home backnumbers uk watch finland watch
どうでも英和辞書 むささびの鳴き声 美耶子の言い分 green alliance
むささびの鳴き声
022 保守主義ってなに?
私、前から気になっている言葉の一つに「保守主義」というのがあります。個人の生活レベルで「保守的」というと、「現状維持」とかファッション、食べ物、旅行先なども含めて「伝統的なものが好き」などということで、一応納得はいくと思うけれど、政治とか社会問題などを考えたり語ったりするときに使われる「保守主義」という言葉については、実は私自身よく分からずに使っている(と思う)。むささびジャーナルでよく引用する英国のThe Spectatorという週刊オピニオンマガジンのことを、私は「保守派の雑誌」などと表現しているのに「保守派ってどんな人たち?」と聞かれると困ってしまう。

安倍晋三さんは『美しい国へ』という本の中で、「自分は開かれた保守主義者」だと言っているのだそうです。「開かれた」というのが何を意味するのか、私自身この本をまだ読んでいないのでよく分からないけれど、彼が自分を「保守主義者」だと思っていることは間違いない。確かアメリカのブッシュさんも自分のことを「優しい保守主義者」(compassionate conservative)と呼んでいた。彼の言う「優しい」が何を意味するのか、これもよく分からないけれど「保守主義者」という点では安倍さんと同じである・・・。

というようなことを考えていたら、朝日新聞の9月27日号のオピニオンというページに京都大学の佐伯啓思という先生の考え方が紹介されており、読んでかなり納得がいってしまった。この先生によると、保守主義とは「"進歩"を疑う姿勢」のことをいうのだそうです。先生によると、保守主義にも米国風のものと欧州風のものがあり、教授が信奉している(ように見える)のは欧州風保守主義で、次のような説明がされています。

欧州の保守主義は本来フランス革命への反動として生まれた。それは進歩の思想を疑う。ものごとを理性的に設計し、伝統を壊して社会を計画的に革新するという発想に疑いの目を向ける。むしろ歴史的に形成され、伝統として守られてきたものの中にこそ知恵があるという考え方だ。

それに対して米国風の保守主義については「理性や技術の力を信じる。絶えざる革新、創造的破壊、進歩主義をよしとする」ものとして次のように説明されています。

米国の保守主義の核にあるのは独立した強い個人だ。個人が自力で人生を切り開く。それは能力主義、市場競争主義につながっていく。

佐伯教授は、日本は国のタイプとして緩やかな君主制などを受け継いでいたりして「英国などに近い」ということで「欧州流の保守を参考にした方がいい」と薦めています。佐伯先生はそのように言ってはいないけれど、ホリエモンとか村上ファンドなどは、米国風保守主義の産物であり、世の中の安定を乱すものであるからして日本人は真似しちゃいけないものだと考えているのではないか(と私は推測しております)。

ところで保守主義者を自認する安倍さんとブッシュさんがそれぞれ守ろうとしているものは、同じなのか、違うものなのか?安倍さんは、自分とブッシュさんは、自由、民主主義、市場経済などといった「価値観」を共有しているという意味の発言をしています。日米同盟はそのような価値観をアジアに広めていくための手段であると言っています。

が、佐伯教授はこのあたりのことについては疑問を持っており、非常に面白い説明をしています。ちょっと長くなるけれど、教授の言葉をそのまま引用してみると・・・。

敗戦と米国の占領で、日本の歴史的遺産、精神的伝統が表舞台から排除されてしまった。神道、仏教、儒教、武士道といったものにフタをし、表向きは米国と同じ近代的な自由民主主義国家につくりかえた。この二重構造が処理されないまま今日まできた。

佐伯教授はさらに安倍さんたちが言う日米共通の「価値観」という言葉にも疑問を呈しています。自由、民主主義、市場経済などは政治の枠組み(システム)のハナシであり、「価値観」というからには、それらの底流にある「魂」のことでなければならない、とのこと。そのセンでいくと、アメリカの価値観としては「入植者のプロテスタント的使命感」とか「建国者の共和主義の伝統」が挙げられるけれど、「その部分にあたるものが、いまの日本では見失われている」と教授は言っています。で、「宗教観にせよ、歴史観、死生観にせよ、古代からの日本の歴史から取り出してくるものがあるのではないか」と主張されています。

先生の言うことを、私なりに要約すると、「古いものは古さが故に理屈ぬきで価値があるということであり、その人間が生きている国とか社会が長年にわたって受け継いできた伝統や慣習の中にこそ知恵があるのであって、おっちょこちょいな"進歩"や"改革"などを信用するとろくなことにならない」という風に考えることが「保守主義」であり、褒められる態度である・・・ということになる。言うまでもなく、日本人である安倍さんとアメリカ人であるブッシュさんが受け継いできた伝統は異なるものなのだから、安倍さんは「アメリカとは距離を置いた方がいい」ということになる。

佐伯教授の記事を読みながら、英国の思想家であるPaul Johnsonが書いたModern Timesという歴史書の締めくくりの言葉を思い出しました。本そのものは1990年代の初めに出たものですが、彼は20世紀の終わりの時点での問題点として「道徳的な相対主義の流行」「個人的責任感の衰退」「ユダヤ・キリスト教的価値観の拒絶」などを挙げており、これらが逆転することにのみに人類の希望がある、と主張しています。彼が人間が拒否しなければならないもう一つの態度として次のことを挙げています。
男も女も、この世におけるさまざまな問題が、自分たちの知力だけで解決できると考える傲慢さ (the arrogant belief that men and women could solve all the mysteries of the universe by their own unaided intellects)
Paul Johnsonも佐伯教授も、人間の「理性」とか「知力」(アタマと言い換えた方が分かりやすい?)を信用しておらず、アタマを通り越した「伝統」とか「道徳観」のようなものを、政治や社会を考えるうえでの基本としている点で共通しているようです。で、彼ら二人とも一般的には「保守派の論客」と言われている。保守主義というのは、そういうものなのですよね。

で、私自身も教授だのジョンソンの言葉には共鳴する部分もあるにはある。戦争・貧困・環境破壊・・・世の中ろくなことになっておらず、人間が考えても考えてもまともな解決が見つかっていない。所詮人間なんて・・・と「謙虚」になればちっとは事情が違ってくるかもしれないなどと思ったりすることもたまにはある。けれど安易に「知の否定」などはしたくないという「感情」もある。佐伯教授は安倍さんの「戦後体制の否定」を大いに賞賛しておられますが、私(物心ついたのは戦後)は自分が体験してきた「アメリカ」は教授の言うほどひどいものだとは思いませんがね。(2006年10月1日)