうでも英和辞書
7)むささびの鳴き声


1)BBCの国際世論調査:それぞれの外国観

BBCの海外放送(World Service)が毎年行っている国際世論調査に"Global Survey on Country Influence"と呼ばれるものがあり、むささびジャーナルでも一度だけ紹介したことがあります。世界中の人びとが自分たちのものも含めた国々についてどのような印象を持っているかを数字で示したものです。今回紹介したいのはその最近版で2013年から2014年にかけて行われた調査の結果です。

評価対象は16カ国+EUですが、アンケート調査には評価対象国も含めた24カ国、約2万4000人が参加しています。質問は、それぞれの国が世界に対して「良い影響力」(positive influence)を持っているか「悪い影響力」(negative influence)を持っているかというもの。調査結果(全体)は次のようになっている。


このグラフの中でむささびが注目するのは「イスラエル」です。最近、アメリカの世論調査会社であるギャラップが、「アメリカ人の外国観」(Americans' Views of Foreign Countries)という世論調査結果を発表しているのですが、それによるとイスラエルは22カ国中の7番目に「好ましい国」とされている。なのにBBCの調査では16カ国中、下から4番目で、ロシアよりも低い。辛うじて北朝鮮を上回っており、アメリカ人とその他の外国人の対イスラエル観の違いがくっきり出ている。

次にBBCの調査の中から日・英・中だけを取り出して、それぞれが近隣諸国からどのように評価されているのかを紹介すると次のようになる。


中国と韓国による対日評価が圧倒的に低いわけですが、中国の場合は前年比で「好ましくない」が16ポイントも増えている一方で「好ましい」は17から5ポイントへと落ちている。BBCでは90%が否定的というのは「驚くべき数字」(astonishing)だとしています。


前年比でいうと、インドの対中イメージが多少悪くなっている(36%→33%)けれど、オーストラアリアでは2013年は「36:55」で否定的な見方が勝っていたのに2014年には「47:44」へと逆転して大いに上がっています。韓国の対中イメージは「32:56」で否定的なのですが、それでも前年に比べると肯定的な意見が9ポイントも伸びている。


英国について、フランス人は肯定的なのにドイツとスペインがそれほどでもないのですね。それからEU全体でも一応「好ましい」が勝ってはいるけれど、否定的な意見も4割を上回る。EU圏内における評価ではフランス、英国、ドイツの順で評価が高くなっています。英国への評価という点では、イスラエルとロシアで「分からない」が非常に多いのも面白い。決して否定的ではないのですが、それほど味方とも思われていないということ?

最後に紹介したいのは、それぞれの国の人たちが自分の国についてどのように評価しているのかに関する数字です。


自国への評価が最も高いのが中国であり、低いのはイスラエルというわけですが、むささびが注目するのは日本とイスラエルの「分からない」という部分なのであります。他国に比べると異常に高い。イスラエルの場合は電話、日本については直接面談で意見を聞いているのですが、「分からない」には「一概に言えない」(depends)「中立」(neutral)「分からない」(don't know)という答えが含まれている。イスラエル人の場合は、国論二分というような状況にあるのではないかと想像するのですが、日本人の「分からない」は何なのでしょうか?韓国、英国、フランスなどは「分からない」が少なくて、自国への批判的な姿勢が(日本よりは)高い。日本人の「分からない」と「好ましくない」を足すとちょうど50%になる。

▼日本人と英国人の相互観についていうと、英国人が日本人について「好ましい:65 好ましくない:24 分からない:11)という印象であるのに対して、日本人が英国について抱いている感覚は「好ましい:47 好ましくない:2 分からない:51)です。日本人ほど英国について否定的な印象を持っている割合が低い国は他にないのですが、「分からない」が半数を超えている。

▼つまり英国には関心がないということ?だとすると英国にとっては由々しき事態(!)と思ったのですが、実は日本人はほぼどこの国に対しても「分からない」が多いのです。対米で55、対独で51、対露で60、対仏にいたっては58%もの人が「分からない」としている。つまり外国について知る気がないとも言えるのだから、「由々しき事態」にあるのは、むしろ日本人なのかもしれない!?でも日本人は自国についも「分からない」が多いのですよね。どういう人たちなんだか、むささびにも全く「分からない」。
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2)E・フロムが感じた芭蕉とテニソンの違い

いきなりですが、下の英文を読んでみてくれませんか?
  • When I look carefully
    I see the nazuna blooming
    By the hedge!
お分かりの方もいると思うけれど、これは松尾芭蕉(1644~1694)の有名な俳句の英訳です。
  • よく見れば
    薺(なづな)花咲く
    垣根かな
ふだんは気にも止めぬ垣根の根元に、よく見ると、薺の花がひっそりと咲いている・・・という風景ですね。薺の花というのは、いわゆるぺんぺん草のことらしいですね。次にもう一つ読んでくれませんか?
  • Flower in a crannied wall,
    I pluck you out of the crannies,
    I hold you here, root and all, in my hand,
    Little flower --- but if I could understand
    What you are, root and all, and all in all,
    I should know what God and man is.
    ひび割れた壁に咲く花よ
    私はお前を割れ目から摘み取る
    私はお前をこのように、根ごと手に取る、小さな花よ
    もしも私に理解できたらお前が何であるのか、根ばかりでなく、お前のすべてを
    その時私は神が何か、人間が何かを知るだろう
これは英国の詩人、テニソン(Lord Alfred Tennyson:1809~1892)の作品です。日本文はネットに出ていたもので、むささびの和訳ではありません。芭蕉の俳句とテニソンの詩は、何年も前に亡くなったアメリカの社会心理学者、エリッヒ・フロム(Erich Fromm: 1900~1980)が、日本の禅学者である鈴木大拙らと共同で書いた『禅と精神分析』(Zen Buddhism and Psychoanalysis)という本の中に収容されています。

エリッヒ・フロムは1900年にドイツのフランクフルトで生まれたユダヤ人なのですが、ナチスの政権誕生後、1931年にアメリカへ移住しています。1941年に代表作であるEscape from Freedom(自由からの逃走)を著して以来、常に欧米の資本主義社会における個人の疎外感や不安のようなものについて研究した心理学者なのですが、その過程で禅と巡り合い、1960年に鈴木大拙らと共同で出版したのが『禅と精神分析』です。上に挙げたテニソンの詩と芭蕉の俳句の比較は、この本に寄稿した鈴木大拙のLectures on Zenbuddhism(禅に関する講義)と題するエッセイの中で触れられているものです。

欧米の読者に「禅」を分かりやすく説明するために、鈴木大拙は、テニソンと芭蕉の作品の違いの中に西洋と東洋の違いが示されているとして次のように書いています(鈴木大拙の原文は英語です)。
  • 芭蕉も含めて東洋の詩人には「自然詩人」(nature poet)が多い。彼らは自然を愛するあまり、その鼓動(pulse)まで感じて自然と自分を一つにして考えるようになる。それに対して西洋人は人間を自然から引き離し、自分と自然は別物であると考える傾向にある。そして自然は人間によって「利用される・人間の役に立つ」(to be utilised)ものとしてのみ捉える傾向にある。
鈴木大拙の説明によると、この俳句は松尾芭蕉が薺の花を見ているだけではなくて、薺の花の方でもじっと芭蕉を見ている・・・と芭蕉が感じているということなのだそうであります。

一方のエリッヒ・フロムは、テニソンも芭蕉も道を歩いていて、垣根(壁)に咲く花に目を止めたところまでは同じでも、その後の行動が全く異なることに注目している。テニソンは花を自分の手で摘み取って観察・理解することによって、「神が何か、人間が何かを知るだろう」と言っている。
  • この詩に見るテニソンは、西洋の科学者にたとえることができるだろう。生命というものをずたずたに切り裂くことで真実を探し求めようとする科学者である。
    Tennyson, as we see him in his poem, may be compared to the Western scientist who seeks the truth by means of dismembering life.
テニソンは摘み取った花をいろいろと分析していくなかで「人間とは何か?神とは何か?」というような哲学的な問いに対する答えを見出そうとするけれど、その過程で花は死んでしまう。松尾芭蕉は全く違う。花を摘み取るなど、とんでもない、触りさえしない。ただ「よく見る」(look carefully)ことで、ぺんぺん草の花が咲いているのを「眼にする」(see)、それだけ。そして最後のBy the hedge!(垣根かな)という英文には、日本語の「・・・かな」にあたる感嘆符が付いている。ぺんぺん草が咲いているのを見ただけで感動してしまっている。テニソンが人間と自然を「理解」(understand)しようとしているのとはだいぶ違う。

鈴木大拙は芭蕉とテニソンの違いについて
  • Basho accepts, Tennyson resists.
と説明している。芭蕉はそのまま自然を受け入れるのに対して、テニソンはこれに抵抗、「科学的かつ客観的に分析」しようとする・・・大拙によると芭蕉が東洋的、テニソンは西洋的な態度なのだそうであります。

エリッヒ・フロムは、西洋文明が積み上げてきた合理主義・客観主義・物質主義によって、人間が自分自身からも、自分の仲間としての人間からも、そして自然からも疎外された不安に陥っていることをテーマにした研究をする中で大拙と出会い、禅の思想と出会った。半世紀以上も前に書かれたこの本の中で、フロムは「現代の精神的危機」(today's spiritual crisis)について次のような文章で説明しています。
  • (あなたは何のために生きているのか?と聞かれて)ある者は家族のためというかもしれないし、別の人間は「楽しみのため」と言うだろう。さらに別の人間は「金を儲けるため」と言うかもしれない。しかし現実には自分が何のために生きているのかなどは誰も知らない。彼(人間)には目的というものがないのだ。あえて目的らしきものがあるとすると、それは不安感や孤独感から逃避したいという欲求だけなのである。
    Some may say they live for the family, others, "to have fun," still others, to make money, but in reality nobody knows what he is living for; he has no goal, except the wish to escape insecurity and aloneness.
そしてフロムは「精神分析の専門家の間では間違いなく禅に対する関心が高まっている」と強調しています。本来ならフロムの禅論について紹介したいと思うけれど、それを始めると途方もなく長い記事になってしまうのでここで止めておきます。

▼フロムの著作の中で非常に頻繁に使われる言葉に "alienate" というのがあります。名詞は"alienation"で、日本語では「疎外」とか「疎外感」という言葉が使われていると思うけれど、「疎外」などという日本語は日常的には使われませんよね。"alien" という言葉は「外からやって来た人」という意味がありますよね。映画にも「エイリアン」というのがあったし・・・。要するに本来そこに属していないモノや人のことです。人間はこれまで自然を克服・征服し、いろいろなモノを生み出すことで豊かな生活を送れるようになってきたけれど、いまや人間そのものが自分たちが作り出した文明の中で「はじき出されている」という感覚(alienation)に陥るようになってしまった。

▼そのような疎外感から来る心理的な孤独や不安にさいなまれる患者のことを考えることが仕事であったフロムが出会ったのが、鈴木大拙による禅の解説であり、そこで紹介されている松尾芭蕉の俳句であったというわけですよね。道端に咲いている花を見つけて摘み取ることはしないけれど、大いに感激して花と交わっているかのような芭蕉の姿勢に"alienation"に向き合うためのヒントのようなものを感じたのかもしれないですね。半世紀以上も前に書かれた、この本ですが、言っていることはいまの読者にも十分通じるものだと思います。
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エリッヒ・フロムの新鮮さ

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3) チップの社会学

Aeonという雑誌は、「人間」にまつわる諸々を語る本で、取り上げられる話題は面白いのですが、記事がいずれも非常に長いのが特徴(玉にキズ?)です。最近のサイトに掲載されていた "To tip or not to tip?"(チップ、払うのか払わないのか?)というエッセイは、むささびなどが外国へ行ってレストランなどで食事をした際、いつも戸惑うチップの問題を語っているのですが2600語という長さです。イントロは次のようになっている。
  • 東京では払うと失礼だ思われ、ニューヨークでは払わないと失礼だとされる・・・チップは旅人、経済学者、人類学者にとって大いに謎である。こんな習慣、止めたほうがいいのでは?
    Rude in Tokyo, rude not to in New York - tipping mystifies tourists, economists and anthropologists. Should we stop?
筆者はジュリアン・バッギーニ(Julian Baggini)という著述家で、どちらかというと哲学・心理学のような分野のことを扱っている。たかだかチップ程度のことなのに2600語?と思ったのですが、明らかに欧米人である筆者にとってもチップは「混乱と逆説」(confusing and paradoxical)に満ちた習慣であり、短い文章ではとても書き切れない話題なのだそうであります。

知らなかったのですが、チップの始まりは17世紀初期のイングランドの貴族社会というのが歴史家の間の定説なのだそうですね。貴族たちがお互いの家庭を訪問、その家を出る際に相手の家の召使にあげるために小銭を置いていくことが習慣だった。それがコーヒーショップなどに広がり、大英帝国とともに外国へも伝わって行ったということらしい。その頃は "vail" と言っていたのがいつの間にか "tip" になったらしいのですが、語源はラテン語の "stip"(贈り物)であるとされている。"tip" という言葉は、あのOxford English Dictionaryには1706年の時点ですでにエントリーされていたとのことであります。

そもそも現代のチップはなぜ払われるのか?コペンハーゲンにNomaという有名なレストランがある(らしい)のですが、料理長のレーヌ・レゼピは「レストランで仕事をしている人間はお客様のために全てを捧げている。チップはそのことへの感謝の気持ちだろう」と言っている。提供された料理に対しては「料金」を払うけれど、その限りにおいてはお客は、お金を払ってモノを買う「購買人」(purchaser)にすぎない。レストランのスタッフの仕事は、「購買人」が自分たちは「お客さま」(guest)として扱われていると感じさせることにある。「購買人」が払うのは「料金」、「お客さま」が払うのはチップというわけです。例えばウェイターの笑顔とか水を注ぐ時の仕草、ちょっとした会話・・・これらによって、客が自分たちが大切に扱われていると感じる心地よさなどがチップの対象になるというわけです。

もう一つ、礼儀としてのチップというのもある。ウェールズにあるWalnut Treeというホテル兼レストランの場合、食事を済ませたあとで、食後酒などをちびりちびりやりながら夜中の2時~3時まで談笑する客が居る。そんな場合、レストランのスタッフは帰るわけにいかないから眠い目をこすりながら起きている。「そんな時にチップを置くのは礼儀(good manners)というものだ」と主任シェフは言っている。

今から100年以上も前(1904年)、アメリカでチップ廃止運動なるものがあったのだそうですね。ウィリアム・スコットという人物が「米国反チップ協会」(Anti-Tipping Society of America)という組織を設立、アーカンソー、ジョージア、テネシーなどの州ではチップ禁止法まで成立したことがある。チップという習慣は古いヨーロッパから受け継いだ時代遅れの習慣であり、金ほしさの媚びへつらいを助長する・・・というのがウィリアム・スコットの主張だった。結局この法律は1920年代になって廃止されたのでありますが、現代のアメリカは世界一のチップ天国なのだそうで、
  • チップという習慣は極めてアメリカ的であると同時に全く反アメリカ的でもある。
    It is both quintessentially American and fundamentally un-American.
と筆者は言っている。

チップ禁止法は結局廃止されたけれど、ウィリアム・スコットがこれを推進し、いくつかの州では禁止されたことの背景には、金欲しさに媚びへつらうことへの拒否感覚があった。ジュリアン・バッギーニによると、チップという習慣は人間に対する「敬意」(respect)とか「尊厳」(dignity)という概念と関係がある。アメリカではウェイターという仕事は低く見られているけれど、チップは高い。英国も同じ。が、ヨーロッパ大陸は違う。ウェイターは職業としてもっと尊敬されている。英国とフランスを比べるとはっきりする。フランスではウェイター(garcon)は高年齢の人が多く、経験も長い。英国の場合は学生が「まともな仕事」(proper job)につくまでの腰掛け的な仕事とみられている。

ジュリアン・バッギーニによると、日本は世界でも数少ない「チップを払うのは無礼」(tipping is actually offensive)と考えられている国なのだそうです。サービスを提供した人を侮辱することになる(dishonouring the server)とのことです。日本の文化では、自分の役割をきっちりこなすということに人間としての尊厳・威厳のようなものが認められる。それぞれの仕事がそれに応じた敬意を払われるということ。そういう文化だから・・・
  • チップをあげるという行為は、単にその仕事をしているだけでは尊敬には値しないと言っていることになる。(チップをもらって)サービスを提供する人間は、チップとは無縁の仕事をしている人ほどには尊敬に値しないと言っていることにもなってしまう。
    Tipping suggests that just doing your job is not enough, that the server does not have the same dignity as others who do their work without being tipped.
またバッギーニの見るところによると、日本や北欧では、チップという習慣が払う側ともらう側の間の社会的な上下関係のようなものが強調されてしまい、これが不平等感を生むので嫌われる。北欧のレストランのチップは英米などに比べると安く、コペンハーゲンのNomaのような名門レストランでも客が置いていくチップは平均で料金の3%だそうです。反対に英米ではチップを払うことで客とスタッフの間にある経済的な不平等を低くすると考えられ、チップは社会的な緊張関係が和らげる働きもする。ただ北欧に比べると、英米ではチップ(通常は20%ていど)が従業員の生活費の一部になってしまっているケースが多いのだそうです。

昔はチップの多寡は客の判断次第であったけれど、最近では最初から「サービス料」として請求に組み込まれているケースの方が圧倒的に多い。もちろん「自動組み込みサービス料」にさらに上乗せして「チップ」を置いていくことは客の自由なのですが・・・。

チップが「サービス料」(service charge)として自動的に料金に組み込まれてしまうことについて、このエッセイの筆者は批判的で、チップは客がウェイター(ウェイトレス)に別の個人的な感謝の気持ちを表すものであり「(レストランで)食事をするという経験を人間の営み(humanises)にするものだと言っている。
  • 請求書がカバーするのはただのお金のやりとりである。しかしチップは、その夜の食事が単なる商売上のやりとり以上のものであったということを純然たる自発性に基づくジェスチャーで示すことに意味がある。
    The bill covers the purely financial exchange but the tip, as a purely voluntary gesture, is a sign that the evening has been more than just a commercial transaction.
というわけです。要するにチップはサービスを提供してくれた人に対しての「お礼の気持ち」なのであって、「自動的・強制的」に決めてしまうべきものではないということであります。

▼日本では筆者が言うほど「チップ」がないわけではないですよね。日本旅館などに泊まると、「心付け」なんてのがあるようだし・・・。それはともかく、むささびもチップより「サービス料」として組み込んでくれた方が「いくらにしようか?」などと迷わなくて済むと考えていたのですが、それだと、本当に良くしてくれたサービス提供者に対して自分なりの感謝の気持ちを表すことにならない・・・というわけで、チップはチップで残した方がいいかもしれないなどと思い始めているわけです。でも、日本は「原則、チップなし」という現在のシステムでいいんでない?

▼英国のレストランでは、お金を支払う段になると、携帯式のコンピュータのようなものを持ってきて、自分の好きなチップのパーセンテージを選択させるところがありますよね。あれは止めてもらいたいな。10%・20%、30%・・・とあるとですよ、ウェイターやウェイトレスの前で10%とは押しにくいわけさ。

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4) ビザの値段

2月9日付の書評誌London Review of Books (LRB) のサイトに「ビザの値段はいくら?」(What price a visa?)というごく短いエッセイが出ています。外国人が英国へ入国するために必要なビザの話です。最近、英国のみならず欧州全体で厳しくなりつつある移民に対する入国制限の問題とあわせて考えるとかなり切ない話であります。

LRBのエッセイが語っているのは、昨年12月、南イングランドのイーストボーン(Eastbourne)という町で起こった交通事故に絡んだエピソードです。5才になるアンドレア・ガーダという女の子がクルマにはねられて死亡した。彼女の両親はアフリカのザンビア出身だった。アンドレアのお葬式にザンビアにいる祖父母と叔母が出席しようとしたところ英国政府によってビザの発給を拒否された。その表向きの理由は、彼らがお葬式のあとも英国に残留する可能性が高いということにあった。外国人の不法滞在はよくあるケースだからです。

そのことを知った地元の議員が、このことを国会(下院)で取り上げ、アドレアの親戚は葬式が終わり次第、英国を離れることを自分が保障すると主張して話題が大きくなった。キャメロン首相も内務省宛に手紙を書いたりして再検討されたけれど、結果としてはビザを発給しないという移民局の決定が変わることはなかった。その一方で地元の議員らを中心にした活動によって「ビザの発給を求める」10万人以上の署名が集まり首相官邸に届けられたりしてメディアでも大きく取り上げられて、結局、LRBのエッセイは今回の事例は一応ハッピーエンドということになっているけれど、英国の移民制度の持つ不公正さ(injustice)を露呈したと言っている。

今回、ザンビアの祖父母や叔母がなぜビザの発給を拒否されたのか?それは彼らが「定期収入」(regular income)があり、それがどのくらいなのかということを示すことが出来なかったことにある。発展途上国から英国を訪れようとする人たちのビザが発給されない最も一般的な理由がこれなのだそうです。

英国政府による移民の受け入れ制限はますます厳しくなっているのですが、英国籍の人間がEU外の国から伴侶を連れて来ようとすると、受け入れる英国人の年収は最低で1万8600ポンドである必要がある。子供がいる場合の必要年収は2万2400ポンドだそうです。このような給料を最低で6ヶ月間はもらっていることも要件になる。そうしないとビザの申請さえできない。LRBによると、英国における法律で決められた最低賃金を年収にすると約1万3000ポンドであり、1万8600ポンド貰っている人は英国人全体の半分以下であろうと言っている。つまりEU域外の人と結婚してこれを英国に呼び寄せることができるのは英国人の半数以下ということになる。


ザンビアの親戚のためのビザを発行するように首相に直訴したガーダ家の人びとと地元の議員

つまりEU域外の人と結婚して英国で暮らそうとするとかなりの経済的な負担を強いられることになるというわけです。もちろん英国も加盟している欧州人権条約(European Convention on Human Rights)というものがあって、その第8条に「個人および家庭生活が尊重される権利」(Right to respect for private and family life)が謳われているけれど、それは加盟国の国内事情(安全保障・公衆安全・経済的な利益など)には勝てないことになっている。

英国の場合、移民を無制限に受け入れると英国民の納税者の負担になるということが規制の理由として挙げられている。ただLRBのエッセイは、「ファミリービザ」には公的なサービスは受けられないという条件がついているのだから「納税者の負担」という理屈は通らないし、移民規制に毎年18億ポンドもの税金が使われているのもおかしいと言っている。

▼EU外の国から伴侶を連れて来るためには、受け入れる英国人側に最低で1万8600ポンドの年収があることが要求される、とのことですが。1万8600ポンドを対ポンドの為替レートで円に直すと約335万円ということになるけれど、英国で暮らしている人の金銭感覚からすると1万8600ポンドはざっと180万~200万円というところであろうと推測します。

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5) 国の屈辱感は放っておけない

3月9日付のファイナンシャル・タイムズ(Financial Times: FT)のサイトに掲載されていた「ギリシャ、ロシア、そして屈辱の政治」(Greece, Russia and the politics of humiliation)を紹介します。書いたのはFTのコラムニスト、ギデオン・ラックマン(Gideon Rachman)で、次のような書き出しになっています。
  • 国際紛争の解決のためには、いわゆる利害関係のみならず感情問題についても考慮する必要があるかもしれない。
    Solving international conflicts may involve thinking as much about emotions as interests
今年の1月、ギリシャで行われた選挙で首相就任が確実になったアレクシス・チプラス氏が国民に語りかけた言葉は:
  • 月曜日には国家的屈辱は終わるのだ。我々は外国からの命令を受けることはもうないのだ。
    On Monday national humiliation will be over. We will finish with orders from abroad.
「国家的屈辱」などと言うのを聞くと、何やらギリシャ的エキセントリックという気がしないでもないけれど、実はいまロシア、ユーロ圏、中東、東アジアなどで起こっているさまざまなトラブルを見ると、「屈辱感」(humiliation)がキーワードになっている観もある。場合によっては文化的なものであったり、民族的なものであったりするけれど、普通の意味での「損得」では説明できない「感情」問題であることが大いにある。

ギリシャ首相に就任したチプラス氏が最初に行ったのは、第二次大戦中にナチスと戦ったレジスタンス運動の戦士たちが埋葬されている記念墓地を訪問することだった。かつてはナチスの国だったドイツ、今ではユーロ圏のリーダー格であるドイツに対する抵抗の姿勢を示すことで国民的団結を呼びかけたというわけだ、とラックマンは説明します。もちろんそんなことをしても国の借金が減るわけではないけれど、それをやることで政権への支持率がアップしたのは間違いない(ギリシャ系の銀行預金の額がダウンしたことも事実ではあるけれど)。

ロシアはどうか。プーチン大統領および彼と同年輩のリーダーたちはかつてソ連という強大な国の一員であったのであり、いまでもロシアは「大国」として扱われるべきであると主張している。もちろんウクライナにはロシアにとって欠かせない「国益」がある。海軍基地はあるし、輸出先としての市場もあるし、国境問題もあるけれど、現在モスクワから聞こえてくるさまざまな声を聴いていると「いつまでもロシアは馬鹿にされつづけるわけにはいかない」というプライドにかかわる言葉である。生意気なアメリカなどにやられてたまるか(they cannot be bullied by the arrogant Americans)というわけです。

ラックマンによると、中国の対外政策も「国の屈辱」が中心になっている。1840年代の西欧列強による帝国主義的支配から1945年の日本の敗北に至るまで「中国は屈辱の世紀を生きてきた」というわけで、学校の教科書も博物館もそのような歴史に彩られている。
  • しかしいま中国の若い世代の耳に叩き込まれているのは、弱かった中国は外国勢力によって馬鹿にされ搾取もされたが、現代中国はもう決して外国勢力に小突き回されることはないというメッセージである。
    The message drummed into young people is that a weak China was humiliated and exploited by foreign powers. Modern China, they are told, will never be pushed around.
ラックマンによると、イスラム原理主義者たちもまたイスラム教徒が西洋によってバカにされ、抑圧された(the west has humiliated and oppressed Muslims)という想いを心の底に宿している。そしてラックマンはイスラム教徒が感じてきた屈辱感を語った記事の例として2003年11月9日付のニューヨーク・タイムズに掲載されたトム・フリードマンというコラムニストによる「屈辱という要因」(The Humiliation Factor)というエッセイを挙げている。2003年といえば英米軍によるイラク爆撃が行われた年ですが、同じ年の10月16日、イスラム教の指導者たちの会合に出席したマレーシアのマハティール首相が行った演説の一部を次のように紹介している。
  • 我々イスラム教徒が受けた屈辱の例を枚挙するつもりはありません。我々は皆、イスラム教徒なのです。皆、抑圧されており、屈辱を受けている。我々すべてのイスラム・コミュニティは軽蔑と不名誉をもって扱われており、いまやイスラム教の国々や人びとの間には絶望感が漂っています。何をやってもまともにはいかないという感覚に陥っている。そのような状況に対して我々に残された対応は怒りをより強く持つこと、もっともっと怒ることです。しかし怒れる人間はまともに考えることができないのです。
    I will not enumerate the instances of our humiliation. We are all Muslims. We are all oppressed. We are all being humiliated...Today we, the whole Muslim [community], are treated with contempt and dishonor...There is a feeling of hopelessness among the Muslim countries and their people. They feel that they can do nothing right. Our only reaction is to become more and more angry. Angry people cannot think properly.
コラムニストのフリードマンは、当時進行中だった米軍によるイラク占領に対する武装蜂起の背後には「屈辱感」(sense of humiliation)があると指摘している。

FTのコラムニストであるラックマンは、2015年のいま、欧米の価値観を真っ向から否定する「イスラム国」の言動にもこれがあると考えている。

他者よりも優位に立っていたいという人間の欲求こそが社会的な諸悪の源である・・・と言ったのは18世紀の哲学者、ルソーなのだそうですが、これを現代語に直すと "status anxiety" というのだそうですね。ステイタス(社会的な地位とか肩書き)に関連する不安・・・要するに「負け組」になることへの拒否反応であり、世の中に置いてきぼりにされることへの不安感ということだそうです。ラックマンによると、この種の感覚が人間のみならず「国家」にまで取り付いているのが現代です。国家としての「力」を希求するというわけですが、裏返すとこれも国際社会における「屈辱」を何としても避けたいという国家としての「感情」の表れなのだそうであります。

屈辱されまいとする国や勢力と付き合っていくためには、ある種の「なだめすかし」(concession)が必要なわけですが、所詮は「なだめすかし」に過ぎない。それでもギリシャでは一応当面は爆発しないで済んでいる。
  • ロシアとの危険な対立や中国の野心と向き合う中で、欧米が憶えておいた方がいいのは、時として本質と同時に「シンボル」もまた大切なことがあるということだ。
    As the west contemplates a dangerous conflict with Russia and the ambitions of China, it might remember that symbols can sometimes matter almost as much as substance.
とラックマンは結んでいます。ここでいう「シンボル」とは、「顔を立てる」というような意味であり、国と国との付き合いでは、そういう意味での「妥協」は必要だということです。

▼マレーシアのマハティール首相の演説は読むだけでも辛いですよね。イスラム教徒の無念さがひしひしと伝わってくる。このエッセイを紹介する気になったのは、国際間の紛争や戦争を語るときに、学者やメディアの人たちは「屈辱感」というようなものを余りにも語らなさすぎるのではないかと感じるからです。イラク戦争で英米メディアは「イラクの民主化」を語ったけれど、曲がりなりにも自分たちの指導者であったサダム・フセインを死刑にされたときのイラク人たちの心の中はどんなであったのかと思わずにはいられない。自分たちの存在そのものを全否定されたような気になったのではないかと思うわけです。イラク戦争でアメリカ軍の指揮官のような人が報道陣を前に、フセイン大統領を捕まえたことを発表したときの様子を憶えていますか?"Ladies and gentlemen, we got'em!" と発言した途端にその場は歓喜の口笛と拍手で大騒ぎになった。報道関係者が、ですよ。イラクの指導者が独裁者であろうがなかろうが、アメリカ人の知ったことではないはずなのに、です。

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6) どうでも英和辞書
 A-Zの総合索引はこちら 
 
speed limit:制限速度

日本の場合、普通の市街地をクルマで走るときの制限時速は30キロ、かな?英国の場合の市街地における制限時速は30マイル(約48キロ)で、日本人の感覚からすると国道もしくは県道の速度です。道路の真ん中にラインが入っていて1車線ずつ行き来する道路(single carriageway)の場合の制限時速は何と60マイル(96キロ)だから日本の倍のスピードです。高速道路(motorway)や両側2車線(dual carriageway)の広い道路の場合は大体において70マイル(110キロ)だそうです。

英国で最初に制限速度が法律で決められたのは1903年のことなのですが、その際の決まりはクルマの種類や運転場所の如何を問わず時速20マイル(約32キロ)だった。それが1935年になって市街地に限り30マイルと決められた。

日本よりも明らかに制限速度は上なのですが、ネット情報によると、1台の車が1億km走行したと想定した際の交通事故件数は、英国は39件で日本の122件などよりはるかに低い。また2012年の数字ですが、英国における交通事故死亡率は10万人につき3.6人で、日本の4.50人より低い。しかも、交通信号の数はどう見ても英国の方がはるかに少ないのに、です。これは何故なのでありましょうか?どなたか教えてくれません?

日本人から見たら羨ましいような交通事故数ですが、英国には市街地や住宅地における30マイルは速すぎるという声が以前から上がっているのだそうです。20's Plenty for Usというキャンペーンをやっている組織によると「20マイルで十分」なのだとか。言えてる!

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7) むささびの鳴き声
▼2番目に紹介したエリッヒ・フロムの本についてもう少し。むささびは、『禅と精神分析』という本が1960年に出版されていることに感慨を覚えます。ケネディ大統領が暗殺される3年前、このころにむささびが初めて接したアメリカの高校生、大学生は自分たちの国が体現している民主主義や自由そして物質的な豊かさなどに圧倒的な自信を持っていたのを記憶しています。日本に対しては教えることはあっても学ぶことなどゼロだったし、日本人もまたそのように思っていた。

▼その後、アメリカは大統領が暗殺され、キング牧師もロバート・ケネディも殺され、デトロイトなどでは暴動が相次いで起こり、学生たちは反戦デモをやって警官隊に射殺されたり・・・というわけで、60年代後半には、それまでのアメリカ文明に対する幻滅とともに、むささびの周辺にも禅の思想に興味を持つアメリカ人が増えてきていた。もちろん数の上ではごく少数ですが。

▼あれから50年、その間にロナルド・レーガンの「強いアメリカ」やマーガレット・サッチャーの「金儲けの何が悪いのさ」論が盛んになり、冷戦も終わって「アメリカ的資本主義の勝利」かと思いきや、あれはソ連が勝手にこけただけでアメリカ的資本主義が勝ったわけではないことは、中国の台頭によって明らかになっている。しかも「対テロ戦争」の時代に入って、いまのところ出口なしというところですよね。殺人を繰り返す「イスラム国」を空爆で壊滅するというやり方が、テロリズムという考え方そのものを壊滅することには何の役にも立っていないことだけは間違いないし、そのことは誰にでも分かっている。でもどうすればいいのやら・・・とりあえず空爆でもすっか!というわけです。

▼ところで、3月20日付の東京新聞の社説『地下鉄サリン20年 凶行の中に人間の弱さ』は出色の出来であります。それによると、オウムが勢力を広げ始めた1980年代、日本はバブル景気に沸いていたけれど、その頃の内閣府の調査によると、物の豊かさを志向する人が31%に対して心の豊かさを求める人は63.1%にものぼっていた。なのに「政治も、経済も、社会も成長を追い求めることをやめなかった」と、この社説は言いながら
  • なぜ生きるのか。それで幸福になれるのか。重い病にかかったときにどう向き合うか。そうした素朴な疑問や問いに直面し、苦悩する人々が増えたとしても当然だ。

    と指摘している。
▼この部分、むささびがフロムの言葉として紹介した「現代の精神的危機」(today's spiritual crisis)という部分と重ね合わせて読んでもらいたいと思うわけです。フロムの言葉は半世紀以上も前の1960年に書かれたものですが、2015年の東京新聞もほぼ同じことを言っていることへの驚きを感じてしまう。

▼東京新聞の社説はさらに、統計数理研究所というところが2年前に行った調査によると70%近くの日本人が「宗教心は大切だと答えている」と紹介しています。ミセスむささび(妻の美耶子のこと)が所属する教会の牧師さんが「20世紀は科学の時代だったが21世紀は宗教の時代になる」と言うのを聞いたことがあります。「科学の時代」を別の言い方で表現すると「人間の問題は人間の知能によって解決できると信じられていた時代」ということになる。ポール・ジョンソンという英国の歴史家は「人間の知能に対するその種のうぬぼれを人間自身が捨てることができれば、世の中少しは住みやすくなる」と言っています。

▼エリッヒ・フロムが語った詩人・テニソン自身は19世紀の人ですが、道端に咲く花を摘み取って分析しようとする点で人間の「知」に絶対的な信頼を寄せる20世紀の人間だった。そして20世紀的な発想に疑問を抱いていたフロムにとって花に対する松尾芭蕉の姿勢は新鮮に映った。

▼オウムは名前を変えて生き残り、それに参加する若者があとを絶たない。英国では「イスラム国」への参加を求めてシリアへ渡る若者が次々と出てくる。彼らが帰国してテロ事件を起こすかも知れない・・・英国人は日本人がオウムに感じているのと同じ恐怖感を抱えて生きているということになる。軍隊や警察力だけではテロリズムの思想を根絶やしにすることはできない。思想を根絶やしにしない限りテロはなくならない。テロリズムの思想がこの世から完全に消滅するとは考えにくいけれど、少しでも減ってもらいたいと個人レベルで願うとき、「よく見れば 薺(なづな)花咲く 垣根かな」という芭蕉の目線を無視することはできない。 テロリズムが世の中に対する「疎外感」から生まれることは間違いないのですから。

▼例によってダラダラと失礼しました。もうすぐジャガイモを植える日が来ます。とりあえず春を楽しみましょう!
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むささびへの伝言