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むささびの鳴き声 美耶子の言い分 どうでも英和辞書 green alliance
2010年4月25日
私たちが暮らすイングランドの田舎にも春がやって来ました。暖かい日が続いて年寄りには実に有難い。今回はフィンランドのことをお伝えします。福祉社会、湖と森林、ノキア、教育・・・日本では、いいことずくめのように言われている国ですが、そのことが却ってフィンランドを知るための足かせになったりしていることはないのか、気になるところですね。
目次

1)ヘルシンキの不思議
2)がんばれ、SUSHI TOGO!
3)ヘルシンキ→ロンドン、61時間の旅
4)フィンランドの英語授業を見学
5)どうでも英和辞書
6)むささびの鳴き声

1)ヘルシンキの不思議

事情があってフィンランドの首都ヘルシンキへ行ってきました。フィンランドとは、私、そこそこ付き合いはあるのですが、まったく行ったことがない。美耶子と二人でOxfordshireの田舎から大都会のヘルシンキへ出てきた気分でやってきた。滞在1週間弱でその国のことを語るのはムリなので、いっそのこと、おのぼりさんの初心に帰って、不思議に思ったところを非常に安易にリストアップしてみました。

歩道が駐車場になるとき
この写真、ちょっと見ると買い物帰りとおぼしきご婦人が機嫌よく歩いているという感じですよね。でもここは歩道なんです。ご婦人たちの横にクルマがでかい顔して停まっているのはおかしいと思いません?私が歩いていたら、前方の車道からいきなり歩道に乗り上げてきたのでありますよ、この大きなクルマが。これには驚いたのですが、もっと驚いたのは歩道を歩いている人たちのリアクションです。というか「ノー・リアクション」ですね。極めて当たり前という顔なのでございます。

別の場所では、ほとんどクルマが通っていない一方通行なのに、路上駐車ではなくて「歩道駐車」をするクルマが結構いた。東京でこんなことやったらお巡りさんが真っ青な顔して飛んでくるでしょうね。ヘルシンキではどうやらこれが当たり前になっているようです。そうなると歩道駐車をするドライバーもさして乱暴野郎には見えないというのだから不思議ではある。
geisha chocolate
ホテル近くのレストランで食事を終えたところ「デザートはどうしましょう?」とウェイトレスが聞くのでコーヒーを頼んだら、一緒についてきたのがgeishaというブランド名のチョコレート。ウェイトレスは「日本人ならもちろんご存じですよね」と言うけれど、私は全くの初めて。あとでインターネットで調べたら、フィンランドに旅行をした日本人の間ではかなり名の知れたお土産品のようでありました。またヘルシンキ市内のKioski(コンビニのこと)にはどこでも置いてあった。

関連サイトによるとチョコレートメーカーの大手、Fazer社のPeter Fazerという人が1962年に売り出したとなっている。Fazerという会社は1891年にKarl Otto Fazerなる人物が作った会社です。この人はスイスからの移民だったのですが、会社を作ったころのフィンランドはロシア帝国の一部だった。Karl Otto Fazerはチョコレート作りに凝っており、修行のためにベルリン、パリ、セント・ピータスバーグなどに出かけたりしている。

Fazer社の歴史の中でgeishaという名前のチョコレートが最初に出てくるのは1908年のことで、後にTokyoと名前を変える。そして戦後の1962年になって再びgeishaという名前で売り出されて現在に至っている(ようです)。つまりgeisha chocolateにはそれなりの歴史があるのですが、それにしてもなぜ「geisha」という名前なのか・・・そのあたりの説明がないのが残念であります。ただ、気になるのは1904年から1905年にかけて日露戦争なるものが起こっているということですね。日本が勝ってしまって、ロシア帝国の拡大を面白く思わない勢力からは大いに拍手喝采を浴びる。

私の全く勝手な想像によるならば、Karl Otto Fazerも日本がロシアを破ってくれたことが嬉しくて仕方なかった。というわけで日露戦争終結3年後の1908年にgeishaという商品をアタマに描いたということでございます。繰り返しますが、これ、私の想像にすぎません。

で、geisha chocolateの味の方はというと、チョコ狂いの美耶子にきいてみたところ「あまりチョコレートの味がしない」とのことでございます。

フィンランド語とスウェーデン語の共存関係
この写真、ヘルシンキのストリートサインですが、Lippuautomaattiはフィンランド語で、下のBiljettoautomatスウェーデン語です。ここではストリートサインのような公的な言葉空間にはすべてフィンランド語とスウェーデン語が使われる。この二つが「公用語」(official language)であるからです。

フィンランド人に聞くと、この国では小学校を終わって中学になった時点でスウェーデン語が必修科目になるという人と、小学校4年の時点でフランス語かスウェーデン語のどちらかをとることが義務付けられているという人がいたのでありますが、いずれにしても公用語が二つあるということは「国語」が二つあるってことですよね。「ややこしいんでない?」というのはアタシだけ?

ストリート・サインに話を戻すと、「スウェーデン人がたくさん住んでいる地域のサインは上はスウェーデン語で下がフィンランド語になっているのだ」と教えてくれたひともおりました。いずれにしても、かつてはスウェーデンの一部であったフィンランドという国の生い立ちにかかわる問題で、気軽に話が出来るようなトピックスではないのでしょう。でもヘルシンキ市内案内の地図を見ると、地名という地名、駅名という駅名がすべてフィンランド語とスウェーデン語の2行表記になっている。これは結構なコストと手間がかかりますよね。

ところでウィキペディアによると、Helsinkiはフィンランド語で、スウェーデン語はHelsingforsのようであります。

長い綴りのタネ明かし
通りの名前などを見ると異常に長い綴りのものがある。やたらとたくさんのアルファベットが並んでいる。こんなに長い名前をスペルミスもしないでどうやって憶えるのか?と疑問に思っていたら、フィンランド経験が長いあるイタリア人が「あれはいろいろな言葉をつないであるだけなのだから、スペルを憶えるのはそれほど難しくはないのだよ」と教えてくれた。なるほど・・・英国の地名のStratford upon Avonからスペースを削除してStratforduponavonとやっているようなものですね。慣れてしまえばどうってことないのかもしれない。私の自宅は「埼玉県飯能市岩沢1133」ですが、それをフィンランド風に綴ると、Saitamakenhannoushiiwasawa1133となる!?
英語のサインが少ない
ヘルシンキでは、ほとんどどこへ行っても英語が通じます。タクシーでもレストランでもデパートでもコンビニでも。マクドナルドやコンビニで(日本なら)「1000円からお預かりしま~す」とか言っているような年齢と雰囲気のお姉さんでも英語は通じる。

で、不思議だと思うのは、人々は英語を使うのに看板やサインの類ではほとんど英語が出てこない(と思う)。たとえばバスの停留所における行き先表示などすべてフィンランド語とスウェーデン語なので私などにはさっぱり分からない。バスに乗って「中央駅」へ行ったときには、地図に出ていたRautatientoriという言葉を行先表示に書いたバスに乗った。たぶん駅という意味であろうと推測して、乗るときにAre you going to the central station?と聞いたら、運転手さんがにこやかにYes!と答えたので安心したってわけ。英語は「しゃべるのけど書かない」言葉ということになっているのかもしれない。

そういえばあの運転手は、我々がお金を払おうとすると、ニコニコしながらHave a seat!と言ったっだけ。How much?と聞いてもHave a seat!としか言わないので、お言葉に甘えて乗車賃を払わずに降りてから、Thank you!と言ったらOK. Have a nice day!と、最後までニコニコ顔だった。いいんですかね
・・・?
男女別プール
妻の美耶子は60を超えているというのに、水泳大好き人間で、どこへ行ってもまずプールを探します。当然、ヘルシンキでも・・・。市のガイドブックを見ていたら、ひとつあったのですが、なぜか曜日によって「女性の日」と「男性の日」がある。で、女性の日というのに行って納得がいった。かなりのひとが水着を着ていない。これでは「混泳」というわけにいかない。

美耶子は水着をつけてプールに入ろうとしたのですが、ぎょっとしたのはその深さ。何と3・5メートル!美耶子の身長は150センチとちょっと。見ていると、みなさん浮き輪バンドのようなものを腰に巻いて、泳いでいる、というよりも浮かんでいる。「立ち泳ぎ」ってやつです。クラゲですね。これ、やり慣れないと結構疲れるんですってね。美耶子は早々と退散してきたのであります。

もう一つ彼女のハナシを聞いて笑ってしまったのは、プールの受付でおカネを払ったら小さなビニール袋を二つくれたのだそうです。「なんですか、これ?」と質問すると「靴カバーです。ここから先はかカバーなしで歩くのは止めてください」とのこと。だから受付から脱衣場までは靴をビニールで覆って歩いて行った。「あんなことせずに、靴を脱がせればそれで済むのに」というのが美耶子の見解だった。言えてる。ちなみにプールの使用料は4・40ユーロで時間制限はなし。あとから資料を調べたら、このプール(Yrjonkatu swimming hall)は1928年に作られた北欧最古のプールなのだそうです。

スプーンは必ずコップにさしておく
どうでもいいことと言えばそうなんですが、ヘルシンキで入ったカフェの類でコーヒーを注文すると、コップにスプーンをさした状態で持ってくるんですね。私が泊まったホテルのレストランは、テーブルセッティングの段階で、空のコップにスプーンをさし込んで置いてある。私、これはちょっとうなずけないですね。なぜならですよ、コーヒーや紅茶の場合、スプーンはかき回すときに初めて使うものなわけじゃないですか。それをひとの意見も聞かずにですよ、あらかじめさしておくなんて失礼なんでない?・・・なんてガタガタ言うほどのこっちゃないよな。使わないのなら自分で抜けば済むことだもんな。でも・・・(くどいけど)こんなことするのって、フィンランドだけじゃない!?コップにスプーンをさすという行為自体が面倒だと思うけど。
デパートの安売り
ヘルシンキにStockmannというデパートがあって、我々が滞在していたときに年に一度のバーゲンセールというのをやっておりました。セールのタイトルは、フィンランド語でHullut PaivatというのですがCrazy Dayという意味なのだそうです。「狂ったように買いまくろう!」という意味なのだろうと思いますが、買いまくるためには価格が普段より安くなければならないはず。なのに本当にこれで安売り?というような値段の商品が多いように思ってしまった。例えばたたき売りと称して置いてあったYシャツ1枚のお値段が約40ユ-ロ。フィンランド統計局(Statistics Finland)という機関のサイトによると、2008年の時点におけるフィンランド人の平均年収は約25,000ユーロ。月収だと約2000ユーロってことになりますよね。その給料に対してYシャツ1枚が40ユ-ロというのは大して安くないのではありません?それからデパートの食品売場にあったサラダの6ユーロ、中央駅のトイレ使用料の1ユーロ等々、どれも高いよな。

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2)がんばれ、SUSHI TOGO!


ヘルシンキのオフィス街にあるお寿司屋さん、SUSHI TOGOのTOGOは、てっきり「東郷」という人が経営していることに由来する名前だと思っていたら「テイクアウト」のto goという意味だった。昼食時のみの開店なのですが「はやっているなぁ」と感心してしまった。私が泊まったホテルの筋向いであったので、窓から様子が見えたのでありますが、午前11時半から正午までの30分で入ったお客は10人は確実にいたですね。

テイクアウトの店とはいえ、イスが8つ置いてあって、希望者は店で食べることもできる。握っているのは二人のフィンランド人で、年齢は30をちょっと超えたというところか。店から20メートルほど離れたところに日本大使館があるけれど、SUSHI TOGOの客には(私が観察した限りでは)日本人はゼロだった。観光スポットとは少し離れているので、観光客というわけでもない。ということは、みなさんフィンランド人ということです。極めて上手に箸を使って食べていました。

もっと感心してしまったのは、寿司を握る二人のフィンランド青年です。片手でご飯をつまんで軽く握り、それにネタをすっと載せる。うまいのでありますよ、これが。アタシなんかじぇったい出来ない。「どこで習ったんですか?」と聞いたら「見ながら覚えた」とのことでありました。サイモン&ガーファンクルみたいな感じの二人です。ずいぶん器用なんだ!

お寿司にはsmall、medium、largeの3種類がある。それぞれ8個・10個・12個で、お値段はそれぞれ8.5、10.35、13.5ユーロ。味ですか?日本のお寿司屋さんで食べるのとはちょっと違うけれど、アタシは悪くないと思いました。ご飯だって、英国のスーパーで売っているような異常に固くて冷たいものではない。ただ、お寿司につきものである熱いお茶がなかったのが残念。みんな寿司を食べ終わったあと、水を飲んでいた。お寿司に水は合わないと思うけど・・・。

フィンランド人が作って、フィンランド人が食するお寿司を口にしながら、自分が食べているのは寿司ではなくてSushiという食べ物なのだと思ったですね。ヘルシンキのデパートの食品売り場にもSushiがわんさと売っていて、見ていたら皆さん買っていましたね。はっきり言って、食品売り場の寿司はご飯が冷たくて固いので、私にはいまいちであったけれど、あれはSushiであって寿司ではないってことよね。みなさん、機嫌よく食べているのに「ホンモノではない!」などとしたり顔で言うのはダサいってものです。ですよね?日本人が食べているスパゲッティやカレーだって、イタリア人やインド人からすれば、実に情けない食べ物なのかもしれないわけさ。でしょ?

「近くに日本大使館があるけれど、大使館の人たち、食べに来ます?」と聞いたら「いや、ほとんど来ません」とのことでありました。もっと「ホンモノ」を食べさせる寿司屋に行くのかもしれない。ヘルシンキにはTOGO以外に5~6軒あるそうだから。むささびジャーナルをお読みの皆様、ヘルシンキへおいでの際はSUSHI TOGOをご贔屓に!


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3)ヘルシンキ→ロンドン、61時間の旅


自然災害の影響を直接受けるという経験は誰にでも起こり得ることではあるけれど、実際にはなかなかないものです。私にそのような珍しい体験をさせてくれたのが、アイスランドの火山噴火に伴う航空機の発着不可能という事態でありました。私にとっては珍しくても、他人にとってはどうでもいいことであることが多いということは承知のうえで自分が経験したことをお知らせします。

フィンランドのある組織からの招きを受けて、私が妻の美耶子と二人でヘルシンキに到着したのが4月12日(月曜日)のこと。4月17日(土曜日)にはヘルシンキを出発して英国へ帰ってくる予定だった。同じ会合に出席するためにやってきたロシア人から火山噴火のことを初めて聞いたのが、木曜日の午後。そのときはお互いに「中国の地震、インドの山崩れ、火山の噴火・・・いろいろ起こるものですねぇ」という程度の話題にしかならなかった。

それが金曜日になって、ヘルシンキ発の飛行機が全く飛んでいないというわけで土曜日の出発はムリかもしれないということに。それでもまさか日曜日には、と思っていたのが甘かった。月曜日になっても、ヘルシンキ空港はもちろんヒースロー空港もほとんど閉鎖状態。しかも事態が好転するめどは全くなし。2度目の噴火があるかもしれないという情報が流れたり・・・。

こうなると、最初は冗談のつもりでいた陸路で英国へ帰ることをマジメに考えなければと思っていたら、我々をロンドンから運んできたフィンランド航空が、「フィンランド国内に足止めされているヨーロッパのお客様のためにヘルシンキからベルリンまで無料でバスで行くサービスを行う」と発表した。このサービスには但し書きがついていた。ひとつには「ヘルシンキからベルリンまでは船とバスで合計36時間くらいはかかるかもしれない」ということであり、もうひとつは「ベルリンから先についてはお客様の責任で」ということだった。

我々がお世話になっている旅行代理店のプランによると、次のような行程になる。

4月20日(火) 夜9時半:ヘルシンキ発(フェリー)
4月21日(水) 真夜中12時:タリン(エストニア)着
4月21日(水) 真夜中:タリン発(バス)→ラトビア→リトアニア→ポーランド
4月22日(木) 早朝:ベルリン着・解散

つまりヘルシンキを出た翌々日(翌日ではない)の朝4時ごろにベルリン着で、その間寝るのは船の中とバスの中の2泊ということなのだから、素晴らしいじゃありませんか。そしてベルリンから約6時間の待ち合わせで午前10時少し前の列車に乗るとブラッセルには夕方の5時半ごろ到着する。それからロンドンまでは約2時間というわけです。が、旅行代理店によると、ブラッセル=ロンドン間の列車(ユーロスター)の予約がどうしてもとれないとのこと。そこでブラッセル在住の知り合いにホテルの予約を頼むことに。

なにやらとてつもない旅行のようで気が沈んでしまったのでありますが、このままヘルシンキに留まっていても、いつ飛行機が飛ぶのか分からない。エストニア、ラトビア、リトアニアのバルト3国なんて行ったことがないし、これから行く機会があるとも思えない。同じことがポーランドやドイツについても言える。この際、経験のためにも「やってみっか」という好奇心のようなものが勝ってしまった。そして出発。

ヘルシンキの波止場には同じ運命でフィンランドに足止めされていた人々、約100人が集合しておりました。いまごろの夜の9時半はかなり明かるくて、ヘルシンキの建物の陰に夕日が沈んでいくのを見守りながら出航、湖のように静かな海の上を走ってタリンに着いたのがちょうど夜中12時。それからバスの乗車手続きなどがいろいろあって、結局ベルリンに向けてバスが出発したのは午前1時少し前だった。バスは座席が100%埋まるという大盛況で、まさに大の大人がぎっしり詰め込まれたという感じであったのでございますよ。

▼このヘルシンキ発・タリン行きのフェリーは、かつての青函連絡船という感じで、タリン側からヘルシンキまで買い物に来たお母さんみたいな人が結構おりました。やはりヘルシンキともなるとタリンなどにはないモノが買えるってことなのでしょうね。

それからベルリンまでの間はというと、同じ運命に乗り合わせたということもあって、結構ワイワイガヤガヤというバスの旅となりました。もちろん途中食事やトイレのために何度も止まりはしたのですが、それでも疲れますよね。タリンの町を通り抜けたのは真夜中だったけれど、教会や民家のたたずまいが本当に古くて美しい町なのであろうと想像ができました。

▼ラトビア、リトアニアについてはあまり憶えていないけれど、ラトビアのサービスエリアのようなところでトイレに入ろうとしたら有料であったのには驚きましたね。誰かが1ユーロと言ったので、私もトイレ番のおばあさんに1ユーロ硬貨を渡してたのですが、バスの乗客の一人が見慣れないコインを渡しているのを見て「それひょっとして地元のコインですか?」と聞いたら「ええ、たぶん・・・」と言うので「たぶんってどういう意味?」と聞いたら「いや、まえの店でユーロを渡したらお釣りにくれたんです。初めてみるコインです」とのことだった。つまりお金は払ったけれど、いくら払ったのかは分からないってことです。

そのあとのポーランドですが、田舎を走ったということもあって、緑の美しさだけが印象に残っていて、昔映画の『灰とダイヤモンド』で見たような国、あるいは最近、大統領らが亡くなった国の印象では全くなかったですね。どうでもいいことですが、途中のレストランで食べたハンバーガーの異常な大きさと味の良さはなかなか忘れないだろな。やぱし食いものの思い出は強い。パンの大きさはマクドナルドの2倍はありましたね。

▼それともう一つ。なぜか林の中とか野原のようなところにいきなりお墓が現れるのです。ひっそりと小さなものもあるし、かなりの規模でお花なども飾られているものもある。いずれにしても塀のようなもので囲まれた「墓地」という感じではない。

ポーランドを走っているときに、私の隣に座っていた英国人(だと思う)ビジネスマンと私の前にいたブラジル人の学者さんが「運転手は道を間違えたのではないか」と言い始めた。私が途中で買った地図を眺めていると「ちょっと貸してくれや」というわけで、持ち主の私をそっちのけにして運転手批判に花を咲かせておりました。我々から少し前に座っていたフィンランドの女性が「アタシが運転手に確かめてくる」と言って運転席へ行って帰ってきてから、大きな声で「ロシア語を話せる人はいませんか?」とやり始めた。運転手がエストニアの人で、フィンランド語も英語もダメ、ロシア語しか分からないとのことでありました。結局、だれもロシア語は話せないということで、あきらめて運転手に任せることにした。

というわけで、夜中の3時過ぎにベルリン中央駅に到着。「楽しい」バス旅行は終わりました。もう一度言っておきますが、この「朝の3時」はヘルシンキを船で発った翌々日の午前3時です。めちゃくちゃにきれいでモダンなベルリン中央駅ですが、午前3時ではお店はどこもやっていない、と思ったらマクドナルドがあいていた。全員、殺到しましたね。そりゃそうだ、ベルリンの午前3時はまだ寒いし、久しぶりの明るいレストランだもんな。コーヒー一杯頼んでうとうと眠り始める者もでてきたり・・・。

私と美耶子はというと、ベルリンからケルン経由でブラッセルまで電車で行くのですが、そのケルン行きの電車が出るまでにまだ8時間もある。マクドナルドで8時間つぶすのはちょっと気が引けるし、かと言ってハンバーガーとポテトばかり食べるのも情けないし・・・というわけで、駅の切符カウンターが開いてから、もう少し早い電車に切符を変更してくれるように頼むことにした。

▼結果的にこれは成功して待ち時間は3時間以内で済んだのですが、その駅の担当者はやたらと無愛想なおっさんでしたね。写真でも撮っておくべきだった。八つ当たりではないけれど、ドイツの駅の係員てえものは、どうしてああも不機嫌そうな顔をしているのでありましょうか?

ケルンの駅は、ベルリンと大違い。はっきり言って小汚い。けれど活気は大あり。池袋、錦糸町ってところですね。年齢、肌の色を問わず、人間がごちゃごちゃあふれ返っている。ちなみにこの駅には寿司屋がありました。食べたわけではないけれど、オープンな店に近寄って聴いてみると、店主とおぼしき人が喋っている言葉は中国語だと思う。そういえばベルリンの駅にも寿司屋がありましたね。こちらは非常にモダンできれいなようでありました。

▼ケルンはドイツ語で綴るとKolnで、oのアタマにポチポチが二つついている。ひょっとして日本ではこれを「ケルン」と発音しているのではないかと思うのですが、ドイツ語では「コロン」と読むですね。知らんかった。

ケルンからブラッセルまでの列車はなんとファーストクラスでありました。こういうものには縁がないと思っていたので大感激。無料で配られてきたコーヒーも3回おかわりをしてしまった。アイスランドくんだりの火山のお陰で情けない目にあっているのであるからして、コーヒーのおかわりくらい、いいってことよね。

で、ブラッセル到着がブラッセル時間の午後5時半。ブラッセルで暮らしている知り合いのイギリス人に駅前のホテルを予約しておいてもらったので、ここでようやくまともなベッドで眠る夜を迎えることができたというわけです。それだけではない。このイギリス人のお陰で、その日のうちにブラッセル駅で翌日のユーロスターの切符も購入することができたってわけ。

▼ちなみにこの知り合いのイギリス人というのは、昔仕事を一緒にした人なのでありますが、東京ではよくラーメン屋に連れて行ったことがある。この人、ラーメン大好き人間なのですが、恥ずかしくて一人でラーメン屋に入ることができない。なぜ恥ずかしいかというと、店員さんの日本語が分からないので、ドギマギして何をどのように注文していいのかが分からないという、実にごもっともな事情があった。私でもイギリスの場末のパブなんかには入れないもんね。彼の場合は、ラーメン屋で「らっしゃい!ダンナ、なんにします?」とか言われても、私みたいに「ミソ。半ライスもね」などという立派な日本語は使えないもんね、外人には。

で、翌朝7時59分、ブラッセル発のユーロスターで出発、英国時間の午前9時にロンドンのSt Pancrass駅に到着したってわけ。ヘルシンキを出たのが、火曜日の夜、ロンドンに到着したのが金曜日の朝。合計61時間の旅でありました。

▼この旅行は、やりたくてやったのではない。仕方なくてやったものです。もう一度やれと言われれば「カンベンしてつかあさい」ということになる。なのに、美耶子などは夜中に通り過ぎたバルト3国の小さくてひっそりしたたたずまいが大いに気に入ったりして、思わぬ収穫があった旅でもあります。が、地理的な距離というものに打ちのめされた経験でもありましたね。ロンドン・ヘルシンキ間はジェット機で3時間ですが、ジェット機がなくなって地上と海を使うと如何に遠いものであるかが具体的に分かってしまった。

▼それと噴火が起こって飛行機が飛べないとなってからのメディア報道もかなり混乱していましたね。ヘルシンキで私が聴いていたのはもっぱらBBCやアメリカの英語放送だったのですが、いまにも飛行禁止が解除されそうだと言う一方で、楽観は許されないと言ってみたりで、何だかさっぱり分からない。報道している側でもことの重大さに気がつくまでに時間がかかったようです。確かBBCがドイツの空港からの「現地中継」をやるまでに2日ほどかかったのでは?

▼私がヘルシンキで宿泊していたホテルから道路を隔てた向かい側に日本大使館があった。火山による足止め騒ぎの間、この日本大使館のウェブサイトを眺めたりしていたのですが、噴火が起こった木曜日から日曜日まではこの出来事については何も出ていませんでした。ひょっとすると、フィンランドに足止めされている日本人のためにアドバイスのようなものを提供したりしているかも・・・と考えていたアタイが甘かったようであります。月曜日になってようやく緊急の連絡先や航空情報を得るためのサイトの紹介などが掲載されていた。

▼そこで、今回の火山噴火と航空情報を他の国の大使館のサイトがどのように伝えているのかが気になって調べてみました。比較の対象は、ヘルシンキ、ロンドン、東京の3都市にあるフィンランド大使館、英国大使館、そして日本大使館。それぞれのウェブサイトが、その国に滞在している自国民に対してどのようなことを呼びかけているのかということであります。私が比較したのは、4月18日(日曜日)現在のサイトです。

▼その結果はっきりしたことは、自国民への呼びかけという点では、英国がダントツの詳しさであるということです。外務省のフロントペ-ジには足止めされた飛行機が止まっている様子が大きな写真で掲載され、中のページでも詳しく現状を紹介し、外国にいる英国人への注意の呼びかけやフライト情報についてのサイトを紹介していました。ヘルシンキと東京の大使館も同じ記事を詳しく掲載していましたね。

▼フィンランドはどうかというと、ヘルシンキの外務省本省が、火山関連のことをトップページに見出しのみで触れ、中ページでヘルシンキの外務省の発表を簡単に掲載(フィンランド語・スウェーデン語・英語)、ロンドンと東京の大使館が、トップページに見出しのみ、中ページで足止めされているフィンランド人に対して、飛行状況を知るためのコンタクト先のサイトURLを掲載して注意を呼びかけていた。

▼で、日本はどうだったか?霞が関のサイトのフロントページはなにもなし。ヘルシンキとロンドンの日本大使館のサイトにも言及はゼロだった。美耶子がヘルシンキの日本大使館に電話して、何か日本人のために便宜をはかっているようなことはあるのか聞いてみたのですが「日本からの送金の際の銀行口座の作るためのお手伝い」をしている以外は特に何もしていないとのことでありました。これって何なのですかね。いまどきは、この私でさえもクレジットカードを使っていて、日本にある自分の口座にお金さえあれば外国でもキャッシュカード風に利用できますよね。ヘルシンキの銀行に口座を開く必要なんてあるんですかね。

▼これだから日本の役人はダメなんだ・・・などといきがる趣味は私にはないけれど、銀行口座開設のお手伝いより安宿情報の提供とか、在フィンランドの日本人の家への宿泊斡旋等々・・・現実的に役に立つことってあるのでは?ロンドンからヘルシンキへ到着したときに、同じフィンランド航空で到着した日本人がけっこういたし、最近の日本とフィンランドの人的往来のことを考えると足止めされた日本人はかなりの数いたのではないかと思います。


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4)フィンランドの英語授業を見学する


ヘルシンキを訪れた際に、知り合いの紹介で市内の小学校で英語の授業を見学することができました。日本では小学校でも英語の授業をやることになっていますよね。フィンランドでは昔(と言っても1950年代)から小学校の3年生から英語の授業が行われていることは知っていたのですが、「教育先進国」のフィンランドでは、どのようなやり方で英語を教えているのか、以前から気になっていたわけです。また美耶子の方はというと、寺子屋スタイルで主として中学生に英語と数学を教えること40年以上という経験があり、日本の学校での英語授業のやり方に疑問を持っていたので、フィンランドのやり方には大いに関心があったということです。

訪問した小学校は創立100年を超える古い公立校です。見学した授業は3年生が10人、先生は小学校で英語とスウェーデン語を教えて30年というRiita Tuominenさん。

まずどのような授業であったのかを紹介します。長さは45分だったのですが、最初にTuominen先生が"Good morning. How are you?"と言うと、子供たちがみんなで"I'm fine. Thank you, and you?"というお決まりの返事をする。授業始めのご挨拶です。ここまでは、日本でもおそらく一般的に行われている英会話の授業風景でしょう。子供たちの返事は、惰性という感じであるわけです。

と、その次が、私が今から何十年も前に、中学1年生として初めて英語の授業なるものを受けたのとちょっと違っておりました。Tuominen先生が、子供たちに英語で話しかけ始めたわけです。と言ってもそれほど込み入った話をするわけではない。「きょうは日本からのお客様がいますね」とか「教科書は持ってきたか?」というような話であるのですが、それに対して子供たちも単純なこととはいえ、いちおう英語で応える。中には先生の言っていることが分からない子供もいたし、英語でどのように答えるべきなのかも分からない子もいた。そんなときは先生も子供たちもフィンランド語を使う。

使っている教科書のタイトルはWowというタイトルで、全体を通してIcecream land(アイスクリームの国)という物語になっている。Chrisという男の子がIcecream landへ行っていろいろと体験するというストーリーで、例えば次のような個所があります。


Chris is homesick. His friends want to help
クリスがホームシックになったので、友だちはクリスの力になりたいと思いました。
Chris: Who is that!?
あれ、誰なの?!
Liquorice: It's Sandy. 
サンディーだよ
Chris: She is beutiful. 
きれいだなぁ
Liquorice: She is very smart, too. And quick. 
サンディーはアタマもいいんだよ。それにやることも早いしね
Chris: She is very small. But her hair is long.
サンディーって小さいね。でも髪の毛は長い
Liquorice: Look at her eyes.
眼をみてごらんよ
Sandy: Close your eyes. Hold my hand. Time to leave Icecream land.
サンディーの言葉:目を閉じて、アタシの手を握りなさい。そろそろIcecream landにサヨナラするときだわ。

この部分については、カセットテープでネイティブスピーカーによる朗読を流して子供たちに聞かせます。テープに続けて子供たちに読ませるということはなかったし、先生が読んでそれを子供たちに繰り返させるということもなかった。子供たちはテキストを見ながらテープを聴いているだけ。

テープが終わると、先生が内容について生徒たちに質問をしたり、物語の解説をしたりする。この部分は英語です。例えばHave you ever been homesick?(キミはホームシックになったことありますか?)とかWhat did Sandy say to Chris?(サンディーはクリスになんと言ったの?)とか・・・。間違った答えをしたり、質問されていることが分からない子供がいるときは、大体においてフィンランド語で説明する。英語で答えらない場合は、フィンランド語で答えさせる。その際、「それはね、英語ではこう言うのよ」などと言わない。無理やり英語を使うということをしない。

「この子たちは、昨年の秋の新学期で3年生になってから英語を始めたのだから、これで約半年です。ずいぶん進歩していると思いますね」というのが、Tuominen先生の意見です。確かに・・・。初めて英語をやり始めて半年にしてはよく分かるし、よく話せるというのが私の印象だった。

フィンランドの教育制度は、日本とほとんど同じで、小学校6年+中学の3年=9年が義務教教育。さらに高校が3年で大学が4年というわけですが、義務教育における英語は小学校の4年間と中学の3年間の7年間です。ほとんどの人が高校へ行き、そこでも3年間英語をやるから、高校卒業までに全部で10年間、英語の授業を受けることになる。

この授業を見て実にいろいろ考えてしまったのですが、まず注目して欲しいと思うのは教科書の中身です。例として挙げた会話文を読むのが、英語に初めて接してから半年になる小学校3年生であるということをお考えください。出てくる言葉のhomesick, beautiful, smart等々は、教科書の著者がそれを意識したのかどうか分からないけれど、どれも10才程度の子供の心をつかむようなものだと思うのですね。

例えば日本の教科書に出てくるappleとかpianoとかtennisのような単純な言葉ではない。"I like apples"とか"Mr Smith likes to play tennis"のような文章を読んで心を動かされる子供はいないし、教科書を作る方がそのようなことを意図していない。教科書は子供に英語を教えるものであり、心を動かすものではないということです。

Tuominen先生によると、使っているWowというストーリーはこの小学校を卒業したフィンランド人のアイデアによるもので、それを英国人と一緒になって英語の教科書にしたものなのだそうです。そしてこの教科書を使うのは、Tuominen先生の裁量で決められたものです。文部省検定もないし、校長の「了承」でもない。


▼この小学校の見学については、他にも書いておくべきことがあるのですが、それは別の機会に回します。ただ、上に紹介した教科書の例について、私が考えたことを書かせてもらうと、自分が見たことがある最近の日本の英語の教科書に比べると、中身が格段に面白いということは言えると思います。ある少年が「アイスクリームの国」へ行って喜んでいたと思っていたら、お父さんやお母さんのことを想い出してホームシックになってしまう。するとSandyという可愛い女の子が出てきて「私の手をとりなさい」と言ってくれる・・・ストーリーそのものが子供たちの心に触れるような内容になっている。英語ではなくて、物語そのものに力を入れているという感じがするわけです。

▼妻の美耶子によると、日本の中学生の英語の教科書で使われる英語が、英語の授業を離れたときにアタマを支配している日本語による想いや感覚と余りにもかけ離れたものになっている。英語を離れたときにアタマを支配するのは、家庭のことかもしれないし、「彼女」のことかもしれない。あるいは受験で落ちることへの不安かもしれない。英語の授業で出てくるHave you been to America, Taro?とかDo you play the piano?なんてことは、日本語の世界では絶対に考えない。美耶子はこのことを「言葉と現実の乖離」と呼んでいます。要するに英語の時間に憶える英語が、全く心に響かないということであり、そのことを学校関係者が何とも思っていないということです。

▼ヘルシンキの授業を見学した美耶子が感銘を受けた、もう一つのポイントとして、教師がフィンランド人であるということであり、しかも英語がめちゃくちゃ上手であるということがあります。この小学校にはイギリス人で英語の教師も一人だけいるようなのですが、主役はフィンランド人です。つまり教える人たちの母国語が英語ではないので、子供たちが分からない部分を理解できる。しかも実際には英語がペラペラの人たち、「ネイティブに近いフィンランド人」です。

▼日本ではここ何十年とアメリカ人やイギリス人のように英語を母国語にする人たち(ネイティブ・スピーカー)を招いて「ナマの英語」に接することで子供たちの英語力を向上させようとしてきたわけですが、本当にやらなければならなかったのは、外国語である英語を教える日本人教師の英語力を向上させることだったのではないか?ということです。

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5)どうでも英和辞書

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Keep Clear

英国の道路を走っているとKeep Clearの文字が道路上に書かれていることがあります。大体において曲がり角の数メートル手前のことが多く、意味としてはその部分にクルマを止めるなとか、そのスペースはあけておけということです。英国のHertfordshireにある幹線道路に書かれたKeep ClearのサインがスペルミスでKeer Cleapとなっていたことが付近の住民からの指摘で訂正されることになった。スペルミスを指摘したのが、言語を読むことに困難を感じるdyslexia(難読症)を抱える人であったことでなおさら話題になってしまった。地元道路局では、ミスを指摘されてから24時間以内に直したと発表しています。

たしかにかっこ悪いけれど、非常にあり得るミスだと思いません?道路に大きな文字を書くときは、おそらくひと筆ひと筆集中しているのでしょう。そうすると信じ難いような間違いをするものなのですよ。文字が大きければ大きいほどやるんですね。


toff: 優雅な

かつて紹介したposhと似たような意味の言葉で「上品な」「優雅な」という意味で使われるけれど、いずれにしても「上流階級」とか「金持ち」という言葉のスラングであるそうです。いまから200年も前のビクトリア朝時代に源を発するスラングなのですが、どちらかというと下層階級の人々が上流階級のことをさして使ったのがtoffという言葉だそうです。

toffの発音はカタカナでいうと「トフ」ですね。全然関係ないけれど「厳しい」という意味の英語にtoughというのがありますね。「犯罪に対して厳しく当たる」というのはHe is tough on crimeとなる。toughはアメリカ人が発音すると「タフ」にかなり近くなるけれど、英国人が発音すると、ひとによっては「トフ」と聞こえたりもする。かつてブレア首相が議会における演説の中でtoughのつもりで言ったのがtoffと聞こえたことで大笑いになったこともあるのだそうです。

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6)むささびの鳴き声

▼フィンランドから帰ってきて、久しぶりに付近のWitneyという町へ出かけたら、保守党と緑の党が街頭に屋台のようなものを置いて、選挙のためのパンフレットを配布していました。なぜか労働党と自民党の屋台は見えなかった。保守党の人が我々にもDavid Cameronと書いたクルマ用のステッカーをくれました。この町は保守党のキャメロン党首の選挙区であり、彼の勝ちは決まっているのですが、それにしても日の出の勢いを保つ自民党の姿がないのは意外ですね。

▼昨日(4月24日)現在のある世論調査によると、保守党が先週よりも2%アップの35%、自民党が1%ダウンの31%、労働党は3%ダウンの27%となっている。もう一つの調査でも殆ど同じ結果が出ています。BBCはこれらの数字を称してpointing to a hung Parliamentと言っている。つまり絶対的な多数政党がなくなる状態に向かっているという意味です。この傾向について、保守党のTheresa Mayという有力議員は「いま国民が望んでいるのは政治の透明性なのだ」として、連立政権的な政治になりかねないhung Parliamentは「秘密の取引」(deals behind closed doors)に繋がると批判しています。

▼William Hillという賭け屋によると、「保守党が多数をとる」に賭けると儲けの倍率(オッズ)は2.62倍、労働党だと13.0倍、自民党の場合は21.00倍・・・つまり保守党が多数を占めるという予想が圧倒的なのですが、これよりさらに強いのが「どの党も多数をとれない」(No Overall)という予想で、これだと1.6倍にしかならない。

▼ところで英国の選挙というと必ず登場するのが、Monster Raving Loony Partyというギャグ政党です。1963年に初めて登場というから殆ど50年近い歴史を誇っているわけであります。この政党のオフィシャル・ウェブサイトに今回の選挙に臨むマニフェストが紹介されています。公約をいくつか紹介すると:

Health & Safety: We propose to ban Self Responsibilty on the grounds that it may be dangerous to your health.
健康と安全:我が党は、いわゆる「自己責任」という考え方の禁止を提案する。なぜならこの考え方は人間の健康に害を及ぼす可能性があるからである。
M.P's Expenses: We propose that instead of a second home allowance M.P's will have a caravan which will be parked outside the Houses of Parliament. This will make it easier as flipping a caravan is easier than flipping homes
議員の経費:我が党は議員の「第二の住居」に代わるものとして、議員に対してキャラバン車購入と国会議事堂前での駐車スペースを提供することを提案する。住宅よりもキャラバンの方が折りたたみが容易だからである。
Education: We will increase the number of Women teachers throughout the education System as we are strong believers of 'Female Intuition'
教育:あらゆるレベルの教育において女性教師の数を増やす。我々は女性の本能を信じているからである。

▼このほか中東和平の「古いロードマップを破棄して、新たなナビゲーションシステムに取り換える」とか「祖先が紀元後55年以前に英国へ移民したことを証明できる人には英国籍を与える」とか・・・。Witneyのパブのオーナーに「キャメロンの保守党が勝つんですよね」とたずねたら「これを胸につけてくれ」と言って、Loony Partyのバッジをくれた。この人は政治ついては結構冷めている。
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