musasabi journal
発行:春海二郎・美耶子
第101号 2007年1月7日

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あけましておめでとうございます。2007年最初のむささびジャーナルです。いつまで続くか分かりませんが、とりあえず今年もよろしくお付き合いください。

目次

1) 強硬論者、キッシンジャーの小心?
2)フセイン処刑でほっとした人たち
3)労働党が見失った世代
4)女性票はキャメロンに
5)安部さんの教育改革の方向違い
6)深刻化するアフリカの医師流出
7)短信
8)むささびの鳴き声

1) 強硬論者、キッシンジャーの小心?


前回(100号)のむささびジャーナルで、State of Denialという本の紹介をしました。ワシントン・ポストのBob Woodward記者の書いたもので、ブッシュとイラク戦争についての本でした。その中でブッシュ大統領がホワイトハウス外の人物で最も頻繁にアドバイスを仰いだのヘンリー・キッシンジャー氏であること、そしてキッシンジャー氏が、ベトナムでもアフガニスタンでもイラクでも「徹底的に相手を叩くべし」という意見であったことを紹介しました。

で、12月24日付けのワシントン・ポストのサイトに、同じBob Woodward記者がFord Disagreed With Bush About Invading Iraqという見出しの記事を書いています。最近亡くなったジェラルド・フォードと2004年7月に行った単独インタビューに基づく記事なのですが、見出しのとおり「元米国大統領も実はブッシュさんのイラク戦争には反対だった」と言っています。ただこの記事を読んでいて一番面白いと思ったのは、フォード大統領とキッシンジャー国務長官(当時)の関係について、元大統領が語った部分でありました。

ご存知かもしれませんが一応おさらいしておくと、ジェラルド・フォードは1974年8月9日から1977年1月20日まで大統領の職にありましたが、彼はニクソン大統領がウォーターゲイト事件に絡んで辞職したのを次いで大統領に就任したので、大統領選を経て就任したのではありません。フォード大統領はまた1975年にアメリカ軍がベトナムから撤退した時の大統領であり、「米国の歴史で初めて戦争に負けた大統領」などとも言われた人です。

一方のキッシンジャーは、ニクソンおよびフォードの両大統領に国務長官および国家安全保障担当大統領補佐官として仕えた人物です。

で、フォード元大統領の回想インタビューによると、キッシンジャーほど評判に敏感で激しやすい人物はいなかった(the thinnest skin of any public figure I ever knew)とのことで、ニクソンの閣僚を引き継いだフォードにとって最も手を焼いた(most challenging)人物であったようです。Henry in his mind never made a mistake...つまり自分は絶対に誤りは犯さないと思い込んでいる人物という風に映ったようなのです。

キッシンジャーはニクソン政権で、国務長官および国家安全保障担当大統領補佐官の二役を兼ねており、それがそのままフォード政権にも引き継がれたのですが、1975年にフォード大統領がキッシンジャーを大統領補佐官の任務から外します。ところがキッシンジャーはこれが気に食わない。「大統領、メディアは誤解しますよ。私が一方の職を解かれたということを降格させられたと書きます」と主張したのですが、フォード大統領構わず進めてしまった。補佐官と国務長官は別の人間がつとめれば、お互いにチェックしあい、政策についての議論も行われることで強い政府が作れる、というのがフォード大統領の考えだった。

フォード氏によると、キッシンジャーという人はメディアの批判を最も気にする人物で、メディアに批判されるとすぐに「辞任する。このような不公平な批判は我慢できない」と言い張ることがしばしばあったそうで、フォード大統領もそれには慣れっこになってしまった。「分かったよ、お前とはもうお別れだ(Okay, Henry. Goodbye)と言ってしまおうかと何度も考えたが、できなかったな」とフォード氏は笑いながら回想した。キッシンジャーは「国務長官としては一級なのだが、自己防衛本能が強すぎた(First-class secretary of state. But Henry always protected his own flanks)」そうであります。

ところでこのインタビューの本題である、ブッシュ現大統領のイラク戦争についてですが、フォード氏はI don't think I would have gone to war(私なら戦争はしなかっただろう)と言っています。注目すべきなのは、この発言がなされたのが2004年7月のことだということです。イラクの情勢が今ほど酷い状態になる前の発言であるということです。フォード元大統領は「自由と民主主義を世界に広めるのがアメリカの義務だ」というブッシュさんの主張には理解を示しながらも、米国大統領にとっての「一番の義務(obligation number one)」はアメリカの国益を守ることだと言っており、直接アメリカの安全に関係が無い限り世界のあちこちで人びとを自由にするために攻撃を仕掛けるべきではない(I just don't think we should go hellfire damnation around the globe freeing people, unless it is directly related to our own national security)と言っています。

フォード氏が大統領であった1975年にサイゴンが陥落して、米軍が撤退し、フォード氏は「戦争に負けた唯一の米国大統領」(the only American president to lose a war)というレッテルを貼られることになったわけですが、その点については彼はインタビューの中で「正直言って非常に不愉快だったが、それは公には絶対しなかった」(I was mad as hell, to be honest with you, but I never publicly admitted it)と語ったのだそうです。

  • ちなみに、このインタビューは今から2年半ほど前にembargoつきで行われたのだそうです。即ち公表する時期についての条件がついていたということです。それはWoodward氏が出版する予定の本(ワシントン・ポスト紙ではない)の中で使うか、フォード氏が死んだあとで使うか・・・というembargoです。
  • キッシンジャーが批判を異常に気にする小心者というのは面白いですね。フォード氏は、そもそもニクソンが何故キッシンジャーに国務長官と国家安全保障担当大統領補佐官の二役を任せたのかが分からない、と言っており「ニクソンが大のお気に入りだった」とだけ言って、それ以上のコメントはしなかったのだそうです。
2) フセイン処刑でほっとした人たち


英国The Independent紙のRobert Fiskという記者は中東問題の専門記者として30年以上もアフガニスタン、イラン、イラク、シリア、レバノンなどの国々を取材し続けています。彼の書いたthe Great War for Civilisationという本の中ではソ連のアフガニスタン侵攻の前後にオサマ・ビン・ラディンとインタビューをした様子などが詳しく書かれています。この本は9・11以後のアメリカのアフガニスタン攻撃とイラク戦争が主なテーマとなっているのですが、いわゆる分析ではなくて、現場レポからなるドキュメンタリーで、彼の場合は徹底して攻められる側に身を置いて報告をしています。

イラクからのレポも爆撃にさらされるイラクの都市の住民の中に身を置くというスタイルをとっているので、アメリカが何故イラク攻撃を行ったのかということについての背景分析を期待するとちょっとがっかりするかもしれない。にもかかわらずこの人は、この中東問題に関しては、英国のメディアの世界で非常に重きを置かれている人のようであります。

と、前置きが長くなりましたが、そのFisk記者が12月31日付けのThe Independent紙に"He takes his secrets to the grave. Our complicity dies with him"(彼は秘密を抱いて墓場へ行った。我々の共謀も彼とともに死んだのだ)というタイトルの記事を書いています。ここでいう「彼」とは12月末に絞首刑で死んだイラクのサダム・フセイン元大統領のことです。この記事の趣旨はイントロの次の文章ですべて言い表されています。

How the West armed Saddam, fed him intelligence on his 'enemies', equipped him for atrocities - and then made sure he wouldn't squeal(西側諸国は如何にしてサダムに武器を与え、彼の敵についての情報を提供し、虐殺のための手段や装備を与えてきたうえで、彼が吐いてしまわないようにしたのか・・・)

つまりアメリカや英国はサダム・フセインという独裁者を支持・支援していたはずなのに、今度は彼を抹殺することで、自分たちとの関わりに永遠にフタをしたというわけです。Fisk記者が問題にしているのは1980年代のイラクとアメリカとの関係です。例えばフセインは大統領になった当座、ソ連の影響を嫌い、イラクにおける共産党の弾圧を行ったのですが、それを手伝ったのがアメリカのCIAで、イラク国内の共産党員やシンパの居所についての情報提供を行ったとされています。結果として党員のみならず子供や家族まで逮捕され拷問にかけられた、としています。

Fisk記者によると、1980年のイラン・イラク戦争始まる前にアメリカの政府高官とフセイン大統領の間で何度もミーティングが持たれ、アメリカ側からフセイン大統領に対してイラン国内についての情報提供が行われたのだそうです。記者は1980年9月に、ドイツの武器商人と会ったのですが、この商人はアメリカ政府の秘密の代理人としてフセイン大統領に、米政府が作ったイラン国内のきわめて精巧な衛星写真を配達する役割を負ったのですが、その人自身のコメントとして、それらの写真を見ればイラン軍の動きが手に取るようにわかるようなものであったそうです。

またイランの公式文書によると、サダム・フセインが最初にイランに対して化学兵器を使用したのは1981年1月13日であり、その原材料を提供したのはアメリカであるとされている。Fisk記者によるとアメリカとイラクの交渉の中心人物の一人が、ドナルド・ラムズフェルド氏であったそうです。Fisk記者はイラクの化学兵器によってやられたイラン側の兵士を乗せた病院列車に乗り合わせて自分の目でその悲惨さを見ているそうなのですが・・・

No wonder that Saddam was primarily tried in Baghdad for the slaughter of Shia villagers, not for his war crimes against Iran.(サダムは主としてシーア派の村人殺害ということで、バグダッドで裁かれたのであって、イランに対する戦争犯罪で裁かれたのではないのもうなずける)

と言っています。つまりイランに対する化学兵器の使用が裁判で問題になるとアメリカ自身の関わりが分かってしまうというわけです。記者によると、アメリカからフセイン政権のイラクに対する貸付金は1982年に始まっているのですが、その詳細がフセインの死によって結局分からずじまいになるだろうとのことですが、アメリカからお金を借りてアメリカ製の武器の輸入をおこなったりしていたのですね。

英国とフセイン大統領との関連ですが、Fisk記者は二つの例を挙げています。一つは1989年に2億5000万ポンド相当の軍事援助を約束しているのですが、この約束がなされた当時、英国のObserver紙の記者がイラク国内で化学兵器関連の取材をしていて逮捕、処刑されたことがあった。その当時の英国外務省のWilliam Waldegraveという副大臣のような人が「イラクは、英国にとって将来非常に大きなマーケットになる可能性がある。この記者のようなことをやられるとビジネスがやり難くなる」と発言したらしい。

もう一つは80年代に行われた、英国からイラクへの武器輸出の緩和があります。当時、フセインによるクルド族虐待が問題になっており、英国政府も怒りの念を表明していたはずなのに、武器輸出については「柔軟に臨む」という態度をとった。

Fisk記者は次のように結んでいます。

Many in Washington and London must have sighed with relief that the old man had been silenced for ever. (全ての真実がバグダッドの処刑室でサダム・フセインと共に死んだわけだ。ワシントンやロンドンには、あいつが永遠に眠らされたということで、ほっとしている人間が多くいるに違いない。)

  • この記事の原文はここをクリックすると読めます。またRobert Fiskthe Great War for Civilisationという本はペーパバックにもなっているようです。
  • 前号(100号)のむささびジャーナルでState of Denialという本を紹介し、その中で「サダム・フセインは大量破壊兵器を持っているふりをしていただけ」というアメリカの専門家の意見を紹介しました。それについて、私の知り合いである国際ジャーナリストが「言うならばサダムは現状認識する能力に欠けており、虚妄癖があった。そうしたサダムの実像を米国も把握できず、踊らされたということだと思います。双方が相手を間違って捕らえていた結果がイラク戦争になってしまった」というコメントをくれました。うーん、言われてみるとそういうことか!?そうなるとブッシュとブレアがやったことは、言葉にはならないくらい酷いことであったということですね。
  • 特にブレアの場合、9・11のようなことが国内で起こって、その結果として国中がヒステリアの状態になっていたというわけではない。彼が徹底的にこだわったのは、サダム・フセインが大量破壊兵器を持っており、しかも45分以内にそれを発射できるという「情報」だけだった。つまりフセインという存在が英国にとっても脅威である、だから絶滅させるっきゃないし、それは人類にとっての正義の戦いである・・・ということを英国民に向かって語りかけて戦争に参加した。 で、その大量破壊兵器が存在しないということが分かると、今度は「サダムのような独裁者を倒したのだから・・・」ということで正当化しようとした。
  • ブッシュの場合は、国内のヒステリアに便乗したわけですが、ブレアの場合は、国内的には反対の意見がかなり強かったのにあえて戦争に出た。日本のオピニオン・リーダーの中には当時、こうしたブレアの「指導力」を賞賛する人もかなりいましたね。ある元外交官などは、ブレアのことを「ブッシュのふところに飛び込んだ男」というので絶賛していました。
3) 労働党が見失った世代


2006年12月24日付のSunday TimesのサイトにLabour’s lost generation(労働党が見失った世代)という記事が出ていました。英国における若い世代の失業問題についての短い報告なのですが、現在の労働党政権が誕生した1997年以来、若者の失業率が上がっているというもので、ブレア首相やブラウン蔵相が「長期的な若年失業は労働党のNew Deal政策によって事実上解消された」(Thanks to our New Deal, long-term youth unemployment has been virtually eradicated)と壮語するほどではない、というのが記事のアングル。

統計局(Office for National Statistics)の調べによると、総選挙で労働党が勝利した1997年5月と現在を比べると若者(16〜24歳)の失業者が37,000人増加しており、失業率でいうと14・4%から14・5%へと上昇を記録しているのだそうです。また6カ月以上失業している若者(18才〜24才)は17万8000人で、5年前よりも75%も増えている。

日本でも話題にのぼる、16才〜24才のいわゆるニート(neet: Not in Edcation, Employment or Training)の数は124万人で、これは史上最高の数字だのだとか。労働党政権誕生時の97年と比較すると男性が27%増の575,000人、女性が6%増の669,000人となっているのだそうです。

Sunday Timesは「 ニートの増加はとりもなおさず教育の失敗を反映している。多くの若者がしかるべき知識や技能を身につけずに卒業して、怠惰な日々を過ごすか犯罪に走る。移民の若者の方がよく働くし、知識も技能も身についている。政府は若者の犯罪増加と刑務所不足を嘆いているが、教育をまともに受けていない若者は金がないとアルコールや麻薬に走り、犯罪件数の上昇をもたらしているが、現在の政府は解決策を持っていない」と言っています。

4) 女性票はキャメロンに


12月24日付のSunday Timesのサイトを読んでいたら、政党別の支持率調査の結果が報告されており、保守党は特に女性の間で人気が高いらしいですね。政党別の支持率は保守党が37%、労働党が32%となっており、自民党は15%となっています。一時は第三の政党として二大政党の時代の終わりを告げるかのように思われていた自民党の人気が振るわない。ただこの調査によると16%が三大政党以外の党を支持すると言っているので、それと自民党を合わせると保守・労働の二大政党には有難くない数字ではあります。

Sunday Timesが「最も劇的」(the most dramatic)というのが女性の間におけるキャメロン保守党の人気で、支持率は39%で労働党の31%を大きく引き離している。男性の場合は保守が35%、労働が34%だから殆ど差は無い。知らなかったのですが、英国の政治でには「ウースターの女」(Worcester woman)という言葉あるんですね。ウースターという選挙区の女性浮動票が選挙結果を制するという意味らしく、ウースターに限らず各党とも女性票の掘り起こしには大いに力を入れている。

前回の総選挙(2005年5月)では労働党が女性票の37%を確保、保守党(33%)を4%リードしたのですが、それを見ても、今回の調査結果が如何に女性票がキャメロンの保守党に流れているかが分かろうというものです。

今回の調査はYouGovという機関が行ったものなのですが、同じ機関が2006年初頭に行った調査では労働党が40%、保守党が39%の支持率だった。労働党はイラク戦争と貴族院議員の資格をカネで売ったとされるスキャンダルが響いているとのことです。

5)安倍さんの教育改革の方向違い


安倍首相が進める教育改革について、12月23日付けのThe Economistが「若者の愛国心を高める(boosting patriotism among the young)ことを狙っているようだ」として、現在の日本の教育がかかえる問題の解決に対して「誤った答え」(wrong answer)を与えるものなのではないかと紹介しています。

同誌によると、日本の教育は確かに改革を必要としている(Japan does need serious education reform)けれど、それは現在の教育制度やカリキュラムが60年も前に作られたもので、現代には合わなくなっているという理由による。その頃の日本は、農村の若者が工場労働者として文句も言わずに長時間労働に励むことを要求しており、教育も暗記や暗算を中心とするものでよかった。

しかし日本の経済が全く様変わりしてしまったにもかかわらず、相変わらず暗記中心教育そのものは頑迷に残されてきた。本来、日本の教育が挑戦すべきなのは、情報化とグローバル化の中で若者たちの批判的な判断力(critical judgement)を養うことであるはずなのに、というわけです。

ただThe Economistの記事が面白いと思うのは、次の結論の部分です。

日本が経済的な成功を続けているということから言えるのは、日本の若者たちが(暗記を強調するような)古い教育の部分にさしたる注意を払わずに、今の世界での繁栄に必要なクリエイティブな技能を黙って身につけてきたということなのではないか。そのように考えると(OECDの国際比較のような)フォーマルなランク付けの世界で成績が落ちている(そのことは日本以外のポスト工業化社会でも起こっている)ということは、実際には喜ぶべきことなのかもしれないのだ。
Its continued economic success suggests that Japan's teenagers are paying less heed to all this, as they quietly master the creative skills needed to prosper in a modern world. In this context, perhaps those perplexing slippages in formal grades, mirrored in other post-industrial countries, ought actually to raise a cheer.

  • この記事を読んで思い出したのは、最近新聞などでちょいちょい見かける「クール・ジャパン」という現象のことです。かつて日本といえばクルマとか家電製品などの品質の良さで世界を席捲していたわけですが、最近は例えばマンガとかアニメとかデザインなどの分野で世界的に知られるようになっている。これらを総称して「クール・ジャパン」現象というわけです。むささびジャーナル99号でも、大学の先生が「図工や音楽教育に力を入れるべし」と力説しているということをお伝えしました。この先生なども、日本がこれから国際競争の中で生きて行くための手段の一つして、このようなクール・ジャパンの分野に秀でた若者を作ることが大切であると言っているわけです。
  • この大学教授の言い分にはついていけないものを感じますが、世界に冠たる(?)「クール・ジャパン」は、安倍さんが力を入れている「国を愛する教育」だの「学力向上のための教育」とは無縁の人たちによって支えられているように思える。はっきり言って教育再生会議のオッサン、オバハンがワイワイやっているのとは関係のないところで、日本の若者の創造力が伸びていっているのではないかってことです。それはそれで痛快な気がしないでもない。
  • ところで英国でもかつてCool Britanniaというプロパガンダがありましたね。結局お笑いで終わってしまったようですが。これについては、かなり前のむささびジャーナルで紹介させてもらいました。ここをクリックするとお読みいただけます。
6)深刻化するアフリカの医師流出


Le Monde Diplomatique(LMD)誌のサイトを見ていたら、アフリカにおける医者不足についての気になるレポートが掲載されていたので紹介します。

記事の趣旨はアフリカ諸国において医者もしくは医療関係のスタッフとして訓練された専門家がみんな欧米諸国へ出て行ってしまい、アフリカ人の医療に携わる人の数が極めて少ないということにあります。この記事によると、毎年2万人の医療関係者がアフリカから欧米諸国へ移住するのですが、西アフリカのベニン共和国で働くベニン人の医者よりも、フランスで働くベニン人の医者の方が多いという数字も出ています。国連のミレニアム開発計画(Millennium Development Goals)の目標に到達するためには、アフリカでは2015年までにあと100万人の医者が必要なのだそうです。

アフリカの医療関係者が欧米諸国へ移住するということは、言うまでも無くそれらの国において需要があるということです。社会の高齢化が進む欧米ではこれからますます医療関係者が必要になる。例えば英国では、これから2008年までの2年間で2万5000人の医者と3万5000人の看護婦が必要になると推定されているし、アメリカでは2010年までに看護婦100万人が足りなくなるという数字も出ているそうです。

LMD誌は、欧米諸国が社会の高齢化にも拘わらず自分たちで医療スタッフを養成することを怠ってきたのを外国からの安い労働力で埋めようとしている、と批判しています。欧米で医療スタッフを一人養成するとアフリカの10倍のコストがかかる。しかもアフリカから来た人々は安い賃金で長時間働くことをいとわないとなると、病院の夜間労働などの市場では大いに需要が出てくるというわけです。

アフリカの医療事情を見ると、関係者が欧米諸国へ移住するのも無理はないということも言える。例えばナイジェリアの医者の給料の購買力は東欧のお医者さんのそれより25%も低い。しかも薬は足りない、医療器具も満足に揃っていない、昇進の機会も殆どない・・・という悪条件が重なっている。アフリカにおけるエイズによる死亡件数の19%〜53%が医療関係者であるという推定もなされているのです。

医療関係者の国外流出の数字として、ジンバブエ政府が1990年代に養成した1200人のドクターのうち、国に残ったのはわずか360人(!)というのが出ている。ガーナの例でいうと、1993年から2002年の間に養成された800人の医者のうち600人が国外へ行ってしまい、うち66%が欧米に住んでいる。ちなみにガーナにおける乳幼児死亡率は10人に一人、フランスでは200人に一人。ガーナにおける人口10万人あたりの医師の数は9人。フランスでは335人というわけで余りにも違いすぎる。

アフリカ諸国の政府が何もしないというわけではなく、例えば海外からの帰国医療関係者には特別な財政支援のようなものを与えたり、特別住宅手当を支給したり・・・いろいろとやってはいるのですが、アフリカで医療支援に取り組むSave the Childrenというチャリティによると、海外へ移住する医療関係者に税金をかけるとか一定の期間を海外で過ごしてから帰国を義務づけるような対策が講じられなかったことが大きなハンディになっているらしい。

2006年4月に国連がWorld Health Reportを発表したのですが、その報告書の作成に参加している押収人権擁護委員会のLouis Michael委員長は、欧州諸国は、アフリカ開発への資金援助を増額する一方で、アフリカから医者を取り上げているという矛盾を犯していると強調しています。

アフリカ開発委員会(African Commission)の推定によると、2006年〜2010年に10億から60億ドル、それ以後は77億ドルが、アフリカにおける医療関係者の養成費用として必要とされていますが、これを寄付しようという国は数少ないそうです。LMD誌は、世界銀行やIMFのような国際金融機関による財政援助について、その使い途をアフリカ政府の自由にさせることも必要だとしています。

しかしこの問題の根本にあるのはアフリカの貧困である、というわけでLMD誌はマラウィ共和国のエンタバ厚生大臣の次のようなメッセージを掲載しています。

国民一人当たりの医療ケアにかける費用が1年で12ドルというのでは質の高いケアは無理であるということを国際的な支援国に注目してほしい。この状態の根本にあるのは貧困なのだ。支援国が自分たちの約束したことを遵守するならば、それぞれの国のGDPの0・7%をこの問題のために費やすべきなのだ。そうすれば発展途上国の貧困問題には大きなインパクトになるはずなのだ。 (I would like to bring to the attention of the international donors that it is impossible to deliver quality care with $12 per person per year. It is poverty that underlines this situation. If donors respect their promises, they should spend 0.7% of their GDP. This would have a significant impact on poverty in developing countries.)

現在の人材不足の問題を貧困問題に関連させずに分析することは非現実的というものだ。国連のミレニアム開発計画を達成するためには、我々は人材育成と貧困撲滅の両方に対して投資をすることが、緊急に必要なのだ。 (It is unrealistic to analyse the present human resource crisis without relating it to poverty issues. To be able to attain the Millennium Development Goals, we urgently need significant investments in both human resources and poverty reduction strategies.)

  • 問題が違うのかもしれないけれど、この記事を読んでいて思いだしたのがフィリピンと日本の間で結ばれたいわゆる自由貿易協定(FTA)のポイントの一つがフィリピンからの介護スタッフの受け入れではなかったでしたっけ?確か駐日フィリピン大使も「このFTAのお陰で日本の老人たちもこれからは質の高いフィリピンの介護労働者のサービスを受けることが出来るだろう」と言っていた。なるほど・・・でもアフリカと欧米諸国ではないけれど、フィリピンの優秀な介護関係者が日本に来てしまった結果として、フィリピンのお年寄りの介護がまともでなくなるということはないのでしょうね。
7)短信


銀婚式を二度やったハッピーな女性

えーと、銀婚式ってのは25年ですよね。ノース・ロンドンに住むEileen Georgeという女性は、銀婚式を2度も経験しているんだそうです。元看護婦の彼女が最初の夫と結婚したのが1952年、25周年をお祝いしたのが1977年。銀婚式を祝ったあとでご主人が亡くなってしまった。でもがんばって4人の子供を育てたEileenが二度目の結婚をしたのが1981年のこと。で、昨年(2006年)に銀婚式を迎えたというわけ。二度目のダンナさんによると、幸せな結婚の秘訣は"Let your wife be the boss"・・・つまり、日本風に言うと奥さんの尻に敷かれていること。

  • よく分からないのは、この記事を伝えるthe Sunが女性の方のコメントを全く載せていないことと、女性の年齢に触れていないことです。ただいずれにしても銀婚式を二度やったってことは、少なくとも50年間は結婚生活を送ってきたということになる。これはすごい。ほめてあげてください。

ロブスターがパブの人気者に

ロブスターって、エビの大きなやつですよね。英国のWiltshireというとことにあるパブが、ロブスターをペットにして店においたところこれがバカウケなんだそうです。「ロブスターを飼うと言ったらお客は、アタシが酔っているか、気が狂ったかのどちらかに違いない、と大笑いしたんですが・・・」というわけですが、いざ飼いはじめたら皆気に入ってしまってついにファンクラブまで出来てしまった。ロブスターの名前はエディというのだそうです。オーナーのMr Allford が考えているのが、メスのロブスターを飼って繁殖させることなんだとか。エディの成長記録をサイトにして客にも見てもらおうという計画もあるそうです。

  • ロブスターのエディはクジ運もやたらに強いらしく、オーナーがエディ用に他のパブで20ポンドのクジを買ったらビスケット、日記帳、ビール、レモンなどが当たったんだそうです。そうなると止められないでしょうな。でも・・・ロブスターじゃ、お坐りすることもないし、「お手」なんかやろうとしたら巨大な爪で挟まれてケガをするだろうし・・・!?

英国についての質問

観光局はどこの国でもそうですが、英国政府の観光局にも外国の観光客から何だかよく分からない質問が寄せられるとかで、2006年の間中、ロンドンにある観光局でスタッフが聞かれたケッタイな質問をいくつかリストアップすると・・・

Are there any lakes in the Lake District?:湖水地方(Lake District)には湖があるんでしょうか?
Is Wales closed during the winter?:ウェールズは冬になると閉鎖されるんですか?
Can you tell me who performs at the circus in Piccadilly?:ピカデリーのサースには誰が出演するのか?
What Tube line runs to Edinburgh?:ロンドンからエディンバラまで行く地下鉄はナニ線?
Is Edinburgh in Glasgow?:エディンバラって、グラズゴーにあるんですか?

  • ピカデリー・サーカスについての質問、分かるな。アタシもてっきりサーカス団が何かやっている場所なんだと思ったもんね。ロンドンからエディンバラまでの地下鉄・・・か。無理だろな、これは。だってさ、アンタ、東京から大阪まで、地下鉄で行きます!?かなり滅入るでしょうね、これは。
8)むささびの鳴き声


●2006年の12月を遠いと感じるのは何故なんでしょうか?つまりですね、2006年12月7日は今から1ヶ月前ですよね。この1ヶ月は、例えば12月7日と11月7日の間の1ヶ月よりも長い気がしませんか?12月31日の夜中の12時を境に、2006年は遠くへ行ってしまったという感覚は外国にもあるのでしょうか?

●12月31日午後5時半からの東京12チャンネルのナツメロ番組、見ました?アタシはというと見損なったんでありますよ。悔やまれますね、いまでも。都はるみとか菅原ツヅコとか青木光一などが出たんじゃありませんか?で、代わりと言っては何ですが、昨日(1月6日)の夜、NHKの衛星第2チャンネルで放送したナツメロ番組を見たのであります。12チャンネルとはスケールが違いましたが、マイク真木とか大下八郎とか、いろいろ出ましたね。名前を忘れてしまったけれど、64歳になる元アイドル歌手が「初めての恋、初めてのキッス・・・」などと歌っていたのには、気持ち悪くて笑ってしまった。はっきり言って残酷な企画でしたね、あの歌手たちにとっては。

●残酷といえば、歯医者さんの子供の殺人事件を伝えるテレビのニュースキャスターと呼ばれる人たちの深刻ふうな表情も残酷ではありますね。休みだったので、私、普段は見ることができない午前8時とか9時とかのニュース番組を見る機会があった。あの種の事件が起こるたびに、心理学者だの元検事だの小説家だのと言った「専門家」を集めて、深刻そうな顔をして、分かった風なディスカッションをやるという、あの神経は人間業とは思えませんね。

●しかも今度は「犯人」が成人だからというわけで、警察に連行される彼の顔を、何度も何度も放映していましたね。実に飽きもせずに、です。以前に言ったことを繰り返すのがシャクだけど、あの種の番組は、全国規模の井戸端会議としか思えませんね。いい加減に止めて欲しいと思うけれど、無理なのだろうから、要するに見なきゃいいんですよね。でもテレビ・メディアによるリンチは本当に不愉快かつ残酷ではある。

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