home backnumbers uk watch finland watch
どうでも英和辞書 むささびの鳴き声 美耶子のコラム green alliance
むささびの鳴き声
035 新聞の危機は社会の危機ではない?

私自身は新聞社に勤めたことはあっても、記者をしたことはない。けれど広報という仕事を通じて新聞とはお付き合いしてきたし、今でも日本記者クラブという職場でお世話になる中で新聞とは付き合っています。インターネット時代の現在、紙媒体としての新聞が危機的状況にあることは以前にも書いたとおりですが、8月26日付けのThe Economistが社説欄でWho killed the newspapers?というタイトルの記事を掲載しています。「誰が新聞を殺したのか?」というわけですが、イントロにはThe most useful bit of the media is disappearing. A cause for concern, but not for panic(最も使いでのあるメディアが消滅しつつある。憂慮すべきことではあるが、パニックというほどのことではない)となっています。

Philip Meyerというアメリカの学者(ノースカロライナ大学)の計算によると、2043年の1月と3月の間のどこかで、アメリカにおけるペーパーとしての新聞がついに死に絶える日が来るのだそうです。この人の計算が当たるかどうかはともかく、ニュースをネットで読むという最近の若い人たちの傾向は誰にも否定できない。15〜24才の英国人を調査したところ、ひとたびニュースをネットで読み始めると、全国紙を読むのに費やす時間が30%少なくなるという結果が出ています。

読者が少なくなれば、当然新聞広告のスペースを買う企業も減ってくる。スイスやオランダの新聞では、いわゆるclassified ads(就職情報などが載っている小さめの広告)の半分がネットにとられてしまっているというのが現状なのだそうです。

The Economistによると、このような現実を無視し続けてきた新聞業界も、最近になってようやく変わり始めたとのこと。どう変わり始めたのかというと、従来の「ジャーナリズム」よりもライフスタイルとかエンタテイメントのような、読者に身近な記事を数多く掲載するようになったのだそうです。The Economistのいう「ジャーナリズム」とは、政治、経済、国際情勢のような記事のことを指していますが、これらの記事が少なくなっているということは、新聞の「公共的役割」(public role)が小さくなっていることをも意味しているわけです。

もちろん新聞の窮状を喜ぶような人はいないけれど、それの衰退が社会に害悪をもたらすのか、というと、それほどのことでもない(the decline of newspapers will not be as harmful to society as some fear)とThe Economistは言っています。新聞の衰退は今に始まったことではなく、1950年代のテレビの登場で、新聞の発行部数が大きく減少したけれど、それで民主主義が消えてなくなったわけではない。つまりこれから新聞が衰退しても民主主義が衰退するわけではない、という意味で、社会全体としては心配するほどのことではない、というわけです。

尤もそういう状況にあっても、優れた調査報道(investigative stories)にお金をかけるような新聞は、ネットに失われた広告収入を購読料金を高くして埋め合わせることでこれからも生き残るだろうとして、New York TimesやWall Street Journalを挙げています。これらの新聞はアメリカだけが市場ではないので、国際的な読者を獲得することができる。おそらく生き残りがイチバン難しいのは、高級でもポピュラーでもない、という中間的な新聞であろうとThe Economistは言っています。

The Economistはブログを使ったジャーナリズムや市民ジャーナリストのような「アマチュア・ジャーナリスト」と呼ばれる人々の登場によって、「閉ざされたプロの編集者や記者の世界を開放し、パソコンさえあれば誰でも記者になれる」(The web has opened the closed world of professional editors and reporters to anyone with a keyboard and an internet connection)時代が来たことを「パブリック・オピニオンによる政府を裁判する可能性がより大きくなった」と積極的に歓迎しています。

紙としての新聞が衰退する中で、オンライン・メディアの方ではNewAssignment. NetのようなNPOがアマチュアとプロのジャーナリストを組み合わせた「調査報道メディア」を作ろうとしたりしている。またアメリカのカーネギー財団などは「これからの高級ジャーナリズムはNPOによって支えられることもある」として、アメリカのChristian Science Monitor, National Public Radioなどをその例に挙げています。

▼National Public Radioのサイトでは確かにクォリティが高い放送が聴けますね。Christian Science Monitorのサイトはまだ見たことがない。いつか見てみよう。それから、ここでいう「市民ジャーナリズム」の典型的な例として、鳥越俊太郎さんが編集長として発足した「オーマイニュース日本版」があります。韓国を発祥の地とするネット媒体で、日本中にちらばる数千人の市民記者からあがってくるニュースをプロの編集者が料理してネット新聞にするというものです。鳥越さんは、ネット新聞の強みについて「読者との双方向性」を挙げています。

▼私が自宅で購読している新聞は夕刊込みで月3900円だそうです。これが高いか安いかの判断はともかくとして(大して安くないと思うけれど)、かれこれ32〜36ページある紙面の中で、私自身が読めそうな紙面・読みたいと思うような紙面はどの程度あるのかとなると疑問ですね。識者による投稿・寄稿のページあるのですが、どの寄稿もメチャクチャ程度が高い。普通の人にはとても読めない。読みやすければいいってものではないけれど、殆ど読めない(知的に無理)ような記事を掲載されると「何だってこんな新聞のためにお金を払うのか?」という気持ちにはなりますね。(2006.9.3)