musasabi journal

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273号 2013/8/11
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美耶子の言い分 美耶子のK9研究 むささびの鳴き声 どうでも英和辞書

本当に異常な暑さの中でツクツクボウシの鳴き声が聞こえました。あの鳴き声はそろそろ夏の終わりのシグナルだったと思うけれど・・・違いましたっけ?

目次

1)歩行者を取り戻そう!
2)5年半で競走馬1000頭が「処分」されている?
3)衰退する原子力発電
4)『真珠湾収容所の捕虜たち』の新鮮さ
5)どうでも英和辞書
6)むささびの鳴き声


1)歩行者を取り戻そう!
 

8月3日付のThe Economistによると、ロンドンでは場所を移動するのにクルマにも地下鉄にも乗らず歩く人が増えているのだそうですね。2010年から2011年にかけて行われた調査によると、ロンドンの住人のほぼ3分の1が、1週間に一度は30分以上かけて徒歩で移動すると答えているのだそうです。健康増進を目的とする「ウォーキング」ではありません。場所の移動に足を使う人が多いということです。2001年と2011年の10年間で歩行者の数が12%増加しているという数字もある。

いろいろと理由は考えられる。まずロンドンの人口そのものが730万(2001年)から820万(2011年)へと増えており、地下鉄が以前以上に混雑している。もう一つ、ロンドンの市当局が徒歩を奨励しているということもある。約10年前の2004年に当時の市長だったリビングストンがロンドンを「歩ける町」(walkable city)にしようという計画を立て、これがボリス・ジョンソン現市長にも受け継がれている。例えば歩行者に分かりやすい地図を作ることで、わざわざ地下鉄に乗らなくても歩けそうなところは歩くことを薦めたりしている。

さらに目立ちにくいけれど、道路そのものを歩行者にとって使いやすくしたということもある。歩道と車道を隔てるでっぱり(pavement curbs)が取り払われたし、道路舗装のための材料も歩行者に優しい花崗岩のレンガを使っている等々、それなりに涙ぐましい努力をしてきている。

ただThe Economistによると、ロンドンの徒歩ブームは必ずしも全国的な傾向とは一致していない。全国的に見ると、過去約20年間で「歩く英国人」は27%も減っているのだそうです。子供が歩いて通学しなくなった、買い物へ行くのにクルマを使うようになった・・・理由はさまざまです。最近では足もクルマも使わないオンライン・ショッピングが盛んになったりしている。

ただ、日本と同じく英国でも地方の都会では町の中心部がさびれつつあり、地方自治体としてはこの傾向に何とか歯止めをかけたい。そのためには歩行者を呼び戻す必要がある。The Economistはそんな地方都会はロンドンを見習ってもいいかもしれないと言っています。ロンドン交通局の調べによると、歩く人たちが費やすお金が一か月平均で373ポンド(約5万円)なのに対して、クルマを使って町を通る人の場合は226ポンドだそうです。なるほど・・・だいぶ違いますね。

▼東京という町へ行かなくなってずいぶん長くなるのでありますが、私の記憶にある東京の町中はロンドンなどに比較すると、かなり歩きにくいと思ったものです。例えば地下鉄でどこかへ行くとする。有楽町線・麹町駅で降りる。プラットフォームには「英国大使館XX番出口」などとかなりはっきり書いてある。で、指定された出口から表の通りへでた途端にもうダメ。どこに何があるのか、さっぱり分からない。区が用意した地図のようなものが立っているけれど、とても見る気にならないようなデザインです。で、結局、付近のお店のようなところで聞くことになる。何とかして欲しいと思ったものでありますが、現在は少しはマシになっているのでしょうか?

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2)5年半で競走馬1000頭が「処分」されている?
 

Animal Aidという英国の動物愛護団体の監視によると、2007年から現在までの5年半で競走馬1000頭が競馬場で死亡したのだそうです。8月3日付のThe Observerが伝えています。競馬で骨折したりして走れなくなった馬が「処分」(destroy)されることはどこでもあり、厩舎まで連れ戻されて殺される場合と競馬場にいる間に処分される場合がある。Animal AidではDeath Watchというリストをサイト上に作って、競馬場で処分される馬をリストアップする作業を続けているのですが、2013年7月、ついにそれが1000頭の大台を超えてしまったというわけです。

馬の処分については国会でも問題になっており、英国競馬協会(British Horseracing Authority:BHA)が過去3年間の数字ということで確認した情報では、Animal Aidの記録よりも少しだけ大きくなっている。また英国調教師連盟(National Trainers Federation:NTF)によると、最近では競馬場でケガをした馬の処分はオーナーや調教師の依頼により競馬場で行われるケースの方が多くなっている。これを選択的安楽死(elective euthanasia)と呼ぶのですが、こうして死亡した馬についてはBHAの情報には入っていないのだそうです。

The Observerの記事によると、昨年(2012年)英国の競馬場で走った馬の数は約1万7500頭、そのうち38%にあたる6600頭が障害レース(jump racing)で走っている。Animal Aidによると、昨年一年間で157頭の障害レース参加馬が死亡している。つまり42頭に1頭が死亡したということになる。ただ、この数字はBHAによって強く否定されています。BHAによると、同じ馬が一年を通して何度も走っており、述べの数字に直すとおよそ9万頭が走ったことになり、死亡率は0.2%ということになる。またAnimal Aidのいわゆる「2007年からこれまでに1000頭」という数字については、同じ期間中に走った馬の数は約50万頭に上る(つまり死亡率は0.2%)のだと主張しています。

Animal Aidでは、競馬の監督官庁である環境・食糧・田園地帯省(Department for Environment, Food and Rural Affairs)に対して、BHAに競走馬の死亡に関する完全な情報を開示させるように指導するべきだという申し入れをしたりしている。
  • 英国文化の中で馬は特別な地位にあるのだから、そのような国民的なディスカッションをすることは公共の利益に合致することになる。
    Given the special place that horses have in British culture, such a national discussion would be very much in the public interest.
というわけですが、これに対してBHAは
  • 競馬は常にリスクを伴うスポーツであり、英国の競馬は競技に伴う危険については常に正直かつオープンな姿勢でいる。
    Racing is a sport that carries risk, and British racing is honest and open about the risks involved.
というわけで「何も隠していることなどない」(British racing has nothing to hide)と言っている。またAnimal Aidが問題にしている競馬場における「選択的安楽死」が増えていることについてはどうしても「処分」しなければならないような状態の場合は、獣医関連の設備が最も整っている競馬場こそが最善の場所だと言っています。

▼英国には動物がらみの対立が多いですよね。動物愛護団体が「キツネ狩りを禁止せよ」というと、狩猟団体が「昔からやっている伝統だ」と反論するというわけですが、大体において前者が都会的進歩派で後者は地方の伝統主義者です。Animal Aidが「賭け事の陰で馬が苦しみ、命を落としている」(betting on horses means horses will suffer and die)と主張すれば、BHAは「2万人の職場がかかっている」(responsible for the direct employment of around 22,000 people)というぐあいです。

▼英国には約60の競馬場があります。Ascot、Cheltenham、Epsom Downs、Newmarket、Yorkなどは特に有名ですが、むささびと妻の美耶子が個人的に気に入っていたのがWorcester競馬場だった。特にいわゆる「一般席」は、単なる原っぱという感じで、家族連れがピクニックをやりながら馬が走るのを眺めたりしていて全く肩がこらない。はっきり言ってあまりきれいな場所ではない。

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3)衰退する原子力発電

 

7月25日付のThe Economistのブログコーナーに
  • Critical reactions
という見出しの記事が出ています。criticalは「批判的」で、reactionsは「反応」という意味ですよね。この場合のreactionsは「核反応」、つまり原子力発電のことで、Critical reactionsは「原子力発電に批判的な声がある」ということを言うための「言葉の遊び」みたいなものです。記事のメッセージは
  • Nuclear power is in decline, despite new reactors
    新たな原発建設の動きがあるにもかかわらず、原子力発電そのものは衰退している。
ということにあります。世界の原子力発電の開発の現状を分析するエネルギー・コンサルタント団体のWorld Nuclear Industry Status Reportという機関がこのほど発表した2013年における世界の原子力産業に関する報告書によると、現在原子力発電を行っている国は全部で31カ国。「建設中」の国は14カ国なのですが、これには昨年(2012年)韓国製の原発建設に着手したアラブ首長国連邦(UAE)も含まれています。UAEはもともと原子力発電は行っていなかった国で、それが初めて原子力発電国の仲間に加わったわけですが、このような国に仲間ができたのは27年ぶりのことなのだそうです。

というとあたかも原子力発電が世界的に増えているように響きますが、原子炉の数は2002年に444基であったものが現在は427基にまで落ちている。原子力によって生まれた電力のすべての電力に占める割合は1993年には17%だったものがいまでは10%にまで落ちている。また現在稼働中の原発の平均稼働年数は28年、45%にあたる190以上が30年を超え、40年以上というのが31か所あり、これからこのような老朽原発が急激に増えていくだろうとのことであります。

この報告書はここをクリックすると読むことができます。

▼福島原発の汚染水が海へ流れ込んでいることについて、安倍首相が、東電に任せにすることなく「国としてしっかりと対策を講じていく」と述べたのだそうですね。もうかなり前のことですが、東電はいったん国有化すべきだという意見を紹介したことがあったし、日本のメディアも「事実上の国有化」などという報道をしていたと思います。でも最近の報道を見ていると、相変わらず「東電はけしからん」というようなものが多い。企業論理を盾にとって情報を公開しないというような不満が述べられている。

▼政府(原子力損害賠償支援機構)が1兆円ものお金を出資して議決権の50.11%をにぎって「実質国有化」したと言っても、東電は結局、民間企業として存在し続けているということなのですね。国有化したら汚染水が海へ流れ込むことがない・・・などとはもちろん言わないけれど、民間企業の手に負えるような状態とはとても思えない。いわゆる「国有化」というのは、出資金を多く出すことで「議決権の過半数」を握るというだけのことなのですね。握った議決権を国がどのように行使しているのかについてのはよく分からないってことですね。この問題についても、国際原子力機関(IAEA)が「要請があればいつでも支援を行う用意がある」という声明を出したと報道されているけれど、「議決権の過半数」を握っている国は、そのあたりの支援要請は行ったのでしょうか?
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4)『真珠湾収容所の捕虜たち』の新鮮さ

 

真珠湾収容所の捕虜たち』(ちくま学芸文庫)は副題が「情報将校の見た日本軍と敗戦日本」となっており、著者はオーテス・ケーリ、第一部「戦争」の書き出しは次のようになっています。
  • 妙な話だが、真珠湾攻撃の日、私は何も知らないで寝てしまった。
この本は、実はいまから60年以上も前の1950年に『日本の若い者』というタイトルで出版されており、2013年7月に出た『真珠湾収容所の捕虜たち』はその復刻版です。

『真珠湾収容所の捕虜たち』を読みながら「誰が訳したのだろう」と思って、もう一度表紙を見たのですが「オーテス・ケーリ」という名前があるだけ。この本がアメリカ人の書いたものではあるけれど、翻訳ものではないと気がつくまでにちょっと時間がかかりました。ケーリというアメリカ人が最初から日本語で書いたものなのです。

著者は1921年生まれ、2006年に84才で死去しているのですが、父親が日本で宣教師をしており、その関係で北海道・小樽で生まれてから14才まで日本で過ごしています。太平洋戦争中にホノルルにあった捕虜収容所で、米海軍将校として日本人捕虜からの情報収集を担当、戦後は同志社大学の教授を務めたこともある。恥ずかしながら、私はこの本を読むまではオーテス・ケーリという存在も知りませんでした。

この本は、捕虜収容所における著者と日本人捕虜とのさまざまな交流を語る「第一部:戦争」、敗戦日本と米進駐軍による占領時代を振り返る「第二部:日本進駐」、そして同志社大学教授として戦後日本の学生たちとの付き合いを語りながら戦後の日本を語る「第三部:日本の若い者」から成っています。いずれも実体験とそれについての著者の想いを語るスタイルになっており、非常に読みやすい。けれど語っていることの内容は2013年の今でも極めて重大であり、大いにディスカッションすべき事柄ばかりです。私(むささび)自身が刺激を受けた文章の中からいくつか書き出してみます。

まず「第一部:戦争」の中でケーリが日本人捕虜の特徴について次のように語っている部分があります。
  • 私が柄にもなく日本人捕虜の人間改造の野望を懐き、最初から取っ組んで、最後まで苦闘したのは、捕虜は恥だという考え、日本人が捕虜になるのは赦されないことだ、だから国へは生きて帰れないという考え方だ。
日本人捕虜は、自主的に投降した者であっても、国へ帰って別の人生を歩もうなどという考え方はしていなかった(とケーリには見えた)。「捕虜になって日本へ帰るくらいなら、死んだ方がまし」であり、捕虜たちのほとんどが「無国籍人として異境に余生を送る」ことを希望していたのだそうです。そのように言う捕虜たちに対するケーリの反論は
  • 最前線に出て一番苦労したあなた方こそ、国のために一番尽くしたんじゃないか<中略>あなた方こそ勲章もらっても不思議じゃない。
というものなのですが、それに続く会話は
  • 捕虜:一応もっともです。でも日本じゃそれが通りません。
  • ケーリ:なぜ通らないんだ、この道理が。
  • 捕虜:なぜって、それが口では言えないのです。
となって、そこで話が終わってしまうのだそうです。捕虜たちのいわゆる「口では言えない」というのをあえて口で説明するとどういうことになるのでしょうか?日本の軍人たちは「捕虜になるくらいなら死ね」と教えられており、それをしないで生きたまま捕虜になったりすると、その家族までもが「非国民」扱いされたという話はよく聞きます。このような思想が「降伏した連合國軍人に対する軽蔑の精神を日本の軍人に教えこんだ」と、東京裁判(極東国際軍事裁判)の判決文書は言っている。

ケーリによると、戦争の初期、アメリカ軍がスイスを通じて日本軍捕虜のリストを日本政府に送付しようとしたところ、日本側に突き返されたのだそうです。その理由は「日本には捕虜になる兵なし」だった。「日本の軍人には敵の捕虜になるような情けない人間はいない」と言いたかったのですよね。日本では「捕虜になるようなヤツは人間のクズだ」とでも思われていた?そのような感覚で英国人らの捕虜に接する日本の軍人たちが虐待に虐待を重ねたとしても大して不思議ではない。

次に「第三部:日本の若い者」からいくつか紹介します。

ケーリが同志社の教授をしていたときにアメリカ留学が盛んに行われるようになった。留学するには選抜試験なるものに通らなければならないのですが、ある留学希望者がケーリのところへやって来て、選抜試験のために自分が書いた英語の文章を見て欲しいと頼んだ。ケーリによると、この人の英語はよくできていたのですが・・・
  • 留学志望の理由として、要するに「日本のために」ということが書いてあった。なぜ「世界人類のため」と書けないのだろうか。私が、いつもゴツンと来るところだ。
というわけです。もう一つ、湯川秀樹博士が1949年に日本人として初めてノーベル賞を受賞したときの日本中の騒ぎぶりについて
  • 日本の一流新聞の社説が、「日本人としてうれしい」と謳っていた。「人間としてうれしい」と書いていなかった。
と批判的なトーンで書いています。

留学希望者が「日本のために」アメリカへ行きたいと言い、湯川博士のノーベル賞受賞を「日本人として」喜ぶ新聞の社説・・・ケーリがこの文章を書いたのは1950年、戦争でこてんぱんに負けて日本中が混乱していた時代です。しかし63年後の2013年に彼の文章を読む私(むささび)にはケーリのイライラが分かります。「社説」も「留学」も知的エリートの世界のハナシです。その人たちが「日本人」である自分のことは語るけれど「人間」である自分のことは語らない。意図的に語らないのか、能力的に語れないのか・・・。

尖閣・竹島・靖国・慰安婦等々、日本と隣国や世界との関係になると、日本の新聞やテレビは、「日本の国益」なるものは語るけれど、「人類益」とか「地球益」のようなものは語らない(ように見える)ことについて、ケーリが生きていたらどのように語るのだろうかと考えてしまう。

さらに私にとって興味深かったのが、日本のキリスト教についてのケーリの言葉です。「西洋のキリスト教とはたいへんな隔たりがある」のだそうです。
  • 日本のキリスト教は、マウシー(内気)--ちょこなんとした小さな人間を作ったり、行いすました宗教家にしてしまう惧れがある。マイナスもないだろうが、プラスもない。宗教家はもっとぱりぱりとした行動家であって欲しい。
と言ってから、日本のクリスチャンについて
  • 個人個人は救うが、仕事に社会性がない。
と述べています。日本のキリスト教はむしろ仏教に哲学に近いのではないかとのことであります。ケーリによると、日本には西洋的な意味での「道徳の基準」がない。アメリカの場合はキリスト教が社会を横断する「道徳の基準」のようなものを提供しており、「キリスト教義を知らなければ、アメリカは理解できない」とのことであります。道徳の基準というのは、物事の「善悪」とか「フェア、アンフェア」についての物差しのことだと思います。日本はどうか?
  • 天皇とか、友人とか、家庭といった柱が立っている。その柱の限りでは、それぞれ深いものがあるが、それらを結ぶ共通なものがない。
つまり日本には「タテの規律」めいたものは沢山あるけれど、それらをヨコに繋ぐ道徳基盤のようなものがない・・・とケーリは言っている。この部分もむささびにはピンとくる。ケーリの時代には未だそれほどの存在感がなかったものかもしれないけれど、私なら「天皇・友人・家庭」にもう一つの柱として「企業」を加えますね。天皇制は別にして、ケーリの時代の日本では一人一人が友人とか家庭のような小さな世界においてのみ「生きている」という感覚を持っていた。その後、これに企業が加わったわけですが、タテ社会はたくさんあるけれど「ヨコ社会がない」という意味では全く変わっていない(とむささびは思います)。

▼本書の「序文」の中でケーリは、
  • 独りよがりや、誤りも随分あることと思う。それらを、どんどん指摘し、じかにぶつかってきてくれることを、特に日本の若い者に期待する。

    と書いています。
▼彼が日本人捕虜と付き合っていた頃は22才、『日本の若い者』を出版した時点でさえ28才です。本人もかなりの「若い者」です。それにしても、日本人捕虜との交流、戦争直後の日本と日本人などについての記述が多いこの本のタイトルを『日本の若い者』としたのはなぜなのでしょうか?おそらく終戦直後の時点で年齢的に若かった日本の人たちにこそ語りかけたいと思ったということなのでしょうね。

▼この本の原著が出版されたとき私は9才でした。あれからの63年間、日本にもアメリカにも実にいろいろなことがありました。それを書き始めるときりがないのですが、ケネディ大統領暗殺、ベトナム戦争と反戦運動、「強いアメリカ」を訴えるレーガン、9・11テロ・・・その間、自分たちの弟分にすぎなかったはずの日本の自動車がアメリカ中を走っている。これらの変遷をケーリはどのような気持ちで見ていたのでしょうか?

▼ケーリが言うようにこの本には著者の独善主義的な部分がたくさんあると思うけれど、人間は物事を考えたり、理想を語ったりする過程では、ある程度の「独りよがり」は当たり前です。大切なのは「それらを、どんどん指摘し、じかにぶつかってきてくれる」こと。それを奨励する伝統が社会にあるかということですよね。『真珠湾収容所の捕虜たち』という本を「史料」として貴重だと受け取る人もいるだろうし、同時代に生きていた人々が、しばしノスタルジアに浸れる本だと言う人もいると思うけれど、私は捕虜問題とか太平洋戦争などという背景とは別にして、人間のことを考えたり、語り合ったりするときの「時代を超えた友人」であるように思います。それぞれが所属する小さなタテ社会ではなく、その根底にある大きなヨコ社会のことを考えるための参考書みたいなものです。

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5)どうでも英和辞書
 A-Zの総合索引はこちら 


zero hour contracts:自由労働契約

正直言って、この日本語が正しいのかどうか自信ありませんが、雇用者側も働く側もお互いの都合を尊重する労働契約のこと。日本でいう「派遣労働」であり「非正規雇用」です。英国政府のサイトではpiece work(請負)とかon call(待機労働)などと訳され、典型的な例として「通訳」が挙げられています。雇用者側からすると「常時雇用の必要がない」(you don’t have to give them work)し、労働者側からすると「自身の都合によっては働く必要がない」(they don’t have to do work when asked)というわけで、「結構じゃありませんか」という人もいる。

人事開発研究所(Chartered Institute of Personnel and Development)が行った1000人の経営者に対する調査結果として、現在の英国ではおよそ3~4%の労働者がこの形態で働いているものと推定されています。人口に直すと100万人を超える数字で政府の統計をはるかに上回るものとなっています。またこの研究所の調査では、これらの労働者の14%が「最低限度の生活も維持できない」と言っている。BBCの番組でインタビューされた福祉関係のワーカーの場合、有休(paid holiday)は認められるけれど病欠(sick pay)は認められないと言っています。

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6)むささびの鳴き声
▼4つ目の「オーテス・ケーリ」の本についてもう少し。『日本の若い者』の復刻版の出版に中心的な役割を果たされた、ジャーナリストの前澤猛さんは、『真珠湾収容所の捕虜たち』出版の意味について次のように語っています。
  • 太平洋戦争では、軍国主義に染まった日本の国家権力が、自国と周辺諸国にあまたの犠牲を強いた。そうした過誤を正しく見直す歴史認識を、昨今は「自虐史観」として否定する趨勢が勢いを増しつつある。だからこそ、戦中・戦後の日本と日本人の本当の姿を記録した本書を、復刻出版する意義は大きい。
▼過去であれ現在であれ、自分の国の行いを批判的に考えたり、発言したりすることが「自虐的」というのであれば、自省とか自己批判という行為が人間として避けるべきものということになってしまう。安倍首相の口癖の一つに「戦後レジームからの脱却」というのがありますよね。第二次大戦後の日本で行われたさまざまな制度改革(例えば平和憲法の制定)をアメリカから押し付けられたものであり、これからは日本独自の体制(レジーム)を作るべきだ・・・ひらたく(?)言うとこうなります。

▼おそらく現在の憲法を支持すること自体が安倍さんらによると、他国から押し付けられたものを守る「自虐的態度」ということになるのでしょう。石原慎太郎氏などは、現在の憲法を「破棄せよ」と言っている。自分の国のもろもろについて常に批判的であることは、私の価値観によると「人間として最も奨励されるべき姿勢」であるわけですが、この人たちによるとそれは「自虐」となる。私によると、この人たちは常に他国・他人の眼を気にしてびくびくしている「劣等感のかたまり人間」であるということになる。

▼(話題を変えて)先週の日曜日夜10時ごろ、TBSラジオを聴いていたら歌手の橋幸夫が司会をするトークショー番組をやっていました。終戦記念番組とかで、太平洋戦争で特攻隊に参加して死んで行った若い人たちのことを語る中で、彼らの一人が書いた母親あての手紙、母親が息子に宛てた手紙を朗読していました。バックにはダンチョネ節、ラバウル小唄、異国の丘などの軍歌が流れていたのですが、後からこの番組のサイトを見ると、あの朗読は「人への思いやりと命の重さを綴る」という趣旨の企画であったようです。その気のある方はサイトを通じて録音を聴くことができると思います。

▼それを聴いていてむささびは大いに腹が立ってしまった。特攻隊の「悲劇」を語るとき、大体において中心になるのは命を落とさざるを得なかった隊員とその家族の悲しみであり、橋幸夫の番組もまさにそれであったわけです。特攻隊員もその母親も、戦争に振り回された「被害者」として描かれる。橋幸夫と一緒に出演していた若い女性がこれらの手紙を読んで「涙が出てきました」と言っていたのですが、彼女の想いは(例えば)特攻隊によって体当たりされた軍艦に乗り組んでいた敵の兵隊の死(とその家族の悲しみ)にまで及んだりしているのだろうか?橋幸夫もアシスタントの女性も特攻隊などという狂気を生んだ、日本の軍国主義への怒りは全く語ることなく「二度と戦争をしてはいけない」という言葉で締めくくっていました。余りにも空々しい。そこに腹が立つわけです、むささびは。

▼橋幸夫という人はウィキペディアによると1943年生まれだから、むささびよりも2才年下です。終戦のときは2才であったはず。私だって戦争のことなど実体験としてはほとんど知らないのですが、私以上に知らないはずの橋幸夫は、あの番組で軍歌をバックに朗読をしながら何を考えていたのだろう。

▼というわけで、もうすぐ8月15日ですね。
 
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