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musasabi journal
第142号 2008年8月3日

   

暑いさなかに悲しいニュースがありましたね。漫画の赤塚不二夫の死です。人間いずれは死ぬのだから仕方ないけれど、天才バカボンの中で、なぜか必ず道を掃除しながら「おれかけですかぁ(おでかけですかのこと)?」という登場人物がいましたよね。あれ、ホントによかった・・・。

目次

1) 試験管ベビー、生誕30周年


1978年7月25日、世界初の試験管ベビーが英国で生まれてから今年でちょうど30年になんですね。生まれたのは、女の子で、名前はLouise Brown、生まれた場所はマンチェスター近くのOldham and District General Hospitalという病院だった。

7月14日付けのThe Economistによると、試験管ベビー誕生の地で試験管ベビーの数は非常に少ない(Test-tube babies are rare in the country where the first was born)のだそうです。この30年間、世界中で生まれたtest-tube babiesの数は約350万人、これからも年間約20万人の割りで増えていくとされている。が、The Economistによると英国内で体外受精(in vitro fertilisation:IVF)の試みがなされる件数は、100万人に700人だそうで、先進国の中では最も低い部類に入る。2005年に体外受精によって生まれた子供の数は11,262人、その年に英国で生まれた子供の1.6%。北欧諸国の3〜3.5%に比べるとかなり低い。

英国よりも低い先進国としてはアメリカとドイツがあるのですが、ドイツの場合は胎児の冷凍保存に関する厳しい規制があることが、IVFが行われない理由であり、アメリカの場合はコストが高いうえにIVFが保険の対象にならないということがある。英国にはそのような要素はない。

なぜ発祥の地である英国において、試験管ベビーが非常に少ないのかというと、国家保健制度(National Health Service: NHS)の下で、治療費を政府が負担する優先順位の中でも体外受精が極めて低いということに起因する、とThe Economistは言っています。英国(イングランド)では、国(NHS)の医療費予算の5分の4が地方にあるprimary care trusts(PCT)という公益法人によって管理されており、医療費もここから出るのですが、不妊治療のための費用が出ることは極めてまれ。2005年の1年間で英国では45000件の体外受精治療が行われたのですが、PCTからお金が出たのは3分の1で、残りは全て個人負担で行われたのだそうです。

イングランドのケンブリッジシャーにBourn Hallという病院がある。1980年に世界初の不妊治療専門病院として作られたもので私立病院です。7月初めに試験管ベビー生誕30周年を記念して30人の「その後の試験管ベビー」とその親たちが集まり、苦労話に花が咲いたのだそうです。この病院でIVFを試みて成功したあるカップルは、NHSから「子供なしで生きることに慣れなさい」(learn to live with childlessness)と告げられ、貯金を全部はたいたうえにローンまで組んで金を工面したもので「子供を持つということが、我々にとっては非常に大切なことだったんです」(having a child was so desperately important for both of us)と語っている。

The Economistによると、現在のところ体外受精の成功率は4分の1だそうですが、今後、研究が進められると、もっと確率は高くなる。が、「NHSの現在の態度が続く限り、次なる画期的な技術開発が英国で行われたとしても、その恩恵が最も強く感じられるのは、英国以外のところでかもしれない(on current trends, even if the next big breakthrough is made in Britain, the benefits may be felt most strongly elsewhere)と言っております。

▼ウィキペディアによると「日本では1983年に東北大学の鈴木雅州らが成功して以来、約6万人の試験管ベビーが生まれたと言われている」となっています。

▼さらに7月28日付けのネット・ニュースに時事通信の記事として「HIV夫婦の体外受精、来月にも」というのがあった。次のようなニュースです。

夫と妻がエイズウイルス(HIV)に感染している夫婦に対する体外受精をめぐり、厚生労働省研究班は28日、都内で公開の班会議を開き、倫理的問題などについて議論した。実施を計画していた荻窪病院の花房秀次副院長は、個別の事例については問題ないと判断できたとして、来月(8月)にも実施に踏み切る方針を明らかにした。感染者夫婦の体外受精は国内に例がない。母子感染の危険性や、子供が成人する前に両親が亡くなる可能性などから慎重論もあり、研究班は生命倫理学者らを加え幅広い議論を続ける予定。

 

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2) 女性の酔っ払い暴力が増えている


英国の民間テレビ局、Channel 4のオンライン版によると、英国では最近、女性がアルコールを飲みすぎて、乱暴を働いたりして逮捕されるケースが増えているのだそうです。酔っ払って乱暴行為に走ることをdrunk & disorderly(略してD&D)というのですが、地方にもよるけれど、この5年間で1400件から2100件にまで増加しているところもある。

何故女性の酔っ払いが増えているのか?警察関係者が一番問題にしているのは、アルコール飲料の値段が安いことで、特にパブなどで一杯1ポンドとか、酒が安くなるhappy hour(ハッピー時間)企画などで女性客を惹きつけようとするパブが多いのだそうです。

必ずしも女性向けというわけではないけれど、英国のパブではtwo-for-oneというサービスが流行っているのだそうです。何かというと、二人連れでパブへ行って、食事でもアルコールでも二人で違う値段のものを注文すると、安い方の注文がタダになるというサービスなんだとか。アルコール教育の普及活動をしているAlcohol Concernは、このサービスも女性の飲み過ぎを助長している、と言っています。

このNPOの調べでは、英国では女性の9割が少なくとも「たまには」アルコールを飲む。飲む量ですが、2005年の調査では、ワインだと、1週間にグラスで7杯というのが平均。女性特有の飲み過ぎの理由として挙げられている中に「介護疲れ」や「仕事と家事の両立からくるストレス」などが含まれています。

アルコールの値段が安いというのも女性の飲み過ぎに一役買っているかもしれないけれど、欧州大陸では英国よりもっと安いにもかかわらず、英国女性のような問題は起きていない、と関係者は言っています。「一番大切なのは、アルコール教育」なのだそうです。

▼女性が飲んで暴れて警察に逮捕されることが非常に増えているとのことです。日本ではどうなのですかね。だけど女性が「なんだよぉ、このぉ、アタイは酔っ払ってなんかいないんだよぉ・・・!」とか言ってクダを巻くのは、哀しい。

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3) 深刻化するイラクの水不足


7月29日付けのThe Times紙のサイトによると、イラクの水不足が深刻な状況だそうです。

イラクの平均降雨量は1100〜1200ミリで普通は夏が来る前に降るのに、今年の降雨量はいつもの年の20〜30%に過ぎないそうで、これがイラク農業に与える打撃も深刻で、すでに干ばつのせいで、羊100万頭が死んだという報告もあるし、今年の小麦と大麦の生産はいつもの半分以下と推定されているそうです。

イラクにあるHamrinという主要貯水池も水量は満杯の5〜10%に落ち込んでいるのですが、地下水がすべて塩水ということで、これを掘っても人間や家畜の役には立たない。その他の土地に井戸を掘るという計画はあるけれど、実施されるにはいたっておらず、農村地帯で暮らす人々がどんどん都市部へ移住している。最近3000人がバグダッドに集まって雨乞いまでしたとのことです。一方、戦争による国内難民は280万人にのぼると見られ、この人たちもまたきれいな水が不足している。

イラク周辺の地図を見ると分かりますが、イラクに注ぐ大きな河川はチグリスとユーフラテスです。両方ともトルコが源流ですが、チグリスは直接、ユーフラテスはシリア経由でイラクに流れ込んでいるのですね。The Timesの記事によると、その2カ国でダムや貯水池が建設されたことで、イラクに流れ込む両河川の水量が過去20年で60%も落ち込んでいる。つまり干ばつ以前の問題もある。

イラク政府のLatif Rashid水資源大臣が、トルコ、シリアの両政府に対してもっと多くの水をイラクへ送り込むようにしてくれという交渉をしており、トルコはイラクからの石油と引き換えに水提供をすることに合意したけれどシリアはまだそれに応じていない、とThe Timesは伝えています。

The Timesの記事は、また「イスラエルと隣国、トルコとアラブ南部の間の緊張の多くが、実は水資源争いに関係しているのだ(Many of the underlying tensions between Israel and its neighbours or Turkey and the Arab south are related to quarrels over water.)」と伝えています。

▼最近、日本記者クラブで記者会見をしたヨルダン、イスラエル、パレスチナの関係者も言っていたのが水資源問題です。パレスチナの平和を考える会というNPOがやっているサイトにも水問題が出ています。それによると、パレスチナ人一人当たりの一日の水消費量は50〜70リットルなのに対してイスラエル人の消費は約5倍の350リットルとなっている。世界保健機構(WHO)の基準によると、一人当たりの最低水消費量は一日100リットルなのだそうです。またエルサレムにあるPalestinian Academic Society for the Study of International Affairsという組織が発行しているパンフレット"Water -The Blue Gold of the Middle East"(2002年7月)もこの問題を取り上げています。

 

4)  「通り魔事件」続発の理由


秋葉原に続いて、7月22日に東京・八王子で起こった通り魔殺人について、新聞社のサイトを調べたらざっと次のような社説が掲載されていました。それぞれ見出しと社説の最後の文章(つまり結論)だけを紹介します。

読売新聞:無差別殺傷 繰り返される身勝手な凶行
暮らしを通じて自然と善悪のけじめを身につけ、自立する力を養っていく。遠回りではあるが、そんな家庭や地域の力を取り戻していくことも考えてみたい。

産経新聞:八王子通り魔殺人 身勝手な凶行を断ち切れ
事件が起きるたびに識者からも、格差社会の問題などを指摘する声が聞かれるが、的外れではないか。そうした身勝手な理由による凶行を許さないという社会の姿勢こそ重要だ。人通りの多い繁華街には、凶行を抑止するため、多くの警察官を重点配置するのも必要だろう。

毎日新聞:八王子殺傷事件 希薄な人間関係も一因では
人間関係が希薄になる世相を背景に、淡泊な交際が好まれるとばかり無関心をことさらに装ったり、世話焼きを手控える風潮が目につく。その結果、孤独感を深めている人がぬきさしならぬ状態に追い込まれてはいないか。それぞれに人との接し方を点検する必要もありそうだ。

東京新聞:通り魔頻発 『誰でも』が止まらない
通り魔対策は難しい。せめて警察は制服警官に駅や雑踏などを多く巡回させてほしい。人の集まる量販店は週末などは警備員を増やして防犯意識を示したい。犯行が衝動的であるなら、制服を見てとどまる効果も期待できよう。

朝日新聞:無差別殺傷―この連鎖を断ち切らねば
教育の取り組みも必要だ。どの事件の容疑者も、刃物を向ける相手への想像力に欠け、痛みに思いが至っていない。そんな人間をこれ以上生み出さないためには、命の大切さを幼いころから時間をかけて学ばせるしかない。 親も子どもの成績ばかりでなく、人間としての心が育っているかどうかに目を向けることが大切だ。

社説というコラムは、それぞれの新聞社の意見を表明するところですよね。書き手個人ではなく、社としての意見というわけです。そんなものあり得るのか、よく分からないけれど、洋の東西を問わず新聞にはかならず社説というものがあるところを見ると、あり得るんでしょうね。でもこれらの社説を書いた(書かされた?)人に勝手に同情してしまうのですが、何をどうすれば、このような情けない事件が起こらずに済むのかということは、誰にも分からないのですよね。「暮らしを通じて自然と善悪のけじめを身につけ」とか「人との接し方を点検する必要」などと、いまさら言うまでもないこと。でもそうとでも言うしかない。他に言うことがないから。

東京新聞と産経新聞が「警官を増やせ」という趣旨の主張をしています。これは主張としては正しいように思えます。何をどうやっても、この種の事件はこれからも起こると考えれば、現実的には警備を強化するというのは間違っていない。テロ以来、ロンドン市内にはとてつもない数の監視カメラが設置されていて、道行く人は全て写されているのだそうです。それと同じです。それをやったから、通り魔事件は絶対に起こらないのかというと、そんなことはない。でも少しは減るかもしれない。

偶然とはいえ読売と産経が「身勝手な凶行」と同じ言葉を使って怒っています。「格差社会の問題などを指摘する声が聞かれるが、的外れではないか」というのは、社会のせいにするなってことですよね。これも当たってはいるけれど、「格差」や「貧困」「差別」などがなくならなければならないということを忘れてしまっては困りますよね。通り魔犯人が身勝手であり、それなりに裁かれなければならないことは間違いない。将来の社会的な安心のために警官を増やすというのも結構です。が、社会的な不公正(アンフェアネス)は、通り魔の問題とは関係なしに取り組まれなければならないわけで、「身勝手な凶行」を怒るのは構わないけれど、不公正を怒ることも忘れないで欲しい。

▼このような事件の報道の仕方にも問題がある、と私の知り合いのメディアの専門家が言っておりました。どの新聞もテレビも「誰でもよかった」「むしゃくしゃした」「親を困らせてやろうと・・・」という犯人の「供述」をそのまま放映し、活字にしている。この種の見出しや記事、それにテレビ番組の報道が次なる通り魔を誘発しているのではないか、というわけであります。これ、当たっていると思いませんか?でも、上に紹介したどの社説も、そのことには全く触れていません。新聞は「自分たちは全く無罪」と信じきっているようであります。

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5)伊丹十三さんの「薄ら寒い思い」

亡くなった映画監督の伊丹十三さんが『マルサの女』を作ったのが1987年ですが、その年の3月13日に日本記者クラブで講演をしています。その講演記録を読むと、日本社会の特徴のようなものについて語っており、非常に面白いと思うので、ちょっとだけ紹介します。講演録そのものは、日本記者クラブのウェブサイトに掲載されています。

日本社会についての伊丹さんの認識ですが、結論から先に紹介すると「日本人というのは、人間関係をお母さんと赤ちゃんの関係でやっている文化だというふうに言ってしまうのが、一番いいんじゃないか」ということです。お母さん型の人間は「自己犠牲的で非常に包容力があって、思いやりがあって面倒見がよくて、相手の事情がよく分かって、包み込んでくれるような人」であり、赤ちゃん型は「純真で汚れがなくて、罪がなくて、かわい気のある人」である。伊丹さんによると、日本人はこれまで、この二つの型の人間だけで世の中やっていけると考えて生きてきたのではないかとのことであります。

伊丹さんは、それに対して欧米の社会は「個々の人間を超えたところで、あるルールに従って人間が結びついていく社会」であり、そのルールの役割を果たすのが父親だ、と言っている。つまり欧米は父親的な機能が存在する社会である。日本には、まだ「父親」がいない。日本と欧米社会の違いを結婚を例にとって考えると、日本では二人が好き合っていればそれで充分。欧米ではそうはいかない、と伊丹さんは言います。

キリスト教社会ではそうはいかない。「汝、一生この男を夫とするか」と言うと、女性は「イエス」なんて言ったりするわけで、彼女は神様に向かって「この男を一生愛する」と誓うし、男性は同じように神様に向かって「この女を一生愛する」と誓う。

つまり、欧米社会では、「人間を超えたプリンシプルというか、一つ上のレベルというものがあって、それを介して二人が結びつき合う」けれど、日本にはこの「一つ上のレベル」なるものが存在しない、と伊丹さんは言っている。

で、明治維新以来、日本人は欧米的な考え方が支配する国際社会に放り出されて、「人間を超えたプリンシプルでもって人間同士が結びついているような社会の人たち」と付き合っていかなければならなかった。「なあなあ」、「ツーカー」、「和気あいあい」、「お互い腹を割って話せば分かる」というのが通用しない世界です。

▼私自身の解釈によると、「人間を超えたプリンシプル」(キリスト教の原則)は、「人間というものは悪いもの、愚かな存在である」という認識を基本にしている(よく知らないけれどイスラム社会も同じようなものなのではないかと思ったりする)。しかし日本の場合は、その種の宗教的な原則(つまり人間を超越した、天上の教えのようなもの)なしで、「水入らず」でやってきた。日本人には「お互いに人間同士、ハラを割って話せば分かるじゃないか」という感覚、つまり「人間は、特別な仕掛けをしなくても理解しあえる存在だ」という感覚が染み付いているので、そのようには考えない欧米人と付き合っていくのはタイヘンだというわけです。

そして伊丹さんが面白いことを言う。つまり、そのような欧米人たちと付き合っていくために、日本人も何か父親的なものを発明せざるを得なくなったということ。そして、とりあえず持ったのがおカネであり、おカネが「人間を超えたプリンシプル」の擬似版となった、というのです。

おカネというのは、一種の国際言語です。いまのところ日本人は、おカネを国際言語にして、人間を超えたプリンシプルということで、外国人の人たちともそのおカネという共通の原理でもって、やっとコミュニケーションしている。

というわけですが、おカネは共通項かもしれないけれど、所詮「人間を超えたプリンシプル」というものとして、欧米人と共有しているような性格の存在ではない。つまりあくまでも擬似的な父親に過ぎない。善悪の価値判断などというものとは次元の違う存在です。

否でも応でも、父親のある社会に、日本はいま強姦されたような形で、父親を擬似的な形でも発明せざるを得ない、というところに追い込まれているのではないかと思います。ただ、発明できるかどうかは、これはおいそれといく問題じゃないので分かりません。

で、父親のいない社会というだけなら、何とかなるかもしれないけれど、伊丹さんは、日本が元来持っていたはずの母親的なものも失いつつある、つまり親無し状態になりつつあると言っている。

母親も失いつつあるし、父親もまだ発明されていないわけですから、非常に具合の悪いところに日本人はいま差しかかっているんじゃないか。みんな欲望をむき出しにした子供ばかりみたいな社会が、もう目の前まで迫りつつある。あるいはコンピューターつきの白痴みたいな人たちの世の中が、目前まで迫っているんじゃないか、と非常に薄ら寒い思いをするわけですね。

そして伊丹さんは、

かといって、ヨーロッパ型の父親を生み出せばいいと思っているわけでもないし、また生み出すことができると思っているわけでもありません。これに関しては何の解決策もないというのが、正直なところです。

と言って講演を終えています。伊丹さんは、この講演をしてから10年後の1997年12月20日に自殺しています。私より8才上だから、いま生きていると75才です。

▼この講演録を読んで、私、いろいろ考えました。まず欧米社会ですが、私はそこで暮らしたことがないので、実体験としては語れません。しかしあちらの社会で父親役を果たしているキリスト教的な善悪判断のようなものが、彼らにとって重荷になってきているようにも見えますよね。結婚をするときあちらでは、お互いに末永く一緒に暮らすということを神という「父親」に誓うけれど、離婚率を見ると、アメリカは1000人あたり4.45、英国は2.89であるのに対して、日本は1.60。

▼これでは何のための「プリンシプル」なのかという気がしないでもない。尤も日本の場合、離婚率が低いのは「世間体が悪い」という、いかにも「父親のいない社会」風の理由によるのかもしれないし、欧米の人々には、女性が虐げられている社会に見えたりすることもある。しかし理由や事情はともかく、離婚率は低い方がいいに決まっているのでは?

▼伊丹さんがこの講演を行ったのはいまから21年前のことです。いまほどインターネットが発達していなかった時代です。ブログもなかったし、「自殺サイト」なんてのもなかった。通り魔事件をネットで予告などということも想像もできなかったはずです。それでも伊丹さんは「欲望をむき出しにした子供ばかりみたいな社会」「コンピューターつきの白痴みたいな人たちの世の中」が到来する予感に「薄ら寒い思い」をしている。つまり善悪の感覚もないし、世間を気にするということも全くない人たちだけがいる社会の気味悪さってことですよね。

▼自分が日本という社会からの落ちこぼれという意識が強いので、私にとって、伊丹さんのいう「母親型」の日本は必ずしも住みやすいところではない。「和気あいあい」の社会は、おそらくどこかに排他的な要素を持つ社会でもあろうと思います。自分たちのルールを守る人間は受け容れるけれど、そうでない人間はお呼びでない・・・。 西洋が「宗教」によるプリンシプルが支配する社会だとすると、母親型の日本は人間が人間を支配する社会だ、というのが私の認識です。

▼伊丹さんは「ヨーロッパ型の父親を生み出せばいいと思っているわけでもない」と言っているけれど、母親型の日本社会がなぜ崩れつつあるのかについては、いまいちはっきり言っていない。私は、人間が人間を支配するという点において、日本の母親型社会は、どのみち崩れざるを得ないし、私個人としては崩れてもらった方が住みやすい。その結果として、欧米型の父親社会だというのであれば、とりあえずはその方がマシという気がするのであります。

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6)むささびJの、どうでも英和辞典:m-o


man : 人間
MACMILLAN English Dictionaryによると、manという単語を「人間」一般という意味で使うのに反対する人が結構いるんですね。例えば「人間は(神によって)全て平等に造られている」は、普通All men are created equalと言いますね。これが女性蔑視というわけです。その場合の「人間」はhuman beingsというべきだというわけです。spokesmanでなくてspokeswomanとかspokespersonchairmanではなくて、chairperson(woman)という言葉が使われ始めたのはいつごろでしたっけ?


nimby: 地域エゴ

nimbynot in my back yardの略であることをご存知の方は多いと思います。産業廃棄物処理施設、刑務所、高速道路等など、必要ではあるけれど自分たちの町に作るのはカンベンして・・・という住民エゴというのはどこにでもある。英国のDaily Mail紙のサイトに出ていたNimby neighbours' war with wounded soldiers' families(Nimbyな住民たちが負傷兵士の家族と戦争)という見出しの記事、何かと思ったら、Surreyにあるイラクやアフガニスタンの戦争で負傷した兵士のリハビリセンター近くに、兵士の家族のための宿泊施設を作ろうとしたところ、付近の住民が大反対しているというニュースだった。

リハビリセンターそのものは出来てから60年も経つのでありますが、その地域で売りに出ていた住宅を見舞いに来た兵士の家族が泊まれるための施設に使おうとしたところ、町役場に反対の手紙が100通近く寄せられた。「クルマの渋滞がひどくなる」「地域のキャラクターが失われる」「テロの対象になるのでは?」等々の理由が挙げられていた。その町の町内会の役員は、これらの反対運動がnimbyであることを否定、This is just the wrong place and the wrong property(要するにこの地域もあの住宅もその種の施設には向いていないというだけのこと)と主張しているのですが、Daily Mail紙のサイトには"100% Nimby syndrome"(全くの地域エゴ)として批判する書き込みがわんさか寄せられたというわけ。

このエリアはどちらかというとミドルクラスの人たちが沢山暮らしているところで、町内会長も石油関連の金持ちビジネスマンというのがまずかった!?


oxymoron: 撞着

Oxymoron(オクシモロン)という英語を使ったことがある人ならともかく、「Oxymoron:撞着」ときて、サンプルとしてopen secretなどと言われてもなんだか分かりませんよね。私の持っている電子英和辞書ではそうなっていた。要するにお互いに相容れない言葉を二つ並べて何かを表現すると「それはOxymoronだ」というわけです。

例えば"act naturally"という表現は「自然に振舞う」ということですが、actは「ふりをする」という意味でもあるので「自然に」というのは矛盾している。open secret(公然の秘密)、definite possibility(はっきりした可能性)、real phony(本当のニセモノ)、small crowd(小さな群集)等々がそれにあたる。

これらは人畜無害な例ですが、皮肉を込めたOxymoronというのもある。military intelligenceはスパイのことですが、intelligenceは知能とか賢いという意味もある。「軍人が賢いはずないだろ」というのでOxymoronともとれる。corporate ethics(企業倫理)、athletic scholarship(運動選手の奨学金)程度ならまだ許されるけれどAustralian culture(オーストラリア文化)をOxymoronの例とするのは、おそらく英国人だけだろう。オーストラリアに文化なんかありっこないというのですからね。 失礼ですね。

ウィンストン・チャーチルの言葉に"A joke is a very serious thing"というのがあるのだそうです。これと似たようなもので、死んだ赤塚不二夫が彼の仲間(タモリも入っていたと思う)とコントをやって、なかなかうまくいかなかった時に発した「みんなマジメにやれよな、これ冗談なんだからさぁ」という言葉はOxymoronの典型ですね。さすがにいいセンスしている。 Oxymoronの例はここをクリックするといろいろ出ています。他にもサイトはたくさんありますが・・・。

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7)むささびの鳴き声


▼The Economistの最新のBig-Mac Indexによると、マクドナルドのビッグマックの値段がドル換算でイチバン高いのはノルウェーの7.88ドル、イチバン安いのはマレーシアの1.70ドルだそうです。Big-Mac Indexはハンバーガーの価格比較をするものではなくて、その国の通貨の対ドルレートの正当性を評価するものですが、私のような人間には値段そのものの方が身近で面白い。本家のアメリカは3.57ドル、日本は2.62ドル(約280円)、英国は4.57ドル・・・。英国の高さが目立ちますね。殆ど500円ですよ、あの、どうってことないビッグマックが。

▼いまさらですが、イチローの3000本安打というのはタイヘンな記録のようですね。あるアメリカ人の野球好きとイチローのハナシをしていたら「彼は足で稼いだ内野安打が多すぎる」と批判的なことを言っていたので「足で稼ぐ内野安打こそがイチバン、スリルがあるのだ」と教え諭してあげたことがあります。それはともかく、イチローは一軍の現役15年で3000本を打ったわけですね。1年平均200本。大リーグの年間試合数は160(かな?)。一試合必ず1本ヒットを打っていも160本しか打てないのですから、年間200本というのはすごい。

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