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むささびの鳴き声
096 復興会議と宗教・倫理

NHKラジオのニュースを聴いていたら福島第一原子力発電所の事故に関連して、ドイツ政府が原子力政策の見直しに着手していると報道していました。それを聴きながら「おやっ?」と思ったのは、メルケル政府が原子力の利用とリスクについて検討するべく「倫理委員会」なるものを設置しており、それには政治家、産業人、環境学者らとともに宗教家や哲学者も参加しているという部分だった。NHKのサイトによると、メルケル首相がこの「倫理委員会」は初会合で「原子力エネルギーを利用するにあたって危険性はどこまで許容できるのか」について話し合うと述べたのだそうである。

なぜ原子力政策の見直しを検討する委員会が「倫理」なのか?なぜ原子力の危険性を考えるのに宗教家や哲学者の意見を聴く必要があるのか?エネルギー政策を検討するのに道徳や倫理は関係ないし、参加者といえば政治家・官僚・産業人・環境保護運動家・技術者・エネルギー関係の学者のような人たちであり、宗教や哲学は関係ない(と私などは考えていた)。

いろいろとネットをあたってみたけれど、私の疑問(好奇心)に答えるようなニュース記事は見当たらなかった。ドイツ語に弱いので、Frankfurter AllgemeineやSpiegelのような新聞の英語版を見てみたけれどこれといった答えはなかったですね。そこで私としては「原発の危険性をどこまで許容するのか」を検討するということは人間の生命の価値を考えることでもある、つまり宗教や哲学にもかかわる問題である、だから宗教家や哲学者も参加するべきだ・・・とメルケルさんは考えていると想像することにしたわけです。

日本でもこれからエネルギー政策の見直しや東北地方の復興計画などについて「XX委員会」のようなものができると思うけれど、私は人選にあたってはドイツのマネをしてもよろしいのではないかと思うわけです。これから原発反対の世論が盛り上がる一方で「原発抜きでは日本の経済はもたない」という「現実論」も出てくる。そして後者の意見にはそれなりの説得力がある。原発のお陰で電力が十分に与えられる。これがなければ新幹線も、蛍光灯が異常に明るい100円ショップも、銀座のネオンも、クーラーや暖房も・・・なにもなくなるんだぜ。あんた、それに耐えられるのか?あんた自身が耐えられたとしても日本全体はどうなんだ?等々。

第二次大戦後の日本が「もう戦争はこりごりだ」というので平和憲法を受け入れたはずだったのに、長い年月を経て「非武装中立は非現実的」「中国や北朝鮮が攻めてきたらアメリカが守ってくれるか」等々という「現実論」が勝ってしまったのと似ている。

原発であれ震災復興であれ、行き着くところその国で暮らす人々の生き方にかかわるのであり、日本人が自分たちの国のあり方を考えるということは、自分の生き方や価値観について想いをめぐらすということでもある。これまでの日本はトヨタ、ソニー、パナソニック等のふるさとであることを誇りにしてきたし、おそらくこれからもそうであり続けるのだろうとは思うけれど、これからの日本や日本人が外国に誇るべきなのは、従来の意味での経済力や技術力ではなく、自然との無難な付き合い方とか、苦しさを生き延びる知恵のようなものなのだろうと思ったりする。

というわけで、耐震設計だの「津波に強いまちづくり」もいいけれど、人間の英知には絶対的な信頼はおけないことをイヤというほど知らされた日本人が、生きていく場所としての日本のあり方を考えるためには「倫理」や「価値観」(何が大切で、何がそれほど大切ではないと判断する態度)があるべきだと思うし、そのようなことを考えている人たちが「XX委員会」に参加、発言してもらうのは全く悪いことではない。メルケルさんの意図は分からないけれど、日本の「復興」には「倫理委員会」があった方がいいことは間違いない。 [2011/4/10]

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