musasabi journal 182

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むささびの鳴き声 美耶子の言い分 どうでも英和辞書 green alliance
2010年2月14日
なんだかあっという間に2月も半ばです。182回目のむささびジャーナルです。考えてみると、むささびジャーナルの第1号を出したのが2003年2月、イラク戦争が始まる少し前のことだった。今、その良し悪しが調査委員会によって問い直されています。ブレアさんはあの頃「ブッシュのプードル犬」などと揶揄されていたのですね。いま、「飼い主」のブッシュに代わって、イラク戦争に反対だった人がアメリカの大統領になっている。182回というと大したことないように思えるけれど、7年というのは長い年月なのですね。
目次

1)トヨタのトラブルと日本式企業統治のあり方
2)英国人の政治への関心が低下している
3)イラク調査委員会①:サダム追放で世界はより安全になった!?
4)イラク調査委員会②:ブレアの何が間違っていたのか
5)イラク調査委員会③:ブレア証言が教えてくれたもの
6)新聞はNPOが発行する時代?
7)どうでも英和辞書
8)むささびの鳴き声

1)トヨタのトラブルと日本式企業統治のあり方


2月11日付のThe Economistがトヨタの問題について

トヨタの問題は日本式の企業統治の欠陥を鋭く反映している。
The company’s problems sharply illustrate the failings of Japanese corporate governance.

と論評しています。

この記事によると、日本企業の経営陣が余りにも日本人だけに集中しすぎていることが問題の一つであると指摘して、メンバー29人が全て男性で日本人であるトヨタの取締役会がその典型であると言っています。とにかく多様性に欠けるのだそうであります。取締役会における女性の存在は、日本企業よりもクエ-ト企業の方が多い(there is a greater percentage of women on boards in Kuwait than in Japan)と言っている。トヨタの取締役会にはアメリカ人が一人だけいたのですが、すぐにアメリカの自動車メーカーに引き抜かれてしまったのだそうです。

トヨタが「オールジャパン」の経営でうまくやってきたということで、日本企業の経営陣は外部から取締役を採用することを余りにもやらなさすぎたのだそうです。もちろん欧米式の企業統治にもそれなりに問題があることは、EnronWorldComらの企業スキャンダルで明らかになったし、金融危機が迫りくる中でリスクがつきものの金融機関の活動を取締役会が監視できなかったということもあるのは事実であるとしながらも、The Economistの記事は

少なくとも外部の人間によって新しいアイデアが持ち込まれることはある。そして彼らの新しいアイデアはそれまでの企業文化の中で取り上げられることがなかったものだけに、従来のもののやり方に対して疑問を呈する可能性は高いはずだ。
But outsiders do at least bring in new ideas; and, because they have not been brought up in the company culture, are more likely to question the way things work.

と言っている。もしトヨタの取締役会にドイツ人の女性、アメリカの元上院議員、有名な香港の弁護士のような人々がいたならば、企業としての危機対応も違ったものになっていたかもしれない(its response to the crisis might have been different)というわけです。

問題になっているトヨタ車のアクセルペダルの殆どが、トヨタの系列会社ではない、アメリカのメーカーから供給を受けたものなのであることに関連して、トヨタのトラブルを機会に日本の大企業の多くが、部品類をアウトソーシング(外部の企業に発注)することを再検討しようという動きがあるのだそうで、The Economistの記事は

しかしながら、日本企業は今回の事件を、自分たち内部の作業を再検討するための機会としても使うことをおすすめしたい。
But they might want to use the incident to reconsider their own internal workings, too.

と言っております。

▼この記事については、欧米の読者からのものと思われる書き込みがいろいろありまして、これを読むのも面白い。例えば:

これまでアメリカ産業がお手本としてきたトヨタ形式が突如として「失敗だった」という。GMやクライスラーをアメリカ政府や自動車労組が乗っ取りをした、この時期にだ。これは単なる偶然なのか?
開発途上国の人々も何十年にもわたって乗り続けてきたはずなのに、いまさら「日本式企業統治が悪かった」だなんて、まるでこうなることを待っていたかのようなコメントではないか。
確かにトヨタは対応がうまくなかったかもしれないが、企業経営が日本人だけに任されたいたことだけが問題とは思えない。取締役が日本人以外の国の人間だったからうまくいくとは限らないではないか。

▼私自身はトヨタの車は30年以上前にトヨペット・コロナに乗ったことがあるだけだし、今回の問題についてもさしたる関心はないけれど、トヨタを悪者扱いするする欧米メディアについては「だったらGMやフォードの方が性能やアフターサービスが優れているってことですか?」と聞いてみたくもなる。

▼が、その一方で考え方の多様性を大切にしようというThe Economistの意見は正しいと思います。それはトヨタとは関係のない部分で、日本が現在「閉塞感」に覆われているように感じる一つの理由が、開放的でなくて内向きで、多数が少数を圧殺するような雰囲気を感じてしまうということもある。「出る釘は打たれる」「寄らば大樹の陰」「もの言えば唇寒し・・・」等々の哀しい習性はいい加減に捨てて欲しいと思ったりするわけです。

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2)英国人の政治への関心が低下している


英国の社会研究センター(National Centre for Social Research:NatCen)という機関が毎年行っている英国人の社会意識調査(British Social Attitudes report)によると、選挙で投票するのは「市民としての義務(civic duty)」と考える人の割合が急激に減っているのだそうです。

選挙についての意識調査が最初に行われたのは、約20年前の1991年ですが、そのときは、ほぼ7割(68%)が「投票はみんなの義務」(it’s everyone’s duty to vote)と考えていたのに、今年の調査では6割弱(56%)にまで落ちている。特に若い人の間でこの傾向が強く、35才以下では、投票は義務と思っているのは5人に2人(41%)にすぎない。さすがに「投票そのものに意味がない」(it’s not really worth voting)という醒めた見方をする人は18%にすぎないけれど、20年前の数字が8%であったことを考えると、無関心層の増え方が目立ちますね。

社会研究センターによると、いつの時代も年寄りに比べると若者の方がcivic dutyの意識が低いけれど、20年前に比べると同じ年代の若者の「市民としての義務」感覚は明らかに低いのだそうです。

政治への関心度はどうかというと、「関心あり」という人は20年前には80%とかなり高かったのに、現在では73%にまで落ちている。一方、「無関心」という人の割合は昔も今の32%程度で変わっていない。ただ「無関心ではあるが投票は市民の義務」と思う人は52%から34%にまで落ちている。

つまり市民感覚も政治への関心も低下しているわけで、社会研究センターでは、政党がいくら違いを強調しても、次なる選挙の投票率は低いものになるだろうと言っています。

投票率はどうかというと、第二次大戦後の1945年から直近の2005年まで、英国では17回総選挙が行われています。投票率は最高が83・9%(1950年)で最低が2001年(ブレア政権の2期目)の59・4%だったのですが、70%を切ったのは最近の2回(2001・2005年)だけだった。ほとんどが70%台も後半の数字です。

▼日本では戦後衆議院選挙が23回行われており、投票率は最高が1958年(岸内閣)の76.99%、最低が1996年(橋本内閣)の59.65%です。大体が70%前半か60%台で、明らかに英国の方が投票率は高い。

▼私自身の想像にすぎないけれど、civic dutyという感覚が薄れつつあるのは英国も日本も似たようなものだと思います。ただ反戦デモのような市民による従来型の政治的活動は英国の方がはるかに盛んですね。日本の学生が街頭デモをやったなんてハナシは最近では聞かないですからね。だからと言って、日本の若い人の方が昔に比べて社会問題に対する関心が薄いかというと、必ずしもそうではない。イラクだのアフガニスタンだのへボランティアで出かけて行くなんて、昔じゃありえないことだったですからね。活動が個人本位になっているということでしょうね。

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3)イラク調査委員会①:サダム追放で世界はより安全になった!?


いま英国では「イラク調査委員会(Iraq Inquiry)」というのがあって、英国がアメリカのイラク戦争に加担したことについて関係者を呼んで証言を聞いていることは、むささびジャーナル178号でも紹介しました。この委員会における証言の最大のハイライトは、1月29日のトニー・ブレア前首相だった。

日本でも報道されているとおり、ブレアさんは強い調子で「イラク戦争は正しかった」という、かねてからの主張を繰り返しました。ブレアさんの言い分は次の言葉に要約することができます。

彼(サダム・フセイン)は化け物だった。彼はイラク近辺の地域のみならず世界にとっても脅威だった。この脅威には対処するべであり、彼を政権から除去した方がよかったのだ。結果として世界はより安全な場所になったと私は心底信じている。
I think that he was a monster, I believe he threatened not just the region but the world. It was better to deal with this threat, to remove him from office and I do genuinely believe the world is a safer place as a result.

あの当時、イラク攻撃の最大の理由として挙げられたのが、フセイン率いるイラクには大量破壊兵器を所有しているということでしたよね。結局、そんなものはなかったわけですが、この点についてブレアさんは

サダム・フセインが大量破壊兵器を開発する可能性が少しでもあるのであれば、それを食い止めるべきである・・・それが私の下した決定であり、率直に言って(同じ状況になれば)私は同じことをしたであろう。
The decision I took--and frankly would take again--was if there was any possibility that he could develop weapons of mass destruction we should stop him.

と証言している。この証言について、The Economistなどは、あのときブレアさんが国民に訴えたのは、フセインが大量破壊兵器を「現に所有している」ということであり、「開発する可能性」というようなことではなかった、と指摘しており、もし「開発の可能性」が攻撃の理由であるとしたら、その主張を通すのは難しかっただろう(it would have been a tough one to sell)と言っています。

そもそもイラク戦争については、英国の「世論」も揺れ動いてきています。2003年3月18日(開戦の2日前・議会決議の前日)の世論調査(YouGov)では50%が戦争支持、42%が反対だった。その一か月後の4月10日の調査では、賛成66%、反対29%というわけで、賛成意見がぐっと多くなった。が、4年後の2007年4月の調査では賛成が26%、反対は60%というぐあいに、世論が逆転してしまった。2007年以後は、イラク戦争は正しかったかという設問の調査はないのですが、2010年1月の調査によると、51%の人が「ブレアは意図的に世論をミスリードした」と言い、23%の人が「議会と世論の両方を意図的にミスリードしたのだから戦争犯罪人として裁かれるべし」と言っている。

▼それにしても開戦2日前でも反対意見が42%もあったのですね。戦争開始直後の調査で「賛成」が大幅に増えているのは、「始まってしまったのだから、反対するわけにはいかないだろう」という人が増えたということなのでしょう。一種の「戦争熱」のなせるわざとも言えるけれど、演説上手なブレアの個人的な人気ということも影響していたのでしょうね。それが今年になると「戦争犯罪人」呼ばわりする人が23%もいるのだから、ブレアさんの「宣教師的(evangelical)」カリスマ性も地に落ちたということでしょうね。

▼ここをクリックするとブレアさんの証言のすべてを文字で読むことができます。動画で見たい場合はここをクリックしてください。但し文字原稿は240ページ以上あるし、動画は6時間もあります。また私が見た範囲では、日刊ベリタというネット新聞がブレア証言をくわしく日本語で掲載・解説しています。

▼2月2日付長崎新聞の「水や空」というコラムがイラク調査委員会の活動を取り上げて「自国の恥から目をそらさず、真実を解明して理性の証しを残そうとする英国人の執念」と称賛して、同じくアメリカのイラク戦争を全面支持した小泉元首相の責任を追及しようという動きが日本にないと嘆いています。

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4)イラク調査委員会②:ブレアの何が間違っていたのか

イラク調査委員会におけるブレアさんの証言について、Guardian紙の社説が「トニー・ブレアは自分の判断でイラク戦争を売り込んだ。が彼の判断は間違っていた」(Tony Blair sold the Iraq war on his judgment. His judgment was wrong)と言っています。Guardianの社説は「我々は戦争を支持したが、いまにして思えば反対すべきであった(This newspaper supported a war that, with hindsight, it should have opposed)」とも言っています。

Guardianはブレアさんの判断のどこが間違っていたと言っているのか?

ブレアさんは「自分のとった行動がどのように痛みと流血を伴うものであったとしても、結果としてサダム・フセインを追放し、世界が安全になったのだから正しかったのだ」と言っている。つまりフセイン追放という「目的」(end)が正しいのだから、戦争という「手段」(means)も正当化されるというわけですね。「果たしてそうなのか?」というのがGuardianの批判です。

合理的に考えて戦争に反対しても、サダムが好きだから戦争に反対した者はいない。(フセインのような)イラクの統治のやり方を変革しようという(ブレアのような)欲求そのものが問題だったのではない。変革を「直ちに」しかも「武力を使って」行おうという主張が問題であったのである。
No rational critic of the war opposed Mr Blair out of affection for Saddam. It was not the desire that Iraq should be governed differently that caused problems, but the insistence that change be effected immediately and by force.

つまりフセインが間違っていたことは確かではあるが、だからと言って武力を使ってもいいということにはならない、と言っている。

アメリカはフセインが決して国連の武器査察に従うことはないと信じており、武力による体制転覆(regime change)しかないと考えていた。ブレアさんは、国連決議という形で世界を説得し、イラクに対して戦争回避の機会を与えることを望んだ・・・ことになっているが、それは表向きの話でありフィクションにすぎなかった。2002年の時点でブッシュとブレアの間で戦争開始の日まで決まっていたのだ(The date for war was set)とGuardianは言います。

イラクが所有しているとされた大量破壊兵器の問題も、このような事情を背景に背景に考えなければならない。ブレアは、サダムが大量破壊兵器を所有しているという情報機関からの報告を信用し、それがいつかは欧米に対するテロの手段として使われるだろうと真面目に信じていた。ブレアがそれをまじめに信じていたこと自体を疑う理由はない、とGuardianは言って

しかしブレア自身が認めているように、そのような脅威は差し迫ったものとは考えていなかった。あくまでも「仮定の話」であったのだ。重要なのは、9・11テロのあとでは、ブレアは「仮定の脅威」さえも許せないと考えていたという事実である。
But by his own admission, Mr Blair did not think the threat imminent. It was purely hypothetical. The important fact was that, after the 9/11 terrorist attacks, he decided even hypothetical risk was intolerable.

と指摘して、しかしあのころのブレアは、イラクの大量破壊兵器の脅威が「仮定の脅威」であるなどとは公には言っていない。そんなことを言うと、戦争に対する議会や国民の支持を得ることができないからだ、とGuardianは主張している。

あのころ、イラクが大量破壊兵器を持っているということだけでなく、それを「45分以内で発射できる」ということがさんざ言われたのですが、そのことについてGuardianは、

証言の中でも極めて不誠実な部分で、ブレアは(大量破壊兵器を45分で発射できるというのは)メディアによる誇張であり、それを正すべきであったのかもしれないが、その当時は大して気にも留めなかったと証言している。冗談ではない。首相官邸は世論に影響を与えるだけのパワフルなマシーンを有していたのであり、それが世論の支持を得るためにフル稼働していたのである。
In a most disingenuous passage of testimony, Mr Blair said he ought to have corrected some exaggerated media claims about the WMD threat, but paid them little heed at the time. Nonsense. Downing Street had powerful machinery for influencing public opinion. It was set full throttle to win support for war.

と非難しています。つまり「メディアの誇張」を正すどころか、首相官邸のプロパガンダによって大いにそれを吹聴していたと言っている。「英国民の怒りはまさにその点にあるにもかかわらず、ブレアにはそれが分かっていない」ということです。ブレアが誤った情報を信じてしまったということが問題なのではない。自分の政治目的のために情報操作をしたことが問題なのだ、と怒っている。そして

他国を侵略するために軍隊を派遣することが、政府の公共事業と同じように管理できるとでも考えていたのだろう。
the act of sending soldiers to invade another country could be managed like some public sector initiative.

と決めつけている。

Guardianは次に、サダム・フセイン体制を転覆させるという目的のためならどんな手段でも正当化されると信じた(としか思えない)ブレアの「目的」について語っています。つまり「サダムがいなくなってイラク人も喜んでいるし、世界も安全になったではないか」というブレアの主張についてです。

Guardianによると、それはブレアによる「言葉のトリック」(rhetorical trick)であると言います。

一般的に言ってイラク人はサダムがいなくなったことを喜んでいるということについての疑いはほとんどない。しかしだからと言って、2003年3月以後イラクで起こったことはすべて必要なことだったというわけではない。
There is little doubt Iraq is generally glad to be rid of Saddam. But that does not mean everything that happened in the country after March 2003 was necessary.

いまでも続いているイラクにおける流血は、アメリカによる戦後の安定化計画における失敗に起因している。Guardianは、ブレアがブッシュによる、戦後についての準備のいい加減さについて警告しなかったのだとしたら、イラク戦争の「どうしようもない結果」(deadly consequences)について共同責任を負わなければならない。ブレアが警告を発したにもかかわらずそれが聞き入れられなかったのだとしたら、ワシントンにおける英国の外交的影響力がなかったということになる。いずれにしても「英国の力が発揮されなかったということだ(Either way, British power failed)」とGuardianは言っています。

▼つまりアメリカにとって英国の言うことなど、どうでも良かった。にもかかわらずブレアさんはアメリカに追随してしまったということです。そのおかげで、国連安保理やイスラム世界における英国の立場は弱くなってしまった。それどころか英国自体がテロの標的になるまでに至っている。

イラク戦争のおかげで中東はますます不安定化し、イランをも勢いづかせてしまい、イランの武装解除をますます難しいものにしてしまった。イラク戦争は人道的目的の(他国への)干渉にあたっての道義的な理由づけの根拠を失わせてしまい、国際法の権威は地に落ち、恫喝好きの政府による単独行動も正当化されるようになってしまった。
The Iraq war made the Middle East less secure. It emboldened Iran and made future moves to disarm Tehran doubly difficult. It debased the moral case for humanitarian intervention. It undermined the authority of international law, legitimising unilateral action by bullying governments.

ブレアさんは調査委員会で、「あのままフセイン政権を生かしておいたら、サダムによって開発された大量破壊兵器がアルカイダのようなテロリスト集団の手に渡り、世界は第二の9・11におびえなければならなかっただろう」という趣旨の主張をしている。この点についてGuardianは、ブレアの「暗黒のファンタジー」(dark fantasy)によると、外交努力という「中間の道(middle ways)」など全くなかったということになるが、そんなことはない。ブレアが外交努力を踏みにじっただけなのだと言っている。

そして

イラク調査委員会は、ブレアの政治的な判断そのものについても調査すべきである。ブレアひとりが英国を戦争に巻き込む選択を行った。そしてブレアは誤っていたのである。
Chilcot inquiry should be measuring his political judgment. He alone made the choice to take Britain to war. He was wrong.

というのがGuardianの結論です。

Guardianが批判するブレアさんのpolitical judgment(政治的判断)が具体的に何をさすのか、私にはいまいちはっきり分からないけれど、おそらくブッシュ政権による戦後イラクの安定化策のいい加減さに気がつかなかった(あるいは気にしなかった)ということなのかもしれない。

Guardianはさらにブレアさんが、イラク参戦の決定をする際に自分だけの独断で決めたことを非難しています。これは確かに当たっているようで、調査委員会における彼の証言を読んでも、重要なミーティングにイラク攻撃反対を主張する閣僚を呼ばなかったりしたことがはっきりしている。呼ばれなかった閣僚の一人が、Clair Shortという国際開発大臣で、彼女はブレアのやり方に抗議して辞職してしまったのですが、イラクの戦後復興ということがブレアのアタマの中にあったのであれば、彼女の存在は重要であったはずです。

Guardianの社説について私が不満なのは、ブレアさんの考え方そのものに立ち入って批判していない点です。Doctorine of International Communityという考え方で、ある国にどうしようもない独裁者がいた場合は、他国が干渉して独裁者を追放してもよいというものです。ブレアさんはブッシュのいいなりになったのではなく、彼自身の信念に基づいてイラク攻撃に参加したのです。そのあたりのことはGuardianの社説では触れられていない。むささびジャーナルの別のところに書かせてもらいました。

▼最後にGuardianの社説が、2003年当時、同紙がブレアのイラク攻撃を支持していたと後悔気味に言っていますが、これは2003年2月6日付の社説のことを言っているようで、アメリカのパウエル国務長官(当時)が国連で強い調子でイラクの兵器開発を非難する演説を行ったことに関するものです。確かに「イラクは武装解除しなければならない」(Iraq must disarm)と主張はしているけれど、もう一方でフランスの言うように外交努力もするべきだとも言っている。それほどブレアやブッシュの路線を支持していたようにもみえない。

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5)イラク調査委員会③:ブレア証言が教えてくれたもの

イラク調査委員会におけるブレアさんの証言についての報道で、私が読んだ限りにおいては、1月31日付のFinancial Timesのサイトに出ていたMax Hastingsというジャーナリストのエッセイが非常に面白い読み物でありました。彼によると、イラク調査委員会の結果明らかになりつつあることが二つある。一つは英国の統治システムであり、もう一つは米英関係です。

まず統治システムについて。今回ブレアさんが証言する前に、いろいろな人がこの委員会に呼ばれて証言しているのですが、かなりの数の人があの参戦決定の良し悪しについて懐疑的な証言をしています。例えば当時外務大臣だったJack Straw(現法務大臣)は、外相として「しぶしぶ(very reluctantly)」支持の決定をしたと言っているし、外務省の法律顧問(legal advisers)を務めていた人は「イラク戦争は法律違反だ」と進言したのにストロー外相によって否定されたなどと証言している。また国防大臣であったGeoff Hoon氏も「イラクとアフガニスタンの両方での大幅な軍事展開には反対だった」と言っている。

つまりイラク攻撃について実は反対もしくは懐疑的な意見が政府内にあったにもかかわらず、ブレア一人が突き進んでしまい誰もこれを止められなかった。もしストロー外相らが辞任するなどして、反対意見を公にしていれば、議会もあれほどにはブレアの演説を素直に受け入れることはなかったはずだというわけです。このことが示しているのは「英国が議会制の国から大統領制になっている(British governance has become presidential rather than parliamentary)ということである」とHastingsは言います。

Hastingsによると、首相が絶大な権力を発揮できるというブレアが作った前例は今後も続くであろうとのことで、

現在の英国の指導者は自らの被統治者に対してアメリカの大統領以上に強い権力を握っている。
A British national leader today possesses greater power over his own polity than does a US president over his.

と言っている。つまり大統領制的議会制民主主義ですね。アメリカの大統領制の場合、議会の力が非常に強いけれど、大統領制的議会制民主主義の場合は首相の力だけが強くて議会がチェックする機能を果たさないということです。

ブレアの証言についてMax Hastingsが指摘するもう一つのポイントは、大西洋を挟んだ英国とアメリカの同盟関係です。イラク戦争が始まる前の2002年のことですが、英国のイラク戦争には反対だったある英国の軍事戦略の高官がため息まじりにHastingsにこう言ったのだそうです。

でもな、アメリカがやると決めたら我々もついて行くしかないからな。
But if the Americans are determined to do this, we shall have to go with them.

この高官によると、英国の外交政策はアメリカとの軍事的なつながりと切り離して考えることはできないほど根本的なものであるとのことであった。第二次世界大戦後、重要な決定を行うにあたっては、このような思い込みが英国の政府高官、外交官、軍の指導者のアタマの中に刻み込まれてしまっている、とHastingsは言います。

我々がアメリカと行動を共にせず、アメリカ人が英国と一緒にいてくれなければ、英国は戦略的宙ぶらりん状態で漂流するしかない。
If we are not with the Americans and they are not with us, goes the argument, we shall end up adrift in strategic limbo.

というわけですが、そのことによって英国が国際的に情けない思いをする(embarrassments)ことになり、それが国際社会で英国の立場を弱い(vulnerable)ものにすることもある。イラク戦争については、フランスがアメリカと袂を分かちましたよね。そのことについて、イラクにいた英国の外交官が語ったのは

フランス人だって、アメリカと別れることについては非常に居心地の悪い思いをしている。しかしフランス人が感じる居心地の悪さは、我々(英国人)のそれよりはましだと考えているのだよ。
The French are deeply uncomfortable about their breach with Washington over Iraq. But they prefer their level of discomfort to ours.

ということだった。フランス人だってアメリカと喧嘩したくはないけれど、ただただ腰ぎんちゃくのようにアメリカにくっついているよりはましだと考えたということですね。

現在のアフガニスタン情勢についても、オバマによる軍の増派策を凌駕するような政治的な戦略が存在していないことについての憂慮の念が英国にあるけれど、英国政府の関係者の気持ちとしてはっきりしていることは、「すべてはアメリカのご慈悲にすがるしかない」(they are at Washington’s mercy)ということであり、「アメリカ軍が撤退しないのに英国軍がアフガニスタンから出て行くことはできない」(British troops cannot quit Afghanistan before the Americans are ready to do so)ということである、とMax Hastingsは言っている。

英国では総選挙が近いわけですが、イラク戦争を巡って英国の世論がどうなっていようと、労働党、保守党の両方に共通しているのは、アメリカとの関係が全てに優先するということです。

英国人は、しばしばワシントンのいいなりということに不満をもらす。しかし彼らは、この危険に満ちた世界では、孤独な自由がもたらすであろう不確実さよりも、まだ「いいなり」の方がましだと考えているのだ。
The British often languish in their Washingtonian captivity. But they prefer it to the uncertainties of a lonely freedom in a dangerous world.

というのが、Max Hastingsの結論であります。

▼実はMax Hastingsは、イラク調査委員会そのものがあまり意味がないと言っています。理由は、イラク戦争の主人公はアメリカであって英国は単なる「弟分」(junior partner)にすぎないからで、この調査委員会でもワシントンの高官が証言するわけではない。イラク戦争を列車に譬えると、運転手はアメリカであって英国は乗客にすぎない。ここでの証言はいずれも乗客の立場からのものであって運転手のものではないということです。

▼ついメディアの批判になってしまう癖を許してもらうならば、日本の主なるメディアはアメリカのイラクやアフガニスタンの戦争を批判するのが大好きですが、日本がそれを支持していたことについては、ほとんど何も言わない。どころかインド洋上の給油活動に自分たちの政府が異を唱えるや「日米同盟にひびが入る」とか「アメリカが怒っとるぞ」と叫ぶ。沖縄の軍事基地についても同じですね。イラクの人々を助けに行った日本人のボランティアが誘拐されたときに「自己責任」なんてことも言いましたっけね。

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6)新聞はNPOが発行する時代?

河内孝さんという人が書いた『次に来るメディアは何か』(ちくま新書)によると、アメリカでは新聞社をNPOや宗教法人と同じように扱って税金控除の対象にすべきであるという声が出ているのだそうです。新聞発行を金儲けを目的としたビジネスではなくて、世の中に絶対なくてはならないもの、儲かっても儲からなくても存在しなければいけないもの・・・つまり「公共財」として見なすべきであるということです。

なぜそのような声が出るのかというと、ビジネスとしての新聞発行が成り立たなくなっているということです。なぜそうなのかというと、これまで新聞発行を経済的に可能にしてきた広告収入が激減しているからです。なぜ広告収入が激減しているかというと、広告をのせる企業が新聞よりもインターネットによる宣伝の方に力を入れ始めたから。その方が効果的だからです。

アメリカでは、金融危機の際に政府が税金を使って金融機関を救ったし、自動車のGeneral Motorsの救済にも税金が使われた。銀行が潰れてしまうと世の中が混乱するし、GMのような大企業がアウトになると失業者が大量に出て、やはり世の中が混乱する・・・というのが理由とされた。スーパーが潰れても大したことはないけれど、自動車メーカーや銀行はそうはいかないというわけですね。

それでは新聞も免税・減税という方法で、銀行や自動車と同じように、公的なお金を使って救済するべきものなのか?そうすべきだ、という意見の例として河内さんは、エール大学財務担当のDavid Swansenという人と投資アナリストのMichael Schmidtという人がNew York Timesに寄稿したエッセイを挙げています。

たしかにビジネスとしての新聞業は破綻したかもしれない。しかし専門記者が取材し、客観的な判断でニュースをまとめ、経験のある編集者が手を加え、商品として世に送り出す機能である「情報提供力」は民主国家にとって不可欠だろう。そうであるならば、新聞社は公立大学などと同じ公共財=NPOとして存続していけばいいではないか。

つまりプロの記者や編集者(アマチュアではない)が作る新聞の存在は民主主義社会に必要不可欠なのだから、金儲け云々で考えられるべきではないと言っている。SwansenSchmidtは、アメリカの第3代大統領で『独立宣言』(Declaration of Independence )を書いたことで有名なThomas Jeffersonの言葉を挙げています。

Jeffersonはまず

我々の政府は人民の意見を基盤として成り立っているのであり、政府が最初にやらなければならないのはそのことをしっかり守り続けるということである。
The basis of our governments being the opinion of the people, the very first object should be to keep that right.

と述べたうえで、

新聞のない政府と、政府のない新聞のいずれかを選べと言われれば、私は躊躇なく後者を選ぶ。
And were it left to me to decide whether we should have a government without newspapers or newspapers without a government, I should not hesitate to prefer the latter.

と述べている。政府はあるけれど新聞が存在しない世の中と、新聞はあるけれど政府というものが存在しない世の中のどちらが住みやすいかと言われれば、絶対「新聞あり・政府なし」の方に決まっておる、とJeffersonは言っているのですね。

▼でも、政府がなければ社会そのものがないのだから、新聞だって存在のしようがないのでは?という素朴な疑問が浮かびますが、それを話し始めると長くなるのでここではやめておきます。ひと言だけ言っておくと、Jeffersonnは上の文章に続けて「政府=社会ではない」という趣旨のことを述べています。

New York Timesのエッセイに戻ると、二人の筆者が訴えているのは、新聞は世の中にとって非常に大切なものなのだから、免税・減税の対象にしてでも守るべきであるということです。ここで二人が言っているのは、いま存在する「紙」の新聞のことです。

このような考え方に対する反論ももちろんある。『次に来るメディアは何か』はその典型的な例として、Huffington Postというインターネット新聞の創設者であるArianna Huffingtonの次の言葉を紹介しています。

私たちが今日、ここで議論すべきは、どうやって(既存の)新聞社を救うかではなくて、どうやって多様なジャーナリズムを助長し強化するのかということであるべきです。なぜならジャーナリズムの未来は、新聞社の未来とは直接、関係がないからです。

この彼女の言葉は2009年5月に行われた上院の商務・技術・運輸合同委員会に招かれたときに、冒頭発言としてなされたものです。新聞社を守ること=ジャーナリズムを守ることにはならないということですね。上院のサイトによると、Arianna Huffingtonは上の発言に続けて次のように述べています。

いくつかの例外はありますが、現代のアメリカのメディア文化(の在り方)こそが、今日の二つ最大のストーリーを正確に報道することによって公共の利益に奉仕することを広範囲にわたって怠ることに繋がったのです。その二つの最大のストーリーとはイラク戦争直前の状況が一つで、もう一つは金融危機であります。そのことを我々は決して忘れてなりません。
We must never forget that our current media culture led to the widespread failure (with a few honorable exceptions) to serve the public interest by accurately covering two of the biggest stories of our time: the run-up to the war in Iraq and the financial meltdown.

下手くそな訳で申し訳ないけれど、要するに既存の主要メディアは、イラク戦争に突き進んだブッシュの政策や金融危機の到来について、まともな報道をせず、「公共の利益」に奉仕しなかったと批判しているわけです。そのようなメディアを政府のお金を使って救済するなど、とんでもないと言っている。

▼河内さんの本によると、そのArianna Huffingtonもメディアの公益性は認めていて、フリージャーナリスト育成のための非営利組織を作ったりしている。「新しい時代には新しいジャーナリズムを確立すべき」というわけです。その「新しさ」の中には報道の中身だけではなくて、良質のジャーナリズムを金銭的に維持していく「やり方」も含まれている。それがNPOであるということは、ネット時代のいま、広告収入や販売収入だけに頼る、これまでの新聞のやり方では限界があると考えられているのでしょう。それからジャーナリストたちが、広告主や読者の意向などを気にせずに活動するためにはNPOという形をとる必要があるということもあるのでは?

『次に来るメディアは何か』にはアメリカにおけるメディア業界のことが詳しく書かれていますが、本来は日本のメディアのこれからを語る本です。その部分については別の機会に報告させてもらいます。が、河内さんによると、日本のメディア業界は「化石」のような世界・・・つまりとてもネット時代の現代に生きているとは思えない業界であるとのことで、新聞社が経営に苦しんでいるアメリカのことなど、日本の新聞業界の人々にとっては「対岸の火事」なのだそうです。

河内さんは、日本の新聞が「化石時代」にあることの例として、読売新聞の渡邊恒雄会長の次の言葉を挙げています。

欧米の新聞は収入の八割を広告に依存しており、半分になったらもう経営できない。戸別配達の割合が少ないので販売収入も安定しない。日本は広告依存度が三割程度で、完全個別配達網が確立されているおかげで収入が安定している。

▼これは2009年の発言です。渡邊さんという人が、こんなことを真面目に信じているのだとしたら、確かに「化石時代」に生きていると言われても仕方ない。いま新聞を購読すると、殆ど読まない夕刊も入れて一か月4000円かかりますよね。新聞社が暴利をむさぼっているわけではないでしょう。記者や社員の給料・取材費、紙代・印刷代、そして配達に要する経費等々を入れると、どうしたってこのくらいにはなるということなのでしょうね。しかし、ひと月4000円というお金は(例えば)私のような年金生活者、いわゆる「派遣労働者」の家庭、生活保護世帯などにとってかなりの負担であることは間違いないと思います。違います?そんなお金、これからも払い続けられると新聞社の人たちは考えているのでしょうか?

河内さんによると、インターネットのさらなる進化に伴って、新聞社は「限りなくペーパーレス化せざるを得ない」というわけで、どうしても紙の新聞を読みたい人は「電子端末から記事別にプリントアウトしてもらうようになる」のだそうです。電子端末とは、家庭のテレビであり、パソコンであり、アメリカで流行りつつある「キンドル」という電子ブックのようなもののことを言います。いずれにしても何百万部という紙の新聞が、毎朝、日本中の家庭に配達されるという時代は、好むと好まざるとにかかわらず終わりつつあるといういことです。さらにArianna Huffingtonの言葉を借りると「新聞社の終わり=ジャーナリズムの終わり」ではないということです。紙がなくてもネットがあるということです。

▼もちろんインターネットにはそれなりの弱点はありますよね。私のような人間には「パソコンが壊れたらどうしよう」という恐怖がつきまとうし、ネットの世界の情報量たるや、呆然とするくらいですね。その中から、これはと思うものを自分で選択しなければならないというのもきついハナシです。でも、だからジャーナリズムはペーパーでなければダメだということにはならない。ネットメディアの持っている双方向性(読者の意見の掲載能力)やリンクによる知的世界の広がり等々は紙の新聞では逆立ちしたってかないっこない。

▼日本の新聞社や放送局が財政的にもたなくなったときに、政府に援助を頼み込むということはしないかもしれないけれど、河内さんによると、日本の新聞社経営は「国の規制で手厚く守られている」部分がかなりあるのだそうです。

▼経営とは別にして、外務省だの検察庁のようなお役所にある「記者クラブ」にはフリーのジャーナリストや雑誌記者は加入できないとのことです。お役所発の情報を主要メディアに独占させているという意味では「政府の援助」と同じなんじゃありませんか?それからお役所記者クラブの部屋の家賃はどのくらい払っているのでありましょうか?余りにも安い場合は、事実上、政府の支援をいただいているということになりませんか?

『次に来るメディアは何か』は、元ジャーナリストのジェフ・ジャービスという人が言った「我々は過去の栄光にすがり過ぎた」(We thought too much about trying to preserve what we had)という言葉で終わっています。

▼ネットで調べたらジャービスのこの言葉は、2009年3月1日付のWashington Postの記事の中に出ていました。同じ記事の中に、経営危機に瀕するSan Francisco ChroniclePhil Bronstein編集主幹の言葉が出ています。こちらの方が、私には強烈に響きました。

(現在、新聞業界が負っている)キズの殆どが自業自得なのだ。我々は、読者とかかわるのではなくて、大衆というものを、何も分かっていない下らない存在であり、(我々と)共にある存在であるとみなすことがなかったということだ。
Most of the wounds are self-inflicted. Rather than engage the audience, the public was seen as kind of messy and icky and not something you needed to get involved with.

▼言えてる、と「大衆(読者)」のひとりとして思います。

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7)どうでも英和辞書

A~Zの総合索引はこちら
I'm sorry:残念に思う

何年前だったか、ハワイで日本の高校生を乗せた練習船にアメリカ海軍の潜水艦が衝突して高校生の間で死者が出たという事件がありましたね。そのときに米海軍の責任者のような人がI'm sorryと発言したのですが、これが「申し訳ありませんでした」という謝罪なのか、「このような事故が起こったことは残念である」というつもりで言ったのかが話題になったことがありました。両方ともI'm sorryだからややこしい。最近の例は、イラク調査委員会で証言したブレアさんの発言があります。

In the end it was divisive, and I'm sorry about that.

「結局、英国のイラク参戦は国を二分してしまいました。それはI'm sorryです」というわけですが、これは明らかに「謝罪」ではなくて「残念」の方です。ブレアさんはこれを言ったあとで続けて、自分のとった行動のお陰で世界はより安全になった(I believe we are safer)と言っているのですから。


on a wing and a prayer:あやふやな方法で

イラク調査委員会に証人として呼ばれたClare Short元国際開発大臣が次のように証言しています。

Mr Blair and his mates decided war was necessary, and everything was done on a wing and a prayer.

始めの部分は「ブレア氏と彼の仲間たちが戦争が必要だ決めてしまったのです」という意味ですが、後半は「すべて翼一枚と一つのお祈りだけでなされた」では何のこっちゃというわけで、ネットで調べてみたら"on a wing and a prayer"は「きわめておぶなっかしい状態で」という意味なのだそうです。知らなかった。語源は第二次世界大戦のころのアメリカの愛国ソング"Coming in on a Wing and a Prayer"で、内容は空中戦で戦闘機を敵に爆撃されたパイロットが「やられました!エンジンもやられています。でも何とかやってみます。翼一枚とお祈りさえあれば・・・」というもの。「なんとかなるやろ」ってことですね。

イラク調査委員会で証言したClare Shortさんは、ブレアのイラク政策に抗議して辞職してしまった閣僚の一人です。重要な会議にも呼ばれず、書類さえも回してもらえなかったのだそうであります。


political responsibility:政治責任

民主党の小沢さんが不起訴になったことについて、毎日新聞の社説が「政治責任は免れない」というタイトルの記事を掲載していました。「政治責任」って何ですかね?「大辞泉」という辞書によると、

【政治責任】政治家が負うべき責任。特に、政治家がみずからの政治行動の結果に対して問われる責任

となっております。毎日新聞の社説によると、小沢さんの秘書が巨額のお金を政治資金収支報告書に意図的に記載しなかったという趣旨のことを検察に供述しており、その理由として「小沢氏の手持ち資金と分かるような記載はしたくなかった」と言っているとのことで、毎日新聞は

つまり、これはあくまで小沢氏本人にかかわる問題であり、その監督責任、政治的責任は極めて重い。

と主張しています。秘書のやることを見逃していたという意味で「監督責任」というのは分かるけれど、その次の「政治的責任」というのは?

この言葉を英語に直訳するとpolitical responsibilityということになる。英国ではこの言葉をどのような場合に使っているのかと思ってBBCのサイトを調べてみたら、北アイルランド問題に関連して、テロリズムで知られたIRAの声明文の中に使われている例があった。

The political responsibility for advancing the current situation clearly lies with Tony Blair who must honour all commitments. The IRA has honoured its commitments and will continue to do so.
現在の状況をさらに進展させるための政治的責任は明らかにトニー・ブレアの側にあり、ブレア首相はすべての約束を守らなければならない。IRAは自らの約束は守ってきたし、これからもそうするであろう。

この場合のpolitical responsibilityの目的は、北アイルランドの状況を和平の方向に持って行くということですよね。そのためにブレアさんに要求されるのは、英国内の意見を然るべき方向にまとめて、和平に適した状況を作り出すことである。ブレアさんがそれに失敗したら「大辞泉」のいう「政治家がみずからの政治行動の結果に対して問われる責任」をとらねばならないとIRAは主張しているわけです。

で、毎日新聞のいう小沢さんの「政治的責任」の目的って何ですか?小沢さんが「政治的責任」をとった結果、どういうことが起こると期待しているのでしょうか?日本から金権政治がなくなるってこと?政治家の仕事は、政治とカネの関係を断つことにあるんですか?人々の暮らしを良くすることではない?どうもよく分からない。誰かおせえてくれましぇん?ついでに、「政治責任」と「政治的責任」って違うんですか?

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8)むささびの鳴き声

▼いまから10日ほど前(2月5日)TBSラジオの『アクセス』という視聴者参加ディスカッション番組を聴いていたら、不起訴になった民主党の小沢さんが幹事長の職を続けると言ったことで、「小沢さんの続投を支持するか?」というテーマで議論していました。この番組のサイトを見ると、視聴者からのアンケートが掲載されています。それによると「続投を支持」という人は398人(67%)、「支持しない」が133人(22%)、「どちらでもない」が64人(10%)となっています。圧倒的に「辞めるな、小沢さん」という意見が多いわけです。

▼この番組が放送される数日前に毎日新聞が行った世論調査では75%の人が「小沢は辞めるべし」という意見であったと報告されています。さらに新聞の社説は全て「小沢は検察的には不起訴であっても、政治的責任をとって辞めるべし」というニュアンスの主張であったのですね。

▼いまから一年前、2009年3月のむささびジャーナル159号に『新聞は「辞めろ」、ラジオは「辞めるな」という小沢さん 』という記事が載っています。あのときは西松建設という会社にからんだ問題があって、民主党代表である小沢さんの公設秘書という人が逮捕・起訴されたことが問題になっていた。あのときも新聞の社説はすべて「小沢、辞めろ」であったのに対して、『アクセス』のリスナーのアンケートでは380人(60%)が「辞めるな」、184人(28%)が「辞めろ」だった。あのときの読売新聞の世論調査では68%が「辞めろ」、28%が「辞めなくていい」だった。

▼要するにあの時と今回、まったく同じことが起こっているのですね。新聞は「辞めろ」と言い、『アクセス』は「辞めるな」というわけです。ちなみに一昨日(2月12日)の『アクセス』では、「政権交代から半年。鳩山内閣の支持率は急落。この結果は妥当だと思いますか?」というテーマでディスカッションをしておりました。アンケートの結果は「妥当だ:216人(45%)」、「妥当ではない:157人(32%)」、「どちらとも言えない:104人(22%)」というぐあいに民主党政権に比較的辛い結果になっている。朝日新聞の世論調査では、支持が41%で、不支持が45%だから、『アクセス』の結果とそれほど違わない。

▼政権に対する評価では、大して変わらないのに、小沢さんのことになると『アクセス』リスナーのアンケートと新聞社の世論調査がこうも違うのはなぜなのでしょうか?『アクセス』の場合は、リスナー自らが自分の意見を言いたくて電話やメールでディスカッションに参加している。新聞社の調査の場合は、おそらくいきなり新聞社から電話がかかってきて意見を聞かれるのではありませんかね。前者が能動的意見、後者は受動的意見ということです。

▼次に言えると思うのは、新聞社や放送局の調査は、どちらかというと固定電話の世界、『アクセス・アンケート』は携帯電話とインターネットの世界に生きる人々の意見が反映されているということ。前者よりも後者の方が若い。

▼決定的に違うのは調査そのものの影響力ですよね。新聞社という新聞社、放送局(TBSも含む)という放送局が、同じような世論調査結果を発表する。本当に笑ってしまうくらい似ています。その結果に触れる人の数たるや『アクセス』などものの数ではない。そしてそれぞれが、自分の意見が多数の場合には安心感を持ち、そうでない場合は、自分が間違っているのだろうか?と不安感や孤立感を覚えたりする。こうして主要メディアの言う「世論」が「本当の世論」になっていく。

▼昔はインターネット世論なんて存在していなかったから、「メディアの世論=本当の世論」であったし、おそらくいまでもその事情はそれほど劇的に変わっていない。ただ「劇的」ではないけれど「着実に」変わりつつあることは間違いないと(私は)思います。少なくとも私自身が変わってしまったことは間違いない。なぜ変わってしまったのかというと、新聞や放送の世界では見たことも聞いたこともないようなジャーナリストや専門家の意見がネットの世界にあって、しかもそれが非常に面白い(思考を刺激する)からです。

▼かつて田中角栄という政治家がいて、その金権ぶりを暴いたジャーナリストは文句なしに偉大なのだと思っていた。彼が書いた本を読んでもいないのに、です。ロッキード事件、リクルート事件、佐川急便事件等々、これまで何十年とカネと政治が問題になってきて、その度ごとにメディアによる「汚い政治家追放」キャンペーンが行われてきました。そしていま、小沢さんです。新聞やテレビの間では過去と同じように「カネに汚い政治家は追放すべき」という論調になっているけれど、ネットメディアの間ではまるで違う意見もある。はっきり言って後者の方が(私には)はるかに納得のいく記事が多い。「政治家の面の皮」というエッセイもその一つです。

▼というわけで、単に検察ににらまれたというだけで悪者扱いされる風潮は本当にイヤですね。小沢さんはもちろんのこと、石川さんという衆議院議員も議員辞職は言うまでもなく、民主党を離党する必要など全くなかった、と私は考えています。検察による疑惑と選挙結果のどちらに権威があるのか?言うまでもありませんよね。「金権政治はうんざりだ」という意見がメディアには出ているけれど、そういう「うんざり」にはウンザリしています、私。 
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