musasabi journal

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419号 2019/3/17
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BREXIT 美耶子の言い分 美耶子のK9研究 むささびの鳴き声 どうでも英和辞書
埼玉県飯能市の我が家の近くに河原があるのですが、そこに植えられている桜が花を開きました。本当に春が来たという感じです。

目次

1)何のためのBREXITなのか?
2)ゴーン保釈と「狂犬病メディア」
3)フィンランド: どうなる福祉の実験?
4)「スクラッチ時代」を生きる
5)どうでも英和辞書
6)むささびの鳴き声


1)何のためのBREXITなのか?

BREXITがどうにも動きがとれない状態になっています。直近の動きとしては、下院の投票で離脱の延期を求める動議が圧倒的多数(賛成413票:反対202票)で可決されたというのがある。でもそれだって離脱延期については、英国だけで決める問題ではなくてEU加盟国の承諾が必要になるのだから、「とりあえず3月29日だけは延期してもらうようにお願いしよう」ということを決めたというだけの話なのですからね。あの国民投票(2016年6月)で「離脱」が勝利してからほぼ3年、2019年3月29日を離脱日と決めたのが2017年3月29日、なのにこんな状態です。


そんなことを背景に3月14日付のGuardianが「そろそろ現実を受け入れるときだ」(Brexit delay: time to let reality in)という社説を掲載しています。イントロは次のように書かれている。
  • ティリザ・メイ(首相)はヨーロッパの問題についての答えを全く持たないまま首相に就任してしまった。しかも答えを求める場所も誤っている。要するに彼女の手でBREXITを推進する時は過ぎたということなのだ。Theresa May came to office without answers to European questions and looked for them in the wrong places. Her way of doing Brexit is over.
イントロでいう「メイさんが誤って答えを求めた場所」(wrong places)とは党内右派の強固離脱派の意見を取り入れてBREXITを進めようとしたという意味です。


この社説のポイントは
  • 2016年の国民投票の結果が示したのは「離脱する」というアクションであって、離脱についての動機ではない。The 2016 result described an action – leave – but not a motive.
という言葉にあると思います。つまり国民投票は「離脱しよう」ということは伝えたかもしれないけれど「なぜ離脱するの?」ということには全く触れていないということです。


「なぜ?」についての国民的な合意もないまま、国民投票は「国民の意思」(people's will)だから尊重しなければならないという理屈だけが一人歩きしてここまで来てしまった。ティリザ・メイは内務大臣であったということもあって、国民投票で「離脱」に投票した人間はすべて移民規制を望んでいたと解釈したけれど、EUによるコントロールに対する反発から投票した人間もいるし、それ以外の理由と動機で離脱を望んだ人間もいる。要するに離脱に関する「なぜ?」は簡単に一本化して語れるようなものではない。

 

 社説によると、現在の行き詰まりの最大の原因は「なぜ離脱するの?」という抽象的な問いかけに「多数の有権者がそう言ったから」という単純な答えで応じようとしたことにある。英国とEUの関係はたった一回の投票(one-off vote)だけでけりがつくような問題ではない。EUから離れるということは、英国が今の世界において最大の影響力を持つ地域共同体の指導的な立場から降りるということを意味する。それはEUのみならず英国と世界の関係に対しても重大な変化をもたらすということでもある。それをわずか一度の投票だけで決めてしまっていいのか?1740万の英国人が離脱に投票したかもしれないが、1610万という少なからぬ数の英国人は「残留」を望んだのだ。


というわけで、Guardianは「議会がBREXITについての討論を再開しなければならない」(Parliament must restart the Brexit debate)として、その際に重要なのは離脱か残留かの選択を「国民の意思」というような抽象論で語るのではなく、
  • あくまでも証拠を駆使し、事実を検討し、あらゆる方面の声を反映すること。それを通じて英国とEUの関係を英国全体の利益を反映したものにすることである。The task is to use evidence, examine facts, heed voices on all sides, and settle on a relationship with EU institutions that realistically reflects the interests of the whole country.
と言っている。
 
▼国民投票が行なわれる3か月ほど前、むささびジャーナル340号が『私が「離脱」を支持する理由』というエッセイを載せています。書いたのは、離脱キャンペーンの先頭に立っていたマイケル・ガブ法務大臣だったのですが、「英国は英国人が選んだリーダーが統治する」というのが彼のメッセージだった。EUに加盟している限り、他の国が選んだ指導者たちの支配下に置かれてしまう、それはとても我慢できないという趣旨のことを述べている。

▼だったら1973年にEUの前身であるEECに加盟するなんてこと、しなければ良かったのに・・・という批判に対してガブ大臣は「EUは創立者たちの理想主義と善意にもかかわらず、きわめて多くの分野において失敗の山を築き上げている」として、EUは過去の遺物であるという趣旨の発言までしている。そのような機構とは決別して、独立独歩我が道を歩むのだ、というわけですよね。しかし今の英国にそのような力はあるのか?答えは「ノー」です。

▼首相になったメイにもそれが絵空事であることが分かっていた。が、国民投票の結果は無視できない、それなら「ソフト離脱」をして、半分EUに残りながら生きて行こうというわけです。だったらいっそのこと離脱なんて止めにしたら?でも国民の声は「離脱」だから・・・。メイにとっては「離脱が英国にとって良いのか悪いのか」は二の次、離脱派も残留派も「少しだけハッピー」にしてあげよう・・・その姿勢に現在の混乱の原因がある、とむささびは思う。メイにしてみれば政治家として「現実路線」を歩んだつもりだったのに、それが「中途半端」と受け取られてしまった。

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2)ゴーン保釈と「狂犬病メディア」

日産自動車のゴーン前会長が3月6日に保釈された件について、同じ日付のThe Economistが「人質司法だけが(日本の)問題なのではない」(Hostage justice is not the only problem)という論評記事を掲載しています。
  • カルロス・ゴーンがどのような過ちを犯したにせよ、日本自体の開放度もまた問われているのだ
    Whatever Carlos Ghosn’s misdeeds, Japan’s openness is also on trial
というイントロになっている。


今回のゴーン氏の取り扱いについて批判的な意見を持つ人びとは「スターリン時代のような見せしめ裁判(show trial)や気狂いじみた報道陣(rabid press corps)による人格攻撃の餌食になったのは、ゴーンが外国人だからだ」と指摘する。しかしThe Economistによると「それは正しくない」(That is not true)のだそうです。何故ならゴーンのように裁判も受けずに長期にわたって拘留されるのは、日本では異常なことでも何でもない(far from unique)、日本人だって同じ目に遭うからです。例えば損益を10年以上の長期にわたって隠し続けた末に、負債を粉飾決算で処理した「オリンパス事件」(2011年)では、元野村証券社員の横尾宣政氏が裁判も経ずに966日間も拘留されている。理由は彼が自白を拒んだから。日本においては自白をしない限り保釈されることは「きわめて稀」(extremely rare)なのだそうです。しかもゴーン氏の場合は、10億円という巨額の保釈金を用意しなければならなかった。


自白を強要されて有罪になるケースが多いと評判の悪い日本の「人質司法制度」(“hostage-based” justice)ですが、The Economistによると、称賛されて然るべき(admirable)側面もあるのだそうです。人間を刑務所にぶち込むというケースが欧米に比べればかなり少ないらしいですね。人口10万人あたりの収監数が英国では139人、アメリカでは655人であるのに対して日本では41人なのだとか。しかも初犯者は立ち直りの機会を与えられるケースが多いので再犯率(recidivism)が低い。


が、それはそれとして、今回の事件についてはゴーン氏が外国人であることが無関係とは全く言えない。日本で仕事をするアメリカ人の弁護士によると、ゴーン逮捕のタイミングは偶然ではない。20年前、資金難に陥っていた日産を救ったのがルノーで、43.4%の日産株を手に入れたわけですが、その際、ゴーンはルノーのボスだった。その際、日産の日本人幹部はフランス側の動きには抵抗した。日産はルノー、日産、三菱の連合においても日産自動車は独立を維持していた。が、疑い深い幹部たちはゴーンがルノーとの合併に動くものと推察していた。
  • 日本の政財界においては、外国の自動車会社(しかもフランス政府が株を所有している)が日本の有名自動車メーカーを所有するというのはとんでもないハナシだった。
    To many in the Japanese establishment, a foreign car company (in which the French state has a stake) owning one of Japan’s most prominent manufacturers is beyond the pale.
ということです。ファイナンシャル・タイムズの特ダネによると、日産の幹部が安倍政権に働きかけてフランス政府に対して日産=ルノーの合併に反対するようにロビー活動をするように働きかけていた。


The Economistによると、それは大いにあり得ることなのだそうです。信じられないハナシではあるけれど、ゴーン逮捕については日産自動車の幹部が検察に様々な証拠提供を行っていた。日産側はさらにメディアを反ゴーンに傾くように仕向けた。それにしても日産の他の幹部たちがゴーン氏の報酬関係について知らなかったなどということはあり得ない話だろう。もし彼らがそれを知らなかったのだとしたら、彼らは一体何者だったのか?また会社がそれをうかつに見逃すなどということがあり得るのか?

と、このような当たり前の疑問は日本の主要メディアでは殆ど取り上げられることがない(とThe Economistは言います)。そして今や物事はすべて検察の思う壺にはまりつつある。日本の検察による有罪率は99.9%なのだ。もちろんゴーン氏にまつわる好ましからぬ評判(例えばベルサイユ宮殿で結婚式を挙げたとか)のおかげで、かつてはサポーターだった人間もゴーンから遠ざかりつつあるのは確かなことで、マクロン大統領もゴーン支援にはせ参じるということはないかもしれない。


それでもゴーン氏および彼の弁護団は断固として戦うと言っている。新しい弁護団はかなりのやり手がそろっている。無罪放免などということになれば、検察の評判はガタ落ちになる。事の成り行きにやきもきしているのは検察陣だけではない。安倍首相と日本株式会社もまた赤っ恥と言うことになりかねない。首相はふたこと目には外国からの投資に「開かれた日本」を語るけれど、過去30年間で日本企業の経営者として呼ばれた外国人の中でも文句なしに成功したと言えるのはのはゴーン氏だけ。
  • どう見ても日本の産業界は安倍首相が言うほどには世界に向かって開かれているとは言えない。
    Japanese business is clearly not as open to the world as Mr Abe says it is.
というのがThe Economistの結論であります。


▼"rabid press corps"という英語にむささびは「気狂いじみた報道陣」という日本語を当てています。"rabid"には「極端で理性的でない」(extreme and unreasonable)という意味もあるけれど「狂犬病にかかっている」という意味もある。ゴーンをめぐる日本のメディアの報道ぶりや報道関係者の行動が、The Economistの記者や編集者の眼には「狂犬病にかかっている」としか思えないと映っているわけです。もちろん日本のメディア関係者は「外国メディア」が自分たちのことをそのように伝えていることを知っている。

▼読者・視聴者という立場から見て、日本のメディアの最大の弱点は、自分たちが狂犬病かもしれないということをきっちりと公に(読者や視聴者がわかるような形で)認めてディスカッションの材料にしようとしないことにある・・・とむささびは確信しているわけです。政治や官僚の世界の隠蔽体質はたびたび問題になるけれど、新聞・放送・雑誌のようなプロのメディアが自分たちの隠蔽体質のことを公の場で話題にすることはない(仲間内の研修会などではある)。けれどそれを咎める者は(政治・ビジネス・官僚らのプロの世界には)いない。メディアを敵に回すと自分たちにとって得にならないということがあるかもしれないけれど、基本的にメディアという存在の価値を認めていない、自分たちの利益のために利用する存在であると思っている・・・それが理由なのではないか?

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3)フィンランド: どうなる福祉の実験?

3月8日付のヘルシンキ・タイムズに「フィンランド政府が福祉改革に失敗して辞職した」(Finnish government hands in resignation after collapse of care reform)という見出しの記事が出ています。「政府が辞職」というのも妙な言い方ですが、要するに中央党のユハ・シピラ(Juha Sipila)党首が首相を務める内閣が、ニーニスト大統領に総辞職を申し出てこれが受理されたということです。ただフィンランドでは4月14日に総選挙が行われることになっており、その結果として新内閣が任命されるまでは現内閣が暫定的に職務を続行する。


シピラ首相

それにしても何故現内閣は総辞職したのか?一言で言うと、シピラ政権が主要政策として進めてきた医療福祉制度の改革を実行できなかったというのが理由です。今回辞職した政府は2015年の選挙で誕生したもので、中央党(Centre Party)、国民連合党(National Coalition)および「青の改革」(Blue Reform)と呼ばれる政党の3者による連立政権なのですが、どちらかというと「右寄り中道路線」をとってきた。


この連立政権にとって政策上の最大の目玉は福祉改革だった。フィンランドは2018年現在 65才以上が人口の21.4%を占めるなど、EUの中でもドイツ、ポルトガル、ギリシャ、イタリアに次ぐ高齢化社会となっている。それに伴って財政上の圧力がかかり、これまでのような社会福祉制度の維持が困難になっている。この問題については、歴代政権がさまざまな福祉改革を提案してきたけれどどれもうまく行っていない。


シピラ政権は改革の一環として、これまでは中央政府の管理下に置かれていた福祉・厚生政策を新たに作る地方政府に担当させること、福祉分野に民間企業を参入させて国民に選択の自由を与えることなどを提案している。


さらに実験として、2000人の失業者に無条件で月額560ユーロ(約8万円)を基本給(basic income)として支給するという制度を実施している。このシステムは2017年1月、鳴り物入りでスタートしたのですが、これを支給される側はハッピーではあるけれど、仕事を見つけようとしないので一向に失業が減らない状態にある。

BBCの解説によると、この基本給支給制度の狙いは、安定した収入が保障されることで失業者の求職活動の助けになり、非正規雇用(gig economy)のような不安定な職しか見当たらなかったとしても、基本給が生活の支えになる・・・フィンランドのこの実験は世界的にも大いに注目されている。が、実験がスタートしてから2年目の現在、シピラ政府が意図したような成果を生んでいるとは言い難いというわけです。

クーリエ・ジャポンというサイトに、フィンランドのこの実験についてニューヨーク・タイムズが書いた記事の日本語版が出ています。実験がスタートする前に書かれたものなのですが、政府が国民に生活費を支給するというこの制度の思想的背景として「政府が、社会に属するすべての人に食べ物や住まいを保障し、人々が社会に貢献しながら成長していくことを可能にする」という考え方があることを伝えている。これを読みながらむささびが想ったのは、日本国憲法第25条にある「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」という言葉だった。

▼もう一つ興味深いのは、首相のユハ・シピラという人がビジネスマンとして成功したうえで政界入りしていることです。つまりビジネスマンとしての感覚を備えた政治家ということですよね。そして彼の連立政権でパートナーとなっているのが「青い改革」という政党であることです。この党はかつては極右と言われたFinns Partyが源となっている政党です。つまりビジネスマンと右翼が連立を組んだというわけですよね。どちらかというと社会民主的な国だと思っていたフィンランドにもそのような風が吹いているということ、それが興味深い。

▼そういえば飯能市にフィンランドのムーミンをテーマにする娯楽施設(テーマパーク)のようなものができました。入園料金を知って驚きました。大人1500円、子供1000円。つまり若い夫婦が小さな子供を二人連れて行くと、入園だけで5000円!何を考えているのか・・・と思ったのですが、この記事に見る現代のフィンランドでは、この料金も「当たり前」なのかもしれない。

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4)「スクラッチ時代」を生きる

スクラッチャーとは 時代の子
あなたは神なのか? 障害者は安楽死を
役に立つ人間・・ 存在価値のない人間はいない

むささびジャーナル388号(2018年1月7日)に『「生き辛さ」が引かせた「一線」』という記事が出ています。2016年7月に神奈川県相模原市の障害者施設で起こった殺傷事件の被告と面会したRKB毎日放送(福岡)の神戸金史(かんべ かねぶみ)さんという記者が、あの異常な事件について語った『Scratch 線を引く人達』というラジオ番組について紹介したものだった。神戸記者には自閉症という「障害」を持つ長男がおり、彼にとって相模原の事件は他人事ではなかったわけですが、むささびがあの番組に共感を覚えた一つの理由が、報道する記者の「当事者感覚」だったのかもしれない。


ごく最近になってこの番組の「続編」を聴くチャンスがありました。TBSラジオで聴いた『Scratch:差別と平成』というタイトルのもので、最初の番組でレポーターだった神戸記者が、あれからいろいろと追加取材したものを再びラジオ番組化したものです。タイトルで使われている"Scratch"という言葉は「ガリガリと線を引く」という意味なのですが、この番組では「自分と他者の間に線を引き、向こう側にいる人びとの尊厳や存在を認めない言動」を「スクラッチ行為」と呼んでおり、相模原の被告の行為はがその典型であるとしている。そして「平成」という時代は「社会の一体感は色あせて、人のうちに潜む憎悪が、はっきりと目に見えるようになってきた」時代でもある・・・と。

スクラッチャーとは
神戸さんによると、現実の世の中にはいろいろな「スクラッチ行為」が見られる。例えば「朝鮮人は出て行け!」とがなり立てているヘイトスピーチがそうであるし、「LGBTは非生産的だから彼らのために税金を使う必要はない」という趣旨のことを雑誌に書いた自民党議員などもそれに当たる。それらをむささびは「スクラッチャー」と呼んでおきます。神戸さんによると、あの事件が起こってからFacebookに、障害者の父親としての自分の想いを綴った文章を載せたところ、それがテレビでも取り上げられるなどして日本中に知られるようになってしまった。そんなときにRKBに手紙が届き「障害者の親は自分たちの権利ばかり主張している。もっと自分たちが社会のお荷物であることを自覚すべきだ」という趣旨のことが書いてあった。それを読んだときにも神戸さんは「不思議と怒りを感じなかった」のだそうです。

番組は神戸記者と被告の間で交わされた会話とそれについて神戸記者(ジャーナリストであると同時に障害児の父親でもある)が自分の想いを語るという形で進められていきます。そのうちのいくつかをピックアップしてみます(ここをクリックすると番組そのものを聴くことができます)。

まず被告が「障害者はこの世の厄介者なのだから安楽死させるべきだ」という趣旨の発言をしたことについて・・・:



あなたは神なのか?
神戸:生と死を司るのは神のやることなんじゃないですか。あなたは神なのですか?
被告:そんなことは言ってません。皆がもっと考えるべきなんです。考えないからやったんです。私は気づいたから。
神戸:あなたは一線を引いたのですか?
被告:そうです。
神戸:どうしてあなたに線を引く権利があるんですか。
被告:じゃあ誰が決めればいいんですか。気付いてしまったんだから。落し物を拾ったら届けるのは当たり前です。それと同じですよ。

役に立つ人間・・・
この時点で神戸さんは被告が「薄っぺらな知識で重大な判断を下してしまっている、浅はか人間」であると感じる。神戸記者は次に被告と面会した際に、人間の存在価値のようなものについて話題にする。


神戸:あなたは「役に立つ人間」と「立たない人間」の間に線を引いて分けて考えているようですね。もしかするとあなたは自分を役に立たない人間だと考えていたのではないですか?
被告:私は自分のことを存在価値のない人間であると思っています。
神戸:あなたは事件を起こして、自分が役に立つ人間の側になったと考えているのではありませんか?
被告:少しは役に立つ人間になったと思います。

このように語る被告が少しだけ微笑んだように(神戸さんには)見えた。つまり障害者を消すという行為によって自分は世の中の役に立ったのだ、と感じて気分が良くなったってこと?

神戸さんはまた番組の中で、あるキリスト教の牧師と会って、この被告人についての意見を求めています。牧師はおよそ次のような趣旨のことを語ります。

時代の子
被告のような若者(26才)が仕事もしないで存在するには相当なプレッシャーがかかるはずだ。その中で彼なりに「自分は意味のない命ではない」という論理を組み立ててしまう。自分は日本と世界の経済を救うのだ、という自分の存在証明のようなものをあの事件に込めたのではないか。現代は「生産性の圧力」というものが、加害者・被害者双方を巻き込む形で渦巻いている時代。その中で植松被告が被害者とまでは言わないにしても「時代の子」であることは間違いない。そして私もまた「時代の子」であるわけだ。その意味で彼も私も同じなのだ・・・そこのところに踏み込まないと、この事件は自分には関係ない事件だとして忘れられてしまうだろう。


障害者は安楽死を
被告との対話の中で神戸さん自身の自閉症の息子のことに話が及んだ部分では次のような会話が行われる。

被告:はっきり言って恐縮なんですけど、神戸さんの息子さんは、いま安楽死しろとは言わないけれど、2才の頃、「意思疎通ができなくて大変だった」と奥さんが言っていたころ、そのころに安楽死させるべきでした。
神戸:でもその後成長して文字まで書けるようになっているんですよ。
被告:かけた労力と釣り合ってないです。母親の苦労を考えたら、そんなこと(苦労して育てること)しなくていいんです。
神戸:でも家内は先日も「ここまで育てば上等だよ」と言っていましたよ。
被告:それは自己満足。そのときは死にたいと思っていたわけですから。いまだって死にたいと思っている親はいるんじゃないですか?安楽死させるべきだと思います。
神戸:あなたの言っていることを「余計なお世話だ」と言う親だっていると思いますよ。
被告:「余計だ」ということは、精神が未熟だってことでしょ。


自分の息子に関連した、この会話の中で神戸さんは、自分たち家族に向けた被告の「敵意」を感じる。他人と自分の間にラインを引いて、それを超えて向こう側にいる人間はすべて敵と見なす・・・。神戸さんは、被告と話をしながら「スクラッチ行為の標的にされた人の気持ちが分かった」と言います。突然、一方的に「お前は敵だ!」と決めつけられてとまどう気持ち、「どうして?」という気持ちです。ヘイト・スピーカーに「出て行け!」と怒鳴られる「朝鮮人」、政治家に「生産的でない」と烙印を押されたLGBT・・・彼らも同じように感じているはず。

存在価値のない人間はいない
「障害者には存在する価値がない」と主張する被告に対抗する形で、番組では(例えば)寝たきりで口もきけない夫を自宅に抱えた主婦が、それでも自分が帰宅したときに誰もいないよりは何倍も助かると言うコメントなどが紹介されています。そして神戸さんの息子さん自身も成人して、障害者施設のようなところで働き、給料を貯めてスマホを購入するにいたったことを紹介しています。自閉症の息子さんには弟が一人いるのですが、神戸さんは、障害を抱える兄を持った弟は将来かならず優しくて、性格もいい人間になるだろうと確信している。それもこの兄がいたおかげだ、と。この世の中に「存在する価値がない」人間なんていないということです。


番組は神戸さん自身が書いた『障害を持つ息子へ』という詩を歌にしたものを演奏して終わっています。かなり長い詩なのですが、神戸さんのメッセージを伝えていると(むささびが)思う部分を抜き出すと次のようになる。
  • 老いて寝たきりになる人は、たくさんいる。
    事故で、唐突に人生を終わる人もいる。
    人生の最後は誰も動けなくなる。

    誰もが、次第に障害を負いながら
    生きていくのだね。

    息子よ。
    あなたが指し示していたのは、
    私自身のことだった。
ここをクリックすると歌が聴けて詩も読めます。

▼番組を聴き終わって、むささびの心に最も強く残ったのが、あのキリスト教の牧師さんのコメントだった。被告も自分(牧師)も、生産性の圧力という時代の要求に翻弄される「時代の子」であり、そのことに踏み込んで考えないとこの事件は自分には関係ないものとして忘れられてしまうだろう・・・というわけです。前回の放送の中で、神戸さんは牧師の「時代の子」という言葉を聞いて、被告も自分も「時代の子」なのだと思えてきて「私の中で彼との間で自分でも知らないうちに引いていた線が薄くなったような気がしました」と言っている。

▼この牧師の言う「生産性の圧力」について、東大の福島智教授は、今の日本を覆う「新自由主義的な人間観」と無縁ではないと言っています(むささびジャーナル351号)。人間というものを「労働力の担い手として経済的価値や生産能力で価値付け、序列化する」態度のことを言います。人間を機械と同じように見なすということですよね。なるべく速く、なるべく沢山、なるべく安くモノを生産する能力のある人間が重宝される。福島教授は、そのような社会では「重度の障害者の生存は、本質的には軽視され、究極的には否定される」と言っている。

▼前回の番組では、この牧師はこの事件について「独りで生きることは出来ない」という「人間の本質」に踏み込んで考えることの必要性も強調していたのですが、今回は削除されている(と思います)。辺見庸氏は『月』という小説で相模原の事件を取り上げ、被告人に「優勝劣敗は社会の規準になりました」と言わせている(むささびジャーナル417号)。「優勝劣敗」ということで言えば、相模原事件の被告は、どう見ても「劣者」です。しかしむささびと同じ「時代の子」でもある。彼の言葉の端々に「劣者の絶望」のようなものを(むささびは)感じてしまう。

▼『Scratch・・・』という番組では、人間には優も劣もない、みんながそれぞれ必要とされているのだということがメッセージになっていると思うし、そのとおりなのですが、あの被告が抱えている(としか思えない)「劣者の絶望」について眼を向けようとするときに、あの牧師さんの言う「独りで生きることは出来ないという人間の本質」ということを語りたくなる。そのあたりのことは、この番組の次回のお楽しみということかもしれない。

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5) どうでも英和辞書
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Divorce Day:離婚日

世の中に"Divorce Day"(離婚の日)なんてのがあるなんて知ってました?あるんですよ、これが。と言っても「離婚を祝福する日」というわけではない。2019年1月4日付のEvening Standard紙が伝えるところによると、"Divorce Day"とは一年で最も離婚を考える夫婦が多い日のことなのだそうであります。1月最初の仕事日(first working Monday)がそれ。クリスマス休暇後に初めて出勤する月曜日で、2019年では1月7日がそれにあたる。記事によると、離婚問題をあつかう弁護士事務所によると、離婚を考えている夫婦からの電話が一番多いのが1月最初の仕事日というわけ。


英国(イングランドとウェールズ)における離婚件数は2017年の数字で約10万件なのですが、これは過去45年間でいちばん低い数字だそうです。離婚率(結婚している夫婦1000組に対する離婚件数)は8.4で、これも1972年以来の最低なのだとか。

離婚年齢でいちばん多いのは、男の場合は45~49才、女の場合は40~44才なのだそうです。なぜこの年代に離婚が多いのか?夫婦もこの年齢になると、子供が独立し、夫婦二人だけの生活が始まる、それなりに貯蓄もある、となると「毎日毎日こんな人間と一緒に過ごすのか・・・」と思ってウンザリする、それがこの年齢なのだそうです。

英国統計局によると、離婚理由でいちばん多いのが、相手側の「理不尽な振る舞い」(unreasonable behaviour)だそうで、特に女性の半数以上がこれを理由に離婚を申し出る。「理不尽な振る舞い」が具体的にどのようなものなのかは書かれていない。

それにしてもなぜ「1月」に離婚の申し出が多いのか?ある弁護士によると、休暇シーズン直後はいつでも危険なのですが、1月の場合はクリスマスという最大のホリデー・シーズンが直前にある。休暇シーズンには夫婦二人で過ごすことが多く、楽しくもあるけれど相手に嫌気がさす可能性もある季節である、と。休暇が終わって、相手と仲直りしようとして、うまく行くケースもあるけれど、反対に口げんかが激しくなって・・・というのも1月というわけです。
 
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6)むささびの鳴き声 
▼ゴーンさんについての記事へのむささびのコメントの中で「新聞・放送・雑誌のようなプロのメディアが自分たちの隠蔽体質のことを公の場で話題にすることはない」と言いました。それに関連するのですが、3月14日付の毎日新聞のサイトに、日本マスコミ文化情報労組会議という組織が3月14日夜、首相官邸前で抗議集会を開いたという記事が出ていました。殆ど毎日のように報道される菅官房長官の記者会見に出席していた東京新聞の記者が質問したところ、官邸側の人間が内閣記者会に対して「その質問自体が事実を誤認している」という申し入れを行ったことに抗議するというものだった。この集会があったということは他の新聞や放送ではどの程度報道されたのでしょうか?

▼日本の官房長官や首相・大臣らが会見を行うとき、質疑応答を取り仕切る「司会」は誰がやるものなのでしょうか?ひょっとして(例えば)官邸の役人がやったりするのではありません?あれは如何にも記者会見でしゃべっているのは政治家かもしれないけれど、会見を取り仕切っているのはお役人という感じで情けないこと夥しい。米朝会談のあと、あのトランプでさえもすべて自分で取り仕切っていました。シンゾーに関しては知能指数の関係で無理と(役人が)言うのであれば、せめて官房長官は自分でやっているんでしょうね。

▼先週の月曜日(3月11日)は東日本大震災から8年目という日でした。あの頃のむささびジャーナルを読むと、むささび自身のメディア観があの震災を機に変わったように思えますね。むささびジャーナル216号で「内閣不信任案:菅さんがやるべきだったこと」という記事を掲載、メディアによる「菅(首相)下ろし」に対して「菅さん、がんばれ」と叫んだりしている。特に福島の原発事故への対応について、菅さんのやり方がメディアでさんざ叩かれていたけれど、あの事故に対する東電の対応は、正にそれ以前の何十年にもわたる自民党政権による失政の賜物であって、菅さんはその尻拭いをさせられただけ・・・あまりにもアンフェアな報道だったと今でも思っています。

▼Facebookを見ていたら「Net IB News」というサイト(2月28日付)があって、いま沖縄で大問題になっている「普天間飛行場の移設先」についての記事が出ていました。それによると移設先のナンバーワン候補は山口県下関市にある人工島、「長州出島」なのだそうです。下関市の西方約1キロの日本海上にある島なのですが、佐世保や岩国の基地にも近く、長州出島に駐留すれば、中国や朝鮮半島有事に対応可能なだけでなく、ロシアに対する抑止力にもなりうる。そもそもこの人工島はシンゾーの父親である安倍晋太郎氏(1991年没)の肝入りで始まった大型公共事業なのだそうですね。「約765億円が投入された巨大プロジェクトにもかかわらず、運用開始から10年たった現在も利用状況ははかばかしくない」とこの記事は言っている。詳しくはここをクリックして原文をお読みください。

▼例によってダラダラ長々、失礼しました。お元気で!

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