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むささびの鳴き声
064 天谷直弘さんの不安

昨年(2007年)亡くなったアメリカのジャーナリスト、David Halberstamは、アメリカのベトナム政策を検討したThe Best and the Brightest(1972年)という本でピューリッツァー賞を受けた人ですが、1986年に出したThe Reckoningという本は、当時問題になっていた日本車の対米輸出攻勢をテーマにしたもので、日本はもちろんアメリカでもかなりの話題を呼んだものです。

当時のアメリカの世論は、日本車の進出を「不公平貿易」として反発する傾向が強かったのですが、The Reckoningは、何故日本車がアメリカで売れるのかということに焦点を当てたもので、日本の優れた教育水準などに背景の一環を求めたものだったと記憶しています。アメリカ人の間にはびこる「日本叩き」に対して「悪いのはアメリカの方かもしれない」という警鐘を鳴らしたものだったわけです。

そのHalberstamが1991年にThe Next Century(次なる世紀)という小さな本を出している。冷戦終結直後に出されたもので、テーマは、21世紀を10年後に控えたアメリカはどうあるべきか、というものだったのですが、その中でHalberstamは、日本についてかなりのスペース割いています。21世紀の世界で主役の一つになり続けるかもしれない国としての日本を意識してのことなのですが、この本を書くにあたってHalberstamがインタビューした日本人の一人が、通産省の官僚だったNaohiro Amaya(天谷直弘)という人だった。

Halberstamとのインタビューの中で、天谷さんは1989年のころの日本について、獲物のウサギをまっしぐらに追いかけるドッグレースのハウンド犬に例えて「追いかけてきたウサギが消えてしまい、どうしていいのか分からないでいる状態」だとしています。戦争で敗れてから、欧米に追いつこうと一心不乱にがんばってきて、それに成功したのですが、それでどう動けばいいのか分からないでいる、というわけです。

このころの天谷さんはすでに通産省を退官していて、Halberstamによると、日本の教育改革に情熱を注いでいるところだった。それまでの「暗記中心の詰め込み教育(teaching by rote)」から、「教養(liberal arts)」に力を入れようというのが、天谷さんの目指すところであったのですが、文部省ロビーに押しまくられて苦戦を強いられていた。

Halberstamは、天谷さんが教育改革について自分に語った言葉をいろいろと紹介しています。当然のことながら、コメントはいずれも英語で書かれています。いくつか紹介してみます。

  • いいクルマを生み出すのは、いい人間を生み出すよりはるかに易しい(it is a great deal easier to produce a good car than to produce a good human being)
  • 日本の大学入学試験は、コンピュータのような能力を持つ学生を選択するように作られている。ということは、我々は、これから必要としないような若者を作り出そうと必死になっているということにもなる。彼らができるようなことは、コンピュータが出来てしまう時代になっているのだから。The entrance exam at our universities now is designed to choose students with computerlike capabilities. That means we are geared up to producing people whom we no longer need because the computers will do what they do better than they can do it...
  • 何千年にもわたって、神と貧困が人間を律してきたが、現代では神は死に、貧困もなくなりつつある。これから人間は何によって律せられるのか?For thousands of years God and poverty kept man disciplined. Now, in the modern age, God is dead and poverty is disappearing. How will we be disciplined?

天谷さんは1925年生まれで1994年に死去しています。生きていれば83才です。David Halberstamは1934年生まれ。生きていれば74才だった。

▼私自身がこれらのコメントを面白いと思うには二つ理由があります。まずDavid Halberstamというアメリカのジャーナリストが、日本という国は素晴らしいクルマやテレビやコンピュータを生み出した国であり、これからも見習うべき点のある国ではあるが、やはり日本には日本なりの問題があるということを、日本人自身が認めていることを、アメリカの読者に伝えていたということです。

▼ややこしくて申し訳ない。つまりアメリカの現状を嘆きながら、新興勢力である日本の成功を驚きと称賛の眼で見てはいるけれど、アメリカの知識人である彼には、日本の「成功」にはどこかついていけないところがある、と感じていたのではないか?ということです。

▼次に面白いと思うのは、ものづくりの点では欧米に追いつき・追い越した(とされていた)日本について、天谷直弘という指導者が持っていた不安感の中身についてです。ガリガリの知識詰め込み教育こそが、日本の発展を支えてきたけれど、その種の教育が生む人間や日本には未来はない。だから「幅広い教養人間を生み出す教育を」と言っているのですが、天谷さんのいう「幅広い教養人間」とはどんな人間のことなのか?昔の英国にあったパブリック・スクールの人格教育のようなものをイメージしているように思えてならないわけです。

Halberstamが天谷さんにインタビューしてからほぼ20年が経ちます。その間、日本はどのように変わったのでしょうか?日本の教育は彼のいわゆる「幅広い教養人間」を生み出す方向に向かっているのでしょうか?私の想像によると、天谷さんが考えるような教育をしている学校も少しはあるかもしれないけれど、それは本当に一部のエリート層の人たちのための学校で、圧倒的多数は、本質的には昔と変わらない「詰め込み・画一教育」をやっている。

▼「国際化社会で生き抜くために」小学校から英語を教える・・・というのはその一つですね。天谷さんが生きていたら、このことはどのように評価するのでしょうか?私としては「とにかく肉体的・物理的に生きているだけで御の字」という教育をすればいいのに・・・と思ったりしています。「国際化」だの「幅広い教養」だのは、はっきり言ってどうでもいい。 その意味で、 天谷さんの最後のコメント(神と貧困)がとても面白い。


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