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 むささびの鳴き声 どうでも英和辞書
548号 2024/2/25

上の写真はネットの世界をうろうろしていたら引っ掛かってきたものです。写真そのものはごく普通の生活風景なのではないかと思うのですが、場所と撮影年月日にちょっと興味を魅かれました。撮影されたのは1957年というから今からほぼ70年前、場所はアゼルバイジャン共和国の「スムガイト」(Sumgait)という町の住宅街です。アゼルバイジャンに関するむささびの知識は全くのゼロ。ウィキペディアによると、1920年に「ソ連」に編入されたけれど、「ソ連が解散する直前の1991年8月30日に独立を宣言した」と書いてある。つまりこの写真が撮影されたころのアゼルバイジャンは社会主義・ソ連に属していた、と。

この子供らも今では80才を超えているのでは?ただ…その頃の日本(むささびが中学・高校生だったころ)の住宅事情を思い出すと、この写真の背後に建っている集合住宅は立派に見えません?むささびの先輩が「公団住宅」に入居できたことで大喜びしていたのが1960年代半ばだった。

目次

1)スライドショー:寒さを楽しむ!?
2)ポピュリズムと民主主義
3)スウェーデンは「中立」か?
4)いじめ自殺報道の残酷
5)どうでも英和辞書
6)むささびの鳴き声
7)俳句

1)スライドショー: 寒さを楽しむ!?


BBCのサイトから拝借した写真によるスライドショーです。1月14日付のサイトだから、寒さもまだ盛りという時期だった。はっきり言ってあまり楽しいとは言えないスライドですね!

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2)ポピュリズムと民主主義

世論調査機関のIPSOSのサイト(2月15日付)が
  • Most say Britain is in decline, against a backdrop of anti-system sentiment 大半の英国人が "英国は落ち目だ" と主張するが、そのような感情の背後には、現在の制度全般に対する反感がある。 
という見出しの記事を掲載しています。この記事は、最近、IPSOSが世界的な規模(28か国)で実施した POPULISM IN 2024 という調査結果を報告するものです。POPULISMという言葉をウィキペディアは「政治変革を目指す勢力が、既成の権力構造やエリート層を批判し、人民に訴えて、その主張の実現を目指す運動」と定義しているようで、日本では「固定的な支持基盤を超え、幅広く国民に直接訴える政治スタイル」とも言われる。要するに日本の場合は自民党とか共産党、アメリカの場合は民主党や共和党、英国の場合は保守党・労働党のような勢力が魅力を失ってしまっている状況ということですよね。ポピュリズム全体の話をするのは一度ではとても無理なので、今号では「英国におけるポピュリズムの現状」に絞って紹介させてもらいます。


IPSOSの調査結果を数字的に紹介すると、(例えば)英国人の約7割(68%)が英国は落ち目(in decline)であると考えているのだそうです。これは28カ国平均(58%)よりも高く、3年前(2021年:48%)の数字に比べると明らかに増えていると言える。IPSOSの解説によると「落ち目の英国」という悲観論は、政治・経済・社会のあらゆる側面で目立ちつつある「不平等」が原因になっているのではないか、と。
  • Seven in 10 (70%) of Britons agree the economy is rigged to advantage the rich and powerful:英国人の10人に7人が、経済の大半が富裕層や政治的に力のある層のために使われていると思っている。
  • 66% say traditional parties and politicians don’t care about people like them:英国人の66%が、これまでの政党や政治家は自分たちのことなど考えていないと思っている。
  • 71% say the political and economic elite don't care about hard-working people, same as in 2022, but up from 63% in 2021. 71%の英国人が政治・経済分野のエリートたちは「働く人々」のことなどには無関心である、と思っている(この数字は一昨年は63%にすぎなかった)。


自国の社会システムや政治家・知識人らに対する感覚が「否定的」なのは、どの国の人びとにも言えることではあるけれど、英国人に特徴的といえるのは、移民排斥論(nativist views)のようなものが他国に比べると薄いということです。他の国では「移民さえいなければこの国はもっと強くなる(country would be stronger if immigration was stopped)」と考える人間が43%もいて、反対意見の28%をはるかに上回っているのに、英国ではその逆で、移民排斥論が34%でそれに反対する意見が42%となっている。

ただ、それでも職場の確保ともなると、どうしても英国人中心になりがちだと見えて、雇用数が少なくて外国労働者との競争になる場合は、46%の英国人が雇用主に対しては「英国人を優先的に雇う」ことを要求している。但し28か国の平均をとると、このように考える人は59%にものぼるのだから、英国の労働者の方が反移民感覚は薄いともいえる。

日英ポピュリズム比較




IPSOS
▼上のグラフはIPSOSのサイトから日本と英国の数字だけを取り出して、お互いに比較したもので、2国の数字をほかの26カ国をまとめた「世界平均」とも比較しています。グラフ作成用のソフト(エクセル)の関係で、日英間には大きな開きがあるように映りますが、実際の数字を見ると殆ど違わないということが分かります。

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3)スウェーデンは「中立」か?

ヨーロッパに関する記事は、そこそこ掲載する「むささび」ですが、防衛とか安全保障についてはあまり語らない。これといった理由があるわけではないのですが、何故かむささびの気を引かなかったということです。しかし2月7日付の英国紙、Observer の「意見」の欄に掲載された記事はそんなむささびの気を引くような内容のものだった。筆者はガナー・アーデリアス(Gunnar Ardelius)というスウェーデンの著述家で、見出しは次のようになっている。
  • As we prepare to join Nato, it’s time we stopped flattering ourselves and our history. We’ve never been morally superior スウェーデンがNATOに加盟しようとしている現在、我々は自分自身および自国に関する自己満足から卒業するべき時であると言える。我々(スウェーデン人)はこれまで道徳的に他者より優れているなどということはなかったのだ。

ヨーロッパ全体をカバーするとされるNATO(North Atlantic Treaty Organisation: 北大西洋条約機構)が設立されたのは1949年のこと、設立当初の加盟国は12か国であったけれど、現在ではこれが31か国へと膨らんでいる。ヨーロッパの中でもスウェーデンとフィンランドがNATOに加盟してこなかったけれど、ウクライナ戦争を機に両国ともNATO加盟を実現しようとしている。

安全保障の点で他のヨーロッパの国々とは異なる姿勢を保つことで「尊敬」めいた視線を浴びてきているスウェーデンという国について、当のスウェーデン人は何を考えてきたのか?この際、Observerに掲載された「意見」をそのまま訳して紹介させてもらいます。

スウェーデンは「中立」か?

ガナー・アーデリアス
エルドアンの横やり 「世界の良心」!?
集団的無能論? スウェーデン流の原理・原則?

最近、スウェーデンの国防大臣が「スウェーデンでも戦争が起こる可能性はある(there could be war in Sweden)という発言をしたことがあるが、それに対する国民の反応は素早くて声高な(swift and loud)ものだった。多くの人が恐怖を感じたし、中には不必要に恐怖心を呼び起こすトーンであったことを批判する声もあった。防衛相の発言について軍のトップは同情的な発言をしたけれど、「戦争屋(warmonger)というレッテルを張られてしまった。我々スウェーデン人の大半が自分たちに悪いことなど起こりっこない(nothing bad can happen to us)し、我が国の中立性(我々が善であることの同意語)こそが我々を守ってくれていると信じている。

エルドアンの横やり

スウェーデンが正式にNATOへの加盟を申請したのは2022年のことであるが、トルコのエルドアン(大統領)の「政治ショー」によって少し待ちぼうけをくわされた。現在はハンガリーのオルバーン・ヴィクトル(首相)が同じようなことをやっている。しかしスウェーデンは(NATO加盟によって)これまで国際的には大いにもてはやされてきた「中立」という姿勢を棄てようとしているのだ。今やスウェーデン人は自分および自国の歴史に対する「満足感」のようなものは捨てるべきときなのだ。そもそもスウェーデンは「中立国」であったことなどないのだ。


我々のいわゆる「中立(neutrality)」は「善」とか「道徳的優位性」などとは無関係、近隣諸国に対する無視の態度に過ぎなかったのだ。我々はさらに「中立」であることによって戦争を免れることができたということもない。第二次世界大戦が始まった1939年、欧州には多くの「中立国」が存在した。にもかかわらずどれもが攻撃の対象になってしまったではないか。

これまでスウェーデンが戦争に巻き込まれることなく存在してきたのは、「偽善と結びついた幸運」(luck combined with hypocrisy)と「口で言うことと実際の行動が異なる」という「能力」のおかげであると言えるのだ。最もよく知られている偽善の例は、第二大戦中における対ドイツ鉄鉱石輸出だ。そのおかげでドイツの戦争産業は生き延びることができたのだ。

集団的無能論?

スウェーデンは1814年の「スウェーデン・ノルウェー戦争」以来、公式には戦争をしたことがないということで暴力には縁がないと言い張ることはスウェーデン人には簡単だ。スウェーデン人には「集団的無能」(collective inability)という性癖があり、そのせいで自分自身の暴力性には目を向けようとしない傾向がある。そのせいで自分たちの「沈黙」がもたらしたものを無視しようとする姿勢がある。しかし我々が生きている世界は、隣近所の出来事についてさえも国際社会の問題が直接影響を及ぼすような世界なのだ。スウェーデン自体が自分たちが持っている「セルフ・イメージ」よりもはやい速度で変化を遂げてきている。スウェーデン人は、自分たちが「平和な社会」(peaceful society)で暮らしているというイメージに固執しているが、スウェーデンは(例えば)ヨーロッパの他のどの国よりも銃犯罪の多い国であることは現実なのだ。


今やスウェーデン人の「国民心理」(national psyche)を見直すべき時期に来ている。スウェーデン人の沈黙と立場を明確に出来ない無能さは、我々が教わってきたように「受け身的」とか「高貴な」態度というものではなくて、暴力的な活動や努力を伴うことが多いということである。

スウェーデン人とスイス人は、自分たちが道徳的な頂上を極める存在であるという幻想を子どものころから教わって育っている。オロフ・パルメ(Olof Palme:首相)とかダグ・ハマーショルド(Dag Hammarskjöld:第二代国連事務総長)という名前は、国際間の外交活動に取り組む人びとの間では「聖なる存在」と目されており、彼ら自身が属する国までが平和と国際協力に献身する存在と思われるようになっている。

「世界の良心」!?

数知れないほどのスウェーデン人が気取った笑顔で世界中を訪問して「スウェーデン・モデル」についての質問に答えたりしている。私自身もその一人であると言える。スウェーデンの安全保障体制と中立の姿勢が持つ利点のお陰で、我々は長い間にわたって「世界の調停者」「世界の良心」と目されてきた。スウェーデン人は長い間、自分たちの強力な社会福祉制度と外交のスタンスを関連させて語ってきた。が、この心理的図式(mental Venn diagram)はもはや破滅してしまっているのだ。

長い間にわたって、スウェーデンは自国における経済的な平等主義を誇りとしてきたが、実際にはスウェーデンでは、金持ちリストが拡大するにつれて、貧乏人のリストもまた拡大しているのだ。スウェーデンでは有名なジャーナリストである、アンドレアス・セルベンカ(Andreas Cervenka)によると、1996年~2012年の16年間でスウェーデンにおける億万長者の数は1700%も増えている。セルベンカは "Greedy Sweden" という名前の自身の著作の中で、スウェーデンのGDPのほぼ半分を所有するスウェーデン人82人の名前を挙げている。
 


スウェーデンの公共部門の大半は規制緩和と民営化が進んでいる。鉄道などもその一つではあるが、スウェーデン鉄道はかなり頻繁に運転停止や遅延が起こしている。もしドイツがスウェーデンにナチの戦争遂行のために鉄鉱石の輸出を依頼してきたとしても、スウェーデンは断らざるを得なかっただろう。スウェーデンの能力の域を超えている。

心理学の言葉に "passive aggression:受動攻撃性" というのがある。「それとなくやる攻撃」とか「言いたいことを遠回しに言う」という意味とされているが、スウェーデン社会には、この心理が沁み込んでいる。社会福祉制度の多くの部分を解体して、不平等な制度に取り換えている。その際の理由付け(スケープゴート)に使われるのが「移民」の存在である。現在の政府に対する極右勢力の影響力が眼に見えるようになっており、反移民とか反多文化主義という姿勢が社会的な「主流」を占めるようになってきている。

スウェーデン流の原理・原則?

実際のスウェーデンにはコメディアンのグルーチョ・マルクス程度の「原理・原則」しかない。自分たちの原理・原則を口にはするけれど、他の国々がそれを拒否したら、すぐに別の「原理・原則」を持ち出す…。こう見ていくと、スウェーデンのNATOへの接近も我々の姿勢と矛盾はしない。我々は常に自分たちの恐怖や弱さを「道徳的な優位性」(moral supremacy)で覆い隠そうとするが、それも単なる幻想にすぎない。

スウェーデンはNATOに加盟する用意が出来ているが、これもまたスウェーデンなりの「現実路線:pragmatism」であると言える。ウクライナ戦争が自分たちの近くで起こっており、スウェーデンは、怖ろしくて対処できないし、訴えるだけの原理・原則もないということなのだ。

  • That Sweden is now ready to join Nato is about pragmatism. The war in Ukraine has come too close, we are too scared and too small to cope and we have no principles left to sell.


ストックホルム

スウェーデン人とポピュリズム
 
▼二つ目の記事で紹介した英国の世論調査機関(IPSOS)による国際調査でスウェーデン人が自分の国について何を想っているのかを調べたら上のような結果が出ていました。どれを見ても自己批判的な発想が多いような気がします。

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4)再掲載: いじめ自殺報道の残酷

この記事はいまからざっと18年前(2006年)のむささびジャーナルに掲載されたものです。「むささび」を始めてから3年目くらいの頃だった。学校における「いじめ」が流行っており、いじめられた側が自殺するということまで起こっていた。82才になるむささびですが、小学校や中学校ではいじめたこともいじめられたこともない(と自分では思い込んでいる)。


18年前も今も同じですが、むささびはメディアの中ではラジオが一番好きだった。ベッドにごろんと横になって、黙ってイヤホンから聞こえてくるニュースに耳を傾ける「気楽さ」にはテレビや新聞も敵わないのでは?この記事も、むささびがラジオで聴いた番組をきっかけにしています。番組のテーマは「いじめ」なのですが、ネット情報によると2006年における小・中・高等学校におけるいじめの件数は124,898件で、前年度の約6倍(!)に達していたのだそうです。

いじめ続発、まったく分からない

<むささびの鳴き声:2006年11月23日>

宮崎哲弥さん
まったく分からない…か?  「悲劇の主人公」を目指す?
悲劇の「見せ方」 「庶民」の声

先日ラジオを聴いていたら、最近のいじめ自殺の続発現象について、宮崎哲弥さんという評論家が「どうすればこれを止められるのか、まったく分からない」というニュアンスでお手上げコメントを語っていました。

まったく分からない…か?

確かこの人はテレビなどにも出演して、理路整然、歯に衣着せぬという感じの発言をする人だった。その彼でさえも「どうにもならない」のが昨今の子供たちの自殺現象というわけであります。そのラジオのコメントの中で宮崎さんは「報道するから子供たちがマネをするんだという人がいるけれど、報道しないわけにいかないもんなぁ・・・」と途方に暮れていた。

マスメディアによる報道が自殺を誘発しているという側面はあるかもしれないけれど、「報道しないわけにいかないもんな」という部分は分かる。ただ、宮崎さんのコメントに、私が釈然としなかったのは、彼がマスメディアによる報道の「やり方」については全く言及しなかったということです。


北海道滝川市の小学生が自殺をしたときに、いじめが原因であることを学校や教育委員会がなかなか認めなかったというニュースをNHKの9時のニュースで見たのですが、自殺した子供が書いたという「遺書」をカメラがクローズアップして放映しておりました。遺書の文章を文字で追うだけでなく、女性のナレーターが読むというやり方でした。その後、これについてのニュースがあるたびに同じようなシーンが繰り返されていた。小学生が書いた「遺書」にしては、不思議なほど字がきれいで読みやすく、内容も整理されていたのですが、あの放送は、自殺した子供の「悲痛な叫び」が聞えてくるような効果があった。

悲劇の「見せ方」

私、テレビ局の内部など何も知らないけれど、ニュース番組を作るにあたっては、編集会議のようなものを開いて「この遺書はこうやって映し、このような声のナレーションを入れて、キャスターはこんなコメントを・・・」と決めるのだと想像します。

で、あのNHK9時のニュースのやり方を決めた人たちのアタマの中には、自分たちが決めた「見せ方」に対して、視聴者がどのように反応するかということも、浮かんでいたはずです。ちなみに視聴者の一人である私の記憶に残ったのは「自殺した子供の悲痛」そして「教育関係者の無神経・無責任」であります。

あのニュースを見る限り、かなりの数の視聴者は、自殺した子供と両親が「悲劇の主人公」、地元教育関係者が「悪者」という図式であの事件を考えたはずです。そして、事件を深刻このうえないといった表情で報告するニュースキャスターは「正義の味方」というわけです。NHKの人たちがそれを意図していたのではないけれど、結果として、あのニュースを伝えるキャスターは、悪を告発・弱者を救う水戸黄門・・・という見てくれになっていた。


「悲劇の主人公」を目指す?

宮崎哲弥さんの「報道しないわけにはいかないもんなぁ」という途方にくれたコメントについていうと、私が見たような報道の「やり方」のお陰で、自分も悲劇の主人公になろうという子供たちが出てきてしまっているのではないんですか?ってことであります。いじめ自殺を伝えても構わないし、おそらく伝えるべきなのだろうとは思うけれど、もう少し淡々と、感情抜きで伝えることはできないのか?それと遺書なるものを、ああもたびたび、しかもナレーション入りで見せる必要はあるんですか?

私はテレビのニュース番組については、NHKの夜9時とNHKBSの10時過ぎしか見ないので、他の局のニュースが、あの滝川市の事件をどのように伝えていたのかは知りませんが、伝え聞くところによると、民放の朝の番組ではキャスターが、怒りで涙を流しながら教師や教育委員会のことをなじっていたのだそうです。

報道するのはいいとしても、自殺した子供を「悲劇の主人公」「ダメな大人の犠牲者」のように扱うのは止めてほしい。いじめられていると感じて、心細い想いをしながらも、何とか生きている子供だっているのだから。ましてやテレビ・キャスターなる人々がカメラに向かって「アンタらが悪い!」という調子で、教師や教育委員などを咎めるのは止めてほしい。非常に不愉快だ。アンタらこそ何サマなのさ!?と言いたくなる。

「庶民」の声

ニュース番組が報道娯楽番組風になったのは、いつのことでしたっけ?いつの間にか、淡々とニュース原稿を読む番組が少なくなって、キャスターと呼ばれる人たちが「庶民の声を代表する」スターになってしまった。考えてみると残酷ですよね。子供の自殺を深刻そうに伝えたと思うと、数分後には「次はスポーツです。松坂投手が6億円でメジャー入りで~す!」とニコニコしているキャスターが出てくるんですから・・・。


テレビニュースへの八つ当たりついでに、新聞についても言いたいことを言っておきます。

私が自宅で購読している、ある新聞が「いじめている君へ」「いじめられている君へ」と題して、いろいろな有名人からのメッセージを掲載しています。子供たちへ語りかけるという文面で、この新聞の第一面に連載されています。例えばアナウンサーという女性は自分のいじめられ体験を書いたうえで「何がつらいのか、思いを内にとめないで、声にだしてみてください。私たち大人を頼ってください。信じてください」と呼びかけており、また別の「演出家」と称する人は、自分がいじめっ子であったことを振り返りながら「君には後悔してほしくない・・・」と語りかけたり…。

要するに、物分りのいい大人が、優しい口調で子供たちに語りかけており、それぞれのメッセージの中身は実に文句のつけようがない。ただ生まれてこの方、どちらかというと「いじめられっ子」気分で暮らしてきた私(むささび)にとって、このような「立派な大人」が発する、文句のつけようがない言葉ほど、違和感を覚え、気分を害されるものはないのです。(2006年11月23日)

▼最後に触れた、新聞紙上におけるメディア人の「いじめ論」のようなものに対する(むささびの)違和感はどこから来るのか、とちょっとだけ考えてみた結果、それはこれらのメッセージが、それぞれの人たちの過去についての想い出を語っているに過ぎないからなのではないかと思うようになってしまった。いじめは子供の世界だけに限ったことではない。この新聞に登場する有名人たちも、いま現在、大人の世界において、いじめられたり、いじめたりしているという感覚を持っているはずだ、と私は確信しています。それが、この新聞紙上では、いじめっ子やいじめられっ子を「キミたち」呼ばわりすることで、いじめを他人事のように語ってしまっている。

▼ただ、私はこれらの有名人たちのことを余り悪くは言いたくない。編集者に「子供たちに語りかけてください」と頼まれて、断りきれずに歯の浮くような「きれいごと」を言ってしまったのではないか、というので却って同情さえ覚えます。

▼私が心底気持ち悪いと思うのは、いわゆる有名人たちに「私も昔は・・・」と言わせることで、いじめが少しでも減るかもしれないと考えたのであろう、この新聞の編集者たちの感覚です。子供たちが、このようなものを読んで(あるいは親や教師たちに読んでもらって)心を入れかえて、自殺などしなくなるかもしれないと考えているのだとしたら、余りにも安易であり、いじめっ子やいじめられっ子を見下している、バカにしていると思うわけです。いじめは、いじめそのものを語ることで解消するなんて、私にはとても思えない。ましてやそれを「君たち」の問題のように扱う無神経はどうなっているのか・・・。しかもそれを有名人に語らせるという「ひとごと」ぶりは本当に気持ち悪い。(2006年11月23日)
 
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5)どうでも英和辞書
A-Zの総合索引はこちら


doppelganger: 瓜二つ

上の写真は2月9日付のBBC のサイトから転載したものなのですが、キャプションが次のような文章になっている。
  • US Senator Chris Coons, left (we think), next to German Chancellor Olaf Scholz, right (probably) 「米国のクリス・クーンズ上院議員(左の人物だと思う)とドイツのオラフ・シュルツ首相(おそらく右の人物)」
下線はむささびが挿入したものなのですが、言葉自体はサイトに入っているものです。ニュース写真の人物を描写するのに「だと思う」だの「おそらく」だのって、どういうこと?と思いながら記事全体の見出しを見たら "US Senator Chris Coons finds doppelganger in German Chancellor Olaf Scholz" と…。つまり上院議員がドイツの首相について「自分と瓜二つだと思った」ということですよね。 ネット情報によると "doppelganger"(ドッペルゲンガー)はドイツ語で「二重歩行者」(doppelgänger)を意味し、他人と瓜二つの顔を持つ人物や、自分自身の幻影のように現れる人物を指す言葉なのだそうであります。

ちなみに年齢は上院議員が60才、首相は65才。首相がワシントンを訪問した際に二人が顔を合わせる機会があったのですが、ウクライナへの軍事支援の増大が必要だと考える点でも一致していたのだとか。

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6)むささびの鳴き声
▼『不登校新聞』というのを聞いたことあります?自己紹介によると「日本で唯一の不登校専門紙」であり「これまでに1000人以上の不登校・ひきこもりの当事者・経験者が登場した」となっている。そのサイトに五味太郎という絵本作家とのインタビューが掲載されていました。それによると、五味さんから不登校の人たちへのメッセージは「構造を変えるよりも明るく逃げよう」ということにあるようです。五味さんの言う「社会」、「逃げる」とはどういうものなのか…?

▼五味さんによると、娘さんが高校生くらいの時期(20年~30年前)までは「学校ってヘンだよね」という話をすると、みんなが賛同してくれてその場が大いに盛り上がったので、学校のシステムも変わっていくものと期待した、と。しかしそれ以後「基本構造はなんにも変わっていない」のだそうです。 

▼五味さんによると「システムそのものを解体してしまったら、困る人が出てくるからだろうね。学校業界がなくなったら、雇われている先生たちとか、教科書をつくっている出版社の人とかが、食べていけなくなるわけだろう」というわけで、彼なりに到達した結論は次のようになる。
  • 物事を深く考えられない人は、「誰かが悪意を持って、悪さをしている」と発想する。だけどひとつひとつの問題で犯人探しをしても、意味がないんだ。結果として「悪」ではあっても、悪意はない。歪んだ社会構造そのものが変わらないかぎり、学校業界の歪みも解決できないよ。
▼ネット情報によると、五味さんは1945年8月20日生まれだから太平洋戦争が終わってから1週間もしないうちに生まれたのですね。むささびより4つ若い。上に紹介した「結論」の中で<結果として「悪」ではあっても、悪意はない。歪んだ社会構造そのものが変わらないかぎり…>という部分は妙に説得力があるのよね。このインタビューは非常に長いもので、上に紹介したのはごく一部に過ぎません。ここをクリックすると全文を読むことができます。


▼不登校の問題とは関係ないけれど、今朝のBBCによると、英国保守党のリー・アンダソンという下院議員(上の写真)が保守党をクビになったそうです。理由は彼がごく最近、「ロンドン市長の職場はイスラム過激主義者でいっぱいだ」と発言、お陰でスナク首相が政治的に面倒な立場(difficult position)に追い込まれてしまったことだそうです。今のロンドン市長はサディク・カーン(労働党)で、2016年の選挙で選ばれている。

▼本日の関東地方は全くもって "hopeless" な天気です。暗くて寒くて…下の俳句の梅の写真が救いです!

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