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むささびの鳴き声 美耶子の言い分 どうでも英和辞書 green alliance
2009年10月25日
2009年10月25日(日曜日)の朝、関東地方は雨です。みなさまのところはいかがですか?あと2か月もすると、2009年も終わるのだと考えると呆然としませんか?余りにも時の流れが速すぎる・・・と、こんなことばかり言いながらお付き合いをいただいています。今回もよろしく。

目次
1)ブリティッシュ・ブルドッグが消える?
2)学校における携帯所持の良し悪し
3)オバマさんのノーベル平和賞
4)民主党「国家戦略室」のルーツ
5)D・キャメロンの研究③:壊れた社会を「家族」が立て直す
6)どうでも英和辞書
7)むささびの鳴き声

1)ブリティッシュ・ブルドッグが消える?


英国人は愛犬家といわれるけれど、本当にそうなのか?と思いたくなるような記事がBBCのサイトに出ていました。ちょっと古くて、今年1月中旬のサイトです。題して「血統犬の保護を目指して改革」(Reform to protect pedigree dogs)というのですが、英国最大の愛犬家団体、Kennel Clubが209種の犬の血統を認めるについての基準を新しいものにした、という記事です。英国では、長年にわたる近親交配(in-breeding)のおかげで、不健康な犬が登場しているのが、基準改正の理由なのだそうです。

例えばブルドッグ。動物愛護団体のRoyal Society for the Prevention of Cruelty to Animals(RSPCA)によると、ブルドッグのあご骨の部分を強調しようとするあまり無理な交配が行われており、それが犬の健康を害している。

Kennel Clubが純粋種とみなすためには、それぞれの犬の外見が重要な要素となる。例えばブルドッグの場合、あご骨は深くなければいけないし、皮膚の皺も垂れ下がるくらい深いものでなければならないとなっていたわけですが、規準改正後は「もっと痩せていなければならない(must be leaner)」し、あごも皮膚の皺も極端なものであってはならないということになった。

改正規準によると、ブルドッグは「皮膚の皺は少々なら許されるが、それによって視覚や嗅覚が阻害されてはならない(must never adversely affect or obscure eyes or nose)」となっている。Kennel Clubでは、今回の改正は「犬の健康を考慮してのこと」と言っているのですが、これに反対する意見もある。ブルドッグ交配協会(Bulldog Breed Council)などは、ブルドッグのあの面構えこそが「反抗精神(defiance)と敢闘精神(pugnacity)」という英国的美徳の象徴なのに、それが失われてしまうと怒っています。

(この基準変更の結果生まれるのは)ブリティッシュ・ブルドッグではない。全く別の犬だ。
What you'll get is a completely different dog, not a British bulldog.

というわけです。

一方、愛犬家の専門誌、K9の編集長は、今回の改正について「遅すぎたくらいだ」として「犬を交配させるときに肉体的な標準にこだわるあまり犬の健康を考慮しないというのは許し難い(unforgivagble)」と言っています。この編集長によると、無理な交配のお陰で、ブルドッグの寿命は約7才(人間でいうと45~46才)にまで下がってしまったのだそうです。

▼ブルドッグ交配協会の人は、基準改正で生まれるブルドッグは「ブリティッシュ」ではない、と怒っておりますが、ブルドッグの立場から言わせてもらうと、自分がブリティッシュだろうがアルメニアンだろうがどうでもいいこと。ブリティッシュと言われたって、呼吸もまともにできなんじゃどうしようもないもんな。

▼ところで、妻の美耶子によると、ブルドッグという犬種はマスティフという種類の犬をかけあわせて作られたのだそうです。この記事の最初に掲載されている左の写真がマスティフです。右がブリティッシュ・ブルドッグ。なるほど以前は結構まともな顔だったんだ!

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2)学校における携帯所持の良し悪し

英国の場合、小中学生が学校で携帯を使うことが禁止されており、携帯を持ってきてもロッカーに入れて授業中は使わないようにする措置が取られているのですが、最近になって教頭組合(National Association of Head Teachers)のMick Brookes委員長が、教室で使うことも含めて、携帯使用禁止を緩和してもいいのではないか、と発言して話題になっています。

10月11日付のThe Observer紙のサイトによると、最近、学校で黒板に書かれた宿題を、ある生徒がノートに書き写すのではなく、携帯で写真に撮り、携帯を取り上げられてしまったという「事件」があったらしいのですが、Brookes委員長は「子供たちにとって、歴史の年代を暗記するよりも最新技術の使い方を知る方が大切(it is more important for pupils to use the latest technology than learn dates in history)だ」と言っています。

確かに彼は規則違反を犯したけれど、そもそもなぜ携帯が禁止されたのかを考えてみる必要がある。我々は子供たちの世界というものが存在するということを認めるべきだ。校門を入るときにそれを置いてこい、というのはおかしい。
He broke the rules, but we need to ask why the ban was put there in the first place. We have to recognise the world that children inhabit, not expect them to leave it at the school gate.

学校における携帯禁止の理由は、いずこも同じで、授業中にメールをやりとりしたり、いじめの道具に使ったり、教師をバカにするような写真を撮影したりするケースが増えたからです。教育上よろしくないというわけですね。Brookes委員長の携帯奨励論についても、「子供が最新技術を学ぶのに携帯である必要はない。むしろ携帯が授業の邪魔になっていることを考えるべきだ」というトラディショナルな意見もある。

これに対してBrookes氏は、

子供たちは学校へ何を持ってきても、間違った使い方をするということはある。自分の若いころは定規を使って喧嘩したりしたものだ。若い人たちが当たり前に使っている技術を敵視するのはよくない。
Whatever young people bring into school there is a chance that it is misused in some way. In my day, we had ruler fights. We mustn't be Luddite about the technology that young people take for granted.

と言っている。英国にはLearning2GoというNPOがあって、学校におけるネット教育を進めているけれど、その組織によると、英国には学校が積極的に子供たちに携帯を提供しているケースもあるのですが、そのような学校では「間違った使い方」はほとんど報告されていない。

Mick Brookesは教頭組合のひとですが、もう少し現場に近い教職員組合(NASUWT)のChris Keates事務局長などは「携帯を許すと子供が授業に集中しなくなる」と批判的なコメントを寄せています。で、父兄はどう思っているのかというと、MumsnetというオンラインのPTA組織のJustine Roberts氏は

おそらく父兄の間では、携帯が授業の邪魔になるという声が大きいだろうし、それを防ぐための厳重なルールが必要だろう。が、テクノロジーそのものを恐れるべきではない。子供たちにとってはエキサイティングなものであるし、教育の中でそれを採用する場はなければなるまい。
My gut reaction is that parents would worry about them distracting lessons. There would have to be very strict rules to stop that happening. But we mustn't be afraid of the technology itself. Children find it exciting, and there must be a place for it in education.

と、どっちつかずの意見のようであります。

▼自慢じゃありませんが、私も携帯電話を持っています。が、娘の笙ちゃんあたりに言わせると、ほとんど持っているうちに入らないでしょうね。普通の電話としての機能しか使ったことがないのであります。彼女などはそれでメールを打つのはもちろんのこと、インターネットまで見てしまう・・・なんてことに感心していること自体、どうにも遅れているってことになるのでしょう。

▼学校の子供たちに携帯を使うなと言っても、たぶんムリでしょうね。教師が黒板に書いたことをノートに書き写すのではなく、携帯で写真撮影してしまうなんてのは恐れ入りますね。私が子供なら、絶対やってしまうでしょう。


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3)オバマさんのノーベル平和賞

オバマ大統領にノーベル平和賞が与えられることになったことについて、10月11日付のFinancial Timesのサイトで、Clive Crookというコラムニストが、結構納得のいくエッセイを寄稿しています。もちろん「納得がいく」というのは、私(むささび)にとって納得がいくという意味です。エッセイのタイトルは「オバマを表彰するのは早すぎるし、オバマに失望するのも早すぎる」(It is too early to laud Obama--or to be disappointed)となっています。

バラク・オバマにノーベル平和賞を与えるという奇妙な決定についてはいろいろな意見があるだろう。その決定をした選考委員会についても一言いいたいということがあるだろう。が、はっきりしていることは、これはオバマ大統領本人にとって決してグッド・ニュースではないということである。
One might say a lot about the bizarre decision to give Barack Obama the Nobel Peace Prize, starting with a few things about the panel that awarded it. Something you cannot say is that it is good news for the president.

というのがその書き出しで、オバマさんはこれまでにいろいろと人を感動させる演説をしたけれど、「これまでのところ、それはそれだけのハナシだ」(So far, that is it)であり、政治家が感動的な演説をするのは当たり前だとも言っている。

それとアメリカからみるならば、今回の授賞は全くタイミングが悪い。オバマは言葉と行動の間にギャップ(gap between words and deeds)があるということで、かつての支持者からも批判の声が上がっている。民主党の中でもヘルスケア改革を薄めたという批判があるし、アフガニスタンでは行き詰っているという声が強い。ましてや共和党の人々は、「オバマは口先だけ」(the man is all talk)と言っている。ノーベル賞選考委員たちは、口先を祝福しているにすぎないとうつる。

このコラムニストはオバマさんのことを批判だけしているのではありません。ノーベル賞の選考委員がオバマの平和努力を表彰するのは早すぎるのと同じように、アメリカ人が大統領のオバマに失望するのも早すぎる(just as it was too soon for the Nobel committee to reward his peacemaking, it is too early to be disappointed by his presidency)。来年の中間選挙を控えて、大統領になってまだ9か月のオバマへの期待を余りにも膨らませすぎると、成功している部分さえも失敗に見えたりするもので、これは民主党にとって危険な行為である、というわけです。

国内問題であれ、外交問題であれ、いまアメリカとその大統領にとって、インスピレーション(inspiration)は少なくてもいい。より多くの具体的な実行策(nuts and bolts)が必要なのだ。ノーベル賞は助けにはならない。
In domestic and foreign policy alike, less inspiration and more nuts and bolts would serve the country and the president well. The Nobel prize does not help.

筆者は、オバマがイチバン手を焼いている国内のヘルスケア問題、外交のアフガニスタンは、前の政権から引き継いだ問題ではあり、オバマが作りだした問題ではないけれど、それを言い訳にしている時期は過ぎてしまったのであり、アフガニスタンではアメリカが何をすべきなのかをはっきりさせて、そのためにかかるコストについてストレートに説明して、世論を自分の周囲に集めることだと言っている。

オバマさんがやるべきだったのは、ノーベル平和賞を辞退することだった、と筆者は言っており、次のように結んでいます。

何もしていないのに世界の称賛を受容することは虚しく見えるし、リスクがないとは言えない。(何もしていないのに表彰されるという)恥ずかしいことを、受賞を辞退することで自分に有利に使えたのに、大統領はそのチャンスを見逃した。大統領は「行動への呼びかけだ」として平和賞を受けると語り、ノーベル賞の委員会の選択に対して大いに謙虚な気持ちさせられた。確かに、アメリカのことを考えると、彼には謙虚になるべき事柄がまだたくさんあるのだ。
The president could have turned the embarrassment to his advantage but has let the opportunity pass. He said he would accept the award as “a call to action” and was deeply humbled by the panel’s choice. Yes, thinks much of America, he still has plenty to be humble about.

▼最近、オリンピックの候補地選びで情けない目にあったと思ったら、今度はノーベル賞。オリンピックもノーベル賞もヨーロッパのものですね。オバマさんはヨーロッパに振り回されている。

▼オリンピックの候補地選びでは「アンタが来てくれればシカゴの勝ちは間違いない」と言われ、自分もそう思ってしまったけれど、IOCの委員たちは反対だった。候補地選びは、最後のプレゼンに偉い人が来ることで決まるかのように考えているように見えたアメリカ人の感覚に反発した。だからシカゴは、あろうことか東京にさえも勝てずに惨敗した。

▼ノーベル賞はその反対で、選考委員たちは、自分たちが表彰すればオバマの理想が実現に近くづくと考えた。アメリカ人もオバマのもとに結集するとさえ考えたのかもしれない。両方に共通しているのは、自分たちが世界をリードしているというヨーロッパの人たちの思い込みです。IOCはアメリカに反発し、ノーベル賞の選考委員はアメリカを見下した・・・と考えるのは、私のひがみなのか?

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4)民主党「国家戦略室」のルーツ

鳩山政権ができてから新設された部署に「国家戦略室」というのがありますね。その役割は、毎日新聞のサイトなどによると「税財政の骨格、経済運営の基本方針の企画、立案、総合調整」とかで、何だかよく分からない。「国家戦略」というからには、経済のみならず、文化とか外交とかも含めて「国のあり方」を検討するための部署だと思ったら、どうもそれほどでもないみたいです。

テレビを見ていたら「国家戦略室」は英国の首相官邸にあるPolicy Unitというものを参考にして作られてものだ、と菅直人さん(副総理兼国家戦略担当相)が言っておりました。そう言えば聞いたことがあるなぁと思って調べてみたら、英国のPolicy Unitは1974年にハロルド・ウィルソン首相(労働党)が創設したものである、とのことでした。

NWC Woodwardという人が書いたThe management of the British economy 1945-2000という本によると、ウィルソンがこの部署を官邸内に作ったのは、当時政府部内でも経済政策についての意見がバラバラだったので、官邸内に経済政策についてディスカッションを行い、首相にアドバイスを与える機関が必要と考えたことが理由となっている。経済政策は大蔵省(the Treasury)の仕事ですが、Woodwardの本によると、Policy Unitは大蔵省の政策を補完する(to supplement that of the Treasury)ことを仕事にしていた。

つまり大蔵省だけではダメってことだった(のではないかと私は推測しています)。ウィルソンのPolicy Unitは労働党の経済政策に理解を示す経済の専門家以外に教育政策についての専門家なども含まれていた。Woodwardは、

Policy Unitが政策についてのディスカッションを促進する役割を果たしたことは疑いのないところであるし、政策そのものについてもある程度の影響を与えた。この実験は成功であると考えられた。
It undoubtedly played a role in promoting poicy discussion and even had some influence on policy. The experiment was considred a success.

と書いています。ただ政策立案への影響力はsome influence(ある程度の影響)という程度のことであったということなのでしょうね。

Policy Unitはウィルソンの私的think-tankという性格で作られたのですが、その後の政府によって引き継がれます。サッチャーさんの回顧録(The Downing Street Years)によると、彼女はPolicy Unitについて次のように書いています。

このUnitの価値は、首相との緊密な協力のもとに柔軟性をもって毎日の政策決定にかかわることにあり、私は首相になってからその人数を増やしたのである。
The value of the Unit, whose membership I subsequently increased, lies in its flexibility and involvment in the day-to-day policy matters, on the basis of close collaboration with the Prime Minister.
サッチャーさんがPolicy Unitに触れるときは、必ずmy Policy Unitという言い方をしています。彼女のPolicy Unitのトップは、John Hoskynsというビジネスマンで、保守党が野党であったころから、その経済政策の立案にかかわっていたそうであります。

サッチャーさんの代になって、Policy Unitは人数を増やしたとのことですが、これをさらに強化したのがブレアさんで、Policy Unitの人数は8人から12人にまで増やされた。それまでは官僚もメンバーであったのですが、ブレア時代になって、1~2人の例外を除いてPolicy Unitはほぼすべて外部の専門家で占められるようになった。ブレアのPolicy Unitのヘッドが現在のミリバンド外相だった。

Policy Unitを強化することは、当然のように他の省庁の大臣や官僚たちとの軋轢を生むことにもなる。サッチャーさんが首相だった1989年、当時の大蔵大臣、Nigel Lawsonが辞任したのは、サッチャーさん自身のPolicy UnitのメンバーだったAlan Waltersという経済の専門家との対立が原因であることは有名な話です。またブレアのころにはEstelle Morrisという教育大臣が、ブレアのアドバイザーでPolicy Unitのトップを務めていたAndrew Adonisとの間で教育政策を巡る対立があったからだとされている。

現在のブラウン政権のPolicy Unitの人数は(ウィキペディアによると)10人で、教育、欧州問題、経済政策、住宅問題等々の専門家集団となっています。

▼日本の「国家戦略室」が英国のPolicy Unitをモデルにしているのだとすると、菅さんの仕事は鳩山首相に「国家戦略室」でディスカッションしたことを伝えて、政策として進言することになるけれど、英国の場合と同様に、それぞれのお役所のヘッドである大臣との確執云々という問題も出てくるでしょうね。イラク戦争のころに、ブレアのブレーンが考えていることと、外務省の外交官の考えが違っていて、英国には二つ外務省があるのかと言われたことだってある。

▼それから日本の「国家戦略室」は首相の直属であると言われているけれど、鳩山さん自身の気持ちとしてこれを(サッチャーさんのように)「私の組織」として考える感覚があるのかどうか?

最後にハロルド・ウィルソンが首相官邸内にPolicy Unitを作ったときの時代背景について、The Boundaries of the State in modern Britain(SJD Green and RC Whiting共著)が非常に面白い説明をしています。

1970年代の前半から80年代にかけて英国では公共政策の研究や提言にかかわるさまざまなthink-tankが力を持つようになった。例えばInstitute of Economic Affairs, Adam Smith Institute, Centre for Policy Studiesなどです。いずれも、いわゆる「サッチャリズム」の思想的なバックボーンになった組織ですよね。彼らはロンドンのWhitehall(官庁街)の付近に事務所を構えていたのですが、地理的に近いだけでなく、政策立案などでも影響力を持つようになった。1970年代になって英国の大学で社会学部という部門が多く閉鎖され、お陰で職を失ったインテリたちを吸収したのが、これらのthink-tankだった。

Boundaries of the Stateによると

これらの公共政策think-tankで仕事をするインテリたちは、オックスブリッジ出身の高級官僚とは全く違う動物たちだった。
These public policy intellectuals were very different animals from Oxbrdge-educated mandarins who ran the civil service.

彼らはいずれもWhitehallの官僚に対する反発心を持っており、ラディカルで、英国は全面的な変革(thorough shakeup)必要があるという考え方の持ち主だった。そして

これらのthink-tanksは落ちこぼれ組の学者や見習い政治家にインテリとして主流派としての生活の場と公共政策に影響を与えることができるチャンスを提供するものとなった。
The think-tanks provided displaced academics and apprentice politicians with a chance to swim in the mainstream of intellectual life and to influence public policy-making.

このような時代の潮流にのって、首相官邸にPolicy Unitという私的なthink-tankを作ったのがハロルド・ウィルソンであったというわけです。

▼最後の部分、面白いと思いませんか?いまの日本のメディアで活躍する学者さんたちが、70年代の英国の「落ちこぼれインテリ」と同じだというつもりは全くないけれど、テレビなどで活発な発言をするコメンテーターたちの反霞が関的な言論を聴いていると、約40年前の英国のインテリとWhitehallの関係と酷似しているように思えてならないわけであります。

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5)D・キャメロン研究③:壊れた社会を「家族」が立て直す


キャメロンが演説やメディアとのインタビューで最も頻繁に口にするのが「壊れた社会」(broken society)と「家族」(families)という言葉です。英国社会は壊れており、それを修復するには家族というものの復権が必要である、ということです。その典型的な例として、昨年(2008年)の保守党大会における党首キャメロンの演説の一部を紹介します。

キャメロンは、英国社会のどのような状態をさして「壊れている」と言っているのか?「親が仕事を持たない家庭に育つ子供が200万人」、「中東のガザ地区よりもひどい状態の住宅で暮らし、平均寿命がパレスチナよりも低い場所がある」、「子供による子供の殺人事件が頻発している」、「銃犯罪は1時間に1件、ナイフによる犯罪は30分に1件起こっている」、「飲酒が原因の暴力事件が相次いでいる」等々がある。

確かに子どもたちの犯罪も壊れた社会の現象には違いないけれど、これらは大人に問題があるのだというわけで

一世代で我々は、全ての人類が歴史を通じて引き継いできた習慣を捨て去ってしまったようである。その習慣とは、文明社会においては、公的な分野で規則と秩序を尊重することで、自分だけではなく他人の子供たちに対しても責任を持つ、ということであり、そのためには大人がそれなりの役割を果たすということである。
When in one generation we seem to have abandoned the habits of all human history that in a civilised society, adults have a proper role - a responsibility - to uphold rules and order in the public realm not just for their own children but for other people's too.

とキャメロンは言っている。なぜ社会が壊れたのか?について、キャメロンは今年(2009年)の党大会の演説で、たった2行で語っています。

なぜ我々の社会は壊れたのか?それは政府が大きくなりすぎたからであり、あまりにもおせっかいを焼きすぎて、(人々の間の)責任感というものを軽視してしまったからなのだ。
Why is our society broken? Because government got too big, did too much and undermined responsibility.

ではどうすればいいのか?ことの善悪をはっきりさせて犯罪者には厳しく当たればいいのだという声もある。

それはある程度は当たっている。善悪の間に明確なラインを敷き、それを超えた者には厳罰で臨むという態度がない限り壊れた社会を立て直すことはできない。
And to a degree, they're right. We'll never mend the broken society without a clear barrier between right and wrong, and harsh penalties when you cross the line.

と、ここまでならサッチャーさんと大して変わらない。違うのは「そのような(厳罰主義)アプローチは表面的な対処にすぎず、これまでの失敗をばらばらに取り上げて場当たり的に対処しているにすぎない(such an approach only deals with the symptoms, picking up the pieces of failure that has gone before)」と言っている点です。社会が壊れるにいたった背景を探る必要があるというわけです。

全体像をつかまず、原因を探らず、背景を知ろうとしないのでは、我々の社会でなぜ犯罪が多いのかについて本当のところは分からないだろう。
Miss the context, miss the cause, miss the background and you'll never get the true picture of why crime is so high in our country.

キャメロンは、自分が実際に訪れた刑務所で話を聞いた服役者について、誰も犯罪を犯すには、貧しい家庭環境やまともな教育を受けていない等々、それなりの理由があると言っている。このあたりが徹底的に個人の責任を求めたサッチャーさんとちょっと違う。

そのような壊れた社会を立て直すためには、労働党のように国家(政府)のアクションが必要だという見方もある。年金・公教育・政府によるヘルスケアの充実等々で、国家が国家のお金を使って国家が計画を立てて・・・というやり方は一時的かつ表面的な解決にはなるかもしれないが、いま必要なのは、壊れた社会の「長期的な理由」(long-term causes)に対処することである、とキャメロンは主張します。

その長期的な問題解決のために必要なのが「家族」を強化することなのだ、と言います。CAMERON ON CAMERONという本の中でキャメロンは「子供というものは、両親がいてこそまともに育つのだ」(kids have a better chance when mum and dad are both there to bring them up)とか「ストレスと不安に満ちた現代社会においては、家族こそが最善の福祉システムなのだ」(I think that in our modern world, in these times of stress and anxiety the family is the best welfare system there is)というメッセージを繰り返し述べています。

キャメロンによると、労働党政府がやっているような政府の担当官が家庭訪問をして、政府が国民の生活を管理する「乳母的福祉国家」(nanny state)という考え方はナンセンスであるということです。

ただ、Policy Exchangeという保守党のthink-tankが実施した調査によると、英国ではキャメロンのいわゆる「両親がそろった家庭」が減少しつつあることは現実です。その調査では次のようなことが明らかになっています。

●1996年~2006年の10年間で、両親が結婚という形をとっているファミリーは約4%が減少し、同棲ファミリーは230万世帯で、全世帯の14%にのぼっている。英国人の3分の2が「結婚」も「同棲」も社会的には殆ど変わらないと答えている。
●1960年、結婚前に同棲しているケースは全体の2%にすぎなかったのに、98年には4分の3にまで増えている。
●英国人の6人に1人が離婚の経験者で、ヨーロッパで一番高い。
●2006年までの10年間で片親ファミリーが230万世帯に増加。全体のファミリーの14%に上っている。
●ほぼ1割の人が「結婚なんて意味がない。単なる形式だ」(there is no point getting married-- it’s only a piece of paper)と考えている。

これに対してキャメロンは「男女が一緒に暮らすためには結婚だけが唯一の方法ではない」(It's not the only way that couples come together and stay together)ことは間違いないけれど、結婚するということは、友人や親類の面前で、お互いに責任感(sense of commitment)を誓い合うということだ、というわけで「私は結婚支持派であり、そのことを恥ずかしいとは思っていない」(I am unashamedly pro-marriage)と言いきっています。

わざわざ「恥ずかしいとは思っていない」などと言うということは、いまの英国では「結婚支持派」であるということが、時代おくれのように見られる部分もあるということなのでしょう。「あんたのようなことを言っていたら、シングル・マザーが保守党に投票しなくなるのでは?」という記者からの質問に対しては

これは選挙目当てで言っているのではない。正しいことを言っているということだ。
This isn't about getting votes. It's about saying what's right.

と言い返したうえで、壊れた社会を立て直すにはpro-commitmentpro-familypro-marriageの文化を育てることが大切であり、そのために最低限政府が出来ることは、社会がこれとは反対の方向へ進まないようにすることだというわけで、税制や補助手当の分野で結婚すると損といういま状態を逆行させることを挙げています。ちなみに、英国の結婚カップルはOECD諸国に比べると40%も余計に税金を払うシステムになっているという調査結果も出ており、男女が同居していても結婚というかたちをとらない方が政府からの援助を多くもらえるのだそうです。

キャメロン自身の家族についていうと、Samantha夫人(1996年に結婚)との間に3人の子供がいたのですが、長男が障害児として誕生、今年(2009年)2月に7才で死亡しています。あとは息子と娘が一人ずつ。3年前に次男が生まれたときにキャメロンが育児休暇をとったことが話題になったりしましたね。

Samantha夫人はロンドンの高級文具店、Smythsonの商品開発担当部長(Creative Director)を務めているのですが、彼女自身も貴族の出というわけで、キャメロン夫妻ともに、いわば英国の超上流階級の出身者です。ただ、Smythsonに職を得た夫人が真っ先に出がけたのが、Smythsonの古ぼけたイメージを一掃することであったそうで、彼女が開発したノートパッドは270ドルという値段にもかかわらず大いに売れている、とNew York Timesが伝えたことがある。

▼個人の責任ということを重視するキャメロンですが、サッチャーさんも「個人主義はキリスト教徒としての使命だ」(I think individualism is a Christian mission)と語っています。ただキャメロンの言動には、宗教というものが全く出てこない。そのあたりもサッチャーさんに比較すると付き合いやすい印象を与えているのかもしれないですね。

▼それとサッチャーさんとの比較でいうならば、彼女は全くの庶民の出であったということ。同じオックスフォード出身者でもサッチャーさんは独力で懸命に勉強した結果そうなったのに対して、キャメロンはイートン→オックスフォードというわけで、全然庶民的ではない。サッチャーさんが個人の刻苦勉励を説いたのに対して、キャメロンは「ええとこの坊ちゃん」が個人の自発性を説いている。サッチャー時代のような労働者・富裕層というような階級社会が薄まっている現代においては却ってキャメロンの方が人気を集めるのかもしれませんね。このあたりも鳩山人気とどこか似ている。


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6)どうでも英和辞書

A~Zの総合索引はこちら
name名前

ちょっと古いけれど、3年前のNew York Timesのサイトに、ニューヨーク市に登録されているイヌ の名前で最もポピュラーなもののトップ10という記事が出ていました。

1. Max (165) 6. Coco
2. Lucky 7. Daisy (149)
3. Princess (738) 8. Lucy (174)
4. Rocky (965) 9. Lady
5. Buddy 10. Shadow

というわけであります。この記事(Stephen Dubnerという人のブログ)が面白いのは、これらのイヌの名前の中で人間の名前として使われているケースを比較している点ですね。名前のうしろの()内にある数字は、それまでの15年間における人間の赤ちゃんの名前のトップ1000の順位を示しています。Maxは人間の名前としても1000件中165位なのだから、結構ポピュラーだということになる。()内に数字がないのは、1000件の中には出てこないという意味です。Princessというのは、イヌの名前としてはともかく人間にまで付けますかねぇ。Rockyはどう見てもイヌならオス、人間なら男の子だと思うけれど、人間の名前としては案外人気がないのですね。

日本におけるイヌの名前の人気はどうなっているのか?アイリスペットどっとコムなるサイトによると、2009年の人気度は、モモ、チョコ、マロンがトップ3で、以下ナナ、ハナ、レオ、ココ、サクラ、ソラ、ココア、リンなどとなっております。日本的な名前では、コタロウが13位、タロウが28位となっていて、渋谷駅のハチ公なんて全く出てこない。モモ、チョコ、マロン・・・どれもこれも甘ったるくていけませんな。実に情けない。

昔はよくあったシロ、クロなんて全くお呼びでないようです。ポチというのもよくあったけれど、あれはどういう意味なんですかね。ジロウがないというのは、私にはありがたい。「ジロ、そんなとこでクソしちゃダメだよ!」とかいうのを聞くとあまりいい気持ちしなかったもんな。

アメリカのイヌの名前のLucyというのは、女性の名前として普通にありますよね。この際、日本のワンちゃんにも普通の人の名前をつけてみたら面白いかもね。「タツヒコ、おすわり!」とか「ミワコ、ちんちんしなさい」とか。


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7)むささびの鳴き声

▼むささびジャーナルは2週間に一度お送りしています。しみじみ思うに、2週間で実にいろいろなことがあるものですね。

▼2週間前の10月11日に広島と長崎が2020年のオリンピックを共同で招致するという計画を発表。大方の報道ではほとんどムリとのことです。両市の市長さんの思惑はともかくとして「これまでのようなオリンピックは止めよう」ということですよね。つまり五輪開催を契機に経済発展につなげようという、あのやり方です。オリンピックだからといって、高速道路を作ったり、新しい競技場だのホテルだのを建設するという、あれ。極端にいうと、選手も五輪委員も政府代表も民宿を使ったら?ってこと。ムリだと思うけれど、問題提起にはなる。先日お会いしたあるカナダのご夫人が「素晴らしいアイデアだし、実現するのでは?」とおっしゃっておりましたが・・・。

▼10月21日、日本郵政の社長さんに元官僚が就任ということで「脱官僚」という民主党の方針に反するのでは?と批判されています。一貫性がないということです。「一貫性がない」(inconsistent)というのは「柔軟」(flexible)とも言えるのだから、大したこっちゃないと、私などは思う。それよりも郵政民営化に逆行することの方が気になる。要するに小泉以前の方が良かったという方向に進むということです。亀井という人のパターナリズムの方が気持ち悪い。

▼10月23日、ある新聞の夕刊に結構大きな見出しで「最も厄介なのは中国ではなく日本」と書かれた記事が掲載されていました。これはアメリカのワシントン・ポストが一面で伝えた記事を紹介するもので「最も厄介・・・」と発言したのは、国務省の高官です。鳩山政権がかつての自民党に比べるとアメリカ一辺倒でないということに関連して言ったことなのだそうです。

▼ワシントン・ポストのサイトによると、A senior State Department officialが "the hardest thing right now is not China, it's Japan."と発言したと報道されている。「最も厄介」はthe hardest thingを日本語に直したものですね。この日本の新聞の見出しを見ると、中国より日本の方がお荷物だとアメリカの高官が発言したように響くけれど、高官はright nowと言っている。つまり「現時点では」「当面は」ということです。

▼いずれにしてもワシントン・ポストがこの記事を第一面で報道したことは「米の懸念の強さが浮き彫り」になったものだと、この日本の新聞は伝えています。私もワシントン・ポストの記事を読んでみたけれど、それまで日本がアメリカに楯突くなんて考えてもいなかったアメリカの思い込みの方にこそ問題がある、と感じてしまった。私のいう「アメリカ」にはワシントン・ポストという新聞も含まれています。楯突いてばかりしている中国よりも、初めて楯突いた日本の方が「最も厄介」なんですか?

▼10月24日。プロ野球パ・リーグでは日ハムと楽天がクライマックスシリーズを戦って日ハムが優勝、セ・リーグは巨人が優勝したのですが、パ・リーグの場合は札幌と仙台が燃えたわけ。セ・リーグは名古屋と東京です。「地方の時代」というアングルからすると、パ・リーグの方が明らかに先を行っております。札幌・仙台・千葉・埼玉・兵庫・福岡・・・見事に散らばっております。

▼本当に寒くなりました。今回もお付き合いをいただきありがとうございました。

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