musasabi journal

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445号 2020/3/15
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BREXIT 美耶子の言い分 美耶子のK9研究 むささびの鳴き声 どうでも英和辞書

コロナコロナとあたふたしている人間をしり目に、春は確実に近くなっているようです。上の写真は埼玉県の山奥に咲いているイヌフグリの花です。小さな花なのですが、毎年確実に出てくれます。

目次

1)スライドショー:バンクシーの落書きアート
2)ウィルス騒ぎを信用しない理由
3)武漢からの便り
4)日本人とパスポート
5)どうでも英和辞書
6)むささびの鳴き声


1)スライドショー:バンクシーの落書きアート


このYoutubeは画面を大きくして見た方がいいと思います。

バンクシー(Banksy)は英国の「落書き芸術家」(graffiti artist)と呼ばれているのですが、BBCのサイトは彼のことを「有名だけど名無し」(famous - but anonymous)と呼んでいる。誰も彼の名前も年齢も知らない。いわば「謎の芸術家」ということになる。作品はいずれもステンシルを使ってビルの壁や塀の上に描かれているのですが、どれも見事としか言いようがない。興味深いのは彼の落書きを撮影した写真です。写真には落書きはもちろんですが、それに見入る通行人も見事に入っていて、まるで見物人が落書きの一部であるかのような錯覚に陥ってしまう。朝日新聞によると、過去20年間、スティーブ・ラザリデスという写真家がバンクシーの作品の撮影を担当しているらしい。彼によると、自分もバンクシーもイングランドのブリストル出身だそうです。

この春、バンクシーの作品を集めた個展が日本で開かれるとのことで、ネット情報によると、会期は3月15日~9月27日で会場は「横浜・アソビル」となっている。ここをクリックすると、この個展のサイトを見ることができますが、「現時点では中止・延期等の予定はありません」と書いてある。結構じゃありませんか、がんばれ・バンクシー!

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2)「ウィルス騒ぎ」を信用しない理由



3月9日現在、英国におけるコロナウィルスの感染者(陽性)は273人、死者は3人というわけで、イタリアやフランスなどに比べると大したことないという感じですが、それでもメディアは大騒ぎで、連日のようにトップニュース扱いで伝えています。そんな中で3月6日付のGuardianに、同紙のコラムニスト、サイモン・ジェンキンズ(Simon Jenkins)が「私がコロナウィルス騒ぎを信用しない理由」(Why I’m taking the coronavirus hype with a pinch of salt)という見出しのエッセイを寄稿しています。


ジェンキンズは1943年生まれだから今年で76才になる。イブニング・スタンダードやタイムズの編集長、ナショナルトラストの会長をやったこともある人で、英国でも最も尊敬されているジャーナリストの一人です。その彼によると、現在のような「危機」に乗じて国民の間にパニックを引き起こし、権威への従属を求めようとするような人間は公的な立場から追放されるべき(should be dismissed from public office)である、とのことです。



ジェンキンズが特に苦々し気に語っているのが、首相であるボリス・ジョンソンと彼の取り巻きたちの行動です。必要もないのに防護服を着用してみたり、国家安全保障会議(Cobra)では、厚生大臣のマット・ハンコックを押しのけるように発言している。かと思うと、ボリスの部下たちはコロナウィルスとの「戦闘計画」(battle plan)なるものを書き上げたりしている。それによると、今後英国人の8割がこのウィルスに感染する「かもしれない」(“might be” infected)し、死者は50万人にのぼるかもしれない(500,000 might be dead)などと書いたりしている。

ジェンキンズに言わせると、最近のボリス・ジョンソンは、戦争指導者だったウィンストン・チャーチルのような雰囲気を醸し出そうとしているのだそうです。首相官邸で行われた記者会見では、二人の科学者を自分の横に侍らせ、延々27ページにもわたる非常事態に備える戦略を読み上げ、場合によっては退役医療関係者や退役軍人たちを再び呼び戻すこともやぶさかではないとさえ宣言していた。まさにボリス将軍の軍事演習という雰囲気であった。

 
日英首相の会見比較
▼上の写真は英国のジョンソン首相と日本の安倍首相が、それぞれの官邸で行った記者会見の様子です。上はボリスで3月3日、下が安倍さんで2月29日に行ったもので、両方ともテーマはコロナウィルスへの対応だった。ボリスの会見では、彼の両側に専門家が二人控えていて政府によるコロナ対策の詳細を説明したのだそうです。

▼一方、安倍さんの会見では、いわゆる専門家が同席することはなくて、シンゾーにとっての頼りは向かって右側に見えるプロンプターが映し出す原稿というわけ。つまり首相が「専門家」や「官僚」の代わりにしゃべるという形をとった。

ここをクリックするとボリスの冒頭発言を読むことができるのですが、最後の方で感染防止のための手洗いの重要性に触れて「石鹸と熱いお湯で、ハッピーバースデーの歌を2回歌うまで洗い続けてください」と言っている。むささびも試してみたのですが、手を洗いながらこの歌を2回というのは長いですよ!
 
ジェンキンズはまた「ヒステリーに感染する前に歴史を思い出してみよう」と読者に呼び掛けている。1997年の鳥インフルエンザの際は世界中で数百万人が死ぬと言われたけれど、そのようなことは起こらかなった。1999年にはEUの学者たちが「50万の英国人が狂牛病で死ぬ可能性がある」と言ったのに、実際に亡くなったのは177人だった。2003年のSARSの際は、数千万人(tens of millions)が死ぬ可能性が25%とさえ言われ、エイズよりも怖ろしいと言われた。2006年に再び鳥インフルエンザが起こったときは「21世紀最初のパンデミック」とさえ言われた。次に起こった2009年の新型インフルエンザ(swine flu)の際は、政府の医療関係者が6万5000の英国人が死ぬ可能性がある(65,000 could die)と宣言したけれど、実際に死んだのは214人だった。

▼上のグラフは英国のIPSOS-MORIという世論調査会社が行ったコロナウィルスに関係した国際世論調査の結果です。北海道が行ったような一定の地域全体を「隔離」することによってウィルスの感染拡大を防ごうというやり方について、それぞれの国の人びとに意見を聞いたものです。どこの国でもそのやり方については支持する声が高く、「やり過ぎ」という意見をかなり上回っています。特にベトナムの場合は9割が賛成です。日英を比較すると、英国人の方がこの発想に好意的であるようです。この調査は2月28・29日に行ったものです。

政府のアクションプランは、コロナウィルスが極めて伝染性が強いことを強調しているけれど、ジェンキンズが医療関係の専門家に取材した範囲では、誰もがごく冷静で、それほど慌てた様子もなかった。彼によると、騒いでいるのは政治家とメディアだけ。彼らはウィルス禍であれテロ事件であれ、読者や視聴者の前で大騒ぎすることになっている。BBCのキャスターは毎日のように「英国のために手洗いを励行しよう!Wash hands to save the nation」と言っている。BBCは石鹸業界からお金をもらっているのではないかとジェンキンズは皮肉っている。

ジェンキンズはエッセイの最後で「もちろん私自身が間違っているかもしれない。私自身が感染するかもしれないし、死者が何百万人にものぼるることだってないとはいえない」(Of course, I could be wrong. I could get ill. Millions could die)けれど、反対に「春の到来とともにこのピンチも消えてしまう可能性だってある」というわけで、次のように結論しています。
  • 今のところ言えるのは、ウィルス関連の記事を読む中で「かもしれない」(might)、「可能性がある」(could)、「おそらく」(possibly)、「最悪の場合」(worst-case scenario)のような言葉が見つかったら、そこで読むのを止めよう。でないと戦争トークを吹き込まれるだけだ。彼らに洗ってもらいたいのは、手であって、脳ではないのだ。 So for the moment, if you see a virus story containing “might” “could” “possibly” or “worst-case scenario”, stop reading. You are being fed war talk. Let them wash your hands, but not your brain.

▼サイモン・ジェンキンズの文章の中で(むささびが)最も重要だと思うのは「危機に乗じて国民の間にパニックを引き起こし、権威への従属を求めようとするような人間」という部分です。ジェンキンズはボリス・ジョンソンのことを言っているのですが、これこそシンゾーについて言われるべきであることは100%間違いないわけよね。自分の手で憲法「改正」をもくろむシンゾーにとって、コロナ騒ぎこそが自分の強いリーダーシップを見せつける格好の機会を提供するものなのだから。

▼英国の世論調査などに見る限り、コロナ問題については「ジョンソン首相は良くやっている」という意見が多い。にもかかわらずジェンキンズはそれを「権力者への従属」として批判しているわけです。ジャーナリストとしてのそのような姿勢も大いに称賛に値すると思うわけです。「多数意見=正しい意見」ではないことを身をもって主張している。

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3)武漢からの便り


2月22日付の書評誌"London Review of Books" (LRB) のサイトに、ちょっと変わったエッセイが出ていました。「武漢からの便り」(The Word from Wuhan)というタイトルが示すとおり、いわゆる「新型コロナウィルス」がテーマなのですが、筆者のWang Xiuyingという人がどのような人物なのか分からない。中国人であることは分かるのですが「筆者紹介」として
  • Wang Xiuying is a pessimist who’s trying hard to self-quarantine. 懸命に自己隔離をしようとしている悲観論者
としか書かれていない。ただエッセイの内容がどこかとぼけていて、本人はそのつもりはないのかもしれないけれど、ユーモアさえ感じさせる。Wang Xiuyingという名前で検索すると、いずれも女性だった。これって女性の名前ですかね。はっきりしているのは、いわゆる「普通の中国人」ではなくてインテリ層に属する人物なのであろうということです。エッセイは3000語を超えるかなり長いものですが、むささびの独断で面白いと思った部分だけ一人称で抜き出します。まずは彼女の自己紹介と思われる部分から。

武漢からの便り
The Word from Wuhan
Wang Xiuying


2003年にSARSの感染問題が起こった時、私は上海にある大学院の学生だった。上海はウィルスの発生源ではなく、感染者も8人だけだった。人口1700万の町における8人だから、大学のキャンパスも隔離されるようなことはなかったし、警戒心を振りまくようなSNSもなかった。夏が過ぎるとウィルスもどこかへ行ってしまった。Summer came, and the virus waned.

1万3986皿の宴会料理

コロナウィルスの発生源である武漢が封鎖されたのが1月23日、それから現在(2月22日)までの一か月間、中国人の生活は意図的な誤報(misinformation)と偽情報(disinformation)に振り回されたと言える。武漢封鎖の前、専門家たちは、このウィルスが人から人へ伝染するという証拠はないという理由で「パニックに陥る必要はない」と言っており、すべてが「いつも通り」(as usual)だった。武漢では春節の始まりを記念する大々的な宴会が予定されていた。4万の家族が招待され、1万3986皿の料理が用意されていた(これは宴会のために用意される皿の数としては世界新記録)。そんな状態だったからウキウキ気分の武漢の人びとに「公衆衛生」に直結する話題など提供できるはずもなかった。
 

▼筆者によると、中国ではこのような災害・災難のような場合は赤十字に寄付をするというのが普通なのだそうです。赤十字に集まったお金が必要に応じてさまざまな地域に送られるシステムになっているのですが、最近の赤十字は幹部の女性が外国のブランド品を身につけてみたりして、SNSなどでは評判が悪いのだそうです。

義援金の行方

武漢赤十字(Wuhan Red Cross)は、他の地方赤十字と同じでスタッフが非常に少ない。せいぜい10人程度しかいない。赤十字は世の中で何事も起こっていないような場合は悪い職場ではない。殆ど何もしなくても公務員と似たような給料だけは貰えるのだから。You get paid for doing next to nothing. もちろん赤十字に職を得るために公務員試験のような難関があるわけではない。今回、武漢赤十字は全国から寄せられる寄付(金銭のみならず品物もある)の洪水にのみ込まれてしまった。さまざまな荷物が中国内外から寄せられるけれど、物置に山積みされたままになっている。病院の関係者が赤十字に接触するためには公的な紹介状が必要となる。苦労してそれを取り付けて赤十字に入ることができたとしても、山積みになった寄付品のボックスから必要なものをより分けるのに一苦労というわけだ。


赤十字以外にもう一つ公的な機関として武漢慈善協会(Wuhan Charity Federation)というのがある。この組織は今回、一般からの寄付として約30億元(=3億ポンド=390億円)を受け取った。この金の使い道についてさんざ議論した挙句にでた結論が、27億元を武漢市当局に手渡すということだった。このことが何を意味するのか?
  • こんな金をもらっても困る。責任が持てない。自分たちは10%だけもらってあとはアンタらにお任せする。This is too much money and responsibility for us. We’ll take 10 per cent, you handle the rest.
ということだ。言うまでもないけれど、これら寄付金のある部分は配布さえされない・・・などということは「噂」に過ぎず公的には否定されている(a ‘rumour’, officially denied)けれど。



噂・うわさ・ウワサ

「噂」を挙げるときりがない。ある日、「コロナウィルスは子供は感染しにくい(less likely to be infected)」と言われたと思ったら次の日には「妊婦と子供はより感染しやすい」(more susceptible)などと言われる。このウィルスは人間の体外では生存できないと言われたかと思うと、翌日には固い地面などの上では最高5日間は生き残るとも言われる。咳やくしゃみを通して空気感染すると聞かされたけれど、結局のところそれは心配するようなことではない(not something to worry about)と言われたり。適量のアルコール(moderate consumption of alcohol)を飲むと感染のリスクが下がる、というのもあったけれど、あれは人びとの心を少しでも明るくしようとして振りまかれた情報だったのかもしれない。

このような噂が振りまかれる中で、まともな情報と根も葉もない噂を選別しようとする人々もいる。主に若い人びとなのだが、それは必ずしもやりがいのある仕事とは言えない(thankless task)。デマ情報だと否定すると、それ自体がデマ情報だとやっつけられたりする。

▼中国では、関係者同士がお互いに責任を擦り付け合うことを表現するのに「中華鍋の投げ合い」(throwing woks)という言葉が使われるのだそうですね。このエッセイの筆者によると、ウィルス汚染の初期のころの武漢政府と北京の関係者の間では「中華鍋の投げ合い」が行われていたのだそうです。

「中華鍋」の投げ合い?

武漢政府によると、問題が明らかになった時点で直ちに北京の衛生担当省庁に伝えたけれど、北京の担当者は人間同士の接触による感染という証拠はない(no evidence of human to human transmission)し、「感染は抑えられる」(outbreak was containable)と言われた。で、武漢はそれ以後は北京のアドバイスに従ったのだ、と言っている。これに対して北京の担当者は、武漢が信頼できるデータを与えようとしなかった、だから事態を正確に把握することが出来なかったのだ、悪いのは武漢の方だ(Wuhan didn’t provide them with reliable data, which made it impossible to respond with an accurate assessment)というわけで「中華鍋」が武漢と北京の間を行ったり来たりしていたわけだ。

その一方で「隔離」されただけでつんぼ桟敷に置かれた状態だった感染者たちは怒りをSNSにぶちまけたりするようになり、中には自殺する者まで出てきた。北京の関係者には武漢の高官たちが無能者の集団のように見えてきた。これ以上彼らに任せるわけにはいかない・・・というわけで北京から政府関係者が武漢に乗り込んだ。もちろん北京のジャーナリストたちも。彼らが眼にしたのは、バスに乗せられた感染者たちだった。ただ運転手は彼らをどこへ連れて行くべきなのかを知らされていなかった。然るべき病院を見つけたのはバスに乗り込んだ北京からのジャーナリストたちだった。翌日、武漢の責任者たちが呼ばれて感染者たちに文字通り頭を下げて謝罪するように命令された。


とにかく中国では何をやるにしても「中華鍋の投げ合い」を避けることはできない。空港建設の許可であれ、研究予算の要求であれ、外国人講師の雇用であれ、極めて多くの書類に記入してそれぞれの担当部署からの賛同を得なければならない。場合によっては一方の部署の要求を聞いたおかげで別の部署にはそっぽを向かれたりすることもある。それは職場でも同じ。一人の上司の言うことを聞くと、別の上司に逆らうことになる・・・というわけで、一番いいのは何もしない(it’s wisest to do nothing at all)ことなどということになる。お陰で気が付いたときには町全体がウィルスに感染していたというわけだ。Until a virus strikes, that is.

中国が困ると欧米は喜ぶ!?

隔離状態の我々は、もっぱらSNSに流れるニュース、噂話、陰謀論の類を読んでコメントを書いたりしながら時を過ごしている。SNSを見ていると、左派の連中が「ウィルスに対して団結しよう」と呼びかける一方で、リベラル人間たちは、「悪いのは常に政府だ」と決めつけている。欧米では、北京政府はよくやっていると褒めまくる「パンダ好きたち(panda-huggers)」がいるかと思うと、中国が窮地に陥るたびに共産主義の終わりであると叫びまくる「ドラゴン(竜)殺し(dragon-slayers)」たちもいる。何がどうなっても、このような議論については変わることはないだろう。Whatever happens, those arguments won’t change.

▼このエッセイがLRBに掲載から約2週間後の3月5日付のThe Economist誌が、1か月前の2月4日にはその日だけで、中国全土で3,887人の新たな感染者が見つかったけれど、ひと月後の3月4日にはこの数字が139人にまで下がっていると伝えています。同誌は武漢を訪問して感染対策を実地見学したWHOの関係者の一人(ナイジェリア人)が「感染は抑えられる」(It can be contained)とコメントしたことを伝えています。

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4)日本人とパスポート
 

2月27日付のThe Economistに「世界を見たいと思う日本人の数がどんどん減っている」(Fewer and fewer Japanese want to see the world)という見出しの記事が出ていました。何のことかと思ったら
  • いまの日本人でパスポートを持っている人間は日本人全体の24%にすぎず、これは先進国の中でも最低の数字である。 Only 24% of them even have a passport—the lowest proportion among rich countries
とのことであります。要するに海外旅行をしたいと思っている日本人が減っているということです。あなたはパスポートをお持ちですか?むささびは一応持っています、ここ10年間全く使ったことがないけれど・・・。

全人口に占めるパスポート保持者の割合 

現在、日本人をビザなしで受け入れる国の数は190か国あるのだそうで、クエート人の場合はその半分、ネパール人の場合は5分の1である、と。つまりこの数字だけを見ると、今の世の中で日本のパスポート所持者ほど世界で歓迎されている人間はいないはず、なのに日本人の24%しかそれを持っていない。比率からするとアメリカ人の半分、英国人の殆ど4分の1ということになる。どうして?


紙上の計算だけを見ると、昨年(2019年)の日本人の海外旅行件数は約2000万件で、一昨年の1900万件より100万件も増えている。ただパスポート保持者の割合は2005年の時点では27%だったのが、現在では24%なのだから、確実に減っている。日本人による海外旅行を奨励する政府の委員会をリードするMorishita Masamiという人によると、最近では日本を出ることに乗り気でない(lukewarm)日本人が全体の3分の2にのぼっている。

それにはいくつか理由がある、とThe Economistの記事は言います。例えば休暇が少ない、安全性が保障できない、外国の食事がまずい・・・ときて最大の理由として挙げられているのが「自分たちが理解されないことによる屈辱的な体験への怖れ」(a crippling fear of the embarrassment of not being understood)です。それに加えて給料は上がらないし円も安いとなると、海外旅行もかつてほどには楽なものではないかもしれない。自由な時間があり、そこそこお金も持っている退職者たちでさえも外国旅行をする人は少ない。

ビザなしで行ける国の数

振り返ってみると1980~90年代の日本人は外国を見ることに熱心だった。『地球の歩き方』(ダイヤモンド社)という旅行ガイドブックは1979年の創刊以来、100タイトル以上も発売されている。それが90年代の終わりごろから下火になって、海外旅行は「単なるレジャーの一つ」(just one of many leisure options)となってしまったというわけです。

海外留学生の数も減っているのだそうですね。2004年には約8万3000人もいたのに2016年には5万6000人にまで減ってしまった。少子高齢化の波を受けて、学生数そのものが減っていることもあるけれど、外国留学しようとすると年間400万円もかかってしまうというコストも普通の学生には厳しい。さらに言うと外国留学をしても、必ずしも就職先に恵まれるわけではない。東北大学のSuematsu Kazuko教授によると日本人学生の53%が海外留学には興味がないのだとか。これは教授が調査した国の中でも最低の数字だそうです。

▼ビザなし渡航が可能な国の数というのは、コロナ以後変わっているでしょうね。トランプが「英国以外のヨーロッパからの入国は禁止」と発表したのには驚きましたね。BREXITとコロナを混同しているのでしょうね。

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5) どうでも英和辞書
A-Zの総合索引はこちら 

panic-buying:買い占め

ウィルス騒ぎでトイレットペーパーやマスクが店頭からなくなっているのですよね(むささびは知らないけれど)。そこで「買い占める」というのを和英辞書で引くと"cornering"というのと"buy-up"というのが出ていました。前者は同じ買い占めでも金儲けのための商品買い占めのようなことを言うときに使うらしい。"buy-up"は如何にもそれらしいなと思ったのですが、英国のメディアが使うのはもっぱら"panic-buying"です。確かにこの方がピンとくる。

ところでBusiness Insiderというサイトによると、アメリカ人が買い占める商品の筆頭は"Oat milk"という商品らしく普段の44倍(441%)も売れている。2番目が医療用のマスク(428%)で、3番目が家庭用のマスク(218%)なのだとか。日本で売れるトイレットペーパーなどはぐっと下がって5.4%しか上がっておらず、キャットフード(7.50%)より少ないくらいなのだそうです。
 
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6)むささびの鳴き声 
▼二つ目のサイモン・ジェンキンズの記事の中で、安倍首相とジョンソン首相の記者会見について触れています。ここをクリックすると、シンゾーの会見(2月29日)を文字化したものが出ていますが、基本的に自分の言いたいことを言い、あらかじめ記者が提出した質問状に答えただけで、さっさと引っ込んでしまったとのこと。そのあたりのことは、立岩陽一郎さんというジャーナリストが『新型コロナウイルス拡大防止の総理会見を茶番劇にした官邸と官邸記者クラブの愚』というエッセイの中で詳しく語っております。これを読んでいると、今更のように「諸悪の根源はメディアにあり」という感が強くなります。

▼(話題は変わるけれど)むささびジャーナル439号で、「特別盗稿」とむささびが勝手に銘打って、北九州にある東八幡キリスト教会の奥田知志牧師のエッセイを掲載させてもらいました。その奥田牧師が、朝日新聞の『論座』のサイト(3月11日)に『トイレットペーパーはなぜ消えた?』という見出しのエッセイを寄稿しています。コロナ問題に関連して起こっている買い占め騒ぎのことを語っているのですが、彼のメッセージは次の文章に表れていると思います。
  • 未知の病への恐怖で分断され自分の中の「他者」を失った私達は人間性を回復できるか?
▼「自分の中の他者を失う」とは、「自分だけ良ければ良い」と信じ込む心理状態のことで、牧師に言わせると、コロナ騒ぎがもたらした不安な生活の中で皆が「自分だけ」の状態に陥っているというわけです。奥田さんによると、コロナウィルスに対する不安の中で多くの人間が「自分だけ病」に罹っており、その意味で消えてしまったのはトイレットペーパーではなくて、「自分の中にいたはずの他者」という存在である、ということになる。

▼牧師が紹介する調査によると、「自力で生きていけない人たちを国や政府は助けるべきだとは思わない」と考える人は、日本では38%に及ぶ。米国28%、中国9%、英国8%、フランス8%、インド8%、ドイツ7%であり、日本が極端に高いわけですが、これらの数字こそが「自己責任論」がはびこる社会となった現代の日本を表現しており、
  • 新型コロナウイルスの感染拡大は、こうした「自己責任」が語られる現状に拍車をかけたようにみえる。そうして、私達は「他人」を自分の中から追い出した。
▼しかし牧師は「人は(自己中心・自己保身という)本能だけに従って生きているわけではない」として「人は自分の中に自分以外の人間を住まわせることが出来るように創られている」と強調しながら次のように呼び掛けている。
  • いつまでも閉じこもってもおれまい。少しばかりの勇気を胸に、外に出かけよう。そして人と出会おう。出会って、その人に自分の中に住んでもらおう。自分勝手に生きることが出来ないように(マスク、うがい、手洗いは忘れずに)。
▼「マスク、うがい、手洗い・・・」というのが、牧師らしくなくて可笑しいけれど、「外に出かけよう。そして人と出会おう」という姿勢には共感を覚えます。他人と出会うことで自分も含めた「人間」のことが見えてくる(見ようと努める)はずです。この2か月ほどのメディア報道(特にNHKテレビ)を見ていると、どこかで「感染者」が出るたびに、あたかも蛆虫か毒蛇でも現れたかのような顔で伝える。そのような伝え方がコロナに対する視聴者の不安と恐怖を不必要に掻き立てている(かもしれない)ことを、伝えている本人たちはどのように感じているのか?ひょっとすると、そのことに気が付いてさえいないのかもしれない。

▼コロナ騒動はウィルス騒ぎであると同時に、メディアが掻き立てている社会不安との戦いでもある。前者は武漢が発祥の地かもしれないけれど、後者は間違いなく日本のメディアが発生源であり、視聴者や読者は、外へ出て他者と「出会う」ことを通じてのみ立ち直ることが出来る、と牧師とむささび(とサイモン・ジェンキンズ)は思っている。

▼昨日の埼玉県は雪でしたが、なぜか「冷たい」という感じはしませんでした。トップの写真が紹介したイヌフグリたちはどうなっているでしょうか?お元気で!

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