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musasabi journal

227号 2011/11/6
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美耶子の言い分 むささびの鳴き声 どうでも英和辞書
上の写真はギリシャのアテネの壁に描かれた落書きだそうです。落書きにしては上手すぎる?!むささびジャーナルを(頼まれもしないのに)隔週刊でお送りしているのですが、2週間があっと言う間に過ぎてしまいます。いつの間にか庭のカエデの葉が散り始めています。あの夏はどこへ行ったのでしょうか?

目次

1)賄賂に関する国別企業ランク
2)ギリシャ人学校が閉鎖される
3)英国人はどっちつかずの欧州人?
4)スコットランド独立の現実味
5)東電の国有化を躊躇してはならない
6)どうでも英和辞書
7)むささびの鳴き声


1)賄賂に関する国別企業ランク

世界中の国の透明度(transparency)を調査しているTransparency International(TI)が最近、BRIBE PAYERS INDEX REPORT 2011という報告書を発表、BBCなどがこれを報道しています。3000人の企業幹部を対象にアンケート調査を行い、TIが候補に挙げた、世界の貿易や投資の80%を占める28カ国のうちどの国の企業がいちばん賄賂(bribe)を払っているかを調べたもので、ロシアの企業が最も賄賂を払いがち(likely to pay bribe)、次いで中国企業が来ているのだそうです。

最もこれが低い(つまり賄賂を払わない)企業はどの国のものかというと、オランダとスイスが1位を分け合っており、3位はベルギー、4位はドイツと日本が同点なのだそうです。英国は8位、アメリカは10位、韓国は13位となっている。

Foreign bribery has significant adverse effects on public well-being around the world. It distorts the fair awarding of contracts, reduces the quality of basic public services, limits opportunities to develop a competitive private sector and undermines trust in public institutions.
外国企業による賄賂の提供は相手国の公共サービスの健全さに極めてマイナスの影響を与えるものだ。賄賂は公明正大なビジネス契約の姿を歪曲し、その国の基本的な公共サービスの質を低下させ、競争力のある民間部門の育成を妨げており、さらには公的な機関に対する信頼感をも損なっている。

というのがこの報告書のメッセージです。

▼賄賂というとつい貰う方のことだけを考えてしまうけれど、企業が外国へ出かけて行って、その国の港湾建設や石油開発を行う際に相手国の政治家やお役人に賄賂を払うということは、究極的にはその国の社会的に「汚れ」を広めているのと同じというTIの主張は当たっています。

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2)ギリシャ人学校が閉鎖される

このところ毎日のようにニュースになっている「ギリシャ危機」ですが、テレビやラジオに関する限り同じような話題、しかもどちらかというと国際経済というアングルのものばかりで、いまいちよく分からない・・・というわけで、ギリシャで発行されている英字新聞Athens Newsのサイトを見たところ、10月30日付でGreek school’s out - for good(ギリシャの学校が永遠になくなる)という記事が出ていました。Kathy Tzivilakisという記者が書いたもので、外国にあるギリシャ語学校の閉鎖に関する法案の審議が国会で始まったという報道でした。

「ギリシャ語学校」というのは基本的には外国で暮らすギリシャ人の子息が通う学校のことで、むしろ「ギリシャ人学校」と言った方がいいかもしれない。現在世界全体で1430校ある。2年前までは2350校あったのだから、およそ1000校も減ったことになる。

そのために政府が費やすお金は昨年で7300万ユーロ(約80億円)。これも一昨年の1億600万ユーロに比べるとかなりの削減なのですが、来年からは年間予算を最高で5000万ユーロにする方針なのだそうです。かつての半分以下ということですね。しかも予算は、学校が存在する外国の政府によっても学校と認められているバイリンガル学校を優先するというわけで、ギリシャ語のみのモノリンガル学校については事実上政府の支援はなくなる。

例えばドイツにあるギリシャ語のモノリンガル校(小中学校)はドイツ政府によっても学校として認められることになっているのですが、これからはドイツ語とギリシャ語のバイリンガル校として運営される。この学校を終えた学生はすべてドイツの高等学校に進学しなければならない。これまではギリシャ語のみの高等学校があったのですが、これは廃止になる。

不思議な感じがしたのは、土曜日の午前中に行われているギリシャ語レッスンへに対する政府の援助が下りなくなるという部分です。これは個人・民間組織・教会などが外国で提供しているギリシャ語講座で、これまでは無条件(unconditional)で政府の交付金をもらうことができたのだそうです。問題なのは、Kathy Tzivilakisによると、政府の交付金を得て運営されている土曜日講座について、政府がこれまでに実情を調査したことがなかったということです。生徒数は何人か、どのような授業をどの程度の頻度でやっているのか・・・などが全く調査もされずに交付金だけは支給されてきたということです。

モノリンガルのギリシャ人学校への政府援助がなくなることについて、ギリシャ外務省の担当官のコメントして「(モノリンガル校は)どこにも適さない学生を生み出してきた。ドイツにも適さないし、ギリシャでさえも適さない学生だ(producing students who do not fit in anywhere - not in Germany, and not even in Greece)」とコメントしています。

もちろんこの動きには大いに反発する声もある。自国の経済危機のあおりを受けて海外に職場を求めるギリシャ人が向かうのは、ドイツのようなヨーロッパの国ですが、主なる理由がギリシャ系の学校があるので、子供の教育にも支障がないということにある。ドイツにあるギリシャ人連盟は「ギリシャ系学校は昇格されるべきなのに閉鎖などとんでもない」(These schools should be upgraded, not shut down)とカンカンに怒っています。


文部科学省のサイトを見ると「海外にある日本人学校」として約90校リストアップされています。ギリシャとは数え方も学校の性格も違うのかもしれないけれど、ギリシャ人学校の1400校というのはすごい。


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3)英国人はどっちつかずの欧州人?

前回のむささびジャーナルでちらりと触れたのですが、10月24日、英国下院で、英国がEUの加盟国であり続けるべきかどうかの国民投票を行うべきかという動議が出され、550対100の大差でこれが否決されました。保守党の議員によって提出された動議なのですが、当の保守党はもちろんのこと連立の相手である自民党も野党の労働党も、党首が党員に対して否決せよという「命令」を出したのだから否決されるのが当たり前なのですが、それでも保守党議員306名のうち81名が賛成票を投じたことから波紋を広げています。これ以外に連立相手の自民党(極めて欧州寄り)から1名、野党・労働党から19名が賛成票を投じています。

The Economistによると、今回の場合、投票そのものよりも動議に賛成する保守党議員が81名も出たことが重要なのだそうです。欧州問題についての保守党内の反乱としては最大の規模(This was the biggest ever Tory rebellion over Europe)であり、自由投票にしていたらさらに多くの賛成票が出たであろうとされている。

いまから30年ほど前の保守党の場合、親欧州主義者(Europhiles)と欧州懐疑論者(Eurosceptics)は五分五分という感じであったのですが、最近の保守党は欧州懐疑論者が圧倒的多数を占めており、キャメロン党首にしてからが「英国が欧州経済共同体加盟した1973年以来、最も対欧懐疑的な首相」と言われるほどのEuroscepticsです。さらにいわゆる世論(public opinion)もどちらかというと欧州懐疑論が多く、今回の国会における動議そのものが10万人の署名をバックにしたものだった。この動議に絡めて行われた調査では70%が国民投票には賛成している。つまり(数字の上では)英国人のかなりの部分がEUの加盟国であることに疑問を持っているということになる。

そもそも英国人はなぜこれほどまでにEUの加盟国であることに乗り気でないのか?歴史家のAndrew Rosenという人が書いたThe Transformation of British Life 1950-2000という本は20世紀後半の英国の人々の生活や考え方の移り変わりを語っているのですが英国人の欧州懐疑論のルーツのようなものが語られています。

現在のEU(European Union)のもととなったEuropean Steel and Coal Community(ESCC:欧州鉄鋼・石炭共同体)ができたのは1952年、これが発展してEuropean Economic Community(EEC:欧州経済共同体)となったのが1957年。英国はESCCへの参加も勧められたのですが、これを断った。なぜ断ったのか?第二次世界大戦が終わって10年も経っていない当時の英国は、自分たちが世界規模の大国(global power)であると考えており、欧州の一国と見るのはあまりにも範囲が狭すぎる(parochial)と考えたからであります。カナダ、オーストラリア、ニュージーランドなど世界に散らばる英連邦諸国のリーダーであり、第二次大戦を戦ったアメリカのパートナーであるというのが英国人が描いていた英国の自画像であったわけです。当時の英国の経済力はドイツとフランスのそれを併せたものよりも大きかったし、輸出の47%が英連邦諸国向けであり欧州大陸への輸出は全体のわずか13%だったのだから無理もない。

その後、欧州の経済力が強まる一方で英連邦のそれが落ちて行く中で英国は1963年と67年にEECへの加盟を申請、これが二度ともフランスのドゴール大統領によって拒否される。ドゴールが拒否したのは、英国がアメリカの意を汲んだ「トロイの馬」になることを怖れたからだと言われています。いずれにしても申請が拒否されて英国人の気持ちは大いに傷ついた。1965年に英国人を対象に行った「英国にとっての友好国はどこだと思うか?」というアンケートで人気ベスト3はアメリカ(73ポイント)、オーストラリア(57)、カナダ(48)で、フランスは14ポイントで6位、西ドイツは9ポイントで第10位だった。

その後、ドゴールが引退(1969年)、英国にもヨーロッパよりのエドワード・ヒース(保守党)政権ができて、1973年1月1日、英国は晴れて(?)EECの加盟国となります。ただ世論は加盟後も揺れ動きます。欧州委員会のEurobarometerという世論調査が英国人を対象に「英国がEEC・EUの一員であることは良いことか(good thing)・悪いことか(bad thing)」というアンケートをとっているのですが数字は次のようになっています。

良い
good thing
悪い
bad thing
どちらでもない
neither good nor bad
1973年 31% 34% 22%
1975年 47% 21% 19%
1977年 35% 40% 18%
1981年 24% 48% 24%
1987年 43% 26% 25%
1991年 57% 15% 26%
1997年 35% 26% 27%
2000年 25% 24% 29%
2004年 29% 29% 29%
2008年 30% 32% 30%
2010年 28% 33% 31%

加盟年の1973年でさえもいまいち盛り上がらないと思ったら2年後はgood thingに振れ、その次の2年後にはまたbad thingに戻り、1987年ごろになるとかなり前向きになっている。要するに英国人のヨーロッパに対する感覚が常に揺れ動いているわけです。ただこの10年ほどの数字を見ると、良い・悪い・どちらでもないが同じような数字になっており、以前ほどの拒否反応はないけれど、それほど乗り気というわけでもないという数字になっている。Andrew Rosenはこのような英国人のことをambivalent European(どっちつかずのヨーロッパ人)と呼んでいる。

対欧拒否反応が低下する傾向が見え始めた背景には、ヨーロッパの経済力があがるにつれて英国の貿易相手としても英連邦にとって代わるようになったことがあります。対欧州諸国への輸出は50年前の13%から2000年には59%へと増加したのは、英国自身が統一市場としてのEUに加盟しているのだから当然のことではあるのですが、もう一つ英連邦諸国の側にアジア、アフリカの非白人諸国が増えたり、立憲君主制をとらず、英国の女王を君主とはしない国が増えるなど、英国離れの傾向が見えてきたということもあります。

Andrew Rosenはさらに90年代における英国人の生活水準の向上を対欧州接近の理由して挙げています。生活が豊かになって海外旅行が盛んになり、その主なる行き先がヨーロッパだったというわけです。

それがまた最近になって欧州懐疑論が台頭しているのは、EUの肥大化に伴うブラッセル発の規制の類が増えて加盟国の主権の範囲が小さくなっていること、ギリシャの経済危機に代表されるように欧州でも南の国々が利益を得ており、英国をはじめとする「北」は損をしているという感覚が強くなっていることもある。さらにEurobarometerの調査で英国人がどの程度自分を「ヨーロッパ人」と感じるのかを他の欧州諸国と比較したものがあるのですが、それによると約7割の英国人が自分をヨーロッパ人であるとは「全く感じない」(never)と答えており、イタリア人、フランス人、ドイツ人の4割とは対照的な感覚になっている。欧州懐疑論者が挙げる数字として英国がEECに加盟した1970年代、世界に占める西欧のGDPの割合は36%、それが2020年には15%にまで下がるとされているというのもある。

▼ドイツとフランスが中心になって鉄鋼・石炭共同体を作った背景には、それまで戦争を繰り返してきたヨーロッパで二度とこれが起こらないようにしようという理想というか理念のようなものがあったのですよね。英国がこれに加わったのは、あくまでも経済的な利益を求めてのことであったわけで、その意味では及び腰であったのですね。ギリシャの危機にからんで10月末にEUの首脳会議が開かれたとき、これが終わったあとでユーロ圏のみの首脳会議が開かれた場に英国はいなかった。ユーロ圏外なのだから当たり前なのですが、現在のヨーロッパにおいてユーロ圏外ということは中心的存在ではないという意味でもあるのではありませんか?

▼英国がヨーロッパを引っ張っていく存在であるための唯一のシナリオは、兄貴分のアメリカが世界を引っ張っていく存在であり、ヨーロッパ諸国もアメリカを頼りにしているという状況であるということですね。世界における「英連邦」の存在感はゼロに等しいし、その英連邦諸国も英国を最大かつ最重要のパートナーであるとは思っていない。EUからの撤退もユーロ導入もあり得ない選択なのだとしたら、英国はこれからも地理的にはヨーロッパには存在しているけれど、心はヨーロッパにはない、すなわちambivalent Europeanであり続けるしかないということですね。ここでは触れないけれど、保守派のSpectatorなどが描いているEU撤退後の英国のイメージはほとんど絵空事としか思えない。

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4)スコットランド独立の現実味

EUから抜けるの抜けないのなどと揉めている場合か!と英国に言いたくなるような話題がこれ。

いまさら言うまでもないことかもしれないけれど、「英国」の正式名はUnited Kingdom of Great Britain and Northern Irelandであります。外務省(日本の)サイトには「グレートブリテン及び北アイルランド連合王国」と書いてある。この中のGreat Britainには(北から)スコットランド、イングランド、ウェールズがある。1707年にUnited Kingdom of Great Britain ができ、1801年にアイルランドが加わってUnited Kingdom of Great Britain and Irelandとなり、1922年にIrelandが独立、Northern Irelandだけが残って現在の名前になっています。

で、Great Britainからスコットランドが独立して抜けた場合、それでもGreat Britainという名前はあり得るのか?分かりません。でも10月22日に行われたScottish National Party(SNP)の党大会におけるAlex Salmond党首の演説を真に受けるとスコットランドの独立はまんざらあり得ない話ではないように思えてくる。

The days of Westminster politicians telling Scotland what to do or think are over. The Scottish people will set the terms for the future.
ウェストミンスターの政治家がスコットランドに対して何をすべきか、どのように考えるべきかなどと口出しをする時代は終わったのだ。スコットランド人は自分たちで未来を決めるのだ。

ここでいう「ウェストミンスター」とはロンドンの議会のことを言います。日本でいうと「永田町」です。1997年にブレア政権が登場して2年後に地方分権が行われ、ウェールズ、北アイルランド、スコットランドにそれぞれ議会ができ独立の立法府をもつことになった。と言っても外交、国防、社会保障などはそれまでどおりロンドンの議会・政府の専権事項なのですが。

スコットランド議会の議席数は129。1999年に行われた第一回の選挙ではスコットランド労働党が56議席で第一党、SNPは35議席で第二党だったのですが、2007年には47議席でSNPが第一党に。今年(2011年)5月に行われた4回目の選挙ではSNPが69議席で第二位のスコットランド労働党の37議席を大きく引き離して単独過半数を獲得した。

選挙で地滑り的勝利をおさめたSNPの選挙公約の一つとして、2015年までにスコットランド独立に関する国民投票を実施するということがあった。これについてはキャメロン首相らが反対しているのですが、それに対してSalmond党首は「いまや運転席に座っているのはスコットランド国民、すなわちスコットランドの主権者なのだ」(The people of Scotland -- the sovereign people of Scotland -- are now in the driving seat)とやり返したりしてSNPの大会は大いに盛り上がったわけです。

スコットランドの新聞、Heraldが伝える調査によるとスコットランド人の39%が独立賛成、38%が反対となっています。これだけ見ると殆ど半々という感じなのですが、反対意見はそれまでに比べると最も低い数字なのだそうです。これまでの調査では独立反対が賛成を15ポイントもリードしたくらい独立反対が強かったのだから、それを考えるとたとえ1%とはいえ、独立賛成が反対を上回ったというのは注目に値します。

▼スコットランドの人口は520万でイングランドの人口は10倍の5200万。最近はどうかわかりませんが、10年ほど前までは日本の百貨店が「英国フェア」をやると、広告にタータンを身につけたスコットランド人が使われ、販売するものもスコッチウイスキーであったりしたものです。イングランドのひとには面白くないわけ。俺たちの10分の1しかいないのに、どうしてあのひとたちが「英国」を代表するのさ、というわけです。

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5)東電の国有化を躊躇してはならない

11月5日付のThe Economistの社説欄にJapan’s nuclear conundrum(日本の核問題)という記事が出ています。と言っても核兵器のことではありません。イントロは次のように書かれています。

Once the Fukushima nuclear plant is stable, the government should temporarily nationalise its operator
福島原発の状態が安定したあかつきには、日本政府は原発の操業企業(東電のこと)を一時的に国有化すべきである。

福島第一原発の事故賠償を支援する組織として原子力損害賠償支援機構というのが発足し、政府はこの機構向けに5兆円規模の資金を確保するとされていますよね。この件についての日本の政府関係者の言葉としてThe Economistは

This is a war between humans and technology. While that war is being fought, we should not talk about bankruptcy.
これは人間と技術の戦争なのだ。戦争が戦われているというのに破産のことなど話題にすべきではない。

というコメントを紹介しています。「破産のことなど話題にすべきではない」というのは、賠償支援にいくらかかっても断行すべきだという意味だと思います。つまり「破産」(bankruptcy)とは国家財政の破綻という意味である(と私は理解しています)。

The Economistは5兆円の支援そのものは避難を余儀なくされた原発周辺の住民への補償、福島原発の閉鎖に伴う破産の混乱から東電を救うという意味では間違っていない(valid)としながらも、「支援の狙いには、より強力かつ安全な電力業界を生み出すこともあるはずだ」(the aim must surely be to create a stronger, safer energy industry as well)として、現在のような傷だらけの民間企業(東電)の存在はその狙いに反するのだから、政府はいったん東電を国有化し、経営陣を一掃し、原発そのもののクリーンアップを行ったのちに再民営化(reprivatise)すべきだとしています。

The Economistはその理由として3点挙げています。まずは「国営東電」をいまの東電の責任追及のベースとして使うこと(a basis for holding the company to account)。地震や津波に関する見通しの甘さや事故後の情けないとしかいいようのない(dismal)対応にもかかわらず東電の経営陣は基本的にはそのまま居座っており、株主や金融機関の救済も進んでいる。現在のような東電に資金を投入することは企業と政治の共犯関係を象徴している。5兆円という資金は東電を通じて使われることになるにもかかわらず、それが東電によるローンとして会社のバランスシートに記入する義務が東電に課されているわけではないし、どのようにして返済されるのかについても説明する義務を負わされているわけでもない。はっきりしていることは、いまリスク負担をするのは株主でもなければ国債の所有者でもなくて納税者であるということだというわけです。それが第一の理由。

第二の理由は東電による財政の構造改革における安全性を確かなものにするということ(to ensure that Tepco’s financial restructuring is safe)。東電は向こう10年間で2兆5000億円のコスト削減を行うと言っているいけれど、その際に安全性が犠牲になる可能性もある(this may well compromise safety)とのことで、現在でさえも作業員が放射能で汚染された水の中を穴のあいた長靴で歩いているなどという報道もある。このあたりの責任は短期的には国がとる方がいいとのことです。要するに企業としての責任感が全く信用できないということです。

東電を国有化する三つ目の理由は、政府が原子力産業に対して特別な恩恵を与えることがないということをはっきり示す(a demonstration that the government will no longer grant special favours to the nuclear industry)ということであります。日本では電力会社が強大な政治力を持ち、順応性に富むメディア(pliant media)や原子力関連の大企業がこれを援護しており、これらをもって電力会社は政府を脅す(intimidate)というやり方をしてきた、とThe Economistは言います。ここで政府が東電に対して厳しく当たらない限り、原子力政策の他の部分についての監督能力が国民に疑われることになり、野田政府が約束している日本のすべての原発に課せられている「ストレステスト」だって怪しいものだということになってしまう。

というわけで、The Economistの社説は次のように締めくくられています。

The longer the government dithers over nationalising Tepco, the more the costs will rise and the impetus for action will wane. Tens of thousands have lost homes, businesses and confidence in their children’s health as a result of the disaster at Fukushima. Don’t let their suffering be for nought.
政府が東電の国有化を遅らせれば遅らせるほど、コストは高いものになり、アクションのための弾みも萎えてしまう。福島における悲劇のお陰で何十万人というひとが家も商売も、そして子供たちの健康についての信頼も失ってしまった。彼らの苦しみを無駄にしてはならない。

▼株主や東電との取引がある金融機関が保護されて、事故の後始末費用は納税者の負担・・・このようなシステム(国策民営会社)を作り上げたひとたちのアタマに腹が立ちますね。フェアとかアンフェアという感覚が欠如しているのですよね。

▼The Economistの記事とは関係ありませんが、原発がらみなので紹介します。ジャーナリストの高野孟さんのブログによると、1996年に鳩山由紀夫さんと菅直人さんを中心に民主党が結党されたときの党の理念を示す文章の中に

私たちは、あるべき未来の名において現在を批判し、当面の問題を解決する。そしてたぶん2010年までにそれらの目標を達成して世代的な責任を果たし、さらなる改革を次のもっと若い世代にゆだねることになるだろう。

私たちは、未来から現在に向かって吹きつける、颯爽たる一陣の風でありたい。

という個所があったのだそうです。

▼この理念文書は高野さん自身が書いたものだったのですが「98年春の民主党再結成では全く無視されて歴史的記録からも抹消されてしまった」のだそうです。高野孟さんが語っているのは、日本の「脱原発」のハナシなのですが、彼によるとこのような問題を考えるときにやり方が二つある。

1)手前から現実的に可能な範囲で少しずつでも変えていこうとする。

2)
最初にあるべき将来像を描いてそこに至る段階的なプロセスを設計し、あくまでそこに接近していく手始めとして目の前に横たわる問題に対処しようとする。

▼1)は「現実から未来へ」という発想であり、2)は「未来から現実へ」という考え方による政策発想であるとのことです。1)の考え方は官僚的な発想で、高野さんによると「過去の自民党政治も、つまりはそのような官僚の思考方法に従属することで"現実的"であろうとしてこの国を行き詰まりに追い込んでしまった」とのことであります。

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6)どうでも英和辞書
A-Zの総合索引はこちら

referendum:国民投票


うまい訳語が思いつかなかったので「国民投票」としたけれど、国民的な規模であれ、市町村の規模であれ住民の直接投票によってものごとを決めるのがreferendumですね。

referendum is a device of dictators and demagogues.
直接投票は独裁者やデマゴーグが使う道具である。

第二次大戦直後に英国の首相となったClement Attleeの言葉ですが、この言葉を引用したのはMargaret Thatcherです。1975年のことで、当時の英国はHarold Wilsonの労働党政権でサッチャーさんは野党・保守党の党首だった。

ウィルソン首相が国民投票を提案したのは、英国が1973年に加盟した欧州経済共同体(EEC)にとどまるべきかどうかというテーマだった。ウィルソンが国民投票を提案したのは自党である労働党内にあった反EECの意見を封じ込めることが目的だったのですが、サッチャーは国民投票には反対で、その理由として挙げたのが上に引用したClement Attleeの言葉だった。

国民投票は議会というものの主権を政治的なご都合主義のために犠牲にするものであり、自由主義・民主主義(liberal democracy)を多数万能主義(majoritarianism)に売り渡して少数意見を脅すものでもある・・・というのがサッチャーさんの主張であったそうです。結局、国民投票は実施されたのですが、結果はEECにとどまることに賛成票が17,378,581 (67.2%)で反対が8,470,073 (32.8%)だった。ちなみに(信じられない話ですが)サッチャーさん自身も賛成意見だった。


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7)むささびの鳴き声
▼外国人の作るhaikuは、まさにhaikuであって我々が思う「俳句」ではないですよね。だからダメという意味ではありません。最近のThe Economistのブログに出ていた作品を紹介します。

jobs and Jobs are gone
need more Jobs to get more jobs
innovate to grow

▼現在の世界経済の状況をhaikuであらわす作品集に出ていたものです。jobsは「仕事」とか「職」という意味で、Jobsは最近この世を去ったアップルのSteve Jobsのことですね。「仕事が消える、Steve Jobsもいなくなる。Steve Jobsのようなひとにもっと職場を生み出してほしい。経済成長にはイノベーションが必要だ」というわけです。言葉遊びですね。もう一つ

Employment down, output up
Doing more with less
Until everything is done by no one

▼雇用がダウンしているのに生産はアップ、つまり少ない人数でより多くの仕事ができるようになっている・・・そしてついには「すべて無人で出来てしまう(Until everything is done by no one)」というわけですね。いわゆる合理化・空洞化への抗議なのかも?haikuには季語も「趣」もないけれど、メッセージはある(ように思える)。英語のhaikuというのはそもそもどのようなルールで作られているのでしょうか?

falling sick on a journey
my dream goes wandering
over a field of dried grass

▼これは松尾芭蕉の「旅に病んで夢は枯野をかけ廻る」の英訳です。「旅に病んで」をfalling sick on a journeyとやられると、どうも風流でない。「枯野」がa field of dried grass(乾燥した草っ原)では荒涼とした風景が眼に浮かばない。

▼話は全く違いますが、英国における王位継承者に関する法律が変わり、男も女も平等に扱われることになったそうです。これまでの決まりによると王位継承の第一位は君主の長男(first-born son of the monarch)であり、以下君主の子供に男女がいる場合は常に男が優先的に王位継承者となってきた。

▼法律の変更は10月末にオーストラリアのパースで行われた英連邦の首脳会議で決まったもので、現在の第一位継承者であるチャールズ皇太子の次から当てはまる。ということは今年の4月末に結婚したPrince WilliamとKateさんの間に生まれる最初の子供が女の子であったとしても彼女が王位継承者になるということです。ところでPrince WilliamとKateさんの現在の正式な名前は、Prince WilliamがDuke of Cambridge(ケンブリッジ公)、奥さんの方はDuchess of Cambridge(同夫人)だそうです。

▼ちなみに現在のエリザベス女王の場合は父親のジョージ六世に男の子がいなかったために長女である彼女が王位を継承したわけです。英連邦の首脳会議ではもう一つ、王室のメンバーはローマ・カソリックとは結婚できないという規則も変えられ、誰とでも結婚できるようになったと伝えられています。ただし君主が英国国教会のトップであることに変更はないのだそうです。

▼今回も年寄りの道楽にお付き合いをいただきありがとうございました。道楽で思い出したのですが、昔、古今亭志ん生という噺家がいましたね。彼の『ふろしき』という落語がここをクリックすると聞くことができます。「昔はよかった」と言っているようにとられるのがしゃくですが、志ん生の可笑しさは本当ににくい。

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