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むささびの鳴き声
023 学力よりも学校生活の質が気になる
「ゆとり教育」を見直して「総合的学習」の時間が削られるのだそうである。「総合的学習」って何のことかと思ったら、具体的な例として「キムチを題材に健康や日韓関係を学ぶ」「ミミズを飼って生ゴミ処理」などの例が新聞に出ており、教育関係の大学教授の話として「テストの点数ではなく『生きる力』を目指すものだ」とコメントされていた。要するに昔の「詰め込み教育」の反対だと思えばいいのだろう。「ゆとり」を導入した結果子供たちの学力が落ちたので「やっぱ昔の方がいいかもな」ということになったということだと推測している。

先日テレビを見ていたら、文部科学大臣という人が「ゆとり見直し」は「詰め込み復活ではない」と言っていたけれど、新聞によるとこの人は「世界トップレベルの学力復活をめざす」と言っている。揚げ足をとるわけではないけれど「復活」というからには「昔の状態に戻す」ことを念願しているとしか思えない。つまり国際的な学力比較でフィンランドや韓国のような成績になればハッピーということである。GDPの数字の上で「世界第二の経済大国」と言われて、それぞれの生活上の満足感とは関係ないのに、いい気分でいるのと似ていなくもない。

英国という国はいろいろな意味で日本の数年・数十年先を行っていることが多いが、教育をめぐる右往左往についても同じことが言える。

今から40年ほど前の1960年代、英国にプラウデン夫人(Lady Plowden)という人がいた。政府の政策審議委員などもつとめたオピニオンリーダーであるが、その彼女が強く主張して導入されたのが「子供中心の教育」(child-centred education)という考え方である。教育というものは教師が一方的に子供たちに押し付けるものではなく、子供たちが自らの自発性と関心に基づいて、自らのペースで身につけていくものだ・・・という発想である。彼女の薦めによって例えば教室における机の並べ方も、従来のように教師と生徒が相対するものから、子供たちがグループごとに分かれて顔を合わせる方式に変えられたりした。「子供が退屈するようなものを教えても身に付かない」というわけで、例えば文法の授業などは否定されたのだそうだ。

「進歩的教育」(progressive education)と呼ばれたこの方法については当初から疑問の声が上がってはいたが、それを本格的に否定したのは1980年代のサッチャー首相で、いわゆる「勉強」に力を入れる教育に方針転換した。例えば歴史の授業でも、年代の暗記をもっとやらせろということを主張していた。彼女は全国共通試験を導入して、子供たちがこれを受けることを義務にしたばかりか、テスト結果を学校別ランキングとして新聞に公表することまで行った。こうした姿勢は現在のブレア政権によっても受け継がれている。つまり受験地獄とか行き過ぎた詰め込み教育が子供たちの創造力や個性の発達を妨げているという反省から、日本が「ゆとり」を採り入れようと考えていたころに英国では逆に英国版のゆとり教育とも言えるものを否定し始めていたのである。

「子供中心教育」を否定したサッチャーさん以来、英国の子供たちの学力が向上したのかどうか、私には分からないけれど、先ごろ日本の子供たちの学力がかなり低下しているとの結果が出たOECDによる学力国際比較で、英国の子供たちは算数の成績比較では18位だったそうである。前回のランクが8位であったことを考えると、かなりの落ち込みである。日本の子供たちの算数は前回が2位で今回が6位であった。

ところで、私の妻は過去40年間、殆ど途切れることなく、子供(主として中学生)相手に寺子屋風家庭教師を続けている「教え好き」である。母親がクチコミで彼女のことを聞きつけて「ウチの息子(娘)をお願いできませんか」と言ってくるケースが多い。

40年ともなると、実に様々な生徒が彼女の寺子屋の門をくぐっているが、大体が成績は中くらいという子供が多いらしい。それまで英語や数学の成績が60点であったのが、彼女の寺子屋に通い始めて、70、80と伸びて90点台が当り前になった子供たちが沢山いる。そのような子供たちの話をする時の妻は非常に嬉しそうで、教師冥利につきるという顔をしている。

英語や数学を少しでも理解したいと思っている子供たちが彼女の「寺子屋」に来て、学校でのテストの結果が良くなることで自信を深めて、妻も生徒も(彼らの親たちも)喜びを分かち合っている。私自身の過去を振り返って見ても、生徒にとって「勉強が出来る」ということは、サラリーマンにとって「仕事が出来ると認められる」と同じように嬉しいものなのだと思う。しかし子供たちも私の妻も「世界トップレベルの学力復活をめざす」ことには関係も関心もない。それはサラリーマンにとって日本が世界第2の経済大国になろうがなるまいが関係ないのと同じである。妻にしてみればOECDの調査で日本がトップであろうがビリであろうが、どうでもいいわけである。

そういえば、最近ロンドン大学のリチャード・レイヤードという教授が書いた本に、各国の子供たちを対象に行った学校生活についての比較調査が出ていた。「クラスメートが自分に対して親切だ」と考える子供の割合を調べたもので、欧米が対象なので日本は入っていないが、一位がスイスの81%、二位はスウェーデンの77%、三位はドイツの76%ときて英国(イングランド)の子供たちは第八位の43%となっている。これはロシア(46%)やアメリカ(53%)よりも低い数字である。教授はこの結果について、子供たちの「学校生活の質」(Quality of Life)を表わすものだとしている。ちなみにスイスもスウェーデンもドイツもOECDの学力比較では、どの科目でもベスト5にも入っていない。

レイヤード教授の本には、世界各国の国民一人あたりの所得とそれぞれの国民の「幸せ感覚」についいてのグラフも出ており、日本の所得額はトップクラスなのに、国民の幸せ感覚は最低という結果が出ていた。もし子供たちの「学校生活の質」比較に日本が入ったらどのあたりのランクにきたのであろうか?学力比較より、もっと気になる。