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musasabi journal 160
2009年4月12日
メチャクチャ暖かいですね。年寄りには寒いよりもはマシですが。桜吹雪が舞う中を160回目のむささびジャーナルをお送りします。南半球はこれから秋ですか?
1)酒の値段の最低限を決めよう


いま英国で、アルコール飲料の最低価格を法律で決めようという動きがあります。国民の飲み過ぎを防ごうというのが政府の意図で、スコットランド政府は今年中にも法案を議会に提出することになっているし、ロンドンの中央政府にもそのような動きがある。

この法案を検討している政府の医療アドバイザー、Sir Liam Donaldsonが考えている案は、1ユニットあたりの値段の最低限度を50ペンス(約75円)にしようというもの。1ユニットは10mlに相当するのですが、ユニットあたり50ペンスを最低限にすると、スーパーで売っているHardy's Merlotという安めのワインが4.29ポンドから4.90ポンドに、Boddington'sの4缶入りパックが2.99ポンドから3.40ポンドへと値上がりすることになるのだそうです。

世論調査機関のYouGovのサイトによると、酔っ払い運転で命を落とす人は毎年7000人、酒が原因の家庭内暴力事件が125,000件で、130万の子供が酒飲みの親によって虐待されている等々の数字が挙がっている・・・ということからすると、最低価格を設定して、余りたくさんのアルコールを買えなくするというのも悪い案ではないように見える。けれど批判意見もあることはある。「政府に酒の量まで決められてたまるか」という反発もあるし「政府の仕事は国民の飲み過ぎ規制ではなく、飲酒による暴力行為などから国民を守ることにあるはず」(it's no business of government to protect people from themselves: its job is rather to protect people from the harmful behaviour of others)というものもある。

さらにアルコールが余りにも値上がりすると、「穏健派の酒好き」(moderate drinkers)にしてみれば、静かにお酒を飲むという楽しみもなくなってしまう。英国の厚生労働省にあたる仕事・年金担当大臣(Work and Pensions Secretary)も「大多数の責任感のある人々を辛い目にあわせるようなことを推進するつもりはない」(we have no intention of going ahead with something that would punish the responsible majority)とコメントしています。ちなみに英国における成人の平均アルコール摂取量は、年間ワインに直すと120本だそうです。

▼ワインを1年間で120本・・・それ、かなり多いのでは?私は殆ど飲めないから分からないけれど。いずれにしても、飲酒は英国ではかなりの社会問題になっています

2)孫の世話にも政府の支援を!


英国にGrandparents PlusなるNPOがあります。孫の世話をする立場にあるおじいちゃん・おばあちゃんの声を代表する組織で会員は約30万人。この組織が最近『家族を考え直す』(Rethinking the Family)という報告書を出したのですが、それがThe Timesのような新聞にもかなり大きく取り上げられています。報告書のメッセージは「孫の世話をする祖父母にもお金を払え」(Grandparents should be paid for childcare)というものであります。

この場合の「お金」というのは、もちろん政府による金銭的な支援という意味です。英国のファミリーの4世帯に1世帯、片親家族の2分の1が子供の世話をおばあちゃんやおじいちゃんに頼っており、祖父母の仕事を金額に直すと年間で総計39億ポンド(約6000億円)にあたると推定されるのだそうです。現在の不況下では、44%の親が保育園のような機関ではなく祖父母を頼りにせざるを得ないと答えている。

現在の法律では、保育園や登録済みの保育士(child minders)に子供を預ける場合にのみ、1週間、最高で300ポンドの公的支援を受けることができる。Grandparents Plusが主張しているのは、そのお金を祖父母も貰えるようにすべきだということです。

報告書はまた、働く祖父母に対しては孫の誕生後2週間の「祖父母休暇」(granny leave)とか、出勤時間に柔軟性を持たせるフレキシブル勤務も認めるように求めています。Grandparents PlusのSam Smethers理事長は次のようなコメントを発表している。

  • 現在の政策は核家族に焦点を絞りすぎており、現実を見ていない。両親の10人に4人が経済不況においては祖父母に子育てを頼らざるを得ない状態だ。厳しい経済状況においては、家族が影響を受けるのであり、祖父母がますます重要な役割を果たすことになる。にもかかわらず彼らの貢献が見過ごされている。The existing policy focus on the nuclear family means we miss what is really going on. Four in 10 parents say they are increasingly likely to ask grandparents for help with childcare during the recession. In the tough economic climate it is families who are taking the hit. Grandparents are playing an ever increasing role in supporting family life and caring for children but their contribution often goes unrecognised.

英国政府のこれまでの姿勢は、保育園や保育士のような公的なチャイルドケアを拡充することに重点を置いてきており、家族に対する税金の免除などについては消極的だった。実際、子育てをおじいちゃん、おばあちゃんに任せること自体への疑問を投げかける声もある。9年前(2000年)に発表されたMillennium Cohortという研究結果によると、3歳まで祖父母に育てられた子供たちは、保育園や保育士に預けられた子供に比べると社会性に欠けると同時に行儀も悪い(behavioural problems)とされていた。

で、今回のGrandparents Plusからの要求について、政府の児童問題担当大臣(Children’s Minister)は次のようにコメントしています。

  • 家族の間で決める子育てのことに政府が干渉するのは行き過ぎだ。家族が決める子育てのアレンジメントについてお金を支給すると、報酬がなければ子供の面倒はみたくないという風潮を生むことにつながりかねない。親戚などに子育てを頼んでいる多くの両親も、そのような干渉は歓迎しないだろう。Government intervention in informal childcare arrangements made between family members would be going too far. We would not wish to disturb family arrangements by encouraging charging between family members who would not otherwise have done so. And we believe that many people using relatives for childcare would not welcome such interference either.

つまりおじいちゃん、おばあちゃんが孫の面倒を見たからって、政府がそれを金銭的に支援するというものではないだろう、ってことですね。

The TimesにはUlla Grayさんという65才になるおばあちゃんのハナシが出ております。彼女は自宅近くの病院でパートをやっているのですが、18ヶ月と3才になる孫がおり、母親が働きに出ているので、パートの仕事を抜け出して孫の面倒を見ている。彼女は「孫の世話をすることが金銭的に認れられていないのはフェアでない」と言いながらも、

  • もし政府がお金を支給するってことになると、おじいちゃん、おばあちゃんのことを事細かく調べたりするし、自宅まで来て嗅ぎまわるってことになるわよね。ということだと、危険な方向に踏み出すってことになる可能性もあるのよね。I suppose the danger is that if the Government agrees to pay they’ll want to start vetting grandparents and coming round to their houses and seeing what’s going on. It could be a dangerous path to start going down if that is where it leads.

というわけで、政府からの手当てを受けることに伴うややこしい書類提出と政府によるプライバシーへの干渉には警戒心を持っているようであります。これはかなり英国人らしい。

▼私の知り合いの英国人で、私(67才・孫なし)よりも3〜4才若いけれど孫がいる人がおります。彼にこの記事についてどう思うかを聞いてみたところ、まずはAbsolutely we should be paid for being grandparents!(当然払ってもらいたい!)と言っておきながら「昔は親やじいちゃん、ばあちゃんが子供の世話をするのが当たり前だった。多分、日本ではいまでもそうなのでは?でも今では、何でもタダではやらないという風潮だからな・・・」という意味の嘆き節も伝えてくれました。心境複雑ってわけですね。

▼Grandparents Plusの要求についてのポイントは、保育園のような施設の充実に税金を使うのか、おじいちゃん、おばあちゃん個々に支給するのかってことですよね。北欧的な福祉国家という考え方からすると「施設の充実」が主体だと思うけれど、ファミリー重視という伝統的な考え方からするとあえて税金を使うすればGrandparents Plusの考え方になるのかもしれない。福祉国家かファミリー重視か?これ、如何にも現代の英国のジレンマらしいと思います。

▼で、北欧ではどうなっているのかが気になって、フィンランドの友人にTimesの記事を見せたところ「フィンランドではこのようなことは話題にもならないだろう」とのことであります。何故かというと、それぞれの地方自治体が子供たちのためのデイケア・センターのようなものを用意することが義務であり、おじいちゃんだのおばあちゃんだのの出番は基本的にはないのだそうです。

▼フィンランドの最近の問題は、都市部への人口集中のお陰で都会の幼稚園や保育園に入るのがタイヘンであるということ。仕方がないので、隣町の保育園へ子供を預けに行く親が多くなっているとのことです。

▼もちろん子供が病気になったなどの緊急の場合に祖父母が助けることはあるけれど、12才以下の子供が病気になった場合、両親は、医者の診断書なしで最高4日間の休暇をとることができるということが法律で決まっているのだそうです。

3)ダダをこねる子供(北朝鮮)は無視するのがイチバン?


北朝鮮によるミサイル発射について、4月5日付けのThe Economist(電子版)は、「金正日政権が子供なのだとしたら、極度の注目願望型障害にかかっている子供ということができる」(If it were a child, then North Korea’s hardline regime under Kim Jong Il would be described as suffering from an extreme attention-seeking disorder)というわけで、日本、韓国、アメリカなどがこれだけ大騒ぎしてくれたのだから、北朝鮮からすると発射は成功ということになるだろうと言っています。中でも日本は、イチバン大騒ぎ(huffed and puffed the most)をした国とされています。

また日本は、自国の領域内に侵入した場合はこれを打ち落とすと言っていたけれど、テポドン2は未だ正確とは程遠いものであり(far from accurate)、日本や韓国はむしろ北朝鮮が数多く有する中近距離ミサイルについて心配したほうがいい。さらに日本が迎撃したらこれを戦争行為(act of war)とみなす、と北朝鮮は主張していたけれど、北朝鮮政府の公式なレトリックによれば、日本は(北朝鮮を)再支配しようとしている国なのだ・・・とThe Economistは言っています。

冷静に考えれば、結局6カ国協議を再開することが重要なことなのだ(Calmer voices will now urge all sides to restart the six-party process)というわけで、

  • 今に始まったことではないけれど、新たなる挑発行為のあと北朝鮮と付き合うことは、多くの国にとって腹立たしいものになるであろう。が、どうにもならないことにダダをこねて拳を振り上げる子供と付き合うためには、たまには無関心でいることが最善の対応ということもある。Not for the first time, engaging with North Korea after yet another of its provocations will now stick in the craw for many. Yet as with a child throwing hissy-fits, sometimes indifference is the best response.

というのが、The Economistの結論です。

▼今回のことについて、瀬田隆一郎という人が「北朝鮮"ミサイル"発射、問題のありかをさぐる」という記事を、田中秀郎という人が「ミサイル誤報で分かった"分"単位での脅威」という記事を、ネット新聞JANJANに載せています。彼らの記事もさることながら、それに対する読者からの反応も大いに参考になります。

▼The Economistは、日本の反応をhuffed and puffedという言葉で表現しています。この表現は「キャンキャン大騒ぎをして不満を表現する(けれどどうにもならない)」という意味なのですね。ネット辞書に書いてあった。例文として"They huffed and puffed about the price, but eventually they paid up."というのがあった。「値段が高すぎると大騒ぎをした挙句、結局払った」ということです。

▼The Economistの記事をお読みになりたい方はお知らせを。


4)アメリカ社会の変化を告げるブログメディア

アメリカの世論調査機関であるPew Researchの3月20日付けのサイトに「宗教・新聞・米国式ライフスタイルの終焉」(An End to Religion, Newspapers and the American Way of Life)という記事が出ています。これはアメリカ国内のブログや市民メディアのようなネット社会で、いま話題になっている事柄について調査した結果を報告しているもので、主要新聞やテレビのような「従来メディア」(traditional media)を見ているだけでは見えてこないかもしれない「アメリカ社会のいま」を知るために面白い記事なのではないかと思います。この調査は3月9日(月)〜13日(金)に期間を区切ってブログ・モニターを行ったものです。

まず「宗教」ですが、ブロガーたちが話題にしているのは、USA Today紙に掲載されたAmerican Religious Identification Survey(アメリカ人の宗教帰属意識調査)というもので、この調査によると「1990年以来、どの(キリスト教の)宗派も基盤を失っている(almost all religious denominations had lost ground since 1990)」のだそうです。1990年の時点では「どの宗派にも属さない」という人はわずか8%であったのに、約20年後のいまこれが15%にまで増えている。

こうした傾向を肯定的にとらえているブロガーもいるし、嘆かわしいという人もいるのですが、ブロガーたちの間では「宗教」が主なる議論のポイントになっているということ自体が注目に値する、とPew Researchは言っている。モニター期間中に「宗教」を話題にしたブログや市民メディアが全体の30%を占めていたのに対して、新聞などの主要メディアでは殆ど取り上げられていないのだそうで、ネットメディアと従来メディアの間の意識のギャップが注目される、というわけです。

次に経済危機に関連して「米国式ライフスタイル」。ネットジャーナリストが最も話題にしたのが、New York Timesのコラムニスト、Thomas Friedmanが書いたThe Inflection Is Near? というコラム(3月8日付けのサイトに掲載)だったのだそうです。「我々アメリカ人が作り上げた生活水準向上のやり方は、とても子供たちの代まで引き継がせることができるようなものではない(We created a way of raising standards of living that we can't possibly pass on to our children)」ということを主張するものだった。

「経済危機から立ち直った後でも、昔の贅沢三昧の生活をめざすべきではない」というのがFriedmanのメッセージなのですが、このコラムにはブロガーの多くが賛成しているようで、例えば

  • この危機に対して責任を負うべきなのは、汚い銀行家や自信過剰のウォール街の手品師や鈍感な政治家ではない。責任は我々中流アメリカ人の消費欲と豊かさへの欲求にあるのだ。It wasn't corrupt bankers, overconfident Wall Street wizards, or oblivious politicians at all that is responsible for the crisis. It was Us! Middle-class Americans, with their consumerism and desire for prosperity ...

と主張するブロガーもいる、とPew Researchは紹介しています。

次に「新聞」です。ブロガーたちが取り上げたのは、3月11日付けのNew York Timesの記事で、シアトルの日刊紙、The Seattle Post-Intelligencerのプリント版が廃刊に追い込まれたと伝えるとともに、他の都市の新聞も苦戦していると伝えています。また雑誌のTIMEが掲載した「あぶない新聞10紙」(10 major newspapers most in danger of folding in the near future)のリストにもブロガーたちの関心が集まっている。

Pew Researchは、

  • 一般的に言って、ネットメディアの間では、新聞の衰退は悪いこととしては捉えられていない。むしろオンライン・ニュースメディアがさらに発展するチャンスになると考えられている。In general, most voices seem to suggest that the decline of the newspaper was not a bad thing, but an opportunity for online news to develop further.

と解説して、Sarah Strohmeyerという元新聞記者のブロガーによる次のような意見を紹介しています。

  • 彼ら(新聞)の時代が終わったということははっきりしている。しかしジャーナリズムが死んだというわけではない。むしろ今まで以上にジャーナリズムは生きているといえる。私自身、これまで以上に地元紙のネット版を気をつけて読むようになっている。ニュース速報だけではなく、地元コミュニティの意見もじっくりチェックしている。I know their time has come to an end ... But that's not to say journalism is dead. In fact, I would argue it's more alive than ever. I read ‘more news' now than I ever have, repeatedly checking my local newspaper's online edition not only for breaking stories, but also for reaction from the community.

Pew Researchは、別のブロガーの「ジャーナリズムとしての尊厳と中身の質さえ保てれば、ディジタル・ニュースサイトは単に生き残るだけでなく、新たな読者層の構築のための絶好の機会を持つことにもなる(As long as the journalistic integrity and quality of content remains, these new all-digital news sites will not only survive, but hold a much better chance of building new audiences)」という意見も紹介しています。「そうすれば広告主もついてくるだろう」と言っています。

▼Pew Researchの記事をまとめると、いまのアメリカのブログ社会では「教会と新聞の影響力が低下するとともに、これまでアメリカ人がよしとしてきたライフスタイルに対する懐疑の気持ちが出てきている」ということになる。このうち教会についていうと、オバマ大統領が就任演説の中に"We are a nation of Christians and Muslims, Jews and Hindus, and non-believers"という部分がありましたね。non-believers(非宗教的な人々)に市民権が与えられたという風にとることもできます。

▼いずれにしても「」(教会)・「モノ」(ライフスタイル)・「」(新聞)の三つの分野で、これまで支配的であったものが表舞台から姿を消していく兆しが見えるということですね。尤もこれはブログの社会の話です。それがどの程度ブログ外の世界に影響を与えるものなのかは、私にはよく分からないけれど、オバマさんの大統領選挙で活躍したのが「ネット世代」であることを考えると、ブロガーたちがそれなりに社会的な影響を与えるようなシステムが確立しているのかもしれない。オバマさんの政策に影響を与えるような人たちがブログでやりとりしていることは容易に察しがつきますね。

▼ただPew Researchの記事に見る限り、ブロガーたちのディスカッションにインスピレーションを与えているのが、USA TodayNew York TimesTIMEのような従来メディアのジャーナリストであり、そこに掲載された記事であるということは注目しておくべきですね。ブロガーたちはいずれも紙媒体としての新聞や雑誌を読んで議論をしているのではなく、オンラインで読んでいるのですが、紙であれスクリーンであれ、それらの記事やコラムが、(おそらく)ブロガーたちよりも沢山の時間とお金をかけて取材した結果として掲載されたものであろうと、私などは想像するわけです。つまり従来メディアによって提起された問題がブロガーたちによってさらに深く議論されるという「共存」のような世界が出来上がっているということかもしれない。

▼だとすると、下の記事に紹介する『ブログ論壇の誕生』 という本で書かれている日本のメディア状況は、まことにお寒いということになりますね。

5)ブログ論壇のと誕生と世論形成

『ブログ論壇の誕生』(佐々木俊尚・文春新書)によると、2005年の郵政民営化選挙は、「団塊世代とロストジェネレーションの世代間対立が鮮明になった」選挙であったそうです。ロストジェネレーションというのは「1970年代に生まれ、就職氷河期を堪え忍び、格差社会にあえぎ、しかしインターネットを自由自在に操っている彼ら彼女ら」のことを言います。この選挙では2チャンネルというネットの世界で「小泉を支持しよう」という声が飛び交い、マスメディアが小泉さんを「ワンフレーズ政治」とバカにしたにもかかわらず、小泉・自民党が圧勝してしまった。佐々木さんによると、「マスメディア」は団塊世代の代表であり、この選挙は「マスメディアよりも、インターネット言論の方がリアルに強かったことを証明」した出来事であったというわけであります。

私(むささび)は、団塊世代よりもさらに前の世代に属するのでありますが、郵政選挙の小泉圧勝がネット世代のお陰であるというのは(恥ずかしながら)考えたことがありませんでした。同じ年にホリエモンのニッポン放送買収騒ぎがあって、ホリエモンは主要な新聞やテレビによる嘲笑や非難の対象になっていたけれど、インターネットのブログの世界では弁護士だの公認会計士だのという企業の買収のプロたちが新聞による「ライブドア報道の誤謬を検証」したりしていたのだそうです。これも知らんかった。

『ブログ論壇の誕生』は読んで字の如く、新聞・雑誌・テレビのような従来型のメディアではなく、インターネットという世界において「論壇」が形成されており、古い言論を支配していた団塊の世代と激しく対立しこれを乗り越えようとしている現状を解説しています。

著者は「論壇」なるものの形成の歴史から説き起こしています。論壇的なものの起源は17〜18世紀の英国のコーヒーハウスやフランスのカフェ社会などにある。その特徴はというと、「参加者の社会的な地位は度外視」「議論にタブーを設けない」「誰もが自由に討論に参加できる」ということにあった。ただ、それらの「論壇」は「誰もが討論をする能力を持っている」ことを前提に成立していた、いわばエリートたちの集まりであった。それが大衆社会になって、必ずしも討論能力などを持たない大衆が世論を形成するようになると、この種の論壇は衰退する。そして・・・

  • 世論形成のプロセスはコーヒーハウスから失われ、知識人によって構成されるアカデミズムの分野と、大衆の世論を集約する機能を持ったマスメディアの分野へと二分され、この二分された圏域はきちんと融合されることなく、20世紀の終わりに教養の喪失と社会の細分化が起きると、あっという間に分断されてしまう結果となったのだった。

    ▼別の言い方をすると、世論をリードする人たちが、専門バカといわれる大学教授のような「世間知らずグループ」と、ひたすら「世間の受け」だけをねらう新聞・雑誌・テレビの世界の人たちという、極端に違うグループの人たちに分かれてしまったということですよね。

佐々木さんによると、ブログによる論壇は、アカデミズムとマスメディアに分断された世論形成の場を「ふたたびひっくり返して底からかき混ぜてしまう」可能性を秘めているのだそうです。面白いのは、このネット論壇というものが「社会的地位の度外視」「タブーなき言論」「参加のオープン性」の3点で、17世紀〜18世紀の西欧にあったコーヒーハウスとかカフェの世界と性質が全く同じものであるということです。

この本には「ブログは新聞を凌駕するか」という章があるのですが、その中で、「既存のマスコミが絶対に理解できない、かつ生理的にも受け付けられない」ブログの世界の特徴として「編集権を読者に委ねている」ということがあるのだそうです。つまり何かの出来事があった場合、既存メディアの人たちはそのニュース価値を決めるのは自分たちだと思い込んでいる。それがどの程度大切な出来事なのか、何故そうなのかはマスメディアが判断するのであって、読者や視聴者ではない・・・というわけで「マスコミはブログやSNSなど受け手の側が発信、編集するというのは生理的にも受け入れられない」とのことであります。

元新聞記者である佐々木さんによると、これまでの新聞社は数多くの専門記者を擁し、記者クラブ制度を利用して権力の内部に入り込むことで「一次情報を得る」ことでは卓越した力を発揮してきたけれど、それらの情報をもとにして組み立てる「論考・分析」に関しては、「旧来の価値観に基づいたステレオタイプな切り口の域を出ていない」とのことであります。具体的な例としては、

  • ライブドア事件に対しては「マネーゲームに狂奔するヒルズ族」ととらえ、格差社会に対しては「額に汗して働く者が報われなければならない」と訴えるような牧歌的な世界観

を挙げている。このような切り口は、「若いブロガーたちから見れば失笑の対象以外の何物でもない」とのことであり、ブロガーたちは、新聞社の記者のような取材力はないけれど、論考・分析の能力は極めて高く、論考・分析という点から見ると(日本では)いまや「ブログが新聞を凌駕している」とのことであります。

▼「一次情報を得る」というのは、例えば検事の自宅に夜中に出かけて行って、何かの情報を入手するとかいうことです。これはいわゆる「記者クラブ」に入っていない、ブログ記者のような人にはできない。検事さんが相手にしてくれない。朝日新聞とか毎日新聞とかいうような名の通った新聞社の記者だけがそのような特権を有しているわけでありますね。

▼佐々木さんによると、既存メディアの記者たちは、事実に関する情報を集めることには優れているけれど、「論考・分析」の点で弱いのだそうです。このようなことは他の現役ジャーナリストからも聞いたことがある。事実の収集という意味でのジャーナリズムは素晴らしいけれど、分析とか意見ということになるとダメなのが、日本のメディアであるとのことです。それは何故なのでしょうか?

『ブログ論壇の誕生』は、既存のメディアの側が「ネット論壇に対する理解を深め、対等に渡り合う枠組みを作り直す」ことが必要であり、そこからマスメディアとブログ論壇が補完しあう「新たな言論の世界」が始まる・・・という文章で終わっています。なおこの本の末尾に、著者お勧めの「著名ブロガー」によるブログ・リストが掲載されています。

anti-monosの新メディア論
earthhopper
Chikirin
の日記
esaka takeru's memo

などなど。まだまだわんさとあります。私自身はこれまで読んだことがない。存在すら知らなかった。


▼『ブログ論壇の誕生』には、私などが全く知らないインターネットの世界のことが書かれています。はっきり言って、あえて知りたいとも思わない世界もある。ネットを通じて見ず知らずの人たちがお友だちになるなんてのは気持ち悪い。ただ、主要メディアの世界が余りにも「ありきたり」(ステレオタイプ)に甘んじているという佐々木俊尚さんの指摘は、その通りだとしか言いようがない。少しは「常識を疑う」ということをしてみてもいいのでは?ということです。「ホリエモンや村上ファンド=金の亡者で日本を滅ぼす」「アメリカ的資本主義が世界をダメにした」「小沢は金権政治の生き残り」・・・例を挙げればきりがない。いろいろな新聞やテレビがあるだろうに、どれも同じことを言っている。飽きられるのが当たり前ですよね。

▼日本のみならず世界中の新聞という紙メディアが滅亡するしかない道を歩んでいるように見える。新聞には、テレビのような現場感はないし、ネットのような速報性・情報量もない。極めて限られた量の情報しか掲載できず、しかも駅などで購入するか自宅へ届けてもらわないと読むこともできない。これでは滅亡しても仕方がないのかもしれない。 でも滅亡させしまってもいいのですかね?

▼ひょっとすると、新聞の性格である(情報伝達の)「遅さ」と(スペースの)「狭さ」が却って強みになるってこともあるのではないか?ネットの世界は余りにもいろいろな機能やサービスが出回り、余りにも多くの情報が、余りにも短時間で飛び交いすぎていて、何がどうなっているのか分からないうちに「情報過食症」に陥ってしまうような気もする。テレビは基本的に視覚の世界です。そこへ行くと新聞の世界は(佐々木さんの言葉を使うと)実に「牧歌的」ですよね。人間的とも言える。「ゆっくり・じっくりディスカッションをしよう」という人には向いている、と私などは思うわけです。尤もそのためには、新聞の世界がフェアかつオープンであり、世の常識を疑うという態度に満ちていることが前提にはなるのでしょうが・・・。

5)どうでも英和辞書
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answer-phone:留守電

英国のある政府関係のウェブサイトに、これから英国へ来て生活する人のためのアドバイスというコーナーがあって、answer-phoneに残すべきメッセージ(「ただいま留守にしております・・・」という、あれ)についてダメな例として、I am not available to take the phone right now. Please leave your message...というのがありました。では望ましい例はというとNo one is available...(以下同じ)というものだった。違いは「留守にしております」という部分をI am not availableとやるのか、No one is availableにするのかということですね。何故I am not availableがダメかというと、電話をかけてきた相手に、「一人暮らし」であるということを宣伝することになり、これが犯罪に繋がる可能性がある、ということであります。

なりほどね。No oneにすれば、その家に何人いるのか分からないもんな。そこへ行くと主語なしの日本語は便利ですね。「ただいま留守にしております・・・」と言っても誰が留守にしているのかが分からない。もちろん何人なんて分かりっこない。

economical:経済的

英単語のハナシとなるとSir Ernest Gowersという人が書いたThe Complete Plain Wordsという本(Pelicanのペーパーバック)が古典ですね。その本によると、英国人でさえもeconomicaleconomicを混同して使う人がいるのだそうです。economicalというのは価格などがお手ごろとか「安あがり」などという意味ですね。economical carとかeconomical airticketとか。economicは「経済上の」というわけで、経済危機はeconomic crisisとは言うけれどeconomical crisis(安上がりの危機)とは言わない。

同じように(英国人が)間違えるのがhistorichistoricalなんだそうですね。Sir Ernestが挙げる例文は、

For historic reasons the bulk of new town residents are tenannts.(歴史的な理由によって、ニュータウンの住民には借家人が多い)

このhistoricはもちろん間違い。historicは「歴史に残る」とか「画期的な」とか言う意味であり、historicalは、「歴史的な」とか「これまでの」とか言う意味。「歴史的な理由」は"historical reasons"が正解。つまりこのニュータウンには、昔から住宅を所有するような金持ちがいないってことなのでしょうね。この本の最後の版が出たのが1972年。当時の英国では国民の大多数が借家住まいだった。

war:戦争

warについては、いろいろな人がいろいろ言っておりますね。

19世紀のアメリカの批評家、Ambrose Birceという人によると

War is God's way of teaching Americans geography(戦争とは、アメリカ人に地理を教えるべく神様が用意したものである)

なのだそうであります。 戦争でもやらないと、アメリカ人は外国のことなど分かりっこないってことですね。これ、21世紀でも通じる皮肉かもしれない。少なくとも20世紀には通じておりました。ベトナムなんて国、アメリカ人は知らなかったはずですからね。

The world began with war and will end with war.

これはアラブの諺なのだそうであります。「この世は戦争によって始まったのであり、戦争を以て終わるであろう」というわけです。荒っぽいな、どうも。

やはりアルバート・アインシュタインの次のコメントがイチバンでしょう。

I don't know what weapons World War Three will be fought with, but World War Four will be fought with sticks and stones.(第三次世界戦争においてどのような武器が使われるのか、私は知らない。が、第四次世界戦争は棒切れと石を武器にして戦われるだろう)

 

6)むささびの鳴き声


▼TBSラジオの視聴者参加ディスカッション番組「アクセス」(月曜日夜10時〜12時)のことはちょっとだけお話しましたよね。私、この番組気に入っておりまして、殆ど毎晩10時になるとベッドに入って聴いています。一昨日(4月10日)の話題は、北朝鮮の「ミサイル発射」に関連して国連安保理における決議に関するものでした。設問は

北朝鮮のミサイル問題。安保理では決議より格下の議長声明で決着の流れ強まる。日本はあくまで"決議"にこだわるべき?

というものであったのですが、アンケート結果は

「こだわるべし:71人」
「そうは思わない:113人」
「どちらでもない:59人」

ということだった。つまり、ちょっと格下の「議長声明」でもいいのではないかという意見がイチバン多かったということですね。

▼これ、私は極めて健全な傾向であると思うのですが、このアンケート結果を見ると、今回本文中で紹介した『ブログ論壇の誕生』で言われているように、私などが思ってもみない部分で世論形成が行われているのかも知れないと考えてしまう。新聞とかテレビと違って、こちらが探しに行かない限り眼に見えない世界ですね。

▼ミサイル発射前のあのテレビや新聞の余りにもひどい報道ぶり(いまにも北朝鮮のミサイルが日本のどこかに落下して火の海になるかもしれないというニュアンス)にもかかわらず、人々は案外冷静であるわけです。国連でのことについて、マスメディアはいつもの調子で「日本の外交がダメだからこうなる!」と吼え立てるのでしょうが、人々は、メディアによる「官僚・政治家が悪いから日本は沈没だ!!!!!!」というヒステリーには乗らなくなっているということであります。

▼ぜんぜんハナシは変わるけれど、英国の保守派のオピニオン・マガジン、The Spectatorによると、ロンドンにある駐英アメリカ大使館が、市内における駐車違反などの交通規則違反でロンドン交通局に払っていない罰金は総額300万ポンド(約4億5000万円)だそうです。ロシア大使館は180万ポンド、日本大使館は177万ポンドなのだとか。Hugo Rifkindという人が、アメリカのオバマ大統領がロンドンで開かれたG20サミットに出席するために、巨大なキャデラックと付き人500人も連れてきたことへの皮肉として書かれたエッセイの中で「告発」しております。自動車のビッグ・スリーの社長さんたちが議会での公聴会に出席するのに、自家用ジェットで飛んできたことが大いに批判されたわけですが、「オバマもあまり威張れたものではない」と言っている。

▼罰金を払わないということでは、日本人もロシア人も褒められたものではないけれど、「少なくとも彼らは巨大なクルマを持ってきて、ロンドンを交通マヒに陥れるということはしない」(at least they don't simultaneously make a big show of shutting down our entire city with big specially imported Cadillacs)とのことであります。Rifkindさんによると、アメリカ大使館はロンドンの渋滞税さえも払っていないのだそうです。

▼160回目の今回も長々とお付き合いをいただき有難うございました。



letter to musasabi journal