musasabi journal

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426号 2019/6/23
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BREXIT 美耶子の言い分 美耶子のK9研究 むささびの鳴き声 どうでも英和辞書
このところの埼玉県は雨模様、梅雨なのだから大して不思議ではありません。上の写真は、むささびとミセスむささび、そしてワンちゃんたちが出かけて時を過ごす埼玉県の山奥の風景です。

目次

1)問題解決ジャーナリズム・・・!?
2)高齢ドライバー:英国の場合
3)ボリスの評判
4)再掲載:天谷さんの不安
5)どうでも英和辞書
6)むささびの鳴き声


1)問題解決ジャーナリズム・・・!?

6月13日付のGuardianに"UK public transport rolls out 'chat day'"という見出しの記事が出ています。「英国の公共交通機関が”おしゃべりの日"を開始」というわけですよね。例えばロンドンにおける公共交通機関といえば、地下鉄・地上電車・バスなどがあるのですが、”おしゃべりの日"になると、それらの交通機関を利用する乗客同士がおしゃべりに興ずることを奨励するということらしい。地下鉄や電車には「おしゃべり車両」(chat carriages)が設けられるとのことです。これだけでも「なんのこっちゃ」と思ったのですが、「おしゃべり車両」というプロジェクトが「見知らぬ人同士の会話を促進するBBCの活動の一環」(part of BBC scheme to get strangers talking)であると書いてあるのを見て、ますます意味が分からなくなった。


Guardianの記事によると、BBCには "solutions journalism" という報道に取り組んでいるグループがあり、「おしゃべり車両」も、現在の英国にとって最も深刻な問題といえる「分極化と孤独」(polarisation and isolation)への取り組みの一環として、BBCによって提案され、各交通機関の賛同を得て行われたものである、となっている。

それにしても "solutions journalism"(ソリューション・ジャーナリズム)とは何なのか?むささびは初めて聞いたものだった。日本語に直すと「問題解決ジャーナリズム」ということになるのですが・・・。ウィキペディアには次のように書いてある。
  • ソリューション・ジャーナリズムとは、社会問題の報道を行う際に、問題そのものだけでなく、それへの対応に焦点を当てて報道するやり方。Solutions journalism is an approach to news reporting that focuses on the responses to social issues as well as the problems themselves.


現代の英国にとって深刻な問題である「分極化と孤独」の「現状」を報道するだけでなく、それをどのように克服するのか?という部分に焦点を当て、「おしゃべり車両」という実験プロジェクトを実施、それに見知らぬ他人同士がどのように反応するのかを報道しようとするものであったわけです。実はGuardianの記事がでた翌日(6月14日)が「おしゃべりの日」であったのですが、BBCのサイトにはその日の乗客たちによる交流の様子を伝える記事がいろいろと掲載されていた。

例えばロンドンのキングスクロス駅から北イングランドのリーズへ行く電車に乗った34才の女性の隣の席に座った男性(55才)は、その女性が席に座って泣いている様子であることに気が付いた。身体の調子でも悪いのではないかと気になった男性が声をかけたところ、女性は家庭の不幸で故郷へ帰るところだという身の上話を始めたというわけ。BBCの取材に対して女性は
  • The kindness he showed me on that day, I never have and will not forget. 彼の親切は絶対に忘れないだろう。
と言い、男性の方は
  • I just tried to give some moral support. I'd like to think someone would do that for me. ちょっとお助けしただけだが、自分が同じような状態になったときには助けてくれる人間がいると考えたい。
とコメントしている。

南イングランドのショアハム=バイ=シー(Shoreham-by-Sea)を走る電車の中では見知らぬ乗客同士がビールを」飲みながら楽しむ習慣があるのだそうです。ただ最近では混雑が激しくなって、それもやりにくいのだとか・・・

交通機関とのコラボレーションである「おしゃべり車両」企画は、米シカゴ大学で行動心理学を研究するニコラス・イプリー(Nicholas Epley)教授のアイデアによって実施されたもので、教授は似たような企画をシカゴで行ってアカの他人同士の会話が社会にもたらす好影響についての実績があるのだそうです。教授の観察によると、米英人に共通しているのは「見知らぬ人間に話しかけることを楽しむ」(enjoy talking to strangers)ことなのだそうです。

BBCの"CROSSING DIVIDES on the move"という編集企画のロゴマーク。下の方に"Sparking conversations in a frangmented world"(バラバラな世の中で会話を喚起する)というスローガンが書いてある。

ここをクリックすると、人間同士の孤立や分断を解消しようという "Crossing Divides" というBBCの企画意図が説明されているのですが、中には乗客同士の会話促進企画には「かんべんして」という否定的な意見もあるけれど、肯定的に見る人の方が多いとBBCは言っている。ただBBCの記事では "solutions journalism" という言葉は全く出てきていない。

ソリューション・ジャーナリズムという考え方は日本にも入ってきているようで、2年前(2017年)の「東洋経済」のサイトに掲載された朝日新聞の広告企画「生活者と考える ソリューション・ジャーナリズム」という記事でかなり詳しく紹介されている。
  • 取材と報道で社会問題などの実態を伝え、その背後に潜む課題もあぶりだしながら、解決策を模索する場づくりもするというのがソリューション・ジャーナリズムの基本的なコンセプト。
と書いてあります。


ここをクリックすると "solutions journalism" を推進する国際的なジャーナリズム組織のサイトを見ることができる。それによると、現在のニュース報道に欠けているのは「人びとが諸問題にどのように対処しようとしているのか」(how people are responding to problems)を伝えようとする姿勢であるとなっている。要するに(例えば高齢者による運転の問題を報道する場合)被害者と加害者が直面する「悲劇」を伝えることで「タイヘンだ・タイヘンだ!」と騒ぐだけでなく(それも必要かもしれないけれど)、高齢者が運転をしなくても生活上の問題がないような「町作り」に取り組む人びとの活動とその成果についても伝える。そういうこと?

▼どうもいまいちよく分からない。BBCの「おしゃべり車両」企画が、現代英国が抱える孤独や社会分裂症状に対応するものだ、とGuardianは言っているけれど、いまの英国を覆ってしまっている(ように見える)孤独とか分裂・分断の原因を語らずに地下鉄の中で見知らぬ同士が楽し気に会話していることを報道したからって、それが何に繋がるのか?BREXITとか「世の中に社会なんてない」論の跋扈について検討することなしに、"solutions"なんてあるんでしょうか?どうも分からない・・・。

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2)高齢ドライバー:英国の場合

「高齢者が運転する車による悲惨な交通事故が相次いでいます・・・」という類の放送を頻繁に耳にします。例えば6月5日付のNHK NEWS WEBというサイトに掲載されている「免許返納 決断の時期は?」という見出しの記事は「~が相次いでいます」というお決まりのイントロに続いて
  • 75歳以上のドライバーが起こした交通死亡事故は去年、全国で460件。警察庁は高齢者に運転免許証の積極的な自主返納を呼びかけていますが・・・
と書いてある。

この問題について英国の事情はどうなっているのか?と思ってネットを当たってみたら、今年1月18日付のBBCのサイトに「ドライバーの年齢は事故に関係しているか?」(Is age a factor behind the wheel?)という見出しの記事が出ていました。実はその前日にエリザベス女王の夫であるエディンバラ公の運転する車が国道でほかの車と衝突事故を起こして大いにメディアを賑わせていた。エディンバラ公の年齢が97才(!)であったところから、高齢ドライバーと事故の相関関係という記事となったわけです。

英国の年齢別免許保持者
英国における運転免許保持者の年齢別内訳(2016年)は上のとおりです。「100才以上」が300人いるというのもすごいけれど、90代が11万人いるというのも驚きですよね。70才以上となると500万人を超えている。

エディンバラ公のような事故が起こると、高齢者の運転は規制すべきだという声が上がるのはいずこも同じだけれど、英国版のJAFのような組織であるAA(Automobile Association)のキング会長によると「若いドライバー(特に免許取りたてのような)の方がはるかにリスクが大きい」とのことで、
  • 年寄りドライバーは自己規制の傾向が強く、夜間の運転は避けるし、慣れた道だけを運転するという傾向が強い。Older drivers often self-restrict their driving by not driving at night and only driving on familiar roads.
とコメントしている。


事故を起こして転倒したエディンバラ公が運転していた車

また英国の運転免許庁(Driver and Vehicle Licensing Agency:DVLA)の統計によると、昨年1年間で事故を起こした70才以上のドライバーは11,245人で、この年代の免許保持者1000人つき2人なのに17~24才となると1000人につき9人と70才代に比べると4倍以上である、と。しかも70才以上のドライバーが1年間で運転する距離は20才以下の運転者に比べると平均で1000マイル(約1600 km)多い。

英国の場合、70才になるといったん免許が失効する。更新するためには、健康面で問題がないことを自己申告する書類を提出することが義務付けられるけれど、運転試験の類はない。それ以後は3年に一度更新する必要がある。

 英国:死傷事故に関わった運転手の年齢
UK Department for Transport 

また「高齢ドライバーが他の運転者より危険ということはない」(Older drivers ‘no more dangerous’ than other motorists)と言っているのがスォンジー大学(ウェールズ)のチャールズ・マスルホワイト(Charles Musselwhite)教授です(2016年9月6日付ファイナンシャル・タイムズ)。教授によると「高齢ドライバーの運転を止めさせることで起こるのは高齢者の健康低下とうつ病の増加であり、その割には交通事故は減らない(without making the roads any safer)という状況なのだそうです。


2016年に訪英したアメリカのオバマ大統領夫妻とエリザベス女王を乗せた車を運転するエディンバラ公

高齢ドライバーの危険性について、しばしば使われる統計に、75才のドライバーによる100万人あたりの交通事故死亡数は45才のそれの2倍であり、重症は1.5倍という統計です。が、マスルホワイト教授によると、それは高齢者の運転が乱暴だからではなく、体力的に弱いことが理由なのだそうです。

英国で高齢者による衝突事故が最も多いのは、彼らが右折する際に対向車と衝突するというケースなのですね。警察に言わせると、高齢者には対向車が良く見えないとか、対向車の速度が正確につかめないからとなる。が、教授に言わせると、老人にその種の事故が多いのは、周囲からのプレッシャーを感じやすいからということになる。「早く行け」と言わんばかりに、後ろからバッシングをされることもあるし、高齢運転者が自分でそのように感じてしまうということもある。いずれにしても、まともに考える時間さえ与えられればそのようなミスはしないというわけです。


マスルホワイト教授が憂慮するのは、年齢を根拠に強制的に免許を取り上げることが老人に与える精神面も含めた健康被害です。運転が許されなくなったことからくるストレス、孤独、鬱などです。また無理やり免許を取り上げられた老人が道を歩いていて車にはねられるというリスクが非常に高いともいわれている。

▼むささびは英国内で車の運転をしたことがなく、もっぱら運転好きのミセスにお任せだったのですが、日本の道路を運転するよりも何故かのんびり感があったように記憶しています。道路の幅は日本とはそれほど違わないと思うのですが・・・。一つには(日本では)後ろから来る車に追い立てられるような気分にさせられることがあるらしい。日本人の方が車間距離に無神経だ、と美耶子は怒っております。

▼それと英国では右折車が対向車と直面するケースが日本の道路に比べるとかなり少ないよね。自分たちが対向車で、前方に右折車が我々が通り過ぎるのを待っているという場面が日本では非常に多い。あれ、気持ち悪いわけよね。無謀な右折はしないという右折ドライバーの良識を頼りにしているのだから。英国にあるラウンダバウト交差点の場合はその種の気遣いは必要なし。あれはいいシステムですよね。
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3)ボリスの評判

ティリザ・メイが5月24日に保守党党首の辞任を表明してからちょうど一か月。10人の後継候補者が指名され、これまで保守党下院議員による投票によってふるい分けが進み、結局ボリス・ジョンソン前外相とジェレミー・ハント現外相の二人に絞られている。これから約16万人いる党員による郵送投票が行われ、7月22日に新党首(=新首相)が決まることになる。メディアの間では次期首相はボリス・ジョンソンで決まりということになっているのですが、6月20日付のThe Economistがこの問題を社説で取り上げて次のように書いている。
  • Britain’s probable next prime minister cannot resist playing to the crowd. In today’s ugly politics that is ominous
「英国の次期首相になる可能性が高い人物は、大衆受けすることが嬉しくて仕方がないような人間であるけれど、最近の醜悪なる英国政治の世界においては、受け狙いだけの人間が首相の座につくことが "ominous" である」と言っている。"ominous"という単語を辞書で引くと "suggesting that something unpleasant is likely to happen" と説明されている。つまりジョンソンが首相になることが「不愉快なことが起こる前兆」だということです。


ボリス・ジョンソンとジェレミー・ハント

ジョンソンの「受け狙い」の例として、The Economistはいくつか具体例を挙げている。2008年から2016年までの8年間、ロンドンの市長をやっていたころは「リベラル都市・ロンドン」の顔ということもあって「移民歓迎・EU単一市場大賛成」という態度を取っていた。なのに2016年の国民投票に向けた離脱キャンペーンでは移民を否定し、EUに関してはトルコが加盟することへの反対論を展開したりしていた。それ以前のジョンソンはトルコのEU加盟には積極的な意見だった。今回の党首選挙では、党内右派の下院議員を意識して、必要とあれば「合意なきEU離脱」も当たり前だとして「産業界の言うことなど知ったことか」(fuck business)と言い放ったりもしている。さらに移民については、ブルカを身に着けたイスラム教の女性のことを「郵便受けみたいだ」(look like letterboxes)とからかったり・・・。

 英国首相として望ましいのは?
上のグラフは世論調査機関のIPSOS MORIが、1か月ほど前に一般の有権者を対象に行ったアンケート調査の結果です。英国の次期首相として、保守党のジョンソンまたはハントか、それとも労働党のジェレミー・コービンかと問いかけたものなのですが、注目すべきは「分からない」という答えの数字の大きさです。BREXITをめぐるごたごたで、これまでの二大政党に対する期待感が低くなってしまっている。「どっちもダメなんでない?」という声が決して低くないということです。

The Economistがジョンソンの弱点の一つとして挙げていることに「哲学がない」(lack of a guiding philosophy)というのがある。政治信念の点で「空っぽ」(all but empty)なので周囲の人間は誰でもジョンソンなら利用できると思ってしまう。強硬BREXIT派の人間は、「EUがふざけたことを言っても、ジョンソンなら強硬離脱で押し切るだろう」と胸を躍らせているし、残留派の人間の中にはジョンソンの本音はリベラルであり、場合によっては再度の国民投票だってあり得るなどと考えている者もいる。The Economistによると、ナルシシズム(自己陶酔的)、何でも安逸に考えてしまういい加減さ(idleness)、さらには他人を利用することに何のためらいも感じない性癖、黒を白と言いくるめる態度・・・などの点でジョンソンはトランプとも似ているのだそうです。

ジョンソンにも強みと思われるものがあることはある。セールスマンのように言葉巧みに自分を売り込む才能がそれで、ティリザ・メイが出来なかったEUとの離脱合意案を議会に受け入れさせることはできるかもしれない。今や下院議員たちは(保守党も労働党も)殆どBREXIT恐怖症のようになっている。BREXITのおかげで、第三の勢力でしかなかった自民党やBREXIT党などという組織が有権者の支持を集めているのだから。そのような議員心理を見透かしたかのようにジョンソンが言い寄ればティリザの時とは違う展開になる。もちろんその際には「自分がEUの奴らをやっつけた結果の合意案だ」と売り込むことになる。


自分の思想の核になる哲学がないジョンソンは、英国の将来を示す道しるべ(signpost)というよりも、いつも周囲を気にする「風見鶏」(weather vane)のような首相になる。首相官邸(Downing 10)では、普通の首相以上にアドバイザーや官僚・閣僚などの意見に従うことになる。その点では専門家とかアドバイザーのような存在を嫌うトランプと異なる。ジョンソンの場合は仕事を他人任せ(delegation)にすることをいとわない。となると、もともとはジョンソンらと異なり穏健派だった人間も「仕事」を求めて彼の下に集まってくることは考えられる。彼らの多くは「合意なき離脱」は英国にとって良くないことが分かっており、風見鶏・首相の手綱を引き締めるのは彼らの仕事ということになる・・・というわけで、
  • もし彼ら穏健派の同僚たちがジョンソンを操ることに失敗した場合、あのBREXITという怪物が口をモグモグさせた挙句に3人目の首相を口から吐き出すことになる。それも大して遠い未来の話ではないだろう。If they fail, it may not be long before the Brexit monster is chewing up and spitting out its third prime minister.
というのがThe Economistの結論であります。

▼Yougovという機関が、保守党員だけを対象に行った世論調査を見ると、いまの英国は文字通りBREXITという怪物に取り込まれてしまったとしか思えない。スコットランドの独立阻止とBREXITの推進はどちらが大切か?という問いかけに対して6割の保守党員が「BREXITの推進」の方が大事で、そのためにスコットランドが独立するというのなら、それも結構と答えている。同じことが北アイルランドの英国離脱について言える。英国経済に重大な影響が出るとしてもBREXITを推進するのか?という問いについては61%が「そうだ」と答えている。そこまでこだわるEU離脱の結果として英国が手に入れるものは何なのか?独立したグローバルな英国・・・?ずいぶんと抽象的な成果なのではありません?全くどうかしている。

▼ボリス・ジョンソンは、国の進路を示す「道しるべ」ではなくて、常に周囲を気にする「風見鶏」であるというThe Economistの指摘は、「東の島国」の首相にもずばり当てはまりますよね。つまり世界はトランプを挟んで西にボリス、東にシンゾーという風見鶏が控えるという体制に突入するわけですね。両方とも「トランプと仲良し」ということだけが頼りということ。ジョンソンは1964年生まれだからシンゾー(1954年)よりもちょうど10才若い。ボリスは「金持ち上流階級の両親」(wealthy upper-middle class English parents)の下に生まれ、イートンからオックスフォードを経てThe Spectatorという保守主義の雑誌の編集長を務めたりしているのですが、シンゾーとの共通点として、自分が育った世界の外のことはほとんど知らないということが挙げられる。

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4)再掲載:天谷さんの不安
 

最近ときどき昔のむささびジャーナルを読むことがあります。お恥ずかしいのでありますが、自分で書いたものなのに、自分で面白いと思う記事にお目にかかることがあります。11年前の2008年6月22日に発行した第139号に出ている『天谷直弘さんの不安』もその一つです。天谷直弘氏は通産官僚だった人で1994年に亡くなっている。

 

実はこの記事は、天谷さんのことではなく、前年に亡くなったアメリカのジャーナリスト、デイビッド・ハルバスタム(David Halberstam)が書いた"The Next Century(次なる世紀)"という本を紹介するつもりで掲載したものだった。ただこの本に収容されていた天谷さんのインタビューが面白くて、それが中心になってしまったというわけです。

デイビッド・ハルバスタムについて簡単に説明しておくと、アメリカのベトナム政策を検討したThe Best and the Brightest(1972年)という本でピューリッツァー賞を受けた人ですが、1986年に出したThe Reckoningという本は、当時問題になっていた日本車の対米輸出攻勢をテーマにしたもので、日本はもちろんアメリカでもかなりの話題を呼んだものです。当時のアメリカの世論は、日本車の進出を「不公平貿易」として反発する傾向が強かったのですが、The Reckoningは、何故日本車がアメリカで売れるのかということに焦点を当てたもので、日本の優れた教育水準などに背景の一環を求めたものだったと記憶しています。アメリカ人の間にはびこる「日本叩き」に対して「悪いのはアメリカの方かもしれない」という警鐘を鳴らしたものだったわけです。

 

そのハルバスタムが1991年に"The Next Century(次なる世紀)"という小さな本を出している。冷戦終結直後に出されたもので、テーマは、21世紀を10年後に控えたアメリカはどうあるべきか、というものだったのですが、その中でハルバスタムは、日本についてかなりのスペースを割いています。21世紀の世界で主役の一つになり続けるかもしれない国としての日本を意識してのことなのですが、この本を書くにあたってハルバスタムがインタビューした日本人の一人が、通産省の官僚だったNaohiro Amaya(天谷直弘)という人だった。

ハルバスタムとのインタビューの中で、天谷さんは1989年のころの日本について、獲物のウサギをまっしぐらに追いかけるドッグレースのハウンド犬に譬えて、「追いかけてきたウサギが消えてしまい、どうしていいのか分からないでいる状態」だとしています。戦争で敗れてから、欧米に追いつこうと一心不乱にがんばってきて、それに成功したのですが、それでどう動けばいいのか分からないでいる、というわけです。


このころの天谷さんはすでに通産省を退官していて、ハルバスタムによると、日本の教育改革に情熱を注いでいるところだった。それまでの「暗記中心の詰め込み教育(teaching by rote)」から、「教養(liberal arts)」に力を入れようというのが、天谷さんの目指すところであったのですが、文部省ロビーに押しまくられて苦戦を強いられていた。ハルバスタムは、天谷さんが教育改革について自分に語った言葉をいろいろと紹介しています。いくつか紹介してみます(当然のことながら、コメントはいずれも英語で書かれています)。
  • いいクルマを生み出すのは、いい人間を生み出すよりはるかに易しい。It is a great deal easier to produce a good car than to produce a good human being.
  • 日本の大学入学試験は、コンピュータのような能力を持つ学生を選択するように作られている。ということは、我々は、これから必要としないような若者を作り出そうと必死になっているということにもなる。彼らができるようなことは、コンピュータが出来てしまう時代になっているのだから。The entrance exam at our universities now is designed to choose students with computerlike capabilities. That means we are geared up to producing people whom we no longer need because the computers will do what they do better than they can do it...
  • 何千年にもわたって、神と貧困が人間を律してきたが、現代では神は死に、貧困もなくなりつつある。これから人間は何によって律せられるのか?For thousands of years God and poverty kept man disciplined. Now, in the modern age, God is dead and poverty is disappearing. How will we be disciplined?
天谷さんは1925年生まれ、生きていれば94才です。デイビッド・ハルバスタムは1934年生まれ、生きていれば85才だった。

▼むささび自身が天谷さんのコメントを面白いと思うには二つ理由があります。まずDavid Halberstamというアメリカのジャーナリストが、日本という国は素晴らしいクルマやテレビやコンピュータを生み出した国であり、これからも見習うべき点のある国ではあるが、やはり日本には日本なりの問題があるということを、日本人自身が認めていることを、アメリカの読者に伝えていたということです。アメリカの現状を嘆きながら、新興勢力である日本の成功を驚きと称賛の眼で見てはいるけれど、アメリカの知識人である彼には、日本の「成功」にはどこかついていけないところがある、と感じていたのではないか?ということです。

▼もう一つ、面白いと思うのは、ものづくりの点では欧米に追いつき・追い越した(とされていた)日本について、天谷直弘という指導者が持っていた不安感の中身についてです。ガリガリの知識詰め込み教育こそが、日本の発展を支えてきたけれど、その種の教育が生む人間や日本には未来はない。だから「幅広い教養人間を生み出す教育を」と言っているのですが、天谷さんのいう「幅広い教養人間」とはどんな人間のことなのか?昔の英国にあったパブリック・スクールの人格教育のようなものをイメージしているように思えてならないわけです。だとするとそれは当たり前の人びとの生活とは殆ど無縁の世界の話ではないのか?ということです。

▼Halberstamが天谷さんにインタビューしてからほぼ30年が経ちます。その間、日本はどのように変わったのでしょうか?日本の教育は彼のいわゆる「幅広い教養人間」を生み出す方向に向かっているのでしょうか?私の想像によると、天谷さんが考えるような教育をしている学校も少しはあるかもしれないけれど、それは本当に一部のエリート層の人たちのための学校で、圧倒的多数は、本質的には昔と変わらない「詰め込み・画一教育」をやっている。「国際化社会で生き抜くために」小学校から英語を教える・・・というのはその一つですね。天谷さんが生きていたら、このことはどのように評価するのでしょうか?

▼天谷さんの最後のコメント(神と貧困が人間を律してきたが、現代では神は死に、貧困もなくなりつつある。これから人間は何によって律せられるのか?)も大いに語るべきポイントを突いている。「神が死んだ」とは(むささびの解釈によると)「人間の運命は人間が(人間のアタマだけが)コントロールできる」ということだと思うけれど、天谷さんがこのコメントを残してから20年後のいま、人間はやはり何かによって律せられるべき存在なのかもしれない、と思わざるを得ない。はっきり言って、好きにやっていればeverything is OKというものではないということです。

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5) どうでも英和辞書
A-Zの総合索引はこちら 
eat-and-run:食い逃げ

食べる(eat)+逃げる(run)だから正に「読んで字の如し」(literally)ですね。英国にメキシコ料理の店でWahacaというのがあるらしい。全国で25店舗のチェーン店なのですが、最近その店で"eat-and-run"が問題になった(6月17日付BBC)。食い逃げという客の行為そのものではなくて、それを許してしまったウェイターの責任をめぐるもめごとです。

ロンドン市内のWahacaで40ポンド相当の食事をした客がすきを見て逃げてしまった。店側はウェイターに対して3ポンドの支払いを求めたというわけですが、同じ店で食事をしながらこの食い逃げを目撃したのが労働党の女性議員で、ウェイターから「罰金」の話を聞いてツイッターで「そんなバカな話があるか」(utterly shameful)として、Wahacaは「食べ物は素晴らしいけれど会社はひどい」(Food's great, company is crap)と投稿したところ話題になってしまったというわけ。

店側によると、食い逃げしようとしていることが明らかなのに、ウェイター(ウェイトレス)がこれを止めなかったような場合に限り、代金の10%を支払うという規則になっていたとのことで、今回の事件については店とウェイターの間の「意思疎通に問題があった(internal communications issue)」というわけで、罰金は求めないことにした、と。ただ従来の規則そのものは変えないとのことです。食い逃げが分かっているのに止めなかった場合には罰金が生じるということですが、どうやら最初から"eat-and-run"をさせるつもりで自分の友だちを店に招いたりするウェイターがいたことも事実である(と店側は言っている)。なるほどね、最初からそのつもりで40ポンド相当のメキシコ料理を食べさせて、罰金が10%の4ポンド済むのなら「おごり代」としては安いもんだってか?
 
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6)むささびの鳴き声 
▼「天谷さんの不安」の記事では、彼の日本についての認識を紹介しているのですが、"The Next Century"という本が書かれたのはソ連が崩壊した直後のことです。モスクワの「赤の広場」に立ちながらハルバスタムは、ソ連について「ミサイルしか持っていない栄養失調の国だったのか」と感慨を込めて語っている。で、アメリカは?という問いについてアメリカ人のハルバスタムは共産主義との競争に勝利した国というよりも、自分たちの尺度で考えて「まともな社会」(decent society)なのかどうかを問うべきだと言っている。

▼ソ連との競争に勝った(ことになっている)アメリカにとって、もう一つの競争相手が日本だった。あれからほぼ30年、アメリカはハルバスタムの考える「まともな社会」になっているのか?彼によって代表される、アメリカのリベラリズムを忌み嫌っている人びとの熱狂的支持を得ているトランプが "Keep America Great!" などと叫んで拍手喝さいを浴びている、そんなアメリカを想像していたのでしょうか?

▼で、日本は?1991年はイラクによるクエート侵攻が行われた年だったのですが、ニッセイ基礎研究所の細見卓という人が「新しい時代の世界平和を如何にして確保するかという世界的戦略の無いままに、国連協力とか自衛隊の海外派遣とかの技術論に終始した」時代だったと言っています。30年後のいま、トランプがイランを爆撃しようとしている中でシンゾーは何をやっているのか?「仲介役」気取りでイランまで出かけて行ったのですよね。あろうことか出発前にサウジやイスラエルのリーダーとも電話会談までやってしまって・・・あれはいったい何だったのか?何でもなかった。Nothing, absolutely nothing. Not a damned thing!!

▼日本のメディアでは、トランプの再出馬宣言だけが派手派手しく伝えられており、あたかもトランプの二期目は決まりという感じの報道が目立つけれど、Pew Researchなどの世論調査を見ると、アメリカ人の間ではトランプが生み出した政治状況に関する不安感や失望感が広がっていることも確かなようです。テレビ画面で見るほどにはトランプが支持・信頼されているわけではないということです。当たり前です。

▼お元気で!

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