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377号 2017/8/6
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美耶子の言い分 美耶子のK9研究 むささびの鳴き声 どうでも英和辞書
いつの間にか8月、「広島の日」です。1年があっという間に過ぎるけれど、広島や長崎にとってはこの72年間はあっという間ではなかった。上の写真は杉林に蛍が飛んでいる様子だそうです。おそらく付近に川が流れているのでしょうね。

目次

1)逝く人の悔い
2送った側の後悔
3)モスル解放の現実
4)北朝鮮を「理解」する
5)スライドショー:ジャズ・ノスタルジア
6)どうでも英和辞書
7)むささびの鳴き声


1)逝く人の悔い

5年ほど前、2012年2月1日付のGuardianがある本の紹介をしている。本のタイトルは "The Top Five Regrets of the Dying"(死んでいく者が抱く悔悟トップ5)となっている。本を書いたのはブロニー・ウェア(Bronnie Ware)というオーストラリアの看護婦なのですが、彼女の専門は "Palliative care"(緩和ケア)と呼ばれるもので、最期を迎える患者やその家族に付き添って少しでも痛みや苦しみを緩和させることにある。


そのような仕事をする中で、彼女がケアした人たちが死ぬ間際に口にした「悔悟の気持ち」(regrets)を記録したのがこの本です。そのトップ5を見出しだけで紹介すると・・・。
  • もっと自分に正直に生きる勇気が欲しかった。いつも他人の期待ばかり考えていたI wish I'd had the courage to live a life true to myself, not the life others expected of me.
  • これほど一生懸命に働くんじゃなかったI wish I hadn't worked so hard.
  • 自分の想いを表に出す勇気が自分に欲しかったI wish I'd had the courage to express my feelings.
  • 友人たちとずっと付き合っておけば良かったI wish I had stayed in touch with my friends.
  • 自分をもっと幸せにできれば良かったのにI wish that I had let myself be happier.
著者によると、数的には一番最初の「もっと自分に正直に・・・」がトップだそうです。2番目の「これほど一生懸命に働くんじゃなかった」は特に男性に多いのだそうです。また3番目の「自分の想いを表に出す勇気・・・」について、著者は次のようにコメントしています。
  • 多くの人が他人とうまくやっていくために自分の感覚を押し殺して生きている。そして結果的にはごく平凡な存在になってしまう。本当ならこうなれたかもしれないという存在にはならないわけ。残るのは苦い感情であり、すべてに対する反感・怒りのようなもので、それに関連する病に罹ることが多い。
    Many people suppressed their feelings in order to keep peace with others. As a result, they settled for a mediocre existence and never became who they were truly capable of becoming. Many developed illnesses relating to the bitterness and resentment they carried as a result.
▼最後のコメントにある"bitterness and resentment"は「どいつもこいつも、ふざけやがって・・・」という感覚ですね。でもこれがオーストラリア人の感覚であるというのは、ちょっと意外な気がしないでもない。このリスト、国によって違いはあるんですかね。この本の翻訳版は『死ぬ瞬間の5つの後悔』という名前で出ているようですなのですが、日本人の「悔い」そのものではない。

▼筆者はこの本を書いてから5年目の今年(2017年)、『5つの後悔』を書く中で自分が学んだ「5つの生きる知恵」のようなものを自分のブログに載せています。「夢は勇気(courage)によって実現する」、「戦うより降参(surrender)が大事」、「夢に上限(upper-limits)はない」、「他人に尽くすためには自分を愛する(self-love)が欠かせない」などの教訓とともに「本当の喜びは生身の人間との生身の繋がり(real life connections)にある」というのがある。フェイスブックやツイッターのような「オンラインによる繋がりは、肉体的なハギングや人と一緒に笑い合うことの楽しさにはかないっこない」(Online connections cannot replace the sheer joy of physical hugs and laughter)という意味だそうであります。

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2)送った側の後悔
 

わりと最近、英国の民放(ITV)のドキュメンタリー番組の中で、20年前(1997年)に亡くなったダイアナ妃の息子であったウィリアム王子とヘンリー王子が、母親がパリで事故死する直前に電話で短い会話を交わしていたことを明らかにしたということが話題になっていましたよね。両王子ともその日はスコットランドにいたとのことで、当時15才だった長男のウィリアム王子は
  • 2人とも「さよなら」「後でね」「もう行くよ」という具合に電話を切り急いでいた。もしその後何が起こるか分かっていれば、そんなに気楽ではいられなかっただろう。
    Harry and I were in a desperate rush to say ‘goodbye’, ‘see you later’ and ‘we’re going to go off’ ... if I’d known what would happen I wouldn’t have been so blase about it.
と回想、「あの電話の会話は今も心に深く突き刺さっている」(that phone call sticks in my mind quite heavily)と語ったのだそうですね。


ドキュメンタリーは7月24日に放映されたのですが、翌日(7月25日付)のGuardianがこの話題に絡めて "Last words of loved ones"(愛する者の最後の言葉)という特集記事を掲載しています。同紙に頻繁に寄稿する4人の筆者がそれぞれの「愛する人たち」と交わした最後の会話について語っている。例えば、夫とはいつも離れて生活していた、あるジャーナリストが最後に彼とかわした会話は、彼が罹ってた敗血症についてのことだったというわけで「もう少しまともな会話をしておけばよかった」と悔やんでいる。

またある聖職者は、自分の親友から電話がかかってきたときに、別の仕事をしていて忙しかったので「またあとから電話するからね」(Mate, can I call you back?)と告げて電話を切った。なのにその電話をし忘れているうちに友人が急死した。悔やんでも悔やみきれず、自分の携帯に記録されているその友人の電話番号を削除できずにいる・・・。その人が肝に銘じているのは「いま言いたいと思ったことは、いま言え」ということ。たとえそれが “I’m sorry”とか“I love you”、“goodbye”のような単純なメッセージでも「後回しにするのはやめた方がいい」(Do not put it off)ということです。

 

この特集企画には1000件以上の読者からの投稿が掲載されています。いずれも自分の友人や家族をあの世へ見送ったときの思い出を語っているのですが、何故かむささびが気に入ってしまった「作品」があります。おそらく50代の女性からもので、子供のころに大好きだったお祖母ちゃんが亡くなったときのことを書いている。彼女が死んでいく祖母と最後に交わした会話は
  • 祖母:Don't you like peaches?(桃は好きじゃないのかい?)
    本人:No...(ううん、好きじゃないの)
というものだった。そう言って彼女は泣きながら祖母の部屋を出て行った。悲しすぎて言うべき言葉が見つからなかったというわけですが、40年後のいま、桃を見るたびにあの祖母のことを思い出す。そして考えるのは
  • どうしてもっとまともなことを言えなかったのか・・・'No'は最後の言葉としてはいいものではない。
    How I wish I'd said something worth saying. 'No' is not a good final word.
ということなのだそうです。

▼もう一つ、読者からの投稿を紹介させてもらいます。ある叔母と甥が交わした最後の会話です。亡くなったのは叔母のほうです。
  • 叔母:トミー?(甥の名前です)
  • 甥:はい(Yes
  • 叔母:あたし、いつも知りたいと思っていたことがあるのよ(There's something I've always wanted to know)
  • 甥:え?(Yes?)
▼そう答えながらも甥の方は、「ひょっとすると昔やった口げんかの件でも持ち出されるのかもしれない」と身構えたのですが、叔母の口から出たのは次の言葉だった。
  • What does BMW stand for?
    クルマのBMWって何の略なのかねぇ・・・
▼甥は黙って答えなかった。彼自身もBMWが何の略であるかなんて知らなかったから・・・。そしてそれがこの甥が叔母さんと交わした最後の会話であったそうです。むささびの調査によると、BMWはドイツ語の "Bayerische Motoren Werke" の略語なのだそうですね。意味は「ババリア自動車会社」というものらしい。ドイツのババリア地方に生まれた会社ってことなのですね。日本のトヨタ(豊田市)と同じってこと?いずれにしても死に際にこんなことを呟くなんて・・・この叔母さん、最高!

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3)モスル解放の現実

約1か月前の7月10日、イラク政府が、IS(イスラム国)によって占拠されていたモスルを完全に奪回したと発表しました。このことに関連して、国際NGOのアムネスティ・インタナショナルが
というタイトルの報告書を発表しています。モスル解放にあたって、同市西部で暮らしていた民間人が多数死亡したということを報告するものです。モスルをISから「解放」したイラク政府軍やアメリカを中心とする有志連合軍の活動が多くの民間人の死亡に繋がった・・・と言っている。

恥ずかしながら、むささびはモスルがどこにあって、どのような町で、人口はどのくらいだったのか等の基本的知識に欠ける。アムネスティの報告書を紹介する前に、モスルに関する基本情報をウィキペディアで確認しておきます。


モスルはイラクの首都・バグダッドの北西約400キロのところあり、古代遺跡と世界有数の石油生産で知られる大都市。人口は2004年の調査では約180万だったのに2015年にはこれが70万人以下にまで減少している。ごく最近の「歴史」を確認しておくと次のようになる。
  • 2003年3月:イラク戦争始まる。
  • 2003年4月:バグダッドに次いで米軍がモスルを無血占領。その際にこれに反抗する民衆との間で紛争があり、10人が米軍の発砲で殺された。
  • 2003年7月:多国籍軍の攻撃によりサダム・フセインの息子がモスルで殺される。
  • 2004年12月:アンサール・アル・スンナ軍と呼ばれるイスラム過激派の攻撃でモスルの前線基地にいた米軍およびイラク政府軍の兵士が死亡。
約10年が経過して・・・
  • 2014年:ISがモスルを占拠。
  • 2016年:イラク政府がモスル奪回作戦を開始。
  • 2017年7月10日:イラク政府がモスルの完全奪回を発表。
アムネスティの報告書のタイトルにある"AT ANY COST"という言葉ですが、「どのような犠牲をはらってでも」という意味で、モスルをISの手から解放しようというイラク政府や有志連合の決意のほどを示している言葉とも言えるけれど「民間人に犠牲者が出てもやむを得ない」という姿勢ともとれるし、結果としてはそのようになっている・・・というのがアムネスティの批判的メッセージです。

 
アムネスティ・インタナショナルのサイトには、モスルの住民が描いたと思われる挿絵のようなものが掲載されています。この挿絵には「モスルから逃げようとすると、ISにつかまって絞首刑にされるのだ。そして死体が何日もの間そこにぶら下がって、さらしものにされている」というキャプションが添えられている。

報告書はまずISによる「戦争犯罪」について、イラク政府軍と有志連合軍の攻撃に対して民間人を人間の盾として使ったことを挙げています。具体的には、住民たちを一軒につき15~100人単位で住宅などに押し込め、出口をはんだ付けにして外に出られないようにした。そこへイラク政府軍と有志連合軍が空爆をすると多数の死者が出るのは当たり前ですよね。住民の証言によると、そのような住宅から逃げ出す者はISが絞首刑にするとされ、実際にそのような犠牲になった住民もいる。

ただアムネスティの報告書は「民間人を保護することができなかったについてはイラク政府と有志軍の側にも大いなる失策があった」(Iraqi Government & US-Led Coalition: Serious Failure to Protect Civilians)と言っている。イラク政府の地上軍が、IS掃討作戦として西モスルの住宅街に見境もなしに火焔銃を撃ち込んだりすることで、少なくとも426人の住民が犠牲なったのだそうです。
 
私はリビングルームの入り口のところに立っていました。すると玄関のドアが吹き飛んで、こちらに向かって飛んできて、6才になる息子はリビングルームから台所まで吹き飛ばされました。

さらに政府軍と有志軍は西モスルの住民に対して空からビラを撒いて「これから爆撃が始まるからIS地域から撤退しろ」と伝えたりしていたらしいのですが、IS地域から逃げ出そうとした住民たちは、ISによって処刑されることになっていた。そのような現実が政府軍らには全く分かっていなかった。アムネスティは「これらの犯罪を埋没させてならない」(Don't Let These Crimes Be Buried)というわけで、次のように要求している。
  • モスル解放の戦いで極めて多くの民間人が犠牲になったことを公に認め、犠牲者や家族に対して然るべき賠償金(reparation)を支払うこと。
  • 住民密集地域において火焔銃の類を無差別に使用することを禁止すること。
  • モスルでの戦いを辛うじて生き延びて逃げてきた住民に対する援助額を大幅に増やすこと。
私は妹の名前を呼びながら通路を走りましたが、誰も答えてはくれませんでした。私は自分の家の方まで歩いて行きましたが、家は完全に破壊されていました。私たちはがれきを掘り起こしてようやく妹たちの身体を見つけることができました。13日もかかりました。

西モスル解放を現地で取材したThe Independetのパトリック・コバーン記者は、昨年末、シリアの東アレッポに対してシリア政府とロシア軍が爆撃を仕掛けた際にも民間人が犠牲になっており、その時は欧米のメディアは大いにシリア政府とロシアを非難するような報道を行なった。なのにイラクのモスル解放に伴う民間人の犠牲については「余り騒がない」と批判的な報道をしています。
  • モスルにおける住民の犠牲についてはあまり非難の声が上がらないのは、欧米においてはISこそが極悪人であり、打倒されなければならないと考えられていることが最大の理由だろう。IS打倒のためにはモスルの住民の死亡も仕方がないということだ。
    The biggest reason for the lack of outrage is that Isis was seen as a uniquely evil movement that had to be defeated - whatever the cost in dead bodies to the people of Mosul.
というわけです。

▼イラクという国そのものが、1920年~1932年、英国による委任統治を受けており、英国とは無関係ではない。1979年にサダム・フセインが大統領に就任、イラン・イラク戦争(1980年9月~1988年8月)、クウェート侵攻(1990年8月)、湾岸戦争(1991年1月~2月)などを経て2003年に米英軍によって崩壊させられるまでの24年間はフセイン政権が続いていた。イラ・イラ戦争のときはアメリカはイラクを支持したけれど、それ以後はイラクのフセインといえば、現在の「北朝鮮・金正恩」と同じような極悪人だった。そのフセイン政権の打倒に大きく貢献した英国のブレア元首相などは、いまでも「フセインを打倒したおかげで世界はよくなった」などと言っている。そして今度はモスルをISから「解放」したことを自画自賛している、それを告発するのも英国のNGO・・・やりきれませんね。

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4)北朝鮮を「理解」する
 

7月31日付のGuardianが、北朝鮮をめぐる情勢についてのオピニオン・エッセイを掲載しています。見出しは
となっている。書いたのはオックスフォード・プロセス(Oxford Process)という外交問題に関する政策提言などを行っているNGOを創設したガブリエル・リフキンド(Gabrielle Rifkind)という人で、イントロは次のようになっている。
  • 北朝鮮による最近のミサイル実験が示しているのは、この国が抱える不安感である。アメリカはこの地域における軍事行動を止め、北朝鮮との対話の道を探るべきである。
    The country’s latest ballistic tests are a sign of its insecurity. The US should cease manoeuvres in the region - and find a way to engage with Pyongyang .
そもそも何故、北朝鮮は核実験をやったり、ミサイル開発に力を入れたりするのか?金正恩氏の父親だった金正日は「それがアメリカとの対話を可能にする唯一の道だからだ」(this is the only way the US will talk to me)と述べたけれど、リフキンドによると、金正日を継いだ金正恩氏が考えているのは
  • アメリカが我々を攻撃せず、自分を権力の座から引きずりおろさないでいる唯一の理由は、我々が核兵器を持ち、ミサイルを装備しているからなのだ。
    It’s the only way the US will not attack us, and the only way they will not remove me from power.
ということになる。そのことはイラクのサダム・フセイン、リビアのカダフィの末路を見れば分かる(と金正恩は考えている)ということです。


ガブリエル・リフキンンドは昨年(2016年)北朝鮮を訪問、限られた範囲とはいえ、さまざまな北朝鮮人と言葉を交わした。その結果、彼女が強い印象を持ったのは、彼らがいずれも外の世界を自分たちにとっての「脅威」であると考えているということだった。彼女はそのことについて
  • 中には生活がよくなった人もいるけれど、多くの北朝鮮の人びとが、内面において未だに自分たちが歴史の犠牲者である考えている。
    Material conditions have improved for some, but psychologically many North Koreans are still victims of their history.
と言っている。彼らが語るのは、いまでも朝鮮戦争のことであり、日本による統治のことであり、ソ連からの援助が終了したことであり、アメリカの脅威のことだったとのことです。リフキンドによると朝鮮戦争(1950年~53年)だけでも北朝鮮の人口の20%が死んでいる。1953年に爆撃が終わったとき、アメリカは完全な休戦宣言を行うことがなかった。アメリカ人はいまでも自分たちの国を攻撃する権利があると思っており、自分たちは恒久平和条約の締結を望んでいる・・・それが北朝鮮人の眼から見た朝鮮半島情勢である、と。リフキンンドは、国際紛争を解決することの困難さの理由として
  • 双方が自分たち自身のやっていることを見ることができないでいるということ、自分たちの行為が相手にどのように見られているのかを理解することができない
    We fail to look at our own behaviour and how it is perceived by those we see as our foes.
ということにあるとしている。しかし自分たちのレンズだけを通した一方的な見方では緊張緩和を達成することはできない。アメリカ人は、彼らが先頭に立った軍事演習を「自衛のため」と思うかもしれないが、北朝鮮人にはそれは自分たちに対する敵対行為以外の何物でもない。

Oxford Processがイングランドのコツウォルドの田舎に所有しているコテッジ。ここで「静かな非公式会合」が開かれる。

(リフキンドによると)欧米のメディアでは殆ど報道されなかったけれど、北朝鮮は今年の1月に、アメリカが韓国との軍事演習を中止すれば核実験を一時中止する(suspending their nuclear tests)用意があると伝えていた。この提案は中国とロシアに支持され、後程には韓国の新大統領によっても支持された。が、ワシントンがこれを拒絶した。アメリカは米韓軍事演習という自分たちの戦争ゲームを北朝鮮のミサイル、核実験などと同じように扱われることを拒否したというわけです。

▼The Economistの最新号(8月5日)が、北朝鮮とアメリカの間における核戦争の可能性を探る特集記事を掲載しています。題して”It could happen"(可能性はある)。この特集によると、2019年のある日、北朝鮮が大気圏における核爆発を伴う実験に成功、これがトランプにとっては「超えてはならない線」(red line)を超えた行為ということになる。それからトランプと金正恩の間でさまざまな脅迫合戦が繰り広げられるのですが、最終的にはアメリカが北朝鮮に対して4発の核爆弾を投下した時点で、金正恩とその仲間たちは消えてしまう。そして戦争はトランプが発信した次のようなツイッター・メッセージで終わりを告げる。
  • 悪魔の金正恩によるソウルへの核攻撃はまったくひどい!実にひどい!自分としてはそれに対して核で反撃する以外になかったのだ。しかし、私の行動のおかげでアメリカは再び安全になったのだ!
    Nuke attack on Seoul by evil Kim was BAD! Had no choice but to nuke him back. But thanks to my actions, America is safe again!”

しかし(リフキンドによると)によると、人口密集地帯である朝鮮半島における北朝鮮とアメリカの対立には、武力行使というオプションはあり得ない。ソウルだけでも1000万人が暮らしているのだから。
  • 唯一の選択肢は北朝鮮と対話すること(engagement)である。この対話は静かな環境で、非公式かつ前提条件なしで行われる必要がある。
    So the only option is engagement with Pyongyang, which needs to be quiet and off the record and without preconditions.
最初のステップは、北朝鮮が核開発を凍結する見返りとしてアメリカが米韓軍事演習の規模を縮小することを提案し、これを信頼醸成のための手立てとする。ガブリエル・リフキンンドは
  • このようなやり方はうまくいくわけがないと見えるかもしれない。北朝鮮にしてみれば、核兵器は生存のための生命保険のようなものであり、これを手放すような交渉に応じるわけがないというわけだ。ただ参加者すべてにとっての安全保障上の不安が検討される中で、核兵器の問題も検討することができるではないか。
    Unpalatable as it may seem, the regime has no intention of negotiating away its nuclear arsenal because it sees this as a survival insurance policy. Only when the security anxieties of all parties are considered can the issue of nuclear weapons be addressed.
と言っている。全員が熱病に罹ったような現在の雰囲気では事態はますます危険な方向へ進む。熱気を下げる対策が考えられなければならない。勝手気ままなツイッター発信は事態をますます悪化させる。静かなオフレコベースの話し合いによってのみ、核実験の凍結を提案した北朝鮮の行動が実は和平交渉実現に向けての「自分勝手な戦略」(perverse strategy)なのかどうかが分かる・・・というわけで
  • 孤立が核戦争の危険に繋がり、世界的な不安を増大させる結果にしかならないのだとすると、挑発・脅し・罵り合いほど危険なゲームはないのである。
    When a stand-off results in nuclear danger and increasing global anxiety, provocation, posturing and name-calling is far too dangerous a game to play.
とガブリエル・リフキンンドは主張しています。

▼ガブリエル・リフキンドは1953年生まれだから今年で64才になる。彼女が立ち上げたOxford Processという組織は、紛争に関わっている国の指導的な立場にいる人間を非公開の場に集めてじっくり話し合うことで武力に頼らない紛争解決を目指している。Oxford Processのサイトを開けると、最初に目に飛び込んでくるのは「戦争はまともな人間をバケモノに変えてしまう」(War makes monsters out of otherwise decent people)という言葉です。これまではもっぱら中東における紛争停止のための非公式会談を組織してきており、イエメン、シリア、イラン、ロシアなどの関係者同士を引き合わせてきている。意地悪く言えば、如何にも英国のエリートたちの考えそうなことであるとも言えるのですが、よく考えてみると、彼女らの言っていること、やっていることの正しさは(おそらく)誰にも否定はできない。

▼Oxford Processの使命は、紛争当事国の間に存在する「大きな隔たりを管理する」(Managing Radical Differences)ことにある。つまり「人間、話せばわかるはず」という理念・信念のもとに舞台裏で活動しているようなのです。ここをクリックすると「隔たりを管理する」ために心得ておくべきことが箇条書きになっているのですが、一番最初に次のように書いてある。
  • It is necessary to start where people are, and not where we want them to be.
▼つまり、まずは自分の身を相手の立場に置くことが肝心であり、自分たちの「期待」を基にした相手の立場から始めてはならないということですよね。そして常に相手の言葉に耳を傾けると同時に「批判的」であり続けなければならないと言っている。相手に対してのみならず自分たちに対しても批判的でなければならない(being critical and self-critical)ということ。究極の現実主義ですが、相手の立場に身を置くためには想像力が必要ですよね。外交の世界というのは、かなりの部分そのような想像力を必要とする場なのでしょうね。

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5)MJスライドショー:ジャズ・ノスタルジア
 

60年も前のことですが、東京・新宿にはいろいろなジャズ喫茶と呼ばれるものがあった。「木馬」とか「ピットイン」とか「汀(なぎさ)」とか・・・。むささびと同じ年代の人ならお分かりでしょうが、その頃のジャズ喫茶は、生の演奏ではなくて、喫茶店内に設置されたスピーカーから流れる大音量のジャズを聴くところであったわけであります。なにせ大変な音量だから、友だちと一緒に行ってもハナシなどできない。深刻な顔をしてコーヒーを飲みながら30分も1時間も時を過ごす・・・そういう場所であったわけです。アート・ブレイキー、マイルス・デイビス、ソニー・ロリンズのようなジャズマンの演奏を如何にも分かったような顔をして聴く・・・いまにして思うと顔から火が出ます。でも、不思議ですね、何度も聴くうちにどれもがとても懐かしい旋律に聞こえてくるんだから。

新宿には何年も行っていないけれど、あのジャズ喫茶があった辺りはどうなっているんだか・・・。ネットで調べたら、むささびが読んだ『スイングジャーナル』というジャズ専門誌は、1947年創刊で2010年まで発行されていたのですね。すごい!

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6) どうでも英和辞書
A-Zの総合索引はこちら 

bald:禿げ頭

アタマに毛がないこと(having no hair or very little hair on the head)ですよね。「じゃりっぱげ」は何というのか?と思ってネットを調べたら "bald patch" と出ていました。「パッチ」とはうまいこと言うなぁ!まさにそれだもんね。ところで "baldy" となると「禿げちゃびん」とか「禿げ野郎」というスラングになるらしいですね。よほど親しい間柄でない限り使わない方がいいと思うけれど、ネット辞書には
  • Hey baldy! What have you been up to?
なんてのがあった。「ちょっとハゲちゃん、調子どお?」という意味ですね。

でも最近の "baldy" とくれば、例の女性議員が自分の政策秘書とかいう男性に対して使った「この、ハゲ~っ」にとどめをさしますね。で、この件が英語ニュースではどのように使われたのか?共同通信の英語ニュースに
という見出しの記事がありました。「この、ハゲ~っ!日本の国会議員が侮辱的発言を指摘され離党」 というわけですね。そうか・・・「この、ハゲ~っ!」は"You baldy!"なんだ。この英文記事には「このハゲ」部分も含めて秘書との会話が掲載されている。
  • Toyota: You baldy!
    この、ハゲ~っ!
  • Secretary: I am sorry. It was about contacting XX (a person's name).
    すいません、XXに連絡をってことで・・・
  • Toyota: It's wrong! [thud]
    ち~が~う~だ~ろ~!
  • Secretary: I am sorry.
    すいません・・・
議員の発言のあとにある[thud]というのは、彼女が運転する秘書のアタマを何かで叩いた音なのだそうです。
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7) むささびの鳴き声
▼今日が広島の日ということは、次なるむささびがお邪魔するときは終戦の日(8月15日)も過ぎてしまっているわけですね。昨日(8月5日)のTBSの『報道特集』が、現在の日本国憲法についての特集をやっていました。俳優の仲代達也さんと落語家の桂歌丸さんが、それぞれのとてつもない戦争実体験をもとに、いまの憲法を変えることへの反対論を語っていました。「いやなものはいやなものはいや」(No is no is no)という反戦メッセージです。理屈がとおっている!72年前の日本のことを語っていたわけですが、この「むささび」の3番目に出てくる「モスル解放の現実」において、西モスルの住民は2017年に仲代さんや歌丸さんと同じ体験をしている。

▼8月3日に内閣改造を行った安倍さんが同じ日に行った記者会見の冒頭、「森友」だの「加計学園」だの「日報問題」だの、いろいろと「国民の皆様から大きな不信を招く結果」となってしまったことについて「改めて深く反省し、国民の皆様におわび申し上げたいと思います」と述べてから延々10秒間もアタマを下げっぱなしであったとのこと・・・ホントですか?むささびは見ていなかったので。でも10秒って、長いですよ!

▼それはともかく、安倍さんが謝らなければならないのは、「国民の皆様から大きな不信を招く結果となってしまったこと」ではない。子供らに教育勅語を暗唱させるような学校を大いに支持し、自分の「腹心の友」が獣医学校を作ることに首相の身で力を貸し、健気にも(?)靖国参拝を繰り返すような人物を閣僚にしたこと・・・彼が謝らなければならないのはこれらの事柄です。

▼ところで安倍さんの「おわび申し上げたい」という部分は外国通信社によって "I would like to apologize" という英文で伝えられています。以前、「どうでも英和辞書」の中で"apologize"という単語を取り上げたときに "You can't apologize" という表現について書きました。この表現を「謝ることはできない」と訳してしまうと何のことだか分からない。正しい訳は「謝って済むことではない」ですね。現在の安倍さんは "Shinzo can't apologize" という状態なのであります。じゃあ、どうすりゃいいのさ?決まってます、辞めるっきゃないってこと。

▼4つ目の北朝鮮に関する記事についてですが、北朝鮮による弾道ミサイル発射について安倍さんがトランプと電話会談をやった後で、記者たちに「同盟国を守るため全ての必要な措置をとるとのトランプ大統領のコミットメントを高く評価しています」と語っています(首相官邸のサイト)。4つ目の記事の中で紹介したThe Economistのシナリオによると、北朝鮮との核戦争で金正恩体制を打倒したトランプが、ツイッターで発信したメッセージは「アメリカは再び安全になった!」という、自国の有権者に対する自画自賛だった。物事がこのシナリオどおりに運ぶのかどうかはともかく、北朝鮮に関する限り、安倍さんのアタマには「防衛体制の強化」しかないように見える。Oxford Processのガブリエル・リフキンドという人は、「北朝鮮問題には軍事解決というオプションはない」と言っている。しかし安倍さんやトランプは「軍事解決という手段もある」と考えている。

▼北朝鮮については、むささびも含めてかなりの数の日本人が「何を考えてるんだ」と戸惑うだけで、北朝鮮の人びとのアタマの中を想像するようなゆとりも情報もない。NHKの報道などを見ていると、北朝鮮は、いまにも日本に向かってミサイルを撃ちこんでくる「超極悪人国家」のように思えてきますよね。でもネット情報によれば、2016年12月現在、国連に加盟している192の国のうち166か国が彼らと国交を結んでいる。このことをどのように考えるべきなのか?「怪しからん」と言って済むようなことではない。トランプ政権のメチャクチャぶりに顔をしかめる日本のメディアも、トランプの対北朝鮮強硬路線は黙って見つめるだけ。拉致問題のことなど忘れてしまっているかのようです。

▼などと考えていたら日本経済新聞のサイト(8月5日)に『敵基地攻撃能力の保有検討へ 防衛省、北朝鮮脅威受け』という記事が出ていました。むささびの想像によると、シンゾーはいま「金正恩との直接会談」を模索しているのではないか?そのために利用するのがプーチン・コネクション。拉致問題にも何らかの進展があったように見せる。どうにもならないほど信頼を失ってしまった首相にできる人気回復策はそれっきゃない。ひょっとすると、それにOxford Processが一役買っていたりして・・・。それが実現したとしても、それは自分自身の人気回復策にすぎず、彼が突如として「平和」に目覚めたわけでは絶対にない。

▼民進党の代表が変わることになっていることに絡んで、この党が「受け皿になり得るのか」という議論が聞こえてくるけれど、大体において「自民党はダメだけど、民進党はもっと頼りないから」という第三者的なコメントが多い。「自民党がダメだ」と思うのなら、どうすれば自民党がよくなるのかを語るべきであり、民進党が頼りないのだとしたら、自分たちで応援して頼りになる党にすればいいのでは?「あっちも悪いけど、こっちもダメ」という議論は毒にも薬にもならない。それは「批判的」なのではなくて当事者意識が欠如しているというだけのハナシです。

▼ちなみにむささびが想っているのは、民進党はもっと「左翼的」であるべきであるということであります。自分の考えを「左翼的」などと規定するのも妙なのですが、ほかにうまい言葉が見当たらない。北朝鮮については武力で何かが達成できるという考えを捨てること、憲法改正はやらない、原発は廃止、経済効率主義は疑問視すること・・・この辺りをきっちり主張する政党ならどこでもいいわけです。

▼「毒にも薬にもならない」で思い出したけれど、最近のプロ野球解説はかなりマシになりましたね。昔は正に「毒にも薬にもならない」結果論ばかりやっていた。「あの場面で三振したのはまずかったですよね」の類です。誰だって、二死満塁で三振などしたくない、けどしてしまう・・・投手だって三振を取ろうと思って渾身の力で投げてくるのだから。昔はこの種の解説ばかりだったけれど、最近のそれは二死満塁で三振をしないことが如何に難しいかを語るようになった。

▼お元気で!
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むささびへの伝言