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409号 2018/10/28
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BREXIT 美耶子の言い分 美耶子のK9研究 むささびの鳴き声 どうでも英和辞書
上の写真はシリアのイドリブ(Idlib)という町にある学校の教室風景です。10月8日付のThe Independent紙によると、この町はシリア最後の反政府勢力の拠点となっており、国連機関のユニセフによるとシリア国内でも最も子供の国内難民が多い町なのだそうです。10月8日現在では休戦状態にあるけれど、これが破られると約100万人の子供たちの命が危なくなるとのことです。この町は、最近拘束から解放されて帰国したジャーナリストの安田純平さんがとらわれの身になっていた場所だったのでは?

目次

1)BREXIT:日産はどうするのか?
2)中国は女性中心社会!?
3)カショギ殺害報道の陰で・・・
4)安田純平さんの解放に想ったこと
5)どうでも英和辞書
6)むささびの鳴き声

むささび俳壇

1) BREXIT:日産はどうするのか?


EU離脱をめぐって「きっぱり別れよう」というハード離脱なのか?なるべく英国にとってのショックが小さくて済むように穏やかに(ある程度の関係は残したまま)別れようというソフト離脱なのか?保守党が内部分裂という感じの毎日が続いています。そんな中で、10月19日付のGuardianに “Will Nissan stay once Britain leaves?”(英国がEUを離脱しても日産は英国に残るのか?)という見出しの記事が出ています。トヨタ、ホンダとともに英国内で生産を続ける日系の車メーカーである日産が、英国のEU離脱後にどのような動きをするのかを語っている。



1980年代初頭から現在までの約40年間のサンダーランドと日産自動車を語ることは、サッチャー以来の英国の歴史の縮図を見るような思いがします。サンダーランド(現在の人口は約18万)という町は第二次大戦頃までは造船・炭坑・工業用ガラスのような重工業で栄えていたのですが、戦争が終わって1950年代になると日本や韓国のような安い労働力の国の造船業に押されて衰退が始まり、1988年にサンダーランド最後の造船所が閉鎖され、造船の町としての歴史は終わった。同じことがガラス産業にも起こった。そして炭坑はエネルギー源としての石炭への需要が減ったことで、北イングランドにおける炭坑の閉山が相次いだ。

思慮不足?サッチャー改革

古い産業が廃れていく中で、それにとって代わる新しい産業が全く育っていなかった。それらの伝統産業の衰退・消滅を加速させたのがサッチャー政権による「弱者切り捨て」とも言われた厳しい産業改革だった。それに対抗するかのように炭坑労働者によるストライキがあちこちで頻発、英国経済が麻痺して「英国病」という言葉が生まれた(詳しくはむささびジャーナル255号)。その当時、保守党政権の産業政策を担当していたマイケル・ヘゼルタイン(Michael Heseltine)は、サッチャーによる「改革断行」を振り返って
  • ひょっとすると思慮が足りなかったかもしれない。
    Probably it was too unthinking.
と述べている。


いずれにしても、1980年代初期のサンダーランドは失業者があふれ、犯罪も急増するという危機的な状況だった。そんなサンダーランドに日産自動車の工場を誘致したのがサッチャー首相だった。日産の工場が生産を始めた1986年9月8日、サンダーランド工場の開所式に出席したサッチャ-さんは、日産が投資先として英国を選んだということは、「英国がヨーロッパに勝利したということだ」として
  • ヨーロッパ全体の中で英国が政治的・経済的に大規模な投資を行うための最も魅力的な国であることが、日産によって確認されたということなのです。
    It was confirmation from Nissan that within the whole of Europe, the United Kingdom was the most attractive country - politically and economically - for large-scale investment.
と語っている。

「対英」ではなく「対欧」投資

自らが先頭に立って日産の対英誘致に取り組んでいただけに正に得意満面という感じだった。サッチャー自身は語らなかったけれど、彼女が日産の幹部を口説き落とすために最も力を込めて売り込んだポイントは、英国が「ヨーロッパへの入り口」(a gateway to Europe)ということだった。英国はEU加盟国なのだから、英国で作られた製品は(もちろん車も含めて)すべて関税なしでEU加盟国に輸出できるということです。日産が他のヨーロッパの国ではなく、英国を投資先として選んだ理由は、英国には他国よりも優れた労働力が存在するからだ・・・というのが、当時の英国政府の口癖だった。ただ日産にしてみれば、これは対ヨーロッパ投資なのであり、工場を作った場所がたまたま英国であったというだけのことだった。なぜ英国だったのか?については「英語が通じる」という程度の説明しかなかった。

英国製自動車の輸出先(2017年)

操業開始当初のサンダーランド工場は、従業員は430人、目標は年間2万4000台の生産だった。1986年に最初に作ったのはブルーバード、オープンから14年後の2000年には年間30万台を生産するようになっていた。そして現在のサンダーランド工場は、年間51万9000台のクルマを生産、うち55%がEU諸国への輸出に当てられている。従業員は7755人ですが、サンダーランド以外に英国内に拡散する部品供給などの関連会社では3万人が働いており、工場が出来てから約30年、サンダーランド工場では親子2世代の社員も出て来ている。

1986年当時のサンダーランドの雰囲気について、その頃は20才だったシャロン・ホジソン(Sharon Hodgson)という女性労働党議員は
  • 日産が(サンダーランドへ)やって来たときに、若い女性だった自分が持った希望と楽観主義の感覚をいまだに憶えているわ。北イングランドにも何かがやってくるものなのだという驚きだった。
    As a young woman, I remember the feeling of hope and optimism when Nissan came, the shock and surprise that we were actually going to get something.
と回顧している。

「まさか」が現実に

日産が工場をオープンしてからちょうど30年後の2016年、英国のEU残留を問う国民投票が行われ、離脱派が勝利したわけですが、サンダーランドでは82,394票対51,930票で離脱派が勝利した。6:4を超える票差だった。

サンダーランドのEU国民投票

サンダーランド市議会は75議席中67議席が労働党が占めるほどの労働党の天下であり、国民投票では議会も議員も「残留」を支持したけれど、選挙民を戸別訪問してみると圧倒的に離脱の意見が多かったのだそうです。大体において若い層は「残留」を高齢者が「離脱」を支持した。離脱に投票した男性(60才)は「ヨーロッパが自分たちを縛る法律なんか作りやがって」(sick of the EU deciding our laws)と吐き捨てるように語ったのだそうです。EUに関する国民投票では、残留派からサンダーランド工場でキャンペーンを開始したい旨のリクエストがあったが、日産は断った。「政治に関わりたくない」という意識もあったけれど、本音は「まさか離脱派が勝とうなどとは思っていなかった」ということだった。



さらにGuardianの記事によると、サンダーランド工場が現在の生産規模を保つためには、一日約500万もの部品(5m parts each day)が納入される必要があるのですが、その85%が現在は主にヨーロッパから「輸入」されているのだそうです。Of these parts, 85% are imported, mainly from Europe. 自動車メーカーに対して部品を納入するような企業が存在する「ヨーロッパ」は常識的に考えてEU加盟国ですよね。しかも毎日500万もの部品が滞りなく「輸入」されるためには、メーカーも部品供給者も同じEUの国であることが必要条件になるのは当たり前です。

再び思慮不足?

北イングランド商工会議所ジェームズ・ラムズボサム(James Ramsbotham)専務理事は、英国のEU離脱が地域経済に与える影響についてたびたび警告を発している人物なのですが、今から40年も前にこの地の伝統産業が衰退した際のサッチャー政権のやり方が「思慮不足だった」(unthinking)という保守政治家の言葉について
  • 自分たちは今また同じ思慮不足を繰り返そうとしているのではないか?
    Aren’t we in danger of doing the same unthinking thing now?
と語っている。つまり将来についてじっくり考えて計画を立て、未来を見通す眼を持つ(sufficient thinking, planning or foresight)ということがないのではないかとのことです。Guardianのエッセイはイントロの部分で
  • 1980年代、サッチャー政権は英国を「ヨーロッパへの入り口」として売り出した。そして日産がサンダーランドに工場を作り、大いに繁栄した。しかし今やその未来は不透明なものとなっている。
    In the 1980s, Thatcher’s government sold Britain as ‘a gateway to Europe’. Nissan came to Sunderland and thrived ? but now its future is uncertain.
と書いています。

▼30年前のサッチャーさんによる衰退産業の切り捨ても今回のEU離脱も「思慮不足」だと言う人がいる。むささびは"unthinking"という英語が存在することを知りませんでした。辞書を引くと"not based on serious thought"という説明が出ていました。確かに日本人に比べると英国人には「走り出してから考える」ような性癖がありますよね。だから日本人のように延々と考えるだけで行動に移さない(ように見える)もののやり方はじれったくて仕方ないと映るかもしれない。でも・・・BREXITは"unthinking Brits"の弱みがもろに出てしまったとしか思えませんね。

▼日本のメディアにしては珍しく、東京新聞(10月24日付)と読売新聞(10月20日付)が社説でBREXITの問題を取り上げています。前者は「民意を問い直しては」と言っている。つまりもう一度国民投票をやり直したら?と言っている。読売の社説には(悪いけど)笑ってしまった。「英EU離脱交渉 これ以上の停滞は許されない」と謳っておいて、結論の部分では「メイ氏は指導力を発揮し、(ソフト離脱に向けて)国内の合意取り付けに取り組まねばならない」と言っている。「指導力」で何とかなるくらいなら苦労は要らないっつうの!「毒にも薬にもならない」議論の見本のようなものです。

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2) 中国は女性中心社会!?


10月11日付の書評誌、London Review of Books (LRB) に上海社会科学院(Shanghai Academy of Social Sciences)のSheng Yunという教授(女性)が、いまの中国における女性の地位に関するエッセイを寄稿しています。彼女は1980年の生まれの38才、LRBの姉妹誌であるShanghai Review of Books(SRB)の編集にも参加しています。LRBに寄稿したエッセイは4000語を超える長いもので、これを手短にまとめるのは無理、というわけで、むささびの独断と偏見でごく一部だけ切り取って紹介します。ここをクリックすると全文を読むことができます。


ガキ大将は女子で決まり

エッセイは次のような書き出しになっています。
  • I have never felt the need to call myself a feminist...
自分はこれまで自分のことを(女性の権利を主張する)フェミニストであると自称する必要性を全く感じたことがない・・・というわけです。何故?彼女が女性が圧倒的に強い環境で育ったから。小学校時代、学校におけるガキ大将(most ferocious person)といえば女の子に決まっていたのだそうです。


ビジネスウーマン

彼女が生まれた1980年は、かの有名な「一人っ子政策」が始まった年でもあるのですが、彼女が育った時代、学校の成績は大体において女の子の方が上だった。特に「一人っ子政策世代」(1980年~2015年)の場合、学校における男女比は大体において50:50だったけれど、女の子は成績順では中から上位を占めており、トップであることもしばしばだった。1999年に中国の大学が入学者の数を大幅に(110万人→160万人)増やしたけれど、それ以来大学入学では女子が男子を上回るという状態が続いており、2018年の数字では女性の大学生が全体の52%を占めている(日本における大学生の男女比は男55.9%:女44.1%だそうですね)。

企業社会でも

筆者によると、中国は企業社会においても女性の進出が著しい。例えば中国におけるハイテク企業の約8割(79%)が少なくとも一人は女性の役員を置いている。アメリカの場合は54%、英国企業は53%だから、中国企業における女性の進出はかなり高いと言える(と筆者は言っている)。


農村の女性

要するに中国は女性中心社会なのであり、今さら女性の権利主張など叫ぶ必要はない・・・というわけですが、筆者によるとそれは都市部の中国のハナシなのだそうです。田舎へ行くと事情は全く違っていて、まるで別世界(different planets)の父権社会(patriarchy)が広がっている。そこでは女性は妻および母としての役割を果たすことだけが求められる。女性は「不良品」(flawed goods)であり、世の中に捨てられた存在(cast away)と見なされる。さしたる理由もないのに夫が妻を殴るのは当たり前、女性はまともな人間扱いされておらず、(例えば)離婚を女性が言い出すなどあり得ないことなのだそうであります。

田舎は別世界

多くの女性が村を捨てて町へ出て、掃除婦、女中(housekeeper)、ケアワークのような仕事にありつく。必ずしも離婚して町へ出るわけではないけれど、町に出た女性は田舎へは帰りたがらない。筆者が雇っている女中さんの場合、無職の夫とビデオゲームに浸りきっている息子がおり、彼らを養うために数軒の家庭を掛け持ちして1週間7日働いている。何故離婚しないのか?と聞くと「離婚などしたら自分自身の生き甲斐を失うことになる」(she would lose her purpose in life)とのことだった。


政治は男の世界?
地方社会と並んで男性中心主義がまかり通っているかに見えるのが政治の世界です。例えば政治の中枢とも言える中国共産党の中央政治局常務委員会の委員7人がすべて男性です。ただSheng Yunに言わせると、これは女性蔑視というよりも世代の問題である、と。7人の委員がすべて彼女の父親の世代の人間であり、彼らが成人となった頃(文化大革命の時代)の中国では今ほど大学教育を受ける人間はいなかった。これから10~15年もすると、「一人っ子政策世代」の人間が政権の中枢を担う時代になる。そうなると政治の世界も今ほどには「男中心」ではなくなるであろうというわけです。

そもそも中国の指導層にはウーマンパワーに対する拒否反応のようなものが存在しない。習近平氏自身、現在の奥さん(二人目)は、中国では知らない者はいないというほど有名な歌手だった人物であり、子供は娘です。また官僚の世界でも男性が女性の上司に仕えることは何も不思議なこととはされない。ランクの低い者が高い者に従うのは当たり前ということです。


老人たち
根強い家族制度

最後に中国における「少子化」について。「一人っ子政策」が「二人っ子政策」に変わったのが2年前の2016年です。人口及び家族計画法(Population and Family Planning Law)なるものが出来たのですが、それによる新生児数は2015年(1660万:一人っ子政策時代)→2016年(1790万)→2017年(1720万)という移り変わりになっている。二人っ子政策の最初の年(2016年)は前年比130万人の増加を記録したけれど、2017年になると70万人減っている。筆者によると二人っ子政策への転換の成果は「思ったほどではなかった」(less than anticipated)のだそうです。

ところで中国では独身女性が妊娠、子供を産もうとすると面倒なことになるのだそうですね。罰金を科せられる(罰金額は地方によって異なる)だけではなくて、家族登録簿(hukou:household registration)に載せてもらえないこともあり得る。そうなると無償教育や社会保障の対象として見なされなくなる。独身女性でも子供を産めるようにするということは、中国の家族登録制度そのものを根底から変えることを意味するのですが、筆者によると、現代中国における国内移住管理の中核となっているのが、この"hukou"という制度なのだそうです。中国政府は何かというと、「少子高齢化」だの「労働力不足」だのを避けなければと声高に叫ぶけれど、筆者によると・・・
  • もし高齢化社会が現実の脅威となっているのだとするのなら、そろそろ独身女性が子供産んでも罰金を科せられるというようなことがないようにするべきときなのではないか。
    If the ageing society is so imminent and so threatening, maybe it’s time to allow single women to have babies without fear of punishment.
とのことであります。


▼上の写真は上海や北京のような大都市にある公園で週末に開かれる「婚活マーケット」の張り紙に見入る女性です。両親が自分の子供(未婚)に関する情報を紙に書いて貼りつけると、それを見るために夫や妻を求めている男女が集まってくるというわけ。むささびはそんなものがあるなんて全く知りませんでした。こればっかりは日本にはないのでは?筆者によると、女性にとっての結婚適齢期は大学を出たばかりの22才から27才まで、そのあとは「売れ残り」(leftover lady)扱いなのだそうであります。

▼38才になるこのエッセイの筆者によると、現代の中国において「根本的に反女性的」な習慣があるとすると、それは結婚なのだそうです。年上に仕え、夫に仕え、そして子育てに励む・・・それらが女性を妻の座に縛り付ける制度になっているというわけですが、実は結婚は男にとってもタイヘンな重荷なのだそうです。「家」(family)の維持にまつわる、ありとあらゆる責任が夫にのしかかる。大都市において結婚をしたくても出来ない男性の多くがっ住宅ローンを払うだけの収入がないことが理由なのだ、と。

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3) カショギ殺害報道の陰で・・・

英米によるサウジ支援
農村・漁港・牧場が爆撃対象に
カショギ殺害:反体制派への見せつけ?

サウジアラビアのジャマル・カショギというジャーナリストがサウジ政府当局によって殺害されたのではないかということが話題になっており、このむささびが出るころに何がどうなっているのか分からないけれど、10月20日現在の報道によると、それまではカショギ記者が総領事館内で死亡したたとする疑惑を否定してきたサウジ政府が初めてこれを認めて、この事件に絡んだとされるサウジ人を拘束、情報機関の副長官や王室顧問らを解任するという行動に出ている。しかし関与が疑われるサウジの王子については何も出て来ていない・・・というわけで、これに関してはトランプも国際メディアも一致してサウジ当局を非難する論調を続けている。


このような報道がされる約1週間前、10月14日付の Independentに掲載されたパトリック・コバーン(Patrick Cockburn)という中東問題専門の記者のエッセイによると、サウジアラビアを中心とする湾岸諸国(サウジアラビア、カタール、クウェート、バーレーン、アラブ首長国連邦)の連合軍がイエメンで行っていることを考えれば、ジャーナリスト一人の殺害など大したことではないとサウジ当局は考えているとのことであります。つまりメディアに対して、「眼の付け所が違うんでないの?」と言っている。

英米によるサウジ支援

連合軍によるイエメン爆撃が始まったのは3年前の2015年3月のこと、イエメン国内におけるスンニ派とシーア派による内戦にサウジらが介入したことに端を発している。サウジが支援するスンニ派の政権に対してシーア派のフーシと呼ばれる集団が攻撃を仕掛けているというわけで、政権側からサウジなどに対して援軍派遣が要請されたのですが、連合軍側によるとイエメンのフーシ派の背後にはイランがいるとのことだった。そしてサウジらによる軍事介入を支えたのがアメリカであり、英国だった。アメリカは連合軍の戦闘機への空中給油などを通じて協力し、英国は連合軍の司令部に人材派遣を行うなどして協力したということです(むささびジャーナル327号)。


The Independentに寄稿したコバーン記者が疑惑の眼を向けているのが、カショギ問題をめぐる英米のサウジ批判がいつまで続くのかということです。サウジ批判が単なるカショギ事件だけで終わったしまうのではないかということであり、サウジによるイエメン爆撃の悲惨さがさしたる非難もされずに終わってしまうということです。そしてコバーン記者が注目しているのが、World Peace Foundationという組織が発表した
というタイトルの報告書です。

農村・漁港・牧場が爆撃対象に

報告書を作成したのは、London School of Economics (LSE) のマーサ・マンディ教授。報告書によると、サウジを中心とする最近の連合軍によるイエメン攻撃の中心となっているのが食糧ルートの破壊にある。攻撃の対象がイエメン国内の軍事拠点ではなく農村・漁港・牧場のような食糧生産に関わるエリアおよび首都サナア付近の食品生産工場などに集中している。それに加えて水源や交通インフラ、学校、病院、文化遺産などの民間施設が爆撃の対象になっている。国連の報告でも、連合軍のこれらの爆撃によってイエメンの人口の4分の3にあたる2220万人が影響を受け、840万人が深刻な食糧不足に陥っているとされている。パトリック・コバーンが言っているのは、サウジ連合軍がイエメンの食糧供給ルート爆撃は民間人を食糧飢餓にさらすことで戦争に勝とうとしているということです。


で、カショギ記者の殺害ですが、コバーンによると、これは独裁国家にありがちな「凶暴と愚鈍をミックスしたようなもの」(grisly mixture of savagery and stupidity)なのだそうです。海外で活動する自国のジャーナリストが少しでも反体制的なことを書くと、とてつもない執念でこれを弾圧しようとする。カショギ記者による反体制的なジャーナリスト活動は、サウジの体制にとって実際にはそれほどの脅威になっていたわけではないのにオーバーに反応したということで、同じようなことがサダム・フセイン下のイラクでもさんざ行われていた。

カショギ殺害:反体制派への見せつけ?

カショギ記者のように海外で活動する自国のジャーナリストを迫害することの目的はただ一つ、国内に存在する反体制勢力に対する見せつけである・・・とコバーンは言う。独裁者というものは大体において自分とは異なる他者の意見や助言を受け付けようとしない。結果として自らの首を絞めることになるのは、サダム・フセインによるイラン侵入(1980年)、クェート侵略(1990年)を見ればはっきりしている。そしていま、3年前にサウジアラビアが始めたイエメン爆撃が同じような「悲劇的結果」(catastrophic results)に終わりつつある。

要するにサウジ政府はカショギ記者を殺害した場合、そのことに対する国際的な非難は盛り上がるかもしれないが、一方でイエメンにおけるサウジ連合軍による大量殺戮行為からは目をそらせることができる。そのことを考えれば・・・
  • イスタンブールのサウジアラビア領事館における一人の男の死などは、自分たちでも処理できる、どうってことない問題だ。
    Any outcry over the death of a single man in the Saudi consulate in Istanbul was something they could handle.
とサウジの指導層は考えたということです。

▼ジャマル・カショギ氏は1958年10月13日生まれだから今年でちょうど60才だったんですね。The Economistの追悼記事(orbituary)によると、サウジアラビアのジッダという町に政府のお金で下水道が敷設された際に、それが単なるマンホールで下水管など通っていなかったにもかかわらず政府から業者に巨額の金が支払われるという汚職事件があった。その際彼はアル・ワタン(Al-Watan)という新聞の編集長であったのにこの汚職については一切報道しなかったということがあったのだそうです。The Economistによると、カショギ氏は「黙っているべき時を心得ている」( Jamal Khashoggi knew when to stay silent)ジャーナリストだったとのことであります。

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4)安田純平さんの解放に想ったこと
 

シリアで捕らわれの身となっていたジャーナリストの安田純平氏が帰国しましたが、それに関連して日本のメディアによって報道された記事を二つ紹介します。

なぜ戦場へ行くのか?

まず安田さんが今から15年前の2003年、『創』という雑誌の8月号に寄稿した「私が新聞社を辞めて戦場に行った理由」というタイトルのエッセイです。むささびは知らなかったのですが、彼はフリーの記者として戦場へ行く前には、長野県の信濃毎日新聞で記者として仕事をしていたのですね。当時、イラクでは英米を中心にした「有志国」の軍隊がサダム・フセインの独裁政府に対して戦争をしかけていた。安田さんは、このイラク戦争を現場で取材したいと会社に申し出たのですが、「イラクの戦争など長野県と関係ない」と却下されてしまった。

実は前年の2002年12月に休暇をとってイラクを訪問、自費で取材活動をしていたのですが、それを会社の仕事として派遣する形にしてほしいと申請して拒否されたわけ。だったら辞めるっきゃない・・・というわけで信濃毎日を止めてフリーランサーとして戦場へ行くことになった。安田さんのエッセイはかなり長いので、その気のある方はここをクリックしてお読み頂くとして、むささびは一か所だけ抜き出します。それは彼が何故それほどまでにイラク行きにこだわったのかという部分です。
  • 私は、戦争が近づいているといわれている国の人々がどのような表情をして暮らしているのか、そうした場所にいるということがどういった心境なのかを知りたいと思った。また、そうした人々の声を伝えるのが記者の役割だと考えていた。


「長野には関係ない」

イラク戦争のさ中に、安田さんらの通信施設が壊滅して連絡手段がいっさい途絶え、日本人の安否確認ができなくなったことがある。日本国内は大騒ぎになり、ある通信社などは安田さんを含む日本人の死亡記事を用意していたらしいのですが、その際に安田さんについて、かつては所属していた信濃毎日新聞の幹部に取材をしたところ、安田さんのことで取材をされたこと自体に怒っていたのだそうです。「あんなヤツ、ウチとはもう関係ないんだから、知りませんよ!」とか何とか言われたのでしょうか?

で、その信濃毎日新聞ですが、今回の解放にあたって10月25日付の社説(安田さん解放 まずは無事を喜びたい)では安田さんについて次のように書いています。
  • 紛争の実態は国や軍の発表だけでは分からない。現地に赴く各国ジャーナリストの報道があって初めて、子どもらが犠牲になる戦争のむごさを実感し得る。戦争報道はどうあるべきか。安田さん自身の言葉を待って、私たちも共に考えていきたい。
かつての「シリアなんて長野県とは関係ない」というのとはトーンが全く違う論調です。この15年間で何が起こったのでしょうか?


フリーはメジャーの下請けだから

次に紹介するのは、宮家邦彦さんという外交評論家がニッポン放送のラジオ番組に出演(10月26日放送)、『安田純平さん帰国~中東人質ビジネスの実態』というタイトルで安田さんの解放について解説したものです。宮家さんの語りを文字にしたものを読むことができる。宮家さんによると、中東には安田さんのようなフリー・ジャーナリストがたくさんいて、危険な場所へは自社の記者を派遣しない「メジャーなメディア」に成り代わって危険地帯にも出かけて行って取材する。つまり・・・
  • (安田さんのようなフリーランサーは、メジャーなメディアの)下請けなのです。そういう形で情報を取ってメディアは報道する。そしてそれなりの報酬を払うというビジネスだから、メディアは批判もできないしヒーロー扱いもできない。
ここで言う「メジャーなメディア」というのは、普通の新聞社・通信社や放送局のことです。またいわゆる「自己責任」論について宮家さんは
  • 僕みたいに「イラクへ行け」と言われて行ったのではなくて、彼は自分でシリアへ行ったのだから、責任を持って行くのは当たり前です。そこを批判しても仕方ありません。
と言っている。

▼宮家さんの語りを読んでむささびが思ったのは、彼のような見方をする人は、安田さんの「戦場のそばで暮らす人々の声を伝えるのが記者の役割だと考えていた」という感覚をどのように受け取るのだろうか?ということです。宮家さんは元は外交官なのですが、彼がイラクへ行ったのは「行けと言われたから」です。イラクへ行けと言われなくても、外交官としてイラクのような場所の平和に貢献したくて出かけるというような気分にはならないものなのでしょうか?

▼それから宮家さんの最後のコメントにある「そこを批判しても仕方ありません」というのも気になる。「それならどこを批判すればいいんですか?」と聞いてみたくなる。彼のコメントの端々に伺えるのは、安田さんのようなジャーナリストのみならず、自分なりに目的意識を持って「戦場」へ出かけるボランティアのような人びとへの敵愾心のようなもの、「余計なことしやがって」という感覚です。戦場へ行くのは、外交官のような「プロ」が「行けと言われたから」やる行為なのであって、頼まれもしないのに、素人が「行きたいから行く」などとんでもないハナシだ・・・と宮家さんらは考えている、というのはむささびの勝手な誤解だよね?ね?信濃毎日新聞の社説の言う「紛争の実態は国や軍の発表だけでは分からない」という意見を宮家さんはどのように考えるのか?

▼それから宮家さんは、メジャーなメディアが自社の記者を危険地帯に派遣せず、フリーの人たちに「下請け」させているから「批判もヒーロー扱いもできない」と言っている。このようなコメントを自社の電波を使って流されることにニッポン放送は何を感じているのでありましょうか?「よくぞ言ってくれた」ってこと?危険な取材はフリーにやらせ、フリー批判は評論家にやらせればいい、そういうこと?

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5) どうでも英和辞書
A-Zの総合索引はこちら 

agreeable:感じがいい


"agreeable" を英和辞書で引くと「感じがいい」とか「快い」のような日本語が書いてある。Cambridgeの辞書にはそれ以外に「誰にでも受け容れられる能力」(able to be accepted by everyone)というのと「何かを受け容れる気持ち」(willing to do or accept something)というのも出ている。別の辞書には「親切(kind)」、「思いやりがある」(caring)というのもある。要するに「いい人」(nice guy)ってことですよね。

で、最近のNewsweekのサイトに"AGREEABLE PEOPLE MORE LIKELY TO BE BROKE"という見出しの記事が出ております。感じのいい人たちに限って無一文(破産者)の可能性が高い・・・!?ロンドンのユニバシティ・カレッジのグラッドストーン助教授らが、過去において行われた、約300万人にのぼる人間に関する調査データの中から約9000人分のデータを抽出して、それぞれの性格と財政状態を調べた結果がそのようになったのだそうであります。

要するに「いいヤツ」に限って金銭的に恵まれないばかりでなく、お金に疎くて借金を作りがちでしかも返済が遅いのだそうです。悪気はないのだけれど、お金にルーズということですね。グラッドストーン助教授らにとって意外だったのは、幼児において"agreeable"な性格だった人間が大人になって金銭的なトラブルに巻き込まれるケースが多いというデータだった。このデータは、ひょっとすると銀行がお金を貸す相手を見定める際に役に立つかもしれないとのことであります。

ところでむささびは知らなかったのですが、英語には"Nice guys finish last"という英語のフレーズがあるのですね。「いいヤツはビリになる」ということですが、好人物は出世しないということのようであります。
 
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6)むささびの鳴き声 
▼うれしいニュースです。むささびジャーナル388号に『「生き辛さ」が引かせた「一線」』という記事が出ています。神奈川県相模原市の障害者施設で起こった殺傷事件の被告を取材したRKB毎日放送の神戸金史記者が日本医学ジャーナリスト協会賞を受けることになったのだそうです。自閉症という障害を持った息子との生活を書いた『障がいを持つ息子へ 息子よ。そのままで、いい』という本が受賞の理由なのだそうですが、個人的な知り合いではないけれど、自分が紹介した人が受賞するというのも嬉しいものですね。むささび自身は、この人の著書を読んだことはなく、388号で紹介したラジオ番組が唯一の接点です。あのときに番組に聞き入ってしまった理由の一つに、記者自身の当事者意識があるように思います。相模原の事件は彼にとって他人事ではなかった。そのことが番組にもにじみ出たのではないかということです。

安田純平さんの記事に関連するのですが、2004年にイラクで3人の日本人が誘拐されたときに「自己責任論」なるものがまかり通って、戦争の中でイラクの子供らを助けようと出かけて行ったボランティアらに罵声を浴びせたことがありますよね。あの事件が起こったときに、むささびはあるフィンランドの外交官と食事をしたのですが、そのフィンランド人は「人助けをしようと思っていたボランティアが誘拐されて何故非難されなければならないのか?」と質問してから「自衛隊の人が誘拐されても非難されるのでしょうか?」と真顔で聞いてきた。むささびの答えは「自衛隊は義務で行っているから誘拐されても非難されないが、ボランティアは好きで行っているから・・・」というものだったけれど、相手は全く納得していませんでした。そうでしょうよ、むささび自身が納得していなかったんだから。

▼その際に誘拐されたボランティアの一人だった高遠菜穂子さんが、安田さんの解放に絡んで自分の体験について語っている文章に出会いました(Facebook)。それによると、彼女は9日間にわたるイラクでの拘束と帰国後の日本におけるバッシングがセットになってしまい、「14年が経ちますが、いまだに悪夢にうなされることもあります。いまは心臓が早打ちしています」と言っている。あの時の日本国内の雰囲気については、むささびも『イラクの人質事件と「自己責任」』という文章を書いてあります。

▼安田さんの解放について「自己責任」が叫ばれている部分もあるけれど、14年前の高遠さんらのときよりはマシです。その分だけ日本も一応進んだってことかもね。お元気で!


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むささびへの伝言