第13号 2003年8月10日
home backnumbers むささびの鳴き声 美耶子のコラム
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1)イングリッシュオークの周辺・その3:北海道・余市町
2)面倒な質問には絶対に答えないための記者会見!?
3)自衛隊のイラク派遣についての見方
4)むささびM<ボランティアが教える日本語>
5)むささびJの受け売りフィンランド:多文化主義への脱皮が望まれる国
6)編集後記
1. イングリッシュオークの周辺・その3:北海道・余市町「スコットランドのあの女性は何を考えていたのか?」

北海道余市町というところはウィスキーのお陰でPR的にはずいぶん得をしていますね。何十年も前、テレビのコマーシャルで雪がしんしんと降る町を馬車が通る風景を何度見たことか。そのモノクロ風の画像には下に必ず余市の文字が入っていたのを鮮明に覚えています。最近も地下鉄の広告に余市町のウィスキー工場の写真がでています。私は行ったことはありませんし、正直言うと北海道のどこにあるのか最近まで知りませんでした。北海道の地図を見ると札幌の左の方で日本海に面した積丹半島の付け根のところにあります。 人口は約23,000.

日英グリーン同盟に参加してイングリッシュオークを植えた理由は、この町がスコットランドにあるイースト・ダンバートンシャーという町と姉妹都市関係を結んでいることにありますが、何故スコットランドのこの町と友情関係を結んでいるのかというと、ウィスキーの話がからんできます。ニッカウヰスキーは竹鶴政孝という人が創ったのですが、創設者の妻、リタの生まれ故郷がイースト・ダンバートンシャーであるそうです。

リタとの出会い
明治27年(1894年)に広島の作り酒屋の三男に生まれた竹鶴は大阪高等工業(現在の阪大)の醸造科(そんなコースがあったんですね)に進んだことが、洋酒の世界に入り込むきっかけとなった。世の中には「凝り性」という人がいます。英語で言うとエキセントリック。思い込んだらもうたまらない、他人が何と言おうとやってしまう。竹鶴政孝という人もエキセントリックの見本のような性格であったらしく、学校卒業後に摂津酒造という洋酒メーカーに「押しかけ就職」。そこでウィスキーの勉強のためにスコットランドへ留学するという幸運を得た。大体、何事にも思い込んでやっていると思わぬ幸運が舞い込んだりするものですよね。

その留学先で出会ったのがリタという女性。1920年にスコットランドで結婚した。ウイスキー博物館の資料を読むと二人は「周囲の反対に合いながら」結婚したのですが、立ち会ったのはリタの妹と幼友達の二人だけであったとされています。この場合の「周囲」というのはリタの家族のことなのでしょうが、何故反対したのでしょうか?多分その頃のスコットランドでは娘が東洋人と一緒になるなんてとんでもないことだったのでしょうね。でもリタという女性が周囲に反対されながらも竹鶴との結婚を押し通したのは何故だったんでありましょう?竹鶴という人がよほど気に入ったんでしょうか!?

なぜ余市だったのか?
竹鶴が余市町に「自分の理想とするウィスキーを作るために」工場を作ったのが結婚14年目の1934年。なぜ余市を選んだのかというと「余市川の清冽な水、澄んだ空気、夏でも気温があがらない」という気象条件に加えて、近くにはウィスキー造りには欠かせないビート(草木が堆積して出来る泥炭)もあるということがあったそうです。竹鶴がモルトウィスキーの製造を始めたのが1936年、念願の第1号ウィスキーを発売したのは4年後の1940年でした。1940年といえば太平洋戦争が始まる前年です。その頃奥さんのリタは余市にいたのでしょうか?竹鶴が死去したのは1979年。リタはどこで、いつ亡くなったのでしょうか?

資料によると二人の墓が余市の「小高い丘の上」にあるとなっているのだから、リタも最後まで竹鶴と一緒に余市で過ごしたということなのでしょうか?だとしたら戦争中はさぞや大変だったはずです。戦後60年、リタもまさか自分の国から運ばれてきたオークの木が、しかも自分の生まれ故郷との姉妹都市関係を記念して余市に植えられることになろうとは思ってもいなかったことでしょう。余市にはベニバナトチノキの並木があるようですが、これはハクモクレンなどとともに、リタが生前愛した花木のひとつといわれています。

観光スポットとしてダントツの人気
余市町に日英グリーン同盟のオークが植えられたのは昨年9月のことと記憶しています。大阪の英国総領事と夫人が参加したのですが、彼らが最も感激したのは海の彼方、水平線に沈む太陽の様子でありました。このあたりはニセコ積丹小樽海岸国定公園に指定されています。余市には海岸以外にもいろいろと観光スポットがあります。この町出身の宇宙飛行士・毛利衛氏を記念した「余市宇宙記念館(スペース童夢)」、果樹園、釣りが盛んな余市川等など。3年前の数字ですが、余市を訪れた観光客の数は101万人。

で、どの観光スポットが一番人気があったのかというと、竹鶴さんのウィスキー工場で、24万人強が訪れています。宇宙記念館の倍以上、ドライブ客がふらっと寄るであろう「道の駅」でさえも13万人なのですからウィスキーには遠く及ばない。 観光は余市にとって極めて大切な産業ですが、町役場が発行している広報誌が住民に対して「余市にまつわる物語性のある話」や「余市の隠れた観光スポット」などの情報提供を呼びかけています。これ、面白いやり方ですね。こういうものは結局、皆が創造していくものなんですからね。

オークと写真を撮ろう!
ちなみに日英グリーン同盟のオークが植わっているのは余市宇宙記念館横の緑地広場。JR余市駅から徒歩5分。駅前を起点に国道229号線を西へ伸びるレンガの歩道、「リタロード」を行くと、ニッカウヰスキー、消防署ときて、次に余市宇宙記念館があります。車なら、記念館に併設している道の駅を利用できます。皆様も余市へおいでの際は是非このオークと記念写真でも撮ってあげてください。竹鶴さんやリタも喜ぶのだ。これから400年もすれば大きくなってウィスキーの樽に使われたりしているかもしれません。

余談ですが余市から送って貰った写真を見ると、この町の消防署は中世のお城風というか、ちょっと洒落たレストラン風というか…シャッターが下りていると、この中からあの消防自動車が飛び出してくる所とはとても思えません。



2. 面倒な質問には絶対に答えないための記者会見!?

7月30日にロンドンの首相官邸でブレア首相の記者会見がありました。私は一部だけBBCのワールドサービスで見ました。

この会見には官邸とメディアの両者が全く違う意図で臨んでいました。首相は自らの政府(労働党政権としては英国史上最長)が国民のために行った業績を伝えたいと思った。記者たちの関心はといと「イラク戦争の正当性」「デイビッド・ケリー(大量破壊兵器の専門家・むささびジャーナル12号参照)の自殺」以外には殆ど何もなし。それを反映して先ずは「業績説明」が延々と続き、その後の質疑応答は「イラク」と「ケリー」ばかりでした。

記者:What changes you think you need to make to restore trust with the voters?(いろいろと政府の業績を説明してくれたが)あなたは国民の信頼を著しく失った。これをどう取り戻すつもりか?)

首相:I accept that there is an issue that we have to confront and I think there are two aspects to it…(我々が直面しなければならない問題があることは認める。それには二つの側面がある…としてあとは「イラク戦争は正しかった」「国民は景気・福祉などのことにイチバン関心ある」ということを延々と説明)

記者:Prime Minister, according to the opinion polls, two-thirds of this country now regard you and your government as dishonest, and according to those same opinion polls they believe the BBC much more than they believe you. (国民はあなたよりもBBCを信用している…と聞いたあと、ケリー氏の自殺の責任について質問)

首相:ケリー氏の自殺については調査委員会の調査に任せようと答えたあと、「しかし国民は景気・福祉・教育などのことに集中することを望んでいる…」として、またまた延々と「業績」を語る。

記者:Will there come a point if weapons of mass destruction aren't found, where you would feel you would have to resign, because advertently or misadvertently you had misled the country?(イラクで大量破壊兵器が見つからなかったら、あなたは辞任するのか?)

首相:イラク調査グループという組織が調査中だ。彼らの調査結果に待ちたい…

記者:But nothing has been found. (何も見つかっていないではないか)

首相:Hang on a minute, they haven't reported yet. (まあ待って。未だ報告がないというだけだ)

記者:Well, have they found something? (で、何か見つけたんですか?)

首相:「とにかく彼らの調査を待つ」という答えに終始。

記者:(ちょっと苛立ち気味に?) People expect an answer.

首相:I appreciate that. (それは分かります…)

記者:OK now, speak, give us the answer. (答えてください!と殆ど命令口調)

首相:I can only give you an answer if you will allow me to give one.と恰も何かを知っているかのような発言の後、調査結果を待ってから…というコメントの繰り返し。

ざっとこんな感じであったのですが、この会見に出席したBBCの政治記者のコメントは辛らつでした。まず政府の業績説明の部分についてのコメントは次のとおり:

it was about as enjoyable as being forced to sit through the neighbours' slide show of their holiday snaps - here's one of us on the beach, here's one of us on the beach with the dog and here's one of the tide coming in. 「お隣さんのお宅で、彼らの休暇が如何に楽しかったかを示す写真を延々と見せられるのと同じくらい楽しいものだった」(つまり面白くも何ともなかったということ)。

で、結論はというと "This was a press conference by someone determined not to answer any difficult questions…"。この会見は面倒な質問には一切答えまいと心に決めた人物による会見であったことは間違いない、というわけです。きついこと言いますね。

3. 自衛隊のイラク派遣についての見方


8月1日付けのThe Economistが日本の自衛隊がイラクへ派遣されることについての論説を掲載しています。書き出しは"Japan is starting to take its security responsibilities seriously. High time too"(日本が自らの安全保障上の責任をマジメに負い始めている。そうすべき時でもある)。 記事はまず自衛隊の現状についてやや冗談めいた解説をしています。

日本の憲法は軍隊(army)を持つことを禁じているが、24万人の武装した男たち(men under arms)はいる。
彼らは兵隊(soldiers)ではなく"自衛戦力の構成員"(members of "self-defence forces)なのだ。
日本は戦車(tank)を持たず、これに非常によく似た"特殊車両"(specialty vehicles)がある。
爆撃機(bombers)は持っていないが、爆弾を積んで飛ぶ"支援戦闘機"(support fighters)はある。
という具合です。

The Economistは「これが戦後ほぼ60年経った日本の安全保障政策の奇妙な世界なのだ」(This is the strange world of Japanese security policy, almost 60 years after the end of the second world war)として、「世界に占める立場からするならば、日本は(安全保障について)より大きな負担を負う(shoulder a bigger burden)べきであり、それもこれまで以上にストレートな形で追うべきである」と主張しています。

日本が安保の面でより大きな役割を負うことについて、アジアの隣国(特に中国)は快く思っていない部分はある。しかし中国でも指導層の若返りで事情は変わりつつある。北朝鮮からの核の脅しによってかつては平和主義に凝り固まっていた(committed to pacifism)日本人の間でも意見が変わりつつある。多くの日本人が安全保障政策の変更には憲法の改訂が必要であると感じてはいる。

「しかし戦後60年も経っているのだ。(憲法)改訂は怖れるようなものでもないだろう」(But a revision, 60 years on, is nothing to fear)というのがこの雑誌の結論です。 最後のa revision is nothing to fearという部分ですが、「誰が」日本の憲法改訂を怖れる必要はないと言っているのだろうと私は一瞬迷いました。これは多分、日本人とその隣人たち(あるいは世界中)の両方のことを言っているのだろうと私なりに結論付けました。あえてto fearの前にfor Japanese peopleとかAsian neighboursとかの主語は入れなかったのでしょう。

4. むささびM<ボランティアが教える日本語>


「うれしい」と「たのしい」はどう違うかなど、考えても見なかったが、ある日本語教師用の本に次のように書いてあったのを読んで、実際に日本語を学んでいる外国人にこんな説明が必要だろうか…と思った。これはむしろ日本語学者による日本語の無用な捏ね繰り回しではないかと。{試験がありました-a合格しました-aうれしいです}これが「嬉しい」という意味を外国人に教える方法だというのである。

自分の努力や希望が叶えられた時に使うことばが「嬉しい」で、居心地が良くてその場を去りがたいとかこの状態がもっと続いてほしいと思う時に使うことばが「楽しい」なのだと、その教科書に書いてあった。なにやら広辞苑を読んでいるみたいだ。「うれしい」とか「たのしい」とかの感情はどの国の人でも持っている人間に共通なものであるのに、上のような説明をするように言われると、「相手は異星人じゃあるまいし、、、」と思ってしまう。

「直接法」(媒介語を使わずに目標言語で教える方法)が、今の日本語教授法の主流なのであるが、これはまさに前回取り上げた日本人の「ネイティブ信仰」の逆バージョンで、日本人のヘンなこだわりに過ぎないような気がする。

一クラスに何十人もいるような町の「日本語学校」なら、いろんな国の人がいて、学習者のそれぞれの母国語で一人の教師が説明することは不可能であることは分かる。が、地方のコミュニティで日本語を教えるボランティアなら、むしろ自分が少しでも出来る外国語があれば、それを生かしてその国語を話す外国人にその国の言葉で説明しながら、目標言語である日本語を教えることは、両者にとってプラスになると思うし、かえってボランティアならではの良さとも言えるのではないだろうか。

昨今、日本語指導熱(?)が上がり、420時間を終了しているとか、検定を合格しているとかが、「鬼の首」のようになって来て、いわゆる「日本語を教える資格」を持っている人と持っていない人とを区別する流れが強くなって来た。こういう場合の通例で、有資格者の方が資格を持っていない方を締め出すという方程式で、検定試験も典型的な「落とす為の試験」である。何点以上は合格というやり方ではなく、受験者の成績の上位何%だけを合格にするというやり方だ。

基本的な能力を判断するのではなく、競走に勝てる能力を持つ者を優先させる姿勢だ。 いわゆるプロの日本語教師とボランティアで日本語を教える仕事とは、色々な意味でかなり違うものであるように思う。単に有償か無償かの違いだけではなく、学習者のニーズ(何の為に、どんな事を、どんなやり方で、どの程度、どんな学習環境で身に付けたいと望んでいるのか)を考えると、むしろボランティアの出番の方が多くなるとさえ言える。

外国人が全員文法に強くなって日本語能力試験を受けたいと思っている訳ではないのだ。このことを踏まえて今行われている「日本語教育能力検定試験」なるもので問われる内容を見ると、ボランティアの人に役に立つ基本的知識の確認を問う問題が出されているとは思えない。まるで、日本語教師養成学校で日本人に教える専門家か又は国語学者が受ける試験のような感じがして、「どうです?難しいでしょう?日本人だからといって簡単に日本語は教えられるものではないんですよ!」と言われているような気がしてくるのだ。

英語はネイティブならば専門家でなくともOKと考えているのに、日本語についてはやたらハードルを高くするというのはおかしいのではないか。 ハードルを低くしてしまえとまでは言えないがせめてこの際、日本語教師としてのハードルをプロ用とボランティア用の二通り設けても良いのではないかと思うのである。

ボランティア用の試験問題は、学習者がどんな質問をしてきてもいつでも理論武装出来ていることを要求する今のような問題ではなく、自分の知識の整理や教え方のノウハウを確認できる実践的なものにしてもらい、ボランティアはいつでも何回でもそれを受けて自己診断しながらボランティアとしての腕を磨いていけるような、そんなシステムを作るというのは、そう無理ではないのではないか。検定試験を実施している側の人達は、セミプロの良さをもう少し認識する広い視野を持つことは出来ないのだろうか。

5. むささびJの受け売りフィンランド:多文化主義への脱皮が望まれる国


かつてこのコラムでフィンランドという国にとって情報化先進国であることは、国としての存在の証明(アイデンティティ)のようなものであるということを言いました。これ、もちろん私が言っているのではなくて、あちらの大学の先生が言っていることです。教育水準は高いし、生産性も世界一だしということで、あたかも何の問題もない超優等生のように思えます。しかしこのような「優等生」にはそれなりのアキレス腱もあり、その一つに単一民族性がある、と以前に紹介したInformation Society and the Welfare Stateという本の著者が指摘しています。

少数民族意識 フィンランドはもともとフィンと呼ばれる民族から成っていたのが、スエーデンやロシアに支配を受ける中で自分たちが「少数民族」であることを強く意識するようになった。現在ではフィンが多数派民族であるにもかかわらず、彼らは相変わらず自分たちが少数派であるという考え方に固執している部分がある。ただ少数民族がほかの民族に対して閉鎖的である傾向は(フィンランド人には限らず)ある。

世論調査を見ると60%の人が「フィンランドで犯罪が起こるのは外国人のせいだ」と答えたりしている。さらに60%の人が「移民がフィンランド人の生活水準下げている」と答えています。「外国人がフィンランドに住むことでフィンランドの国際的な地位も高まる」と肯定的なのは45%だけ。 カリフォルニアとの対比 フィンランドの全人口に占める外国生まれの割合は2.5%(2000年の数字)だそうで、情報化の競争相手とも言えるアメリカのカリフォルニア州の場合、これが25%にもなる。

カリフォルニアは世界でも例外的ともいえる他民族社会なので、フィンランドと比較するのは酷なのですが、カリフォルニアのシリコンバレーで1990年代に生まれたIT企業のなんと30%がインド人・中国人によって創られたものであり「多文化社会」の強みが示されている(と著者は語っています)。

多文化主義が繁栄のカギ
尤もフィンランドの場合、外人排斥的な風土については以前に比べれば進歩はしている。1980年代半ばの時点における外国生まれの割合はたったの0・8%、外国人がフィンランドに入ってくることはフィンランドの将来にとっていいこと」と答えた人は全体のわずか19%であったのですから、それに比べれば進歩はしている。ただ著者に言わせると、特に情報産業においては優れた外国人が入ってくることが必要で、今の状態はまだまだ十分とはいえないそうです。

「フィンランドにとってチャレンジの一つは”多文化主義”というものが、文化的にも経済的にも豊かな国作りのために必要であることを認識し、開放的になることである」と言っています。

日本の将来は?
そう言えば昔(と言っても10-20年前のことですが)日本が経済的に繁栄していたときに言われたのが「日本は単一民族社会だから安定していて安全である」ということを当の日本人が言っていましたよね(外国人はもちろんですが)。あれから時代が変わって最近、池袋あたりを都知事が視察したということがニュースになっていました。

「外国人」による犯罪が多発していることが背景になっての「ご視察」であったそうですね。上に書いたフィンランドについては、筆者がフィンランド人で(つまり自分たちの悪い点はよくわかる)あり、なおかつ開放的なカリフォルニア大学の教授をしている。ということでフィンランドの「閉鎖性」というのは実際にはそれほどでもないのではないですかね?

6)編集後記

第13号、お読み頂きどうも有り難うございました。◆「イラク」や「デイビッド・ケリー問題」をめぐって厳しい立場にある(とされている)ブレア首相ですが、今回紹介した記者会見を聞いていても、質問する記者も答える(逃げる?)首相も必死の感じでした。ブレア首相については「口数ばかりが多くて実体がない」と批判するインテリも多い。しかし日本人である私などからすると、少なくとも言葉を使って戦っているのだけ立派だと思わざるを得ませんね。◆「それにひきかえ・・・」とついついグチが出てしまうのは、日本の首相がテレビで毎日のようにやる「立ち話」ですね。「やらないよりはマシ」とさえもいえるのでありましょうか?テレビでは大体30秒あるかないかで終わってしまいますが、あれ、本当はどのくらいやるんですか?5分?◆今回は報告しませんでしたけど、今の英国ではメディアと政府・政治家との関係について深刻な議論になっています。「メディアは安全なところにいながら無責任に相手を攻撃ばかりしている」「ブレア政権はマスコミを操ろうとしている・・・」などなど。◆これもつい「それにひきかえ・・・」と思ってしまうのが日本のマスコミと政治家の関係ですね。私などはマスコミの世界にはおらず新聞を読んだり、テレビを観たりする立場にいるのですが、日曜日の朝いろいろある政治討論的番組や新聞の政治欄を見ていて記者と政治家が非常に(異常に?)仲良しなのが気になって仕方ない。