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333号 2015/11/29
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美耶子の言い分 美耶子のK9研究 むささびの鳴き声 どうでも英和辞書
このところ埼玉県はかなり寒くなっています。考えてみると明後日はもう12月なのですね。上の写真、ネットで見つけたものなのですが、青空に白い雲が浮かんでいて、春の景色という気がするけれど、木には葉っぱが一枚もついていない。不思議な光景です。
目次

1)ダライ・ラマ:祈りでテロはなくならない
2)バーバラ・リーは間違っていたか?
3)「ISISを完全壊滅するしかない」
4)パリのテロ事件報道の不釣り合い
5)多文化主義と同化主義の果てに
6)どうでも英和辞書
7)むささびの鳴き声

1)ダライ・ラマ:祈りでテロはなくならない

11月16日付のドイツ国際放送(Deutsche Welle)のサイトに仏教徒であるダライ・ラマとのインタビュー記事(英文)が出ており、パリのテロ事件について彼の見解を述べています。ダライ・ラマはまず前世紀(20世紀)において2億人以上もの人が戦争や紛争で命を落としたことに触れて「21世紀のいま、我々は20世紀に流された血の滴りを目にしている」として、
  • 人間が平和達成のために真摯な努力をしない限り、20世紀に経験した惨劇をこれからも見ることになるだろう。
    Unless we make serious attempts to achieve peace, we will continue to see a replay of the mayhem humanity experienced in the 20th century.
と語っている。

ダライ・ラマはパリの事件について「テロリストは近視眼的な見方しかできず、それが自爆テロに結びついている」と語ったのですが、むささびが「なるほど」と感心してしまったのは、次の発言です。ちょっと長いけれど全文を引用します。
  • (テロや戦争のような)問題をお祈りだけで解決することはできないのですよ。私は仏教徒であり、祈りというものを信じている。しかし現代の問題を作ったのは人間ですからね。なのに我々は、神に問題解決を求めている。理屈に合わない。神は言うでしょうね、「あなたたちが自分で解決しなさい。あなたたちが作った問題なのだから、と。
    We cannot solve this problem only through prayers. I am a Buddhist and I believe in praying. But humans have created this problem, and now we are asking God to solve it. It is illogical. God would say, solve it yourself because you created it in the first place.
ダライ・ラマは人間社会にとって最も大切なものとして「一つであること」(oneness)と「調和をとること」(harmony)を挙げており、そのために「システマチックなやり方」(systematic approach)が必要だと強調しています。

▼人間が作り出した問題は人間が解決しろ・・・というのが面白いとむささびには思えるわけ。お祈りでは物事は解決しない、と。ご尤もであります。
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2)バーバラ・リーは間違っていたか?

パリのテロ事件後、フランスのオランド大統領は「戦争だ!」と叫び、英国のキャメロン首相もISIS攻撃に参加することを示唆するし、なんとロシアのプーチン大統領も米仏とともにシリアのISIS領の爆撃を強化すると言っている。英国メディアもISIS憎しで凝り固まっているように見える。という状況をネットで見るにつけ、むささびが思い起こすのは、いまから14年前、2001年9月11日のアメリカにおける同時多発テロの4日後(9月15日)に行われた、米議会におけるアフガニスタン攻撃をめぐる採決です。

全米がテロリスト憎しで凝り固まっており、当時のタリバン政権がオサマ・ビン・ラディンを匿っているというので、ブッシュ大統領がアフガニスタンの爆撃を提案したわけですが、上院が98対0、下院も420対1という圧倒的大差で大統領の提案が支持されたのですよね。上下両院を通じてただ一人これに反対したのが、カリフォルニア選出のバーバラ・リー(Barbara Lee)下院議員だった。ここをクリックすると、採決当日のリー議員の下院における演説を動画と文字で見ることができます。むささびが記憶にとどめたいと思ったのは次の3カ所です。
  • (テロリズムという)アメリに対する言葉では尽くせないような行為に直面し、私はこれからの進むべき方向については、自分自身の道義上の羅針盤、自分自身の良心、そして私自身の神に頼るしかないという精神状態に至りました。
    This unspeakable act on the United States has really -- really forced me, however, to rely on my moral compass, my conscience, and my God for direction.
  • 9月11日は世界を変えました。私たちは深い恐怖に襲われています。しかし、私は固く信じております。軍事行動によって、アメリカに対する国際的テロが繰り返されることを防ぐことはできないのです。
    September 11th changed the world. Our deepest fears now haunt us. Yet, I am convinced that military action will not prevent further acts of international terrorism against the United States.
  • 我々が行動するにあたっては、自分たち自身が否定する悪に自分たちがなることがないようにしようではありませんか。
    As we act, let us not become the evil that we deplore.
最後の部分は、彼女自身の言葉というよりも、彼女が自分の教会の牧師から言われた言葉を自分の演説の中で引用したものです。リー議員は1946年生まれだから、この演説をしたときは55才だった。
▼彼女はその後、イラク戦争にはもちろん反対しているし、最近のシリア攻撃にも反対しています(ちなみに2001年9月15日の採決ではバラク・オバマ上院議員はアフガニスタン爆撃に賛成しているはずです)。むささびが引用したリーの言葉の中で「自分自身の」という言い方が正しいと思うし、最後の「自分たち自身が否定する悪」に自分たちがなってしまうことを拒否する呼びかけもことの核心をついていると思うわけです。ISISを憎むあまり、自分が同じようなことをするかもしれないことへの戒めです。

▼バーバラ・リーのアフガニスタン爆撃反対論ですが、結果的には彼女の意見が正しかったと言わざるを得ない状況になっている。ただむささびが問うてみたいと思うのは、あのときアメリカの議員がみんなバーバラのような意見であったならばブッシュ大統領も戦争はできなかったはず。そうなった場合はその後の展開はどうなっていたのだろうか?

▼アメリカのMother Jonesというサイト(2001年9月20日)にリー議員とのインタビュー記事が出ているのですが、その中に「彼女は自分が "pacifist" ではないと主張している」という文章があります。つまり戦争には何が何でも反対する絶対的平和主義者ではないということです。場合によっては賛成する場合もある、と。

▼バーバラ・リーとは関係ないのですが、アメリカの女性下院議員第一号となったジャネット・ランキン( Jeanette Rankin)という政治家は、アメリカが第一世界大戦に参戦することに反対したばかりか、日本の真珠湾攻撃にもかかわらず対日宣戦布告に反対した唯一の下院議員であったのだそうです。
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3)「ISISを完全壊滅するしかない」

シリア問題やISISの話になるとむささびがいつも注目するのが、Independent紙のパトリック・コクバーン(Patrick Cockburn)という記者が何を書くかということです。中東の現場に詳しくて冷静な現実主義者の眼で書かれており、何か事があると常にほかのメディアも彼のコメントを求めたがる。パリのテロ事件については、事件から4日後の11月17日付のIndependentに書いている。その記事を紹介するわけですが、あくまでも事件4日後に掲載されたものであることを分かっておいてください。コクバーンは「どんなに厳重な警備体制を敷いてもISISのテロを止めることはできない」(No security can stop Isis)としたうえで
  • ヨーロッパの安全を保つためにできることはただ一つ、ISISを完全壊滅するしかない。そのためにはシリアのアサド大統領が派遣する地上軍をアメリカがサポートするということである。
    Only the total destruction of the terrorist group, through US air support for Assad’s ground forces, can keep Europe safe

と言っています。

彼によると、今回のテロ事件が示したのは、ISISという集団が、自分たちの「領土」に対して攻撃を仕掛ける国に対して強烈なる仕返しをする能力があるということです。ガン・マンと自爆テロリストたった8人によって世界中のメディアを席巻するような大センセーションを引き起こすことができたのだから、ISISとしては大喜びとしか言いようのない成功であったということです。

メディア報道への疑問

ただコクバーンはこの事件のメディア報道については疑問を呈している。パリの事件が起こって世界中の都会の住民たちが「次は我々の町か・・・」という不安に陥ってしまったこと自体は理解できるにしても、あたかも「この世の終末が近い」とでも言わんばかりの恐ろしげなトーン(apocalyptic tone)に満ちたメディアの報道は行き過ぎていた(exaggerated)ということ。これまでの記憶に新しいテロが起こった町(1970年代のベルファストやベイルート、現在のダマスカスやバグダッド)の住民から見れば、今回のパリのテロなどは比べものにならないというわけです。そしてあたかもパリの市民がこれからもテロの恐怖に怯え続けなければならないだろうというニュアンスの怖がらせ報道は、ISISの思ったとおりの効果を生むことになる、と。

コクバーンがさらに批判するのは、ISISのテロを極端に激越な言葉で非難・報道すると、人びとは「怒りの言葉」(angry words)を使いさえすればればテロがなくなるかのような錯覚に陥って、テロ防止の有効な政策の形成につながらないということです。ことし1月にパリの風刺週刊誌襲撃テロ事件が起こったときは、世界の指導者が40人もパリに集まり、手をつなぎ合ってデモ行進を行うことでISISやアルカイダのようなテロ組織の打倒を誓った。しかし彼ら指導者たちはその後どのような政策を打ち出したのか?何もやっていない。

上の地図の中の赤い部分が、ISISの領域(caliphate)とされているところです。コクバーンによると英国全土よりも大きいエリアで、約600万の人びとが暮らしている。いまから約10年前の2004年、イラクを占領していた英米軍がイラク軍と一緒になって、アルカイダが支配するファルージャという小さな町を攻撃、これをアルカイダから解放したことがある。ファイナンシャル・タイムズの記事によると、この小さな町を解放するのに要した兵隊数は1万3500人、英米軍の死者は107人(うちアメリカ兵が95人)だった。数ヶ月かかってファルージャを解放したけれど、10年後にはISISの支配地域になってしまっているのだそうです。今回ISISとの戦闘を展開しなければならないのはファルージャ解放などよりはるかに大きく、相手も強力です。

ことし5月にシリア東部のパルミラ(Palmyra)という町がISISに襲われた際にアメリカは何をしたのか?何もしなかった。その理由はパルミラ防衛の仕事をしていたのが、シリアの政府軍だったということ。アメリカは、自分たちがここでISISを打倒するための空爆を行えば、シリアの政府軍を助け、アサド政権を援護することになり、国際的にも非難されてしまうことを怖れたということです。で、結果としてパルミラの町はISISの手に落ちて、シリア政府軍の兵士たちは首を切り落とされてしまった。つまりアメリカは何もしないことでISISのパルミラ占領手助けをしてしまったようなものである、と。

G20は何も分かっていない?

パリのテロ後、11月15日にトルコでG20の会合が開かれましたよね。トルコのエルドアン大統領は「話し合っているときは過ぎた」(the time for talking is over)として、いまやテロリズムに対して行動するときだという趣旨の発言をした。ちょっと聞くとトルコが対ISIS打倒の先頭に立っているように響くけれど、エルドアンのいわゆる「テロリスト」にはいろいろあって、ISIS以外にトルコ国内で「テロ活動」を行うクルド系シリア人の武装組織であるYPGというのも含まれている。コクバーンによると、エルドアン大統領は、ISISよりも自国内で「テロ活動」を続けるYPGと戦う方に熱心なのだそうであります。然るにYPGはISISとの戦いを進めるアメリカが「最大の味方」(its best military ally against Isis)と考えている集団でもある。実に話がややこしい。

コクバーンに言わせるとG20の会合に出席した首脳たちがISISを本当に分かっているとは思えない。例えば英国のキャメロン首相は、ISISは「国家」などではないのだから "Islamic State" などと呼ぶべきではないと言っているけれど、コクバーンはこれが、軍隊もあるし、徴兵制、税金などもある「本当の国」(real state)であるばかりかかなりの数の国連加盟国などよりパワフルな存在になってしまっていると言っている。


つまりISISが現在のような形で存在し続ける限り、パリにおけるような方法で自分たちのパワーを見せつけようとするのですが、自爆テロのような方法で一般人を対象にゲリラ作戦を仕掛けてくるので、いくら警備を強化してもテロリストはそれをすり抜けてしまう。
  • となると唯一の解決策はISISそのものを壊滅することである。そのためにはアメリカとロシアが、地上でISISとの戦いを続ける軍隊とパートナーシップを組んで空からISISを攻撃するしかない。
    The only real solution is the destruction of Isis: this can only be done by a US and Russian air campaign against it in partnership with those on the ground who are actually fighting it.
アサドは欠かせない

では、ここでいう「地上でISISとの戦いを続ける軍隊」とはどの軍隊なのか?コクバーンによると、それはシリアのアサド現政権の指揮下にある政府軍であるということになる。シリアという国を束ねてきた官僚制度や国防軍・警察などの国家組織はいずれもイスラム教のアラウイという宗派に属する人間によって占められており、その中心とも言えるアサド大統領を除外することは実際には不可能だということです。現在のシリアからアサド大統領が消えてしまったら、国全体が政治的な真空状態に陥り、それを満たすのがISISやアルカイダのような組織ということになる。


コクバーンに言わせると、シリア問題がここまでこじれている原因の一つが、シリア内戦に対するフランスの「ぼんくら政策」(muddle-headed policy)にある。フランスではこれまで「アサド政権は簡単には潰れない」という趣旨の発言をしようものなら「アサドの回し者」扱いされてきた。さらにフランスのメディアは反アサド勢力を「中東の春」の民主化勢力という捉え方しかしなかった。つまりフランスの外務省もメディアもいずれは独裁者であるアサドが追放されて「民主的なシリア」が誕生するという発想に取りつかれてきたけれど、現在のシリアはあらゆる分野でアサドと反アサドの二つに分裂しており、この二者が共存する体制を模索するしかないという国になっているということです。

シリア爆撃:英国はどうするのか?
▼シリアの内戦とISISは切り離せないのですが、英国はどのような姿勢をとろうとしているのか?現在のところアメリカがリードするISIS攻撃については、「イラク領内」のISISエリアへの空爆には参加しているけれど、「シリア領内」のそれには参加していない。キャメロン首相が2013年に、アメリカなどが行っているシリアのアサド政権への空爆に英国も参加する旨の動議を提出したのですが下院がこれを否決した時点で、英軍がシリア領を爆撃することはできないことになった(むささびジャーナル275号)。

▼それが今回のパリのテロ事件で国内の反ISIS世論が高まっており、キャメロン首相はアメリカやフランスのような「有志軍」(coalition forces)が行っているシリア領内のISISエリアへの空爆にも参加するべきだとする動議を下院に提出する予定でいる。政府からの動議提出は今週中に行われるとされています。

▼これに対して労働党のコービン党首は、労働党の国会議員宛に手紙を書き、自分としてはキャメロンの軍事介入策に反対であることを明らかにし、政府の動議が提出された場合はこれに反対するように呼びかけている。ただBBCのサイトなどによると、労働党内には公然とコービンの意見には反対という声もある。また世論調査によると、2年前には74%がシリア爆撃に反対であったのが、パリのテロ事件後はこれが42%にまで落ちている。つまり攻撃支持の意見が増えているということです。

▼コクバーンはISISの「徹底壊滅」というけれど、ため息が出るほど大変な仕事ですよね。いわゆる「有志国」による空爆の援助を受けながらアサド政権の政府軍が地上軍として展開する、とコクバーンは言っているけれど、アメリカやフランスはアサドの軍隊と一緒に戦うなんてとんでもないとしている。ではキャロンたちは誰が「地上軍」の役割を果たすと思っているのか?アサド政権に反対してきた勢力です。これにはたくさんのグループがあるので、誰かがまとめ役を果たさなければならない。それは誰なのか?それらがすべてうまく行ったとして、地上軍と空爆によって徹底的に攻めまくるのはけっこうだけど、その後に来るのはどのような状況なのか?ISISの領域から彼らを追放したとして、どこかの軍が占領してISISが息を吹き返すようなことがないようにしなければならない。それをやるのは国連軍ですか?シリア政府軍ですか?シリアの反政府勢力ですか?いずれにしても相当な年月と費用を要するプロジェクトです。そもそもISIS壊滅なんて、できるんですかね。
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4)パリのテロ事件報道の不釣り合い


パリの同時多発テロについて、The Independentのコクバーン記者がメディア報道があまりにも大げさだという批判をしているのですが、オーストラリアのクイーンズランド工科大学でジャーナリズムを教えているフォーカー・ハヌシュ(Folker Hanusch)助教授もコクバーンと同じようなことを言っている。ただ彼の場合は
と言っている。フォーカー・ハヌシュは元々新聞記者であった人のようです。

今回のテロ事件のメディア報道については、例えばパリの事件の前日にはベイルートの自爆テロで44人が死んでいるし、ことし4月にはケニヤの大学で発砲事件があり147人が死亡している。なのにパリのテロのような大騒ぎにはならなかった、おかしいではないか、という批判があるわけです。

また、パリの事件後にFacebookがフランスの国旗をフィルターとして提供、多くの人々がこれを自分のプロフィール写真に重ね合わせてフランス人への連帯のメッセージ表現の道具としている。そんなことができるのなら、テロリストによる死者の数という意味ではフランスの比ではないシリアの旗はなぜ使われないのか?


自身が新聞記者であったハヌシュ教授にとって、この種の「不釣り合い報道」(disproportionate coverage)という現象は驚くようなものではない。個人的には、全ての人びとは平等に取り扱われるべきだと思っているので、メディアの不釣り合い報道をいいことだとは決して思っていない。が、問題は「それではどうすればいいのか」ということだ。事件がどこで起ころうが、どれも平等に報道されるべきだというのは理屈としては合っているかもしれないけれど、現実問題としてそんなことできるのか?

この人によると、ジャーナリストは自分のニュースを伝えるときには読者や視聴者が注目するであろうと思って記事を書く。昔はどの記事が読者受けするかは、記者や編集者の「カン」(gut feelings)のようなものに頼って決めていた。しかし最近ではインターネットの世界でウェブメトリックスという分析方法があり、それを使うとどのニュースが視聴者や読者の関心を惹くかということが「客観的」に分かるのだそうです。


ある編集者の話によると、同時多発殺人や自殺は最も読者(視聴者)の関心を惹くストーリーではあるけれど、その事件に「自分たちと同じような人間」(people like us)が関わっていないと急速に関心度が低くなっていく傾向がある。それは大体において自分と同じ国の人という意味なのですが、オーストラリアでは外国における殺人・自殺事件の場合、オーストラリア人が一人でも絡んでいればニュース価値が高いけれど、アメリカ人の場合だと5人以上、イタリア人だと20人、日本人は50人、ロシア人は100人、インド人は500人、そしてアフリカ人の場合は1000人死なないとオーストラリア人一人分のニュース価値はないという通説のようなものがある。

パリのテロ事件の場合、必ずしもオーストラリア人が犠牲になったわけではないけれど、テロの現場となったのが、サッカー場、劇場、レストランなど誰でも集まるような場所であったことやフランスとオーストラリアの文化的・経済的・政治的な関係の深さからしても、それが「自分たちに身近な事件」となった。


パリの事件は大々的に伝えるのにベイルートのテロ事件はほとんどニュースにならなかったことについて、ハヌシュ教授はそれをメディア側のみに責任をかぶせるわけにはいかないと言っている。読者が実際にベイルートやケニアの事件についての記事も関心を持って読むのであれば、編集者もそれを無視することはしないだろう。
  • ニュース報道を変えるためには、読者や視聴者のマインドセット(思考方法)も変わる必要があり、さらには他者への思いやりという点でも変わる必要があるだろう。
    To change news coverage, a change in people’s mindset is also needed - and, with that, a change in their empathy with others.
というわけです。ただニュースの受け取り手のマインドセットそのものが、メディアの報道によって影響されてしまっている部分もある。この点についてハヌシュ教授は「ジャーナリストに全く罪が無いと言っているわけではない」としながらも、ウェブメトリックスのようなシステムの発達によって、ニュース価値が記者のカンのようなものではなく、ニュースの消費者(読者・視聴者)の関心によって決められる時代が来ているのだから、パリのテロ事件報道に見られるような不釣り合いを正すことついては読者にも責任があると言っています。

▼外国で人が命を落とした場合、それがオーストラリア人なら一人でも大事件になるけれど、日本人の場合は50人死ななきゃニュースにならない(!?)・・・こういうのは日本でもありますよね。外国で何かの事故があると、必ず日本人が関わっていたかどうかがニュースになる。たぶんギャグであろうとは思うけれど、いくらなんでもアフリカ人なら1000人死ななきゃダメというのはひどすぎる。
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5) 多文化主義と同化主義の果てに
 
パリのテロ事件(11月13日)の2日後の11月15日付のObserverに、このテロ事件に関連して、文化的な多様性(cultural diversity)とどのように付き合っていくのかについて、英国とフランスのやり方の違いを論じるエッセイが出ています。書いたのはケナン・マリク(Kenan Malik)というジャーナリストで、イントロは次のようになっている。
フランスも英国もかつてアジア、中東、アフリカなどで植民地を有した歴史があり、それが故に21世紀の現在、自国内にさまざまに異なる文化的・宗教的な背景を有する人びとが同居している。主流は「白人」なのですが、彼らが自分たちと異なる文化的な背景を有する人たちとどのように同居していくのかについて、フランスと英国では違いがある、とマリクは考えている。

フランスの「同化主義」はフランスなりの一つの価値観や文化基準(例えば自由・平等・博愛)のようなものがあって、フランス社会で暮らすに当たっては、白人であれ非白人であれこの価値観や文化基準に同化(assimilate)することが期待・要求されている。「同化主義社会」のフランスでは、フランスの価値観を尊重している限りにおいては、誰もがフランス国民として平等な扱いを受ける・・・少なくとも理念としてはそうなっている。


それに対して「多文化主義」の英国(multicultural Britain)では、異なる文化的背景を持つ人びとはそれぞれ自分たちの基準や価値観に従って生きることが許される。良く言えば「違いに寛容」ということですが、マリクによれば、主流派の白人が非主流の人びとのためにさまざまに異なる人種や文化の箱(ethnic and cultural boxes)を用意して、その中に閉じ込めてしまうという結果にもなる。そのような英国の多文化主義についてフランスの政策立案者たちは、社会がばらばらに分裂しがちで、共通の価値観や国への帰属意識が育ちにくい点を指摘していた。

フランスにはイスラム教徒が500万人おり、西ヨーロッパ最大のイスラム教の人口であると言われるけれど、マリクによると、500万人というのは北アフリカ出身者の人口であって、実際にはそのほとんどが非宗教(secular)なのだそうです。確かに最近はイスラム教徒の人口が増えていると言われているけれど、2011年の調査によると、500万人のうち自分のことを「熱心なイスラム教徒」(observant Muslims)であると考える人は半分以下の40%、金曜日の礼拝に出席するという人は25%にすぎない。


ケナン・マリクは、現代のフランスや英国で少数派として暮らす人びとが日常生活で感じる疎外感のようなものを語ります。第二次世界大戦後に、よりよい生活を求めて植民地から大量の移民が本国へやって来る。これらの移民の一世たちは、どちらの国でも人種差別に直面したわけですが、それでも本国の社会に溶け込もうと努力していた。が、二世になると、親の世代が受け入れていた社会的差別や警官による暴力行為には反発するようになる。1980年代の英国ではそうした若者による暴動が相次いで起こっており、フランスでは2005年にパリ郊外や地方都市で北アフリカ系の若者による暴動が起こっている。

同化主義政策をとっていたフランスでも1970年~80年代には、それぞれの文化的な違いを主張することに寛容になった時期があった。ミッテラン政権のころには「違う権利」(right to be different)という考え方が広まったりもした。ただ人種差別に対する移民社会からの反発が目立ち始め、それに伴って右派勢力が主張を強めるようになると、フランス的価値観への「同化」を求める政策が復活する。2005年の暴動は、警察官による乱暴な扱いに怒った北アフリカ系の若者と警官隊との衝突がきっかけになっているのですが、暴動を起こした若者たちのほとんどが自分をイスラム教徒などと考えていたわけではなかった。なのに政府は、これらの若者の憤懣を人種差別への怒りというよりもイスラム教徒としての怒りと捉え、それがフランスという国にとっての脅威となっていると考えてしまった。

自信喪失が恐怖を生む

いまのフランスを語るときに引き合いに出されるのが2013年にフランス政治科学研究所(Cevipof)という機関が行った世論調査で、それによると、半数のフランス人が、フランスの経済的・文化的衰退を不可避と考え、フランスで民主主義が機能していると考えた人は3分の1以下だった。6割以上が政治家は腐っていると考える。この報告書によると、フランスはさまざまなグループに分断された「部族社会」のようになっており、政治家には不信感、イスラム教徒には反感を持っており、フランス社会を動かしているのは「恐怖」(fear)であると結論づけている。

そのような状況で政治家が行ったのは、全てのフランス人が共有している(ことになっている)「フランス的なるもの」を再確認するということだった。しかしそれもフランスという国をポジティブに特徴づける思想や価値観を明確化するのではなく、「フランス的でないもの」(alien-ness)に対する反感を掻き立てることでまとまろうとしたようなところがあった。その「フランス的でないもの」でいちばん目に付くのがイスラム教徒だったというわけです。


しかし(ケナン・マリクによると)実際には、フランスで暮らす北アフリカ系の人びとは、圧倒的に「非宗教」(secular)であり、イスラム教を実践している人びとでさえも実際にはかなりリベラルな発想をしている。例えば熱心なイスラム教徒の女性の7割近くがベールをかぶっていないし、自分の娘が非イスラム教徒と結婚することを許さないというイスラム教の親は全体の3分の1以下、81%が離婚時の男女平等という考え方を支持している。44%が男女の同棲に寛容、38%が堕胎の権利を認め、31%が婚前セックスを認めている。唯一、非寛容なのは同性愛で8割近くがこれを認めていない。

つまりこのエッセイの筆者によると、北アフリカ系のフランス人は、それほど極端に保守的とかイスラム的というわけではない。にもかかわらず彼らはフランス社会では人種差別に直面し、社会の片隅に押しやられており、それを是正しようという政策が実施されることがなかった。普通のフランス人は北アフリカ系のことを「アラブ」とか「イスラム」などと呼んでいる。こうした北アフリカ系のコミュニティの中で、二世たちは両親からも、主流のイスラム教からも、広くフランス社会からも疎外されていると感じている。

1月のテロ事件を起こしたクアシ兄弟は北アフリカからの移民の息子たちではあるけれど、熱心なイスラム教徒というわけではなかった。彼らはただフランス社会から除け者にされ(excluded)、差別され(discriminated against)、何よりも馬鹿にされている(humiliated)と感じていた。
  • 彼らはフランス語を話し、フランス的な感覚を持っていると思っている。なのにアラブ人と見なされていた。つまり文化的に混乱した状態に置かれていたということである。
    They spoke and felt French, but were regarded as Arabic; they were culturally confused.
英国流の「多文化主義」はお互いの違いを認め尊重しようという姿勢であり、それは悪いことではない。フランス流の「同化主義」は同じ理念のもとで白人も黒人もアラブ人もそれぞれをフランス市民として平等に扱おうというのだからこれも悪いことではない。が、これらの理念を実行に移すと途端に事情が変わってくる。英国では「多文化主義」の名のもとに、さまざまな文化的な背景を持った人々をいくつもの小さな箱に閉じ込めるようなことになってしまい、それぞれが孤立した状態になってしまった。フランスはというと、「共通のアイデンティティ」を確立しようとする中で北アフリカ系の人々を「その他」(the Other)という範疇に除外するようなことをしてしまった。結果として両国ともに分断社会を抱えるようになってしまい、過激イスラム主義が培養される土台を作ってしまった。

英国では2005年7月7日にロンドンのテロ事件が起こっており、52人が死亡、約800人が負傷しているのですが、その主犯格とされて自爆してしまったモハンマド・カーンはパキスタン系の移民の息子だった。1974年生まれだったから自爆死したときは31才だった。またことし1月にパリの出版社を襲ったテロ事件の主犯とされるシェリフ・クアシはアルジェリア系の移民の子供で、1980年生まれだからテロ事件を起こしたときは35才だった。

▼「多文化主義」であれ「同化主義」であれ、かつて植民地であった国から移って来た人びととどのように同居していくのか?ということですよね。アメリカの場合は、少なくともスローガンとしては「みんなが移民」の国ということになっている。その意味では形式的とはいえ「平等」です。日本はどうか?少数とはいえ、かつての植民地から来た人たちがいる。その人たちには、日本の文化や習慣に合わせることを求めるのだから、たぶん同化主義の社会でしょうね。そして自分としては「同化」したはずなのに、日本社会ではそのようには見てくれない・・・フランスの苦悩はフランスのものだけではないということかもしれない。
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6) どうでも英和辞書
  A-Zの総合索引はこちら 
mocking:あざけり笑う

来年のアメリカ大統領選挙に向けて民主・共和両党の指名候補者たちが舌戦を繰り広げる中で、共和党の有力候補とされるドナルド・トランプが、身体にちょっとした障害を持つジャーナリストを「あざけり笑う」(mock)ような仕草をしたことで顰蹙を買っているのだそうですね。トランプに笑われたのはニューヨーク・タイムズのサージ・コバルスキー(Serge Kovaleski)という記者なのですが、話せば長いことをなるべく短くすると・・・。

2001年の9・11同時多発テロ事件が起きた際に、ニュージャージー州のイスラム教徒たちが拍手喝采をして喜んでいたという話をトランプがしたところ、当時はワシントンポストで記者をしていたコバルスキー氏が早速ニュージャージー州のその町へ行って取材したけれど、トランプの言うような事実がなかった・・・という記事をワシントンポストに掲載した。つまりトランプの話はウソだったということに。

ところが2015年のいま、またまたこの話を持ち出して、ニュージャージー州のイスラム教徒たちが9・11テロに大喜びだったのは事実だという趣旨の発言を繰り返している。そしてサウスカロライナにおける支持集会では、14年前の自分の話を否定する記事を書いた記者の身障者ぶりを真似しながら、「えーと、自分が何言ったか分からないんだ、憶えていないんだ」(Ah, I don’t know what I said! I don’t remember!)と記者の物真似までやってしまったというわけ。ここをクリックすると問題の「あざけり」 の場面の動画を見ることができます。まさかこんなのが大統領になるんじゃないでしょうね・・・!日本の首相だってここまでひどくはない、かな?
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7) むささびの鳴き声
▼そのつもりはなかったのですが、前回に続き今回も話題が一つだけになってしまいました。前回の場合は最初からそのつもりだったけれど、今回の場合は英国メディアにおけるパリのテロ事件報道が多すぎて、ついむささびもそれにつられて・・・。

▼4つ目に掲載したパリのテロ事件を報道するメディアの問題点についてもう少し。中東に強い英国の記者にロバート・フィスクという人がいます。彼は自著の中で、2001年の9・11テロ直後のアメリカのメディア報道について疑問を呈している。すなわち彼らはあの同時多発テロについて、「誰が、何を、いつ、どこで、どのようにして起こしたか」(who, when, what, where, how)については洪水のように報道したけれど、「なぜ」(why)については殆ど報道することがなかったということです。テロリストがあのような「狂気」に走った理由・動機です。フィスクによると、あの当時のアメリカでは、"why" を問題にすることはテロリストに味方するのと同じという風潮があったのだそうです。彼自身は9・11テロの "why" はパレスチナ問題にあると言っています。

▼むささびの見るところによると、パリのテロ事件を報じる英国のメディアにも同じことが言えるように思えます。ISISの「狂気」については実に詳しく描写するけれど、今回のテロについての「なぜ」がほとんど報道されていない。ISISはこれがフランスによるISIS領土への爆撃への仕返しであると言っている。これを単なる「気違いテロ集団の戯言」と片づけるだけでいいのか?彼らの言うことにはいっさい耳を貸さず、爆撃を続けることでことが解決するのか?世界が安全になるのか?

▼さらに英国メディアの報道を見ていると、シリアからの難民が激増している背景について、アサド政権による抑圧的政策とISISの存在を理由にしているものが多い。なぜかいわゆる「有志国」による空爆や反アサド勢力によるテロ行為についてはほとんど触れていない。不自然だと思いません?

▼(パリのテロ事件とは関係なく)2015年の11月25日は、あのアインシュタインが「一般相対性理論」(General Theory of Relativity)なるものを発表してから100年という記念日だったのですね。この理論についてむささびにも分かるような説明はないものかとネットを当たってみたのですが、どれも異常に長い説明ばかりで、むささびのエネルギーでは読めないものばかりでありました。そんな中で今野滋という人が書いた『高校生と文系のための相対性理論』というブログを読んでいたら「光の速度」について、電球のスイッチを入れたときに電球から3メートル離れた壁に光が届く速度は1億分の1秒であると書いてありました。
  • この時間は、「1秒」の長さを「10年間」に引き延ばしたとしたときに、やっと3秒間程の時間に延ばされるという短さです。ほんの一瞬のようですが、宇宙のように距離が大きい場合や、 とっても動きの速いモノに対しては直接に関係してきます。
▼「へえ・・・」とは思ったのですが、もう一方で「だから何なのさ」という気分でもあった。が、妻の美耶子が「光の速度」に関係して面白いことを教えてくれました。光は1秒間に地球を7回り半すると言われていますよね。いま仮に光と同じ速さで空を飛ぶことができるロケットのようなものがあったとする。ここに双子がいて、一人は地上で暮らし、もう一人はこの「光速ロケット」の中で生活したとする。地上にいる子は年月を経るに従って普通に年を取るけれど、ロケットの子供は何年経っても年をとることがない、と。これには驚きましたね。そんなもんですかね!

▼ただ、物理学には強い美耶子も「アインシュタインの相対性理論を分かりやすく説明することはできない、誰か是非教えて欲しい」と申しております。どなたか、よろしくお願いします!

▼ところで、文系にもわかる説明をしている今野滋さんが「相対と絶対」というものの考え方は喧嘩の仲裁に使えると言っている。喧嘩をしている二人の間に割って入り「お二人の主張は両方とも正しいんです。ただものの見方や立場が違うだけ。実は同じことを言っているのさ」とか言ってなだめる、と。つまりなんですか、ISISだのオランド大統領についても同じセンで喧嘩を止めさせることができる、というわけですか?この考え方の問題点は、では仲裁に入っている今野さんご自身は何をどのように考えているのかがはっきりしないということですよね。NHKの政治番組じゃあるまいし「右も悪いけど、左にも問題がある。だからお互いに話し合って・・・」なんて面白くも何ともないもんな。

▼というわけで、お元気で!
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むささびへの伝言