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496号 2022/2/27
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BREXIT 美耶子の言い分 美耶子のK9研究 むささびの鳴き声 どうでも英和辞書

上の写真、向かって左がルーマニア出身のヘルタ・ミュラー、右がウクライナ生まれ・ベラルーシ育ちのスヴェトラーナ・アレクシェーヴィッチ。二人とも文学者であり、ノーベル文学賞の受賞者でもあります。最近この二人がドイツの雑誌、Der Spiegelで、ウクライナ情勢をテーマにした対談を行っており、今回の「むささび」は、この対談における二人の発言を中心に編成するつもりです。

ただ、この対談が掲載されたのが2月9日、ロシアによるウクライナ攻撃開始の2週間以上前のことであり、語られている内容も「現在の状況」を反映したものにはなっていません。むささびとしては、この会話を、若い時代を「ソ連」という体制の下で過ごしながらも、ロシア人ではない二人の文学者の語りとしてとらえて貰えればそれなりの価値がある、と考えた次第です。

目次
1)スライドショー:戦車は本で阻止しよう
2)ウクライナ人の恐怖と絶望
3)「使い古し時代」を生きる(再掲載)
4)フィンランドの迷惑
5)どうでも英和辞書
6)むささびの鳴き声


1)スライドショー: 戦車は本で阻止しよう



英国の写真家、マーク・ネビル(Mark Neville)のことは昨日までは名前さえ聞いたことがありませんでした。1966年生まれだから今年で56才になる。現在ウクライナで暮らしているのですが、最近 "Stop Tanks With Books" という写真集を出した。このタイトルを日本語に直すと『戦車は本で阻止しよう』ということになる。戦争反対を訴えるという内容ではなく、写真家として見たウクライナ人の日常生活を写した作品が収められています。このスライドショーはこの本に掲載されている彼の作品を集めたものなのですが、数はごく少数です。写真集の現物を買えばいろいろ楽しめるのだろうと思いますが、これらの写真だけ見てもウクライナの田舎の景色が「埼玉県そっくり」であることが分かります。


マーク・ネビルがウクライナで暮らすきっかけになったのが、2015年に出版した "Battle Against Stigma"(汚名との戦い)という写真集だった。戦争に駆り出された兵隊たちが被るトラウマ(精神的な病)を記録するものであったのですが、その本を眼にしたキエフにあったウクライナ軍の病院の関係者からお呼びがかかったこと。その頃、病院ではウクライナ国内の反政府組織との戦闘から帰還する兵士たちの精神を癒すことに全力を挙げていたのですが、この本の著者であるマーク・ネビルに、これらの元兵士たちと時を過ごしてもらいたいというのが病院の依頼だった。

マークは驚いた。この本は、出版された時点で英国国防省によって望ましくない出版物として、没収されてしまったこともある。それが(あろうことか)元ソ連圏の国の国防省の病院からお呼びがかかるなどとは考えてもみなかったというわけです。

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2)ウクライナ人の恐怖と絶望をシェアする


このむささびジャーナルをお送りする頃にウクライナをめぐる状況がどうなっているのか、見当もつきませんが、2月9日付のドイツの週刊誌 Der Spiegel のサイト(英文版)に、この問題に関する二人のノーベル文学賞受賞作家による対談が掲載されています。見出しが「ドイツの政治家は全世界の目の前で我々を侮辱している」(German Politicians Are Disgracing Us Before the Entire World)となっており、プーチン政権の「脅し」に弱腰とも見えるドイツ政府の態度への批判のように見えてしまうけれど、実際の中身はプーチン批判ではあってもドイツ政権批判とは思えない。
 

対談を行っているのはルーマニア出身のヘルタ・ミュラー(Herta Müller)とウクライナ生まれ・ベラルーシ育ちのスヴェトラーナ・アレクシェーヴィッチ(Svetlana Alexievich)です。両方とも現在はドイツで暮らしているのですが、二人に共通しているのは、崩壊前のソ連(ソビエト社会主義連邦)を身をもって体験していることです。アレクシェーヴィッチについては、これまで何度かむささびジャーナルでも紹介しています(330号332号357号)が、ヘルタ・ミュラーを紹介するのはこれが初めてです。

このインタビューはドイツ語で行われ、シュピーゲル誌のドイツ語版に掲載されたものを英文に直したのだそうです。

     
ヘルタ・ミュラー スヴェトラーナ・アレクシェーヴィッチ

1953年、ルーマニア生まれ(69才)、2009年ノーベル文学賞。シュバーベン人と呼ばれるドイツ系少数民族の出身で、ドイツ語が母語。ティミショアラ大学でドイツ文学とルーマニア文学を専攻し、金属工場で技術翻訳者となった。しかしチャウシェスク政権による独裁下にあった1979年、秘密警察への協力を断ったために職場を追放された。その後、学校の代用教員をしながら創作活動を続け、1982年に発表した短編集「澱(よど)み」がドイツ国内でも高く評価された。1984年には職業に就くことと作品の発表を禁じられ、ルーマニアで活動するのは困難となり、1987年に出国、以来、ドイツ国内に居住する。(2009年10月8日付朝日新聞より)

1948年ウクライナ生まれ(73才)、国立ベラルーシ大学卒業後,ジャーナリストの道を歩む。民の視点に立って,戦争の英雄神話をうちこわし,国家の圧迫に抗い続けて執筆活動を続ける。著書に『アフガン帰還兵の証言』(日本経済新聞社:むささびジャーナル332号),『チェルノブイリの祈り』(むささび330)『戦争は女の顔をしていない』『ボタン穴から見た戦争』(以上,岩波現代文庫),『セカンドハンドの時代』(岩波書店:むささび357号)などがある。2015年ノーベル文学賞受賞。(岩波書店「スヴェトラーナ・アレクシエーヴィッチ特集」より)。
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注目を浴びたいだけ? スターリンに興味なし?
恐怖・絶望・無力感 ロシアへの恐怖心
虚偽と捏造しか知らない ドイツの逡巡
独裁のあとに来るもの ドイツは武器供与を
「民主主義」を知らなかった? 愛情が人間を傷つける?
独裁が「真ん中」を生む ドイツで救われた

  • DER SPIEGEL: お二人は、ロシアがウクライナに侵攻すると思います?
注目を浴びたいだけ

Alexievich: 私の場合、政治家ではないけれど、ウクライナ人の血が流れており、半分(母方)はウクライナ人なのです。ベラルーシにも親戚がいるけれど、多くはウクライナに住んでいる。いま彼らの話は全てこの問題に集中しています。ただほとんどの人間が戦争は起こらないだろうと考えています。理由ははっきりしないけれど、そのように感じているようです。中には小麦粉やマッチを買いだめする人もいるらしいけれど。私は今後もう一度米ロの大統領が会談すると思います。それはプーチンの望むところなのですよ。要するに注目を浴びたいのです。
Müller: でも、そんなことのためにわざわざ自国の軍隊まで動員したりするでしょうか?2014年のクリミア半島問題のときはそれをやってうまくいった。国際法に逆らってまでしてクリミア半島を併合したのだから。ウクライナのドンバス地方を占領したのもプーチンだから、彼なしには(ウクライナの)分離主義者は存在しないはずなのです。彼はウクライナを小さく切り刻んでしまったようなものなのです。現在、みんなが「危機」の話をしている。でもどの危機の話なんです?ウクライナはこの8年間、いつも戦争状態だったのですよ。

  • DER SPIEGEL: プーチンは国境地帯に軍隊を集めておきながら、ウクライナを侵略するつもりはないと言っています。が、西側の政府は警戒を緩めていません。ウクライナは南がルーマニア、北がベラルーシと接している。お二人の出身国です。ロシアによる侵略の可能性についてお二人の感情的な反応はどのようなものなのですか?
■恐怖・絶望・無力感

Müller: 恐怖・絶望・無力感ですね。Fear, desperation and helplessness. ウクライナ人は特に難しい立場にある。しかしプーチンは、ここ数年間、東ヨーロッパすべの人間に恐怖感を与えてきた。なぜルーマニアやポーランドはNATOへの加盟を望んだのか?ロシアを攻撃したいからではありません、自分たちを守りたいからなのですよ。
  • DER SPIEGEL: プーチンはロシア国内では非常に人気がある。最近の調査では国民の70%がプーチン支持者であることを認めている。ロシアでは戦争に対する恐怖が特に強いわけではないようですね。
Müller: 独裁国における世論調査は、国民の誰もが自分たちのリーダー(独裁者)を支持していることを示すものです。たとえ独裁者のやっていることが国民の利益に反するものだとしても、です。石油やガスを売ったカネで独裁者は何をしようと言うのか?国民のためになることではない。となると・・・インフラ整備ですか?医療の促進ですか?それとも文化を守るため?
Alexievich: プーチンがカネを投じるのは軍備だけです。
Müller: 我々はロシアのガスや石油を買う、彼は自分たちの武器を調達するためにそのカネを使う。ひょっとするとシリアでそれらの武器の「性能」を試すようなこともやっている。で、いま彼は対ヨーロッパ関係のために武力が必要だ、というわけです。

  • DER SPIEGEL: ソ連におけるペレストロイカ(社会改革)が始まったのは1980年代の半ばです。1991年にソ連そのものが崩壊している。お二人は自らの作品を通じて、社会主義時代というものが如何に長々と続くものかということをおっしゃっている。なぜそのように思われるのですか?
Alexievich: 今でも赤い人間(共産主義者のこと)も独裁者も死んではいないことが明らかではありませんか。
■虚偽と捏造しか知らない

Müller: プーチンは古い考え方から自分を解放することができないのですよ。彼のルーツはソ連の秘密警察ですからね。自分の国の人びとを手あたり次第捕まえて「外国スパイ」呼ばわりする。プーチンは犯罪者として社会的な存在となってしまっており、ウソをついたり、虚偽や捏造を使ったりというのが当たり前になっている。それ以外のことを知らないのですよ。殺人も犯しています。ジャーナリストのアンナ・ポリトコフスカヤ、政治家のボリス・ネムツォフらの死去の背景は未だに明らかになっていない。プーチンという人物は「独裁者」であること以外に何が社会に提供できるというのか?それは「独裁者」という存在の問題でもある。余りにも多くの犯罪を犯してしまっているので、独裁者であることを止めたら裁判の被告になるしかない。

  • DER SPIEGEL: プーチンを「独裁者」と呼ぶのは正しいのでしょうか?
Müller: それ以外の何なのですか?What else might he be? 彼に反対する活動家を刑務所や収容所に送るのですよ。今のロシアではスターリン時代の収容所制度がまだ生きているのですよ。つい最近、人権団体のMemorialが解散させられた。スターリン時代の矯正労働収容所(Gulags)における犯罪の記憶がタブーになっているから。今のロシアの若者たちに残された道は、外国へ移住するか、おとなしくしているかのどちらかということになってしまった。
独裁のあとに来るもの

Alexievich: 何から何までプーチンに関連付けて説明することはできませんよ。人びと(the people)のことも考えるべきよ。東ヨーロッパの人びとのように長期にわたって閉じ込められていれば、自由の意味なんて分からなくなる。独裁の後に残るのは何?破滅状態の経済だけではないのよ。騙された国民(duped populace)というものも残るのよ。
  • DER SPIEGEL: Müllerさんは、2004年、オスカー・パスティオール(Oskar Pastior)に協力して "The Hunger Angel"(空腹の天使)という調査を行うためにウクライナにいましたよね。パスティオールはそれ以前に60年間も強制労働収容所に入れられていた。小説では、解放されて故郷へ帰ってきた彼が収容所を懐かしむようになっていた。オスカー・パスティオールはルーマニア生まれのドイツの詩人。
Müller: 余りにも長い間抑圧された生活を送った後に自由を与えられると、感じるのは空虚感(it’s empty)です。それは苦しいですよ。長い間、抑圧生活を送ると、抑圧にも慣れるものよ。パスティオールと私は収容所があったドンバス地方にいました。ドンバス村は老人だらけだった。歯は抜け落ちて、靴さえ履いていないという状態だった。なのに彼らのジャケットには軍隊の勲章が輝いていたのよ。貧乏な彼らが唯一自尊心を誇れるのは勲章だけだった。あれからも彼らに何か誇れるものが与えられたのか?何もなしだった。
「民主主義」を知らなかった?

Alexievich: ソ連の崩壊後、どのように民主主義に生命を吹き込めばいいのか、誰にも分らなかった。民主主義を要求するデモをやったりもしたけれど、どうすれば民主主義を達成できるのか?どうすれば自由になれるのか…?それがさっぱり分からなかったのよ。我々には政治文化(political culture)というものがなかった。その隙間にロシアのエリート(oligarchs)たちが入り込んでリッチになってしまった。で、気が付いたら私たちは、自分が全く望んでもいなかった世界に暮らすようになっていたというわけよ。略奪式資本主義、ごく少数の人間だけが豊かになって、大多数は貧乏な生活を送るという社会です。(ソ連崩壊後に)モスクワでタジキスタン出身の男と話をしたことがあるけれど、彼はまともな教育を受けることができなかった、何故なら十分なおカネがなかったから。でも彼の祖父たちはモスクワで大学に通ったのよ。でも今ではその人の奥さんが便所掃除をして生計を立てていた。彼のような人たちにしてみれば、ソ連の崩壊なんてなかった方が良かったということなのかもしれないのよ。


キエフの街並み
  • DER SPIEGEL: そのような状態について、西側諸国にはどの程度の責任があるのでしょうか?ドイツでは、ベルリンの壁が崩壊した際、東ドイツ人は、西ドイツ人が横柄になった、と言っていたのです。
Alexievich: 時として想うのは、私たちベラルーシ人が、ベルリンの壁崩壊後に東ドイツの人たちに与えられたようなヘルプを受けていたらどうなっていただろうかということ。ずいぶんいろいろなことが違っていたでしょうね。でも私たちは自力でそれを成し遂げることができなかった。ベラルーシはロシアの影響下に置かれたのですよ。ソ連崩壊後にソ連圏の国々で起こったのと同じ問題が出てきたのですよ。
Müller: ベルリンの壁の崩壊後、ドイツでは「自由」について語ることが殆どありませんね。話題になるのは常に「東ドイツ人たちが経験する混乱」(disruption experienced by Eastern Germans)のことだった。その混乱を経験できたことはむしろ幸運であるともいえるのよ。独裁から民主主義(と経済的繁栄)への移行の中での「混乱」なのだから。
  • DER SPIEGEL: ソ連の崩壊は(東ドイツも含めた)ドイツにとって良かったということを(東欧の人たちは)認めたがらないということですか?
独裁が「真ん中」を生む

Müller: 東ドイツの時代に戻って話をしましょう。あの頃はどうだったのですか?独裁体制はどこも同じですが、多くの国民は社会の上層部にいるわけではないし、下層部にいるわけでもない。みんな真ん中にいる。そして従順なのですよ。だからそれほどの注目を集めない。彼らが口にするのは「自分たちは政治的ではない」(they weren’t political)ということ。だから彼らには悪いことも起こらない。そのような国民たちはまた恵まれない境遇の人間(つまり自分たちの政治的な意見を表明する人たち)に注目することもないのよ。だから彼ら(大多数の国民)は独裁者のことなど憶えていないかもしれないけれど、生活そのものは満足のいくものだった。進歩した都会に住んで、プーチンを擁護するというのは気持ちのいいものではない。政治的な盲目即ちノスタルジアにしか生きられないということ。東ドイツへの郷愁を増大させるについては左翼党(The Left Party)が大きな役割を果たしたし、今では極右の AfDが同じことをやっている。


崩れるベルリンの壁
  • DER SPIEGEL: 西ドイツの人びともNATOによって脅かされているプーチンに対して同情しています。
Müller: でしょうね。かつてのドイツ首相の中にはプーチンの家来のような人がいたのですから。ゲルハルト・シュレーダーはヨーロッパ最大のロビイストですよ。彼の政党(社会民主党)は、そのことについては特に意見がないようだった。
スターリンに興味なし?

Alexievich: 諺があります。「偉大な人間の家が倒れると、数多くのちっぽけな人間も倒れる」(When the house of a great man collapses, it will bring down many smaller ones along with it.)ってね。いま貧しい人たちはソ連時代に犯された犯罪には興味がない。ソ連時代のことについて書かれた本はたくさんあるのに、その人たちは全く無視してしまう。私自身の経験についてお話します。ロシアで教師をしていたときに、スターリン時代の収容所(Gulag)の話をしようとした。するとある男が立ち上がって私に言ったのです。「それはすべて過去の話です。私は今日、自分の子どもを食べさせなければならないのです」とね。1990年代に皆が民主主義なんかに関心がなかったのも、そのせいなのですよ。生きていく上での現実的な青写真を提供できなかった。提供したのは言葉・言葉・言葉・・・それだけだった。
  • DER SPIEGEL: アレクシェービッチさん、ソ連崩壊後、西側は過ちを犯したと思いますか?
ロシアへの恐怖心

Alexievich: 我々ソ連圏の人間は西側諸国が助けてくれると思って待っていただけなのです。それは甘い(ナイーブ)ですよね。西側が助けるって、あのような膨大な広さのエリアをどうやって助けるというのですか?無理というものですよ。ただ、私は(西側が犯した)過ちが一つだけあると思っている。ロシア革命以前のロシア帝国(1721年11月~1917年9月)の時代から欧米はいつもロシアを怖がっていた。西側諸国は「強いロシア」を嫌がっていたのですが、やがて西側もロシアは民主化する必要があると思うようになった。それはロシアのみならず皆のために必要だ、と。それが分かるまでに10年かかったのですよ。無駄な10年、民主主義のさらなる発展と定着のために使うべきだった10年です。その間にロシアの金持ち(oligarchs)がロシア全部を自分たちのポケットに入れてしまった。彼らはこれで西側の人びとに歓迎されると思い込んでいた。西側では金持ちが歓迎される、と。が、西側の人びとは彼らを犯罪者のように扱った。そして彼らも欲求不満に陥った。プーチンの言うことに耳を傾けてください。「西側の人間は我々を尊敬していない。俺たちが嫌いなのだ。俺たちに居て欲しくないのだ」(The people of the West don’t respect us, they don’t like us and don’t appreciate us.)と、彼は言っているのです。
  • DER SPIEGEL: プーチンとラブロフ外相は、NATOの軍隊がかつてのソ連圏に駐留しないこと、ウクライナをNATO加盟国としないことを保障しろと言っている。ロシアはNATOに取り囲まれていると感じているのですよね。その感覚は正当なものだと思いますか?
Müller: NATOにはロシアを取り囲む能力がない。これまでにNATO加盟国がロシアの脅威になったこともありません。実際にはその反対です。「安全保障」なるものの必要性によって事実が捻じ曲げられて政治的誇大妄想を生んでいるのですよ。


セントピータースバーグに集まったロシア人の反戦デモ
■ドイツの逡巡
  • DER SPIEGEL: ナチス・ドイツは東欧諸国に対して非常に大きな苦痛を与えました。(ウクライナ問題について)何故ドイツ政府が「外交」にこだわり、軍隊をウクライナに派遣することを嫌がるのか、分かりますか?
Müller: それは単なる言い逃れで、現代においては意味がない。我々は、1990年代、かつてのユーゴスラビアで何をしたのですか?我々は軍事協力を行ったのですよ。ドイツには歴史的に見てもウクライナを援助しなければならない責任があるのですよ。ドイツの政治家たちはウクライナに何を送ろうと思っているのですか?ヘルメットですか?それは侮辱というものです。それともフェネルの紅茶でも送りますか?あるいは、倒れたウクライナ兵士のための棺桶でも送るのですか?
  • DER SPIEGEL: ドイツ外相は「話し合いをする人間は銃撃はしない」(Those who talk, don’t shoot)と発言して、外交交渉の大切さを強調していますが。
Müller: 何とも陳腐な発言ですね。人間は銃で撃ちあいながらも会話もするのです。政治家のトークにはろくなものがありませんね。ドイツ社会民主党のLars Klingbeilという議員は、ロシアが対立のエスカレーションの犯人だと発言しただけで「勇気がある」と思われたりしている。いつからそんなに臆病になったのです?彼は他に何を言ったと思います?「平和を組織立てなければならない」(We now have to organize the peace.)と言ったのですよ。まるで平和を「組織する」ことが可能だと思っているように、です。政治家たちは、自分の発言の結果としてもたらされることに目を向けようとしないのですよ。だから誰もが現在のドイツに憂慮の気持ちを抱かざるを得ないのですよ。ウクライナ人は自己防衛をしなければならない、と。
  • DER SPIEGEL: アレクシェービッチさん、あなたはどう思いますか?ドイツはウクライナに対して武器を供与すべきだと思いますか?
ドイツはウクライナに武器供与を

Alexievich: もちろんです。ウクライナは現在の対立からの勝利者にならなければなりません。それがウクライナとベラルーシにおける民主主義の発展にとって肝心なことなのです。私は冷凍運搬トラックが兵士の死体をたくさん積んで走っていたころのウクライナに住んでいたことがあります。その兵士たちは(ウクライナの)ドンバス地方の戦いに参加した人たちだった。ウクライナの伝統で、皆が家から出てきて道路わきに坐ってトラックを見送っていた。痛ましい光景でした。死んだ兵士たちはどれも若い「少年」だったのですが、ロシアの傭兵(mercenaries)に殺されたのです。報酬目当てに人を殺す人間たちです。ウクライナへの武器提供をやらないと言うドイツの政治家たちにあの光景を見せたいですね。そうすれば、今現在、自分たちが何をすべきなのかがはっきりするでしょうから。
  • DER SPIEGEL: ミューラーさんはルーマニアのご出身です。ルーマニアはNATOの加盟国であると同時にEUにも加盟しています。ルーマニアにはまだ社会主義の名残りのようなものはありますか?
Müller: 社会不安・汚職・反ユダヤ主義、右翼的過激主義等などは数多く見られます。それはポーランドやハンガリーのような東欧諸国には共通しています。
  • DER SPIEGEL: 芸術というものは対立や争いごとを通して生まれるもので、確約とか安定からは生まれない。あなたに生涯つきまとってきた政治的対立を抜きにして作家などになったと思いますか?
Müller: 私自身は民主主義のもとで成長したかったと思います。譬えそれが故に一冊の本も書けなかったとしても、です。ただ、どの社会にもそれなりの矛盾というものはあります。文学が政治的な抑圧からのみ生まれるものではないことは言うまでもありません。
Alexievich: 私は、ソ連についての本を5冊書いたあと、恋愛をテーマにした本を書き始めました。そして恋愛にまつわる戦い(男と女・男と男など)が如何に情け容赦がないものかを知って、ぞっとしているところです。
愛情が人間を傷つける?

Müller: そうです、愛情こそが人間をいちばん傷つけるのですよ。だからこそ秘密警察は、恋愛関係・家族関係・親友同士のような非常に親しくて個人的な関係の世界に侵入しようとするのです。私は、如何にして人生に耐えるかを分かりたくて文学を読むのです。文学を書き始めたのもそれが理由です。独裁社会では文学は現実から切り離されて存在します。物事を良く観察して正確に描写しようとすると、それらとの間に距離が生まれ、それが助けにもなる。その距離によって救われることもある。自分の経験からすると、政治的に物事を考えられる人は、そうでない人より忍耐力が強い。

  • DER SPIEGEL: 噂によると、お二人とも2020年に自分のアパートを離れなければならなかった、と。あなた達の住まいを見張って人間たちがあなた達を逮捕する準備をしていた、と。お友だちの一人が、あなたたちは二度と戻っては来れず、生涯島流しのような生活を送らなければならないだろう、とも。
Alexievich: 私はずっとベラルーシの自分の家に暮らしたいし、そうするつもりですよ。もちろん帰還することだってできるはずです。
Müller: プーチンとルカシェンコ(ベラルーシ大統領)さえいなければ、あなたも(ベルリンの)このアパートで暮らす必要などないのよ。ロシアの隣人であったのが運の尽きというわけ。ルカシェンコはプーチンが望むかぎり権力の座に坐り続けるでしょう。
Alexievich: 西側の協力なしには我々は勝てないし、ヨーロッパ全体が統一した政治的な意思を持って行動して欲しい。今起こっていることは、はるか離れた遠い場所の話ではなくて、ヨーロッパで起こっているんことなのですよ。誰がヨーロッパにおける戦争なんて望んでいるのです?誰がそのような恐怖のタネを必要としているのです?
  • DER SPIEGEL: ミュラーさん、あなたは1987年以来ドイツで暮らしておられます。この国はご自分の国のようなところになりましたか?俗にいう「到着した」状態になりました?
ドイツで救われた

Müller: 私は1987年にがドイツへ到着した。それだけです。私自身は救われたような気分になったし、実際に救われたのだと思います。心理的な理由もあって、殆ど「時すでに遅し」という状態ではあったのですが。完全に打ちのめされていた。もちろんドイツでは落ち着いた気分になれました。ルーマニアには、私にとって何があるのか?自分が暮らしていたアパート、私の友人たちの墓場…そんなものを「故郷の一部」(part of home)と呼ぶべきなのですか?

▼この対談が行われたのは、ロシアによるウクライナ侵攻が始まる2週間以上前のことなのですが、「ドイツはウクライナへ武器を供給すべきか?」という問いに対して、アレクシェーヴィッチは「もちろんです」と答え、ドイツが「外交」にこだわっていることについて、ミュラーは「単なる言い逃れで、現代においては意味がない」とまで言っている。このあたりは日本の立場との共通点を見るようで、非常に興味深いですね。ノーベル文学賞を受けている人間が、ドイツの軍国主義に万歳などする筈がない。ドイツ人であるSpiegelの司会者の感覚は彼らには分かりにくいだろな。中国が台湾に武力侵攻を行った場合、日本はどのような態度をとるべきなのか?

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3)「使い古し時代」を生きる(再掲載)

約5年前の2016年10月末にお送りしたむささびジャーナル357号は、最初から最後までスベトラーナ・アレクシェービッチが2013年に書いた "Second-hand Time" という本の紹介にあてられています。約700ページというボリュームなのですが、ほぼ全て筆者がインタビューをした人びとの生の言葉で埋め尽くされている。

ロシア革命(十月革命)が起こったのは1917年、5年後(1922年)にソビエト社会主義連邦が成立、1991年のソ連解体まで70年間、ロシアおよびその周辺国の人びとは社会主義という体制の下で生活してきた。それが崩壊したとき人びとは何を想ったのか?そして今の自分たちについては・・・?長い間信じ続けてきた社会制度とそれを支える価値観(ことの善し悪し感覚)が崩れ去ったとき、人間はどんな気持ちになるものなのか?

むささびジャーナル357号に掲載されている、87才になる共産党員による言葉を再掲載させてもらいます。

「長生きなどするもんじゃない」
87才の共産党員 
本当はあの世へ行ってしまいたかったのに、医者が連れ戻しやがったのさ。私は無神論者なのだが、こうも年をとると無神論もあまりあてにならない。そろそろどこかよく分からないところへ行くべき時であるとなると、物事を見る眼も違ってくるものなのだ。いつも見ている土も砂も違って見える。普通の砂を見ているのに感情的になってしまうんだ。長い間年寄りをやりすぎたってことだな。

私らの世代の人間には「偉大なる計画」(great plans)というものがあったのさ。世界革命だな。「ブルジョアたちをやっつけろ!世界中に革命の火の手を広げるのだ!」というわけさ。新しい社会、誰もがみんな幸せである社会を作りたいと思っていたし、作れるとも信じていた。大真面目に信じていた。ちょっと長生きしすぎたということかな。自分たちが夢見ていた「未来」がどのようなものであるかが見えてしまったというわけだ。多くの血が流されたものな。

私が何に驚き、何によって打ちのめされたかって?自分たちの理想が足元から崩れ去ってしまったということだ。共産主義が呪われたものになってしまった!で、私はというと「よぼよぼのアホ野郎」(doddering old fool)というわけさ。私らのことを血に飢えた連続殺人鬼だなんていうヤツもいる。ここまで長生きはするもんじゃないな(it's no good living this long)。自分の時代とともに死ぬべきだな。私の場合、自分の時代が終わっているのに、命がまだ終わっていないということだ。私の友人たちは皆、何かを信じながら(with faith)死んでいったのさ。心の中に革命の意思を抱きながら死んでいったのだよ。羨ましいと思うよ、私は。あんたには分からないだろうな。

私は歴史家ではないし、人間の研究をしたわけでもない。若いころから「自分の生活」なんてなかった。私の場合は共産党の命令に沿って仕事・仕事・仕事・・・それしかなかった。睡眠時間なんて3時間しかなかった。あの頃のソ連は先進国に比べると50年から100年ほど遅れていると言われていた。スターリンの『偉大なる前進』計画では、それを15年で追いつこうということになっていた。みんながそれを信じたのだ。最近では誰も何も信じないようだが、あの頃は皆が「絶対に出来る!」と信じたのさ。「資本主義に追いつこう!」というわけで、私も肉の包装工場だの建設現場だのに住み込んで、働きに働いた。おかげで勲章を二つもらったけれど、心臓麻痺も3回やった。とにかくすごい時代だったのだ。あれこそが我々の時代だった。「自分のため」だけに生きている人間はいなかったのだ。

最近もある若い女性が私の話を聞きに来たので、自分の時代について話をした。そうしたら彼女は「その時代については本で読んだことがある。ひどい時代だったのですね」などと言った挙句、「あなたたちは皆、スターリンの奴隷だったんですね」と私に説教するわけだ。違う!私は奴隷なんかじゃなかったんだ!いまどきの人間は間違っているんだよ。私はあの時代を生きたのだ。誰もが自分勝手な生き方などしていなかった、あの時代を生きたのだよ!

我々はもう二度とあんなに大きくて強い国に住むことはないだろうな。ソ連が崩壊したときには私は文字通り泣いたよ。誰もが我々の悪口を言い始めたね。消費者の勝利というわけだ。あいつらなんかシラミだよ、虫けらだ!私の故郷は10月革命であり、レーニンであり、社会主義なのだよ。私にとって共産党以上に貴重なものはこの世にないのだよ。70年間も共産党員だったのだ。党員証は自分にとっては聖書みたいなものなのだよ。

▼この元共産党員は、インタビューされた2013年の時点で87才だった。今も生きているとすると96才ということになる。プーチン(1952年生まれ)は間もなく70才だから、二人の間には26才の差がある。この二人にとって「社会主義ロシア」とはどういう国だったのか?元共産党員は、当時のソ連は欧米先進国より「50~100年遅れている」と聞かされていたけれど、崩壊後の現在は「我々はもう二度とあんなに大きくて強い国に住むことはないだろうな」と嘆いたりしている。おそらく彼にとっては同じロシアだったのでしょうね。ほぼ3世代違いのプーチンにとって社会主義ロシアとはどのような国で、欧米先進国とはどのような違いがあると思っていたのか?彼はNATOを敵視しているけれどロシアがNATOに加盟するなどということは「全くあり得ない」ことだったのでしょうね。

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4)フィンランドの迷惑


ウクライナ問題で緊張感が高まっている中で、妙に国際メディアの注目を浴びているのが、フィンランドのサウリ・ニーニスト(Sauli Niinistö)大統領(73才)です。ニーニスト氏が政治の世界に入ったのは1990年代半ば、大統領に就任したのは2012年のことなのですが、その間、ロシアのプーチンとは付き合いが深いことで知られているのだそうです。

フィンランド(左)とロシアの国境線。実際にはもっと南北に長く、全部で約1400キロだそうですが、日本で言うと東京→鹿児島と同じような距離だそうです。

その彼が最近(と言ってもロシアによるウクライナ侵攻前のことですが)、アメリカのCNNにインタビューされ、現在のウクライナ情勢について語ったものが、フィンランド公共放送のYLEのサイト(2月21日)に出ていたのですが、現在の状況について
  • I think that we are actually almost in a colder situation than we were during the traditional Cold War 現在の状況は昔の「冷戦」よりさらに冷たい。
とコメントしています。CNNとのインタビューの主なポイントだけピックアップすると:
  • ロシアはウクライナに侵攻すると思うか?

    現在考えられるのは3つのオプションだ。一つは東ウクライナの状況が改善され、ミンスク合意が守られることなどだが、この線は薄い。2番目のオプションは全面的な戦争、3つ目の(最もあり得る)オプションは、ロシアとウクライナの緊張関係が高まり続けるということだ。
  • プーチンという人物は「まともな考え方もできないのに大きな軍隊を持たされてしまった」ような人間なのか、それとも「基本的にはしっかりした理論に基づく戦術・戦略立てられる」ような人物なのか?

    この質問は難しい。会ったことがあると言ってもこの10年間で2~3回、あとは電話で話をした程度だから…。他人について深いところまで語るなんて簡単に出来ることではない。
  • ウクライナがロシアに征服されると、ロシアにとっての次なる目標はフィンランドということにはならないか?

    まずはっきりさせておくべきなのは、フィンランドは100年以上にわたって安定した民主主義を維持してきた国であるということだ。我々はEU加盟国であり、いわゆる「西側」の一員であることは間違いない。確かにフィンランドとロシアは1400キロという長い国境で接しているけれど、それは変えようがない。現在のところロシアとの国境のみならずバルト海エリアは極めて平静。ロシアの戦車がいきなり国境を越えてフィンランドに入ってくるかもしれないなどとは考えてもいない。


ロシア企業との協力ベンチャーとして進んでいた原発

ロシア絡みでもう一つ、フィンランドにとって難問がある。北部で建設されることになっていた原発の建設が、ウクライナ問題のせいもあって中断することになってしまった。この原発はロシア企業による技術と資金の提供によって建設されることになっていたもので、ウクライナ問題のおかげでとりあえずは中止ということになった。経済大臣が議会で証言したところによると、建設予定の原発の部品の一部がウクライナのドネツク地方にある工場で作られることになっていたのですが、ドネツク地方そのものがプーチンのお陰でウクライナから離れた「独立国家」になってしまったというわけです。これでは原発建設どころではない。

▼ウクライナの問題のおかげでフィンランドのNATO加盟が話題になっているけれど、大臣は「ウクライナの状況次第ではそれ(NATO加盟)についての検討もさらに熱を帯びてくるだろう。が、いまのところ私の見る限りにおいては、フィンランド国内ではそれほど劇的な変化はないだろう」と述べているのですが、この発言もロシアによるウクライナ侵攻前に行われたものです。フィンランド以外にスウェーデンもNATOには加盟していないのですが、世論調査などによると、スウェーデンの方がややNATO加盟に肯定的な意見が多いのだそうです。その理由は、フィンランドよりもスウェーデンの上空をロシアの軍用機が飛ぶ回数が多いから、とのことです。
 

 
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5)どうでも英和辞書
A-Zの総合索引はこちら


Swift:国際銀行間通信協会

本日(2月27日)付のBBCのサイトに
という見出しの記事が出ていました。「西側がロシアの銀行のいくつかをSwiftから除外する」というわけです。このSwiftは普通ならSWIFT(Society for Worldwide Interbank Financial Telecommunicationの略語)と書かれるもので、日本語にすると「国際銀行間通信協会」となる。ネット情報によると、「銀行間の国際金融取引に係る事務処理の機械化、合理化および自動処理化を推進するため、参加銀行間の国際金融取引に関するメッセージをコンピュータと通信回線を利用して伝送するネットワーク」ということになる。ロシアの銀行も当然この制度の会員になっており、おかげで石油やガスの海外輸出が順調に行われてきたというわけです。

これまではウクライナが西側諸国に対して、スイフトからロシアの銀行を排除するよう強く訴えてきたけれど、エネルギー供給の途絶を懸念するEU主要国の抵抗により発動が見送られてきた。ロシアは欧州で消費されるガスの40%を供給しているため、SWIFTからロシアの銀行を除外することによるEU諸国への深刻な影響を懸念する声もあるけれど、この制度を「金融核兵器」と呼ぶ専門家もいるくらいで、ロシアへの影響もかなり深刻であることは間違いない、とされている。

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6)むささびの鳴き声
▼ウクライナのことについて、むささびと同じように感じている人はたくさんいると思うけど、一応言っておきます。メディアに登場する「専門家」と呼ばれる人たちって何を考えているんですかね。いわゆる「歴史的背景」などを語りながら「これからどうなる?」という話をするわけですが、どれも他人事なのですよね。話しぶりが、恰もサッカーの試合の解説でもやっているかのような感じなのです。そして「専門家」と話をするメディア側の記者とかキャスターとか呼ばれる人たちも、判で押したように「政治家が無能だ」という方向へ話を持っていく。結局、単なる「茶飲み話」でお終い。

▼本日(2月27日)のBBCのサイトに、ロシア軍による攻撃が始まったその日にキエフにいたBBCのロシア人記者のレポート(The day the war began)が出ています。彼は2014年にウクライナに来て記者としての仕事をしている。キエフの町を歩いていると、沢山のウクライナ人の友だちに会う。誰もが彼がロシア人であることを知っているのに、そのことについては誰も何も言わないのだそうです。これだけロシアに蹂躙されれば、ロシア人相手に悪口の一つくらい言いそうなものなのに…。

ここをクリックすると、この戦争に反対する国際的な署名活動のサイトがあります。むささびは151万1513人目の署名だった。目標は175万人だそうです。あと20万ですね。何もやらないよりは署名活動でもした方がマシかもしれない。ロンドンではロシア大使館の塀に落書きをしまくっている群集がいます。

▼お元気で!私のパソコンの反応が異常に遅いのですが、どうすれば直るのでしょうか?

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