musasabi journal

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448号 2020/4/26
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BREXIT 美耶子の言い分 美耶子のK9研究 むささびの鳴き声 どうでも英和辞書

むささび夫婦とワンちゃんが暮らしている小さな敷地にはカエデの木が植わっています。最近、葉っぱが生い茂るようになりました。あとひと月もすると、鬱陶しいくらいになる。葉っぱを見ながらしみじみ感心します。よくこれだけ毎年毎年同じことを繰り返すもんだ、と。もちろん「同じ」ではありません。樹木自体が太くなっているはずです。というわけで、飽きもせずに448回目のむささびです。

目次

1)MJスライドショー:ロックダウンと笑顔
2)コロナ禍を繰り返さないために
3)マスクは役に立つのか?
4)私たちがチェルノブイリで暮らす理由
5)どうでも英和辞書
6)むささびの鳴き声



1)スライドショー:ロックダウンと笑顔


ロンドンから北へ電車で40分ほど行ったところにBedfordという町があります。人口は約10万、典型的な通勤者コミュニティですが、現在はロックダウンの真っ最中で、住民は家から出ることもままならないという状態が一か月以上も続いている。そこで暮らす女性の写真家が家の中に閉じ込められているような近所の住民を写真撮影して "Life Through Windows" というタイトルでSNSに投稿して話題を呼んでいる・・・とBBCのサイトが伝えていました。

この写真家はチアラ・マコール(Chiara Mac Call)というイタリア系の英国人で、母親はイタリアで暮らしているのですが、身体の調子が良くないとのこと。すぐにでも飛んでいきたいところではあるけれど、英国もイタリアもロックダウン状態だから全く身動きがとれない。不安を感じながら毎日を過ごす中で思いついたのが、自分の不安を解消するために、近所の人びとに「こんにちは」と声をかけ、彼らが自分に手を振ってくれる様子を窓の外から撮影して回ろうというアイデア。

それらの写真を発表するについては、被写体の了解が欠かせないわけで、それぞれと話をして了解を得たうえで、窓から手を振ってもらうという方法をとっている。当然、いわゆる「安全な空間」(social distancing)は確保されているし、窓の外からの撮影なので危険性はゼロ。被写体になった母親の一人は「誰かと一緒にいること(act of going to someone)だけで充分嬉しい、写真は副産物みたいなもの(photo is the by-product)」と言っているとのことであります。

▼ロックダウンなんて、誰だって嬉しいはずがないけれど、この女性写真家のプロジェクトに参加して窓越しに笑顔を見せて手を振る人びとの表情に、ある種の必死さを感じるのはむささびの思い込みだけではないように思うわけよね。

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2)コロナ禍を繰り返さないために


ちょっと古いけれど、3月16日付のSocial Europeというヨーロッパの時事問題を扱う雑誌のサイトに "Preventing the next virus outbreak"(次なるウィルス感染を防ぐために)というエッセイが出ています。書いたのはイスラエルのテルアビブ大学で政治学を学ぶマイカル・ローテム(Michal Rotem)という博士課程の学生(のようです)。起こってしまったコロナウィルスへの感染防止というのではなくて、将来も同じようなことが起こらないようにするための提言を意図しており、メッセージは次のようになっている。
  • コロナウィルスは自然が起こした災害ではない。それは動物および人間の福祉を軽視した農業の在り方が起こしたものなのだ。 The coronavirus is not a natural disaster but the outcome of a system of agriculture subordinating animal, and human, welfare.


筆者によると、コロナウィルスのルーツを探るためには1970年という年に遡る必要があるというのが中国における科学者の一致した意見なのだそうです。その年、中国で飢饉が起こり3600万もの人 が命を落とすということがあった。その責任の一端は食糧生産をコントロールしていた共産党政府にある、というわけで1978年になって農業への国家の介入を止めてこれを民営化する方向に変わったのだそうです。

当時の中国の農業といえば、食肉用の動物(鶏・豚・牛など)を飼育し、米や麦を生産するというのが一般的だった。が、農業の民営化後に、一部の農家がコウモリ、蛇、亀のような「野生動物」を飼育・販売するようになった。実際には違法だったのですが、政府は見て見ぬふりという態度をとった。そして1988年になって法律が改正されて野生動物の捕獲・販売が大っぴらに認められるようになった。筆者によると、1988年の法改正が示すのは、野生動物の売買がもたらす経済効果に気が付いた政府が野生動物を「自然資源」(natural resource)と見なし、人間の必要に応じて利用しても構わないということにしたということである、と。



この法改正によって野生動物の売買は産業界にとっては興味深いビジネスとなり、サイ、狼、ネズミ、ワニ、アヒル、ヘビ等々、実にいろいろな野生動物が売買の対象となった。ただ、同じマーケットにいろいろな動物が大量に共存するようになると、ある動物にまつわる病が別の動物に感染するということが起こるようになった。その中に「人間」も入っていたというわけです。2003年になって広東省のマーケットからSARSウィルスが広がった。その源はハクビシン(masked palm civet)というアジアの野生動物だった。SARSウィルスは71か国に広がり774人の死者を出した。それ以後は中国政府は野生動物を食用とする業界を支援することを中止した。

野生動物の食肉生産は業界としてはごく小さなもので、中国のGDPへの影響も大したものではなかったけれど、これが禁止されるのは業者たちにしてみれば死活問題であり、彼らは生き残りをかけて、野生動物の取引を可能にするべく懸命のロビー活動を展開した。それが功を奏して数か月後に中国政府は54の野生動物については取引を許すという改正を行った。2016年になると、これがさらに広がり、トラ、アリクイなどが取引可能な野生動物に加わった。その3年後の2019年末になってコロナウィルスが爆発した。科学者たちは病原をコウモリであるとした。コウモリがウィルスをアリクイにうつし、それが武漢の市場で売られることで人間の身体の中へと入って行ったというわけです。



2003年にSARSウィルスの発生源となった広東省とコロナウィルスを生み出した武漢のマーケットの間には共通点がある。非常に混雑したスペースに極めて多種類にわたる動物が混在していたということがそれで、そのことがウィルスの感染を許す結果に繋がった、と筆者は言っている。

今回のコロナ禍後、中国政府は(かつてと同様に)野生動物の売買を禁止したのですが、世界中の業者が中国政府に対して規制緩和を期待しているといわけです。獣医学者であり感染学者でもあるジョナサン・エプスタイン(Jonathan Epstein)は「ウィルス感染は人間の活動が起こすものであって、動物に罪はない」(epidemics occur because of human activity—it is not the animals’ fault)と言っている。


ウィルス感染は野生動物の売買が原因で起こるのか?それとも取引される動物が暮らしている環境によって生まれるのか?おそらく両方だろう(Probably both)と筆者は言います。2009年に起こった豚インフルエンザによる感染の源はメキシコのラ・グロリアという町であるとされているのですが、そこには豚を飼育する豚小屋が数多く置かれていた。かつて英国などで起こった鳥インフルエンザや狂牛病についても、似たような背景があった。
  • 他の国の人間が食さない動物を食べるからと言って、中国人を責めるのは間違っている。トラを殺すのも牛や鶏を殺すのも同じことだ。問題は動物の種類ではなく、動物が置かれた状態なのだ。The Chinese should not be judged for consuming animals others do not—there is really no difference between slaughtering tigers and cows or chickens. The main problem is the conditions, not the species.
と言う筆者が主張するのは、動物に対してもっとまともな住環境(more liveable conditions)を与えるということであり、動物をあたかも工業製品であるかのように扱うことを止めるということです。


ウィルスの問題を解決するためにワクチン開発に精を出すというのは、傷の手当てをするのにバンドエイドを貼って済ませようとするのと同じであり、根本的な解決にはならない。動物愛護(animal welfare)を人間にとっても必要なことと考える必要がある、というわけで、結論は
  • 動物愛護は即ち人間愛護でもある。動物に対して人間がとる行動の意味するところを、単に道徳上の観点からではなく、(人間の)健康という観点からも考える時が来ている。さらに言うならば、これは環境問題でもあるということだ。 Animal welfare—human welfare. It is time to think about the implications of our actions for animals, not just in terms of morality but also health. And of course (but that’s another topic) the environment.
となっています。

▼この筆者の言っていること(動物愛護=人間愛護)には大いに頷くのですが、ちょっと不思議なのは、冒頭部分で言っている「1970年の飢饉」というのが、ウィキペディアなどには書かれていない。1960年ごろには実際に起こったようなのですが・・・。

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3)マスクは役に立つのか?

コロナウィルスに絡んで、日本では安倍政府が全世帯に布製のマスクを2枚ずつ配布するという「アベノマスク」が顰蹙を買っているけれど、4月19日付のSpectator(保守派のオピニオンマガジン)のサイトに「マスクに効果はあるのか?」(Do face masks work?)というエッセイが載っています。書いたのはジョン・リー(Dr John Lee)というお医者さん。

結論から言うと、マスクをつけてもウィルスから身を守ることにはならない。では、あなた自身が感染者であった場合、マスクの着用によって他人にウィルスをうつさなくなるのか?これについてもはっきりとイエスと言えるような証拠はない、むしろ「うつすかもしれない」ことを示す証拠の方がたくさんあるとのことであります。


ジョン・リーの言っていることを詳しく紹介したいのですが、いまいちよく分からない部分があるので止めておきます。ただマスク万能論に対する彼の疑念の根拠として書かれているウィルスなるもののサイズの小ささだけは、むささびにも理解できる数字なので、その部分だけ紹介します。

そもそも「ウィルス」ってどんな大きさのものなのでありましょうか?人間の髪の毛の太さをご存知ですか?1ミリの10分の1なのだそうです。では「バクテリア」と呼ばれるものの大きさは?1ミリの1000分の1、つまり髪の毛の太さの100分の1ということ。では、問題の「コロナウィルス」なるものの大きさは?答え:バクテリアの10分の1(!)。何それ!? 答え:「1ミリの1000分の1」の10分の1、即ち1ミリの1万分の1ということ。「1ミリの1万分の1」などと言われても何だかよく分からないけれど、コロナウィルスは髪の毛の横幅の上に1000個並ぶことができる、そんな大きさなのだそうであります。


で、マスクですが、使われている材料によって値段が違ってくるけれど、一番安い材料(衣服に使われる布地)の場合、気孔(pore)のサイズは頭髪の太さの1~5倍だからウィルスの侵入防止という点からすると全くの役立たずである、と。医療用のマスクに使われている布の気孔はそれよりはるかに細かくて、服地のそれの1000分の1だから侵入物はかなりさえぎられる。とはいえウィルスの粒の約3倍はあるのだから絶対安全ではない。英国の健康安全局がインフルエンザ・ウィルスを使って調べたところマスクの裏側の空気中に生きたウィルスがしっかりと貼りついていたのだそうです。

▼この記事とは全く無関係ですが、フィンランドの公共放送YLEのサイト(4月17日)によると、コロナウィルスの感染防止のために中国から輸入された医療用マスクを利用した医療関係者の間でアレルギー症状が頻発しているというわけで、このマスクの輸入に関係した(とされる)国家緊急備蓄局のトップが辞任に追い込まれたとのことであります。YLEによると、このトップはある有名人が経営する企業から1000万ユーロ(約1億2000万円)相当の医療品(マスク30万枚、人工呼吸器6万個など)を買い付けたのですが、その中のマスクが関係者の間でアレルギー症状を引き起こしているとのことです。

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4)チェルノブイリで暮らす理由
 

チェルノブイリの原発事故が起きたのは1986年4月26日のことだった。4号炉で炉心がメルトダウン後に爆発、約30万人もの周辺住民が避難を余儀なくされた。事故が起きたのはソ連崩壊前のことで、ウクライナは「ソビエト社会主義共和国」の一つだった。あれから34年経っているのですが、最近のBBCのサイトに “The people who moved to Chernobyl”(チェルノブイリに移住した人たち)という記事が掲載されていました。


あの事故が起こった直後には原発エリアから約30万人の住人が強制的に立ち退かされ、原子炉から30キロのエリアが立入禁止区域とされた。が、当時でさえも命令に背いて立入禁止区域内に住み続ける人たちがいた。そこに住むのは厳密に言うと違法なのですが、殆どが70~80代の高齢者で、人数にすると130~150人程度というわけで、当局も見て見ぬふりをしている。

ただ、BBCが取り上げたのは、立入禁止区域内に違法居住する人ではなく、チェルノブイリからはほぼ1000キロも離れたウクライナ東部のトシュキブカ(Toshkivka)という工業都市から引っ越してきた母親と娘二人の家族のことです。原発事故が原因で住む人も殆どいなくなり、残されたのはひと気もない廃墟のような集落だった。にもかかわらず、4年前の2016年、彼らがあえてチェルノブイリ近辺に引っ越してきたのにはそれなりの理由がある。


ウクライナ東部は、2014年のロシアによるクルミア半島(ウクライナ領だった)の併合を機に対ロシア内戦の舞台となり、巻き込まれた住民1万人が死亡、200万人が住居を失って国内難民のような状態になった。後になってチェルノブイリに移住することになる、母親のマリーナ・コバレンコと二人の娘(イリーナとオリーナ)の3人家族はウクライナにおける石炭産業の中心地であるドンバスという県で暮らしていた。しかし毎日のように続く爆撃の中で、母親のマリーナは「とてもここでは暮らしてはいけない」と心に決めた。

でもドンバスを出てどこへ引っ越せばいいのか?というわけで思いついたのがチェルノブイリだった。もちろん立入禁止区域の中で暮らすわけにはいかないけれど、それに近い場所であれば住宅費も安いであろうし暮らしも戦闘地域よりは楽に違いない・・・と思ったのはマリーナたちだけではない。他にも10家族ほどが同じような行動をとることになり、ドンバスから北へ約1000キロも離れたチェルノブイリへ移住した。彼らが実際に落ち着いたのはステシキナ(Steshchyna)というチェルノブイリ近郊の村落だった。


そこにある住宅は、いずれもあの事故以来、誰も住まなくなって放置されてボロボロになったものばかりではあったけれど値段は200~300ドルだった。それでもひと月183ドルの生活保護(state benefits)が唯一の収入源だったマリーナらにとっては手の届く値段ではなかった。そこで村役場が申し出たのが、独り暮らしの認知症の老人と一軒の家をシェアする(家賃ゼロ)というアイデアだった。その老人はマリーナらと暮らし始めてから2年目の2018年に亡くなった。住宅はマリーナ一家のものになった。

この辺りは冬は氷点下20度にもなるけれど、電気とガスはあるし、インターネットに繋がるような電話システムもある。難点はトイレが住宅の外にあることと、井戸水が必ずしも清潔ではないので、飲料水として使うときは沸騰させなければならないということ。娘たちは片道5キロの道を歩いて学校へ通っているけれど、学校へ行かない日は、庭の畑で野菜を育てる以外に鶏、ウサギ、ヤギなどの飼育にも精を出している。いずれも毎日の食糧になるものです。


マリーナらが暮らす村は、チェルノブイリの立入禁止区域から30キロほど離れたところにある。放射能の心配はないのか?ウクライナ農業放射線学会(Ukrainian Institute of Agricultural Radiology :UIAR)によると、空気中の放射能についてはもう心配はないけれど、場所によっては土壌が汚染されているところもあり、住民の健康には脅威(threat to people’s health)となる可能性もあると言っているのだそうです。この村へ移住してくるについて、マリーナらも放射能について考えはしたけれど、毎日が戦争の町で暮らすよりははるかにいいという結論になった。
  • 放射能で死ぬとしてもゆっくりよね。撃たれたり爆撃されたりするのとは違う。戦争のそばで暮らすくらいなら放射能の方がましだわ。 Radiation may kill us slowly, but it doesn't shoot or bomb us. It's better to live with radiation than with war".
というのがマリーナのコメントであります。

▼放射能によって徐々に身体をむしばまれることがあったとしても、ロシアによる銃撃や爆撃で殺されるよりはマシだという感覚・・・むささびなどの理解の域を超えますね。ウクライナにおけるコロナウィルスですが、感染者は約6600人で、死者は174人だそうです。感染者に対する死者の比率は2.6%、人口10万人あたりの死者数は0.39人だそうです。ロシア(感染者数:約6万)に比べると感染者数はぐっと少ないのですが、ロシアにおける感染者:死者の比率は0.9%、人口10万人あたりの死者数は0.36人だそうです。

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5) どうでも英和辞書
A-Zの総合索引はこちら 


teleworking: 在宅勤務

4月7日に行われた安倍首相の記者会見における首相の冒頭発言の中に次のような下りがあります。
  • この緊急事態を1か月で脱出するためには、人と人との接触を7割から8割削減することが前提です。これは並大抵のことではありません。これまでもテレワークの実施などをお願いしてまいりましたが、社会機能を維持するために必要な職種を除き、オフィスでの仕事は原則自宅で行うようにしていただきたいと思います。
テレワークは、会社で行う仕事を自宅でやること。むささびは、この言葉を聞いたのはこれが初めてだった。「ヘンな言葉だなぁ」と思ったのですが、ケンブリッジの辞書には次のように説明されている。
  • the activity of working at home, while communicating with your office by phone or email, or using the internet
正に「在宅勤務」ですよね。“teleworking” の ”tele-”は「離れた場所で」(at or over a long distance)を意味する接頭語で、telephone, telegraph, telescopeなどはよく知られている。言葉を使うことなく意思疎通が行われることを「テレパシー」(telepathy)と言いますよね。"I know by telepathy what he has in his mind."は「あいつとは以心伝心の仲だから」という意味(気持ち悪い!)。

コロナウィルスが故の「在宅勤務」はもちろん英国でも行われており、3月13日付のBBCのサイトに "How to work from home, the right way"(在宅勤務の正しい在り方)というかなり長いエッセイが掲載されています。ただ、このエッセイに関する限り"teleworking"という言葉は一回も使われていません。「テレワーク」という言葉を間違っているなどと言うつもりは全くないけれど、「普通は使わない」という類の言葉なのでありませんかね。"working from home"の方が分かりやすいのは確かだよね。
 
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6)むささびの鳴き声 
▼4月19日付の朝日新聞のサイトに『食欲ない…でもうどんなら』という記事が出ていました。在宅栄養専門管理栄養士と呼ばれる女性の体験談を語っているのですが、60才で亡くなったある女性を見舞ったとき、「今、何食べたいですか?」と聞いたところ、返事は「何も食べたくない」というものだった。既に「末期」で、食欲がない状況だったのですが、しばらくしてその人はぼそっと「丸亀うどんなら食べたい。温かいうどんが好きなの」と言ったのだそうです。で、栄養士さんは彼女のために自宅での「うどんパーティー」を計画したのですが、それが実現する前日にその患者さんは亡くなってしまった。

▼朝日の記事が紹介しているのは、亡くなった人のことではなくて、この栄養士が企画した「最期の食事」に協力を申し出た丸亀製麺という全国チェーンの企業の姿勢です。本来、このチェーンでは出前もテイクアウトもしないことになっていたのですが、栄養士さんに頼み込まれた本社の幹部が快諾、出前でもテイクアウトでもなく、自社のスタッフを患者宅に派遣することでパーティーを実施することになった。それ自体は実現しなかったのですが、この経験を機に丸亀製麺では、終末期医療に関わる介護施設や病院や家族にできたてのうどんを提供する取り組みを始めたのだそうです。

▼その記事を読んで「自分なら死ぬ間際に何を食べたいと思うだろうか」と考えた。あなたは何ですか?アタシは夏ミカンの皮を切り刻んでつくだ煮のように甘辛い味をつけた、あれかもな。ミセス・むささびが作ってくれるのですが、アタシの好物なのであります。でもなぁ、死ぬ間際になって「夏ミカンの皮」なんて言われても困るだろうな。となると「玉子とじソバ」かな。

▼朝日新聞のこの記事は、読んだあとでいろいろと想像をめぐらすことができて楽しかった。その反対がNHKのサイト(4月15日)に出ていた『“対策なければ最悪40万人以上が死亡” 厚労省専門家チーム』という記事。厚生労働省がコロナウィルスの感染拡大を防ぐために立ち上げた「専門家による対策チーム」が記者会見を行って、「外出自粛などの感染防止対策を何も行わなかった場合、重篤な患者は合計でおよそ85万人に上り、最悪の場合、およそ40万人以上が死亡する」と述べたという、あれ。

▼この記者会見はほぼすべてのマスコミによって何度も何度も報道されましたよね。むささびが不愉快だと思うのは、この専門家たちの言っていることではなくて、それをそのまま報道するNHKを始めとするメディアの姿勢です。ほぼすべてのメディアがこれをそのまま報道し続けた。結果として、かなりの数の日本人のアタマに「40万人以上が死亡」という言葉が焼き付いたと思います。おかげで誰もが外出を控えようと思うようになる・・・それがこの記者会見を主催した厚労省の狙いであったわけですが、メディアはその狙いを実現することに盲目的に協力した。

▼それに関連するのですが、フェイスブックを見ていたら「日本マスコミ文化情報労組会議」(MIC)という、新聞記者や放送記者たちが作る労働組合が組合員を対象に「報道の危機」に関するアンケートを実施したということが出ていました。それによると、新型コロナ報道について「感染防止のため現場取材ができず、当局発表に流されていく」などの声が多数寄せられたとのことでした。上記の厚労省における「対策なければ最悪40万人以上が死亡」という専門家の発言などはその典型例なのでは?アンケート調査への回答例をいくつか紹介すると次のようになる。
  • 記者勉強会で政府側から「医療崩壊と書かないでほしい」という要請が行われている。
  • (医療崩壊という言葉について)政府や自治体の長が、「ギリギリ持ちこたえている」と表現すると、それをそのまま検証もせずに垂れ流してしまっている。
  • 官邸記者が政権に都合の悪いニュースを潰したり、番組にクレームをつけるのは日常茶飯事。
▼アンケートを主宰した日本マスコミ文化情報労組会議は「大本営発表に染まった戦前の報道の過ちを繰り返してはならない」と言っているのですが、読者や視聴者としてコロナ報道に接していると、いまのメディアはすでに「戦前の過ち」を繰り返しているとしか思えない。もちろん記者・編集者本人たちは「過ち」だなんて思ってもいないのよね。お願いだから「みんなで『上を向いて歩こう』を歌ってがんばりましょう!」などと呼びかけるのは止めて欲しい。

▼昨日、園芸用の土を買いに近所のホームセンターへ行ったのですが、駐車場がいっぱいだった。親子4人連れという人たちも結構いました。「密」もいいとこ。本日もいい天気です。お元気で!

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