musasabi journal

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 むささびの鳴き声 どうでも英和辞書
538号 2023/10/8

この写真は動物を題材にしたユーモア写真展で表彰された作品の一つです。撮影場所はアメリカ・アラスカ州にあるカットマイ国立公園保護区(Katmai National Park and Preserve)というところ。むささびが想像する二匹のクマさんの会話は…
  • 右:いい天気ですね!先日は家内がお世話になりました。
  • 左:ホントに暖かくて嬉しいよね。カミさん元気?

目次
1)スライドショー:「反射」もいろいろ
2)アメリカ人と「精神主義」
3)再掲載:「政治家は信用できない」と言うメディアの信用度
4)再掲載:相対主義の薦め
5)英和辞書:dead man walking
6)むささびの鳴き声
7)俳句

1)スライドショー: 「反射」もいろいろ

今回もBBCのサイトから借りてきました。テーマは "reflections" です。reflectionというのは、日本語では「反射」とか「反映」という意味ですが、池などの水の表面に写る樹木・動物・人間などを撮影した作品群です。大体において静かな雰囲気の作品が多いようです。

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2)アメリカ人と「精神主義」

前号のむささびジャーナルで森本あんりさんが書いた『反知性主義』という本について触れ、この本が「アメリカでは、なぜ反インテリの風潮が強いのか?」「なぜキリスト教が異様に盛んなのか?」「なぜ政治が極端な道徳主義に走るのか?」などの問いかけを行っていることに触れました。それとは全く別の話なのですが、世論調査機関であるGallupのサイト(9月22日)に
  • アメリカ人の47%が自分を「宗教的」であり、33%が「精神的」であると考えている In U.S., 47% Identify as Religious, 33% as Spiritual
というアンケート調査の結果が報告されていました。「宗教的」というのは、キリスト教であれイスラム教であれ、仏教であれ、既存の宗教グループの言っていることを信じているという意味であり、「精神的」というのは、いわゆる「物質的」とは異なる価値観を持ち、生き方をしているという意味であると(一応)理解しておきましょう。付け加えると2%のアメリカ人は自分が「宗教的であると同時に精神的でもある」と言っている。

アメリカ人の宗教性・精神性意識

24年間の変化


この調査は今年(2023年)の7月に行われたものなのですが、宗教的・精神的ということに前向きの意見が82%ということになる。この数字を高いと見るか低いと見るかは人によって異なるけれど、Gallupでは24年前(1999年)と21年前(2002年)にも全く同じ質問のアンケートを実施している(上のグラフ参照)。それらを比較すると、宗教的・精神的であることに前向きな姿勢のアメリカ人は24年前には90%、21年前には87%だった。つまり宗教性や精神性に前向きな人間が減っているということになる。「宗教的でも精神的でもない」という否定組は現在は18%であるけれど、かつては9%(1999年)・11%(2002年)だったのだから、かなり増えているということです。
支持政党別に見た「宗教性」と「社会性」


年齢別の「宗教性」と「社会性」


「精神」だの「宗教」だのというのは、どちらかというと内面的な問題ですが、これが政治の世界にどのように反映するのか?(むささびなどには)ちょっと意外な気がするのは、自分たちを「宗教的」と意識しているアメリカ人の多く(6割以上)が「ビジネスマンの党」と言われる共和党の支持者であるということです。自分を「宗教的」と考える民主党支持者は4割にも届かない。

年齢層で見ると、宗教的な人間は高齢者(65才以上)に多いというのは、ある程度予想されますよね。「宗教的でも精神的でもない」と考えるのが若年層に多く、高齢者層の3倍以上にのぼっている。

Gallupのコメントによると、アメリカ人が昔に比べると宗教的でなくなっているのは事実であるけれど、それでも人口全体でみると、アメリカ人の圧倒的多数が宗教的・精神的であることを重んじている。また若い層の多くが非宗教的・非精神的としてはいるけれど、自分をそのように表現する若者は全体の4分の1にすぎないのだから
  • そのことは、アメリカにおける成人の多くが、これからも何らかの精神性や宗教性を意識しながら暮らすことになるはずだ。 This suggests that in the future a diminished but still large majority of U.S. adults will have some religious or spiritual connection in their lives.
というのがGallupのまとめです。
▼それにしても「精神的:spiritual」とはどのような態度のことを言っているのですかね。


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3)再掲載:「政治家は信用できない」と言うメディアの信用度


ジャニーズの問題が明るみに出てから、タレント業界に対する風当たりが強くなっているけれど、一方で彼らを支えてきたメディア業界に対する批判もいろいろと出てきている。英国ではIPSOS-MORIという世論調査機関が、さまざまな職業人に対する人びとの信頼度を調査して発表しており、むささびジャーナルでもこれまで何回か紹介してきていますが、ほぼ常に評判が悪いのが「政治家」です。今回は2004年5月16日にお送りした33号に出ていたものを再掲載させてもらいます。

再掲載メディアの信頼度

むささびジャーナル32号で、英国における世論調査の結果として、一番信頼されている職業人は医者で、最低なのがジャーナリスト、下から2番目なのが政治家となっているということをお伝えしました。いま読んでいるアンソニー・サンプソンのAnatomy of Britainの最新版(これも以前に紹介させて貰いました)でもこの調査の結果について書かれています。たださすがむささびジャーナルよりも面白いと思うのは、20年前の1983年の数字と2003年の数字を比較している点です。

例えば20年前には医者を信頼できると答えた人が82%であったのですが、これが2003年になると91%と上昇しています。極めて興味深いと思うのは「お役人」(civil servants)を信頼できると答えた人が、20年前の25%から現在は46%と急上昇していること。1983年といえばサッチャーさんが「小さな政府」を目指して大改革を行っていた時代です。 で、政治家とジャーナリストはというと、後者がビリで前者がビリから2番目ということでは昔も今も同じこと。率も18%と情けないありさまです。

政治家はメディアによって悪とアホの見本のように書かれており、メディアはそれで売り上げを伸ばしたりもしている。メディアとしては「正義の味方」のつもりなのかもしれないけれど、実は国民はそのメディアをも全く信頼していないというわけです。

また余りにもメディアが政治家のことを悪く・悪く描きすぎるので、素晴しい政治家になるかもしれない才能を有した人々が政治家という職業に魅力を感じなくなっており、これは「英国における民主主義が危機に瀕している証拠だ」というのがサンプソン氏の指摘です。


テレビ、新聞、雑誌に見る限り、日本では政治家が褒められることは、死去でもしない限り殆どないように思えます(でも死んだ途端に”XX氏を悼む”というような記事がわんさと掲載されます)。だから「政治家は信用できない」というのが国民的合意ともなっている。ただメディアは、メディア自体が読者や視聴者からどの程度信頼されているのかについて、報道していないように思えますが・・・。

また日本で同じような調査をしたとしても、医者、教師、裁判官、聖職者が70%を優に超える「信頼度」を得ることができるのでしょうか?できないとしたら、それはこのような職業人が悪いのか、メディアによって否定的に紹介されているからなのか?
 職業別信頼度(IPSOS)
<2022年:国際的な調査>

▼最後に掲載した「職業別信頼度」のアンケートは、英国人だけを対象にしたものではないのですが、見ていると興味深いのは「普通の人びと:Ordinary men/women」に対する信頼度が非常に高いということ。上から5番目で、警察・裁判官・弁護士などより上なのですからね。それからTV news readersの信頼度がJournalistsなどよりもかなり高いということ。TV news readersというのは「キャスター」のことですよね。取材する記者よりも、その結果として読まれる現行の方が信用されるってこと?メディアの種類からいうと、活字媒体よりテレビの方が信頼度が高いってことよね。そんなものですかね!

 
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4)再掲載:相対主義の薦め?

この記事は、いまから18年前(2005年10月16日)に発行したむささびジャーナル69号に掲載されたものです。New Statesmanという左翼系のオピニオン誌に掲載されたものなのですが、話題のポイントは、特に左派系の人間が陥りがちな思想的矛盾を語ることにある。「この世に絶対というものはない…」という姿勢についての再検討です。18年前も現在も、人間は同じ問題に直面して戸惑っていると思えて仕方ないのよね。

再掲載:相対主義の薦め?

むささびジャーナル69号(2005年10月16日)
盲目的民主主義 英知の独占 あんたら何さま?

以前にも紹介したことのあるNew Statesmanは英国左翼のオピニオンマガジンとして知られていますが、最近のサイトを見ていてショルト・バーンズ(Sholto Byrnes)という人のエッセイが面白いと思いました。かなり長い論文なので、すべてを紹介することはできませんが、興味をお持ちの皆様には原文をお送りすることができます。タイトルがなくて、次のようなイントロで始まっています。
  • 盲目的民主主義
  • 我々の西洋的リベラル民主主義への信仰と、それが優越した道徳的な真実を有しているという信念によって異なった伝統を有する他国について我々自身が盲目になっている。 'Our faith in western liberal democracy, and our belief that it possesses a superior moral truth, have blinded us to countries with other traditions'.
筆者はThe Independentのスタッフライターらしいのですが、この論文のポイントは次の書き出しに要約されています。
  • 英知の独占
  • それぞれに異なった文化が、ことの善悪について異なった考え方を持っているなどと言おうものなら、「相対主義者」としてののしられてしまう。いつから西洋は「英知」を独占するようになったのであるか? If you say that different cultures are entitled to their own views on right and wrong you will be howled down as a "relativist". But since when did the west have a monopoly on wisdom?


英国ではサッチャーさんが首相になったあたりから「強い指導力」とか「信念の政治家」などがもてはやされるようになり、それを受け継いでいるのがトニー・ブレアというわけです。英国のインテリの間で、特に嫌われているのが「相対主義」(relativism:人間いろいろあるから、一概にこれがいいなんて言えないよな、という考え方)です。筆者によると「イスラム社会にはそれなりの考え方ややり方がある」などと言おうものなら、その時点で退けられてしまう。世界中どこへ行っても西洋風リベラル民主主義を受け入れない国などあり得ない、という信仰に凝り固まっている。絶対的善というわけです。

ただこの筆者によると、そうした頑な「信仰」のおかげで、欧米も随分損をしている部分があるというわけです。例えば、イラクのサダム・フセインという人物が悪い独裁者(evil dictator)であったことに異論を挟む者はいないかもしれないが、欧米の政治家たちは、彼を追放した後のイラクにリベラル民主主義が直ちに花開かないということに驚いたり、まごついたりしている。欧米流の「民主主義的な選挙」によって、イラク人はイスラム国家(民主主義国家ではない)の樹立を目指す政府を選んだりしていることに大いにまごついている。


欧米のリベラル民主主義信仰者によれば、サウジアラビアを支配するサウド家などは独裁者の見本のようなものですが、この国で「民主的選挙」をすれば、オサマ・ビン・ラディンが勝利すること間違いない・・・というわけで、欧米の知識人は、リベラル民主主義ではないかもしれないが、破壊的テロリストでもないサウジの体制と共通項を見つける努力をすべきだ、というのが筆者の主張です。

この論文を筆者は次のような文章で結んでいます。少し長いのですが紹介します。
  • あんたら何さま?
  • 我々欧米人は、自分たちこそがものごとを誰よりも良く分かっており、我々は自分たちの価値観を他の世界(の人々)に押し付ける権利があると主張し続けている。我々に(彼らよりも)優れた富と武器がある限りにおいては、それも成り立つかもしれない。が、ある日・ある時、自分たちのレクチュアの「生徒」たちが振り返って「あんたら何さまだと思ってるんだ」と言うことになったら?もし彼らの反応が怒りに満ちて、言葉を超えたものになったとしても、我々は驚くべきではないだろう。 We in the west continue to maintain that we know better, and that we have the right to impose our values on the rest of the world. While we continue to enjoy superiority in wealth and weaponry we can get away with it. But what if one day the objects of our lecturing turn round and demand, "Says who?" If, in their fury, their response goes beyond words, we should not be surprised.


▼英国にポール・ジョンソンという歴史家・批評家がいます。もう生きていないかも。この人の書いたMODERN TIMESという本は1920年代から1990年代の終わりまでの世界史が書いてあるのですが、それによると「世の中に絶対というものはない」という考え方は、20世紀の初めにアインシュタインという人が「相対性理論」なるものを発表したのと時を同じくして人々の間に広まったのだそうです。

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5)どうでも英和辞書


 
A-Zの総合索引はこちら

dead man walking:歩く死人

「歩く死人」なんて、気持ち悪いけれど、Cambridgeの辞書によると "someone who will certainly lose their job, position, title, etc. very soon" というわけで、「先行きが長くない(と思われる)」人びとのことなのだとか。
  • The Prime Minister is a dead man walking.
  • He survived the scandal but was widely considered a dead man walking going into the election.
  • The team were dead men walking when they came onto the pitch.
現実の世の中は「歩く死人」だらけですよね。一つだけ「変わってる」と思ったのは、War*Hallという音楽グループがあって、彼らのヒット曲の一つが "Dead Man Walk" というタイトルの音楽だった。スポニチのサイト(4月13日)によると、大リーグの大谷翔平が投手としての今年(2013年)の本拠地初登板の際に使った「登場曲」がこの "Dead Man Walk" だった。そう言われてむささびも聴いてはみたのですが、何が何やらさっぱり分からない音楽だった。

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6)むささびの鳴き声
▼埼玉県毛呂山町というところを車で通っていたら、上のような看板を掲げた建物が目に付きました。「幼児園?幼稚園の間違いじゃないの?」と思ったのですが、福祉施設の看板で、それほど「豪快」な間違いなどするわけないよな…。でも変だなぁ、と思いながら通り過ぎてしまったのですが、考えてみると「幼稚園」という言葉もおかしいよなぁ。ネットの辞書によると「幼稚→子供じみた・未熟」という説明が出ていた。英語で言う "childish"。

▼となると、小学生になる前の子どもたちが集まる、あの施設は「アホみたいなガキを預かる場所」ということになる。その点では毛呂山町にある「社会福祉法人・あけぼの幼児園」の方がまともだよなぁ…。年齢的に「幼い子ども」たちを預かろうというのだから。というわけで」、もう少し辛抱強くネットを調べたら次のような答えが出ていました。
  • 「幼稚園」は文部科学省の所轄で、学校の一つとされており、そこで行われるのは「教育」である。「幼児園」は厚生労働省の所轄となる。簡単に違いを言うならば「幼稚園は幼稚園、幼児園は幼稚園ではない園が幼稚園的な教育も行う場所」ということに…。何だそりゃ!?
▼で、10月7日付の毎日新聞のサイトによると、埼玉県の自民党県議団が県議会に提出した虐待禁止条例改正案なるものが、ネット世論の世界では悪評さくさくなのだとか。毎日の記事をそのままコピペすると、次のような行為を行うと「虐待禁止条例」違反ということになる。
  • 子供だけで
  • - 公園で遊ぶ
    - 登下校する
    - 買い物に行く
    - スーパーの駐車場で車内にいる
▼この改正案に罰則規定はないけれど、子供を預ける環境(幼児園のようなところ)が身近になければ外に働きに行くことが難しくなることから、一人親家庭の人たちには極めて深刻な問題と映ったようだ…と毎日新聞は言っています。要するに毛呂山町の「幼児園」の必要性が大いに叫ばれている、と。

▼飯能市に住むむささびの自宅は「幼稚園」に隣接しています。毎日、午後3時ごろになるとピアノに合わせて子供たちが声を張り上げる「幼稚園歌」が聞こえてきます。30~40才前後と思われるお母さんたちが車(多くが軽四輪車)で迎えに来て…毎日のように繰り返される風景です。現代日本の典型的な午後の風景なのでしょうね。むささびにも3人の子どもがいたのですが、誰も幼稚園には行かせなかった。真ん中の息子が、幼稚園の塀になっているヘチマをじ~っと見るのが好きだったっけ。ヘチマの何がそんなに面白かったんだ!?

▼失礼しました。寒くなりましたねぇ!お元気で!!


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