第7号 2003年5月18日
home backnumbers むささびの鳴き声 美耶子のコラム
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1. Naguri/Ripley Green Alliance
2. 英国の話題・その1:変わる医療制度
3. 英国の話題・その2:入って来る人の場合

4. 英国の話題・その3:出て行く人の場合
5. むささびMの「過去形は必ずしも過去じゃない?」
6. アメリカ人から「こいつ」と呼ばれる方法
7. 86歳で刑務所に行く方法
8. 息子を5ポンドで売る方法
9. 半熟タマゴを作る方法
10. 携帯を見事に壊す方法
11. むささびJの受け売りフィンランド「タンゴ」論
12. 編集後記
1. Naguri/Ripley Green Alliance

と言っても何のことだか分かりませんよね。Naguri/Ripley Green Allianceって何のことかというと、私が英国大使館にお世話になっていた最後の年にやらせてもらった「日英グリーン同盟」というプロジェクト(日本のあちこちにイングリッシュオークの苗木を植えた)に関係しています。 埼玉県に名栗村というところがあります。

池袋から西武線で約1時間で飯能という駅に着く。そこからさらにバスで30分ほど入った山間の村です。人口は2700。この村も日英グリーン同盟に参加してイングリッシュオークを植えました。昨年の11月3日のことです。「幾山河 越え去り行かば寂しさの 果てなむ郷ぞ…」の歌人・若山牧水が訪れたこともある、という村です。川がきれいでアユも釣れます。

ロンドンから南へ車で1時間ほど行ったところにRipleyという村があります。人口2000人。昔は宿場町、今はベッドタウンという感じの村のようです。最近になってロンドンからポーツマス方面に走る高速道路が村の真ん中を走るようになってしまい、「誰も立ち寄らなくなった」らしいのですが、その昔はネルソン提督がロンドンからポーツマスへ向かう途中で立ち寄ったという村であるそうです。

で、この英国の村にある小学校(Ripley Church of England Infant Schoolという名前で生徒数は90人)と名栗村の村立名栗小学校(生徒数170人)が木を通じて交流をすることになった。名栗にはイングリッシュオークが、Ripleyの学校には今年の2月に日本の枝垂桜が植えられました。この二つの木がこれから交流のシンボルになるというわけです。このほどRipleyの学校の理事さんという人が日本へやって来る機会があったので、名栗小学校にも来てもらって挨拶などしてもらいました。

名栗村は、その昔は西川材という杉やヒノキの産地として林業が盛んであったのですが、最近では林業よりも、どちらかというと川遊びや釣りを中心にしたレジャーの村になりつつあります。そしてもう間もなく付近の飯能市(人口8万)と合併する運命にあります。村長さんによると「今の時点で合併そのものに反対という人は誰もいない。問題はその後この集落がどのような特色を持って存在していくのかということなのだが…」ということです。最後の「……」の部分が将来の不安でもあるわけです。村長さんとしては名栗村を「単に人口が少ない景色の綺麗な静かな集落」にはしたくないという思いがあるようです。

一方のRipleyは自治体の種類でいうとParish Councilという範疇に入ります。昔の教会の教区ですね。ただこれは村長だの町長だのが存在する自治体ではなくて「殆どボランティア組織のようなもの」というのが理事さんの話でした。この村の近くにGuildfordという町があるのですが、Ripleyはこの町の一部であるわけです。偶然とはいえ、名栗村と飯能市の関係と全く同じということになるのです。 この二つの学校の交流は、私が性懲りもなく続けている「グリーン同盟の会」という活動の成果の一つでもあります。日本のコミュニティと英国のそれとの間の付き合いを深めることも目的の一つなのです。他にもこのような例が出てくれることを期待しています。ご注目ください。

Trees Link Two Village Schools in Japan and UK A "green link" has recently been established between a Saitama primary school and a Church of England Infant School in Surrey, England, through planting English oak and Japanese weeping cherry trees. Naguri-mura in Saitama-ken received from the British Embassy (Tokyo) a baby tree of English oak last November to mark their participation in the UK-Japan Green Alliance 2002, a nation-wide tree planting campaign by the British Embassy, Tokyo, to commemorate the 100th anniversary of the Anglo/Japanese Alliance (1902) and to promote further the people-to-people relations between the two countries.

One of the oak trees was planted in the village square on 3 November 2002. Among the attendants were Stephan Gale, a visiting British scholar of forestry, and Masaru Nagahashi, Headmaster of the local Naguri Primary School. They discussed possible exchange through the theme of tree planting between the Naguri school and a school in Ripley where Stephan was from and where Stephan's father, Bob Gale, was the governor of Ripley Church of England Infant School.

The green friendship was first marked in February when the Ripley children planted a Japanese weeping cherry in their school garden. The friendship was now even more firmly rooted in the ground when Mr Gale visited Naguri Village on 6 May to deliver to the Japanese school a message from the Head Mistress of the Ripley school. Bob and Stephan were warmly welcomed by the Naguri School staff and children. Bob Gale emphasized the importance of the friendship between the children of the two countries as the future of man kind will be in their hands.

Headmaster Nagahashi also agreed that it would be a great idea, as the Ripley's headmistress suggested, to promote exchange between not just the children but also the school staff. Ripley is located about 70 kms south from London with the population of about 2,000 while Naguri Village's population is about 2,700. Naguri is located about 90 minutes by train and bus from the central part of Tokyo. The Ripley/Naguri green link is a project of the Green Alliance Club, a follow-up project of the UK-Japan Green Alliance, pursued by musasabi journal.

2. 英国の話題・その1:変わる医療制度

全ての英国民に平等な医療サービスをということで1948年に創設された国民保健制度(National Health Service: NHS)はかつて「福祉国家」を標榜した英国の象徴ともいえる存在であったのですが、そのNHSが新しい病院の管理制度を巡って揺れています。ブレア政府が最近議会に提案した健康・社会福祉法案(Health & Social Care Bill)に盛り込まれている「財団病院」(foundation hospitals)というアイデアが問題になっているのです。

財団病院は、現在全面的に中央政府(保健省)の管理下におかれている病院の一部(全部ではない)を「独立非営利」(independent not for profit)組織にすることで、運営資金をこれまでのように全て税金に頼るのではなく、民間の市場からもあつめることができるようにしようというものです。そのかわり、これらの病院については運営にあたってこれまでのように何でもかんでも保健省の菅理・指導下おくのではなく、スタッフの募集、賃金の決定、患者への対応の仕方など医療サービスの提供をそれぞれの病院の自主的なやり方で行うことを許そうというものです。

どちらかというと医療の民営化という気がしないでもありませんが、財団病院はこれが活動するコミュニティの代表からなる「理事会」が最終的に管理するものなので、いわゆる「民営化」とは違うというのが政府の説明のようです。このアイデアについて、ブレア首相が賛成、ブラウン蔵相が反対というのがもっぱらの噂です。 ブレア首相を始めとするこの新制度の推進者たちが言っているのは、この制度を導入すれば「官主導ではなく個々の病院がそれぞれの工夫によって効率的な病院運営ができる」「全国どこでも同じ医療サービスというよりも違う質のサービスを提供する病院が出来れば国民にとってチョイスが出来るのは望ましい」などと主張しています。

これに対する反対意見は主として労働党内から出ているのですが、最大の理由は「医療サービスの二重構造を作り上げることになる」という点にあるようです。即ち自由な運営が可能な財団病院は(例えば)スタッフの給料なども自由裁量で決められるので、腕のいいお医者さんは皆この病院に雇われてしまうのでは…ということ。 NHSの基本的な理念が「平等な医療サービス」にありとするのが反対意見の根拠なのですが、それに対して「一律どこも同じでは医療に競争がなく従って進歩もない」というのが賛成意見。出来れば全部の病院をこのようなシステムにしようというのが賛成の意見です。5月7日に下院で第一回の投票が行われたのですが、賛成297、反対117という結果でした。これから特別委員会でさらに審議されるので実現するのにはまだ少し時間がかかるとされています。

3. 英国の話題・その2:入って来る人の場合


国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)の数字によると、難民の行き先としてダントツの人気国が英国だそうですね。2000年から2002年末までの3年間で提出された難民申請の数の国際比較によると英国は30万件、次いでドイツとアメリカが25万弱となっています。特に劇的と思われるのが、EU諸国における英国のシェアが1992年には5%であったものが現在では29%にまで上がっているといいます。

何故英国に人気が集まるのかというと「他の国が(英国に比べると)規制を厳重にしている」ということがあげられる(The Economist)そうです。例えば国外追放の決定を早める、申請難民を惨めな状態に置いておく、怪しいと思ったら国境で追い返す…など。 英国ではそのあたりが比較的「難民に優しい」らしいのですが、1982年に難民申請をした外国人の数が4223人であったのに、20年後の2002年では何と110,700にまで増えてしまった。下院の特別法務委員会(Home Affairs Select Committee)の報告書によると難民資格を拒否された人たちが英国に不法滞在するケースが多く、数字さえも定かでない状態になっており、「社会不安にも繋がりかねない状態になっている」とか。

そこで政府としては「動機が怪しげな"難民"を出している国」からの訪問者にはビザの所持を義務付ける、申請中の滞在期間を短くする、難民申請の検討期間を短縮するなどの対策をとってこの問題に対処しようとしています。 下院特別法務委員会は「難民問題は単なる数字ではなくて人間の問題なのだということを理解しておく必要がある」として、厳しい態度に出ればいいというものではないと報告していますが、難民が生み出す(かもしれない)社会不安の一つに、極端な難民嫌いの思想が流行りかねないということも挙げられています。

最近行われた地方選挙で、特にアジア系の移民が多く暮らしている地域において右翼の英国国民党が議席を伸ばしたケースが案外多かったとも伝えられています。ちなみに2002年における難民申請のうち出身国として一番多かったのがイラクで約15,000人、次いでジンバブエの7700人、アフガニスタンが7380人となっています。

4. 英国の話題・その3:出て行く人の場合

英国で暮らしたいという難民の数が増え続ける一方で、最近目立っている奇妙な現象に英国を出たがっている英国人の数もまた急速に増えているということがあるらしい。英国統計局の数字によると、2000年に英国を脱出して外国に行ってしまった人は30万人もおり、これは過去20年間で最高の数字なんだそうです。とにかくある世論調査によると英国人の54%が外国で暮らしたいという希望を持っているんだとか。

実は英国脱出ブームは1981年と1991年にも見られた現象らしいのですが、そのときは英国の景気が悪くて失業などが多かったという事情がありました。しかし現在の脱出ブームの理由は、英国内の生活の質が落ちていることにあると報じているのはEmigrateという脱出専門誌。例えば「物価が高い」「交通混雑がひどすぎる」「地方税が高い」等などがあげられています。

20年前と違うのは脱出先。かつてのベスト5はカナダ、オ−ストラリア、ニュージーランド、南アフリカ、アメリカであったのですが、現在はヨーロッパ大陸が人気のイチバンだそうで、「就労ビザのようなものがなくても働ける」「物価が安い」「気候がいい」…「つまり生活の質がいい」ということが人気の原因だそうです。最近ではBBCテレビにまで海外での新生活を紹介するGet a New Lifeなる番組まであるというのですからブームも本物のようであります。

5. むささびMの「過去形は必ずしも過去じゃない?」


外国人に日本語の動詞を教えるとき、「現在形」とか「過去形」とかいう用語は使わず、何故か「マス形」とか「タ形」とかいう言い方で教えることになっている。 例えば、「行く」という動詞については、「マス形」は「行きます」、「タ形」は「行った」。それから「行く」は「辞書形(または普通形)」、「行って」は「テ形」、「行かない」は「ナイ形」、「行ける」は「可能形」という具合である。 実際に動詞について教えてみて、無意識に、と言うより英文法を学んだ影響かもしれないと思うのだが、我々は「タ形」は過去形だと思い込んでいるふしがあることに気付いた。

「えっ?そうじゃないの?」という人に、次のような例文を紹介してみよう。★休みの日はテレビを見たり、散歩に行ったりします。この文の中の「見る」とか「行く」は過去の動作ではなく、習慣として日常そんなことをして過ごすことを並べて言っているわけで、「休みの日はテレビを見ることもあるし、散歩に行くこともある」とか「テレビを見るなり、散歩に行くなりします」という意味である。因みに、文法書によると★印のような文の時制は、途中の動詞ではなく文末で示されると説明してあった。だからこの文のタ形の動詞は過去時制ではない、と。

外国人にタ形を教えるときには、気を付けないと後で「何故この場合過去のことじゃないのに過去形を使うのか?」と質問されてしまうことがある。普通の日本人が外国人に「<見る>と<見た>はどう違うのか」と聞かれたらおそらく十中八九<見る>は現在形で<見た>は過去形だ、と答えてしまうのではないか。我々がすっかり過去形だと思い込んでいたものが、実はそうとは限らないんだということに気付かされるというのは母国語のことだけに新鮮な驚きがある。

「行ったり来たり」とか「晴れたり曇ったり」とかの表現のように、ある状態や行為を繰り返すときの様子を表したり、他にもあるという含みで例を挙げるときに用いたり、はっきり言わないことで表現をやわらかくするような効果もあるので、若い人のくだけた話し言葉にも最近使われるようになったそうである。★「ちゃっかりご馳走してもらったりして、、、」などのように。 つまり、タ形は必ずしも過去形ではないので、外国人には敢えて「タ形」という言い方を使うことで<例外>を少なくし、質問された時の逃げ道にしているのかなと考えていたら、外国人に教える日本語文法書に、もう一枚上手の逃げ道(?)が出ていた。なんと、「タリ形」などという別枠まで用意されていた。

6. アメリカ人から「こいつ」と呼ばれる方法

ロンドンのリビングストーン市長が「ブッシュ大統領は道徳的に堕落している(corrupt)」と発言して話題になっています。5月8日、市庁における2時間にわたる子供たちとのミーティングの中で「イラク戦争についてどう思うか」と聞かれた市長の答えが「ブッシュは堕落しておりサダム・フセインが追放されたのと同じようにブッシュ大統領も追放された方がよろしい」という過激な発言だったというわけ。この発言には直ちに市議会議員の一部から「アメリカ人の観光客がロンドンに来なくなる…」という批判が寄せられた。

保守党の次期ロンドン市長候補と目されているスティーブ・ノリス氏は「市長の発言としては極めて無責任(utterly irresponsible)」と大批判しています。 この発言についてロンドンにあるアメリカ大使館は「リビングストン市長の発言はアメリカ大使館、アメリカ政府そしてアメリカ国民のことについて無関心な人の発言だ」というコメントを発表しています。

ホワイトハウスのフライシャー報道官は「最初に断っておきますが、私、こいつのこと知りません。それから彼の発言についてコメントを言うことで、それに重要性を持たせることをするつもりはありません」(First of all, I've never heard of the fellow. Second, I'm not going to dignify it with a response)と述べたそうです。"the fellow"(そんなヤツ)とはよほどアタマに来たということなんでしょうね。

7. 86歳で刑務所に行く方法

リバプールの近くにHuytonという町がある(らしい)のですが、そこの住人であるアレキサンダー・ムアットという男性が、いわゆる「反社会的行動」の罪で刑務所に行くかもしれません。過去7年間にわたって人を付回すは、汚い言葉でののしるは、嫌がるのにビデオ撮影をするは、テレビの音はうるさいは…などなど11の迷惑行為で近所の人に訴えられてしまったのであります。裁判所からの命令で警察が乗り出し、迷惑行為をやめるようにと注意をしたのですが「私は何も悪いことはしていない。普通に生活しているだけだ」と言い張っているとのこと。7月に裁判があるのですが、場合によっては最高5年の禁固刑に服することになるかもしれないとのこと。この人、実は今年で86歳になる年金生活者らしいのです。禁固刑になったアカツキには英国の歴史上最高齢の服役者になるそうです。困ったもんです。
8. 息子を5ポンドで売る方法

スコットランドのカンバーノルに住んでいた人が、あろうことかインターネットに自分の息子を売るという広告を掲載して警察に調べられたという「事件」があったそうです。アレックス・ウィルソンという人が問題の父親(33歳)。中古自転車を売るというサイトにギャグで「息子売ります」という広告を掲載してしまった。これをアメリカ西海岸のワシントン州に住むおばさんが見つけてスコットランドの警察に「奴隷売買ではないか」と通報したらしい。2年ほど前に掲載したのですが、当の本人は掲載したことも忘れてしまっていたとかで、警察からの問い合わせに「冗談・冗談」を連発、笑い話ですんだそうです。

ちなみに掲載広告の文章はというと「超活発なガキ売ります。掃除はできるが皿洗いは背が低いので無理。迷惑な存在であることは保証付き。値段は5ポンド(約800円)。相談の余地アリ」(Hyperactive kid for sale, good at vacuuming, not great at washing dishes because he's too short. Guaranteed to annoy. £5 or nearest offer)だったそうです。

9. 半熟タマゴを作る方法

半熟タマゴを作るためには熱湯の中にタマゴをどのくらいの時間入れておくべきなのかご存知ですか?正解は4-5分。これを話題に英国人1000人を対象に調査したところ4-5分と答えた人は25%だったそうです。一番多かったのは「3分以下」の70%、「6-10分」と答えた人も4%いたそうです。あたしなんかきっとその4%でしょうね。ガーディアンという新聞が調査会社に依頼した結果の数字なんだそうですが、何でまたそんな調査をしたのか…よく分かりません。
10. 携帯を見事に壊す方法

私、はっきり言って携帯てぇものが大嫌いです。毎日クビにかけているのですが、ブルブルっと震えるたびに「どうすりゃいいんだ!」とおたついてしまいます。でも自慢じゃありませんが、まだ壊したことはありません。ある調査によると英国では毎週1万台の携帯が壊されるんだそうです。どうやって壊すのかという理由のトップが「水に落とした」というもの。中には「間違ってコンクリートに埋めてしまった」とか「トイレに流した」とかいうのもある。それから車のダッシュボードに置いてあったのが、急カーブを切ったときに窓から外へ飛んで行ってしまったケースも。イチバンの傑作というのがバーベキューをやっていて、小さな子供が携帯をソーセージと一緒に焼いてしまったというものでした。泣くに鳴けない?
11. むささびJの受け売りフィンランド「タンゴ」論

タンゴと言えば、どうしたって、これはもう、あなた、フィンランドっきゃない! 5月1日、フィンランド大使館の中庭でMay Day Lunchなる催しが行われ、私とむささびMも招待されて行ってきました。催しと言っても内輪のもので要するにバーベキューと同じで食べて・飲んで・よもやま話をして・歌って・・・という2時間だったのですが、天気が非常に良かったせいもあって心底楽しいものでありました。

が、私もむささびMも意外な発見をした2時間でもありました。 何が「意外」だったのかというと、タンゴです。よもやま話の間中、屋内では四六時中タンゴの音楽が流れていたのです。Why Tango in the Embassy of Finland!?とフィンランドの人に聞いたところWhy not Tango!? It's part of our cultureという答えでした。タンゴと言えばアルゼンチンに決まっていると思っていた我々には、この世にフィンランド・タンゴなるものが存在するということは全く考えてもいませんでした。

私が子供の頃にラジオでタンゴがよく流れていましたね。「藤沢嵐子とかオルケスタ・ティピカ・トーキョー」とか・・・わっかんねぇだろな、今の人には・・・。要するにタンゴも「憧れの西洋音楽」の一つとして大いにもてはやされていたのです。いつの間にか殆ど聞かれなくなってしまいましたね、日本では。それがフィンランド大使館で聞かれるとは思ってもいませんでした。 というわけで好奇心に駆られてあちらのサイトで調べてみると、ありましたね。「フィンランド・タンゴ物語」なるサイトが。

しかもフィンランド外務省の文化局が運営するサイトにあるのだから、これはもう本物に違いない。それによるとタンゴがアルゼンチン生まれの音楽であることに違いはないのですが、1910年代にヨーロッパに流れ込み、フィンランドにも現れたのですが、フィンランド・タンゴなるものがこの世に登場したのは1930年代だそうです。 音楽(メロディー)自体はアルゼンチンのタンゴと変わらないのですが、フィンランド・タンゴの特徴は歌詞にあるというのがヘルシンキ大学のクッコネン教授の見解で、歌詞の多くが「望郷」「遠い国への憧れ」などと言ったテーマに満ちているとのこと。また「移り変わる四季」も重要なテーマとなっているそうです。つまり長い冬が明けて明るい春が来た・・・という喜び。

それから長い秋雨と冬の暗くて長い夜は「失望」のシンボルとして使われているんだとか(フィンランド語が分からないのが残念ですが)。 最近ではフィンランドでもヒットチャートにのることはなくなってしまったタンゴですが、別の見方をするとそれほど普通の文化として浸透してしまったとも言えるわけで、ルーテル派(フィンランドの国教)教会の関係者の中にはフィンランド・タンゴのクラシックとも言える「お伽の国」(Satumaa)という曲を賛美歌に加えようという人もいるくらいなのだそうです(この曲は1955年にUnto Mononenというフィンランド人によって作曲されたものです)。そうなるとフィンランドではタンゴは単なる流行音楽ではないということになります。

12. 編集後記

●「むささびジャーナル」をお送りするたびに必ず2−3のコメントが送られてきます。有難いことです、本当に。今回頂いたものの中に「英国では新聞が売れなくなった」という報告について「いずこも同じ。自分は諦めてはいるが、活字離れとか言葉の平板化はやはり腹立たしい」という意味のメッセージをくれたジャーナリストがおりました。でも不思議ですよね、確かに日本でも「新聞や雑誌が読まれなくなった」と言われているのに、インターネットは進んでいる。インターネットは「読む」という作業を伴うのだから、「読む」ことを止めたわけではない。「じっくり読む」ことをしなくなったということですかね。このあたりは何とかして解明してみたいですね。●今回は冒頭に名栗村のことを載せました。先日は長野県平谷村で中学生が町村合併の住民投票に参加したということが大きなニュースになっていました。「長野県でイチバン小さい」ことを誇りにしているこの村にも「日英グリーン同盟」のオークの木が植わっていますし、私がやっている「会」にもご参加を頂いています。ここもおそらく合併ということになるのでしょうね。それから三重県菰野町。ここにも植わっているのですが、新聞によるとこの町は合併反対だとか。イングリッシュオークは全国204ヵ所でコミュニティを見つめています。10年後にはそれぞれどうなっているのか、じっくり見つめておいて欲しいですね。