musasabi journal

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256号 2012/12/16
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美耶子の言い分 美耶子のK9研究 むささびの鳴き声 どうでも英和辞書
本当に寒くなりましたね。空気が冷たい。ことしは、うちの庭にある柿の木に実が一つもなりませんでした。そんなことあるんですね。おかげで楽しみにしていた干し柿が一つもできなかった。いまは葉っぱも落ちて寒々とした風情であります。近所の川にはサギが来て水辺でたたずんでんでおります。

目次

1)国旗掲揚をめぐって暴動騒ぎ
2)8人に一人が「外国生まれ」
3)キリスト教が「衰退」している?
4)「マーガレット」を作った町
5)UKIPの台頭とEU離脱の可能性
6)どうでも英和辞書
7)むささびの鳴き声


1)国旗掲揚をめぐって暴動騒ぎ
 

12月3日、北アイルランドの首都、ベルファスト(Belfast)にある市役所の建物に英国国旗(Union Flag)を掲げるについての対立が原因でデモ隊と警官隊が衝突してけが人まで出るという騒ぎがありました。ベルファスト市役所はこれまで英国国旗を毎日掲揚してきているのですが、市議会政党の中でもシンフェイン党(最大多数)のような、どちらかというと北アイルランドの英国からの独立を支持するような政党から「365日掲げる必要はない」というわけで国旗掲揚の変更が要求されていた。

で、今回、ベルファスト市議会で採決したところ29対21で、特別な日(dedicated days)にのみ掲揚することが決まった。「特別な日」とは例えば女王の誕生日のような日で、国旗の掲揚日は一年に17日のみとすることが決まったわけです。激高しているのが、北アイルランドの英国帰属の続行を主張しているグループで、1906年から一年を通じて掲揚されているものを今さら変更する必要はないというわけで、12月3日の夜、約1000人のデモ隊が市役所に押しかけ、市庁舎内に乱入しようとして警官隊と衝突となった。デモ隊はその後、ベルファストのカソリック教徒が多い地区へ乗り込んで、バスを乗っ取ったり、住民に殴りかかったりという乱暴を働いており、かつての対立が復活してしまうのではないかと懸念されています。

ベルファスト市役所の国旗掲揚問題を契機に英国帰属派とアイルランド復帰派の対立が全国的に広がる危険性があることについて、自身が北アイルランドの出身であるAdam McGibbonという社会活動家が12月14日付Guardianに「北アイルランドのセクト主義と政治的リーダーシップの欠如」(Northern Ireland remains sectarian and without political leadership)というエッセイを寄稿、北アイルランドの政治家の中にはあえてセクト間の対立を煽るような発言を繰り返す者がいると非難、故郷がこのような状況では、若い世代の北アイルランド人が外国へ出たきり「帰国するのがいやになっている」と書いています。

▼北アイルランド関連の記事を読んでいて、私のような記憶力いまいちの人間に分からなくなるのが政治勢力のセクトの名前です。この際(自己確認のためにも)はっきりさせておくと、まず英国に帰属し続けることを主張するグループとアイルランドに戻るべきだとするグループの二つに分かれる。英国帰属派はUnionistと呼ばれ、アイルランド復帰派はNationalistと呼ばれる。ただUnionistの中には英国にとどまるためには武力闘争も辞さずという、Loyalistという過激派がいる。ベルファスト市役所付近で警官隊と衝突したり、カトリック地区で乱暴狼藉を働いているのはLoyalistです。アイルランド復帰派にもRepublicanと呼ばれる過激派がいる。ご存じアイルランド共和国軍(Irish Republican Army: IRA)がそれなのですが、最近IRAはいろいろとセクトが誕生してなんだかよく分からなくなっている。ただIRAの政治組織であるシンフェイン党(Sinn Féin)はベルファスト市議会では16議席を有して最大の政党となっています。

▼北アイルランド出身の若者たちが自分の国の現状にうんざりしているというGuardianの記事の中の「政治家の中には国内対立を煽り立てる者がいる」(politicians who have inflamed the recent situation)と筆者が怒っている部分を読んでいて、最近の日本の政治家や政治メディアのことを想起してしまった。対立を煽り立てることで、一時的とはいえ得する人たちがいるってことですね。新聞の部数は増えるかもしれないし、テレビの視聴率は上がるかもしれない。でも長い眼で見ると国の大半の人たちにとっては悲劇でしかない。外から見ると、北アイルランドも日本+中国・韓国も「お可哀そうに」という同情の対象でしかない。

▼ベルファスト市役所への国旗掲揚をめぐるトラブルですが、12月15日付のBBCのサイトによると、この日、数百人のベルファスト市民が「平和」を祈って、市役所の周囲を手をつないで囲むというイベントに参加したと伝えています。
  • 何か前向きのことをやって、平和と希望のために祈りたかった。
    We wanted to do something really positive and just pray for peace and hope.
と参加者は語っています。

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2)8人に一人が「外国生まれ」
 

英国統計庁(Office of National Statistics:ONS)が先ごろ発表した2011年度の人口調査の結果を見ると、英国という国の変わり方を示す数字がいろいろ出ていて面白いですね。英国の場合、この種の統計はイングランドとウェールズが統合されて発表され、スコットランドと北アイルランドは別扱いになるので、ここで紹介するのは「イングランドとウェールズ」についての数字です。ただこの二つの地域を併せると人口が5600万を超え、英国全体の9割にあたるので、この際むささびジャーナルではこれを「英国」ということで紹介することにします。

まずは人口から。イングランドとウェールズを併せた合計は5610万人、10年前(2001年)当時に比べると7%(370万人)の増加、65才以上の高齢者は6人に一人(920万)となっています。「人口」で注目すべきは「外国生まれの在住者」(foreign-born residents)の数が10年前と比較して約300万人増えて750万人となっていることです。つまり英国在住者の8人に一人(13%)が外国生まれということになる。いちばん多いのインド生まれ、次いでポーランド、パキスタンとなっている。

また英国在住者に占めるいわゆる「白人」(white British people)は全体の80%にまで下がり、ロンドンでは自分のことをwhite Britishであると考えている人は10年前の58%(430万人)から45%(370万人)へと 初めて半数を割っている。全体の人口増(370万人)の半分以上(210万人)が移民で占められているのですが、これについては移民問題に取り組む二つのNPOが対照的な意見を述べています。

移民受け入れに慎重なMigration Watchによると、「移民の増加は絶対に管理されなければならない」(how absolutely essential it is that we bring immigration under control)として、現在のようなペースで増加すると、住宅も学校も追いつかず、移民が英国社会に溶け込むのは不可能だとしています。一方、British Futureという組織のSunder Katwala理事は
  • 英国人には、英国が分かち合う社会として機能させるという絶対的に道義的な責任がある。
    People have an absolute moral responsibility to make our society work as a shared society.

として移民が溶け込めるような社会を作るべきだと言っています。

▼英国への移民の歴史を描いたBLOODY FOREIGNERSという名著を書いたジャーナリストのRobert Winderは"immigration is, apart from anything else, the sincerest form of flattery"と言っています。ちょっと訳しにくいけれど、外国人が移民として住みたがるということは、その社会や国に対する、何ものにも代えがたい最高の賛辞である・・・ということ。つまり移民が増えるということは、その国にそれだけの魅力があるということである、と。移民する方も、これを受け入れる方も大変であることは容易に想像できるのですが、その大変さを乗り切ってきた、とてつもない強さのようなものが英国にはあると私には思えます。それこそが「西の島国・英国」と「東の島国・日本」の決定的な違いです。


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3)キリスト教が「衰退」している?

 

言うまでもないことですが、英国にはChurch of Englandというのがある。訳して英国国教会。君主(現在はエリザベス女王)が首長(Defender of the Faith)なのだから、英国は当然キリスト教の国である・・・かな?2011年の人口調査の結果で話題になったものの一つが英国人の宗教観に関するものです。例えば・・・
  • 1)自分がキリスト教徒であると答えた人の割合が2001年の時点では72%(3730万人)であったのに、2011年の調査では59%(3320万人)にまで減っている。

    2)いかなる宗教にも属していないと答えた人の数が2001年の770万人から1410万人にまで増えている。割合でいうと、15%から25%にまで増えているということです。
BBCなどは1)の数字について「キリスト教の社会的な影響力が弱まっていることの表れ」(sign of the religion's weakening influence in society)であり、2)の数字は「無宗教化の傾向が確認されたもの」(the secular trend is confirmed)と説明しています。

ただこれには疑問の声もある。質問の仕方に問題があるという人もいる。調査ではWhat is your religion?(あなたの宗教は何か)と問うている。このように聞かれると「特にない」と答える人が多くいても不思議ではないし、「キリスト教徒だ」と答えた人にしても、頻繁に教会の礼拝に出席しているとは限らない。「あえて自分を何かの宗教と結びけるとすれば・・・」というsense of identityの感覚であって、信じる(belief)というほどのものではないかもしれない。宗教学者らに言わせると、

  • (この調査で)自分には宗教がないと答えた人の多くがある種の宗教的な信仰とか人間の「精神性」のようなものを信じているということはあるはずだ。
    many of those who said they had no religion still shared some religious beliefs and more general "spirituality".
ということになり、キリスト教の研究機関であるTheosによると、いわゆる「無神論者」(atheists)であっても4分の1程度の人々が人間の精神(human soul)を信じていると言うし、15%程度とはいえ死後の命(life after death)とか「生まれ変わり」(reincarnation)というような概念を信じているのだそうです。

BBCの宗教担当記者は「ここ20~30年の英国では、キリスト教と無宗教の間の境目がぼやけて(blurring)きている」と言っています。

また全国非宗教者協会(National Secular Society)はキリスト教徒を自認する人が400万人も減ったことは「キリスト教会関係者の保守的な態度が大衆に受け入れられていないことへの警告だ」(a warning to the churches that their increasingly conservative attitudes are not playing well with the public at large)と言っている。彼らの言う「保守的な態度」の例としては、最近、英国国教会が女性の主教(bishop)を認めないという決定を下したことなどがある。


▼英国人の「宗教心」を表すアンケート調査のことは以前にも紹介したことがあるけれど、私の気に入っているものなので、再度紹介させてもらうと、Do you believe in God?(あなたは神の存在を信じますか?)という質問だった。これに対して21%の英国人がYes、11%の人がNoと答えたのですが、いちばん多かった答えは"I doubt but believe"の23%だった。doubtは「疑う」という意味ですよね。つまり神の存在は「疑うけれど信じる」というわけです。「神様なんていない、かな?いやひょっとすると・・・」という感じです。よろしいんじゃありませんか?

NHK放送文化研究所というところが2008年に行った日本人の宗教意識に関する調査によると「宗教を信仰している」人が39%であったのに対して「信仰していない」人は49%であったのだそうです。また「親しみ」を感じる宗教については仏教をあげる人が65%と最も多く、その10年前の1998年の49%から大きく増えている。英国人とキリスト教の関係とちょっと違いますね。

▼私が暮らす埼玉県飯能市の自宅から歩いて10分程度のところに神社が一つ、お寺が三つ、キリスト教会が二つあります(コンビニは3軒)。考えようによっては「宗教的」な地域でありますね。このうちキリスト教会の入口には「礼拝の案内」の張り紙があるし、神社には見事な桜と銀杏の木があり、午後になると子供らが遊んでいる風景が見られて、それなりにコミュニティの中心のような趣ではある。分からないのはお寺ですね。人気(ひとけ)がないのでありますよ。大晦日になると除夜の鐘を突かせてくれることもあって人が集まるけれど、それ以外はお墓が並んでいるだけ。で、数年前に暮らしたことがあるイングランドの小さな村の教会を思い出します。やたらと古い教会だったけれど、日曜日の礼拝には人が集まらないので、近隣の村の教会と「合同礼拝」なんてのをやっておりました。お墓の古さだけが目立っていたのもウチの近所のお寺と似ている・・・。

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4)「マーガレット」を作った町


これまで「認知症に優しい町づくり」をやっているヨーク、「日産自動車が救った」とされるサンダーランドという二つの町を紹介しました。「町」というのはいいですよね。人間のストーリーがいろいろあって。というわけで、私自身の趣味により、「英国の町」シリーズをもう少し続けたいと思います。

ロンドンのKings Cross駅からエディンバラ行の電車で1時間とちょっと北へ行くとグランサム(Grantham)に到着します。Lincolnshireというごく目立たない県にある、人口約3万の小さな市場町です。上の写真はグランサムの駅のプラットフォームから町を眺めたところですが、嬉しくなるくらい「どうってことない」町の風景です。ここから西へ車で1時間ほど走ると、人口30万の町、ノッティンガムがある。これがグランサムから行けるいちばん近い「大都会」のようです。

グランサムが誇る「有名人」が少なくとも3人います。まず万有引力を発見した、あのアイザック・ニュートンはこの町の近郊にある村の生まれで、12才~17才までグランサムの学校に通ったのだそうです。次にEdith Smithという女性ですが、この人が有名なのは「英国最初の婦人警官」ということだから必ずしも世界的に有名ということではない。そして3番目が1979年~1990年まで英国首相だったマーガレット・サッチャーが生まれ育ったのがこの町であります。むささびジャーナルとしては、「サッチャーの生まれ故郷」としてのグランサムを語りたいと思います。が、私自身この町へ行ったことがなく、2009年4月5日付のThe Observerに掲載された"The town that made Margaret"(マーガレットを生んだ町)という記事を参考に使います。

マーガレット・サッチャーがこの町で生まれたのは1925年10月13日のことです。父親はAlfred、母親はBeatrice、ファミリーネームはRoberts。両親はNo 1 North Paradeという番地のコーナーで乾物屋を営んでいた。この乾物屋はもうないのですが建物はそのまま残っており、グランサムの観光案内のサイトに次のように書いてある。
  • ほかにもいろいろとアトラクションはあるにもかかわらず、外国人観光客が惹かれるのはマーガレット・サッチャーが子供時代を過ごしたコーナーショップのようです。この建物は現在はカイロプラクティクスの店として使われています。
    Despite it’s other attractions, foreign visitors to Grantham are often attracted to the corner shop where Margaret Thatcher lived as a child. The building is still in use as a chiropractor.
マーガレットの乾物屋など見て、何がおもろいねん、というわけです。マーガレットにはMurielという名前の姉がおり、Roberts一家4人がこの建物の2階に住んでいた。ただマーガレット・サッチャーの自伝とか回想録などにおいて母親の影が非常に薄いのだそうです。

  • 私はおおいに母親を愛していたが、15才にもなるとお互いにハナシをする話題がなくなってしまった。彼女のせいではない。彼女はいつもひっそりと家の中で暮らしていた。いつも家の中にいる存在だった。
    "I loved my mother dearly but at 15 we had nothing more to say to each other. It was not her fault. She was always weighed down by the home. Always being in the home."
というのがサッチャーの母親像だった。姉のMurielについてもほとんど出て来ない。

幼いマーガレットにとって圧倒的な影響力を持っていたのが父親のAlfredだった。彼はグランサムにあるメソジスト派の教会の運営に深くかかわる熱心なクリスチャンだったし、それ以外に「市長」もやりながら乾物屋を経営していた。ただここでいう「市長」(lord mayor)は日本のような選挙で選ばれた政治家ではなく、一種の名誉職で外国からの賓客があったときなどに出迎えたり、晩さん会を主催したりするという存在です。それでも町の「偉いさん」には違いないわけですが、The Observerの記者が町の人たちから聞いた限りにおいてはあまり評判のいい人物ではない。「悪い人」というのではなく、厳格な生活態度が故に「付き合いにくい」存在であったらしい。例えば、グランサムのお店の場合、町の顔見知りには支払を給料日まで待ってくれるのが普通だったのに、Alfred Robertsの乾物屋の場合はそれがまったくきかなかった。a harsh man(情け容赦のない人)というのがもっぱらの評判だったけれど
  • サッチャー首相は常に彼女の「権威主義的な父」をほめたたえ、彼に対する尊敬の念を語っていた。
    The prime minister never stopped talking of her admiration and respect for her authoritarian father.

のだそうです。サッチャー首相は、いわゆる面倒見のいい「乳母国家」(nanny state)を嫌っていたとされているけれど、The Observerの記者の解釈によると、
  • 彼女がnanny stateを毛嫌いするのは、彼女自身が母親の胸で乳をのんだ経験がないことへのこだわりであり、彼女がほとんど異常と思えるほどに自立ということにこだわるのは、父親に対する性的な罪悪感を押し殺そう無意識の欲求からくるものだった。
    Her hatred of the nanny state was a response to her own absence of the "suckling breast", her extraordinary insistence on self-reliance an expression of her unconscious desire to destroy her guilty sexual feelings for her father.

となる。なんだかよく分からないけれど、父親がきわめて厳格な人物、母親は夫にひたすら従うだけという、どちらかというと封建的な雰囲気の家庭で育ったのかもしれない。サッチャーがこだわった「自立」(self-reliance)についてですが、彼女の数ある語録の中に「個人主義はキリスト教徒の使命だ」(Individualism is a Christian mission)というのがあります。

父親を尊敬していたというマーガレットですが、ちょっと不思議なのは、政治家になってから彼女がグランサムで暮らす父親を訪問したことはほとんどないのだそうで、特に母親が死んでからというもの父親を訪ねたことはただの一度もなかったと近所の友人が語っています。

グランサムの町の中心広場にはニュートンについては銅像があるし、Isaac Newtonという名前のショッピングセンターまであり、さらにはニュートンを称えて「引力祭り」(Gravity Fields Festival)というイベントまである。サッチャーについてはその種のものはない。グランサムにとってニュートンは「最も偉大な息子」(the greatest son)であるわけですが、「最も偉大なむすめ」(the greatest daughter)に関しては殆ど何もない。

地元紙のGrantham Journalによると、2008年にグランサムの歴史を記念するセラミック製の記念プレートが作られ、その中に有名な歴史上の人物の名前を書き込んだのですが、科学者のIsaac Newton、英国最初の婦人警官であるEdith Smith、農機具技術者のRichard Hornsbyらの名前とともにMargaret Thatcherの名前を入れるかどうかでもめたことがあった。結果的には「まだ生きている」という理由で入れることを「延期」したのですが、本当の理由は「首相としての彼女にはいまだに賛否両論がある」(because of the controversy which still surrounds her time in office)ということのようです。

首相としてのマーガレットが推進した炭坑閉鎖政策のおかげで近隣の町や村の炭坑労働者が職を失ったという苦しい想い出がグランサムの人々の脳裏から消えていないらしく、首相時代のサッチャーが着用した青いスーツとハンドバッグが展示されているグランサム博物館の館長は「サッチャーが町の歴史の一部であることは間違いないが、町の意見を分断する存在であることも確かなこと」(though she is part of the history of the town, she still divides it)とコメントしています。

グランサムに最近できたロータリーの真ん中に何を置くかが問題になったときに、Grantham Journalが読者を対象にサッチャーの銅像か地元の発明品である蒸気式道路舗装ローラーにするかのアンケート調査を行ったところ85%が道路舗装ローラーを選択したというハナシもある。

ロンドン大学の教授だった森嶋通夫さんの『サッチャー時代のイギリス』は、日本人によるサッチャー論の最高傑作である(とむささびは思っている)わけですが、その中で森嶋さんは、サッチャーが1979年・1983年・1987年と三度も選挙で大勝したにもかかわらず「いまなお多くのイギリス人の中で不人気である」理由として、彼女が「イギリス人らしくない(unBritish)と見られていることによる」と言っています。本から引用すると、森嶋さんのいわゆる「イギリス人らしさ」とは次のようなものです。
  • イギリスでは、どの組織をとっても意見の対立するグループが内在している。彼らはいずれも声高らかに主張し、ちょっとやそっとでは引き下がることはない。にもかかわらず彼らは互に平和共存し、それだけでなく全員がその組織を愛している。この矛盾した不思議な性格はイギリス人の国民性とも言える。
森嶋さんによると、サッチャーにとって「敵はあくまでも敵」であって、戦いが終わったら敵と共存することなど「思いもよらない」のだそうです。グランサム博物館の館長がサッチャーについて「いまだに町を分断させる存在」と言っているのは、こういうことなのかもしれない。サッチャー語録の一つに
  • I am in politics because of the conflict between good and evil, and I believe that in the end good will triumph.
    私が政治家になったのはこの世には善と悪との戦いがあるからだ。私は最後に勝つのは善だと信じている。
というのがある。森嶋教授はサッチャーとヒットラーの共通点として「問題の多くの側面をバランスをとって考えることができない余裕のない徹底的な性格」を挙げており、「イギリス人にとっては好きになれない人物」だと指摘しています。そういえばThe Observerの記事の中に、サッチャーさんが育った乾物屋の建物を見たあるドイツ人観光客が
  • 政治家というのは自分の国ではいつもこんな扱いを受けるのです。ドイツではヒットラーがそうだった。
    It is always the way with politicians in their own country. In Germany, it was the same with Hitler.
とつぶやいたと触れられていましたね。

▼マーガレットが大いに尊敬した(と言っている)彼女の父親はメソジスト派の熱心なキリスト教徒であったわけですが、メソジスト派は英国人のジョン・ウェスレーという人が始めたもので、ウィキペディアによると「主に中下層階級の市民や軍人を対象とした大衆運動として展開」されたものなのだそうです。ウェスレーはもともと英国国教会の教職者であったのですが、国教会の形式主義に飽き足らずそこを飛び出したという人物であり、彼の進めるメソジスト運動も国教会と対立したりした時期もあったとされています。

▼つまりメソジストのサッチャーさんは国教会を頂点とする英国社会の主流、支配階級の人ではなかった。その彼女が父親から叩き込まれたのが質素倹約・刻苦勉励という精神だった。なのに政治家としての彼女が追求した産業民営化・規制緩和のような政策がもたらしたものは、社会的な秩序・安定・コミュニティ精神の破壊だった。The Observerの記事によると、政治家としてのマーガレットは父親が最も大切にしていたものをことごとくつぶしてしまった(destroyed nearly everything her father held dear)とも言えるわけです。

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5)UKIPの台頭とEU離脱の可能性
 

11月中旬から下旬にかけて英国の4つの町で下院の補欠選挙が行われました。いずれの町でも労働党が勝ち、保守党は得票数が2010年の選挙時よりもマイナスだった。が、なんといっても話題は英国独立党(United Kingdom Independent Party: UKIP)の健闘でありました。UKIPのいわゆる「独立」とは英国がEUから「離脱」することを意味しています。

2010年の選挙でUKIPが獲得した票数は約92万票で全体の3.1%、保守党の1000万、労働党の860万、自民党の680万にははるかに及ばず、議席もゼロという弱小政党だった。それが今回の補欠選挙では4選挙区中、2か所で第2位、残りの2か所では第3位で、現在の連立与党である自民党よりも上に来ており、得票率も22%という町もあったくらいの躍進ぶりで、とても3年前のような泡沫政党とは呼べなくなってしまった。

こうなると気になるのは英国とEUの関係です。UKIPのみならず保守党内部でもEU離脱派の声がますます大きくなっており、中には次なる総選挙(2015年)ではUKIPと選挙協力をするべきだという意見まで出てきている。最近の世論調査によると、英国人の半数(49%)がEUからの離脱に賛成で、32%の反対意見を大きく上回っている。キャメロン首相(どちらかというとEU残留派)は次の総選挙(2015年)のあとにEUとの関係についての国民投票を行うと言っているけれど、このままの情勢が続くと本当にEU離脱という事態も起こり得る。

The EconomistなどによるとEU残留派(The Economistもその一つ)にとってやっかいなのは世論形成に大きな役割を果たすメディアの態度です。英国が欧州経済共同体(EEC)に加盟したのが1973年ですが、その2年後の1975年に離脱か加盟続行かの国民投票が行われたことがある。そのときはほぼ7割(67%)のが加盟続行に賛成だった。加盟直後ということもあったのですが、あの際にこれに反対したのは左派系のMorning Starという新聞だけで、残りの全国紙はすべて賛成という意見だった。現在はDaily Mailとthe Sunという主要新聞がかなりはっきりとした反EUの態度をとっている。この二つの新聞の発行部数を合わせると450万部を超えてしまう。部数は450万でも読んでいる人の数はその2倍も3倍にもなる。つまり1000万人を超える可能性だってある。英国の総人口が約6000万であることを考えると、これはかなりの数字であると言えるし、UKIPの躍進もメディアの態度が大きく反映したものと言える。

ではEUを離脱すると、英国にとってどのようないいことがあるのか?The Economistの記事を参考にすると、まず年間80億ポンドにのぼるEUにおさめる協力金(のようなもの)をおさめる必要がなくなる。EUの農業保護政策(common agricultural policy)に従わなくて済むので農産物・食品の値段が安くなる。さらにEU加盟国が守らなければならない労働時間に関する規制(working-time directive)に従う必要がなくなる。この「規制」には、例えば「1週間に48時間以上働いてはならない」とか「派遣労働者に対しては正社員と同じ権利を保障しなければならない」などと言うものが含まれている。労働に関するEUの「規制」は労働者にとっては有難いものですが、企業経営者にとっては、それに拘束されない方がいいという部分もある。

もちろん離脱のデメリットも大きい。英国の全輸出の半分がEU向けだから、EUから脱退すると「外国商品」として関税がかけられることになる。例えばチーズのような酪農品には55%の関税がかけられる(ものによっては200%という酪農品もある)。衣料品の場合は12%の関税がかけられるので、EU域内における価格競争力が低下することは避けられない。さらに英国の農業はEUからの補助金(27億ポンド)も失うことになる。

もっと面倒なのは自動車産業です。日産、トヨタ、ホンダのような日本のメーカーは英国内の工場で作るクルマの大半がEU市場への輸出向けです。英国がEUを離脱すると、これらも外国車扱いになるので今までのように関税なしで輸出というわけにはいかない。さらにクルマの場合、本体の組み立ては英国内で行われていても、関連部品や装備品は英国外のEU諸国で作られているケースが多い。これらが英国に入ってくるためには「輸入品」扱いされてしまうので、クルマの価格そのものに響いてくる・・・。いずれにしても、EU市場への輸出を目指して英国に進出している外国企業にとって、英国がEUの一員でなくなるということは、対英進出の意義がなくなってしまう。つまり英国人にとっての職場が失われることにつながる。

いまから40年前の1973年、当時のEECに加盟することを決めたのはヒース首相の保守党だったし、24年前の1988年、保守党のサッチャー首相は
  • 英国は欧州共同体の端っこでのんびりと孤立的存在であることを夢見ることはしない。
    Britain does not dream of some cosy, isolated existence on the fringes of the European Community
とまで言い切ってヨーロッパの未来に参画していく意思を強調していたはずなのに、2012年12月8日付のThe Economistなどは、
  • 英国のEU離脱の可能性はますます高まっているが、それは極めて向う見ずな賭けであると言える。
    A British exit from the European Union looks increasingly possible. It would be a reckless gamble

と警戒するに至っている。

そもそもなぜ英国にはEurosceptics(欧州懐疑派)が多いのか?表面的には「EUという巨大な官僚機構に呑み込まれる」ことへの嫌気とか、独仏中心の機構の中で英国だけが脇に追いやられているという疎外感もあるし、EUに入っているおかげでポーランドを始めとする東欧からの移民が大量に流れ込んでいることへの反発などもある。

2015年の総選挙後に国民投票が行われ、EU離脱が多数を占めたとしても、離脱にもいろいろなやり方がある。貿易に関してはそれぞれのEU加盟国と自由貿易協定を結ぶとか、現在ノルウェーなどが加盟している欧州経済圏(EFTA)に加盟するとか・・・。The Economistによると、EU離脱によっていちばんあり得るシナリオは
  • 英国はちょっとうるさいアウトサイダーとして、EU単一市場へのアクセスは限定された存在となり、影響力はほとんどゼロ、友人も極めて少ないということになる。一つだけはっきりしていることがある。それはひとたび離脱してしまうと、元に戻ることは全く不可能になるということである。
    Britain would find itself as a scratchy outsider with somewhat limited access to the single market, almost no influence and few friends. And one certainty: that having once departed, it would be all but impossible to get back in again.

そして英国がとらなければならない行動はというと、
  • 困難で時として屈辱的なこともあるかもしれないが、最善の道はヨーロッパの近くにとどまって、これ(ヨーロッパ)を英国の方に引き寄せる努力をすること。
    Difficult and often humiliating as it may be, the best course is to stick close to Europe, and try to bend it towards Britain.
というのがThe Economistの主張です。

▼最初に出てきたUKIPの今後ですが、注目されるのは2014年に行われる欧州議会議員(Member of European Parliament: MEP)の選挙です。EU版の国会みたいなものですが、議席数は736人。これが加盟27カ国に配分されるのですが、英国は72議席。これをめぐって英国内で投票が行われる。前回のMEP選挙は2009年に行われたのですが、保守党が26議席でトップ、次いでUKIPと労働党が13議席、自民党は11議席で第4位となっています。注目は第2位だったUKIPがどこまで票を伸ばすのかということです。


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6)どうでも英和辞書
A-Zの総合索引はこちら 
hoax calls:いたずら電話

最近、オーストラリアのラジオ局の二人のDJが、つわりで入院していたウィリアム王子の妻、キャサリン妃の病室にエリザベス女王とチャールズ皇太子を装って電話をかけ、これを真に受けて病室へ取り次いでしまった看護師が責任を感じて自殺してしまった・・・このことは日本のメディアでも結構大きく伝えられていますね。このように誰かになりすましてかけるいたずら電話のことをhoax callとかprank callというのですね。そのようないたずらをする人はhoaxerというわけです。

知らなかったのですが、この種のいたずらは昔から行われていたのですね。例えば1995年、カナダのDJがカナダ首相を装ってロンドンのバッキンガム宮殿に電話、まんまとエリザベス女王と17分間にわたって会話するということがあった。ケベック州がカナダからの独立を叫んでいた折のことで、Jean Chretien首相のふりをしたDJが女王にケベックの動きを止めるような行動をとってほしいと要請、女王もテレビでカナダの団結を呼びかける放送をすることを約束してしまった。もちろんいたずら電話は放送されることはなかったのですが・・・。

もう一つは2004年のことで、これは米マイアミ州のラジオ局のDJが、ベネズエラのチャベス大統領を装ってキューバのカストロ首相と電話で直接会話することに成功したということもある。会話の途中でこれが「いたずら」であることを明かしたうえで、カストロ首相のことを殺人者呼ばわりしてかんかんに怒らせたのだとか。このときは放送局がアメリカの当局から4000ドルの罰金をとられたのだそうです。

ちなみにBBCのルールでは、この種のいたずら電話そのものは禁止されているわけではないけれど、予め録音して、放送の前にこれにかかわった側の了解をとらなければならないのだそうであります。

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7)むささびの鳴き声
▼米コネチカット州の小学校における銃の乱射事件についてクリスチャン・サイエンス・モニター(CSM)紙が社説を掲載
  • 自分たち一人一人が、このような大量殺戮をなくすための方法を見つけなければならない。
    each individual must find ways to help end these kinds of mass slaughter.
  • と言っています。
▼今回の事件でアメリカ人が襲われた感情は怒り・恐怖・絶望感がミックスされたようなものであるけれど、この種の事件の再発防止のために何をすればいいのかを考えなければならない・・・というわけで、銃規制や学校施設の警備強化などが大切であることは間違いないが、個人個人が理解しなければならないことが一つあるとして
  • 殺人者は、我々が殺人者たちの行為によって感じる怒り、恐怖、絶望感と同じ感情に駆られて行為に及ぶものである。
    these shooters act out of the same anger, fear, and hopelessness that their violence evokes in us.

    と言っています。
▼そしてこのようなことが起こらないための一つの方法は、怒りとか恐怖のようなものとは真逆の感情を個人個人が自分の中に持つ(embrace)ことであるとして、優しさ(empathy)、冷静さ(calmness)、情け深さ(mercy)、希望(hope)、開放的な態度(openness)、許すこと(forgiveness)のような姿勢が将来の殺人者候補を変えることにもつながるとしています。

▼CSMはこのような雰囲気のある社会を作るために個人のできることを考えようと呼びかけているのですが、forgivenessの例として、2006年にペンシルベニア州で起こった銃乱射事件のことを挙げています。ある村でアーミッシュの女の子5人が男に銃で撃たれて死亡、殺人者も自殺した事件です。アーミッシュはルーテル派から分かれたキリスト教徒で、共同体を作って暮らしていることで知られますよね。この射殺事件のあと、子供を殺されたアーミッシュの家族が殺人者の未亡人を訪ね花と食べものとハグ(抱きしめること)を届けたというものです。

▼アメリカで銃の乱射事件が起こるたびに、日本のメディアではあの国における緩やかな銃規制が背景として挙げられます。それはそれで当たっているのかもしれないけれど、ここでアメリカの新聞であるCSMが言っているのは銃を手にして誰彼お構いなしに打ちまくりたくなるような心理状態に陥ってしまう人々をどうするのかということです。その人々の中には自分も入っている。斧だって、ナイフだって、素手だって無差別殺人というのは起こり得る。そのような衝動に駆られる人間を如何に少なくするのかということですね。自分の娘を殺されたアーミッシュの人たちが殺人者の未亡人に行った行為についてCSMはstunningと言っている。肯定的な意味での「あっと驚くような」とか「息を呑むような」とかいう意味ですね。

▼このような人災中の人災に対するhopelessness(絶望感)と津波や大地震のような天災を眼の前にして感じる無力感(helplessnss)とはどこかで繋がっているように思えてならないのでありますが・・・。

▼話題が変わるけれど、今回の「むささび」はサッチャーさんを取り上げています。彼女が首相になったのは1979年5月、辞任したのは1990年末です。それ以後現在まで、英国の首相はメージャー、ブレア、ブラウン、キャメロンの4人です。つまりサッチャーからキャメロンまでの33年間で首相は5人です。同じ期間、日本では大平正芳さん(1979年)に始まって、2012年の野田さんまで何人いると思います?21人です。英国における首相の在任期間は平均6.6年、日本は1.5年。サッチャーやブレアについては賛否いろいろ評価があるけれど、10年間首相として仕事をしたから、それなりに彼らの目指す世の中に近いものができたかもしれない。1.5年で何ができるのか?

▼むささびジャーナルを始めたのは2003年2月末。今年で10年です。最初の「むささび」を作ったときの首相は小泉さんだった。以後、安倍・福田・麻生・鳩山・菅・野田と続く。安倍さんが体調不良で辞めたのは憶えているけれど、福田さんと麻生さんは何が理由で辞めたんでしたっけ?麻生さんが「漢字をまともに読めない首相」ということで揶揄の対象になったのは記憶しているけれど、まさかそれが理由で辞めたわけではないですよね。いずれにしても「首相が誰だってかまわない。日本は一流の官僚が取り仕切っている」と言うやり方が延々と続けられてきた。「首相が誰だってかまわない」ということは、言い換えると「政治家なんかどうでもいい」ということであり「選挙なんかたいしたことない」になる。最終的には「国民の意思なんてどうでもいい」ということで政治が続けられてきた。

▼それを官僚とともに支えてきたのが政治メディアだった。政治家なんてみんなアホというイメージがふりまかれ、国民も大して考えもしないで「そうだそうだ」と思うようになった。実は「政治家がアホ」というのは「選んだ国民がアホ」と言われているのと同じであるのに、政治家だけがアホであり、国民は「被害者」ということになった。そうすることで政治メディアは国民を敵に回すことを避けることができた。

▼今回の選挙でどの党が勝ち、誰が首相になってもそれは国民の選択です。憲法改正も、国防軍の設立も、みんな知らされたうえで選挙したのだから。中国のように秘密裡に決められたわけではないし、カネをばらまいたわけでもない。もちろん前々回(254号)の「むささびの鳴き声」でも言わせてもらったとおり、NHKの夜9時のニュースが「中国怖し・憎し」の世論を盛り上げ、それが選挙にも大いに影響したとは思うけれど、それだってNHKの言うことを信じないという選択だってあったのだから文句は言えない。

▼というわけで、私は選挙で民主党に投票しました。

▼長々とお付き合いをいただきありがとうございました。12月は30日が日曜日なので、もう一度おじゃまします。許してつかあさい。


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